台湾日記  2004年9月〜
 
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11月9日
新潟
○ 神戸の震災を経験している、新潟出身で東京在住の友人のKさんが、仲間うちに宛てたmailをそのまま転載させてください。

○ それにしても今回の大地震は大変でした(です)ね。幸い、私の実家(新潟県見附市で、地震ニュースで良く登場する長岡市に隣接、車で15分の距離で経済的には一体化している)は住んでいる両親と、実家の近くにそれぞれ嫁いだ2人の妹など親族に怪我はありませんでした。しかし、実家は何度も襲ってくる震度5クラスにより、家中のタンス・棚が倒れ、電気・ガスが止まり、電話が通じなくなりました。(今は全て復旧しましたが)

○ ですので、地震から12時間後に両親に連絡がついてから、大量の食糧を買い込み、関越道が止まっているため、東北道から福島県回りで新潟に入り(いつもの倍の時間掛けて)、実家に行ってタンス・棚を立て直して帰ってきました。あちこちの戸が家の自重で(大雪の時みたいに)動かなくなり、外してノコギリで切って動くようにしてきました。ナカナカ大変ですね。

○ ちなみに電話は電話機自体が棚から落ちて壊れていました。(何度かけても掛からないのはこれが原因でした。)

○ この家の中の惨状は9年前に私自身が被災者となった神戸大地震(当時私は兵庫県宝塚市に住んでいて震度6を経験、3週間親戚宅に居候)よりも揺れがひどいという感じです。被害の差は人口密度と、密度に起因する火災の差と、雪国用に丈夫な家の3つだと思いました。

○ 私の実家エリアは避難所暮らしの人も少なく、皆自宅で過ごしていますが、TVに映し出される山古志村や小千谷市の被災者の方々は大変ですよね。その方々が私の母校、長岡高校に避難していて、この週末に天皇・皇后がお見舞いに訪れ、映し出されてました。

○ 7月には実家から500m位にある川の堤防が豪雨で決壊し、洪水となり(これも幸い私の家と反対側にあふれ、私の実家は大丈夫でしたが)、大変でしたが、今回の地震といい、今年は新潟は災難の年ですね。我が地元が物理的に、経済的に、そして精神的に痛んでいくのは見ていてつらいので、何かしなくちゃと思っています。小学生の頃、良く釣りをして多くの子供たち(=今の地元民)にささやかな幸せを与えてくれたその場所が、大きな不幸をもたらしてしまったのです。

○ 新潟県は人口密度が少ないので今回の地震でも「この程度」で済んでいますが、これが東京で起きたら死者の名前すら出ない(わからない)大惨事になること間違いないでしょうから、起こらないことを切に祈るのみです。新潟から横浜への帰路、首都高を走りながら、夜空に浮かぶ都心の高層ビルを見ながら、そう実感してました。


11月8日
自衛隊の災害救助
○ 10月26日に、自衛隊は、今回の災害救助でも活躍しているけれども、周囲を含めみんながその気になって気構えをもてば、もっともっと役に立つことができる。と書きました。(ココ

○ これに対して、奥さんが台湾の方であるKさんより、次のような賛成のemailを頂きました。

災害時の自衛隊の支援、外野で見ていると、もう少し有効に自衛隊を利用できないかと思いますね。
李登輝前総統が何かの時に、
「軍隊の仕事は戦闘のほかに戦場整理があって、戦場の後片付けが大切な仕事だ。だから災害復興には軍隊が一番有効である。また、軍隊は独自の通信手段を持っているので、どんな場所に行っても、通信手段がすぐに確保できる。」
といった意味のことを言っておりました。

私の妻なども災害のテレビを見るたびに「日本の軍隊はなぜ出動しないのか、なぜこんなに遅いのか、これで本当に戦争ができるの?」と言っております。台湾では少々の台風の後片付けなどは、軍隊が1日で終えてしまう、とのこと。もういいかげんに、自衛隊アレルギーは終わりにして、有効活用を考えても良いと思いますがね。政治が悪いのか、国民が悪いのか。


○ いつもくすっと笑える文の上手なKさんですが、最後は、いつになくきつい書き方になっています。僕の文もそうでした。この話は、書いていくうちに、助けられるのに助けていないというのに、ますます腹が立ってきて、とまらなくなるのです。よく分かります。

○ 確かに、台湾の軍隊は、本当に何にでもでてきます。急峻な渓谷が続く東部に大規模な道路を建設したのも軍隊です。昔は、ちょっと度が過ぎることもあって、バナナがとれすぎたからと言って、みんなでバナナを食べるのにまで動員されたとのことです。

○ これは、極端だとしても、自衛隊は、もう少し踏み込んでもいいと思います。役に立つ能力をもちながら、政治的制約と心理的抵抗感によって、最大限の力を発揮できていません。日本の社会が誇る最も良心的で最も優秀な現場の隊長が、助けたいのに助けられないと、歯ぎしりしている音が聞えるようです。


11月6日
ジーコ監督、新潟地震など
○ ワールゴカップ予選のシンガポール戦に、サッカー日本代表監督のジーコが、三浦和、中山などの「功労者」を招集しないことにした。ジーコが三浦和や中山を呼ぼうとしたこと、それを事前に周囲に相談したこと、そして反対の声が強いと自分の気持ちを抑えて断念したこと、その全てを僕は、好もしくみていた。僕は、もともとジーコ監督支持だけれども、今回の騒動で、より一層、ジーコ監督支持の気持ちが強くなった。

○ サッカーの日本代表というのは、勝つためとともに、日本のサッカーの発展の為にあると思う。クラブチームの監督よりも代表の監督は、そういう勝負以上の目的も少しは意識して欲しいと思う。だから、僕は、トルシエが嫌いで、ジーコが好きだ。え?いつになく浪花節じゃないかって?歳ですかねえ..

○ 全然違う話で、新潟地震の話。先週、新潟のお客さんが台湾に出張で来られたので、一緒に食事をした。随分揺れて、機械設備がのこのこ歩いたものですよ、と話されていた。それにしても神戸のときと比べて人的被害が少なかった理由は、なんだろうかという話になると、二人のお客さんから異口同音に同じ答えが返ってきた。新潟の家は、積雪に耐える為に、柱も太くて、丈夫に作ってあるからですよ。と。なるほど。

○ 確かに、新潟での被害の報道で、タイルが落ちてぐちゃぐちゃになってしまった民家の浴室などをみていると、震災直後の明石の実家での浴室の様子と同じだった。つまり、揺れようは、おなじようなものだったのかもしれない。また、神戸では、倒壊の有無は、家の作りよりも地盤の良し悪しによるというのが常識として語られている。それでも、新潟では、倒壊した家屋が明石や神戸より少ないのは、平均すれば、丈夫な家が多かったからだろう。倒壊が少ないから火事による被害も少なかったのだろう。

○ だからといって、誰の、なんのなぐさめにもならない。けれども、自分の行く末この方についても、色々考えさせられる話でした。


11月4日
フォーサイト
○ フォーサイトに「日本がデジタル家電で勝ちきるために」と題する拙文を掲載したのですが、それに対して個人的にいただいたコメントをここにあげさせてください。誉めていただいているのばかりですが、みんな知り合いですので、どうしてもこうなります。割り引いて見ていただいて、許していただくこととしましょう。

○ コメントでは、エレクトロニクス業界で現場に近い人程、「いつも思っていたことが言葉になった感じ」とか、「なかなか現場のことを分かってくれない本社に送りつけてやりましたよ」など、共感したというものでした。なかには、「こんなことは、業界の常識で、なにをいまさら」というようなコメントもありました。そして、業界に遠い人程、「ほんとうか」、「お前、ウソ言ってないよな」というコメントになりました。これは、書いていて狙ったとおりの反応で、非常に満足しています。

○ 台湾駐在ビジネスマン>(一般的に非常に多かった意見です)
本社に対して、台湾の重要性や、OEMが馬鹿に出来ない立派なビジネスであることを何度説明しても分かってもらえないので、この記事を本社の色んな部署に送りつけてやりました。

○ 画像処理/信号処理研究の大学助教授>
私の分野(信号処理)では、多くの台湾出身の人たちが活躍しています。IEEEの専門誌では、時には半分以上の論文が台湾からか、あるいは台湾からアメリカ移民の人のものである場合があります。
ご存知のように、日本ではインドのIT技術力はマスコミでもよく取り上げられますが、記事に書いておられるような台湾の電子技術力については、あまり多くの人は知らないのではないでしょうか。
レファレンス用のマザーボードについて聞いたことがあります。インテルが結構いい加減にレファレンスマザーボードを作っていても、台湾の技術者はあっという間に(例えば2,3日で)、CPUとチップセットの実力を十分に発揮できるボードを設計してしまうそうです。しかも、このようなことをできる会社が沢山あるとのことですが、すごい国だと思いました。

○ シリコンバレー駐在のビジネスマン>
中身も説得力があり、特に選択と集中という言葉のトリックを指摘しているあたり、どこの会社の幹部にもしっかりと読んで欲しいと思いました。選択と集中は3年前くらいならインパクトが有りましたが、未だそんな事を言っているとダサ過ぎと感じています。集中と実行とか、とりあえず何でもやってみるとかの方が未だ斬新だと思います。
台湾+米国で世界のHi End家電業界は動いていると言っても過言ではなく、如何に台湾と仕事をするかがかぎになります。

○ 日本のビジネスマン>
それにしても、「アナログvs.デジタル」の本質は、やはり民族性の問題に行き着くのでしょうか?

○ エレクトロニクス産業エンジニア>
デジタル景気(日本の強み)の源泉はアナログ技術であるという視点は新鮮で的を得ていると思います。

○ ニューヨーク在住ビジネスマン(先端技術担当)>
うんうん、と大きく頷くことしきり、の記事でした。特に日本製品の過剰品質と、中品質の製品を標準化で大量に頒布するモデルのところでは、我が意を得たりという感じで、感動してしまいました。

○ エレクトロニクス産業ビジネスマン>
見方も独特というか、逆説から入るあたりがらくちんさんっぽくて感動しました。
日本が標準部品化がなかなかできないところは、日本人の履歴書下手に通じるものがあると思います。自分自身を客観的に見て、その能力を列挙して、何が世間一般で評価される部分で何がそうでもないのかを正しく把握する能力が、アメリカ人と日本人とで決定的に違って、日本人は謙遜みたいなものもあって自分はすごいと言わないという側面もあるでしょうが、そもそもそういう考え方に慣れてないんだと思います。
標準部品化も、DLPみたいにどこから見ても他には無いものは別にして、自分たちの技術の何が評価されているのかをきちんと把握しないと仕様化できませんよね。それができない、あるいは自信がないから、みんなカスタム品になっちゃうんでしょうね。

○ 公務員>
らくちん節、炸裂!

○ ドイツ駐在ビジネスマン>
欧州では、日本メーカーは、技術力、小型化設計技術については今でも評価されていますが、一方Entry levelを志向するメーカーからは、超高級品(嫌味です。)かつ過剰スペックの代表として敬遠される存在です。欧州では、高級品というのはあまりなく(LoeweやVang&Olsenくらい)、やや上等のイメージがあるのがGrundigやPhilipsという感じですが、彼らとて、高級すぎる日本メーカー品については敬遠しがちです。結局、完成品市場は消費者により適正販売価格が決定されるのであり、価格下げ圧力は台湾、中国辺りのNo brand品が関与しています。らくちんさんのレポートにある通り、セグメントを正しく認識してそれに対応した製品戦略を日本企業は採るべきと強く感じます。

○ 最後に、これは結構笑っちゃいました。
公務員>
冒頭の「デジタル景気を支えているのはアナログ技術である」といういきなり核心をつく記述、「まだ序盤
戦」という冷静な現状認識、「つながれた競争」というオリジナルな表現、「香港、シンガポールよりもモノづくりが出来て、日本よりも商売が上手い」というニクい比喩など、いろんな部分にしびれました。さすが!!


11月3日
アメリカ大統領選挙
○ アメリカの大統領選挙は、現時点で、「ブッシュのほぼ勝ち。でも確定は一週間後」とのことである。勝ち負けはさておき、今回のアメリカの大統領選挙では、このサイトで過去に述べたことに照らして、二つの点に注目している。一つは、「メディアの発達した現代の民主主義下の大きな選挙では、大接戦になる。」というらくちんの仮説が、あてはまるか。もう一つは、「イラクについて、アメリカが出過ぎることよりも、むしろ急にひっこむ方が世界政治にとってリスクが大きい」という、らくちんが昨年5月に述べた心配があてはまるかということである。

○ まず、「メディアの発達した現代の民主主義下の大きな選挙では、大接戦になる。」という仮説について、らくちんが、今年7月に「バランス投票」(04年7月6日)と題して、こう書いている。

日本でも、アメリカでも、台湾でも、最近の民主主義社会の選挙では、世論調査とメディアの報道が充実しているので、有権者にとって選挙の結果が予測しやすくなっている。精度の高い最終世論調査結果とその後の世論の動きを伝える大量の報道により、かなりの有権者が勢力の強弱を肌で感じ取ることができ、選挙直前に結果がどうなりそうか分かりやすくなっている。その予測に応じて、バランス感覚で投票行動を変える人が多くなっている。その結果、重要な選挙での僅差の接戦が増えているようにみえる。アメリカの大統領選が歴史的な接戦となり、台湾の総統選がギネスものの僅差(0.228%)になったりしているのは、実は、単なる偶然ではないのかもしれない。

○ この一文を書いた昨年7月時点では、大方が、ブッシュ現職の圧勝を予想していた。それが、いざ選挙当日になって大接戦になっているのをみると、ここで述べている仮説を再検討してみてもいいと思う。そして、それに続く論点として、次のものを挙げている。(7月7日 ココ
・ 「政治的関心の強い無党派層」の存在
・ 大勝を阻止するバランス投票
・ バランス投票の重要性の増加
・ 世論が一つの統合された意思を持っているかのような巧妙な選挙結果
・ バランス投票は、現状維持的に動くか


○ また、ここで、もう少しこの仮設の議論を拡充してみると、このようなバランス投票による大接戦の選挙が成り立つ前提というのは、次のようなものだろう。
・ 民主主義が成立し、表現の自由が確立している。
・ マスメディアが発達し、精度の高い世論調査が行われ、それが、すぐに選挙民に伝わる。
・ 同じ選挙制度で、長期間、何度も選挙をして、有権者が慣れている。
・ 勝敗ラインが、有権者にとってはっきり分かっている。(日本の参議院選挙は、これがあてはまらなかった。)
・ メディアが、選挙のニュース性を高めようとして、リードしている方により批判的になり、接戦に持ち込もうとする傾向がある。 
これらの論点について、今回のアメリカ大統領選挙の結果をみていきたいと思っている。

○ もうひとつの「イラクについて、アメリカが出過ぎることよりも、むしろ、急にひっこむ方が世界政治にとってリスクが大きい」という心配について、らくちんは、昨年の5月2日にこう書いている。(アメリカがゆれ戻るとき 03年5月2日

ブッシュが、「戦争ほぼ勝利宣言」をした。そして、みんなは、アメリカが占領後のイラクを一人で取り仕切ることに、不満顔だ。しかし、僕は、アメリカが「やーめた」といってほっぽり出す方が、余程心配だ。

結局、長くても5年以内に、今よりは、外交的に消極的になると思う。それを越してまで、今の路線のまま一本調子で行くとは、僕には、どうも思えないのである。

次にアメリカが「やーめた」と言ったときの影響は、どうだろう。(中略)つまり、アメリカが領土的野心をもつなど、これまでの歴史からは考えられない行動にでも出ない限り、大局的には、行き過ぎることよりも、ゆれ戻したときのリスクの方が大きいと思う。


○ 選挙結果が確定した後、この心配があたるかどうかは、今の時点では、まだ明確にはなっていない。それだけに、この点を注意深く見ていきたい。


11月2日
現場の工夫アプローチ
○ 前回は、「週刊誌の見出し的戦略アプローチ」として、自分の頭でよく考えずに、メディアに出ている言葉を鵜呑みにして、人がやっているからと導入した失敗例を挙げた。今日は、地に足のついた「現場の工夫アプローチ」として、成功例を挙げてみたい。

○ 地に足のついた現場の工夫アプローチ
1) 古い設備、人力、簡単な新規設備を組み合わせて、コストの低い生産ラインを作った。結果として、世間で最近騒いでいるセル生産方式に似たものになっている。
2) 以前から小量ながら継続してビジネスがあり、相互に信頼感のあった台湾企業と組んで中国に進出し、大きく成功している。
3) 8年前に取り組み始めて、資金をそれほどかけずにこつこつと続けてきた技術開発や、新規ビジネスが最近花ひらいて、成功した。
4) BRICSと言われているのを気にせず、中東向けにまじめに売っていたら、今は、ばかにできない収益源になっている。
5) 前回の「週刊誌の見出し的戦略アプローチ」のいくつかを採用し、上手くいかないので幾つかは、やめた。それでも、残った制度は、よく機能しており、なにもせずに旧態然としているよりもよほどよかった。

○ 確かに、浅薄な理解で、自分の頭で考えず新しい制度や方策をとるのは、まずい。ビジネスに誰にでも効く薬なんてない。しかし、だからといって、何もしないのは、もっと悪い。ビジネスでは、成さざるの罪が一番重い。なかなか、むつかしいもんですなあ。


11月1日
週刊誌の見出し的戦略アプローチ
○ ビジネスの場で、戦略、戦略とよくいう人の話の中味をよく聞いていると、自分自身で咀嚼せずに、「日経ビジネス」、「東洋経済」、「エコノミスト」などの雑誌の見出しをつなぎ合わせたような、言葉の羅列をもって、戦略を語っている気になっていることが多い。こうした週刊誌の見出し的戦略アプローチの代表例を10個挙げてみた。こういうのは、プロジェクトXならぬ、プロジェクトA(あほう)と言いたくもなる。あなたの会社は何個あてはまるだろうか。

○ 週刊誌見出し的戦略アプローチ
1) 「.com」タスクフォースができた。上手くいっていないのに未だに継続している。
2) 「社内カンパニー制」が導入された。結局、社長までのレイヤーが一つ増えただけだった。
3) トップダウンで、「中国進出」が決まった。トップ同士の乾杯で決まった現地パートナーといまだに上手くいっていない。
4) 「選択と集中」の名のもとに、組織変更を繰り返した。客先との関係及び技術開発の継続性を維持できず、ビジネスを失っていった。組織変更の失敗をさらなる組織変更で挽回しようとして、後退的組織変更の繰り返しをとめられなくなっている。
5) 「能力主義」が導入された。結局、ゴマスリが横行、誠実で優秀な人がたくさん辞めた。
6) 「多機能で柔軟」、「省力化」の高額の生産設備が導入された。償却負担が重いので、信じられないほど莫大な量を生産しないと採算に合わない。その割に、多機能故にスピードが遅く、処理能力があがらない。
7) 「ダウンサイジング」、「BPR」と、数年毎に新しいキャッチフレーズとともに新しい「ITシステム投資」がされた。新システムの導入毎にある長時間の研修で、ルーティンの事務作業が滞り、残業が増えた。システムの償却負担が重くて苦しんでいる。
8) 「キャシュフロー経営」、「投資収益」、「IRR」と財務系の用語がちりばめられた複雑な業務目標が設定された。目標設定と目標達成度評価に関する事務作業に時間が取られ、目標遂行の為の業務が停滞している。細かな目標を設定させられるが、実際のビジネスなんてどうなるか正確に分かるはずもなく、結局、いろいろな点で乖離する。目標と乖離すると、また、細かな説明をつけなければならず、社内の説明資料作りに時間がかかっている。社内向けの数字管理の事務量が多すぎて、営業は、客と会う時間が減り、生産は、生産に従事する時間が減ってしまった。
9) 「ISO取得」の手続きのため、膨大な書類を作る作業に忙しく、実際に起こった品質問題にちゃんとした対応ができなかった。今は、そのリコールに追われている。
10) 「VMI(Vendor Managed Inventory)」や、「ジャストインタイム」といって、部品供給メーカーに在庫管理と即納体制の構築を要求した。両者の連絡の不備もあり部品メーカー側で在庫管理コストがかさみ、結局、製品コストを上げる要因になってしまった。また、新規の部品供給メーカーへの乗換えが難しいので、既存の部品メーカーが値下げ要求に応じてくれず、高い値段で部品を買っている。

○ あなたの会社は、何個あてはまっただろうか。「らくちんのやつ、オレの会社の批判をしているな。」と怒らないでいただきたい。日本の上場企業のほとんどは、上の10個のうち5個以上あてはまると思う。つまり、これは個々の企業の問題というよりも、日本の企業が全体で患った病と考えた方がよさそうである。

○ また、上記のそれぞれの方法論が悪いわけでもないし、それを紹介した週刊誌が悪いわけではない。上記のハイカラな名前の方法論でも、それに適合した状況下で採用すれば、上手く機能している例も多いだろう。週刊誌も、見出しに続く記事では、詳しく事例を説明しており、よく読めばどういう環境下でその方策が有効か考える示唆を与えてくれている。

○ 問題は、その記事の内容をよく読んで自分の頭で考えることなく、見出しだけを張り合わせたような「戦略」をとるからである。また、会社の置かれている内部及び外部の環境変化をまっとうな感受性で、いわば自分自身の肌で感じ取っていないから、状況にあった方策を採用できないのである。概していえば、週刊誌にでている成功事例は、真実であったとしても、記事として出てくる頃に後追いで実行しても、もう遅きに失していることも多かろう。

○ 自分で感じ、自分の頭で考え、自分の言葉で語れば、自ずと結果が違ってきたと思う。
次回は、そういう成功例を挙げてみたい。


10月31日
「人口減少経済」の新しい公式
○ 秋の夜長の読書に、松谷明彦の「「人口減少経済」の新しい公式」を読んで、20年、30年先の日本の姿を想像するのはどうだろう。よくされる何十年先の長期的な未来の予測は、技術革新の動向や、新興国の成長率などをもとにされるが、そういう予測は、当たるも八卦の感がぬぐえない。しかし、この本が拠ってたつ「日本の年齢別人口構成」というのは、確かに今後数十年間の動向をほとんど正確に予測できることである。その正確に予測できることを根拠に、日本経済の姿を描き出そうというのだから、なかなか面白い。

○ 著者の主張する興味深い結論をここに羅列してみたい。
 ・ 公共事業が半減する。
 ・ 2030年では、一人当たり県民所得は、地方で上昇、大都市で低下
 ・ 大都市圏で、人口の減少高齢化が顕著に現れる。
 ・ 終身雇用制が崩壊する。
 ・ 労働力が三分の二になる。
 ・ ドイツの例でもみられるように、外国人労働者の活用は、後世代の負担の移転で、解決にならない。
 ・ 70年代以降、日本企業が熱狂的に取り組んだ省力化投資は、失敗だった。

○ 40歳代の僕たちは、餌さえ与えられれば、あと30年くらい生きる。この本を読んでいるとその余生もなかなか平坦に済みそうもない。著者は、経済成長率が下がっても豊かな暮らしはできると前向きの主張をするが、この点ばかりは、この本を読んでいる限り素直にうなづけない。

○ 秋の夜も、人生も、長いようで短く、短いようで長いようですね。


10月27日
パウエル発言
○ アメリカのパウエル国務長官が中台関係について、北京でした発言が波紋を呼んでいる。25日のテレビ局とのインタヴューで「台湾は国家としての主権を保持しているわけではない」「誰もが望む統一という結果に疑いを生じさせるような単独の行動を取るべきではない」と発言した。また、産経新聞の報道によると「中国外務省の説明によると、長官は胡錦濤国家主席、李肇星外相らとの会談で、台湾の独立について、「反対」という明確な表現を用いたという。

○ アメリカ政府の従来の見解と比べると、台湾の独立を「支持しない」としていたところを「反対」とし、従来、「平和解決」を望むとしていたところを「平和統一」とし、表現が異なっている。

○ このパウエル発言の真意を問われた国務省のエレリ副報道官は、二十五日の記者会見で、「米国は過去の米中間の三回の共同声明と台湾関係法に基づき、“一つの中国”の政策を堅持している」と政策変更を明確に否定した。

○ これに対して、台湾内では、メディアも大きく取り上げ反発が強まっている。陳唐山・外交部長は、パウエル発言に「100%反対」と述べた。李登輝前総統率いる台連は、陳総統が独立色を最近トーンダウンしているから誤解を生むのであって、もっとはっきり主張すべきだと批判している。

○ 今回のパウエルのアジア歴訪は、アメリカの台湾への武器売却に猛烈に反対する中国に対して「台湾に武器を売るのはやめないよ。でも、中台で緊張を高めないでね。北朝鮮のこともあるし、よろしくね。」と言いに行ったのではないだろうか。実際、パウエル長官は26日、中国首脳に対し、「寛容」になり、台湾との対話を再開するよう呼びかけている。

○ これに対し、中国の張銘清・台湾事務弁公室報道官は記者会見で、「誰が和平交渉の再開を求めようが、関係ない。問題はわれわれの側にはない」と強調。「陳水扁政権は、絶え間なく台湾の独立運動を推進しており、中国・台湾間の話し合いの基盤は全くない」と語り、明確にパウエル長官の呼びかけを否定した。と、強く反発してみせているのだから、パウエルの「寛容に」という言葉も、一応、耳から頭に入ったということだと思う。めでたいではないか。

○ アメリカの政府や世論は、もともと中台の間でやっている微妙な表現の駆け引きを東アジア独特の「ことばの遊び」、あるいはせいぜい「言葉の風習」という風に捉えている節がある。少なくとも、アメリカ世論には、「支持しない」と「反対」の違いなんて、全くアピールしない議論だろう。「従来の政策からの変更はない」といえば、国内世論対策は、それでおしまい。パウエルは、中台の微妙なやり取りを熟知した上で、どのみちアメリカ世論に叩かれそうもない言葉の変更で、中国へのリップサービスを少ししたのではないだろうか。こういう微妙な駆け引きよりも気になるのは、胡錦濤国家主席とブッシュ大統領が頻繁に連絡をとっているという報道だと思うのだが...

○ そうそう、台湾一周豪華観光列車「寶島之星」の第一便に招待されて台湾に来ている石原東京都知事が、このパウエル発言に対して、「全くナンセンス」と反対のコメントを出したりしている。

○ ここからは、全くの余談だが、今回の「寶島之星」第一便は、台風24号の大雨による土砂崩れで、予定通りの運行はほとんど不可能に近かった。しかし、石原知事が台湾観光の宣伝のためにわざわざ来てくれるのでと、鉄道局が徹夜で復旧作業を続け単線運転で仮復旧を間に合わせた。

○ これに対して、台湾のマスメディアは、「特権待遇」ではないかと批判的なコメントをつけ始め、よりにもよって、石原知事に「特権と思わないか?」とマイクを突きつけた。石原知事の方は、「日本でも災害が連続して起こって大変忙しかったが、一度来る約束したのでその約束を守って来た。特権待遇かどうかは、貴国の問題で、私の問題ではない。」と言っている。相当頭に来たのか、台湾の観光地は素晴らしいが、メディアは、よくないとか言い始めた。確かに、台湾のメディアは、悪評高く、多くの外国人スターや有名人があからさまに立腹することも多い。とはいえ、こうなると、かなり脱線してきますな。

○ 全く別の話をもう一つ、新潟の地震は、台湾のテレビでも大きく取り上げられ、地震への関心が高まっている。そんな中、耳鳴りで地震を予知するという奇人があらわれ、明日28日に大地震が起こると予言して、テレビで大々的に取り上げられている。やっぱり、台湾って、いつまでも、飽きません。


10月26日
自衛隊と災害救助 (昨日の続きです)
● 僕は、阪神淡路の震災の震源地に近い明石の出身で、実家は、屋根に登って双眼鏡を覗けば震源地が見えるようなところにある。僕自身は、当時東京にいて被災していないが、中学高校と神戸に通っていたので友人に被災者も多く、今の朝のNHKドラマは、見ていられない。その僕にとっては、実は結構好きだった当時の村山総理が自衛隊の出動を躊躇し、多くの人命を救いきれなかったのが、悔やまれて仕方ない。地震発生を聞いた直後から状況把握の為にヘリコプターを飛ばして、自衛隊の出動を決断しているだけで、随分違っていたと思われる。

○ 一方で、1999年に台湾の中部で起こった地震では、李登輝前総統が阪神淡路の震災を徹底的に調査した上で事前準備をし、いざ、地震のときに果断に軍を動員して対応、被害を最小限に留めた。この鮮やかな対照をみると、軍を有効に使った準備の良し悪しで随分結果が異なると思えてならない。今回の新潟への地震への対応でも、確かに阪神淡路の震災の教訓が随分活かされている。さらに、ここは、もう一つ進んで自衛隊の有効な活用をより深く考えて欲しいと思う。

○ 自衛隊には、もっと災害救助に貢献できる物理的装備、人員、そして潜在的能力は十分にあると思う。問題は、それを活用する政治的な躊躇、その躊躇にもとづく体制の不備、そして、災害救助そのものへの準備の不足だと思う。いわば、心構えと準備さえ十分すれば大規模な追加的装備など無しに対応できるだろう。

● 新潟では、今も、約10万人が避難生活をしていて、避難所の人の半分以上が食料と毛布の不足感を訴えているという。23日午後5時頃に地震発生から48時間以上経っている昨日も、一日おにぎり2個とか、雨では寒さをしのげそうもないとかという状態だった。十分な食料と暖房具が無くて、寒い夜を二晩も過ごせば、普通の人なら病気になってしまう。昨晩は、本当に冷えたろうと思うと心が痛む。

○全国の避難所と言われる施設には、12時間以内に乳児用の粉ミルクと飲料水、24時間以内に毛布と食料、36時間以内に十分な食料と毛布と紙おむつが供給できるシステムを作って欲しい。(個人的には、毛布よりも寝袋の方が暖かいのにと思うがどうだろう。)国として、自衛隊として、それぐらいの緊急の兵站能力がなくては、天災以外のテロ攻撃のような緊急事態でも、国民の安全を確保できるといえないだろう。

○ また、まだ孤立している山村の集落の住民があちこちに多数いるという。山奥とはいえ、人の住んでいる程度の場所から、一箇所につき数百名程度の人間をヘリコプターで24時間以内に移動できなくて、どうして国民の安全を守ることができるのだろう。例えば、どこかから照準のあっていないミサイルが多数落ちて道路が寸断されその集落が孤立したとき、その人たちを救い出す手立てがないとは、言えまい。

○ さらに、仮設住宅とか電気とかのライフラインの再建についても、限定的に自衛隊が動いてもいいのではないか。自衛隊がイラクのサマワなどの海外でしているのは、結局、戦闘行為というよりはこういうライフラインの建設であり、今後もその場合が多いだろう。自国でもやっていないことを海外でやろうとしても無理が多い。また、海外ですることを、自国民が困っている時にやらないというのも、妙である。

○ 以上三つは、まとめると次のようになる。
1) 避難所への支援。12時間以内に水とミルク。24時間以内に毛布と食料。36時間以内に十分な食料と毛布(寝袋)と紙おむつ。
2) 孤立した住民の避難。24時間以内に数百名の規模で可能とする。
3) 限定的なライフラインの再建。
これらを、自衛隊が全国どこでも、いつでもできるように、体系的に整備して欲しいと思う。

● 災害救助への自衛隊の活用については、自衛隊の存在に否定的な旧社会党系の人々が、反対しがちである。平和主義、文民統制などの言葉の重みを理解しないではないが、それらの考え方の本来の意図からしても、人命に優先して厳格に運用するものではないだろう。期間を限定し、それ以上の期間の動員には、なんらかの手続きが必要なようにすれば、自衛隊の内政関与の危険性も防ぐことができると思う。

○ 一方で、意外にも、自衛隊の存在を積極的に支持する立場の人や安全保障の専門家も、災害救助への自衛隊の活用について、否定的な人が多いのも知っている。被災者の救済という比較的「柔らかい」対応がいることに、武力攻撃へ対応する「硬い」装備と体制でするのは、そもそも無理がある。専門家からは、士気への悪影響も懸念されている。

● しかし、災害救助と自衛隊本来の活動は、共通点も多いと思う。まず、第一に、突発性がある。外からの武力攻撃も災害も事前の予告なしに突発する。自衛隊は、そもそもそういう事態に対応するべき組織である。自治体などのお役所は、もともと、そういう突発する事態へ対応する組織ではない。災害救助に緊急に対処することは、設立以来実戦の経験のない自衛隊にとって、最も実戦経験に近いものの一つであろう。突発する自然災害に自衛隊が整然と効率的に対処するところを見せつければ、外からの脅威を予防することにもなると思われる。

○ 第二に、国民の生命と安全を守るという点で、本来の意義が共通している。戦闘機と戦車を操縦して相手をやっつけることをかっこいいと思って入隊する人も多いだろうが、災害にあったおばあさんや子供を助ける隊員の姿をかっこいいと思う人も多いと思う。国民への好印象を残し、士気にも却っていい影響があるのではないか。

○ 第三に、今後、自衛隊の本来任務となるであろう海外平和活動と、ライフライン建設という点で、災害救助は、共通する。10月にでた、「安全保障と防衛力に関する懇談会」報告書(ココ)では、海外平和活動を、従来の付随任務ではなく、自衛隊の本来任務とするとしている。この海外平和活動というのは、イラクのサマワでのように、結局は、ライフライン建設ということになることが多いだろう。その場合、災害救助で行うライフラインの建設と、ほとんど同じ任務内容となる。そもそもローマ帝国の時代から、危険を伴う任意の場所でライフラインを建設するのは、ローマ軍の主要な任務の一つであったではないか。

○ 第四に、住民や自治体との密接なコミュニケーションが必要な点で、海外平和活動やテロ対策と、災害救助は、共通する。今回の災害対処では、阪神淡路地震の教訓を活かして、自衛隊が自主派遣をして、迅速に動き出した。しかし、自治体との役割分担についてとまどいもあり、体系的に動きにくいという点があると思う。だからといって、自衛隊に全てを委ねるのは、いき過ぎだと誰しも思うだろう。結局は、個々の自治体や住民と、事前や事後に積極的にコミュニケーションを図り、何ができるか、それを効率的に実行するには、どこまでを活動範囲とするか、決めていかなければならない。これは、面倒なようだが、海外平和活動やテロ対策でも必要な活動である。

○ 軍の期待される役割も変容しており、20世紀の戦闘機や戦車の戦争から、テロ対応や住民感情を意識した外交とリンクした活動が必要になっている。そこでますます必要とされているライフラインの建設や住民とのコミュニケーションという自衛隊の役割任務は、そのまま災害救助で必要とされる能力である。そしてそれは、予測できない緊急時に国民の安全を守るという最も本来的な任務から、一歩もはみ出していない。より一層、もっともっと、自衛隊が災害救助に本腰をいれてもいいと思う。一人でも寒い人を、お腹のすいた被災者を救いたい。その気持ちは、どんな精緻な政治・軍事理論でも支持されるし、素朴なモラルに照らしても、最初に大切にされるべきものである。


10月25日
台風と地震
○ 台湾では、台風が来たため、台北など多くの地域で会社も休み、学校も休み。今日の午前中は、確かにすごい大雨で、窓から家の前の道路をみると、雨が風で煽られてカーテンのように波打ちながらアスファルトに叩きつけていた。午後には、随分小降りにもなり、明日は大丈夫。でも、テレビの記者が洪水の取材中に死亡、誰の責任かという議論もおこっている。

○ 日本では、地震。台湾で放映されているNHKワールドプレミアムでも、ほとんどの時間で地震のニュースを流している。被害にあった人も、支援している人もみんなよく頑張っていると思う。日本がこういう突然の災難にあったとき、現場が善良で機転の効いた対応ができることを僕は、かなり信頼している。自衛隊もヴォランティアも活躍している。新幹線にしても、時速200kmで走っている時にあれだけの地震にあって、死傷者を一人もださなかったのは、運もあっただろうが、やっぱりよくできたシステムだと思う。

○ しかし、みんなが作業中にこんなことをいうのも申し訳ないが、今回の件がひとごこちついた頃に、こういう災害救助の時に自衛隊をより一層組織的に使う方法を考えられたらいいのにと思う。

○ 新潟では、まだ孤立している山村の集落の住民が数百人単位であちこちにいる。また、地震から48時間以上たった今も、10万人近くが避難生活をしていて、避難所の人の半分以上が食料と毛布の不足感を訴えている。さらに、寝る場所にも困っていて、車の中で夜を過ごす人も多い。自衛隊が組織的に動いて、数百人規模なら即時に山村からヘリコプターで避難させ、食料と寝具を迅速に避難所に手配し、テントや仮設住宅を作ることに、貢献できればいいのではないかと思う。

○ 不謹慎だが、日本に住む以上、何年かに一度この規模の大地震がどこかで起こるのは覚悟しなければならない訳で、国として十分に準備しておいていいと思う。その準備について、今から最も伸びしろが大きくて効率のよいのが、自衛隊の活用だと思う。

○ と、書き出したら止まらなくなってしまった。続きは、また、明日書かせてください。


10月24日
いちご世代
○ 台湾では、民国70年(=西暦1981年)代生まれの、今の高校生や20代前半の若い世代をいちご世代と言うらしい。彼らは、いちごのように見栄えがよくてかわいくて、甘くて美味しい。でもプレッシャーに弱くてこわれやすく、障害があるとすぐにへこたれてしまう。自己主張は強いが責任感は薄い。口はたつが、実際に何も出来ない。(以上は、書いたものを読んで得たのではなく、周囲の人や飲み屋で、聞きかじったことなので正確ではないと思う。正しい理解を知っている方がおられれば、教えてください。)

○ この他にも、民国50年代生まれ(=西暦1961-71年生まれ)はX世代と言われ、日本の新人類と同じ年代で、似たイメージらしい。つまり、自己主張がはっきりしている。仕事は、不真面目ではないが、迫力も無い。会社の人つきあいもそつなくこなすが、残業よりもデートが大事。このシリーズでは、Y世代:民国60年代生まれ(=西暦1971-81年生まれ)、Z世代:民国70年代生まれと、などと言う区別がされている。

○ この手の議論で変わったところでは、いちご世代の連想で考えたのだろうが、台湾の経済成長を実現した年配の世代をグァバ世代という人がいる。水が無くても育つ。おいしくないが、少し食べただけでお腹が一杯になり、抜群に実用的。という意味である。ただし、このグァバ世代というのは、それほど一般的でないようで、この話を教えてくれた人以外に、知っている台湾の人に出会ったことはない。

○ 台湾がこの50年に味わった時代の転変は、日本を超えるものであり、それだけ世代間の考え方の違いも大きい。この世代間の違いを超えて社会を統合しつづけるのは、なかなか難しいと思われる。

○ また、台湾の場合は、もともと子供をとてもかわいがる社会で、豊かな経済状況の中を育った世代は、もしかすると、日本の今の若い世代よりも、ずっと甘やかされて育っているかもしれない。日本の今のハイティーンや20歳代前半の人は、90年代の日本の不調の中で育っているし、就職難もあるので、それほど甘い世代とはいえないように思える。日本以上に国際環境の厳しい台湾が、そんな甘ったれた世代で担って行けるのか、と心配する年配の台湾の人達の気持ちも分かるような気がする。

○ ただし、このいちご世代のトピックについて、当のいちご世代の人に直接話しだすと、ほとんどの人が一様にいやな顔をして、「たしかに、我々の世代にそういう面はあります。でも、私は、違います。」とはっきり言うのが、僕には、とても興味深い。20年前に僕たちが「新人類」と言われたときは、別にそれを強く否定したこともなかったし、時には、悪乗りして、「僕たちは、新人類ですから。」と開き直った説明を会社の先輩にしたものである。

○ 台湾の若い人が自分達を「いちご世代」と言われるのを嫌がっているというのは、それはそれで、甘ったれをいけないものと認識していると意味で、健全な社会なのかもしれない。しかしまた、自分を批判的に見る目がなく、自分を常に肯定的にはっきりと主張するこの世代の特徴がでているのかもしれない。

○ いずれにしても、僕のような野次馬根性に満ちた輩には、台湾の世代論というのは、興味の尽きない話題である。


10月20日
似て非なるビジネス3
○ 以前に(ココ)、TDLと他のテーマパークとは、似て非なるビジネスだと書きました。また、ココでは、テレビ番組の提供のビジネスも、日本と台湾では、似た非なるビジネスだと書きました。

○ 今日は、携帯電話端末のビジネスについて書いてみたいと思います。日本の携帯電話端末があんなによく出来ているのに、海外では売れないのかと日本の人からしばしば聞かれます。日本と海外の携帯電話ビジネスが似て非なるものだからだと思います。

○ 日本と韓国以外のアジア及び欧州では、GSM方式です。GSM方式の国同士では、方式も同じでローミングもできているので、台湾で使っている携帯電話を中国でもフランスでもタイでもそのまま使えて、とても便利です。日本の高機能の携帯電話が爆発的に売れない一つの理由は、このGSM方式が、単に技術上の通信方式の違いだけでなく、ビジネスのあり方まで、日本のそれと随分違っていることがあると思います。

○ 日本の携帯電話端末は、NTTドコモなどのキャリアの補助(インセンティヴ)がついて、実際のコストより相当安く売っています。だからユーザーは、次から次へと最新機能のついた端末に買い換えます。キャリアは、その高い機能でユーザーを囲い込み、電話料金で回収できるので、問題ありません。これは、NTTドコモなどのキャリア、コンテンツプロバイダー、端末のハードメーカーの3者が同時に高機能を提供し普及するからできるのです。キャリア側が複雑な和音を出す端末を安く売り出すと同時に、コンテンツプロバイダーは、その機能を十分に引き出す着メロを提供するので、ユーザーは、高機能な端末を楽しめます。

○ 一方、GSM方式は、加入者の電話番号などの登録データが入っているSIM(加入者識別モジュール)カードという 1cmx2cmくらいのカードをユーザーが端末に装着して使います。今使っている携帯電話のSIMカードを取り出し、別の携帯電話につっこむと、同じ番号で、同じ携帯電話キャリアで使えます。ここが、ビジネス上、決定的に違ってきます。

○ Aキャリアで契約したSIMカードを、Bキャリアのショップで買ったハードにはめ込んで使うことが出来ます。番号は、Aキャリア、電話料金もAキャリアに払います。こうなると、Bキャリアは、補助金をつけてハードを売っていると、通話料がとれず赤字になります。そこで、キャリアは、端末に多くの補助金をつけられません。結局、消費者にとって、端末のハードウェアは、3万円も4万円もする高いものになります。自然、買い替えのペースは、日本よりはゆっくりになります。正確に言うと、通話だけの簡単な機能のものは、非常に安く且つ、キャリアの補助がついていてただ同然で手に入ります。従って、ユーザーは、買い換えますし、また、複数個もっています。しかし、高機能のものは、非常に高いので、なかなか買い換えません。

○ 高機能の端末の値段が高く、買い換えないとすると、高機能のインターネットのサービスに対応するユーザーがなかなか増えないことになります。コンテンツプロバイダーにとっては、複雑な和音の着メロサービスを始めても、端末ハードの普及がしていないと、ユーザー数が少なく、当面採算がとれません。そこで、そういうサービスの開始にも二の足を踏みます。そうすると、ユーザー側も高機能の端末を買ってもサービスのメニューが少ないということになり、尚更買う気がなくなります。結局、キャリア、端末メーカー、コンテンツプロバイダーの三者にとって、高機能の端末、サービスは、投資に見あわなくなり、消費者にも、値段が高いわりにサービスの質がよくないことになります。こうして、日本風の高機能の端末とそれに応じたインターネットサービスがなかなか普及しないのです。

○ 因みに、GSMでSIMカードを使うものでも国によっては、ルールでキャリア限定のSIMになっていることがあります。この場合、キャリアは、安く売って、通信費で回収するということが可能になります。iModeの海外版などで、一部普及し始めたのがありますが、やはり、このキャリア限定方式の国の方が、より普及が進めやすいようです。

○ SIMカードで、簡単に、同じ端末を、別のキャリアに換えることができる。という単純な一事が、ビジネス全体のあり方を、全く異なるものにしています。他にも、上の事情から、
GSMを使っているアジアの国々では、日本よりもずっと各国のキャリアよりノキアなどの端末メーカーが力を持っています。人口が少ない国のキャリアは、世界標準のハードを作っているメーカーと扱う「数」が違うという面があるとともに、キャリアの補助金の占める割合が、日本ほど大きくないことがあると思います。このように、ビジネスのあらゆる面で考え方や仕組みが違ってきます。

○ 日本でも次の世代の携帯電話では、SIMカードを使います。関係者は、よほど発想を変えてやらないと、手痛い目に会うかもしれません。


10月19日
台湾本
○ 台湾に関係する本の紹介をさせてください。

○ 「電子立国台湾の実像」水橋佑介(ジェトロ)
2001年9月発行で、やや古いが、台湾の電子産業発展の経緯をもっとも正確に掴むのには、便利な本。台湾の電子産業というのは、世界経済の上でも大変重要だと思うが、こういう基礎的な知識が詰まった本があるようでなかなかない。

○ 「現代台湾を知るための60章」亜洲奈みづほ(明石書店)
最近の台湾の風俗・文化を広く伝えている。政治・経済の動向もカバーしているが、一部に留まっている。政治向きのことには、それほど深い興味はなく、台湾を旅行する前などに少し社会を知っておきたい人には、便利かと思う。

○ 「台湾海峡から見たニッポン」酒井亨(小学館文庫)
こちらは、反対に、政治的メッセージがこってりのっている。2004年の総統選挙後の政治風景を伝える数少ない本である。典型的に、台湾通の日本人にある台湾・本土派よりの意見で、そう思って受け止めれば、これはこれで参考になることも多い。台湾人には、本人達が思っているよりも、南方系の血と文化が、多く混じっているのではないかというのは、確かに住んでいる者の実感である。ただ、だからといって、外国人である自分が、「あなたたちは、中国人ではない。」と言い切るのも、過ぎたことではないかと、僕は、思っている。


10月18日
プロ野球の欠陥
○ 日本のプロ野球リーグにおいて、制度上の欠陥の本質は、下位リーグとの入れ替えシステムがないことだと思う。

○ 今回のストライキ騒ぎを機会に、プロ野球の問題について色々な議論がされた。12球団というのが多すぎて問題だ。一リーグでなければならない。交流試合が大切だ。新庄のような花のある選手が必要だ。地域との密着性を重視しよう。オーナーが傲慢不遜だ。などなど。しかし、このどれを改善しようとも、下位リーグをつくり、そこと上位リーグとの入れ替え戦を行うシステムを作らない限り、今回のような大騒動が繰り返されるだろう。この意味で、制度論としては、下位リーグとの入れ替えシステムを作るのが、最も本質的な解決だと思う。

○ 当初、最大の問題は、経営として成り立っていないことのように思えた。しかし、いざ球団を減らすしかないと既存のメンバーがギブアップ宣言をしてみると、当面、赤字でも球団を持ちたいという会社が複数現れ、今度は選考に悩んだりしている。そんなことなら、球団保有は、赤字といえどもある一定の経済合理性があるということになる。問題は、そういう企業をこれまで、上手に見つけてきて取り込むのに失敗したことにある。また、参入企業を、ちゃんと選考する方法が用意されていないのが問題である。

○ 今の楽天とライブドアの例をみていると、それほど専門性もない人々による書類選考だけで決めるのは、なんともこころもとない。また、評価される企業にとって失礼ですらある。だからといって、既存オーナー側が主張していたように一年かけてじっくり選考しても無駄だろう。書類上のビジネスプランの評価などは、一ヶ月もかけてやれば十分で、その後1年時間かけても書類を基にしている限り、評価の精度は、あがらない。それよりも、実際に過去1年、2年、ちゃんと運営し、稼いだ実績のある人なら、かっこいいプレゼンテーションをできなくても、一番信用できる。ビジネスの評価などは、そういうものだ。

○ 今回のプロ野球のドタバタで、サッカーのJリーグは、却って、その制度設計のすばらしさを際立たせた。Jリーグも、実は、スポンサー企業が支援しきれないといいだす例は毎年のようにでているし、スポンサー企業の倒産も経験している。もっというと、今度のオリックスとバッファローズの合併と全く同じように、マリノスとフリューゲルスとの合併という事態もあった。それでも、今回のプロ野球程は、大事件にならずに済んでいる。

○ Jリーグがプロ野球と違うのは、J2という下位リーグがあって、上位リーグのチームが経営的に行き詰まって欠けたとしても、すぐにバックアップできるチーム群を育てていることである。J2は、選手養成の場でもあるが、チーム経営者の養成の場でもある。だから、あるチームがつぶれても、過去のサッカーと経営の実績を基準に公正に選考して補充がすぐできる。J2からの昇格チーム数を増やすだけで対応できるのである。

○ 考えてみれば、スポンサー企業の栄枯盛衰は、世の常、野球やサッカーの娯楽の人気は、うつろいやすいもの。制度をつくるには、そうしたいつか必ずあるビジネスの変動に柔軟に対応できるように作っておくべきだろう。

○ Jリーグの場合、下位リーグがあるので、J1のチーム数を増やすことも簡単にできる。また、まだ経験していないが、将来サッカー全体の人気が落ちて、Jリーグ全体の経営が苦しくなれば、J2を受け皿とし、J1のチーム数を減らすこともできる。例えば、先日のオマーン戦で日本代表が負けてワールドカップに出られなくなると、確実にサッカー人気はかげり、J1のチーム数を減らすことになったかもしれない。それでも、制度的に対応する術を用意していたのは、たいしたものだ。

○ とはいえ、オマーン戦に勝ててよかった。ワールドカップ予選なんてものは、制度やプロセスより、結果が全て。バンザイ。


10月16日
近況報告
● 地震
15日の昼、台湾北東部を中心とするマグニチュード7の地震があり、日本でも報道されたようです。いくつか、お見舞いのmailをいただきありがとうございました。今回の地震は、1999年の中部地震以来最大とのことでしたが、殆ど被害は、ありませんでした。僕は、レストランで昼食をとっているときに大きく揺れ、驚きました。他の台湾人のお客さんもびっくりして、「出たほうが安全かなあ」なんていいながら、店から道にぞろぞろと出て行ったりしていました。

● 秋
日本では、素晴らしい秋晴れが続いているようですね。台湾でも、一応、秋のようです。日本人にとっては、東京の9月中旬くらいの気候。ゴルフをするときは、半そで半ズボンが丁度いいくらいで、夏の終わりといった感じです。これを秋というのかしらん。でも、街を歩く台湾の人は、寒そうにジャンパーを羽織っています。

● フォーサイト
今週末にでた新潮社の「フォーサイト」の11月号に、僕が個人として書いた文が3ページほどでています。年間購読誌なので、書店で手に入りませんが、機会があれば見てやってください。話は、このホームページ関係から来たもので、会社経由きた話でもありません。個人ホームページから、こんなことがおこる時代になったのですねえ。

○ デジタル家電、アナログとデジタル、暗黙知、台湾、「仕切られた競争」と「つながれた競争」、そんな言葉がでてくる内容です。僕が、台湾的経営(7月22日-8月31日の間、断続的に連載)や「デジタル」景気?で、書いた内容を、焦点を絞り整理して書いたものです。

○ 宣伝めきますが、この「フォーサイト」のほかの記事も面白いですよ。僕が色々教えていただいている「溜池通信」のかんべいさんも、書評欄に書いています。

● パレットタウン大観覧車
16日の日経新聞のブラス1の「なんでもランキング」で、「パレットタウン大観覧車」(ココ御参照)が観覧車からみおろす夜景の一位になっていました。僕は、今では、ほとんど関係していませんが、立ち上げ時の担当として、まだまだお客さんに喜ばれているようで、嬉しくなりました。

● 電車男
以前に、このサイトで紹介した(例えば、ココとか、ココ)ネット上のエンターテインメントの名作「電車男」、いよいよ、書籍化されるそうです。いやあ、面白さは、出色でしたものね。


10月14日
日本語と外国語
○ およそ日本人ほど外国語の発音の下手な国民は、いないだろう。英語でも、中国語でも、日本人の発音が悪いのは、世界中に知れ渡っている。昔、英語使いとされるソニーの故盛田元会長が、アメリカのテレビ番組で英語を話しているときに、英語の字幕が入っているのをみて愕然としたことがある。

○ そういえば、帰国子女のバイリンガルの日本人に聞いたのだが、完璧なバイリンガルを見抜くには、日本語の「スーパーマーケット」を発音させ、英語発音になっていないことを確認するのが一番手っ取り早いとのことであった。”Super”などと発音しているようでは、バイリンガルとはいえず、「スーパー」と「−」の日本語の発音がちゃんとできなければならない。ここまで言われると、日本人の英語の発音の悪さをおちょくられているようで、気持ち悪い。

○ 日本語を学んでいる台湾人に尋ねると、日本語の文法は難しいが、「スーパーマーケット」以外の発音は簡単だという。それで思い至ったのだが、日本語は、世界一発音が簡単な言葉ではあるまいか。母国語の発音が世界一簡単なので、日本人には、他のどの言語の発音も難しく感じるに違いない。

○ 一方で、中国語は、文法は簡単だが、発音が難しい。日本語にしろ中国語にしろ、世の中の複雑な森羅万象を限られた数の単語で表現するには、文法か発音のどちらかを複雑にする必要があったのではないかと思う。ま、こんな屁理屈を言っている暇があれば、中国語の発音の一つも覚えればいいのだろうけれど。

○ もひとつついでに屁理屈、無駄話をいえば、およそ日本語の文字ほど混ぜんとしているものはないだろう。漢字とひらかなとカタカナが混じりあっており、最近の流行歌などでは、アルファベットまでちりばめられている。

○ また、漢字にしても、中国語と見た目は同じでも、発音と使われ方が全く違っている。よくひらかなは表音文字、漢字が表意文字だと言われるが、あれは、ウソである。中国語の漢字は、「表意文字」であるとともに「表音文字」である。意味と発音の両方を同時に表すことができ、且つ、単位面積当たりあたりの情報量がアルファベットより数倍多く、体系だっていて実によくできた文字である。「漢字と日本人」(高島俊男著)で、漢字は、オーダーメイドのチャイナドレスのように中国語にぴったりあった文字だと説明されているが、大いにうなづける。

○ ところが、日本語の漢字となると、同じ文字でも音読み、訓読みそれぞれ複数あったりして読み方は多いし、同じ読み方の漢字もまた大量にある。結局、「てにをは」の助詞を巧妙に使いまわし、文脈を頼りにコミュニケーションするしかない。なんとも一貫していなくて、整合性のない文字体系である。建て増しを続けた田舎の旅館のようだ。

○ とはいえ、全く一貫してなくてただただ混乱のなかにあるのではない。かなの50音なんてちゃんと体系だっているし、漢字だって中国伝来の体系に基づいている。日本語がユニークなのは、こうした複数の異質の体系がそのまま並存し、相互に連結して巧妙に使われていることにあると思う。

○ まったく、こんなややこしい文字を使う日本人は、頭の中どうなっとるんじゃ、脳みそかち割って調べてこますぞと、悪態の一つもつきたくなるが、これを本当に調べた人がいて、結論からいうと、日本人の脳みそは、外国人の脳みそと違うらしい。もう少しちゃんというと、日本人は、漢字を読むときとひらかなを読むときに脳の違う部位を使っている。左脳の側頭葉後下部の病変で、漢字だけの失読失書(言葉を話せるのに字を読んだり書いたりできない)がおこることが分かっている。(酒井邦嘉「言語の脳科学」による)

○ 使い方を覚えるには、脳みその働きまで変えて対応しなけりゃならない、ややっこしい日本語の文字だけれども、一度覚えると、どんな外国語でもそのままスポスポ取り込めて便利この上ない。ブッシュを「布希」や「布什」、ケリーを「凱里」や「柯瑞」だと、中国語が欧米人の名前を一生懸命当て字の漢字で苦労して表現しているのを見ると、日本語のカタカタの便利さが身にしみる。日本語の場合、中国語なら漢字で取り込めるし、英語や他の外国語ならカタカタに取り込んでしまう。さらに、英語の訳語を中国伝来の漢字の組み合わせで新しく作るなんて離れ業までしてしまう。日本人は、外に出て行って外国語を覚えるのは下手なくせに、内にいて日本語に外国語を取りいれてしまうのは、得意である。

○ このように、複数の異質の体系を内部に並存させ、それを巧妙に組み合わせる。そのおかげで、外部のものを容易にすばやく取り入れる。というのは、日本語の文字だけに限らず、日本のカルチャー全般にあてはまり、いわば、日本人のidentityに通じていると思うのだ(^-^)v


10月13日
李登輝前総統の反応
○ ほらほら、やっぱり当人同士は、よく分かっていて、これは、自分へのメッセージだと受け取っているのですよ。10日の陳水扁総統の国慶節演説について、僕は、李登輝前総統への対応の意味もあるのではないかと書きましたが(ココ参照)、早速、11日に李登輝が、陳水扁の国慶節演説について、次の通り語りました。

○ 中華民国は台湾であり、台湾は中華民国と陳水扁・総統が述べたが、これは自分で自分を欺いている。台湾人の尊敬を得ることはできず、国際社会の支持も得ることはできない。私の12年間の任期内に1992年合意などなかった (な〜るほどザ台湾の訳)

○ 11日時点の日本の報道では、陳演説に李登輝へのメッセージの意味を指摘した報道が見当たらず、不思議でした。やはり、李登輝当人が反応しているのだから、その意味があったと見るべきでしょう。

○ 陳水扁のメッセージに対して、李登輝の方も、「正面から受けてたちますよ」とエールを返した恰好です。両者でこうして牽制しあいながらも、本土指向に温度差のある市民の支持を与党ニ党で広くひろえればそれもまたよし。と、陳李両氏が思っているかのようにもみえます。「でも、あなたには、負けませんよ」とにらみあいながら..

○ また、陳演説の中の「中華民国は台湾であり、台湾は中華民国」というフレーズは、とても重要だと思いましたが、日本の報道では、あまりピックアップされていませんでしたね。中国語からひろって紹介しておいてよかったです。−これなら僕でも訳せます。− 李登輝も引用していますし、13日には、中国国務院(政府)台湾事務弁公室、張銘清報道官も、次の通り引用して批判しています。

○ (張氏は、)陳氏が演説で「『中華民国』は台湾」と述べたことを「赤裸々に台湾独立を表明しており、台湾海峡の平和と安定に対する重大な挑発」と断定。「独立」を前提にした対話には「何の意味もない」とし、「台湾民衆と国際世論に対する欺まんだ」と批判した。(共同通信)

○ やはり、このフレーズが重要だったといえるでしょう。左右両側から批判されているところをみると、バランスのとれたいいフレーズだったようにみえます。そうみえることが、李登輝の狙いかもしれませんが。

○ 尚、産経新聞WEB版が13日には、上記の指摘も含めて詳しい記事を載せています。

○ 素人が岡目八目で、プロ同士のやりとりの火花を感じ取れたようで、我ながら納得です。


10月12日
恋の話9男と女
○ 童話作家木村裕一の「童話のつくり方」の言葉。

ボクが高校生の頃、ナンパのうまい先輩にナンパの仕方を教わった。それは、一、笑わせる。二、泣かせる。三、マイペース。と、それだけのことだという。


―― もっと、はやく聞いておけばよかった。

○ 同じ本で、著者の代表作である童話「あるはれたひに」のキャッチフレーズが書いてあった。男と女の話として読むと、こちらの方が意味深い。

「ご馳走なのに友達で、仲良しなのにおいしそう」


―― あな、おそろしや。


10月11日
陳総統の国慶節演説
○ 陳水扁総統が、十日、総統府前での国慶節大会で「両岸(中台)が『1992年の香港協議を基礎』とした上で受け入れ可能な方法を模索する」と演説した。1992年の香港協議では、「一つの中国」の定義について中台それぞれが独自解釈することで合意したとされている。中国側は、2000年の陳政権誕生以来、この香港協議を陳政権が認めることを対話再開の条件としてきた。今回の演説は、この香港協議を初めて認め、平和的な呼びかけを行ったもの。しかし、同時に、陳総統は、演説の中で「台湾は、中華民国であり、中華民国は、台湾である。」とし、大きな妥協や譲歩では、ないことを明確にしている。(何度書き直しても、このところの説明は、ややこしいですな。)

○ 国家安全委員会の邱義仁・秘書長は「総統は92年香港会談を両岸交渉の基礎とすると語ったが、3つの目的がある。両岸情勢の安定、国際的な訴求、中国の新しい指導者への回答の意味がある」と説明した。

○ 一方で、中国系有力香港紙、文匯報と大公報はともに、この演説を一面トップで大きく報じ、「台湾独立の意識が充満しているもので、中台の緊張緩和に全く役立たない」とし、「言葉遊びにすぎない」(文匯報)と非難を浴びせた。

○ この演説について、僕の感じた意味を三つ挙げておきたい。
第一に、中国で、共産党軍事委員会主席に就きポジション上全権を持った胡錦涛主席への対応の意味がある。陳総統からの「あなたとなら話をしたい。」という御祝儀的、平和的呼びかけだろう。これは、国際世論へのアピールでもある。

○ ただ、中国内部も複雑だろうから、台湾が柔軟な姿勢を見せることが、軍と胡錦涛主席との力関係の中で、中国を融和的に動かすのか却って強硬にさせてしまうのかは、分からない。胡主席がまだ軍を掌握しきれていないとすれば、必要以上に強硬な姿勢を示さざるを得なくなるかもしれない。逆に、可能性は低いと思うものの、胡主席が、融和的な平和攻勢をかけてきたときのほうが、陳総統には、薄気味悪くも対応の難しいことになるだろう。

○ 第二に、12月の立法委員選挙をにらんだ、台湾の野党、国民党への対抗の意味がある。選挙では、陳総統は両岸関係を悪化させ、平和と経済成長にマイナスをもたらしたとして国民党が批判してくるだろう。陳総統としては、国民党への対抗上、たとえポーズにしても、平和的な呼びかけは必要であろう。

○ 第三に、これは、僕の邪推かもしれないが、台連を率いる李登輝元総統への対応の意味もあると思う。宋楚瑜率いる親民党は、総統選で敗北後人気が急落し党勢は、消滅寸前、中国よりの新党も国民党と吸収合併に近い状態だ。つまり、来年以降は、与党民進党、本土派が勢力を増す国民党、台連の3党体制の要素がより強くなってきた。

○ その場合、陳総統の民進党にとって万一敵に回すと手ごわく、最も気になるのは、李登輝だろう。今、台連は、民進党と協力し、国民党と親民党とに対抗しているが、状況次第では、違う組み合わせもありうる。本土派国民党にとって、人脈的にも民進党よりも台連の方が組みやすいので、台連と国民党との連携が成立する可能性もゼロではない。すると、あっという間に民進党は、政権運営が苦しくなり、4年後の総統選で野党に転落しかねない。また、その可能性が高いほど、台連は、政権協力をしつつも陳政権にプレッシャーを与え続けることができる。

○ そこで、李登輝が自ら92年に作ったにも係わらず、現在、最も強く否定している「香港合意」を、今陳水扁が肯定することで、李登輝の矛盾をつき、対抗する布石を打っているといえないだろうか。

○ いずれにしても、中台双方、及び、それぞれの内部で、妥協するつもりの時に威嚇してみせ、強硬策を実行する前に優しくすりよってみせる、という複雑な駆け引きが展開するだろう。


10月9日
外貨兌換券
○ 中国では、1980年から93年まで「外貨兌換券」というのがあった。10年以上前に中国ビジネスをしたことのある人なら、間違いなく全員知っている、外国人専用の中国の二つ目の通貨だった。この外貨兌換券の中止の仕方が、いかにも中国らしい、そして、ある意味で所与の環境下で最も合理的と思える方法だったので、書いておきたい。

○ 外貨兌換券は、外貨と交換できる中国の通貨で、人民幣(人民元)と、1対1の等価と規定されていた。しかし、市場では、外貨兌換券が、米ドルと交換できない人民幣(人民元)と等価になるはずがなく、常に数十%高く取引されていた。外国人が街で買い物をするときは、兌換券しか使えず、100人民元と値段が書かれていれば、100の兌換券を出すしかない。受け取った店のほうは、それを市場で交換すれば、例えば130の人民元が手に入る。つまり、外国人は、常に、数十%高い買い物をしなければない訳で、よくできた二重価格制だった。

○ 一方で、中国の人でもお金持ちは、外国人向け専用のものでも買えて便利だというので、兌換券をいくらか持っていた。また、よく中国に出張する人は、交換する手数料が大きいので、使い残した外貨兌換券をドルに換えずにそのまま日本に持って帰る人も多かった。僕も、当時は、中国ビジネスの担当だったので、常にいくばくかの外貨兌換券を持っていたと思う。

○ ところが、1993年12月29日の夜、94年元日から、為替レートの一本化などの金融制度改革を実施し、外貨兌換券の発行を停止すると突然発表した。一つの通貨がなくなるのに、たった二日前のお知らせだった。あの時は、中国ビジネスをしている日本人は、みんな驚いたと思う。今、持っている外貨兌換券は、ただの紙くずになるのかと心配したが、結局、何ヶ月かして、交換でき、紙くずになってしまうということはなかったと記憶している。

○ たまたま、外貨兌換券の発行停止を発表した日の直後に中国出張していた人が、銀行に行ってドルか人民元に換えるように試みた。しかし、驚いたことに銀行の窓口でも、外貨兌換券の発行停止の手続きなどの内容は一切しらず、途方にくれている様子だった。担当者は、テレビのニュース以上のことは分からず、今ある外貨兌換券をどうするか、どうなるのか、追って中央から沙汰があるのを待つしかないとのことであった。

○ 最初は、余りに急な実施に面くらい、驚いてしまったが、少し考えると、これは、いかにも、中国らしい現実的な政策実施手段だと思った。日本ならば、例えば、消費税の導入の時など、一年ほど前から銀行、会社、個人店などに趣旨、手続きを徹底して教え、ある日の夜中の0時0分1秒から全国一斉に導入される。

○ しかし、そんなことを広い中国で一斉同時にやろうとしてもどだい無理な話である。当時は、中国内の銀行間決済でも大変な時間がかかっていた頃で、今日、知らせようとした内容が、末端まで伝わるのがいつなのか見当もつかないだろう。また、方針だけ決めて公表し、手続き詳細を一年かけて決めたりすれば、どこかで誰かがずるい方法で稼ごうとするだろう。結局、ある日突然発表し、とにかく3日後に実施する。手持ちの外貨兌換券の流通を一旦止めてしまう。手続き詳細は、その数ヵ月後に知らせる。という方法が、最も理にかなっている。

○ もちろん通貨のことは、消費税と違って突然実施するしか方法がないとも言える。しかし、どんと発表してから、手続き詳細が全く末端に伝わらないで数ヶ月経っても平然としているというのは、中国らしい政策実施手法だと思う。これは、現状の中国においては、一定の合理性を持っているだけに、今後も、時々使われるだろう。また、非常に特殊な状況では、日本もみならってもいいもしれない。


10月7日
なーにが
○ 友人京丹後市から台湾に遊びに来てくれたので、一緒に二晩夜遊びしました。以前にも紹介しましたが(ココ)地縁も血縁もない地方で、金も無いまま、好意にすがって田畑をかりて百姓を始め、少しずつ地元の方々と仲良くなり、いまや市議会議員です。大変なご出世。というより、大変な人間的成長というべきでしょう。選挙でも資金がないので、選対事務局長も自動車もなく、500平方キロの選挙区を自転車で走りまわって当選したというつわものです。

○ 色んな話をして実に楽しかったのですが、そのうちの一つ。神戸や大阪の人が「地方の活性化」などと声高にいうのを聞いていると、「神戸や大阪みたいな大都会に住んでて、なーにが地方や。こっちと一緒にせんといてくれ。」と言いたくなる。とのことでした。ごもっとも。神戸と東京は、同じ問題もあるだろうけれども、神戸と京丹後とで共有する問題なんてほとんどないでしょう。

○ 京丹後市に合併する前の網野町の町議会議員をしていた頃、神戸市の職員が16千人いると聞いて、網野町の全人口と変わらないのでぶったまげたとのこと。地方自治というのは、国に対する地方であって、都会に対する地方、即ち、田舎の意味ではないでしょうが、それにしても、まあねえ、地方自治とか地方の活性化といって、神戸と田舎の町を十羽一括りで言われても、納得しがたいでしょう。

○ 僕もいつも思うのですが、よく日本人は、「日本のような小国は、...」とか「小さくてキラリと光る国」などと、日本を小国であるかのように言うけれども、台湾からみると、実に強大な大国です。経済力、人口、民度、軍事力、どんな基準をとっても、日本は、世界のトップクラスです。そんな日本が小国らしく生きたいだなんていうのは、朝青龍が「私、体が小さいからボディコンが似合うようになりたい」といっているようで、気持ち悪い。「なーにが小国だ。」と思います。「神戸や福岡の人が地方に住んでいるなどといわんでほしい」という彼の気持ちと、台湾から大国日本を見る気持ちには、相通じるものがありますね。

○ その他、教育の話、イラク戦争の話、選挙の話、地方のIT普及の話、共通の知り合いの話などどなど。僕からは、国民生活白書の話「攻撃計画」の話などなど。中学の頃から同じで、政治的意見は、正反対のことがほとんどですが、それもお互い最初から分かっているので、実に楽しく話せます。

○ 場所は、ココで。ここの人も、見知らぬ土地に単身乗り込んで、一角になったことで共通しており、えらく盛り上がっていました。日本のOLで単身台北の飲み屋街に乗り込んでお店を開いた人と、東大生で縁のない田舎に乗り込んで百姓をはじめた人が、「あんたも大変やったやろ、えらいなあ」とお互い誉めあっている図は、壮観ですらありました。僕のような、あかんたれサラリーマンには、出る幕はありません。

○ ところで、こういう彼の人生こそ、真に「人生イロイロ」といえ、例の発言などには、「なーにが...」といいたくなるでしょうね。


10月5日
(サーバーメンテナンスを忘れていました。スイマセン。書いたのは5日ですが、アップしたのは6日です)
「攻撃計画」
○ ボブ・ウッドワード「攻撃計画」をようやく読了。こんなに読み終えるのに難儀するとは、思わなかった。面白いはずなのに、どういうわけか退屈に感じて仕方なかった。

○ 最初、淡々とした筆致で冷静に書かれているからかとも思ったが、そうでもないだろう。同じように戦争への過程を淡々と書いている瀬島龍三「大東亜戦争の実相」などは、手の平に汗が出てくるほど興奮して貪るように読んだもの。

○ この二冊の違いは、戦争をおこすにあたった人々のせっぱ詰まり方の程度かと思う。「大東亜戦争の実相」では、負ける可能性が高く、その場合は、自国民も大変な不幸になり、且つ、自分は間違いなく死ぬという、切羽詰った状況が行間から伝わる。「攻撃計画」のアメリカの意思決定者達は、非常に緊張し悲壮な思いで決断をしたのだろうが、失敗したとしても任期が終われば、家庭に戻り普通に余生を過ごすことができる。読むほうがそう思って読むからかもしれないが、そうだとしても、どこか心に余裕のある戦いであるのは間違いない。これが非対称性の戦いというものの実感できる意味かもしれない。

○ ところで、昔読んだ「大東亜戦争の実相」を本棚から取り出そうとしていたら、毛沢東の「遊撃戦論」が出てきた。興味深い一節を抜書きしておきたい。いわずもがなだが、戦略と戦闘は、対比されるもので、一般的には、戦略に沿った戦闘をするべしと説かれる。また、防御戦と進攻戦、持久戦と速決戦、内戦作戦と外線作戦は、ほとんど反対語といえるほど対照的なものであることを念頭においてほしい。

○ 戦略的防御戦のなかで、戦闘上の進攻戦をおこない、戦略的持久戦のなかで、戦闘上の速決戦をおこない、戦略的内戦作戦のなかで、戦闘上の外線作戦をおこなうことが可能であるし、かつ必要であるということである。これは、抗日戦争全体を通じて採用しなければならない戦略方針である。

○ これって、結構、実生活でも使えるかもしれません。ビジネスにしろ、恋にしろ、サッカーにしろ、戦略的防御戦のなかで、戦闘上の進攻戦をおこない...


10月3日
イチロー創世紀記録
○ イチローやりましたね。今でも進歩しているというのがすごいですね。また、地元シアトルのファンの応援振りや、シスラーの子や孫の人達の温かい祝福は、アメリカのいいところがよく出ていたように思えます。いい風景です。

○ 台湾でも、トップニュースと言わないまでも、大きく報道されています。ニュースチャンネルのTVBSでは、「鈴木創記録・特別報道」と銘打ち、20分程度をかけて詳しく報道していました。およそ30分で様々なニュースを一巡して繰り返し報道するこの手のチャンネルにしては珍しいことです。

○ 「創世紀記録」、「新安打王」とし、TVBS独自の映像を愛知、東京、シアトルで撮って、イチローの全てを紹介しています。こうなると、お給料への関心のとりわけ高い土地柄、年棒一億七千万台湾ドルという説明は、お決まりでしょう。驚いたのは、葉月里緒菜とのスキャンダルまで紹介していたことです。相変わらず、こちらの予想を超えることをやってくれます。

○ マリナーズの本拠地のシアトルに僕は、半年ほど住んでいたことがあります。(そのときの話は、「マイクロソフトにいた頃」を参照ください。)僕は、2年間ほどアメリカの地方都市を転々としていましたが、シアトルは、最も印象のいい街でした。アメリカで、もう一度住むなら、シアトルがいいですね。

○ ナイトライフのような刺激的な遊びはほぼ皆無で、その向きに興味がある方には、お勧めできませんが、アメリカの地方都市に共通する、透き通るような人のよさが残っており、さらに、西海岸なので日本人に対する感情もよく、住みよい町でした。田舎らしく保守的な面もあり、本当に中に入り込むのは難しいと聞きましたが、僕のように表面だけをなでて暮らしている者には、それすら全く感じさせませんでした。

○ イチローには、シアトルに残ってもらって、今度のようにアメリカの地方都市のよさをさりげなく日本に伝え続けてくれたらなあと勝手に希望しています。


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