台湾日記  2002年2月1日〜
  
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2002年1月2月3月

4月2日
地震
○ 地震ですが、大丈夫です。らくちんの関係者で被害は殆んどなく、また、台湾の産業も大きな悪影響はなさそうです。6人の死者の方々には謹んで哀悼の意を表します。

○ らくちんの家では、棚のもの一つ落ちていませんでした。友人の家では、家具が壊れたなどのことがあったようですが、関係者で人的被害は聞いていません。会社も、どこも平常どおり営業しています。DRAMの値段は、この地震を理由としては、上がらないのではないでしょうか。

○ 様々の方々から安否を気遣うmailを頂き本当にありがとうございます。不思議と、いつも連絡している人よりも数ヶ月ぶりに連絡する人が多く、却ってありがたくさえ思いました。昔の友人が今も自分を気にとめてくれていると実感するのは、39歳のらくちんにとっては、結構しみじみ来ます。ありがとう。

4月7日
LCDと半導体の相場
○ 半導体とLCDの価格が、興味深い動きをしている。どちらも、昨年末の最安値から大幅に値上がりしてきた。LCDは、依然売り手が強気の状況だが、ここにきて、半導体は、値下がり気味である。

○ LCDは、15インチのモデルで、昨年末一枚190ドルぐらいだったのが今は、260ドルあたりにまで上がっている。DRAMは、もっと強烈で、昨年末から4倍くらいになっている。おかげで、台湾の株価は、ピョンピョンはねあがり、社長連中も少し元気が出てきたようである。しかし、この数週間で、LCDと半導体とで状況が変わってきた。

○ 半導体の価格上昇は、そもそも、需要の拡大というより生産調整の結果という色彩が濃かった。ハイネックスとマイクロンが提携するとか、東芝が撤退するとかということもあり、生産調整及び、価格の調整(無謀な価格での販売をやめる)がすすんで、こういう結果となった。需要の伸びがそれ程堅い訳ではなく、まだまだ生産余力はある中で、そこそこの価格調整がすんでいるので、価格が下がり始めた。従って、この軟調は、単なる行き過ぎた価格上昇の調整といういう意味を超えた根拠のあるものなので、継続する可能性が高い。しかし、有力な生産者がアメリカのマイクロン社と韓国のサムソン社に限定され、実質上のプレイヤーの数が減ったので、以前よりは、価格の方も少しは安定的な動きをするのではないだろうか。少なくとも、またすぐ4分の1まで一直線に下がるとは考えにくい。

○ 一方、LCDの方は、力強い需要による価格上昇なので、強含みは続きそうである。現在は、売り手が買い手に対し、生産数量を割り当てているぐらいである。しかも、2種類の需要が支えているのが強みだ。一つは、パソコン用のLCDモニターである。今、パソコン用にあのでっかいブラウン管のモニターを買う人は、日本には、殆んどいまい。今世にあるブラウン管のモニターを殆んど入れ替えると思えば、需要の強さも納得できる。それと、もう一つの大きな需要増と見込まれているのが、液晶テレビである。

○ ここで、基礎知識に立ち戻るが、次の二つは、よく似ているが、技術上、仕様が全く違う製品となっている。
1) テレビ受像機能付きパソコン用液晶モニター
2) パソコンモニター機能付き液晶テレビ
つまり、パソコン用を主目的としているか、テレビを見ることを主目的にしているかで、全然違った製品になっている。具体的にいうと、テレビ用の方が、明るさ(輝度)、視野角、反応速度などの点で、格段に高機能な規格になっている。従って、液晶材料から、製造方法に至るまで、かなり異なっている。

○ 現在、LCDについては、各社とも生産能力の100%近くで生産しているので、次に大きく需要が増える要因というのは、今年末か来年始めに韓国で立ち上がる第5世代のLCDパネル製造ラインとなる。しかし、このラインは、テレビ用に対応しており、その生産量の殆んどが、テレビ用に振り向けられると言われ始めた。もしそうなら、台湾LCDメーカーの次の生産拡張が実現する来年後半まで、この売り手市場が続くことになる。

○ 全くの余談だが、LCDモニターの生産で、現在、ボトルネックになっているのは、厳密にいうと大型の設備が必要なLCDそのものの生産ではなく、実は、バックライトを光らせる冷陰極管である。(LCDそのものも生産能力の100%近いところまで稼動は、している。)冷陰極管とは、平たく言えば、すごく細い蛍光灯のような部品だが、この冷陰極管の生産能力が不足していて、LCD自体の生産の拡大が思うに任せない。もう折込済みとは思うが、株の売買をしている人は、冷陰極管メーカーの株価については、よく調べてみてもいいかもしれない。

○ こうしてみると、LCDにしても半導体にしても日本メーカーが耐え切れなくなって撤退した直後にその商品の値段が跳ね上がり、台湾、韓国のメーカーが、フル生産で儲けている姿がはっきり見えてくる。個別の深刻な事情はあるのだろうが、お気楽な視点でみると、どうも、日本のメーカーは、一斉に乗り出してきて、辛抱できずに、また、一斉に撤退し、結局は、みんなで貧乏くじだけ引いているように見えるがどうだろう。

4月14日
みずほ銀行
○ みずほ銀行のシステムがトラブっている。僕は、トラブル処理の担当をさせられたことが多く、こういうことがおこると、非難する気持ちよりも、今必死になってトラブル処理をしている現場のサラリーマンへの同情の方が強く起こってくる。

○ 現場では、少なくとも3月末には上手くいかないことが分かっていたようなので、もう2週間ぐらいが経っている。その間、殆んど睡眠もとっていない人が何人かいると思う。僕は、本気で死人が出なければ良いがと心配している。

○ 全く何の情報もないのに勝手に言ってしまえば、こういうときリーダー(頭取?)は、「復旧した。」とか、「一両日中に」などと言わずに、例えば現場が「一週間で復旧できる」と言っているなら、「4月一杯混乱が続く、その際の間違った処理は、消費者に迷惑がかからないように後処理することで、クレジットカード会社、電力会社等と話をつけている。」等と言ったほうがいいと思う。もちろん、袋叩きに会うだろうが、すぐなおると言ってなおらない方が、社会に及ぼす被害は大きい。また、今、リーダーが出来るのは、きっと、プログラムを直したり書いたりしている人に少しでも落ち着きをもたせ、彼らが、一番実力を発揮できる環境をつくることでしかない。

○ リーダーの方も、寝ていないかもしれないが、僕は、こちらに同情する気は余り起こらない。僕は、責任をとって今すぐ辞職すべきだとも思わないが、本当に気に病んで死にそうなら、直ぐに辞職した方がいい。みずほ銀行のシステムを分かっている人は、ごく少数で、交代のきかない人材だろうが、銀行の頭取や経営幹部には、幾らでも代えがいる。

○ と、まあ、こんなことを、僕は、上司にシャーシャーと言うから、トラブル処理の担当にさせられるのかもしれない...

4月16日
人災は、人事災害
○ みずほのシステムトラブルの件、先日、ここで少し書いたら思いのほか反響がありましたので、続けてみます。最近新聞もロクに読んでおらず何の情報もないのですが、それ故に僕の勝手な想像を気軽に書かせてください。(なんの根拠もありません。真実を知っていれば書けないでしょうね。)


−各銀行の主導権争いで、技術者に仕様がおりてくるのが異常に遅かった。
−特に、富士銀行と第一勧銀のを併存させてパッチをあてる方法にしたのが面倒に拍車をかけた
−どちらのシステムも歴史が長いので、完全に把握できている人は、誰もいなかった。
−システム小皇帝みたいな個性的な人物が一人くらいいた。 この人は、経営陣よりは、システムが分かり、他のシステム屋よりは、社内政治ができる。しかし、本人が思っているほどには、システムのことが分かっていない。 
−3月末時点で、現場では間に合わないと分かっていた。
−銀行の勘定系なんていろんなチェックが、利かしてあるだろうから、それをパッチでスムースに超えることができなかった。
−そこで、3月末時点で、いくらかのチェックをはずすか緩和する賭けにでた
−それが、仇となって色んな異常な口座引き落としミスがでた。
−きっとどこかで、信じられないようなローテクの作業がされていると思う。たとえば、マグネットテープを手で運んで、データの転送をするとか。
−全体が(比較的)見えている技術者は、数人しかいない。
−その人たちは、ここ数週間寝ていない。(死ななければ良いが...)
−その人を遠巻きに見ながら、非難する側に回ろうとしている人たちも社内にいる。

○ こういう、失敗事件になるとよく「人災だ」という声を聞きます。ただこの台詞が社内で使われる時は、会社の組織としての問題や、経営陣の責任を特定の個人(部下)の責任に帰して、終わりにしてしまう便法として使われることが多いので注意が必要です。「悪いのはアイツだ。会社全体の意思決定システムの問題でもないし、その上司の責任でもない。」と。

○ 僕は、失敗事件の後処理をしているときに、いつも「人災は、人事災害」と思います。「この人にこういう環境でこんなことをさせれば、そりゃこうなるわなあ」と思うことが殆んどです。経営者も、「人災だ」なんて、頭に湯気を立てて怒ったりせずに、たとえ人災であったとしても、それは、自分の人事のミスだと思うべきだと思います。

4月17日
好調な台湾電子産業
○ 台湾の電子産業の好調さを実感することが多い。

○ 先日、電子部品を基板にはんだ付け(実装)する時に必要となる装置を売っている人と話をすると、最近、台湾のパソコンメーカーなどにどんどん売れているという。中国に生産拠点が移ってしまい産業が空洞化するなどという議論もどこ吹く風、ICなどに比べ比較的ローテクの基板の実装ラインにおいてすら、台湾内の設備投資を増やしているのである。

○ この台湾日記でも再三書いたように、今、台湾ではLCDパネルは、生産能力のほぼ100%で生産しているし、半導体も稼働率が60%程度まで回復している。携帯電話メーカーもヨーロッパや日本から一モデルにつき数百万個単位の注文が入ってきている。

○ 僕達が日頃接する現場の人々の話を総合すると、台湾での体感の景気は、昨年の秋頃が底だったようである。
ここで、この台湾日記を振り返ると、その回復の過程を僕がどう実感しているか思い出されて面白い。
10月3日 スカンピン  不調を実感。少しだけ明るいニュース。
10月27日 ギョーザ株  株が低迷。しかし、個別具体的ないいニュースあり。 
12月25日 回復     回復している。
1月13日 楽観論    2002年の電子産業への楽観論
4月7日 LCDと半導体の相場  この2産業の調子がいい。
実は、よく読んでいただきますと、日本の新聞の報道より2、3日早い報告もあるのですぞよ。

4月24日
ディープな士林夜市
○ 台湾最大の夜市、士林夜市に行って来た。ディープだ。揚げ物をする屋台が、古い揚げ油の鼻の曲がるような臭いにおいを撒き散らす。超安値のブランド品(?)を、けたたましい怒鳴り声で叩き売る。その中を、群集ともみ合いながら進んでいく。龍山寺の近くにある華西街観光夜市などは、士林夜市に比べれば、上品なデパートのようなものだ。華西街観光夜市にも、生きたヘビを客の前で殺して料理にする店などがあるが、アーケードの整備もされており、いかにも観光客相手の夜市である。しかし、士林夜市は、外国人客も多いものの、比率としては、圧倒的に台湾の客が多く、これぞ夜市の中の夜市である。

○ 屋台で値段交渉をしながら物を買うのも楽しみの一つである。一緒に行った日本人が、脇道に入り込んだところで、屋台で売っているジッポのライターに興味を示した。店の大将は、そのライターの中を開け、手付き良くmade in U.S.A.と書かれているところを見せ、すごいだろうと一生懸命売り込みをかけてくる。値段をきくと550元だという。(1元=3.8円ほど)ここは、一つ間をおきましょうと、その場を離れ20分ほどしてまた、同じ店に戻ってみた。すると、全く同じように、そのライターの中を開け、手付き良くmade in U.S.A.と書かれているところを見せ、すごいだろうと、全く同じように売り込んでくる。「これは、変だぞ、こいつ、僕達が少し前にきた客だと気付いていないな」と思った。そこで、「いくら」と聞いてみた。大将曰く、「650元」。2割も高いじゃないか!
結局、そのライターを450元!で買ったのだが、まあ、ことほどさようにいい加減なのである。

○ 僕は、キャラクターの絵の入ったマスクを買った。台北では、ものすごく多いバイクのドライバーが、排気ガスを嫌ってよくマスクをしている。そこで、マスクだけで立派なコーナーが出来るほどいろいろユニークなマスクを売っている。日本で花粉症に悩む友人にあげようっと。

○ 途中、老舗のカキ氷屋さんで、行列に並んでその店の名物である、「芒果雪片」を食べた。かき氷よりも目の細かいシャーベットのようなものに、マンゴが甘い汁と共にかかっている。うまい。どこだって?場所は、入り組んだ路地の果てなので上手く書けない。店の名前だけでも教えろって? emailくれた人だけに教えてあげる....

4月25日
文化としての市場(いちば)
○ 昨日書いた士林夜市でつれづれ思ったのだが、物を売ったり買ったりという行為は、本質的に人を興奮させるものである。(特に中国系の人は、そうだと思うがどうだろう。)

○ 経済学的な視点で見ると、市場(しじょう)で行われる売買とは、効用が一致する点で行われる等価交換であり、実に理知的、且つ、静かで冷たい作業である。しかし、夜市などの、現実の市場(いちば)で行われている行為は、必要な商品を手に入れる作業ではなく、売買そのものを楽しむ活動のようにみえる。人が市場に足を向けるのは、そもそも、ものを買いたいからと言うよりも、物を売買している賑やかなところに行きたいからということも多い。夜市に行く動機などは、特にそうだ。

○ 文化人類学者が、経済学者のいう「等価交換」という言葉に反発し、「売買は、相互の贈与だ」と言い張ったことに(ポランニーだったっけ?)、士林夜市にたたずみながらうなずいてしまった。市場(いちば)で人々が主としてやり取りしているのは、物と金ではなくて、もっと心理的、精神的なもので、且つ、非対称的なものなのだ。つまり、市場(いちば)は、文化なのだ。

○ 以前、地域開発のような仕事をしていた時、多くの地方自治体から、「にぎわいの創出」、「文化の発信」というコンセプトのもとに、コンピューターグラフィックスのセンターを作りたいとか、IT技術を駆使したユニークな博物館を作りたいとかという話を随分聞いたものである。その時から思っていたのだが、「賑わい」と「文化」の為には、カタカナをたくさん並べた10のコンセプトよりも、市場(いちば)が一番いい。士林夜市でマンゴカキ氷シャーベットを食べながら、そう思った。そう、市場は、文化だ。

4月30日
ノンPCデジタルへの期待
○ 人気サイト「溜池通信」のNews Letter「底入れする日本経済」が、現時点では、極めて少数派であることを自覚しつつ、日本経済の回復の可能性を論じている。リスクをとった論説をはっきり述べていること敬意を表したい。その論説にこの台湾日記、1月13日「楽観論」(ココ)が、引用された。こんなに専門的なものに引用されるなんて、なんだか恐ろしいやら、照れくさいやら、感謝感激である。その「溜池通信」の内容は、日本経済に対する強気の見方である。これに関して、このホームページで書いたことの延長上で少しコメントしたい。

○ まず、かなり確からしく言えることは、次のことである。
− 台湾のIT産業が回復基調にあること
− 日本経済が、今のところ、下げ止まっているように見えること

○ そして、根拠が希薄ではあるが個人的な感覚で将来について言えば、次の二つである。
− 世界的にIT産業の需要の調整が出来る仕組みが整ってきたこと
− 日本で、デジタルカメラ、CDRプレーヤー、PDP、液晶テレビなど、ノンPCデジタルの需要の伸びが見込まれること

○ 結局、日本の電子産業の回復には、二つの道がある。
A) アメリカなど世界的なPC、通信需給の底打ちと回復 ―> 日本の電子産業の回復
B) ノンPCデジタルの需要増加―>日本の電子産業の回復

○ A)に就いては、原因となっている「アメリカなどのPC、通信需給の底打ちと回復」は、実際は、回復基調であるが、供給調整の色彩が強く今のところ力強い需要増とは言い切りにくい。よく見ないといけないと思う。但し、世界市場でメモリー半導体の実質上のプレイヤーが二社になったなど、かなり供給調整の仕組みができたので、昨年のような絶望的な値下がり地獄は、なさそうである。次に、それが、どの程度、日本の電子産業の回復に繋がるか(つまり矢印「―>」の強さ)というと、いまだに大きなインパクトはあるが、昔ほどのつながりがなくなってきつつあると言える。メモリー半導体も、PC用大型液晶パネルも今は、一部の例外を除いて殆んどの日本メーカーが撤退してしまったからだ。

○ B) 「ノンPCデジタルの需要増加」に就いては、かなり強い需要増が見込める。さらに、日本の電子産業が日本で製造している部分が多い製品なので、需要増が、日本での供給増に直結し、かなり強い回復へのインパクトを期待できる。但し、PCと比べれば、どの商品をとっても市場規模が何桁も違うことを忘れてはいけない。

○ 結局、市場規模の大きいPCの需要が若干のプラスもしくは、わずかなマイナス。市場規模の小さいノンPCが大きくプラスということで、ネガイマシテハ、若干のプラスと言ったところではないだろうか。例えば、PCの需要が5%マイナスだとしても、PCの1/10の市場規模を持つあるノンPCデジタル商品の需要が倍増すれば、結局、全体では、若干のプラスになる。結局、こんな図式ではないだろうか。こうしてみると、僕達のようなミクロのビジネスマンは、PCに匹敵するような、「ポストPC」の大型商品を狙うよりも、PCと競合しない「ノンPCデジタル」商品を狙う方が得策のようである。

○ それにしても、今年の一月に日本経済の「楽観論」を書くとは、我ながら、恐ろしいほど勇気があるというか、お気楽というか...


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