台湾日記  2001年7月1日〜
  
(台湾日記 バックナンバー 2001年6月3日〜6月23日はココ)

7月1日
うちわパタパタ
○ 出張で日本に一週間足らず行って来た。(更新が無いとのお叱りのmailを幾つか頂き恐縮している。ありがたい話だ。)今回の出張では、台湾のメーカーの人と一緒に、日本の大手メーカー数社を回ったのだが、その中で面白いことがあった。

○ 某日本の大手メーカーのマネージャーが、うちわを持って会議に出てこられた。果たして、台湾の人のプレゼンテーションが始まると、鷹揚にうちわをあおぎだした。パタパタパタ。ちょっと、らくちん(筆者のペンネーム)も気にはなったが、台湾の人も何食わぬ顔で一生懸命、−やや長すぎる感がしたがー、説明されていたので、気にせずすぐ忘れていた。確かに会議の間中、暑くも無いのにうちわをあおいでいた。パタパタパタ。

○ 翌日の夜になって、台湾の人と打ち解けて食事をしていると、もう、その話でもちきりである。台湾の人にとっては、うちわパタパタは、相当失礼にとらえたようだ。とはいえ、24時間以上たった今となっては、みんな笑いながら酒のつまみにしている風情だ。プレゼンテーションをしていた人は、「だから、オレは、わざと退屈に長くやったのだ」とにこにこしながら言っている。「そういえば、仲間の一人が暑くも無いのにこれ見よがしにパンフレットでパタパタやっていたよなあ。」と盛り上がる。あのおとなしい人が、あてつけをするのだなあ。わっはっは。

○ らくちんは、「日本では、あの会社に限らず打ち合わせのときにウチワパタパタやる人など結構いるよ。」と言う。「悪気ないと思うよ。」と弁解する。「ああいう人は、意外に親身になってくれたりするから、却ってやりやすいことが多いよ。むしろ、馬鹿丁寧だったり、やたら親切だったりする方が、手ごわいよ」などと苦しい話をする。しかしもう、台湾の人は止まらない、「いやあ、最初にうちわパタパタを見た時は、出た!諸葛孔明!と思いましたよ。」こりゃ、相当頭に来たようである。確かに、いくら買う側とはいえ、外国からわざわざ来たお客さんに失礼といえば失礼であった。

○ らくちんの持論の一つに、日本の経済が悪くなったのは、役人よりもむしろ、「役人のような民間人」のせいだというのがある。しかし、その場で、それほど違和感を感じなかった、らくちんも、相当、この日本の病におかされているのかもしれない。がっかりである。

○ ところで、こういうのを表面上にこにことやり過ごしてしまう、台湾の人こそ最も手強い人たちなのかもしれないね。



7月7日
政治
○ 台湾の人は、政治の話が好きだ。おじさんおばさんから若いおねえさんまで、結構はっきり支持不支持を口にする。飲み屋のおねえさんでも、「宋楚瑜がいい」と断言したり、「絶対陳水扁!」といって、陳氏のキャラクターシールの張ってある携帯電話を見せてくれたりする。いや、まあ、聞いた話ではあるが、、、

○ 先日、ある会社の社長(台湾の人)と昼食をした時、政治の話になった。「今度の日本の首相は、変わった人なんだって」とかそういう話である。「外相が大変なんだって。丁度、台湾の今の副総統(呂秀蓮)みたいなもんだなあ」と苦笑いしながら言っていた。確かに、似ていなくも無い。女性、トラブルメーカー、よくしゃべる、攻撃的。「うるさいのは、似てるけれど、あなたのところ(台湾)の方が、頭はいいよ」と言ったりした。

○ 台湾で、この手の話をすると、最近の政治の混迷を嘆く声をよく聞く。李登輝氏も「自分が12年かけて育てた民主主義が壊れるのは見ていられない」と言って、表に出始めた。しかしだ、民主主義なんて、この程度の混迷はままあることと思わなければ、続かないのも確かである。恐らく、史上最も非効率な政治形態なのだから。

○ 今、「重光・東郷とその時代」(岡崎久彦、PHP、2001年)を読んでいる。
日本が戦争に歩んでしまったのも、国民が政治の混迷に耐えられず、政党政治を諦めてしまったところに一因がある。台湾も日本も、今、大多数の「普通の人々」の忍耐と外交センスが問われている。


7月10日
否定形の政治
○ 小泉首相は、否定形の使い方が上手い。「構造改革なくして景気回復なし」、「聖域なき構造改革」など有名なコピーはみんな否定形によってパンチ力がでている。これは決めの一言だけではなく、むしろ自分の文体として身についていて日常的に使っているようだ。手許の新聞を開くだけで、首相の日々の発言から、いくらでも例を見つけることができる。(靖国参拝について)「公式とか、非公式とか、とやかく言われる筋合いではない」。(自立と自助について)「国だけじゃできない。国民が自分で責任をもてることは何か。みんなで考えてもらわなきゃいけない」。

○ 小泉首相は、テレビへの対応が上手いと言われている。コメントが非常に短いことがその代表例としてあげられているが、この否定形の使い方が上手いこともあげてもいいと思う。と、こういうつまらないことを発見すると、俄然、色々考えてしまうのだ。

○ そもそも日本語というのは、他の言語と比べても珍しいことに、否定形が、文の一番最後にくる。これが、外国人や、同時通訳者の頭痛の種だ。長い文章を一生懸命聞いていると、最後に、「ではない」と付け加えられることがある。そうすると、聞いているほうは、頭の中の言葉をもう一度裏返しにして、反芻しなければならない。ベテランの同時通訳者が、絶句するのもこういうときだ。だから、日本語で否定形を使う時は、短い文章にしなければならない。そして、短い文で使うと、一番後ろにある否定形は、却ってインパクトが増す。井上揚水や中島みゆきといった、日本語について鋭い感受性をもったアーティストは、この日本語の否定形のもつインパクトを上手に使っている。(「傘がない」!)小泉首相は、自然にそのあたりが身についているようである。

○ さらに彼自身の政治スタイルが、創造と破壊という分類でいくと、「破壊」型であることが影響しているだろう。郵政事業に反対し、田中派に盾をつき、地元利益に背を向けて力を付けてきた政治家である。文章のスタイルだけでなく、行動のスタイルも「否定形」が中心だった。

○ 与太話を続ければ、この「否定形」の政治スタイルは、そもそも自民党のスタイルといえなくもない。数年前、「自民党とは、「反非自民」である。」という名台詞が政治に関心のある人の間で話題になったことがある。(確か、言い出したのは、故佐藤誠三郎ではなかったか。「非反自民」だったっけ?)つまり、自民党以外のものを、叩いて回るということしか、党としての共通性やアンデンティティを確保できていないが、この曖昧さが自民党の強さの秘訣でもあるといったそんな話であった。そして、今、小泉総裁は、この旧自民党的なるものを否定しようとしている。つまり、「反「反非自民」」である。これだけ否定形が重なると実体がなんなのかさっぱりわからず、確かに野党も攻めにくかろう。鳩山民主党党首の質疑などを見ていると、ミラーハウスの中で、合わせ鏡に写るたくさんの自分の像に、キックやパンチを試みる少年のようで、痛々しい。

○ ここまで書いてきて、ふと思ったのだが、この否定形の連鎖というのは、自民党に限らず、日本の政治、いや、それのみならず、日本の社会全般にあてはまるのではないだろうか。我々サラリーマンにしても、何か新しいことをしようとすると実にたくさんのネガティブリストをかいくぐって、実行しなければならない。「これは、禁止されているOXではありません」とか「過去に失敗した△△とも異なります」と何度言わされることか。また、言論界の議論も、建設的批判とは、程遠い、全般的な漠然とした否定が多く、焦点が絞れていないために、否定を重ねる毎に、問題の所在そのものが不明確になっていく。残るのは、感情的対立だけである。弁証法とやらを昔聞きかじった気もするが、イメージとしては、全く逆で、アンチテーゼがでて上昇し纏まっていくというよりは、否定形が連鎖することによって下降し拡散していくのだ。そして、実社会でも言論でも、時間を浪費しつつ否定形の連鎖が繰り返され、焦点も十分にぼやけたあたりで、不思議な妥協と手打ちが行われるのだ。

○ 小泉政権の改革も、この否定形の連鎖の罠にはまらないこと祈るばかりである。


7月14日
台湾での各国の人気
○ 「台湾で流行している各国商品の調査」というものを見つけた。(「工商時報」が和信国際と聯広公司行銷研究顧問に委託して行った調査) これが、結構面白い。日本のものは、日用電化製品、アニメ・漫画、文房具などで人気がある。

○ 「台湾では大変な日本文化ブームで、日本のテレビドラマやアーティストが大変な人気なんだって?」と、よく聞かれる。
でも、「歌、音楽」では台湾のもの、アメリカのものに次いで、日本のものは3番目である。やはり、特殊な人気といえるレベルで、日本でいう、「レゲエ」とか「ラップ」といったジャンルと同じような位置付けではないだろうか。世界の中で一番日本の歌が好かれている社会であることは、間違いないが、だからといって、台湾で一番人気のあるジャンルでもないと思うのが穏当なところだろう。

○ テレビドラマでも、日本のものは、台湾のものの次である。注意しなければならないのは、台湾では、CATVが殆んどの家庭に普及していて、みんな100チャンネルぐらい見られるので、人気のある番組でも数パーセントの視聴率である。これは、日本の人気ドラマが20%、30%といった数字を出しているのと比べると、社会的影響力が、随分小さいことを示している。
では、その調査結果を、見てみよう。

○ 台湾における各国商品の人気動向

日本 台湾 中国 香港 アメリカ フランス
料理・食物 21.6% 43.2% 10.1% 1.4% 1.6%
衣服 16.0 21.4 1.6 1.4 6.6 3.7
靴・バッグなど 14.2 15.4 1.2 1.4 5.8 2.5
住居環境 14.0 21.0 0.8 0.2 16.5 2.7
自動車 24.5 7.4 0.2 9.5 1.0
スター 11.3 18.3 0.6 8.0 12.6
歌・音楽 10.9 39.9 2.3 2.1 13.0 0.4
映画 3.7 8.4 0.8 3.1 55.1 0.4
テレビドラマ 23.9 24.9 1.2 5.3 6.0 0.2
漫画・アニメ 46.1 2.3 0.2 0.8 4.9 0.2
コンピューターゲーム 24.7 2.1 2.9
旅行・観光 30.0 3.7 6.2 1.2 9.1 4.9
文房具・ギフト 34.6 8.2 0.6 2.3 1.2
書籍・雑誌 7.8 36.8 0.4 0.6 5.6 0.2
日用電化製品 54.3 16.5 3.9
スポーツ 1.2 12.8 2.1 32.3 0.2
7.8 45.1 3.3 0.6 6.6 0.4
学びたい語学 20.4 7.4 0.6 0.4 42.0 3.1
国家 28.2 15.8 3.1


7月16日
話し好きのタクシー
○ 今日のタクシーの運転手は、話し好きだった。運転手の年の頃は40代半ば、剃り残した髭も数本あり、ややむさくるしい感はぬぐえぬものの、人よさげに丸顔でにこにこしている。これ位の歳の台湾の人は、殆んどが挨拶程度以上の日本語はできない。一方、こちらは、中国語では、30語くらいの語彙しかない。それにもかかわらず、中国語で30分も話してくれるのだから、相当話し好きである。これをもって、台湾の人の大勢とするのは、間違いであるが、比較的よく接する台湾の庶民のコメントと思って読んでもらいたい。

○ らくちんがタクシーに乗り込んで行き先を中国語で告げると、すぐ日本語で「こんにちは」と来た。おかしいなあ、一言、中国語を話しただけなのにどうして分かるのかなあ。と、思っていたら、やはり日本語は、できないらしく、後は、ずっと中国語で熱心な会話が始まった。

○ 「日本人か」 「日本人だ」 (以後、タクシーの運転手の言葉をで書く)
「私は日本人が好きだ」 「ありがとう」(外国に住んでいると、お世辞でもこういってもらえると、本当にありがたい)
「台湾にどれくらい住んでいる」 「だいたい半年住んでいる」
「中国語うまいじゃないか」 「うそだろ。下手だ。」
「台湾は、好きか」 「台湾は、好きだ」
(とにかく語彙がないので、相手の使った言葉をできるだけ使うことになる)
「アッペン(阿扁、陳水扁の愛称)は、好きか。総統のアッペンだ。知っているか。」
「知っている。」
「私は、阿扁が好きだ。あなたは、阿扁が好きか」
「比較的好きだ。しかし、日本人は、李登輝が一番好きだ」(やった、最上級を使ったぞ)
「そうだな。総統の時の李登輝は、私は好きだった。今は、阿扁が好きだ。阿扁は、台湾を愛している。阿扁は、アメリカのパスポートを持っていない。連戦も宋楚瑜もアメリカのパスポートを持っている。知っているか」
「知らない」(ほんまかいな)
「連戦も宋楚瑜も、困ったら中国やアメリカに逃げる気だ。二人とも中国人だ。阿扁も私も台湾人だ。阿扁は、台湾を愛している。」
「そうか」(この手の話には、コメントのしようがない。)
「連戦も宋楚瑜も裏金をポケットに入れる。阿扁は、汚い金を受け取らない。日本はどうだ。」
(うーん。日本の外務省では、屋形船が云々といいたいところだが、上手く言えないしなあ。)
「ある人は、汚いし、ある人は汚くない。ある時は、汚いし、ある時は、汚くない。」
(我ながらいい答えだ。誰か、国会答弁で使ってくれ。)

○ 「今日は、夜飲まないのか。台湾の女性は好きか」
「私は、台湾の女性も日本の女性も好きだ。しかし、お酒は、女性と飲むより、男の友達と飲むのが好きだ。」(真偽の程は、知らない。とにかく中国語の練習である。)
「あなたの奥さんは、幸福だな。あなたは、女の人と飲むのが嫌いだから。そうだろ。」
「そうだ。そうだ。私の奥さんは幸福だ。しかし、彼女は、そのことを知らない。彼女に言ってやってくれ。」
「そうだな。私が奥さんに言ってやろう。はっはっは。」「はっはっは」

○ こうして一日一日が過ぎていけば、僕も幸福だ。


7月22日
台湾でのパソコン自作
○ 昨日、パソコンを作った。らくちんは、パソコンを自作する。今回は、6月の台北でのコンピューターショー(詳しくは,台湾日記6月10日)で、マザーボード(パソコンの基幹部品)をもらったので、これを機会に、台湾でPCパーツの買い物体験をする為にもと、一つパソコンを作ることにした。あちこちから、サンプルや余りものの部品をもらってきて作ったので、結局かけた費用は、4万円(日本円)くらいだろう。組み立て自体は、3時間程だった。それでもCPU:1.2Ghz、メモリー:DDR256Mで、かなりハイスペックだ。

○ パソコンを組み立ていて、つくづく思う。アメリカ人は、標準化の天才だ。今回も、色んな国で作られた様々な部品を使ったけれど、どれもピタッと抜き差しでき、結局、マイナスドライバー一本を使うだけでできあがる。幸運にも、組み立ててスイッチを入れると、一発で支障なく動いた。この基本的な構造と規格を作ったのは、アメリカ人(または、アメリカ社会)である。

○ 最初にアメリカ人は標準化の天才じゃないかと思ったのは、アメリカに住んでいた時に、ベッドシーツ、毛布等のいろんな種類のベッド用品が、シングルとかダブルとかとサイズをいうだけで実に完璧にピッタリあうのに驚いた時である。アメリカというのは、大体、イイカゲンなものをよく売っているものだが、テキサスで買っても、シアトルで買っても、安物スーパーで買っても、高級デパートで買ってもピッタリ合うのは、不思議で、とても感心した。パソコンをいじって部品を抜き差ししていると、いつもアメリカのベッドシーツを思いだす。

○ IBMがパソコンを作ることを決めた時に、マイクロソフトにOSの開発を任せたのが、技術上も、ビジネス上も今のPCの始まりだが、その時に有名な伝説的な逸話がある。1980年当時、OSでは、マイクロソフトよりデジタルリサーチ社の方がずっと実績も技術力もあった。そのデジタルリサーチ社のキルドール社長に、IBMの責任者がOSの開発・購入について会いに行った時、手違いがあって、キルドールは、飛行機に乗っていて会えなかった。(本人は否定しているが、アポイントを知っていながら宙返り飛行を楽しんでいたとも言われている。)これが契機で、IBMは、OSの開発をマイクロソフトに任せた。

○ ここからは、私見だが、IBMがデジタルリサーチと組んでいれば、IBMのパソコンは、今程オープンになり標準にならなかったのではないかと思う。この逸話は、単なるマイクロソフトの成功話ではなく、標準化つくりの天才であるアメリカ社会の逸話と読んだ方が楽しい。僕は、こういう歴史の偶然ともいえるまれな人材が起こしたまれな事件というものが、実は、その社会や国の特徴をくっきり示しているように思えてならない。日本における大政奉還とか、中国における西安事件とか、色々想いをめぐらさないではいられない。


7月25日
誰がなんぼ痛い?
○ 日本では、参議院選挙がたけなわらしい。台湾にいると、その熱気が伝わらず、却って政治が静かな感じすらする。街宣カーやポスターがないのはもちろん、こちらで毎日見ているNHKや新聞は、公平を期してか慎重に扱っているようだからだ。こうして静かに新聞を読んだりしていると、結局、与野党共、同じ台詞を声を大きくして繰り返しているだけで、議論があやふやなまま、投票日を迎えているような気がしてならない。そこで、僕も、自分で考えた方がいいと思い、大阪弁で、思いつく論点を綴ってみたい。

○ 「痛い痛いゆうけれど、誰がなんぼ痛いやろ?」
改革に痛みがともなうのは、分かる。しかし、どの分野の人が何割ぐらい、どの程度痛いのか。何が不便になって、何が便利になるのだろうか。それは、もっとちゃんと議論していけば、見えてくる話だと思われる。

○ 「不良債権処理をした後、銀行は何をするんやろ?」
一時的な思い切った処理を断行するのはいい。しかし、その後、銀行はどのような付加価値のついた新しいサービスをしようとしているのか。間接金融から直接金融に移らなければならないなら、あんなに給料もらっているあんなにたくさんの人は何をするのか。人を1/3に減らすのか。結局、融資しかしなければ、また不良債権が増えるのではないか。

○ 「大げさに構造改革ゆうても、永田町ムラの争いやないか。日本の改革をせんかい」
現状、小泉改革で具体的になっている件は、全て、橋本派の拠点潰しに過ぎない。さすが、「政局の人」と自認するだけのことはある。それはそれで意味あることとは思うが、もう少しスケールの大きい改革は、できないのか。

○ 「構造改革が済んだら、どんなええことがあるねん?」
結局、現状破壊とその代償を唱えるばかりで、その痛みに耐えた後の成果のイメージが沸かない。

○ 僕自身は、小泉首相の構造改革には賛成だ。しかし、どうせなら、プラスもマイナスも含めてみんながイメージがつかめるような議論をした上で選択して欲しいと思う。その意味では、株価が下がったのは、却っていいことだろう。「構造改革というのは、短期的にはこういうことを意味するのだ。いいですね。」と天が問うているようだ。それを知りつつ尚そこに踏み込むかどうかだ。僕は、YESなのだ。


7月29日
九「イ分」に行く (「イ分」は、人偏に分)
○ 九イ分(ジョウフン)に行って来た。山にへばりついている坂道の多い小さな町。そのまんなかを幅1.5m程の細くて急な階段の小道が、かすかに曲がりながら通っている。100段あるとも言われているこの石畳の階段の両側には、半世紀以上前、金を産出し栄えていた昔に建てられた古い家並みが続く。階段を上りきって振り返ると、そのくすんだ古い家並みを、小道がかろうじて切り取った細い縦長の視界に、綺麗な海と空の青が広がる。瀬戸内育ちの僕には、海に小島が二、三、点々と浮かんで見えるのが好もしい。

○ 九イ分は、19世紀末に金鉱が発見されて、一気にゴールドラッシュとなり、日本統治時代は、大いに栄えたが、戦後は、金鉱脈も尽き、急速にさびれていった。しかし、最近では、映画「悲情城市」のロケ地として有名な観光地となり、台北の若者のデートコースにもなっている。町の中心の曲がりくねった細い石畳の階段沿いは、昔、ゴールドラッシュに沸くこの町で飲み屋が建ち並び、栄華を極めた。今は、その飲み屋の跡を改造し、若者向けの喫茶店や土産物屋がならんでいる。その喫茶店の屋上で、星空を楽しみながら、トランプなどをして、楽しく夜を過ごす若者も多いとのことだ。

○ たまたま太子賓館の復旧工事が済んで公開された直後であった。中国語なので、よく分からなかったが、戦前に日本の皇太子が宿泊するために作った施設だとのこと。おそろく、昭和天皇のことだろう。当時の台湾としては、信じられない程の巨額を投じたとの説明であるが、建物自体は、和洋折衷だが、実に簡素なものである。やはりその頃は、日本も台湾も貧乏では、あったのだろう。

台湾日記 バックナンバー 2001年6月3日〜6月23日

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