台湾日記 バックナンバー  2001年6月3日〜 6月23日  

2001年6月3日
結婚写真 士林官邸にて
○ 台湾人は、どういう訳か写真が好きだ。例えば、婚約してから結婚するまでの期間に「結婚写真」を撮る習慣が定着しているという。

○ その「結婚写真」のメッカといわれる士林官邸に行った。故蒋介石元総統と宋美齢夫人が住み、46年間官邸として使用され、1996年から一般開放されている。入場無料。

○ ここが、今は、「結婚写真」に最もよく使われるスポットになっている。バラ園、噴水のある庭、古風な建物などを背景に、タキシード姿の男性と、ドレスを着た女性が、ポーズをとって、プロに写真を撮らせている。女性二人連れなども多い。台湾の若い女性は、普段、日本人以上に照れ屋の仕草を見せるのに、ことカメラのレンズを向けた時は、さっと大胆になって、昔の「プロマイドポーズ」をとる。なまめかしく手を髪の後ろに持っていき振り向いてみたり、気取ったポースをとって、お互い写真を撮り合っている。こちらは、見ているだけで、ほほえましいのを通り越して、こっぱずかしい。

○ 蒋介石氏は、天からこんな風景をどんなふうに見ているだろうか?いずれにせよ、平和な光景であることには、違いない。

6月5日
結婚写真2
○ 会社の同僚に結婚写真について聞いてみたら驚いた。今は10組中9.5組は、写真屋さんに頼み、80cm x 1m程の大きな写真を作り、家に飾るのだそうだ。その大型写真と、色んなポース、服装で撮った写真をアルバムにしたものとを作ってもらうのに、合計4万−5万元(日本円で15万円)程もかけるのだそうだ。

○ これはすごい。こういうのを聞くともちまえの好奇心が刺激される。いつ頃からの習慣だろうか。少し年をとった方に聞くと、昔はそんなことはしなかったとのこと。この10年20年ほどのことらしい。夫婦喧嘩をすると気まずくないのだろうか。いや、やはり気まずいらしい。何回目かの大紛争で破損されるケースもあると聞く。それにしても憤然とにらみ合っている二人の間に1メートルものにこやかな二人の写真があるというのは、どんな気分であろうか。

○ ああ、想像力が刺激される。こういうのを聞くと頭の中がくるくると回り始めてしまうのである。まったく私には、飽きることのない台湾生活である。

6月10日
Comutex展示会
○ 台北で行われているコンピューター関係で国際的に有名な展示会、COMPUTEXを見てきた。その雑感を綴ってみたい。

○ 人が多い。さすが、世界のパソコンのメインボードの70%、ノ−トブックパソコンの50%を生産しているハイテク分野のトップランナー台湾で行われた有名な展示会である。しかし、展示自体は、いかにもプロ向けの愛想のないもので、ICなどが実装されたボードや部品が、仕様の書いてあるラベルとともにショーケースに入っている。そんな展示が殆んどである。にもかかわらず、東京の朝のJRの駅並の混雑振りである。
そういえば、期間中、中山路という、東京の銀座通りにあたる、繁華街の中心の通りに、IC設計会社の企業広告ののぼりが多数たっていた。消費財とは程遠い、技術的な部品の会社が、繁華街で広告をしているのも、台湾ならではの光景である。

○ 「ショーのComdex、実利のComputex」(Comdexは、アメリカで行われるコンピューターの展示会)というらしいが、らくちん(筆者のペンネーム)のようなふとどき者が一番思うのが、コンパニオンの少なさである。いくら実利優先とはいえ、華やかなコンパニオンがあまり立っていないのは、いかにも残念だ。

○ さらに、日本のこの種の展示会では、業界でいう「おしゃべりコンパニオン」が、一つのまる=「。」(句点)に行き着くまでに40くらいの専門用語を羅列した難解で長い説明をよどみなく諳んじる光景を見かける。それを見物するのは、見世物小屋で「ろくろくび」をみるような楽しみがあったのだが、そのてのものは、皆無であった。確かに、あんな道路交通法より覚えにくい文章をミニスカートのお姉さんが丸暗記して話しても、実益はあるまい。

○ IT業界で台湾での展示会のレポートといえば、台湾ならではの際物、面白商品を紹介するのがお決まりになっている。らくちんも一つ見つけた。「MP3 クロック」なるもので、名前は、もっともらしいが、なんのことはない、目覚まし時計で、お好みの音楽をMP3のデータで入力すると、目覚まし音が、その音になるという。売れ行きの程は、分からない。

○ 最後に付け加えなければならない。ここComutexで数少なく出ているコンパニオン嬢のところには、とはいえ、人だかりができていた。こちらの人も別に嫌いではないのである。

6月11日
変にして愚なる凡人外相
○ 日本の外相が変である。のみならず愚である。のみならずまた、威張っている。つまりは、凡であった。にもかかわらず、人気は高いと聞く。生来、威張っているエライ人には、おちょくってみたくなる私の悪癖が、また、むくむくと動き出してきた。

○ 森前首相の失敗は、数は多けれど、比較的瑣末なものであった。現外相のは、かなり根本的なものだ。日本の外交の基軸である日米同盟を質に、自らが世論受けする政治ショーを行おうとするのは、駄目である。機密費流用の失敗を事務次官などの上司は「部下が悪かった」などと言えず責任を取らねばならない。ならば、たとえ一連のごたごたが事務方の問題としても、次のように聞いてみたくなる。「あなたは、外務省の事務次官や事務方の上司ですよね。Yes or No」 「あなたは、外務省の失態の責任をとりますよね。Yes or No.」彼女の行動は、ある体系的な政策に基づく確信犯ではない。それ程上等なものではなく、無知とその無知に対する正当性の確信によっている。為に、無反省であり、改善の余地がない。即ち、時が経てども解決するまい。穏当なところで、マスコミにリークした外務官僚と同時に辞めることになるのだろうか。

○ 戯言は、この辺で終わろう。正直言って、議論やジョークは好きだが、デベートは苦手だ。楽しくない上に、生産的でない。現場の実行(execution)の場面では、議論を広く聞くべきだが、最後は、最もリスクをとる者が一人で決めるべきことである。その意味で議論において、勝った負けたを競うのも、決めるのも無益だと思う。

○ では、この変にして愚なる凡人外相の登場からなにか有益な経験を学び取らないと、もったいないと思いこう考えた。

○ まず、日本をアメリカへの開戦へ導いたのも結局、このような、国益を損なうが人気のある人物が大きな役割を果たしたのだろうと想像できることである。たまたまなった愚かな一外相の言動よりも、その言動に関わり無く、その人物を支持する多数の国民がいることの方が問題の根は広く深刻だ。そう、自分の問題なのだ。

○ 次に、現場で働くサラリーマンとして、すぐに思うのは、「この人は、評論家。建設的実行(Execution)はできない」である。現場にいる者は、組織の上位者と一緒に数日仕事をすると、この「評論家かどうか」を実に正確に、速く見抜く。これと言った基準や理屈は無い。肌感覚で、「あ、こりゃだめだ」である。強いて言葉にできることを挙げれば、「事務方の責任」と叫ぶ言動が自分でかっこ悪いと思わないのは、組織を自分で率いて機能させた経験がないからであろう。

○ しかし、思えばこのような組織リーダーは、テレビの中だけでなく、官民を問わず日本の今の組織によく見られる。その人の過去をよくみるとこれといった創造的な実行もせず、挑戦もしていない。だから、失敗もしていない。その時々に気の利いたコメントをして、たまに、溺れる犬に石を投げるようなことをして成果として誇る。そういう人物が、スタッフ部門に少数いるならまだしも、今の日本では、たくさん組織リーダーになりすぎた。外務官僚も、一人自分たちだけが悲劇のヒロインと思うべきではなく、日本の隅々まで、サラリーマンの方々が味わっている同じ苦労を味わっていると思うべきであろう。端的で数多い例は、評論家的なエリート銀行マンが経営再建と称してトップに送り込まれ、結局、つぶれた会社などは、今の外務省のドタバタした慌てぶりを彷彿とさせる。(もちろん大多数の銀行マンは、どちらかというと現場肌の人が多い。)評論家の存在そのものは、有益で必要なものだと思う。今の日本の社会に欠けているのは、よい評論家を見抜き、ラインではなくあるべきスタッフのポジションに配置し、且つ適切に評価すること。(評論家に対する適切な評論!)一方で、リスクを犯して実行しようとする者に対する敬意ではないだろうか。先日日産の社員にゴーン氏の印象を聞いたが、「言ってることは98%当たり前のことしか言っていない。ただ、口癖のようにいうのが「コミットメント」という言葉だ。「リスクをもってコミットしろ」と始終言う。これも当たり前のことだが、一番日産に欠けていたことだ」と。

○ 外相のような変な上司が来、そして去った時に、たまにいるのが、「おれは、面と向かってNOといったんだ」と威張る輩である。私も20代の時は、そんなことをしたような気がして恥ずかしい。しかし、いくら「NO」と言ったとしても結果として、止められなかったり、悪い結果になったなら、やはり、自分の責任として、認識すべきであろう。プロの世界で問われているのは、自分が何を言ったかではなく、自分の属する組織が結局何を実行したかでしかない。とすれば、その変な上司を環境とみなして、投げ出さずに冷静に手を打つしかない。私もいくらか上手くいったこともあるが、とはいえ、正直いってそんなに上手いほうではない。誰か良い方法があれば教えて欲しい。

○ 日米安保がイージーな選択であったとの発言があったとか、なかったとか。今日、日米両政府が、ことあるごとに念仏のように「日米同盟関係が外交の基軸」と言うに至るまで、敗戦後、それこそ命を削って努力してきた大勢の人々がいることを忘れてはいけない。もしこの発言を敗戦からの歴代の首相が聞いたなら、何と思うであろうか。こんなことをいっても日本が壊れなくなったということに感慨深く思うであろうか。

○ それにしても、日本というのは、これほど愚かな外交を続けても壊れないのだからたいしたものである。台湾でこんなことをしていると、本当に社会が壊れてしまいかねない。台湾にいる身から見ると、なんとものどかな風景ではある。

6月12日
台北の夏
○ 昨夜、突然停電があった。らくちんの住むマンションの電気系統の故障で8時頃から一時間程、ビルごと停電となった。真っ暗で冷房の効かない家にいても仕方ないので、ジャージ姿のまま街にぶらぶら出、結局、雑貨屋で、懐中電灯を買う。泥縄!!
夏は、冷房で電力消費が大きくなり、停電がおこりやすいという。雑貨屋にも、緊急用の蓄電池付電灯が、たくさん売っていた。各家庭が冷房を付ける程に豊かだが、電力インフラは、未だ完全ではないということかしらん。

○ 家に戻って、電気が通じてからは、虫とり網を自分で作った。小学校の行事で、息子が陽明山で虫とりをするというので、日曜日にデパートにまで行って、「捕虫網」とか「虫取網」とかと紙に書いて店員に見せて、身振り手振りで虫とり網を探したが見つからなかった。まさに、虫を探すよりも大変な探し物である。そこで、やむなく、洗濯用の網と、タオルかけ用の棒を使って、虫取り網を自分で作った。台湾に来てからは、なんでも自分で作る習慣がついたように思う。

○ そういえば、一昨日は、台湾赴任以来始めてゴキブリ様が、我家に登場。今が、一番繁殖する時期らしい。台湾の真夏は、ゴキブリまでも、暑さで動きが鈍くなるという。
ゴキブリよ おまえもへばるか 台北の夏。

6月14日
サイトの紹介
○ 永田町の通であるかんべい氏の運営する人気サイト「溜池通信」でこのサイトを取り上げていただいた。感激。

○ この「溜池通信」は、政治/経済ネタに強く、ほぼ毎日更新されるので、私は、会社でこのサイトをひらくのが毎日の楽しみである。個人のサイトとは思えぬ程アクセス数が多く、にもかかわらず、広告無し、リンク、引用フリーという太っ腹な方針。肩幅の広さに足を広げて、地に足つけてすっと自然体で立っている感じのするサイト。スタンスがいいから、新しい視点で書かれていても無理なく聞こえるんでしょう。見ていただくとすぐ分かるが、「台湾つれづれ」も、サイトの構成など随分真似をさせていただいています。

○ 「関西人の会」から「サイトを立てるので、なにか自分でサイトをしているならリンク紹介するよ」、とお誘いを頂いた。早速、「台湾つれづれ」のURLを連絡。(でも、内容的に、不採用かな。)この会、最初は、東京で行っていたが、中心人物の関西転勤を機に、関西に活動の中心が移った。「関西で関西会してどないすんねん」と自分達でいいながら元気に盛り上がっている。台湾から応援しています。

○ そういえば、今度の土日にでも「関西人と台湾人」というのを、ちょっと書いてみようかな。けっこう共通点があるように思います。これが。

○ 今日、地震がありました。確かによく揺れたけれど、「震度5、香港では号外もでた。」というのはちょっと大げさな気がします。体感では、震度3かせいぜい4。しかし、ビルの設計/施工には、いまいち安心できないので、やっぱり揺れている間は怖かったです。

6月17日
台湾人と関西人 
○台湾人は、関東人よりも関西人に似ている。

○先日、バンコックに着任した関西人の友人が、東南アジアでいうと、シンガポールは、東京風、バンコックは、大阪風だと近況を連絡してくれた。同じことを極東でいうとすると、香港が東京風、台北が大阪風だと思う。
では、らくちんの気付いた台湾人にみる関西人との共通点をつづってみよう。

○ なんぼ
大阪人は、すぐ「なんぼ?」(いくらですかの意)と言う。「商売の話は、まず、なんぼかゆうてからや」となる。これは、台湾でも同じ。

○ まからんか
台湾では、関西同様、市場(いちば)はもちろんデパートでもどこでも「まからんか」と聞いている。ま、あいさつみたいなもんでんな。

○ あけすけ
表現が直接的で、開放的なことが多い。とくに、よく平気で他人の収入を聞くのには驚く。一緒にレストランに行った台湾人の友人がウエイトレスと少し話し始めかと思うと、「給料いくらもらっている?」などと聞いていることがある。らくちんも、東京から台北行きの飛行機で、隣りに座った見知らぬ台湾出身のおばはんと話がはずんだ時、すぐ、「給料いくらもらっている」と言われた。キタキタキタという心境であった。

○ 気いつかい
関西で常に周囲に気を使っている人を「気いつかい」(最初の「い」を強く発音するのが、正調)という。関西で「気いつかい」といえば、東京の気配りの人のように卓球の選手風の神経質なイメージではなく、つるべ氏に代表される、ジョークが上手く独特の間をもった人がイメージされる。関西には、この「気いつかい」が多いが、台湾にも多い。お互い気を使いあって、物事がすすまなくなることもあるくらいだ。ここで、関西人以外の人間は、上で述べた「あけすけ」と「気いつかい」とが矛盾しているようにみえるかもしれない。気を使っているなら、人の給料聞くなと。しかし、これは、絶妙にバランスしているのだ。このあたりは、現物をみてもらうほかあるまい。

○ うすあじ
中華は、脂っこいのが相場だが、台湾の料理は、概して、うす味である。同じ中華でも、北京や香港で食べるものより、塩が余りきいていない。また、数年前に日本式ラーメンが、台湾でブームになったが、これも、台湾の人の舌に合わせてわざわざうす味になっている。台北に進出している赤坂ラーメンも、注文をするカウンターに「日本人の人は、日本人だと言ってください。塩味を強くします」と書いてある。

○ いらち
大阪でいう「いらち」(せっかち)というほど、扱いにくいイメージはないが、とにかく、仕事でもなんでもスピーディである。そういえば、大阪名物の青になるまでの秒数を示す信号に似たものが台北市内にたくさんある。このHPの「台湾小発見」の「街歩き編−走る信号」を見てください。


6月19日
中山北路の蝉しぐれ
○ 朝、中山北路を通ると、蝉がけたたましく鳴いていた。この中山北路、旧市街の中心で東京でいうと銀座通りか、日本橋近辺にあたる繁華街である。そんな繁華街のど真ん中で、蝉が鳴いているのは、日本人には不思議な光景だ。

○ 中山北路は、両側6車線もある道路だが、さらに4車線程の広さのある緑地帯があり、そこに高くそびえる立派な木々があるから蝉が鳴く。台北は、幹線道路にこのような立派な緑地帯があり、緑豊かな街である。聞くところによると(誰か本当かどうか教えてください)、蒋経国(蒋介石の息子)が、作ったとか。名古屋以上の立派な街づくりといえる。

○ この蒋経国氏、最近、国民党のポスターに登場している。批判もよく聞くが、やはり、台湾が経済基盤を固めたのは、蒋経国時代。人気は高い。不景気風がふく昨今は、なおさらだ。当時の政界の幹部は、蒋経国にしかられるからといって、ゴルフで焼けてしまった腕を隠したりしたという。

○ 昔の政治家でいうと、中山路の中山という名は、、孫文のことで、孫文も非常に尊敬されている。孫文は、外省人、本省人の双方から尊敬されている。彼は、殆んど台湾で活動していないにもかかわらずだ。歴史の不思議だろう。

○ いずれにせよ、6月半ばから蝉が鳴いているのだから、暑い土地だ。これから、5ヶ月程は、夏らしい。やれやれ。

6月23日
李陳接近(李扁接近)
○ 李登輝前総統と、陳水扁現総統が接近していると話題である。台湾の政界は、今年末の立法院の選挙に向けて、これからますます複雑な動きがおこるだろう。そもそも、現在、メディアによく出てくる、陳水扁、李登輝、連戦、宋訴瑜の4人のうち陳水扁を除く3人は、すべての順列組合せで、死闘とほお擦りせんばかりの協調の両方を過去にしている。そこに、李陳接近だから複雑だ。

○ らくちんには、台湾の政治は複雑すぎて、ちゃんと理解ができておらず、簡単に説明する自信は到底ない。そこで、脈絡もなく、いくつか、台湾の人から聞いた話の印象を綴ってみたい。

○ まず、李前総統が、日本人が思うほどには、台湾で人気がない。漢民族で初めて民主主義を実現した偉人であり、ワシントンや孫文並の扱いかと思いきや、それほどでもない。外省人の人が「だまされたから嫌い」と言うのは、理解できるにしても、かなりの本省人が「うーん、それほど好きじゃない」と言う。この「うーん」が面白い。さらに興味深いのは、好き嫌いの理由として、彼を好きな人が「かしこい」というのに対し、「うーん、それほど好きじゃない」人が、「かしこすぎるから好きじゃない」と言うことである。きっと、かしこい人なのだろうね。また、カリスマが出ないこういう世こそ、李氏の望んだ民主主義社会かもしれない。

○ 陳水扁については、ある外国人が、「反乱慰撫のプロである江沢民に対し、反抗のプロ陳水扁」と書いていた。一方で、「官僚/行政のプロとして実力を発揮した李登輝に対し、陳水扁は、選挙のプロである。」との評もある。生粋の反国民党運動の闘士であるが、確かに、選挙の腕前で頭角をあらわしたのも事実である。先に挙げた4人を含め、今、政治の表に出ている人は、こうした多面性を持った人が多い。そういう人同士がくっついたり離れたりするから、これまた、ややこしい。

○ いずれにしても、今回の李陳接近、これまで、影でやっていたことを、表にし始めたという見方が多いのも興味深い。


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