台湾日記  2004年8月〜
 
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8月31日
デジタル家電で勝ちきるために −台湾的経営10(8月29日の続き)
● 日本メーカーがデジタル家電で勝ちきるためには、どうすればよいだろうか。まず大局観として、デジタル家電において、日本は、世界のトップにいるのは間違いない。「家電」のブランド力においても、アナログ技術を鍵とする技術面においても、部品材料の面でも、リードしている。一方で、台湾とアメリカは、パソコンで成功した分業体制を活用し、技術的にはデジタル技術の高度化により、デジタル家電の分野で日本に追いつき追い越そうとしている。結局、過度の悲観論も楽観論も排し、現実に即した方向性を出す必要があるだろう。また、台湾的経営をよく分析し、どこでどのように競合し、どのように協力するのか、メリハリをつけて対応するべきだろう。

● 具体的には、次の表を見ていただいた上で、ばらばらに箇条書きの説明を加えたい。

ブランド 設計 製造 世界市場 日本市場
高級ブランド 日本 日本 日本 . High
EMS 日本 日本 台湾
(中国工場)
High Middle
ODM
Dell/Quantaモデル
日米欧 台湾 台湾
(中国工場)
Middle Volume
標準基幹部品
Intelモデル
Local
(中国等)
台湾 台湾
(中国工場)
Volume .


● 日本メーカーは、デジタル家電の分野では、まだまだリードしており、「選択と集中」の名のもとに、次のように消極策を過度にとるほど、追い詰められている訳ではない。「生産を全て中国に」、「アーキテクチャー作りは全てアメリカに依存する。」、「低価格の普及品市場には、部品も含め一切手を出さない」、「生産しても中国との競争に勝てないので、中台韓の企業の全て技術供与してしまえ」などなど。しかし、今回のデジタル家電のブームは、日本メーカーにとって数十年に一度のせっかくのチャンスなのだから、あらゆる分野、あらゆる市場で、最大限利益を享受したいし、それは、台湾企業との分業をうまく活用すれば可能である。

○ デジタル家電製品は、どの地域の市場においても、高級品、中級品、普及品とセグメントが分かれている。テレビであっても、画像が映るというだけなら高級品も低級品も同じであるが、微妙な色具合がいいかどうかで決定的に違う商品になっている。この微妙な性能の違いで、値段が大きく違い、使われる技術も異なっており、従って、製造の分業のあり方も違ってくる。この市場セグメント別の分業形態の変化の流れに乗るべきである。但し、日本市場だけは、他の世界市場と違い、価格が高くてもワンランク上の性能が求められる。日本市場だけ見ていると世界市場での作戦で的外れになるので注意が必要である。

○ 中級品や普及品では、台湾企業との上手な分業を行うべきだろう。台湾の得意とするモジュール型製造による大量生産の手法に学び、それにのっかるようにして、日本メーカーの製品を延ばしていきたい。日本的な過剰スペック過剰仕様にこだわり、台湾企業に説教をしているようだと、先が思いやられる。

○ 最終的には世界市場に向かっていること、そして、大量生産の期待できる仕組みにしなければならない。そうでなければ、台湾企業は、のってこない。台湾企業がのってこないのに、中級品、普及品市場で、日本のメーカーが多品種少量生産で対抗しても、物量で迫るアメリカ/台湾分業に負けるだけである。

○ 上の表で、EMSやOEMについては、既に日本メーカーの殆どは取り組んでいるだろう。鍵となるのは、標準基幹部品の活用である。世界での普及品市場では、日本メーカーが自分で設計をしていたりしては、もちろん、OEM供給を受けて自分のブランドをつけるだけでも、自分を縛る品質基準が厳しすぎて価格競争に勝てないだろう。このセグメントでは、標準基幹部品を参照設計付で台湾メーカーに供給するのが適切だと思われる。

○ 日本メーカーは、技術的にも、デジタル家電において、標準基幹部品となりうるコアの技術を持っている。例えば、TV用の画像処理の技術、ハイエンドのTV用LCDパネル、デジカメ用の基幹部品、プロジェクター用の基幹素子、及び光学部品などである。素人のアイデアだが、デジカメ用に、ズームモジュール、CCD、画像処理用ICの3つがセットになって、整合性をとってフィアンチューニングできるようになっていれば、買いたい台湾企業はたくさんいると思う。

○ 前述したとおり、日本のメーカーが標準基幹部品の活用する際の問題は、技術力というよりも、経営だと思う。標準基幹部品を普及させるには、公開すると決めた技術については、手取り足取り教え、隠すと決めた技術は、徹底して見せないというメリハリの利いた対応が必要になる。

○ ここでも、上記の市場セグメント別に対応を分けるという考え方が生きてくる。日本市場の高級品のセグメントを狙う商品は、秘蔵の高級技術を使って作り、その技術は公開しない。普及品については、基幹部品まで出して、量の販売を狙う。そうしたセグメントごとに分けた対応は、実は、インテルもやっていて、普及用パソコンレベルだとCPUを標準基幹部品で供給し、高級なサーバーになると自分でサーバーを供給したりしている。

○ 上記は、日本のメーカーの総和としての話である。会社によって、自分達がとるべきは、上記の内の一部だったりするだろう。また、大手総合電気メーカーなら、全てをできるだろう。それは、その会社の自社の持っている経営資源によると思われる。

● ここまで、色々説教臭く、偉そうなことを述べてきた。しかし、これまで書いてきたことは、特段に鋭い洞察による独創的なシナリオと言うわけではない。それぞれの部分部分の記述は、電子産業にいて台湾企業と付き合っている日本人なら、誰しも思っているようなことである。そういう担当レベルの人が、みんな同じように困っている。というのは、自社の経営方針を決めるレベルの人が、新聞、雑誌の情報に引きずられて、この実態をよく理解できていないからである。担当レベルでは、社内で、繰り返し繰り返し次のような質問に答えている。「台湾なんてもう空っぽで、時代は、中国ではないのか」「デジタルの時代に、今時アナログ技術ではないだろう。そんな技術は技術供与でお金にかえてやめてしまえ。」「日本は、オンリーワンの商品しか生き残れないのではないか。それ以外は、やめてしまえ。選択と集中だ。」こういう質問に対して現場のビジネスマンや技術者が答えるときにこの「台湾的経営」のシリーズの説明がお役に立てればと思って書いてきた。

○ また、もう一つの目的は、以前に書いたが(4月12日)、台湾の人々が自分達のアイデンティティを、その最も得意とするビジネスの分野で確立すればいいのではないかと思って書いた。いずれにしても、書き進むほどに、ビジネスの経営においては、台湾人が世界で一番うまいのではないかという思いを強くするばかりであった。その意味で、この「台湾的経営」は、4月4日から始めた「台湾の明日」シリーズの続編でもある。
(「台湾的経営」のシリーズは、これで一旦終わりとします。)


8月29日
日本企業の方策 −台湾的経営9(8月26日の続き)
○ 日本企業が、デジタル家電で勝ちきるためには、デジタル家電の技術的な核は、何か、それに対して、日本メーカー、台湾企業、アメリカ企業がそれぞれ強いのはどこかを把握する必要がある。その上で、台湾企業の経営的特長を理解し、台湾企業のパワーを使う形で、進んでいくのが得策だというのが僕の意見である。ここでは、まず、以前に書いた「デジタル景気?」(6月7日)と「液晶テレビ」(6月8日)をもとに、簡単に振り返ってみたい。

○ 薄型テレビやデジカメの「デジタル家電」で日本企業が潤っている本質的な理由は、「デジタル家電」が優れたデジタル技術を必要とするからではなく、日本企業が得意とする高度なアナログ技術を必要とするからである。デジタル家電の技術的な特徴は、パソコンの製造などで広く普及し安定してきたデジタル生産技術と、最先端のアナログ技術を上手に摺り合わせ融合したことにある。日本の景気回復という視点から、この好調な製品群の特徴を技術面から表現するなら、デジタル技術よりもむしろアナログ技術にスポットを当てるべきである。

○ つまり、日本のメーカーの強みは、電気的な技術でも高電圧などアナログ的機能の強いもの、光学系技術、化学材料の技術、紙送りなどの経験がものをいう技術などである。そして、パソコンなどのデジタル製品と違って、薄型テレビやデジタルカメラなどのデジタル家電では、こうした高度なアナログ技術が鍵になっている。

○ デジタル技術というのは、操作しようとする事象を0と1の数字に記述し処理しようとするもので、本質的に「伝達可能な技術」である。これに対比されるアナログ技術は、本質的に記述不可能な技術を含んでおり、「暗黙知」につながるものである。

○ デジタル技術というのは、伝達可能な技術であるからこそ、技術の流通と蓄積の効率がよく、急速に進歩もし、大量に普及した。パソコンの分野で、典型的に起こることだが、何年もの間巨大企業がああでもないこうでもないと苦労していた問題を、ある日ある学者が「いいこと思いついた」といって解決してしまうことがある。そして、あっという間に普及してしまう。インターネットの普及などもこの例と言えるだろう。

○ これを、ビジネスの視点から見ると、デジタル技術の分野では、新規参入も技術の移転も容易で、それだけに競争が厳しい。また、大量生産すれば価格が低下しやすく、費用逓減効果が期待できるので、激烈な価格競争とともに価格低下が起こる。だからこそ、最終市場でも急速に普及することがある。これこそが、モジュール型製造にむいており、台湾的経営が得意として、成長してきた分野である。

○ デジタル技術というと華やかで最先端の印象が強いが、ビジネスとしては、マイクロソフトやインテルのように絶妙のポジショニング(位置取り)ができた少数の例外を除いて、ほとんどの場合、低利益率の大量生産のビジネスにいきつく。それは、「伝達可能な知識」を扱うデジタル技術の本質であり、もっと強く言えば、「定義的に」(by definition)そうだといえるだろう。

○ 一方、日本のメーカーは、長年のモノづくりの経験で得た暗黙知を、終身雇用で囲い込んだ技術者に長い時間をかけて伝達し、蓄積して、改良を重ねることによって、アナログ技術を少しずつ進歩させてきた。今たまたま、その蓄積した高度なアナログ技術と、デジタル技術を融合させると画期的な商品ができるということになった。当の日本メーカーの方では、急にスポットライトを浴びて戸惑っているむきもあるようである。しかし、この高度なアナログ技術こそが、まねをされにくい日本企業の強さであり、今後も活かすべき貴重な経営資源である。

○ 今、液晶テレビの分野でどういうことが起こっているかというと、日本勢がブラウン管テレビや一日の長のある液晶製造技術などで長年培ってきたアナログ技術をもとに一歩リードしている。一方、台湾、アメリカ勢が、パソコン用モニターで培った、安価でそこそこの性能がでるデジタル技術を高度化することで、日本勢に追いつこうとしている。例えば、モニター用ICメーカーが標準品としてのテレビ用ICを開発し、複数の台湾メーカーに販売していこうとしている。繊細なアナログ技術を使って逃げる日本勢を、デジタル技術でねじ伏せようとする台湾・アメリカ連合が追いかけている構図である。「デジタル家電」の本質は、「デジタル」よりも、アナログ技術を含んだ「家電」であることは、日本企業の経営を考える際に繰り返し強調したいところである。

○ 結局、普及期にはいっているデジタル技術分野では、台湾的経営が実に上手く適合しているので、日本がそのアナログ技術の優位性を活かすには、台湾企業との上手な連携へともちこむことになるだろう。

○ つまり、日本は、台湾から、デジタル系のLCDパネル、デジタルIC、無線LANなどの各種基板モジュールを購入し、自社のアナログ技術と組み合わせ、デジタル家電に組み上げ世界市場に販売する。台湾は、日本から、アナログ系の、アナログIC、光学部品、化学部品などを購入し、欧米のブランド(OEM)で世界市場で販売する。この両者が上手く機能すれば、台湾、日本とも最終的には世界市場に向かっており、数量が期待でき、価格低下を図ることができるだろう。

○ 以上のような考え方を簡単なポンチ絵にまとめるとココのようになる。(ココをクリック)

(次回は、「台湾的経営」の最終回です。)


8月27日
台湾、金メダル!
○ やりました!台湾でオリンピック正式種目初のメダルです!それも金!それも男女同時に!テコンドーの女子49キロ級陳詩欣選手と、男子58キロ級の朱木炎選手です。みんな大喜びです!!びっくりマーク大奮発!!!

○ ところで、自民党幹部が明らかにしたところでは、台湾の李登輝前総統が9月下旬に松尾芭蕉の「奥の細道」ゆかりの地を訪れるために来日したいとしているそうです。(産経新聞による) そういえば、これが理由なのでしょう、李登輝学校台湾研修団の訪台が9月25日〜29日から10月30日〜11月3日の予定に急遽変更されたようです。来日が9月下旬でなければならないふかーい理由がきっとあるにちがいありません。それにしても、李登輝さんにとって、日本への道は、なんと奥の奥の細い細い道でしょう。


8月26日
つながれた競争 −台湾的経営8 (8月23日の続き)
○ 最近、藤本隆宏氏がよく紹介しているように、製造技術は、「モジュール型製造」と「すりあわせ型製造」に分けることができる。日本は、すりあわせ型製造に強く、アメリカは、モジュール型製造がうまい。この説明では、モジュール型製造について、アメリカ企業がいかにモジュール型製造のアーキテクチャー(設計思想)を決めるのがうまいかという議論ばかりがされがちである。しかし、モジュール型製造を成功させているのは、アーキテクチャーを決めているアメリカ企業だけではなくて、そのアーキテクチャーに基づき次々とモジュールを高品質、低価格で大量生産している台湾企業でもある。

○ モジュール型製造は、アーキテクチャーが全てで、その量産にはたいした意味が無いかというとそうではない。もしそうなら、パソコンの量産において、台湾が、タイ、韓国、香港に対して圧倒的に強いことが説明できない。モジュール型製造の量産で成功するのもそう簡単ではなく、いくつか鍵になる能力を持ち合わせていなければならない。アーキテクチャーを作る側においても、その製造側での鍵となる問題を深く理解することが、モジュール型製造での成功に直結している。ここでは、モジュール型製造の一番の担い手である台湾企業の経営を分析していきたい。

○ 台湾的経営の典型例である、OEM生産、標準基幹部品の活用の経営スタイルをこれまで見てきた。これらの経営のスタイルは、共に、高い価格で売るために自社製品に特別の細工をしてコストがあがるよりも、他社と同じ仕様でより安く作ろうという意図に基づいた経営である。もともとコンセプトとして、商品差別化戦略というよりも、量とコストダウンの追求を目指したものである。

○ 日本人は、勘違いしがちだが、量とコストダウンの追求だからといって、技術レベルが低いわけでも無いし、遅れた経営手法でもない。台湾企業は、独自の性能を付け加えるために最先端の技術を作るのではなく、大量のものを安く作ることに最先端の技術を導入しようとする。半導体の製造でいえば、独自のICを作るのも最先端技術なら、プロセスの改善により、チップサイズを縮小し、歩留まりも向上させるのも最先端技術である。

○ 経営手法としても、これで利益が出せるなら、独自技術にこだわり多品種少量生産と商品差別化を追求するあまり利益をだせない日本企業よりも、よほど立派で、少しも恥ずかしくない。思えば、90年代の日本の製造業の停滞と、それと対照的な台湾企業の成長をみると、この「良いものを安く」というモノづくりの基本を日本企業が忘れてしまったからではないかとも思う。また、できることなら、高収益のものを少量売るよりも、インテルのように高収益のものを大量に売った方が、いいにちがいない。日本企業は、「多品種少量生産で高付加価値」を目指していたのに、いつしか「少量生産で収益確保」ばかりに重点が移ってしまい、結局、縮小均衡に落ちってしまったように見える。

○ この量とコストダウンの追求をするのに、台湾に特徴的な競争形態がある。僕は、それを「つながれた競争」と呼んで説明したい。村上泰介が、日本経済を「仕切られた競争」という概念で上手く説明したのに対比したものである。

○ まず、「つながれた競争」が典型的に表れるのは、部品材料の調達の場面である。日本企業が台湾に来て新規の購入商材を探すときは、台湾のサプライヤーに、「独自の技術、独自の商品はないですか。」としつこく聞いている。台湾企業の方は、戸惑ったように「値段では負けません。」とか、全くわるびれたようすもなく、「標準的な基本機能は我々OEMサプライヤーの方で、安定して出しますので、製品の特徴づけは、ブランドオーナーさんで行ってください。我々も協力します。」と返事をしている。

○ 対照的に、日本の部材メーカーが台湾企業に新開発の部材を売り込みにいった時、日本側は、技術のユニークさを強調し、これにより製品差別化が行えることを強調するのだが、台湾企業は、「これは、特注ではなくて、標準品で供給してくれますよね。」と念をおすことがある。標準品なら、量がでるから将来の価格低下余地が大きいし、サプライヤーが在庫を持っていれば納期も短い。たとえ、競合社に販売しているものでも、標準品の方がいいという訳である。もちろん、値段については、台湾の競合他社より安く買うことにこだわってくる。

○ こうした著しい対照をみると、台湾企業同士競争をしつつも、結局、共同購入しているのと同じメリットを引き出していることが分かる。これは、「競争的共同購入」ともいえるだろう。この「つながれた競争」の特徴である「競争的共同購入」の競争の場面をもう一つ挙げてみよう。

○ GSM携帯電話端末は、欧州とアジアで標準になっており市場が大きいので、一モデルで数百万台の大量の発注が、欧米系のブランドオーナー側から台湾企業に発注される。台湾企業は、台湾企業同士の激しい受注競争に勝ったときには、部材コストを足した額よりも低い製品単価で受注したりしている。そこからが台湾企業の腕の見せ所で、量産開始して数ヶ月すると大変な勢いでコストダウンを行い、なんとか利益を出してくるのである。

○ 量産後のコストダウンを計るためには、単に部材メーカーに安くしろとがなりたてても無駄であって、そんなハードネゴだけに依存していては、1年以上経営を続けられないだろう。台湾企業は、最初から、潜在的にコストダウン余力のある仕組みを設定しようとするつまり、購入する部品は、特注品は避け、殆ど全て標準部品で構成する。部材供給者は、余り多くにはしないが一社にもしない。どちらかというと2番目の部材供給者を優遇し、競争をあおる。また、潜在的にコストダウン余力のある部材供給者と組もうとする。また、量産開始後の工程改善もとても迅速に行う。先に述べたように、共同購入としてのメリットも出している傍ら、こうした技術上、経営上の厳しい競争を台湾企業同士で行っているのである。

○「つながれた競争」の技術の面でいうと、台湾では、日本よりも技術情報の流動性が高い。日本では、技術情報の流出を防ぐ意味もあって、終身雇用が守られてきた。いわゆるたこ壷型の人間関係でもあるので、技術情報が会社を超えて流通しにくい。しかし、台湾では、特に電子産業においては、三年もいるとすぐ同じ業界で転職する。この転職にともなって、技術が台湾内を流動して行く。みんなが転職を繰り返すし、また、職場を去った人とも個人的な人間関係は続けているので、激しい競争をしている会社の技術者同士が、実は、個人的な友人で連絡を続けている。この場合、微妙な性能競争では、相手を出し抜こうと内緒でやっているが、汎用性のある技術情報などは、あっという間に台湾内で流通していく。

○ 「つながれた競争」は、企業の存続競争でもみられる。半導体、LCDパネル、携帯電話キャリヤーのような新しい重要な産業が立ち上がるときは、我先にと4社も5社も創業されて、激しい競争をする。多くの独立した会社が競争する点が、韓国とは異なっている。しかし、そのうち勝ち負けが見えてきだすと、ある日突然、競合会社が合併したり買収したりして一緒になる。従って、倒産という事態にはなかなかならない。

○ また、時には、創業時から、普段は激しい競争をしている電子産業の有力企業がみんなで資金を出して、新しい重要な技術を実現するヴェンチャー会社を立ち上げたりする。奉加帖方式によるリスク分散である。このあたり、激しい競争をしているようで、相手の状況はよく掴んでいて、必要ならさっと手を組むのが台湾の経営者のすごみである。

○ 以上のように台湾的経営の特徴である「つながれた競争」が、モジュール型製造による大量生産に実に上手く適合している。言い換えると台湾の電子産業が、モジュール型製造による大量生産に実に適合した組織原理をもっていることが分かる。モジュール型製造によるメリットを日本企業が享受しようとするなら、この台湾的経営の特徴を最大限活かす方法を考えねばならない。


8月25日
柔道
(*) 台風による雨がようやく小降りになり、通りに人が出始めました。食器洗い機の中に36時間いたような気分でした。(14:23記) 

○ オリンピックで柔道が大活躍しました。日本がたくさんメダルをとったのも嬉しかったですが、柔道というスポーツがとても美しく楽しく世界にアピールできたのが、なによりもよかったのではないでしょうか。日本発の数少ない世界的なスポーツとしてとても誇らしく思えます。

○ ルールの改正もあったようで、以前の少しポイントをとって逃げ回るというものから、どの選手も積極的に攻勢にでるので、見ていて面白い。お互い攻めるものだから、本来の柔道の面白さである小さな選手が大きな選手をくるっと投げて一本勝ちするシーンが続きました。外国人の目にも美しく映ったと思います。

○ また、浅学の僕がどこにあるのか知らない国の選手がメダルを取っていくのをみると、こんなに世界中に広まっているのかと驚きます。やや残念な思いも残りますが、日本以外の国の選手が勝つことは、柔道の普及の為にはいいことでしょう。負け惜しみもこめて言えば、日本のエースである井上選手が見事に一本負けしたのも、柔道が世界で普及するのには、よかったのかもしれません。

○ カラー柔道着など、日本と海外との間でルールや運営について色んな議論があったようですが、僕は、あの青の柔道着、カラーとはいえちゃらちゃらしてなくて結構強そうですし、分かりやすくていいと思いました。柔道のエッセンスである、投げ技がより美しく見えます。絵になります。

○ 結局、本来の柔道のよさというのを活かしながら、世界への普及を行っていく。その普及の過程で世界の方から要請があれば、ちゃんと検討してとりいれていく。しかし、柔道の本質にかかわる部分は、譲ずらない。という過程が、結果的には、ちゃんと機能してきたのでしょう。交渉と調整をやっている本人達は、ごたごた続きで大変だったかもしれませんが。

○ それにしても、柔道でうまく投げたときの美しさには、感動します。あの美意識は、どうしようもなく日本だなあと思わせます。日本発で世界に普及したウォークマン、柔道、テレビゲームなどには、ジャンルは全く別なのに、何か共通する美意識で貫かれているように思えます。

○ 日本の文化を、「粋(いき)」とか「禅」とかという、一般の外国人に分かりにくい言葉で説明するのを僕は今まで避けてきました。しかし、柔道でも見せつけられた日本の美意識を、普通の言葉で説明できるかと考え出すと、これは、難しいかろうなあと唸ってしまいます。


8月24日
台風
○ 台風が来ておりまして、今日も休み。明日も休み。飛行機が飛ばないので、予定の出張者も入って来られません。休みだ。やったー、オリンピック見よ。と思ったら、雨が強いので、BS放送が上手く映りません。がっかり。確かに、結構強い雨が降っています。こんな調子で二日連続降ると、色んなところで災害がでるのじゃないかと心配します。

○ お店も休み、飯屋(めしや)もマクドナルド以外は、ほとんど休みです。おかげで、おいらは、一日マック2食で、スマイル0生活です。昨日、ウキウキなんて書いたら、ばちがあたりました。とほほ。


8月23日
標準基幹部品の活用(インテルモデル) −台湾的経営7(17日の続き)
(*) 明日8月24日は台風の為、台北市の会社・学校は休みです。不謹慎ですがちょっとウキウキですね。
(**) 今日のは、長い上にオタク的で、スイマセン!

○ 台湾とアメリカが巧妙な分業によってメリットを享受し、日本が売る側としても買う側としても活用できる潜在力を持っていながら、結局、ほとんど活かせなかったビジネスの仕組みがこの標準基幹部品の活用=インテルモデルである。インテル:パソコンのCPU、ブロードコム:通信ネットワーク用IC、nVidea:グラフィクス処理IC、などの北米の基幹ICメーカーは、参照設計(レファレンスデザイン)付で、自社の基幹部品を販売し、台湾企業と共に大きく成長した。

○ これらの基幹部品メーカーは、「ソリューション提供」と称して、基幹部品を標準化し、客先によって仕様を変えることなく、同じ機種を台湾の複数の会社に参照設計付で販売する。台湾のメーカーは、参照設計を使ってその標準基幹部品を回路基板に組み上げて販売していく。こうしてできた回路基板の市場では、使っている基幹部品も設計もほとんど同じで仕様や性能に差がないので、台湾メーカー同士激しい価格競争を繰り広げる。価格競争で値段が下がると、最終消費市場での製品の需要が急激に広まる。需要が増えると量産効果で基幹部品の値段が下がる。それだけでなく、その基板に使われている周辺の部品や、基板の製造のコストも急激に下がる。コストが下がるとまた販売数量が増える。

○ このようにして、世界中に急激に普及していったデジタルモジュール部品の例は、枚挙に暇が無い。グラフィックスボード、無線LAN、ネットワークボードなどなど...。パソコン自体がそもそもこの典型例だが、それと同じことが部品モジュールの分野でもおこっている。

○ 標準基幹部品の活用によって、供給する側のメリットは、多い。まず、上に挙げたように、機種数が減ることにより一機種あたりの数量が増え、基幹部品と周辺部品の量産効果が出せ、コストが下がるということがある。さらに、客によるカスタマイズをしないので、個別の顧客対応の技術サポートにやたらエンジニアのリソースをさかなくてもよくなる。

○ 一方で、サポートが容易になるということは、一品種の部品に対して、より深いサポートができることにもなる。日本市場では目立たないが、北米ではPDPテレビを越える人気であるDLP式リアプロジェクションTVの基幹素子を独占的に供給しているテキサス・インスツルメンツ(TI)は、プロジェクターメーカーに、その部品を使って製品設計する光学シュミレーション・ソフトウェアまで提供している。基幹部品を売るために、組み立てメーカーの設計工程まで体系的に、まさに手取り足取りのサポートをしている。

○ さらに、カスタマイズ要求を受けず、標準品の提供とサポートに限っていることは、技術情報やノウハウの流出を防いでいる。個別カスタマイズをしていると、組み立てメーカーと部品メーカーの間で、このカスタマイズは技術的にできるかできないか、どうしてできないか、といった議論を通じて、実は、技術情報が流出してしまう。また、個別カスタマイズした部品に不具合が発生し、予期せぬ事態に緊急に対応する必要がでて、まさしく「協力して解決する」過程で、得てして重要なノウハウが流出しがちである。この点、標準部品の提供だけならば、提供するノウハウと提供しないノウハウを予めはっきり区分出来る。また、不具合が発生しても、他の組み立てメーカーで発生していなければ、基幹部品メーカーのせいではないと突き放すことも出来るし、多くの組み立てメーカーで起これば、躊躇せず全力で当たることができる。

○ では、業界標準になりうる基幹部品を製造するだけの技術を持っている日本メーカーがどうして、この標準基幹部品の提供を台湾勢にできなかったのだろうか。この問いに対して、日本企業は、アメリカ企業よりもアーキテクチャーを構想する力に乏しいからと多くの説明がされている。

○ ここでは、視点を変え、その基幹部品を購入して製品を作ってきた台湾企業の側からの視点からみてみたい。いうまでもなく、この標準基幹部品モデル(インテルモデル)が成立したのは、基幹部品を提供した側とそれを購入し製品に作り上げた側の協力の賜物であって、台湾企業の実力と事情を無視できないからである。

○ 技術的にも、台湾側は、製造の段階で獲得した高度な技術を、アメリカ企業に提供してきている。インテルは、台湾のマザーボード大手アサスのフィードバックを受け、教えてもらいながら新しいCPUやチップセットをものにしている。台湾側が協力しやすい体制を作らないとこの標準基幹部品モデルは機能しない。

○ では、日本企業が、標準基幹部品を台湾企業に提供することができなかった理由を考えてみたい。

○ まず第一に、日本メーカーは、部品と製品の両方で実力があり過ぎたといえるだろう。部品製造だけでなく、その部品を組み込んだ製品も製造する技術もあるし、世界で販売するブランド力もある。完成品で勝負すれば、付加価値も高いのに、わざわざ技術のエッセンスである基幹部品を競合社に売らなくてもいいではないかという議論になる。しかし、これでは、いつまでも完成品の価格が下がらず、ひいては、その商品そのものの普及が遅れることになる。それは、また、コストダウンを遅らせることになる。

○ 新しい商品を世界中に急速に普及させるには、台湾企業の爆発力を利用したほうが有効だった。ある程度技術的に成熟し普及期に入ろうとする商品をそこそこの品質で安く作る点においては、日本企業より台湾企業の方が圧倒的に強かった。その状況認識が日本企業に足らなかったとも言える。

○ 次に、日本のメーカーがこの標準基幹部品の提供を始めると、その参照設計で、特殊で高級な部品を使いすぎることが懸念される。僕が、台湾の経営者に、日本メーカーが標準基幹部品を提供すればいいと思わないかと聞いたところ、台湾人の共通する答えは、次のようなものである。

○ 北米系の標準基幹部品のメーカーは、参照設計でどれだけ周辺部品に標準品を使い、安い部品で出来るようにするかに知恵を絞っている。日本メーカーが参照設計をすると、過剰品質をもとめて高級な部品やサプライヤーが一社しかないような特殊な部品を使いがちである。また、日本メーカーの多くは、部品の製造も行っており、どうしても自社製部品を参照設計にもぐりこませてしまうだろう。結局のところ、コストが高く、また、将来的にコストダウンが期待できないような設計になるのではないかとの答えであった。

○ さらに、日本のメーカーがこの標準基幹部品の提供を始めようとすると、技術流出を防ぐ社内ルールにことごとくひっかかり、社内手続きの為に迅速な意思決定ができなくなるだろう。

○ 上記の考察から、結局、標準基幹部品の供給では、どのノウハウや技術を提供し、どれを一切提供しないかというメリハリが鍵になる。公開すると決めたものは、本当に手取り足取り教えるくらいの姿勢で技術提供をする。一方で、その基幹部品の鍵になるような技術は、一切提供しない。こうした難しい判断をタイミングよく迅速に思いきってするためには、その商品分野で、技術的にも細部まで深く分かっており、市場の動向もつかめている人が、大きな権限と責任をもってやらなければならない。

○ 日本の電子メーカーがこの標準基幹部品の供給でなかなか成功しなかった理由の一つが、この日本のメーカーの意思決定スタイルと思われる。同じ日本メーカーでも自動車メーカーの経営陣は、自動車のことをよく知っているが、総合電気メーカーの経営陣は、デジタル製品の細部までは、知らない。にもかかわらず、技術流出関係で重要だということで、デジタル製品のよく分かっているレベルにまで権限がおりきっていない。そうすると、メリハリの利いた迅速な意思決定ができなくなってしまうのである。

○ 上記に指摘した台湾企業の視点からみた、日本企業の課題を再述すれば、次のようになる。
− 提供する技術と、隠す技術のメリハリの利いた仕分けをしなければならない。
− そのために必要で十分な知見のあるレベルまで、権限がより現場近くにおりていなければならない。
− 製品部門と部品部門との経営上の整合性をとらなければならない
− これからの製品で基幹部品、そのもとの鍵になる技術をみきわめなけれならない
今後、日本メーカーがデジタル家電で勝ちきるために、標準基幹部品の提供を行うならば、上に挙げた課題に対する解を用意する必要があるように思われる。


8月21日
二世
○ 社会人になってから、見方が正反対になったものの一つが「二世」を見る目だ。社会に出る前は、「二世」経営者というと甘やかされて育っていて、会社が維持できているとしても番頭頼みで、得てして放漫経営の末に会社が傾くものだと思っていた。しかし、社会人になってから、中小企業の二世経営者に直接話してみると、とても有能で責任感の強い人が多くいることを知った。

○ これらの二世経営者は、率直に言って、普通にリクルートしていては、この程度の小さな会社に決して入ってこないだろうと思うような立派な学歴と、優秀さがあり、しかも、あたりまえだが、愛社精神に満ちている。人格などは、超個性的な創業「一世」よりも立派だったりする。「世襲」などと批判されるけれども、中小企業にとって、「二世」は、貴重な人材調達源だと、今では思っている。

○ アテネオリンピックでも「二世」が活躍している。体操、レスリング、重量挙げ、ハンマー投げなど、多くの種目で二世の選手が活躍している。これも、先に述べた、「二世」経営者と同じ事情があるかもしれない。ずば抜けた運動神経のある人は、普通、野球などのメジャーなスポーツに行ってしまいがちだ。しかし「二世」選手は、「一世」の影響を受け日本でややマイナーな、とはいえオリンピックではメジャーなスポーツに子供の頃から接してきたからこそ、その種目を選択し、世界の一流になったのだろう。室伏選手なんて、見るからにどのスポーツをやっても一流になれたように思う。

○ 政治の世界でも二世批判がある。シンガポールでも、リー・クアンユー元首相の息子のリー・シェンロンが首相に就任した。僕は、この新首相について全く知識がなかったが、先日、間近に接した人から話を聞くと、「ありゃ、ずば抜けて優秀。もしかすると、親父より偉いかもしれない。」とのことであった。リー・クアンユーより優秀な政治家なんて、僕なんかには、想像も評価もできない。

○ 確かに、首相就任前に中国の批判を押し切って台湾に行くなんて、ぼんくら息子だったらできない芸当だろう。その人によるとあれは、「おれは、親父とは違うぞ」という中国へのメッセージなのだそうだ。このあたりの中国人同士の高度な駆け引きとなると、解釈するにも僕の能力の限界を超えている。いずれにしても、このリー・シェンロン氏、それだけ優秀だとすると、父親が政治家でなければ、世界的に有名なビジネスマンか学者になっていたかもしれない。と、思うと、ここでも二世というのが大変な人材供給源になっているのに気付く。

○ 日本の政治では、二世議員批判が根強い。こちらは、集票組織の引継ぎという仕組みの上から、最後は実力勝負になるビジネスやスポーツに比べて「ぼんくら率」は、高いだろう。しかし、今の日本で、政治家という職業が一般的に好かれていないことを思うと、「二世」は、有能な人材を政界に供給する源になっていると思う。

○ 僕の知り合いでとても優秀なYという二世の国会議員がいる。政策新人類の一人とも言われたが、流暢な英語で作った海外での人脈、政策知識、現実的な方策の提案能力など、どれもずば抜けていて、他と一緒にされているのもかわいそうなくらいである。おまけに、全く威張らない。そのYさんも知っている僕の友人が選挙に立候補することになったときにこんな会話があった。
らくちん「どうして政治家なんかになるの?って驚いて聞いちゃいましたよ。同級生に勧める職業じゃないとね。」
Yさん(小さい声で)「おれだって、好きで始めたわけでもなんだけれどねえ...」
政治というのは、こういうYさんのような人にこそやってもらった方がいいにちがいない。


8月18日
醒めてねっとりとした民主主義
○ 民主主義には、明るく活動的なイメージがあるが、それを支えているのは、醒めてねっとりとした忍耐だ。イラクやアフガニスタンの政治と台湾の政治とを見比べてみると改めてそう思う。

○ イラクやアフガニスタンでは、政治的対立が続いている。アメリカなどの外国への反感から、次第に、国内のグループ間の鋭い対立に発展しかねない悲しい状況がみてとれる。イラクのように鋭い内部対立の契機をもつ社会は、実は、フセイン政権のような圧政でもなければおさまらず、民主主義では、統合不能なのではないかという、よからぬ考えが頭によぎる。

○ 台湾は、人種的にも文化的にも実に多様で、多くの人命を犠牲とした弾圧と抵抗の歴史もあり、復讐の応酬となりかねない対立の契機を内包している。その状況は、今のイラクよりもひどかったといえるかもしれない。反体制活動家であった現総統の夫人は、かつての独裁政権の弾圧で下半身の自由を失った。女性の副総統は、アブグレイブがこぎれいに見えるような離島の政治犯刑務所に収容されていた。それでも、現時点までなんとか平和に民主主義政治をまわしているのは、国民と政治家たちが、政治に対する過剰な期待をもたず醒めた目でみながらも、民主主義を守ろうとするねっとりとまとわりつくような執念を持っていたからだと思えて仕方がない。

○ 台湾の政治は、爆竹とのぼりと歌で彩られた明るく熱狂的な選挙戦が強烈な印象を与える。しかし、今年春の総統選挙後の混乱の中で、かろうじて流血を伴った衝突を回避できたのは、国民が、政治に対する醒めた心と、自分達がどんなに屈辱的な目に会おうと民主主義を破壊するのをなんとか避けようとする、ねっとりとした忍耐力をもっていたからだろう。

○ アメリカにしろ台湾にしろ日本にしろ民主主義を成立させるには、明るく活動的な政治活動の影に、実は、この醒めてねっとりとした民主主義への執念が必要だと思う。それがまた、民主主義国における健全なナショナリズムと外交につながると思う。

○ アメリカも南北戦争などの危機を超え、醒めてねっとりとした忍耐力の大切さを学んできた。そして、今の社会の分断とイラク戦争での勇み足の傷も、やはり、こうした冷静な忍耐力で癒していくしかない。

○ 日本も歴史的に大きなコストを払って、この醒めてねっとりとした民主主義を定着させ、健全なナショナリズムに基づいた外交に到達しようとしているのだと思う。今の中国のやや奇異に見えるナショナリズムの高揚をみると、第二次大戦前の日本の奇矯なナショナリズムを現代の日本人に実感させなくもない。また、サドル氏の抵抗に、西南戦争を思いおこすのは、らくちんひとりだろうか。悲しい歴史は、繰り返したくないものである。

○ 台湾の歴史が世界に静かに語っているのは、醒めてねっとりとした民主主義の大切さではないだろうか。


8月17日
台湾OEMビジネスの今後 -台湾的経営6(8月16日の続き) 
○ 台湾のOEMビジネスの将来について、ノートパソコンで粗利が10%以下といわれる利幅の薄さから、自社ブランドビジネスへの脱却を志向するのではないかと問われることがある。僕は否定的だ。台湾企業の最近の流れをみると、むしろ逆に、自社ブランドは、特に日欧米向けは、荷が重いので距離をおこうとしているようだ。そして、部品の内製化や、中国などへの海外生産で利益率の低下を補おうとしている。

○ 例えば、ACERは、80年代からパソコンで成長し、大変な苦労をして自社ブランドを育て、アジアでは有力なブランドとなった。しかし、最近、大改組を行い、OEM専門のWistronとブランド管理会社のACERに分離した。Acerは、数百人の小所帯で、本体は、Wistronに移行し、何万人の従業員がいる。最近、台湾の上場企業で、そこそこのブランドを持っている会社が、ACERと同様のブランド会社を分離小型化する改組が続いている。

○ OEMビジネスをするのであれば、自社ブランドを持っていると、客先が市場で競合するのを恐れるので、受注が取りにくい。そのため、クワンタもコンパルも大多数の台湾の大手企業は、「自社ブランドではやりません。」と宣言している。結局のところ台湾企業の収益の源は、OEMであり、マーケティングよりもモノづくりに集中しようという動きだと思う。

○ このほかにも、台湾企業が自社ブランド販売を避けていることによるメリットは、主力であるアメリカ市場での貿易摩擦を最小にしていることにつながっている。例えば、アメリカで売られているパソコンの3台に2台は、製造している台湾企業のブランドだったとすれば、アメリカの議会が黙っていなかっただろう。中国とか日本のように政治力もあり、自国市場が大きい場合は、それでもなんらかの取引にもとづきアメリカと決着ができるだろう。しかし、台湾のように国際政治上の地位が不安定で、自らの市場が小さいと、ターゲットにされるとひとたまりも無い。この面だけをとらえれば、台湾企業は、ブランドオーナー側を用心棒として使っているようにも見える。

○ また、日本などは、自国市場で消費者の嗜好を肌で感じながら小さいながら気の利いた機能を入れて自社ブランドを特徴付けて養成し、ある程度商品がこなれてから、巨大な海外市場に乗り出している。しかし、台湾の場合は、市場があまりにも小さいため、いきなり、海外市場で勝負せざるを得ず、その場合、最初から海外の消費者のこまかなニーズを汲み取ることは、なかなか難しい。これも、台湾企業が、OEM専業を指向する理由である。

○ 結局のところ、台湾がOEMビジネスにこだわるのは、台湾の国際政治上の地位が不安定であることと、自らの市場が小さいことによっている。この前提条件は、そうそう変わらないと思われるので、台湾は、今後も、OEMビジネスを追及し、より進化していくだろう。ということは、日本企業にとっては、将来において、少なくともブランドの競争でぶつかる可能性は低いと見て言い訳で、恐れるよりも、うまく協力することによるメリットの方が多いと思われる。


8月16日
台湾OEMビジネスの威力 −台湾的経営5(7月28日の続き)
● 台湾/アメリカ分業の威力
日本がパソコン産業で負けたのは、台湾/アメリカの巧みな分業に負けたからともいえる。アメリカ社会を代表するデルも、クワンタなどのOEM専業の台湾ノートパソコンメーカー無しでは、今までの成長なかったろうし、現時点でのサービス体制の維持すら考えられない。インテルもアサスなどの台湾マザーボードメーカーに大きく依存している。ここでは、台湾/アメリカ分業の典型的モデルである、デル/クワンタモデル(OEM、ODMモデル)とインテルモデルについて書いてみたい。まずは、デル・クワンタモデルである。

● OEMビジネス(デル/クワンタモデル)について
OEMビジネスというと、一流の会社のやることではないかのようにいう人をみかけるが、台湾の優良企業の実態をみると、そんなことは決していえない。

○ まず、その規模と存在感を見てみよう。台湾のメーカーは、相手先ブランドで供給することが多く、同じ業界にいないと知らない会社が多い。しかし、実態は、日本の中堅電気メーカーなどより規模も大きいところが多い。例えば、前回の資料(ココ)によると、世界中のノートパソコンの4台に1台くらいは、クワンタ(広達)製である。

○ よく新聞に世界ノートパソコン販売シェアについて、一位デル、二位HP、三位東芝などとパイチャートでシェアが発表されている。あれはブランド別シェアであって、あのパイチャートの後ろには、業界関係者では公知の生産シェアのパイチャートがある。そこでの一位は、台湾のクァンタ、2位が台湾のコンパルである。アメリカ勢は、デルもHPも全くはいってこない。韓国勢も、ここでは、LGの10位が最高。Smsungは、クワンタの10分の1以下の規模で、15位である。以下に世界生産シェアを示しておく。

ノートPC生産量シェア(単位:千台、、%) IPPCによる

2003年 % 2004年
(見込み)
%
(台)廣達電脳
(Quanta Computer)
9,100 23.3 11,500 25.0
(台)仁寶電脳工業
(Compal El.)
5,200 13.3 7,500 16.3
(日)東芝 2,800 7.2 2,900 6.3
(台)緯創資通
(Wistron)
2,700 6.9 3,600 7.8
(米)IBM 2,200 5.6 2,000 4.3
(日)富士通 1,850 4.7 2,000 4.3
(台)英業達(Inventec) 1,800 4.6 2,000 4.3
(台)大衆電脳(FIC) 1,500 3.8 1,900 4.1
(台)華碩電脳
(Asustek Computer)
1,500 3.8 1,700 3.7
(韓)LG電子(LG El.) 1,200 3.1 1,300 2.8
(台)華宇電脳
(Arima Computer)
1,100 2.8 1,300 2.8
(日)ソニー 1,100 2.3 1,000 2.2
(台)神達電脳
(Mitac International)
900 2.3 1,100 2.4
(台)倫飛電脳
(Twinhead Computer)
700 1.8 900 2.0
(韓)三星電子
(Samsung El.)
700 1.8 800 1.7
その他 4,750 12.1 4,500 9.8
合計 39,100 100.0 46,000 100.0


○ さらに、2004年度の国際ブランドと台湾のOEM供給先の関係を挙げておくが、これを見ると台湾の企業がどれだけ日米欧の大手ブランドに供給しているかよく分かる。

ブランド 台湾ノートPCメーカー
Dell Quanta, Compal, Wistron
HP Quanta, Compal, Inventec, Arima
IBM Wistron, Quanta
東芝 Compal, Inventec
Sony ASUS, Quanta
NEC FIC, Quanta, Arima
Acer Wistron, Quanta, Compal
Apple ASUS, Quanta, Compal

(上記表は、IPPCによる)

○ 次に、技術的にも、台湾のパソコンOEMメーカーは、世界最高水準である。日米欧の有名ブランドのパソコンの多くは、台湾メーカーが自分で設計して作り上げたものをベースに、ブランドオーナー側が外観の一部とお飾り的な機能の追加だけカタマイズしてできている。(これを最近ODMビジネスと言っている。らくちん(筆者)が、90年頃台湾と仕事をしていた時は、無かった言葉である。ただ、当時は、OEMといいつつも、ものによっては、台湾のメーカーが自社設計していたこともあり、別に今に始まったことではない。)とにかく、基本機能のしっかりしたパソコンの設計、製造技術では、台湾メーカーの方がアメリカの会社や日本メーカーより優れているだろう。OEMビジネスは、決して、台湾側の技術的遅れを意味しない。

○ さらに、ビジネスとしても、OEMビジネスは受注生産でリスクがなくて簡単だと思う人がいるかもしれないが、そんな安易なものではなく、むしろより厳しいものである。例えば、アメリカの電子製品の小売ルートは、非常に厳しい。量販店は売れた分しかメーカー(ブランド)側に支払ってこなかったりするので、メーカー(ブランド側)は、小売流通の在庫リスクまで抱え込む。北米の電子製品ビジネスをよく知らない人が、時々北米で自分のブランドで販売すると言ったりするが、僕は、「やりようですが、一般的にいうと、入場料100億円コースですよ。」と言っている。

○ 従って、アメリカのブランドオーナー側は、そのリスクのいくらかでも、事前事後を問わずOEM供給者に、おっかぶせようとする。もちろん、台湾側も契約でOEMメーカーの責任の範囲は決めて逃げようとするのだが、売れ行きが悪い場合は、言い出せば誰にも少しは問題や瑕疵はあるもので、なかなか、微妙な問題になりがちだ。こうしたときに、台湾メーカーは、その客先(ブランド側)に将来性があると判断すれば、理不尽と思ってもひどい条件をごくっとのみこむことがある。この台湾企業がごくっと飲み込むのを、僕のような気の小さいビジネスマンが間近で見ると鳥肌がたってくる。

○ また、デルの供給システムにしても、デルがインターネットや電話でパソコンの注文を消費者から受けると、台湾のメーカーは、そのオンラインデータに基づいて、アジアでその仕様のパソコンを組み立て、アメリカの個人まで配送している。デルが誇る迅速な受注、配送システムを実現しているのは、台湾メーカーがこうした厳しい条件をのんでいるからである。

○ このように、ブランド側の厳しい要求に応えなければ、OEMビジネスで伸びることができない。そんなことは、少数のキーパーソンが意思決定できる台湾企業だからできる芸当で、日本企業の全会一致と減点主義による案件審査(=稟議制度)で意思決定しては、とてもできないし、間にあわない。それで、日本メーカーは、欧米企業へのOEM供給で、台湾メーカーほど継続発展できないのである。OEMビジネスは、日本の会社がやれといってもなかなかできない、難度の高いビジネスである。

○ 「台湾の経済的成功の秘密を一言でいうと?」と聞かれた時に、僕は、よく「香港・シンガポールよりもモノづくりができて、日本よりも商売が上手い。」と答えている。OEMビジネスは、技術力と経営のセンスの両方を厳しく要求される点で、その台湾の特徴がよく表れているビジネス形態である。


8月14日
野中型と小泉型
○ 「野中広務 差別と権力」(魚住昭、講談社)を読んだ。野中氏は、ずば抜けて有能な政治家だったと改めて確信する。学習能力も非常に高かったようなので、もう5年、国際外交に大なり小なり係わった後であれば、立派に首相が務まったのではないだろうか。

○ それにしても、小泉氏となんと対照的なスタイルだろう。あらゆる日本の政治家を「野中型」と「小泉型」の両端のどこかに位置づけ、分類できるのではないかと思うほどである。

○ 野中氏も小泉氏もメディア対応の上手い政治家と共通して言われているが、だからこそ、そこに二人の手法の違いが鮮明に見ることができる。野中氏は、メディア関係者に対するアメとムチ、つまり、サービスと恫喝で手なづけていき、メディアそのものを自らに有利に導こうとする。一方で、小泉氏は、メディア関係者、特に番記者などを無視して、スポーツ紙、ワイドショーを活かして、国民との直接のコミュニケーションを行うのにたけている。

○ 政策においては、野中氏は、支持する政策の方向性を何度も変えているが、利害関係者、関係団体間の調整がうまい。「関係者の潮目を見る」にたけた政治家である。一方、小泉氏は、微妙な利害の調整には、関心も能力もなく、その政策の方向性と国民への直接的なウケにのみ関心を集中している。こちらも信念よりも状況により身の処し方を変えている点では同じであるが、「世論の潮目を見る」能力にたけている。

○ いわば、野中氏の利益分配・調整型政治に対し、小泉氏の政治は、シンボル操作型政治である。ふむ、この分類軸は、なかなか使えそうだ。続けてみよう。

○ 選挙においては、野中氏の利益分配・調整型政治は、組織票に強く浮動票に弱い。野中氏が公明党を通じて全国の各選挙区で動員する組織票が、議会内での野中氏の政治力の源泉となった。一方で、小泉氏のシンボル操作型政治は、浮動票に強く、組織票に弱い。小泉ブームで全国の各選挙区で集める浮動票が、小泉政権の永田町での政治力の源泉である。そして、野中氏が組織票を失ったときは、政治生命の終わるときであった。今後、小泉氏が浮動票を失うときは、首相を辞めるときであろう。

○ 野中氏の利益分配・調整型政治は、交渉の対象が、一貫して自らの利害に対して敏感で、組織だった行動をする場合により有効になる。昔の建設業界や、宗教団体などである。貸し借りが分かり、品の上下はともかく意地や面子にこだわりが残る人々との微妙なギブとテイクをつなぎ合わせていくのが上手である。一方で、きまぐれで、自分の利害得失にあまり敏感でなく、計算できないもの。あるいは、浪花節的なきめの細かい貸し借りの分からないものが相手になると機能しない。その代表が、世論と国際外交である。小泉氏のシンボル操作型政治は、この世論対応と外交を得意としている。

○ 言い換えると、野中氏の利益分配・調整型政治は、圧力団体、番記者などの「顔の見える相手」への対応が上手だが、世論や外交といった「顔の見えにくい相手」には、対応が下手なようである。小泉政治の真骨頂は、この「顔の見えにくい相手」への対応のうまさだと思う。

○ ところで、こうしてみると、僕達の周りにもこの二つのタイプの人間がいるように思える。電車の中などで暇な時に、自分の周囲の人を心の中で、「野中型」と「小泉型」に分類してみてはどうだろうか。

○ 例えば、優秀なビジネスマンといわれる人にも、「顔の見える」関係者の信頼を得、利害調整と交渉に長けた人と、「顔の見えない」消費者の心をつかむのが上手い人と二種類ある。

○ 「顔の見える」相手を得意にするタイプは、主に川上のビジネスに見かけるが、自動車や保険のセールスで大成する人もここに分類されるだろう。一方で、「顔の見えない」消費者を相手にするのが上手いタイプは、川下ビジネスにたけている。このタイプは、サービス精神、センス、アイデアがとりえのように思うかもしれないが、そうではなくて、思いのほか、構成的な思考が必要なようである。顔が見えないだけに、統計的というか、数学的な発想が必要である。

○ 時々見かける残念な例は、「顔の見える」客を相手に実績も積み成功したビジネスマンが、自信満々に「顔のみえない」消費者相手のビジネスに乗り込んで見事に失敗することがある。自分の知らない分野だと用心して入れば、どうということはないのだが、このあたりがビジネスの怖く、そして、面白いところだ。

○ ところで、巨人の渡辺オーナーが辞任するそうである。彼が、ジャーナリストなのかビジネスマンなのかはたまた政治家なのか、僕は知らないが、人間のタイプとしては、野中型の人間に見える。おじいさん政治家に取り入るのが上手い政治記者で、世論対応が恐ろしく下手である。彼の失敗は、「顔の見える」政治家を相手に上手くいったからといって、自信満々で同じ手法を使って、「顔のみえない」消費者を相手にするプロスポーツビジネスを牛耳ろうとしたことだと思う。

○ 彼に対して、多くの野球ファンが、「野球ファンをなめるな」と怒っているようである。僕も、一ビジネスマンとして、「ビジネスをなめるな」といいたい気持ちが残っている。


8月12日
80年代
○ 先週、日本に戻ったときに、流行していて驚いたものを挙げてみよう。
1) 浴衣
2) ガンクロ
3) ヨンさま

○ 渋谷、新宿あたりでは、浴衣姿の女性をたくさん見かけて驚いた。履物からバッグまで、それらしくそろえるのは、大変だったろうと思う。

○ 昔はやったガンクロは、もう死に絶えたかと思っていたら、そうでもなく、違った名前をつけて復活しているそうである。僕のような古い世代の人間には、日焼けした安室奈美恵や浜崎あゆみのような魅力にはみえなくて、山瀬まみが老けて太ってすずりに顔を突っ込んだ直後のように見えるだけである。

○ ヨンさまは、よく分からない。昔マッチにキャーと言っていた世代が、ヨンさまを追いかけているようである。実は、隣とはいえ異国のアイドルで、どうしてもお近づきになれない安心感がいいのかもしれない。

○ 思えば、1980年代の僕達の高校大学時代は、アルファーキュービック、スクエアビル、Kiss Radio、ニュートラなどの言葉が記憶に残る時代である。先日廃刊が告知されたホットドッグプレスが、一斉を風靡した時代である。これからは、ファッション、スポーツ、ミュージックを生きる価値観にするんだと言われて魅力的に思えたが、その雑誌に並んでいる商品の値段をみて、とてもおいらのおこづかいでは手が届かんわいと、諦めたのが懐かしい。その流れで言うと、最近よく言われる「キレイめ」という言葉だけは、僕達にも理解できる気がする。

○ このように、浴衣、ガンクロ、ヨンさまという今年の流行は、80年代には、いくら想像をたくましくしても全く思いつかない種類の流行である。いわば、80年代の美意識からは、みごとに遠く離れた対極にある。驚くばかりだ。

○ いま浴衣を着ているお嬢さんも20年後の流行には、きっと目を白黒し、そして、顔を白黒するのだろうね。


8月11日

○ いま見たNHKのニュース10によると、夏休みに親子で体験宿泊ができる水族館があるそうだ。しんとした巨大な水槽の前で、持ち込んだ寝袋にくるまって夜の魚を観察するのは、面白かろう。

○ 番組中、「夜寝ている間に、魚はどうしていると思うか」と、リポーターがキャスターに尋ねていた。まず、まぶたがないので、目はあけたままだそうだ。なるほど。常に回りを見続けているのだ。さらに、えらに水を送り込まなければ呼吸ができないので、多くの魚は、ずっと泳ぎ続けているのだそうだ。なるほど。止まると死ぬ訳ですな。なんだか、サラリーマンの身に重ねあわせてしまうなあ。常におどおどと回りを見て、止まることも許されず...

○ 一つ変わった魚を紹介していた。体の色が昼は白色で、夜は、黒になる。なんだか、これも我が暮らしをみるようであるなあ。


8月9日
サッカーアジア杯
○ 夏休みで日本に帰っていたのですが、持ち帰ったパソコンの設定が上手くいかず、ホームページの更新はもちろん、連絡すべき人への電子メールもままならず、申し訳ございませんでした。このホームページも、一言、「一週間更新できないかもしれません」といれておけばよかったと悔やむことしきりでした。先週アクセスしていただいた方には、更新していなくてすいませんでした。

○ さて、サッカーアジア杯。やりました!ロスタイムで点を入れられる日本代表を見慣れた目には、あの粘り強さは、まるで別の国の代表をみるようでした。

○ 日刊スポーツのサイトで、OPTAという分析データを使った解説が面白いです。(ココ)このバックナンバーを読むと色々と面白いことが分かります。まず、決定力不足が言われ続けた日本代表ですが、今回のアジア杯の決勝ラウンドは、違っていました。バーレーン戦などでは、少ない優勢な時間帯に効率よく得点しています。たしか対中国戦も最初のシュートで得点だったかと思います。

○ 問題は、三都主の左サイドから攻撃を受け続けていることと、3バックの時にボランチの前でルーズボールを拾えないことです。トルシエ時代は、三都主と加地のところに小野や明神という、サイドアタッカーというよりも、本来、ボランチをこなす中央の人がはいっていたので、サイド攻撃が少ないものの、今のような問題は少なかったようです。今のままでは、三都主の守備が相当上手になるか、あるいは、思い切ってもう少し守備の上手い三浦敦宏に代えないとやっていけないでしょう。素人の思いつきですが、三都主、加地のポジションのどちらかを、ボランチタイプの選手、例えば、中田浩二や遠藤などに代えてみるのも手かもしれません。

○ ところで、中国の応援ですが、あまり感情的に反発しても仕方ないと思います。あれだけブーイングしているということは、強いと認めているということです。騒いでいるのは、「効いている。」しるしでしょう。素朴で且つ頭のいい人達ですので、表現の仕方が違っているようです。彼らの言動は、「私もあなたもサッカーを一生懸命やりましょう。それにしても、おたく、強いですね。」というふうに翻訳するのが適切かもしれません。

○ それでも、サッカーならば、いくらブーイングを受けようとも、観客と柵で隔てられたフィールドで90分球を蹴るだけですみますが、あの地で駐在している日本人は、毎日あの反日的な人々に囲まれて、仕事、即ち、お金のからむ話をぎりぎりと討論して暮らしているのです。御本社の幹部が、「これからは中国の時代」なんて机上の空論で作った中国拠点で、駐在員達がしている苦労を垣間見たようにも思います。ある日本人が言ったように「日本人に罵声を浴びせるのは、中国の人にとって、最も安全で楽しい娯楽」といった面があるかもしれません。中国の人たちへの非生産的な反発は、忘れた方がいいですが、かの地で頑張っている駐在員の苦労は、忘れたくないものです。

○ もうひとつ、台湾の中国時報が8月8日の一面トップで、この中国人サポーターの騒ぎを報道していたのは、驚きました。日章旗を焼く中国人サポーターの大きな写真がでていました。極端にどちらかにつくでもなく、大騒ぎであったとし、少し中国のサポーターをたしなめるように報じているようでした。

○ 久しぶりにホームページに書き込むと、なにやら、爽快になりました。読んでいただいた方に言うのも申し分けないですが、こりゃ、書くことは、僕にとってパソコンの「デフラグ」のようなものですね。


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