台湾日記 2002年12月〜
(台湾日記 バックナンバー 2001年6月〜2002年11月)
12月28日
上海に行く
○ 先日、上海に行って来た。話に聞いていた通りの繁栄ぶりだった。僕は、6,7年前に訪れて以来久しぶりだったので、全く様変わりで印象深い。もう立派に近代的な都市になっており、街の華やかさは、台北よりも上のように見えた。よくも悪しくも、中国臭ささが消えて、アジア各国の首都で感じられる「アジア風近代都市」の雰囲気と同種のものをかもし出していると思う。
○ 上海市が華やかさを増すと同時に、上海周辺では大変な勢いでエレクトロニクス産業関係の工場の建設が進んでいる。見渡す限りの建設現場を見ていると、終戦直後の日本で、重化学工業の工場を京浜工業地帯などで一斉に立ち上げたときは、こういう状況だったのだろうかなあ。と、感慨深く思った。
○ その上海周辺の開発では、台湾のIT関係企業が中心勢力である。多くの台湾メーカーが、一社で世界市場を独占しても生産能力を埋めきれない程の巨大な工場建設の計画を立てており、敷地を確保している。あまりに早くて巨大な生産移管がされているので、台湾では、空洞化の議論が種々されているが、それは、日本のメディアでも報道されているようだ。
○ 一方で、台湾企業の進出が中国の経済に与えたインパクトは、報道されているりよりも大きかったのではないかと思う。現場の感覚では、台湾のIT企業が中国進出を加速する前は、中国の経済は、発表している数字よりかなり悪く、アジア経済危機などもあり、実は青息吐息だった印象がある。国内商取引の支払いが殆ど履行されず、それこそお金が回らない状態に入りかけていたと思う。そこに、ものすごい勢いで、お金と技術と生産設備を持ち込み、輸出産業を立ち上げたのが台湾のIT企業であり、天の恵みに近い状況だったのではないだろうか。いずれにしてもこの台湾企業の中国進出の話題は、また、別の機会にしてみたい。
○ 話題は、変わりますが、僕の「何でも反対自民党」論(12月25日日、ココ)を、かんべいさんの人気サイト「溜池通信」のページで紹介していただいた。最近、ホームページの作成意欲がちょっと落ちてきたところなので、元気100倍となりました。ありがとうございます。読者の皆様、mail下さいね。同じ趣味の方は、理解できると思いますが、個人ホームページを作っている側にとって、読者のMailや反応がガソリンみたいなものなんです。
○ 今年の正月は、911事件後の厳戒警戒下の沖縄に行って来ましたが、今度の正月休みは、なんと、果敢に、バリ島に行ってきます。従って、更新も、1月6日以降になると思います。さすがに中華航空だけは、やめときましたけどね。
12月25日
なんでも反対自民党
○ 最近の自民党の政府への対応を見ていると、ほとんど全ての案件で反対しているようにみえる。税金、予算、道路、銀行、追悼施設(靖国)、イージス艦。これでは、「なんでも反対、自民党」である。
○ 若い方で知らない人もいるかもしれないが、昔、自民党が与党で、社会党が野党第一党という時代が長く続き、「55年体制」と言われていた。その当時、社会党は、「反対の為の反対」を繰り返し、「なんでも反対社会党」と揶揄されたものである。ここでは、この55年体制を「「何でも反対社会党」体制」と呼んでみたい。
○ かつての社会党は、「反対の為の反対」を繰り返し、「自民党を牽制するにはよいが政権を担当してもらっては困る」という判定を世論から下されているかのようだった。そしてそのような党勢から脱却できなかった。最後には、世論が既に「非武装中立は非現実的」と結論付けてしまっている事態に気付かず、石橋委員長が、昔ながらの仲間内の熱気と一部新聞の論調をそのままに非武装中立論を国会で主張して、見事に支持を失った。
○ 自民党の一部有力者が主張する従来型の公共事業による景気回復策などは、かつての社会党の非武装中立論の状況に似ていなくもない。庶民の世論は、もう「従来型の公共事業による景気回復策は、駄目」と結論を出してしまっている。にもかかわらず、今の自民党の中には、仲間内の熱気をそのままに、従来型の公共事業による景気回復を主張する人も多い。聞くところによると、「日本は、「混合経済」なのだから。」と、発言する自民党有力者もいるようである。(これは、一人の有力政治家の頭がちょっと古いというだけでなく、日本の政治の相当深刻な問題だと思いますけれどねえ。)
○ 結局のところ、今の自民党は、世論が既にNOといった対案か、あるいは、空想的な対案しか示せず、「対案なき反対」を続けている。このような自民党の姿は、ますます、かつての社会党に重なって見えてくる。強力な選挙基盤であった労組が、社会党の変革の足かせになったように、自民党の選挙基盤である土木建設業が、自民党の足かせになることも考えられる。自民党の方も時には、政府側が「丸のみ」できるような案を出してみせないと、この先つらくなると思うがどうだろう。
○ 「なんでも反対自民党」が、かつての「なんでも反対社会党」と違うのは、与党であることである。与党が反対を続けるというのは、なかなか妙な事態ではある。さて、かつての「なんでも反対社会党体制」(=55年体制)とこの「なんでも反対自民党体制」とを比べて、どちらが健全か問われると、なかなか、甲乙つけがたい、というか、丙丁つけがたい。
12月23日
中東の経済
○ 先日、中東のバーレーンに出張に行った人から聞いた話では、中東の経済状態が意外にいいらしい。現地のビジネスマン曰く、在米のサウジアラビアの資産が、凍結を恐れて一部、中東に戻ってきている。これは、ほんの一部といえども、中東の市場にとっては大きい。
○ それに加えて、戦争景気がある。確かに、対アフガニスタン、対イラクの戦争における一部の中東諸国というのは、1)戦争地域に近く、且つ、2)戦争に参加しないで、且つ、3)絶対に攻撃されないという珍しいポジションにあり、何かと経済メリットが大きそうだ。日本の朝鮮戦争時の景気上昇を思い出させるものがある。
○ 一回きりの出張で本人も確信を持てないようでもあり、こういうことは、現地に駐在する人に聞けば、3分で、嘘かまことか分かる話ではある。しかし、間違っていたとしても、話の筋が面白いので、確認もせずに書いてみた。だって、どのマスメディアも、戦争で大変だとか、反米機運が高まっているとかという判で押したような報告ばかりで面白くないじゃないですか。
12月17日
李登輝の訪日
○ 李登輝の訪日ができなかった。慶応大学の学園祭に出るという目的で申請したが、大学側が拒否した為、申請を取り消した。台湾の一般市民には、李登輝ファンで且つ、日本ファンという人が多く、ああいうことがあると、台湾に住む日本人は、やりにくい。
○ 一方で、ご本人には、心外な誉め方だろうが、駄目だとみるとさっと引くこの手際の良さは、見事としか言いようがない。確かに、へんにぐずぐずすると、台北、高雄の市長選挙にも影響したかもしれない。
○ 前回、心臓検査の為に訪日した際の日本政府とのやり取りをみていて思ったのだが、ネゴ屋(交渉屋)の視点からみると、李登輝のネゴは、まさに「見えているネゴ」だ。前回は、押しても大丈夫と踏んで、「日本政府の心臓は小さい」と大喝し、今回は、時間がかかるとみるやさっと取り下げている。
○ 「見えているネゴ」というのは、最初から綿密なシナリオを書いて、その通りにこなすという意味ではない。現場で交渉をしない評論家的立場の人がよく、「綿密なシナリオを準備しろ」なんていうが、現実の交渉事は、無限に多様で予測不可能なもので、何が起こるか分からない。従って、あまり細かいシナリオをつくっても、崩れた時の対応に困る。そこで、交渉の上手な人は、大まかに戦える材料をそろえておいて、後は、相手方の状況を注意深く観察しながら、臨機応変にやることになる。別の言い方をすれば、飛び石つたいに川を渡る時に、幾つか目指す石を見つけておいて、進む時、引く時の拠点の目処だけをつけながら進んだり退いたりする。押してもこわれないと思えば押すし、危ないとみれば平然と引く。準備するべきは、細かすぎるシナリオよりも良い眼鏡と運動靴である。李登輝のネゴは、実に、相手方の許容具合を正確に見抜いている人のネゴに見える。ちょっと美的感動すら覚える。
○ ところで、これは、交渉手段ではなくて、茶目っ気にすぎないが、次回の渡航目的は、「伊豆で温泉につかって、紅葉狩り」というのは、どうだろうか。引退した人間が、温泉につかってのんびりしようというのに、断るのは、日本人のメンタリティに反する。日本文学にも造詣の深い李登輝のことだから、色々と訪れてみて楽しいところも多いに違いない。これで、沖縄、九州、北海道など日本の各地の貴重な観光収入になっている台湾人観光客をよべれば伊豆にとってもありがたい。「統治を引退したので湯治ですわ。かっ。かっ。かっ。」とでもしゃあしゃあ言って、日本の要人と湯船につかっていれば愉快ではないか。
12月16日
台湾の市長選挙 飲み屋のママ編
○ 選挙が終わってすぐ、飲み屋のママさんが選挙についてコメントしてくれた。これが、いかにも台湾の庶民の感覚が伝わってきて面白かった。尚、このママさん、年齢は40歳くらい、本省人と思われる。
○ 今回の選挙は、民進党は、とにかく勝とうとして、ちょっとみっともなかったわねえ。高雄市の演説で、民進党は、「謝さんが再選されたら、水道水がミネラルウォーターになる」なんて、誰が聞いても嘘だって分かることをいうから、応援している人もしらけちゃたよねえ。謝さんが既に3年市長やってなおらなかったのに、同じ人がもう一回市長やって直るはずないじゃない。(高雄市の水道の質が悪いのは、有名。)
○ 台北市の洪水とか、水不足を理由に馬英九市長を責めていたけれど、あれは、どうしようもないよ。民進党の市長でも、駄目だったろうねえ。(台風による洪水で台北市内が大変な被害がでた。その翌年、今度は、水不足で、台北市内で、断水をすることにまでなった。)
○ 陳水扁は、いつも「馬は、○X」と呼び捨てにして、馬市長のことを非難するんだけれども、あれは、印象悪いわねえ。馬市長は、まじめに「陳水扁総統」といつも呼んでいるよ。そういうのは、好感が持てるよね。
○ 陳水扁は、いい人よ。本当に台湾のことを思っている。でも、民進党には、陳水扁以外に人気のある人はいないねえ。
○ 李さん(今回の台北市長選挙の民進党候補。馬市長に大差で敗れる)て、いい人らしいねえ。この前、病院の待合室でたまたま話をした人の息子さんが、李さんの同級生だって。その人は、外省人なんだけれども、李さんは、本当にいい人だといってたわ。外省人の人がいうんだから、本当にいい人なんだろうねえ。
○ 馬さんは、失敗もしなかったけれども、いいこともしてないわね。それを批判されたけれども、そんなにいいことをしなくてもいいのよ。悪いことさえしなければ。
○ とにかく私たちは、仲良く暮らしたいのよ。外省人とも、もめずに暮らせたらそれが一番。
12月12日
台湾市長選挙 高雄編
○ 台北市長選挙は、最初からの予想通り馬英九氏の再選となった。これに対して、高雄市長選挙は、立候補擁立の過程から最後まで、波乱の連続であった。
○ 民進党は、当然、現職の謝市長の再選を目指した。もともと、台湾の南部は、独立志向、台湾意識が強く、民進党の地盤だ。その南部最大の都市高雄市では、民進党有利は、動かない。しかし、高雄市で民進党が負けるようだと、それは、陳水扁総統への台湾全体の世論から不信任をつきつけられたことになる。陳水扁と民進党にとって、「有利ではあるが、絶対に負けられない選挙」である。
○ 一方、宋楚瑜は、今年春頃までは、張昭雄親民党副主席の擁立を想定していた。しかし、今年6月、嘉義に地盤を持つ張一族の張博雅(前内相、女性)が立候補を表明し、与野党の支持を呼びかけると、親民党は、これに応じて、張昭雄を降ろして張博雅支持にした。当時、張博雅は、人気が高かったので、宋楚瑜は、これで勝てば、次回総統選で高雄と嘉義の両方に地盤を築けると考えたからだ。
○ 国民党は、しぶる前副市長の黄俊英を口説き落とし擁立した。その後、国民党と親民党は、候補一本化調整をしたがまとまらなかった。親民党は、台北で国民党の馬市長を支持しており、高雄でも国民党候補を支持していては、党としての存在感が薄れてしまうからだ。
○ こうして野党が候補の一本化に失敗するに及んで、選挙戦開始時点では、俄然、現職の謝市長が有利となった。ところが、ここからが面白い。親民党の支持する無党派系張博雅の支持率がどんどん下がりだす。張博雅は、考試院の副院長の就任を立法院の反対で果たせず、その直後に、高雄市長選挙出馬を表明した。これを庶民は、「考試院がだめだったから、高雄市にでた」とうけとめて反発した。
○ ある程度支持率が下がると、張を支持していた人々が、「勝てない候補に投票するよりは、意見の近い勝てる候補に」と、黄国民党候補に支持を変えていった。これは、台湾で「棄保」と呼ばれている現象で、台湾の選挙では、しばしばおこる。ある人を「棄て」別の人を「保つ」訳だ。この「棄保」が起こると選挙戦終盤で、大逆転が起こる。今回は、「棄張保黄」である。
○ こうして、黄候補が謝市長を猛追する。世論調査結果が出るたびごとに、差が縮まっていく。一時は、20%以上差があった支持率が、11月25日には4.5%にまで縮まる。そこで、宋楚瑜は、張博雅に野党勝利の為に身を引くよう説得する。これが、不調に終わると、11月28日に、宋は、黄候補(国民党)の支持を正式に表明した。野党候補が統一した効果は、大きく、遂に謝氏と黄氏の支持率が逆転する。一大事である。陳水扁、李登輝も含めた大物政治家が次々と高雄に入り、てこ入れをはじめ、両軍必死の選挙となった。
○ 結果は、謝氏38万6384票、黄氏36万票1546票。2万5千票差で、謝氏が辛うじて勝利した。投票率は、70.67%。
○ 台湾の選挙を見ていて思うのが、まるで世論が一つの意思を持った主体であるかのように、絶妙のバランスをもった結論をだすことである。今回の選挙でも、陳水扁に対しては、「見捨てはしません。しかし、今のままでは、いけません。頑張りなさい。」と言っているようである。高雄市で負けるようなら、あるいは、台北市で馬市長が、100万票取るようなら、陳水扁政権は、レイムダックになった可能性がある。世論は、それを避けた。また馬市長には、「問題は、ありません。2年後に総統選の有力候補であることは認めます。しかし、それは、確定ではありません。」と言っているようである。
○ 次回は、番外の「飲み屋のママ編」を書いてみます。
12月11日
台湾の市長選挙 台北市編
○ 12月7日に、台北市、高雄市の市長選挙があり、結果は、両市とも現職が再選した。台北市は国民党の馬英九氏が、当初予想通り順当に再選された。高雄市は、民進党が強い南部なので選挙戦開始時には、民進党の謝長廷の圧勝が予想されたが、国民党の黄俊英候補の猛追を受けた。しかし、なんとかかわし、現職の謝が勝利した。
○ 今回の選挙では、2年後の総統選挙をにらんで、立候補する可能性があるとみられる4人の政治家の虚虚実実の駆け引きがかいま見える。その四人とは、陳水扁総統(民進党)、馬英九台北市長(国民党)、宋楚瑜親民党主席、連戦国民党主席。
○ 2年後の総統選について、陳水扁総統は、国民党と親民党が別々の候補を立てると、勝つ可能性が高いし、親民党と国民党が候補を統一すると、負ける可能性が高くなる。特に、馬英九台北市長か、宋楚瑜親民党主席が、野党統一候補になると、勝ち目が薄くなる。宋楚瑜の方は、何とか、国民党と親民党の統一候補になって陳水扁と戦いたい。連戦は、選挙で人気がないが、自分が降りたときには、宋も降りるべきだと思っている。52歳の馬英九は、宋楚瑜と連戦のごたごたに巻き込まれてイメージが悪くなるくらいなら、2年後の総統選を見送り、他の3人の力が衰える6年後に立候補する方が、まだいいように見える。ここまでが、予備知識である。
○ では、台北市。民進党の陳水扁は、立候補者の選定について、圧倒的に強い馬英九との正面衝突を避けた。葉菊蘭(前運輸相、台湾独立の為に焼身自殺した鄭南榕の妻、客家)などの民進党の実力者が馬英九に負けて傷がつくことを避け、クリーンでまじめだけれども知名度の低い李応元・前行政院(内閣)秘書長(49歳、ハーバード大学修士卒、長く独立運動をした)を候補者にする。李応元は、ここで負けても名を広めれば十分との判断である。しかし、大敗だけは、是非避けたい。馬英九が大勝したりすると、陳水扁に勝てる候補として野党がまとまってしまい次回総統選で馬英九が野党統一候補になってしまう可能性がある。
○ 選挙戦途中で、大敗の予想が出始めたので、陳水扁は、なりふり構わず応援し始めた。まじめな候補者である李応元が「私はこういうやりかたは嫌だ」というのを説得してまで、ネガティブキャンペーンをはった。しかし、それも、却ってマイナスになってしまった。馬が香港生まれの外省人であることも持ち出してみた。これは、外交と縁の遠い市長選挙では、得点にならず、却って、外省人も本省人も仲良く暮らそうと思っている良識的な人々から反感をかった。
○ 最後は、「馬は、市長任期を全うせずに総統選挙に出るつもりで、まじめではない」と挑発した。これを否定すれば、次回総統選で出てきた時に「うそつき」と批判できるからである。しかし、馬は、平然と「総統選にはでない」と言い、また、ポイントを上げる。結果的には、危機感を持った民進党支持者のふんばりもあり、馬の100万票獲得だけは、かろうじて防いだ。
○ 宋楚瑜は、負け馬に乗っても仕方がないので、国民党に恩を売る意味もあり、馬英九支持にする。最後は、集会で有権者にいきなり跪いて馬支持を訴えた。
○ しかし、馬英九は、最後まで宋楚瑜と握手はしなかった。馬にとっては、宋楚瑜の支援なしでも台北市長に当選できるし、連戦がそれを恨んで、党組織で嫌がらせをしてくる方が面倒だ。馬英九は、「○もないし、Xもない。ただ、顔がいいだけ」と言われている。それが、性格なのか、作戦なのか分からない。迫力がないとも言われるが市民の支持は高い。台湾が成長し、社会が安定したので、時代があくの強い政治家よりも、スマートなリーダーを求めているようである。
○ しかし、別の見方もありえる。李登輝も総統になるまでは、まじめだけがとりえの学者と思われていた。丁度今の馬のような印象だったのかもしれない。そう思うと、不思議な気持ちになる。
12月10日
田中さん
○ 先日、知合いの紹介で、高名なゲノム分野の研究者のXさんが台湾に来られた時に、お酒を御一緒した。偉い人なのに、とても気さくな方で、楽しくお話を伺った。Xさんの研究分野は、ノーベル賞をとった田中さんとも関係している分野なので、自然と、田中さんの話になった。
○ 田中さんのノーベル賞受賞の報を聞いていて最初のXさんの印象は、「ノーベル賞を決める側がよく探しだしたなあ」というものだ。田中さんの論文は、全部で10くらいしかなくて数も少ないしそんなに引用もされていない。英語の論文も、サマリー程度のものしかない。本当に、日本人のその分野の研究者ですら殆ど知らない人だったとのことである。Xさんも、たんぱく質の解析機の有力メーカーが欧米系なので、欧米の研究者の発見によるものと漠然と思っていた。ノーベル賞財団側が相当綿密に探していかないと、田中さんまでいきあたらないはずだとのこと。
○ 研究の内容に就いては、たんぱく質の質量解析というのは、一つの重要なジャンルとして成り立っておりノーベル賞の対象になって、とりわけ不思議なものではないらしい。今は、遺伝子は、殆ど解析されてしまっているので、「ポストゲノム」と言われ、たんぱく質とかの分析に移っており、ノーベル賞もその流れで来ているのではないかとのことである。
○ 僕も、酒の勢いで、日本の社会は、「評価するシステム」が弱いと持論を話したりした。例えば、学会の賞を決める人などは、今度の田中さんのノーベル賞受賞で、「見つけられなかった責任」を追求されるべきだと思う。Xさんによると、昔、Natureかサイエンスかの有名な専門誌の選考に落とされた論文が、ノーベル賞を取った有名な事件があった。研究者の方も、評判が高まりだすと、その研究の発表をする度ごとに、専門誌側の掲載拒否の手紙をプロジェクターに大写しにして皮肉っていた。そして、ノーベル賞受賞が決まると、その専門誌の選考委員は、辞職したという。日本の社会は、「評価する人」をちゃんと評価し責任を取らせるシステムを確立しないと問題だと思う。
○ Xさんの講演に、つい数週間前にも、田中さんが来ていた筈で、あの時、「主任 田中」の名刺をもらっておけばよかったと、笑っておられた。確かにどう考えても、「フェロー 田中」の名刺より価値が高い。
12月8日
多数決
○ どすんばたんとやった道路公団民営化委員での議論で、「多数決」という言葉がサラリーマンの僕の耳に妙に違和感をもって残った。どうしてだろうと自分でも不思議に思って考えてみた。
○ 「多数決」というのは、僕のような民間企業の平社員には、日頃滅多にお目にかかれない意思決定手法だ。新聞やテレビでは、選挙や国会のことが報じられ、国連の決議から政党の代表や、市議会の決定に至るまで、多数決が世の中に満ち溢れているかのよう報道されている。これを見ていると、僕も学生の時に自然にそう思っていたが、学生さんや、主婦の方、さらには、そうした人々に直接接するマスメディアの方々は、多数決というのをごく自然な方法と受け止めているかもしれない。しかし、民間企業の世界では、多数決で物事が決まり進んでいくことは、珍しい。
○ かといって、「道路のことは、多数決で決めるようなものだろうか」という批判をした、いわゆる抵抗勢力がイメージするような、根回しと、見せかけの全会一致による意思決定も、もう、今の日本の状況では、間尺に合わないように思える。稟議制度によってシステム化されたこの「見せかけの全会一致方式」が、今の日本の状況には、向いていないことをこの10年、日本企業は、思い知らされてきた。ヒット商品開発の裏話を聞くと、殆どの場合、反対者の方が多かったというような話ばかりで、全会一致のシーンを探すのは難しい。
○ 多数決も全会一致も駄目となれば、結局、ごく自然に一般人が当たり前のように受け止める意思決定手法というのは、次のようなものだろう。意思決定は、責任ある者が、自分の責任で決める。ただし、意思決定者は、その前には、周囲の意見を慎重に聞き、且つ、意思決定の後には、十分に理由を周囲に説明する。そして、結果的に失敗であったなら、なんらかの責任をとる。逆にいえば、失敗すると責任をとってひどい目に会う人が、一人で意思決定をすべきである。
○ 上記のようなことは、ごくあたり前のように見えるかもしれないが、そうではない。例えば、現在の稟議制度では、担当部署から関係部署に順次回議し、全ての了承をとってから、決裁者が、決裁をする。結果的に、失敗になろうとも、誰が責任を取るべきか分からない。また、逆に、非常にいいアイデアに反対した場合も責任を追及されることはないので、突飛な案は、とりあえず反対しておこうとする。(「ことなかれ主義」)例えば、関係部署は、あからさまな反対をしなくとも、原案の特徴が死んでしまうような、いわゆる「骨抜き条件」をつけてしまう。全会一致が前提である為に、発案者もその条件をのまざるを得ない。今の、「小泉改革」でもよく見られた風景である。しかし、この風景は、政治の世界だけでなく、民間企業でもかなり広く見られる。
○ 従って、一般的にはごく当たり前に思える、「責任者が責任を持って決める」方式をそのまま具体的に制度化すると、日本の企業や役所のかなりの人が驚くことになると思われる。例えば、稟議の制度を次のように変えるというと、目をむく会社幹部が多いのではないだろうか。発案は、同時に関係部署に伝達される。各部署は、規定された日時以内に(例えば48時間以内)に、賛成、反対をはっきり示す。決裁者は、関係部署からでた賛成意見と反対意見を参考にして、自分で決める。そうして実行されたプロジェクトが、結果として、成功の場合は、そのプロジェクトに反対した者、及び、変な条件をつけた者や部署が減点となり、給料が減る。意思決定に責任を持つということは、YESだけでなく、NOの責任も取るのはもちろんである。(「NOの責任をとれ!」)
○ 要するに、「仕事で意見を述べ、意思決定する以上、自分で責任を持て」というだけのことで、日本の会社に勤めていない人には、普通のことにみえるような話である。ところが、この普通のことが、政治でも、役所でも、民間企業でもできていないという気がしてならない。
○ 例えば、話を戻して、道路の議論をみてみよう。道路公団民営化委員も、それに反対の道路族の議員も、20年後の高速道路の収支状況によって、自分の家屋敷が全部裁判所に差し押さえられるような人は、一人もいない。ね、こういうことなんですよ。
12月2日
何の為誰の為
○ ご無沙汰しています。ばらばらと最近想うことを綴ります。
○ 北朝鮮から戻られた方々には、感心している。あれだけべったりマスメディアが密着して報道しているにもかかわらず、これといって、ひんしゅくをかうような失言がない。僕など、あれほど厳しい環境でないのに、一週間に一度は、「またやっちまった失言」をしてしまう。彼等の精神力と忍耐強さには、本当に感嘆する。表現は、悪いが、さすがかの地で生き延びてこられただけのことはあると思う。それにしても、もう少し、適正な距離をおいた報道はできないだろうか。
○ 道路公団民営化委員が、いささかはしたない程度までに激しい議論をしているらしい。僕は、一般的な意見と違って、あんまり悪いことでは無いように思う。あれで、すんなりニコニコどちらかに決まる方が、世間はしらける。みんなの見ている前で、口げんかをすることのほうが、知らない間に国の借金が増えていくより健全だ。少なくとも、民主党内の議論よりは、まだましだ。
○ 「雇用無き収益改善」を見ていると、「会社は株主のもの」という発想に?(はてな)が浮かんでしまう。少なくとも、まず、会社というのは、人間が幸せになる為の道具なのだから、「会社の為の会社」ではなく「人間の為の会社」というのを原点にすえるべきだと思う。また、「会社は、株主のモノ」というのを認めるにしても、それが即ち「会社は、100%株主の為のモノ」を意味しないことを、再確認してみたくなる。いやいや、そんなに高尚な発想ではなく、ただ、ちょっと、サラリーマンの愚痴がたまっているだけのことです。はい。
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