台湾日記  2002年2月1日〜
  
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2月4日
台湾新内閣
○12月の立法委員選挙の結果を得て、台湾の新しい内閣が形成されました。
メンバーの顔ぶれは、次のサイトを見てください。
http://www.roc-taiwan.or.jp/news/week/118.html

また、貴重な日本語の解説は、次のサイトを見てください。
な〜るほど・ザ・台湾
http://www.naruhodo.com.tw/#hayashi

○ 前回の総統戦直後の組閣に比べ、政権獲得をした分け前の分配というより、次期総統戦へ向けた実績の積み上げを狙ったものといえると思います。実績が必要なのは、野党グループの国民党、親民党も同じです。少数与党と多数野党が睨み合って、結局何も出来ないという事態が変わるかどうかがこれからのポイントです。

2月7日
忘年会
○ 台湾では、2月11日から旧正月になるので、最近は、企業の年末飲会が連日行われている。先日、らくちんも、従業員100名程度のエレクトロニクス部品のメーカーさんの年末飲会に出席した。

○ 会場は、(あたりまえだけれど)中華料理屋である。8から10人座れる丸テーブルをずらりと並べて、100人ほどで飲食いする。主賓には、市長が来ていたりする。外国人の客は、僕の会社の人間2人だけだ。ただ、外国人という点では、工員さんのフィリピン人の女性がたくさん出席している。その他に掃除のおばさん、警備のお兄さんも、今日は出席して赤ら顔だ。

○ ここの会社の工員さんは、全てフィリピン人女性である。台湾のIT系メーカーでは、よくある風景だが、らくちんも、工場のラインでずらりとフィリピン人女性が並んでいる姿を最初に見たときは驚いたものだ。台湾人の工員さんを下手に混ぜたりせず、100%フィリピン人でやっているところが殆んどである。その方が、労務管理がやりやすいのだろう。工場内の張紙は、英語と中国語の二ヶ国語表示だ。多くのフィリピン人の女性工員がラインで働く中、台湾人男性の技術者が、ところどころにぽつりぽつりといて、機械の調整をしたりしているのが、典型的な台湾のIT系工場の風景なのだ。スタッフによる芸大会の最初は、そのフィリンピン人有志達による、英語の歌と踊りである。本人達も楽しみのようだ。それから、会社のスタッフのカラオケなどが続く。一番受けていたのは、フィリピンの歌自慢の人が中国語ですごく上手に歌を歌った芸であった。

○ こうした工員さんだけでなく、掃除のおばさんまで一緒に飲むのは、台湾らしい。これが階級意識の残るタイとかだと、会社の忘年会などに日本人経営者が、運転手さんや掃除のおばさんを一緒に誘うと、他の現地スタッフからブーイングが出る。難しいものだ。この会社では、会の一番最初のプログラムが、ステージの上で掃除のおばさんと警備のお兄さんに会長から感謝の言葉と金一封が送られるセレモニーであった。これはこの企業の文化だろうが、台湾らしい風景だ。

○ 金一封と言えば、こちらでは、結構感謝のしるしに生の現金を渡すことが多い。大抵の日本人は、心理的な抵抗がある為、せいぜいデパートの商品券程度にしている。今回も、招待してもらったので、宴会中の福引の商品にと、僕達も商品券をプレゼントしておいた。こうした宴会では、福引が絶対にある。かなりの高額のものがあたるので、みんな、あたったはずれたと大騒ぎである。今回の福引でも、DVDプレーヤーとか、高級ブランド小物などがあった。余談になるが、ふとんとか、炊飯器とかがあたることもあり、もらう人によっては随分困った顔をするものである。かくいう僕もふとんがあたり、それを持って二次会、三次会に行くのに往生したことがある。

○ エレクトロニクス製品のメーカーなので、この業界の常で、そんなに乾杯、乾杯は、ない。女性も多いので、結局、出席者の3分の1くらいは、ジュースを飲んでいる。国際競争にさらされているからか、本当にこの業界は、洋の東西を問わず、酒を余り飲まない。かなり以前に僕が少しかかわったビジネスで日本の大手エレクトロニクスメーカーと10年来相当規模で続いているビジネスがあった。お互いにメリットも大きく信頼しあっていたが、飲み会といえば、2年に一度くらい鍋もの料理の店で忘年会をする程度であった。それも最近では割り勘にしていると聞いた。同じ台湾でも、鉄とか化学品とかの古い業界では、まだまだ、乾杯合戦が大変なようである。くわばらくわばら。

○ こうして、台湾では、新年を迎えるのである。そういうわけで、来週の台湾は、お休み。らくちんは、休み中旅行しているので、このページも更新できない。また来週。再見。

2月14日
沖縄と台湾
○ 旧正月(太陰暦に基づく正月。中華系社会は、西暦の正月よりも派手にお祝いをする)休みを利用して台湾から沖縄に遊びに行った。911テロ事件の影響で観光客が激減していると聞き、生来のアマノジャクの虫がうずき、11月頃に予約手配した。大学の時からの友人で今沖縄に住んでいるYさんに色々教えてもらったので助かった。例によって、とりとめもなくつれづれ思うことを綴ってみたい。

○ なんといっても最大の印象は、実に近い!だ。1年程沖縄に住んでいたという同僚の台湾人が、「すごく近くて高雄に行くようなものですよ」と言っていたが、確かに台北から飛行機に乗り1時間余りで那覇空港に着く。これなら、時間的には、東京から苗場にスキーに行くのと変わらない。沖縄からみても、福岡に行くより台北に行く方が近い。沖縄と台湾は、まさに隣同士の島と島である。

○ 距離が近いので、昔から今にいたるまで、様々な交流があるようだ。沖縄でも旧正月だといって、休みにしている店があった。また、NHKドラマ「ちゅらさん」で出てきた立派なお墓も、日本よりは台湾のものに近い。季節なのだろう、「たんかんあります」という看板が路上に出ていたが、この「たんかん」は、沖縄のみかんで、台湾のポンカンとサンキストを掛け合わせたものだ。甘くておいしい。東京のこじゃれたレストランのデザートに添えるといいと思うのだけれど。

○ 人の交流もかなりあるようだ。今回の旅行でも、観光スポットに行くと、旧正月休みを利用して遊びに来ている台湾人の団体観光客が大勢いた。僕の泊まったペンションのオーナーは、台湾生まれで、終戦後日本人の御両親が沖縄に引揚げてきたとのこと。そういう人々も多いのだろう。また、観光施設で台湾の資本のものも多い。ハブとマングースのショーを見るために僕も行った玉泉洞王国村もオーナーは台湾の人だという。さらに、Yさんによると、50代の台湾人経営者の間に、沖縄アメリカンスクール同窓生という、人的ネットワークがあるという。沖縄の本土復帰の前に、お金持ちの台湾人の子弟は、「最も近いアメリカ」である沖縄のアメリカンスクールに留学していた。彼らは、その後アメリカの大学に留学し、今、台湾で経営幹部として活躍している。台湾に連絡事務所までおいて、台湾企業の招致を進めている沖縄県としては、沖縄への親近感も強いこの台湾人の沖縄アメスクネットワークは、貴重な援軍のようだ。

○ 台湾から沖縄に飛行機で飛んでみると、沖縄の基地の重要性を実感する。台湾で何かあった場合、飛行機で一時間程のところにアジア最大級の米軍基地があるというのは、極めて重要な意味を持つ。実も蓋も無く言えば、沖縄米軍は、物理的には福岡よりも台湾へのほうが早く到着するのだ。また、他のアジアの地域への安全保障上の意味も大きい。沖縄の人には、大変なことであろうが、沖縄は、東アジアのまさにど真ん中に位置してしまっている。それが、日米戦争の時に、激戦地となって民間人の多数の犠牲をだした理由でもあり、現在、巨大米軍基地がある理由でもある。そういえば、民間人でも米軍飛行場を見ることができる「安保の見える丘」という高台に行ってみたが、そこに、「栃木県警察」のパトカーが止まっていた。沖縄県警でないのは、どんな理由からだろう。

○ 観光地としては、最高だ。海と空の美しさは、世界に誇れる。世界中のダイバーにとって、沖縄は、モルジブと常に一、二を争う人気のポイントだ。また、グアムなど他のマリンスポーツの観光地では、海で遊ぶだけで他にすることが全くないものだが、沖縄は、15世紀に成立した琉球王国時代からの史跡も多く、色々な楽しみ方ができる。台湾や香港は、沖縄より南に位置するが、マリンスポーツをぜいたくに楽しむリゾートが余り無いので、台湾や香港に住む人には、沖縄は、お勧めである。

○ そういえば、話はまたそれるが、カジュアルなファッションがとてもおしゃれだったのが印象的だ。おしゃれなシャツやジーンズを置く店が多いというだけでなく、地元の人のセンスがすごくいい。僕が半ば買い出し気分でジャスコに行った時、そのジャスコに来る地元の人がすごくおしゃれで驚いた。安室とスピードがでた土地だからなあ。むべなるかな。カジュアルファッションに就いては、台湾の若い人達も敏感なので、沖縄の魅力の一つとして、宣伝すればどうだろう。土日に遊びに行ける近さなのだから。カップルで来て、海で泳ぎ、観覧車に乗って、ジーンズとTシャツ買って帰れば、幸せではないだろうか。

○ 最後に、僕が行った中でお勧めの店を紹介する。
● マンゴハウス (国際通り。098−862−4881)
オリジナルのアロハを売っている店。あのテカテカのレーヨンの派手なアロハだけでなく、コットン地のもうちょっとスッキリ系のオリジナルシャツもある。僕は、裏地使用の綿のシャツを買って、気に入っています。

● うちなーたいむ (那覇市街。098−854−6366)
沖縄料理の店。普通の民家のようなつくりで、玄関で靴を脱いで座敷にあがる。ジャズのBGM、センスのいい室内装飾があり、その中で、沖縄料理を食べる。Yさんの紹介。なんかそのまま麻布か広尾あたりにもっていっても成り立ちそうな店ですねえ。

2月17日
沖縄と台湾2
○ 前回のこのページで(ココ)Yさんとして紹介した讀谷山さんが、実名を出すことを快諾してくれた上に、幾つか僕の疑問に答えてくれましたので転載します。
讀谷山さんのコメントは、色を変えて表示しています。

○ 「安保の見える丘」を栃木県警が警備していた理由
911テロ以降、警察も米軍関連施設の周辺を厳戒警備しています。そのため全国から機動隊が来ています。栃木も含め、多くの他県の機動隊員がいるはずです。
らくちんは、パトカーに栃木県警と書いてあったのに驚きましたが、ということは、全国のパトカーが今、沖縄に集結している訳ですね。沖縄までパトカーを運んできたんだと、妙なところに感心してしまいました。

○ 沖縄の人と台湾の人との国際結婚というのは、多いのでしょうか?
統計データはないようですが、イメージ的には「那覇市内の小学校の1クラスに1人くらいは、自分の親戚に台湾人と結婚した人がいる。」といった感じだと思います。
らくちんには、こういう説明の方が統計データよりもすごくイメージわきます。

○ 讀谷山さんは、お仲間とHPをやっていますので御紹介します。
このページは沖縄に関する問い合わせや、沖縄観光に関するボランティアをやるためのものですので、お知り合いの方にもご活用いただければ幸です。
http://www.yuinet.org

とのことです。

○ サラリーマンが個人でHPを運営していたり、運営に関わっていたりするケースがどんどん増えるといいですね。何度か紹介した溜池通信(diaryの2月11日など)でも、この台湾つれづれ含めこうした個人サイトの紹介と応援を一生懸命してくれています。サラリーマンも「声無き多数派」から脱出したいものです。「おばさん」達は、良かれ悪しかれワイドショーと政権支持率の世論調査を通じて、社会に自分達のメッセージ(というか感情?)を伝え始めましたものね。がんばろう!おじさん。

2月22日
セブンでスタバ
○ 台湾のセブンイレブンでは、ビン入りのスターバックスコーヒーが売っている。詳しくは、「台湾小発見」のページ(ココ)を見て欲しい。

○ セブンイレブンもスターバックスコーヒーも、台湾の食品、小売に強い巨大財閥、統一グループの経営である。だから、スタバをセブンで売るような芸当も出来たのかもしれない。この統一グループ、中国大陸で成功した台湾企業としても有名である。一説によると、名前の「統一」というのが、大陸の地方政府などに非常にうけが良くて、行政手続などもスムースに行くとも言われている。色んなことがあるものですね。

2月25日
不良債権処理
○ 公的資金による金融の安定化は、是非の議論ではなく、時期の議論になってきた。「小泉さんは、道路と医療費でけちったお金を、銀行に注ぎ込んだ」という、批判が今から見えるようである。僕自身は、必要ならやるべきだとは思うが、一般ピープルの気持ちで言えば、結果的に税金で銀行を助けるのであれば、少なくとも一般企業がリストラで味わったのと同じくらいの苦労を、銀行も体験するのが当然だと思う。

○ 端的に言えば、銀行員の2/3は、今勤めている銀行に残っていないという状況にせざるを得ないと思う。今の不況期に限らず中規模程度の会社が傾きかけた時の再建策というのは、穏便なものでおおざっぱにいって、会社の従業員の1/3のくびをきるというものだ。そうすると、残って欲しい優秀な人材も含め、もう1/3の人間がその会社を自ら辞めてしまう。つまり、元々いた人間が、1/3にまで減る。そして、別途1/3くらい採用などで補充して、結局元の2/3の人間で、なんとか、会社の再建に邁進する。つまり、1−1/3−1/3+1/3=2/3という訳だ。銀行もこの程度のことをやらなければ、一般人が納得すまい。

○ 大抵の中小企業の社長さんは、自分の会社が危機となり、メインバンクの銀行員にギリギリ攻められて、泣く泣く腹心の部下の首を切った経験をこの10年で一度ならずしているものである。首きりを半ば強制した本人達が、調子が悪いときに、人員削減を適当にしかやらないとなると、企業の方々も憤懣やる方ないだろう。勿論、自然減とか、これまでのスリム化で減らした数や、パート、嘱託などを勘定にいれるような誤魔化しは、もっての他だ。公的資金が入ったその時点の正社員の数を1/3に、3ヶ月以内にするのが普通だろう。

○ 外資系金融機関で成功し業界では有名な親友が、日本の銀行員の能力について僕に言ったコメントを紹介したい。彼は、日本の幾つかの大手銀行幹部と連続してじっくり話す機会があった。その時にその幹部達の能力として感じたのは、「人格も良く、聡明で理解力がずば抜けてすばらしい。論理的に説明する能力も高い。しかし、決断力や自分で考える力がない。一言で言うと、脳死状態。」市場にさらされた現実のビジネスで修羅場を潜り抜けてきた彼の目には、たとえ理解力や論理的思考力などがいくらあっても、能動的に決断し実行する力が無ければ、脳が無いのと同じと見えているのが、興味深い。

○ 日本の銀行員は、結局、決まった線路の上をひたすらより早く走る競争をして育って来ており、走る方向を決める訓練ができていないともいえる。入行当時は、預金獲得競争をした。その次は、優良企業の融資について、他の銀行より1%でも多く、融資割り当てを得ようと、社長とその奥さん(専務?)を接待し、ゴルフとカラオケにいそしんだ人も多い。その環境と減点主義による評価方法の中で生き残った人たちが今の経営幹部なのである。僕は、何人か、現実のビジネスの能力も高く、人格的にも立派な尊敬すべき元銀行員を知っている。こうした人たちは、バブル崩壊後の後始末などを死にもの狂いでやり修羅場を踏んだものの、結局、その後始末の責任をなすりつけられて、銀行内で経営幹部として残らず、外に出てしまっている。本当はそういう人達こそが今の日本の銀行に必要なのだと思う。

○ 人を減らすだけでなく、人事での評価の基準や方法そのものを変えなければならない。とすれば、原型をとどめ得ない程に、人が入れ替わった方がいいと思う。先程の例でいうと、リストラ後の半分の社員は元社員であり、半分は、他行からの業界内転職となるであろう。それくらいの外部の血が多い方が、身内・外様意識をもたなくて良い。また、合併した銀行も多く、それらの銀行はかつてのように合併の障害などという悠長なことを言っておられないが、外部からの転職組が半分ほど居れば、あの人は元何銀行などということすら馬鹿馬鹿しくなるだろう。結局、業界全体としても1/3の人数は、業界外に転出、1/3が業界内転職、1/3が、現在の銀行にいることになる。妥当なところではないだろうか。

○ 最近では、ベンチャー企業や、ベンチャー的プロジェクトの中心に元長銀マンの姿を見ることが多くなった。とても素晴らしいと思う。元々、能力の高い人たちなのだから、向いている人はより早く、現在の日本の銀行からより現場の近い方向に進んで行って欲しいものである。業界外に出るにしても、出ないにしても、こうして、一度、銀行員全員が、行内事情の知識と経験を削ぎ落とした自分自身の能力というのを見つめ直すのは、日本の優秀な労働資源の能力向上にいいことだろう。

○ こういうことを言うと、銀行が公的資金を受け入れないのは、お前のような奴の主張を怖がっているからだと言われるかもしれない。しかし、その点では、銀行は、言い訳が通らないほどにもう失敗してしまっている。本当の不良債権の額がどれほど大きいのか、僕は知らない。しかし、銀行は、信用を得られなければ、どんなに資産を持っていても成り立たない「信用が命」のビジネスである。そして、その信用が、業務に支障が出るほど傷ついている限り、容赦のない徹底的な会社改造がされるのが当然である。繰り返していえば、銀行にとっては、信用について疑われるだけで最早、ペケと言わざるを得ない。市場から信用されなくなった銀行とは、「安くないダイエー」、「故障を隠した三菱自動車」、「ラベルを貼り代えた雪印」などの企業と同様の扱いを受けることは、自然である。少なくとも、銀行の幹部の方から、その対策に文句の言える筋合いはない。

2月26日
ビジネスとしての銀行
○ そもそも、利益を追求するビジネスとしての銀行業務の本質は、何だろう。現在、金融については景気への効果などの社会的影響に関する議論ばかりが多いが、やはり、金融がビジネスとして利益を生み出す本質を見る視点も必要だと思う。そうでなければ、銀行は、いつまで経っても損失を出し続けて、また、3年後に税金を銀行に投入しなければならない。ここでは、特に融資についてだけ、コメントしたい。

○ 金貸し業(融資)というのは、難しいものである。金貸し業が儲かるためには、「今、お金がどうしても必要で、且つ、将来確実に返すことのできる人」がたくさんいないといけない。つまり、融資ビジネスが成長する為には、1)資金需要があり、且つ、2)信用力がある、という2条件を満たした経済主体が必要となる。しかし、通常は、お金が足らない人は、将来も返す力がなく、借りたお金を返す力のある人は、今もお金に困っていないものである。結局、融資ビジネスが成立する為の上記二条件というのは、本質的に矛盾している。

○ ただ、歴史上の例外がある。ポール=ケネディの「大国の興亡」には、しつこい程、シティとウォールストリートの歴史を詳細に記しているが、かの地で、金融業が繁栄したのは、イギリスとアメリカという、絶大な信用力のある覇権国が、覇権維持の為に膨大な借金をし続けたからである。覇権国であるイギリスとアメリカの政府こそが、信用力と資金需要の二つの矛盾する要件を満たす巨大な経済主体であった。結局、この覇権国をファイナンスし続けることを通じて、シティとウォールストリートは、繁栄していった。スワップだのデリバティブだのという最新の金融手法は、大量供給されたアメリカの国債の消化のニーズがあった故に開発されていった。

○ 日本の場合はどうだろう。従来の日本では、民間の設備投資と、社会資本の充実という旺盛な資金需要があった。その強い資金需要を、銀行の融資と、郵便貯金を源とする財政投融資とで賄っていたといえる。

○ そして、民間の設備投資への融資が失敗する(貸し倒れる)確率は、総じて低く、結果的には、日本の企業の信用力は、(10年前まで)高かった。経済成長率が高かった為に、民間の設備投資は、事業が成功する可能性が高く、全体としては、ファイナンスも成功するビジネスになり得た。それは、日本の実ビジネスがアメリカの後を追っていた故に、正しい目標設定が容易であったこと、そして、一旦目標設定がされると、日本の組織は、奮闘努力しどんなに困難な目標でも高い成功率で達成したからに他ならない。一時は、日本の銀行も、日本の製造業の強さをバックに世界の金融界の大きなプレイヤーに見えたこともある。

○ しかし、現在、日本の実ビジネスは、最早トップランナーに立っており、横で走るアメリカ企業とともに、手探りで目標を自ら設定しなければならない。つまり、目標設定自体が失敗する確率が非常に高く、どんなに上手にその目標を達成しても思うような成果がだせないことが多くなっている。そうして、実ビジネス全体が、少ない成功率と成功したときの高い報酬に特徴付けられるようになってきた。これは、ファイナンスした事業が大成功しようが小さい成功をしようが、金利収入(収益)が一定である融資というビジネスには、不向きな環境である。言い換えれば、利益のアップサイドの低い、ファイナンスという手法でハイリスクのビジネスに臨んでも、よいビジネスたりえない。いうまでもなく、実ビジネス全体が当たる確率は低いが当たると利益が大きいという環境では、融資という間接金融より、株式投資のような直接金融の方が向いている。つまり、銀行は、今後、民間企業への融資への収益の依存度をずっと下げざるを得ない。従って、昨日述べたように(ココ)人員を大幅に減少せざるを得ない。

○ では、日本政府へのファイナンスは、どうだろう。日本は、覇権国ほど強力ではないが、不調とはいえ、世界第二の経済大国である。この経済大国の政府が、膨大な借金をし続けているのだから、日本の銀行は、それをファイナンスすることを支えに成長できないものだろうか。ところが、実は、日本の政府は、郵便貯金という巨大な集金装置をすでに持っている。郵便貯金は、最近、勘定を分けるようにしたが、まあ、大雑把に言えば国の借金のようなものである。これが巨大だ。2001年3月末現在で、250兆円。個人の預貯金の40%ある。また、国債残高389兆円と比べてもその大きさが分かる。格付けも落ち借金の仕方にも困っている日本の政府にとって、郵便貯金は、命の綱である。

○ 結局のところ、郵便貯金を縮小し、その出来た大きな穴に、銀行が入り込む形で、日本の政府をファイナンスするしか銀行の生きる道はないだろう。しかし、日本の銀行が今すぐ代替できるか、非常に疑問である。一人暮らしのおばあさんに声をかけ、子供に挨拶をしている郵便局の局長さんの営業力に勝るサービスを、転勤で来て本社の政治ばかり注視している都市銀行の支店長殿が、やり遂げなければならない。悲しい言い方をすれば、日本郵便局の職員は、格付けの下がった日本政府への融資用の資金を自分の人格で信用させて、全国津々浦々の個人からかき集めてくれている。銀行員は、これを死にもの狂いで何らかの方法で代替しなければ生きる道は、ない。郵便貯金を縮小さえすれば、黙って座っていても、預金が増えると思っているなら、もう立ち直るチャンスは、来るまい。

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