台湾日記 2003年6月〜
台湾日記 バックナンバー2001年6月〜2003年5月、ジャンル別バックナンバー
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6月28日
岡崎京子など
○ 読者のmailネタが続きます。こうしていると、掲示板みたいですね。それもまたよし。(青字が読者のmail)
○ ぴかちゅーさんのメール(ココ)を読んで、コーフンしまくっているらくちんさんの姿が目に映ります。
(らくちん)実は、こういう反応、多かったです。僕って、そんな人?
○ やっぱり中田ってすごいんですね。でも、(サッカーとはなあーんも関係ないけど)見る度いつも「全身LV」なのは、個人的にはかなり「いただけない」。。。
(らくちん)気付きませんでした。それは、いただけませんな。しかし、人により見るところが違いますね。勉強になります。
○ 「岡崎京子」が「きて」いるようで、作品がちょっと前からたくさん刊行されていて、アエラでも特集されてました。らくちんさんに教えてもらっていて、ちょっと得したカンジで嬉しかったです。
○ (らくちん) 岡崎京子は、この「台湾つれづれ」で、まんが「刑務所の中」について書いたときに(ココ)、ちらと触れました。岡崎京子の「PINK」は、僕のこれまで読んだマンガのベスト5に入ると思います。岡崎京子は、女性向エッチマンガから出てきた作家で、題材も20歳以下閲覧禁止のキワドイものが多いですが、内容は、実に現代的で、深いものがあり、天才肌の作風です。天才肌だけあって、作品によって出来不出来の振幅が大きく、幾つかの作品では、ストーリーが支離滅裂になってしまっています。
○ 「PINK」は、その中で、先鋭さとストーリーのまとまりが危ういところで均衡しており、最もスタイリッシュで、強烈で、且つ、深く現代的です。にも関わらず、普遍的なものにつながっているものとなっています。僕の親友の御内室様がおっしゃられた「においそうな描写」というコメントが、この作品の強烈さを語っています。サブカルチャーが嫌いでない人なら、書店で注文して買っても損はないと思います。但し、電車の中では、ちょっと読みにくい代物ですので、ご注意ください。繰り返しになりますが、御一読後、僕が上で述べた、スタイリッシュ、強烈、深く現代的、普遍性、と言うコメントを思い出していただくと、きっと納得されると思います。
6月27日
トイレネタ
○ この「台湾つれづれ」の前のHP(ココ)からの愛読者のCさんが、以前に書いたトイレねた(ココ)を、随分面白がってくれ、ご自分のネタも紹介してくれました。このCさん、キャラクタービジネスのプロフェッショナルで、湧き出るアイデア、溢れる企画を、得意のくねくね文体で、プレゼンし、次々とおじさんを口説いていきます。また、現場では、会計から、大道具、掃除、交渉までなんでもこなし、企画を実現に持ち込む現実派でもあります。この文を書いていて思い始めたのですが、最近、ご担当のキャラクターに顔が似てきたかもしれません。
=引用開始=
ちなみに、私の人生史上で一番恥ずかしいトイレネタは、こんなのです。思い出してもまだ泣けます;
思春期真っ盛りの中学2年生の時・・・。
受験勉強でストレスフルな環境の中、友達との間で流行っていたのが、地元ラジオ番組「FM横浜」の電リクに電話して、お気に入りの曲と自分の名前をオンエアしてもらうことでした。(結構電話がつながらず、リクエストできてもオンエアは10回に1回してくれるかくれないか。。。。)
ある日、ラッキーなことにオペレーターにつながり、当時流行ってた尾崎の「15の夜」をリクエストした時、オペレーターから、「最近の悩みは何ですか?」なる質問が。ななななんだ!そんな質問するようになったのか!と動揺しつつも、素直に「最近、一日に一回は必ず授業中におトイレに行きたくなって、困ってますぅ」と告白しました。
・・・・そして10分後・・・・・
「はい、次のリクエストはK区のCちゃんからのリクエストで、尾崎豊の15の夜です。Cちゃんは、最近、一日に一回は必ず授業中におトイレに行きたくなって、困ってるんだって!ぎゃはははっは〜!明日も頑張って耐えろよー!」
もうもうもう、超→びっくりですよ!!!!ぎょえ〜!恥ずかしすぎる〜。
その後、友人からの「ラジオ聞いたよー」的な電話をたくさん受け、次の日、学校に行くと、ラジオを聞いた友達から「あれって、Cだろ」「間抜けじゃん。。。」好きだった男の子からも、「おまえって、一体。。。」えーん、あたしって、バカすぎるー!あこがれは、クールな尾崎みたいな女の子なのにー!頭の中では、尾崎の15の夜が流れ続けたのでした。。。。
「とにかくもう、学校や家には、帰りたくない〜」
その後、ショックが大きかったのか、私の「オトイレ行きたい」病はピタリと止んだのでした・・・しかし、大きな代償でした・・・。
=引用終わり=
いやあ、僕も、思春期なんて、いい思い出ないですよねえ。特に高校の時より、中学の時は、ほんと、思い出したくない。
6月26日
SARS対応のレヴュー
○ 世界保健機関(WHO)は17日、台湾に対する渡航延期勧告を解除しました。街の雰囲気も、「もうおしまい。また、秋に流行るかもしれないけれどね。」といったものです。ここで、忘れないうちに、台湾でSARS対応を見ていて、万一日本で流行った時にどうだろうと思ったことを並べてみます。こんなコメントが、役に立つような事態にならなければいいのですが..
○ まず、感染についてのポイントを挙げます。尚、一番、参考にしたのは、日本から来た専門医師と台湾在住の日本人のQ&Aです。(ココ)
1)感染力はそれほど強くない。
第一に、空気感染は、ありません。飛まつ、つまり、小さいつばで、うつります。第二に、感染していても、発熱していない人は、他の人に移す力は、非常に弱いようです。「サイレント・スーパー・スプレッダー」などという、TVゲームのボスキャラのようなこわい名前の例が紹介されて、驚きましたが、あくまで例外的なケースのようです。逆に、発熱して数日経った人の感染力は非常に強いので、最大の警戒が必要です。第三に、ウィルスは、人間の体以外では、机や地面の上では、殆どすぐ死んでしまうようです。もちろん例外は、あるようですが、少なくとも、患者が通った後の施設を10日も経ってから消毒しても無意味です。
2)発症しても8−9割は、回復します。これを多いとみるか少ないと見るかは、なんともいえません。但し、治る可能性の高い病気だと思うと希望がもてます。
3)台湾では、病院内以外では、爆発的な感染はありませんでした。台湾の場合、8−9割は、院内感染でした。このことと、2)の8−9割の患者が回復することを考え合わせれば、患者をすぐ発見し、病院内での感染を防げば、ほぼ制圧できると思われます。尚、他には、患者の家族の感染や長距離列車などの交通機関の中での感染が報告されています。
結局、患者の早期発見と、院内感染の防止が一番大切だと思います。
○ では、素人ながら思いつくことを並べてみます。
○ 過度の恐れよりも、軽い情報公開
上記のように殆どが治ります。また、宿泊した所でも10日も経てば問題ありません。従って、過度に恐れる必要はありません。過度に恐怖心をあおると、SARSの可能性のある人が、言い出しにくくなったり、病院関係者が隠したりしかねません。また、田舎では、地元の名士でもある街医者が地元産業への影響を考慮して隠そうとするかもしれません。もともとSARSをすぐ判定する方法がないのですから、不確定なものとして、できるだけたくさんの情報を流通させる雰囲気を作るのが大切だと思います。
○ 一般人より医者
患者の早期発見と院内感染防止が鍵になるので、街医者が発熱患者からどれだけ早くSARSの可能性のある患者を見つけ出すかということと、専門病院で、院内感染をどれだけ防ぐかが一番重要です。ちょっと誇張した言い方ではありますが、医者がしっかりして、一般人が正直なら、この病気は、ほぼ制圧できます。
○ 医療設備よりも医者の心構え
患者の早期発見にしても、院内感染の防止にしても、特別の医療設備というよりも、ウィルスを拾わない注意深い行動基準が効果的です。その意味で、高額な医療設備よりも、医療関係者の意識の徹底の方が大切だと思います。
○ マスクより手洗い
ウィルスを本当に防ぐ事のできるN95という、目の細かいマスクは、空気の通りが悪く、長時間つけていられません。従って、通常の場合、マスクをつけることは、人に移すのを防止できますが、移されるのを防ぐ効果は少ないようです。それよりも手洗いが効果的です。医療関係者の間でも、カルテや机から、手を経由して移ることが多いようです。
○ 密閉より換気
設備が十分でない場合、下手に密閉するよりも、窓を開け放して換気をする方が、感染を防ぐ事ができるようです。ベトナムでは、現地の医者が、反対する欧米の医者を説得し、病院の空調を切って窓を開け放して感染を防いだそうです。邪推ですが、もしかすると、ベトナム戦争当時の化学兵器に対応した経験が活きているのかもしれません。
○ 体温測定は、頻度よりも確度
これは、几帳面な日本では、でない問題とも思います。台湾では、大きなビルに入る時に、額にかざして計るものや、耳の穴にあてる電子式の体温計などで計っています。しかし、これが結構いい加減なんです。額にかざして計られた後、「何度ですか?」と聞くと、にっこり笑って、「33度」などと言ってくれます。また、あるところでは、入館の際に、氏名と体温を記入するのですが、自分より前に書いている10人くらいの記述をみると、みんな、「36.4度」になっていたなどという例もあります。台湾では、「一日2回はかろう」などと言っていましたが、正確に一日一回測った方がいいように思いました。
○ 今からの準備
日本で、今から準備しておいた方がいいと思うことを挙げます。
1) 通勤電車の対応
日本特有の事情に、通勤電車の問題があります。日本では、通勤電車の中で、一時間くらい同じ人と50CM以内にいることは、珍しくありません。あれだけ密着していれば、一人のSARS患者が一回の乗車で、10人に移してしまうこともありそうです。その10人が10人に移せば、あっという間に広まります。これを防ぐには、流行の兆しが出た時に、改札のところでの体温測定、乗車の際のマスク着用義務化などを行わねばなりません。また、各企業は、フレックス制を導入するなど、就業開始時間をずらすようにする必要があると思います。どれも、流行するまでに、ルールなどを事前に準備しておく必要があるように思います。
2) 病院内の人の動線分離
SARSの可能性のある患者及びSARS治療に関わる医療関係者が、他の患者や医療関係者に接する機会をできるだけ減らさなければなりません。台湾の大きな病院では、発熱した外来患者(=「発熱外来」)を受け入れる為に、病院の入り口のところに、テントやプレハブで別の窓口を作っていました。また、できるだけ患者が一緒にならないように、人の動線を考え、建物の一部を改造して、小型のエレベーターを増設したりしています。日本の公立病院は、予算の設定もあり、機敏に対応できないでしょうから、いまから、どこにどういうプレハブをたて、既存の建物のどこを改造するか検討しておくといいと思います。SARSに限らず、今後も、この種の病気が起こった時にどう対応するか準備しておく事は、大切な事だと思います。
○ こうしてみると、恐ろしいには違いありませんが、「エイズ」ほど、嫌な病気ではないと思います。その理由は、
1) 発症しても、かなりの率で、自力で回復できる。死亡率は、10%前後のようですが、必ず死ぬ病気ではないのは、救いです。
2) 潜伏期間が短い。長くて10日で、発症するようですので、エイズのように、本人も気付かぬうちに、多くの人に移していたということは、少ないようです。
3) 性行為を中心に感染するエイズよりも、感染したことを人に告げやすい。
○ 繰り返しになりますが、この情報が役に立たなくなることを切に祈ります。
6月25日
コンフェデ杯
○ 昨日(ココ)に引き続き、フランスで活躍するサッカー選手ピカチュ−さんのレポートを報告します。日本代表が3試合を済ませた後の感想です。ところで、僕個人は、ジーコ監督支持者です。一年くらい勝てなくっても支持です。彼が日本のサッカーにした貢献を考えると、それぐらいたいしたことはない。また、彼は、日本の実力を低下させるようなことはしていない。負けたのは、実力どおりに負けているだけです。と、いうのが僕の立場です。でも、ジーコ監督を批判したり、ジーコ監督に疑問を持つ人を批判するほどの気は、ありません。まあ、それくらいの立場です。日本代表に就いては、この他に、ココにも、興味深いコメントがあります。
==引用開始==
○ こんにちは。日本代表、終わりましたねー。3試合目の昨日は明らかに日本選手の運動量が落ちていましたね。それでも、頑張っていましたが...。結果がすべてですし、評価は難しいですよね。ジーコはどんなプランでこの大会に挑んだのかがいまいちわからないっす。
○ さて、日本代表のフランスでの評価はかなり好意的なものでした。「見ていて楽しいフットボールだった」「フランス代表を圧倒していた」などなど。日曜の朝のテレフットという番組ではベンゲルさんがコメンテーターとして出演して、「やはりナカタはすばらしい、技術もそうだが精神面でも成長が見られる」と、司会者から「ナカタを獲得したいか?」のと質問には「ただなら喜んで」と笑っていました。中村を評して「観衆を魅了するエンターテイナー、すごく楽しい選手だ」、稲本に関しては「いいんじゃないの」と素っ気無い感じでした。
○ 昨日のコロンビア戦、フランスのテレビの解説はオーセールの名物監督ギルーさん(オーセールの監督一筋30年!!)でした。彼はモビレット大久保(フランスでは小さく速くて小回りの利く選手をモビレット、原付にたとえ称えます、僕もよく言われますが...)を絶賛し、シセの代わりに云々言ってました。「ナカタは当然欲しいけど、うちはお金がないので無理だねー、8番(小笠原)彼もいいねー、いくらくらいかな?」とも。日本代表のフランスでの評価は、僕の評価にも若干?の影響もあるので非常に気になるところです。
○ 先日の日本対フランス戦のフランス代表について日本の新聞は2軍相手だと言った記事をいくつか目にしましたが、いかがなものでしょうか?フランス代表のベテラン選手は来年の欧州選手権後に代表引退を公言しています、デサイーやリザラスなど。そのような事もあり、監督のサンティニさんは若手選手の積極的な起用も行っております。2006年のワールドカップの主力はこの前の試合に出ていた選手たちになってくると思います。しかも、日本戦に出ていた選手たちもヨーロッパのトップクラブで活躍する選手が多く、サニョル(バイエルンミュンヘン)、シルベストル(マンチェスターユナイテッド)などなど。一方フランス国内組もビッグクラブに移籍を噂される選手ばかりです、ペドレッティ(ソショー)、ゴブー(リヨン)などなど、2軍なんてことはないと思うんですが。一方、日本の選手でヨーロッパで活躍している選手は...。判断基準が曖昧なスポーツ新聞の記者達の質問に選手が答えたくない気持ちもわかるような気がしませんか?!
○ 僕の大きな疑問は、なぜ宮本君がずっと試合に出ているのかという事です。足の遅い彼が4バックでプレーするのには限界が...。コロンビア戦の失点前のミス以外にも、マークのズレや細かいミスが目立った気がするのですが、いかがなものでしょうか?
○ さてさて、僕は今週中に引っ越して7月15日の練習開始に備えます。今回、チームの期待をひしひしと感じています。期待が大きい分、それが失望に変わるとそれまた大きいものになるので、期待に答えられるよう自主トレから頑張ります。
○ ではでは、また。
=引用終わり=
今回のコンフェデ杯の最大の成果は、大久保を発見した事ではないでしょうか。
6月24日
日本代表の練習
○ 友人の友人の友人の友人で、フランスでプロサッカー選手として活躍するペンネーム「ピカチュ−」さんがコンフェデ杯直前の日本代表の練習をレポートしてくれました。僕がサッカー好きであることを知っていた友人が転送してきてくれたものです。生生しくってとても感動しました。このホームページに転載する了承を取るのに、メイルの転送を逆に辿っていったので、時間がかかってしまいましたが、皆さんにもお伝えしたいと思います。次回は、日本の3試合が終わった後のピカチュ−さんのコメントを載せさせていただきます。いくらか蓄積ができると、このHPに一つのコーナーを作りたいと思います。ピカチューさん、ありがとうございます。
=引用始まり=
○ こんにちは。昨日は日本代表の練習を見に行ってきました。観衆は地元のフランス人と僕達一向。はるかに日本の報道陣のほうが多かったです。あれは異常です、バス2台で乗り付けて、記者なのかなんなのかよくわからないおっさん達も沢山いました。取材という理由をつけた、マスコミの偉い方々の旅行なのでしょう。
○ さて、練習は18時からの午後の練習を見学しました。内容は軽い感じで、攻撃のパターンの確認がほとんどでした。練習が軽いからか、選手たちの雰囲気は軽い感じでした、しかし中田くんだけは別でした。明らかにテンションが違いました。一つ一つの練習に集中して、全力でやってました。センタリング練習でコンビを組んでいた大久保くんはビビリまくってどんどんダメになっていました。彼が外すたびに、中田くんは首をひねったり、かしげたり、ちょっと大人気ない気もしましたが...。高原と中村のコンビはいい感じでした。でも、主導権を持っていたのは高原、確か中村の方が年上のはず...、やたら謝っていました。
○ 全体練習後の中田くんのシュート練習はすごかったです。一本一本に気迫がこもっていました。右足のシュートはいろいろなキックの種類で確実に枠を捉え、左足はひたすらファイヤーで小細工なし。右よりすごかったかも。ペナルティーエリアの外から半分くらいは決めていました。相手は楢崎くん...、僕が彼とシュート練習したとき、エリア内からでも...。
○ という事で、中田くんのすごさを痛感した練習見学になりました。練習後、代表のNくんと少し話したんですが、「ヒデは別格やで、浮いてるっていうより。初めての選手は実際ビビってるし」って言ってました。あれぐらい自分を持っていないとイタリアとかのキビシい環境では生き残っていけないのでしょう。勉強になりました。
○ あっ、予想のスタメンですが、GK楢崎、DF山田、宮本、坪井、アレックス、MF遠藤、稲本、中村、中田、FW高原、大久保 だと練習を見た感じ思いました。それと、川口。彼はヤバイですよ。もう終わった感じ...。練習でもハイボールの処理、シュートの反応、全然できてませんでした。何より一番の問題は、GKで一番重要な、回りからの信頼感がゼロだという事です。果たして復活できるのでしょうか??
○ ではでは、今日か明日はブラジル代表の練習を見に行こうかと思っています。
=引用終わり=
○ なんか、こう、中田の迫力が文章の合間からビシビシ伝わってきます。
6月23日
民主党の高速道路無料化案
○ 朝日新聞によると、民主党の菅代表は、22日、作成中のマニュフェストに高速道路料金の無料化をうたうことを表明しました。内容としては、「政権交代後3年以内に高速道路料金を無料化する。道路公団などの多額の累積債務は、営業者が年10万円、普通車が年1万円負担することで解消する。」というものです。民主党のホームページにも掲載されていないので、まだ、党として正式に認められていないのかもしれません。
○ 何度も言って申し訳ないのですが、僕は、昨年9月、「道路料金の値下げ」(ココ)を主張しました。道路については、道路関係四公団民営化推進委員会が大騒ぎしていましたが、道路を新たに作るかどうかばかり議論していて、道路料金を下げる議論がほとんどなかったので、不思議に思いました。当時の「空気」は、「料金値下げ」など言い出しがたいものだったので、「ちょっとドン=キ=ホーテかしらん」と思いながら書いた事を覚えています。
○ 書いてすぐに、こんな個人サイトにもかかわらず、賛成意見のメイルをたくさん頂き、「これは、誰かが政策として主張すると人気が出るぞ」と確信しました。その後、著作などで、同様の意見を書かれている方がいることも知り、自分の感覚が変ではなかったと安心したものです。そのあたりのことは、今年5月13日「道路料金の値下げ3」(ココ)でも書いています。例えば、「民主党か、自民党の「抵抗勢力」か、あるいは、他の政党が、この政策を掲げると、人気をとりやすいと思います。」などとも書いています。うむ、バッチリですね。(これって、死語?)
○ 僕がサイトで書いた事が、民主党のマニュフェストに、間接的にも影響があったとは思いがたいですが、こういうことがあると、サイトをやっているのも面白いなあと思います。今思えば、道路料金を下げればいいことなんて、当たり前です。でも、当時は、その議論が消えていました。このように、専門家が専門的な議論に熱中する余り、世の中の真ん中からずれているとき、僕のような素人が発言しても価値があるように思います。
○ こういうのは、以前にも書きましたが、フリーウェアを作っているような楽しみがあります。これまでも、素人のくせに恥ずかしげもなく提案してきましたが、今後も、暖めている意見をちょくちょく書いてみようと思います。僕のこれまでの意見は、バックナンバー(ココ)にあります。どの党派、主義主張の方でも、承諾なく使って頂いて結構です。ご利用ください!
6月22日
台湾の政治 −派閥編
○ 台湾では、来年3月に中華民国総統選挙がある。対決の構図は、陳現総統vs.野党の連・宋連合で既に確定している。昨日(ココ)、世論調査の結果を紹介したが、今日は、その対決を、派閥を中心にもう少し詳しく書いておく。因みに、台湾の「立法院」というのは、日本でいう「国会」にあたり、「立法委員」というのは、「国会議員」のこと。(台湾に住む日本人向けに発行されている「な〜るほど・ザ・台湾」と「THISいず台湾」を随分参考にさせてもらいました。)
○ 野党の連宋連合で、総統候補として戦う連戦氏は、野党第一党で、長年台湾を支配した強大な政党である国民党の主席。国民党は、蒋介石時代からの利権もあり資金力も豊富で、且つ、組織力もある。それにもかかわらず、前回の総統選挙では、連戦氏は、陳水扁氏だけでなく、宋楚瑜氏よりも得票率で下回り、第3位となってしまい、「選挙に弱い政治家」とみられている。本籍は、台湾台南市で、生まれは、中国の西安。祖父は、「台湾通史」を著した著名な歴史学者で、父は、抗日戦線に参加した国民党の幹部。血筋はピカ一にして、有数の資産家、そして、おぼっちゃん的な性格。
○ 連宋連合で、副総統候補として戦う宋楚瑜氏は、野党第二党親民党主席。前回の選挙では、大健闘し、陳水扁総統の次点となった。田中角栄ばりの利益誘導政治が真骨頂で、台湾省長時代に世話をやいた、東部の農村地域や原住民の支持が強い。ただ、日本の田中派の系譜の例をみても分かるように、利益誘導型の政治家は、野党や非主流派になるとつらい。不正資金問題もくすぶっている。前回の選挙で上回った連戦を上にして連合を組むというのは、つらい選択であったと思われ、その感情がどうでてくるか、劣勢になっても本当に最後までその体制で辛抱できるのかも興味のあるところ。2008年は、宋楚瑜氏が総統候補で戦うという密約があるとも噂されている。(個人的には、政治の世界で、そんな密約、あったとしても無意味だとは、思います。)
○ 迎え撃つ陳水扁現総統の陣営の焦点は、誰を副総統候補にするかである。現副総統の呂秀蓮女史は、ならないことになっている。そこで、ここでは、一度、民進党の4つの派閥、美麗島、新潮流、福利国家、正義連戦を見てみよう。派閥とはいっても、日本の自民党のように、選挙資金のお金のつながりはあまりなく、考えや政治スタイルを同じくするもののグループである。
○ 最も由緒正しいのは、「美麗島」。今は、少数派閥となったが1988年の民進党結党時の最大派閥である。国民党が一党独裁体制をひいていた時に、雑誌「美麗島」を発行し反政府運動を行っていたグループの流れである。特に、1979年に「美麗島」主催の集会が大弾圧を受け、首謀者8人が11年から無期の判決を受けた「美麗島事件」が有名。その美麗島事件の関係者の多くが、今、民進党の幹部である。この事件で、呂副総統は、逮捕され、陳水扁総統は、この「美麗島」側の弁護士であった。黄信介、許信良、施明徳らの主力が民進党を離れた後、張俊宏(立法委員)率いる「新世紀」と、許栄淑率(立法委員)いる「新動力」とに分かれている。(尚、張俊宏と許栄淑とは、夫婦だったが離婚した。)
○ 最大派閥は、「新潮流」。厳しい内部規律で清潔感が看板だったが、最近は、現実路線に変更。次のような人材がいる。
邱 義仁:新潮流の中核。総統府秘書長。行政院、国家安全会議、党の秘書長を歴任。
呉 乃仁:台糖董事長。財界との関係が強い。
林 濁水:台湾独立運動の理論家
○ 正・副総裁を出しているのは、「正義連戦」。陳水扁総統、呂副総統の他に次のような人材がいる。
陳 其邁: 民進党立法院団幹事長
高 志鵬: 台北市党部主任委員
沈 富雄: 立法委員。テレビ討論で有名
○ 「福利国」は、大物の連合体。次のような人材がいる。
謝 長廷:高雄市長
蘇 貞昌:台北県長。副総統の候補に待望論あり。台湾なまりの北京語が素朴感あり、人気高い。
蔡 同栄:立法委員。在米華僑時代に世界中の台湾独立派をまとめた。
蘇 嘉全:屏東県長。成長株。
○ 無派閥の代表格は、行政院長(首相)の游錫コン。カリスマ性はないが、腰がひくく、民進党の中では、行政手腕が高いので、切り札として行政院長に任命された。他に、厳しく汚職摘発をしている陳定南法相も無派閥である。
○ 民進党は、行政手腕の点でも人気の点でも、陳水扁に続き、彼の地位を脅かすぐらいの人材がいないのがつらいところである。一方、国民党は、馬英九台北市長をだせれば、現時点では、かなりの確度で勝てそうだが、お家の事情で、世代交代ができない。当面の関心は、民進党の副総統候補、連宋連合がどのように維持できるか、だろう。これに、もちろん、その時々の政治課題や、事件が影響する。来年3月まで、色々ありそうだ。
6月21日
台湾の政治―世論調査編
○ 台湾の今の政治の状況を書いてみたい。僕は、元々、政治学には、興味はあるが、政局は、苦手で、選挙となるとさっぱり興味も湧かないし、語るのも余り得意ではない。しかし、来年の台湾の総統選挙と、それに向かって動くこの一年弱の台湾の政治は、21世紀前半のアジア、ひいては世界の政治を決定付けかねないと思っているので、現時点での、分かっている事を、自分の記録の為にも書いておきたい。
○ 今回は、世論調査の結果を書き並べてみる。これは、TVBSの調べた世論調査である。(ココ)TVBSは、香港系のTV局で、24時間ニュースチャンネルなどを放送している。中国寄りメディアと分類されることが多いが、僕の感覚では、それほど偏っていないように見える。ただし、台湾の世論調査は、概して精度が低いといわれており、それは、僕も共感する。アルバイトが適当に記入していると言う人もいる。僕も周囲の人に聞いた感じとえらくずれていることも多く、それほど、重視するのは禁物である。また、台湾の場合、選挙直前に投票行動を急に変えることがあり、全く、予想がつかない。昨年末、高雄市長戦の結果の報告(台湾日記12月12日、ココ)の時にも書いた「棄保」という投票行動まであるので、予断は禁物である。尚、どの調査も、20歳以上の男女1000人程度に聞いた結果である。
○ まずは、陳水扁総統の支持率である。陳水扁総統に対して満足しているかという質問に対する結果である。
就任後 1ヶ月 |
就任後 3ヶ月 |
就任後 半年 |
就任後 1年 |
就任後 2年 |
就任後 3年 |
選挙前 10ヶ月 |
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調査日時 | 00年6月 19日 |
00年8月 14日 |
00年11月 16日 |
01年5月 17日 |
02年5月 13日 |
03年5月 15日 |
03年6月 3日 |
たいへん満足 | 26 | 14 | 13 | 11 | 14 | 5 | 4 |
まあまあ満足 | 51 | 45 | 31 | 30 | 37 | 28 | 23 |
あまり満足でない | 6 | 19 | 28 | 27 | 26 | 34 | 37 |
たいへん不満 | 2 | 9 | 20 | 19 | 12 | 16 | 22 |
無意見 | 16 | 13 | 8 | 13 | 12 | 16 | 14 |
就任一ヶ月時点に77%あった支持率(=たいへん満足+まあまあ満足)は、選挙10ヶ月前の今年6月には、27%にまで落ちてしまった。立法院(国会)では、少数与党であり、提出した法案がなかなか通らない。台湾で始めてのマイナスの経済成長率を経験するなど、経済の不調の時に重なった。など、構造的に難しい状況ではあった。しかし、もともと、非合法反体制運動の系譜をもつ政党であり、口げんかや公正さを求める理論は、強いが、行政実施経験は、乏しいと、一般にいわれはじめている。つまり、陳水扁政権は、経済に弱く、政権担当能力が足らないという印象をどうぬぐうかが、課題となっている。
○ 2003年の総統選挙において、野党側は、連戦国民党主席を総統候補とし、宋楚瑜親民党主席を副総統候補とすることで、協定が成立している。与党民進党側は、陳水扁以外の候補など、思いつきもしない状況である。問題は、与党が誰を副総統にするかである。そこで、陳水扁が、連宋コンビに対決するときに、誰を副総統候補にしたときに支持が一番強いかTVBSが調べている。呂秀蓮は、現副総統。余り人気はない。游錫コンは、現行政院長(首相)。行政手腕の評価は、そこそこ高いが、選挙に強いタイプではない。蕭萬長は、国民党副主席でありながら、最近、陳水扁政権の経済顧問チームのリーダーを引き受け、政策の立案に協力することとなった。蘇貞昌は、台北県長で、台湾なまりまるだしの北京語で話すので、庶民の人気が高い。テレビで、蘇貞昌の話し方を真似るタレントがでてきて、大人気となり、本人の人気まであがったようである。現時点では、蘇貞昌が、一番人気の高い副総統候補である。
2003年6月時点での、支持率である。
副総統候補 | 陳水扁とこの副総統候補の コンビ支持 |
連・宋コンビ支持 | 未決定 |
呂秀蓮 | 32 | 53 | 15 |
游錫コン | 34 | 51 | 15 |
蕭萬長 | 37 | 49 | 15 |
蘇貞昌 | 40 | 48 | 12 |
○ 陳水扁総統、蘇貞昌副総統の組み合わせでの、地域別の支持率も示しておく。民進党が、南部に行くほど強いことがよく分かると思う。但し、従来、陳水扁は、地元の台南では、圧倒的に強かったが、今は、もうそれ程強い支持がとれていない。東部は、宋楚瑜が圧倒的に強い。
陳・蕭 | 連・宋 | 未決定 | ||
全体 | 100% | 40 | 48 | 12 |
台北周辺(台北・基隆・宜蘭) | (33%) | 40 | 51 | 9 |
新竹周辺(桃園・新竹・苗栗) | (15%) | 37 | 52 | 12 |
台中周辺(台中・彰化・南投) | (20%) | 39 | 47 | 14 |
台南周辺(台南・嘉義) | (16%) | 40 | 42 | 18 |
高雄周辺(高雄・屏東・澎湖) | (16%) | 45 | 44 | 11 |
東部(花蓮・台東) | (1%) | 6 | 88 | 6 |
6月16日
日本社会のスリガラス化
● SARSに感染し、病状が進行すると、免疫系が自分の肺を攻撃し始める。自分の免疫系に痛められた肺は、レントゲン写真でみると、スリガラスのようになるという。今、日本の社会は、SARS患者のように、組織防衛のためのシステムが、過剰に誤動作してしまって、社会自体が痛んでいるのではないだろうか。日本の社会が、スリガラスの向こう側で、よく見えないままに、病状を進行させているとすると恐ろしい。
● BSE
○ BSEの問題にしても、結局、日本では、何頭の牛がBSEだったのだろう。その何頭かの牛を見つけ出す過程で、一体何億円のお金が使われ、何社が倒産し、何件の飲食店がつぶれ、何人の人間が職を失ったのだろう。BSEの牛の数より失業した人間の数の方が多いかもしれない。BSEによる死者の数よりも、BSEへの対応の為に死んだ人間の数の方が多いかもしれない。これを過剰で不健全な反応といわずしてなんと呼ぼう。
○ ある幾つかの会社が、社会全体の過剰な反応をおそれ、過剰に防衛するあまり、虚偽の報告を行った。また、ある者は、食肉業界の被害に過剰に対応して補助金が配られたので、それを悪用しようとした。それが、マスメディアに過剰に報じられ、多くの会社がつぶれ、多くの人が職を失った。BSEの対応の過程をこのように総括するならば、個々の犯罪人の悪行と政府の対応不備と決めつけて思考を停止するのは非生産的だ。それよりも、異物に対する日本の個々の組織と社会全体の防衛システムが過剰な方向で、不健全に作動したと考えた方が建設的な議論につながるように思われる。
● SARS
○ SARSの件についても、いささか滑稽ともいえる対応が多い。台湾の医師が日本を観光旅行した件では、ウィルスの生存期間を過ぎているにも関わらず、宿泊施設などを大仰に消毒していた。この場合、消毒作業を報道するよりも潜伏期間などのSARSに関する知識を広めた方が建設的に違いない。SARSに関しては、かねてより、台湾にいる日本人がみんな、日本の入国管理の甘さにあきれかえっていた。締めるべきところを締めずして、騒動ばかりを大仰に拡大する。結果的に、本質的なものがみえなくなる。これをスリガラス化と呼べないだろうか。
○ ついでにいうなら、あの台湾人医師の日本旅行の直後、日本のメディアは、香港と台湾の別の医者がSARS非感染証明書をもって日本に滞在している事を、非難がましく報道していた。これなどは、過剰防衛による非人道的行為であろう。医者の入国を断るなら、はっきり外務省が通知して入国を拒否すればよい。正直に医者だといい、健康状態を証明している人を、一旦、入国させておいて、後から、「どうして、日本に入ってきた」と非難するのは、絶望的に非人道的だ。台湾の医師が「医の倫理に反する。」というのなら、この日本の報道は、「ジャーナリズムの倫理に反する。」といってよい。
● 金融機関
○ 不良債権の引当をとって、これから収益拡大を計らねばならない日本の銀行についても、組織防衛システムが、過剰に誤動作しないか心配である。償却案件の非常に多い業界にいる僕の経験からいうと、こうした多額の償却をした後というのは、審査が非常に厳しくなる事が多い。厳しい審査自体は、悪い事ではないが、的外れな厳しい審査が、収益拡大の目をつむことが頻発しかねない。
○ 例えば、大型の償却案件を起こした部署に対して、人も変わって対象プロジェクトも違うのに審査が厳しいことがおこりがちだ。以前、僕自身、新しい部署に移ってから大型プロジェクトを立ち上げようとした時、「お前のところは、この償却も引き起こした。あの償却も引き起こした。こんな新規の大型案件が許可される訳がない。」と管理部門の人に言われた事がある。立腹したので、「その償却案件は、私がしたわけではない。むしろ、その案件にゴーサインをだしたのはあなた達ではないか。私は、あなた方に非難されるよりも、むしろ、非難したいぐらいだ。」と言ってしまったこともある。結局のところ、審査を急に厳しくするといっても、そんなに気の利いた道具が見つかるわけではなく、以前失敗した場所、分野、人などが基準になっていることが多い。これが硬直的に運用されると、収益の機会を見出せない事になる。ビジネスでは、得てして失敗のすぐ隣に成功があるものだ。一箇所で芽が出ないからといって、周辺一帯の土地をみんな立ち入り禁止にしてしまうと、新規開拓はおぼつかない。今の銀行の実態を僕は知らないが、過剰防衛によるスリガラス化がでないことを祈っている。
● 自民党の抵抗勢力
政府と最大与党間での不一致で、政治が滞るというのは、日本の政治がスリガラス化しているといえないだろうか。日本の社会の組織防衛システムが、過剰に誤動作している象徴が、自民党の「抵抗勢力」の存在と思えてならない。抵抗勢力というのは、なにも人相の悪い、へそまがりの一部の政治家が小泉さんにひがんで集まっているだけではない。それを支持する組織や、勢力が日本の社会にあるからだ。そうした組織を防衛しようとする過剰な反応が、日本の政治を停滞させているといえるだろう。自民党のスリガラス化は、同党が政権最大与党であるだけに、日本の政治のスリガラス化になっているようである。
● こうしてみると、僕が「スリガラス化」と感じたものは、過剰な組織防衛により組織や社会全体を痛めることであり、また、組織と社会の透明性を失わせることだったと気付かされる。そして、日本社会のスリガラス化は、いたるところで起こっているようである。あなたの身近にも、一つや二つは、あるのではないだろうか。
6月15日
台湾のSARS対応
● 台湾のSARS対応を見ていての感想を書いてみたいと思います。まず、時系列でみたときの感想(日時別の事実の記述は、昨日のものを参照ください。ココ)。その次に、そこで再確認した、台湾社会の特徴。最後に、SARS対応で新たに発見した台湾の社会の特徴です。
● まず、時系列でみます。
○ 3月、広東省でSARSが広まっているにもかかわらず、日本のメディアが報道をしなかった頃、台湾の電子産業系のOEMメーカーは、危険を察知し、実に迅速且つ、徹底した対応をしていました。台湾から出向して大陸に行っている台湾人スタッフを、台湾に帰らないように指導していたほどです。こんなこと、日本企業には、なかなかできません。マスメディアも、日本では、殆ど取り上げていないような時に、最重要ニュースとして取り上げていました。しかし、大陸に進出した家族経営的な台湾の中小企業は、往来を抑えきれていなかったようです。
○ 4月上旬、台湾では、収束しているかに見えました。台湾から外国への感染、0人。台湾内部の人からの感染、0人。死亡者、0人。の3つのゼロを誇っていました。ニュースの取り扱いも一時、下火になりました。
○ 4月下旬、和平病院が封鎖されました。今振り返ってもこれが山場でした。和平病院でSARSの大規模な院内感染が確認されたので、見舞い客、医療関係者も含めて封鎖隔離しました。日本では、人権問題もあり、絶対不可能と思える方策だったので、僕も含め、多くの日本人が、この大胆な方策に驚きました。ある種の敬意すら覚えたほどです。しかし、今、思えば、この時の封鎖が完璧でなく、結局この和平病院から逃げ出た、ウィルスが、その後の感染拡大をうんでしまいました。この後、感染はどんどん拡大しました。テレビでは、24時間殆どが、SARSに関するニュースとなりました。
○ 5月中旬、日本人学校が一週間休校となりました。これが、日本人社会に与えた動揺は、大きかったと思います。日本人学校と同じ地域にあるデパートの店員に「疑い例」が一人出ました。その日に、店員の前を通った日本人は、たくさんいたはずですので、休校もやむを得なかったと思います。ただ、これにより、台湾に駐在する日本人社会が、ガクッ、と来たのは、確かです。多くの日系企業で、家族や駐在員の帰国命令がでました。一週間の休校の後、学校を再開したとき、概ね、3割―4割の生徒が帰国して学校に来ていませんでした。
○ 現在は、かなり状況がよくなっているようです。新規感染者ゼロが3日続いたりしました。ニュースでも、それほど大きくはなくなり、幾つかのニュースのうちの一つといった扱いです。ただ、まだまだ油断はできないと思います。今週も、陽明病院で院内感染がでて、新規感染者ゼロが途絶えました。
● これらの台湾の社会のSARS対応を振り返ってみると、幾つかの点で、台湾の社会について日頃感じていることに共通しているように思えます。
○ まず、初期動作ですが、何か突発事故が起こると、それを察知し、対策をたてて動き出すのは、非常に速いと思います。ただ、概して、それには、抜けが多い。100%というのは、なかなかできません。日本の社会は、最初は、ゆっくり、ぼーとしていますが、動くと大抵100%きっちり仕上げます。時に過剰なほどです。
○ また、ヤマ場となった、和平病院での対応ですが、駐在の人間の感覚では、「台湾は、大抵、あれで、収めてしまうんだけれどな」というものです。僕がよく言うのですが、台湾の企業や社会は、リカバリーショットが実に上手い。これは、重要だと納得すると、全リソースを集中して、上から下まで一丸となってリカバリーします。ときに、こんなに熱心に、且つ、上手に出来るなら、最初からすればいいのにと思うほどです。ただ、今回の和平病院の件では、それでも押さえ切れなかった。こうなると惨状が大きくなります。どうやら、和平病院の封鎖を指揮した人が、動転してしまって、指示が無茶苦茶だったようです。
○ しかし、それでも、みんなタフです。冗談を飛ばし、外には、「大丈夫」なんて連発しながら、こなしていきます。楽観的なのか、タフなのか、恐らくは、両方なんでしょうが、危機におけるタフさというのは、日本人には真似のできないものです。
○ また、大陸中国と違って、言論の自由が本当に成立しているということは、再確認しました。これだけマスメディアの競争が激しいと、政府も、中国のように隠し事のしようがありません。自由な社会でのチェックのあるべき姿といえるでしょう。但し、日本でも随分流れたようですが、あまりに過激な報道は、しばし、いかがなものかと思わせるものがありました。
● 以上が、SARS以前に感じていた事を、SARSの件で再確認したことですが、さらに、今回のSARS対応で、新たに発見したり、思ったこともあります。
○ まず、これは、人により受け止めが違うでしょうが、思ったよりも、与野党の足の引っ張り合いが少なかったと思います。陳水扁総統は、少数与党の民進党です。一方、今回大騒ぎの舞台となったの台北市で、対応策の陣頭指揮をしたのは、国民党の馬英九台北市長です。因みに馬英九氏は、選挙で陳水扁現総統を破って台北市長になった人です。恐らく、テーブルの下では、激しい足の踏み合いをしたと思いますが、表面上は、両者共、「台湾政府と、市政府の連携は上手く行っている。」と言っています。有権者のみんなが、「こんな時に政争なんかしている場合じゃないぞ」と思っているのが伝わっているので、こういう対応になったのだと思います。
○ 日本との関係ですが、今の陳水扁政権には、本当の日本通が、非常に少ない状態です。陳水扁の支持者は、本省人で、本省人は、日本びいきの人が多いのですが、現政権に日本語の堪能な日本通は、殆どいません。以前の国民党政権に必ず複数の日本通がいたのとは、大きく異なっています。台湾人医師の日本旅行の際も、この辺のパイプがないために、微妙な調整ができず、とにかく日本に大きく譲って謝ってしまえということになったように見えます。
○ もう一つ興味深いのは、日本のメディアの失礼な発言に対して、過敏に反応したのが、本土派と思われるメディアであったことです。「日本人は、好きだ。しかし、台湾を馬鹿にするような発言は、許さない。」と言う風に感じられます。もし、そうなら、日本人の僕がいうのもなんですが、李登輝さんなどが気にされている「台湾人としてのアイデンティティ」が、育まれてきているのかもしれません。
○ 台湾は、ある意味で、他民族社会です。他民族社会だからこそ、危機の際にバラバラになるのを避けて、理性的に行動しようという、気持ちも生じるようです。そういうときに、他の国から、失礼なことを言われると、感情的に反発したくなります。きっと、アフガニスタンやイラクでも、今は、民族が違う者が平和に暮らす為に理性的に行動しようと過半数の人が、しているのではないでしょうか。日本人には、このあたりの感覚は、なかなか分かりにくいと思います。日本人は、他民族社会特有の配慮について実に無知で無神経である一方で、他民族社会と聞いただけで、「すぐにバラバラになって紛争が起こる」ときめてかかる過剰反応をしてしまいがちです。そんなことを自戒をこめて思いました。
6月14日(最初、日付をつけ間違えました。すいません)
台湾SARS日誌
○ 自分の為の記録も兼ね、台湾でのSARSに関する出来事を、時系列で並べてみました。僕の独断で、時期を区分しています。尚、一部これまでに僕の書いたものと月日が数日違うものなどがありますが、現時点では、ここでの記述の方が正しいものとさせてください。
○ 3月:患者発生から話題騒然となるまで
3月14日:北京帰国者の中にSARS第一発症例を発見。
3月18日:衛星署が、医療機関、国民個人からの報告の24時間受付体制を整える。
3月27日:SARSを法定伝染病に指定。公務員の感染地区への渡航の暫時禁止。予防、報告、感染者の追跡、隔離、治療等5項目の処置を定める。
感染者と密接な接触のあった人々に「外出禁止処置」。空港の防疫要因増強。
[この頃、イラク戦争中であるにもかかわらず、台湾の新聞の第一面は、SARS一色]
3月30日:入出国者全てが健康申告書を提出し追跡調査可能にする。
○ 4月中旬まで:収束しかかった時期
4月2日:游行政院長が、死亡ゼロ、地域感染ゼロ、外部への感染ゼロの防疫効果維持を指示。
[この頃から、一旦、収束に向かい始めた。]
4月10日:入国者の体温測定開始
4月12日:WHOが発表した「SARS発病地区一覧表」の中で台湾は、米、英とともに、「感染が押さえられている地域で、3月15日以来、地域外に感染した例はなく、国内での感染者も、患者と緊密に接触があった場合に限定されている」と記述。
4月14日:WHO報告で、台湾は、発症例23人、死亡ゼロ。全世界で発症例2960人、死亡119人。
4月18日:SARS通報奨励制度開始。約1万円(2500元)の賞金つき。
[この頃では、収束するかに見えた。台湾の過激な報道が海外に出て、過度に警戒感を世界中に広げるのは、困ったものだといった意見が強かった。]
○ 4月下旬:和平病院封鎖。ヤマ場。
4月23日:台北市立和平病院で台湾初のSARS院内感染の症例発見。政府は、同病院を封鎖。
[後から振り返ると、この和平病院封鎖がヤマ場であった。結局、強引な手を打ったにも関わらず、和平病院の医療関係者とその家族から感染が広がっていった。ここでの失敗が致命的だった。]
4月25日:台湾で初めてSARSによる死者がでる。
4月27日:中国香港からの入国者の10日間隔離を開始。
5月1日:陳水扁総統がSARS対策5項目の指示を発表。
5月2日:SARS対策の法律が立法院(国会)を通過
○ 5月上旬:「病院での病気」から「街の病気」へ、感染者数も急増。
5月4日:台湾最大の売上を誇る太平洋SOGOデパートのレジ係からSARS患者がでる。
[この件で、世間では、SARSが病院内の病気という認識から、街の病気だという認識に変わった]
5月7日:台湾鉄道で乗客にマスク着用義務付け
5月8日:WHOは、台北に対するSARS流行地域指定レベルを「中度」から「重度」に引き上げ。渡航延期勧告。
[在台湾日系企業で駐在員の家族の帰国が始まる。日本からの出張者もほぼゼロに激減。]
5月12日:陸軍科学部隊による7日間にわたる台北市大規模消毒作業開始。
5月14日:WHO報告で、台湾は、感染者238人、死者30人。全世界で、7628人、死亡87人。
5月15日:行政院衛星署は、日本に観光旅行した台湾人医師がSARSに感染していたことを発見、直ちに、日本側に通報。
○ 5月下旬:日本人社会も動揺、怖さがピークに達する。
5月17日:天母地区の大葉高島屋百貨店の店員が、SARS疑い例となる。
台北日本人学校が1週間の休校を決定。
日本人駐在員に動揺が広がる。
台湾人医師の日本観光事件につき、外交部が日本政府に遺憾の意を表明。
5月18日:台湾人医師の日本観光事件につき、日本人記者の質問内容と態度が台湾人の反発をかった。
5月19日:この週(19日−23日)、台北日本人学校が休校。
[在台湾日本企業の駐在員の家族が、大量に帰り始める。また、一部駐在員の帰国もある。振り返ると、この頃が、怖さでいうとピークだった。]
5月20日:SARSによる死者が一日で12人でる。
5月21日:WHOは、台北市に対して出していた渡航延期勧告を台湾全土に拡大。
衛生署が、薬局などでの解熱剤の一般販売を規制。(この政策は、いたく不評)
5月23日:台湾人医師の日本観光事件につき、日本政府が事実上の安全宣言。
5月29日:台湾は、感染者610人、死者81人。全世界で、感染者8240人、死者745人。
○ 6月:収束に向かう
[この頃、収束に向かい始めた。台湾人の間でも楽観論が広がる]
6月6日:新規感染者が3日連続ゼロ
6月10日:WHOは、台湾に対する渡航延期勧告を維持することを決定。
6月10日
森のくまさん
○ ある日、焼肉屋さんに行きました。味はおいしかったのですが、それほど清潔そうなところではなかったので、一瞬、トイレに行くのを躊躇しました。SARSウィルスが小便の中では、10日程は、元気にしているという話をきいたばかりで、なんとなく怖くなったのです。結局、ビールを飲んだにもかかわらず、「ま、いいか」と、トイレに行かずに、自宅に向かってタクシーに乗りました。自宅までは、40分程かかります。
○ 乗ってすぐ、トイレに行かなかったことを後悔しました。これは大変なことです。台湾のことですから、まともな公衆便所なんてありません。また、自宅までの途中で、適当なホテルも思いつきません。飲み屋に駆け込むにしても、SARS騒ぎ以来行ってないので、「トイレの時だけ来て」と、白い目で見られるのが恐ろしい。ええい、行ける所まで行くしかない。
○ ふと、昔、遠藤周作が書いたエッセイで、こういうときは、心の中で歌を歌えばいいという下りがあったのを思い出しました。そこで、歌を歌うことにしました。余裕がないので、曲目を吟味してられません。とにかく思いついた、「森のくまさん」を歌い始めます。
○
あるうひ♪やっぱり、森のくまさんは、輪唱です。あるうひ♪
もりのなか♪ やや、のんびり過ぎます。もりのなか♪
曲目の選択を誤ったかもしれません。
くまさんに♪ くまさんに♪切羽詰って来た。
変にSARSウィルスに関する記事なんて読まなきゃよかった。それよりも、トイレに行っておけばよかった。
であった♪ であった♪いやいや、悪いのは、やはりSARSだ。
たまりません。歌うテンポも速くなってきます。はなさくもりのみち♪ くまさんにであった♪
くまさんの♪ いうことにゃ♪もう輪唱なんてやってられない。
おじょうさん♪ おにげなさい♪こっちが逃げたい!
はなさく♪ もりのみち♪
アップテンポで!とことことことこと♪ とことことことこと♪
もう、意味のある言葉は、歌えません。貧乏ゆすりをしながら、ひたすら、うわ言のように歌い続けます。
とことことことこと とことことことこと
手が震えてきた。
とことことことこと とことことことこと
とことことことこと とことことことこと
タクシーが家に到着して、つり銭も受けとらずに、自宅に猛ダッシュしました。
とことことことこと
6月8日
「日本型UCCファイル制度」へのコメント
○ 僕の提案した「日本型UCCファイル制度(台湾日記5月6日、ココ)」について、銀行マンのXさんから、貴重な意見が寄せられました。専門的な背景をもちつつ実務をされている方と、素人の僕が、問題意識を共有できていたようで、喜んでいます。(以前にも、別の方からコメントを頂きました。ココ )
○ 日本の経済に対する提案というのは、殆ど出尽くしており、僕の提案も既にされているものの一つです。あとは、優先順位、つまり、どれをどれだけ速くやるかにかかっています。優先順位について、僕の意見を大雑把にいうと、不良債権処理よりも、銀行の収益問題の方が重要だし、銀行の収益改善よりも、フィイナンスの為のインフラを整備することの方がより本質的だと思っています。また、日銀が、どうせ銀行に貯まってしまう通貨を一生懸命供給するよりも、銀行にあるお金が街にでていくために、よりよい金融手法に官民が知恵を絞る方が正しいと思っています。官民の役割で言えば、ビジネスの素人である政治家や役人は、個別の企業や銀行を拾ってその収益をどうするこうすると議論するよりも、ビジネスのインフラである法制度を整備することに注力するべきだと思います。法律を作り、運用する。それが、役割なのですから。なんだか、ややこむつかしくて、ぼんやりした提案ですが、実は、「ダンスパーティをしている王様達は、裸だ」といっているつもりなのですが、どうでしょう。
○ では、らくちんのコメントをつけつつ、Xさんのご意見を紹介します。Xさんの意見は、青字で示しています。小見出しは、らくちんが勝手につけたものです。
○ 3年ぐらいまえ、銀行員である私は、日本の中小企業向けに売掛債権や在庫を担保にした貸金をどうやったらできるか、検討していました。
>ふうむ、こりゃまた、とんだ専門家の登場です。銀行の方まで読まれているかと思うと、冷や汗がでます。
○ UCCファイルについて
たまたま私はアメリカのロースクールに留学した時、UCCファイリングを勉強していたので、随分その知識が役立ちました。しかし、ロースクールの時は、「商法」にあたる"COMMERCIAL LAW"が、選択必修だったので取ったのですが、商法だと思って取ってみたら、内容はUCC9章の「動産担保法」(SECURED
TRANSACTION)で、日本じゃ動産担保なんて価値がないから役にたたんなあ、選択を誤ったなあ、と思いながら、勉強したものでした。それが、後にアメリカやカナダでやった債権流動化や、日本での売掛債権譲渡担保規定の作成に役にたとうとは、夢にも思いませんでした。ご承知のように、UCCファイリングは、もともと動産担保の登記を目的とした制度で、その制度が売掛債権の譲渡や担保取得にも使える、という位置付けです。で、日本は、不良債権処理が急務になり、債権の売却を円滑に行なう必要上、UCCをまねて、しかし、債権だけの譲渡・担保取得に使える債権譲渡特例法の登記制度を作ったわけです。
らくちん>Xさんも述べておられますが、つい10年程前の日本では、銀行マンが「動産担保」なんて勉強しても役に立たないと思うような状態でした。だからこそ、特定債権法や債権譲渡特例法というのは、実務面では、本当に画期的な制度改革でした。それでも、まだまだ不十分だと思っています。産業再生機構などの、組織作りが華々しく報道されていますが、僕は、こういったビジネスインフラをかちっと、早く整備することの方が大切だと思います。
○ 売掛債権について
売掛債権の方は、実際あのころ丁度、債権譲渡特例法に基づく債権譲渡・債権の担保設定の登記制度(「らくちん」さんのHPでもふれておられる制度)を利用して、担保に取る行内の規定を作りました。その後、信用保証協会(所謂「マル保」貸金の保証をする政府関係機関)も中小企業が持つ売掛債権を上記登記制度を使って担保に取り、銀行のその中小企業宛貸金の保証をすることを制度化したんですが、私の作った制度が保証協会にも参考にされました。
○ 動産担保の登記制度
一方、私がやっていた銀行での在庫の担保取得の検討の方では、動産である在庫について、牛肉や「いちご」といった足のはやいものはだめですが、パソコンなどの中古市場のあるもの、鋼材のような「コモディティ」と言えるようなもの(つまり、多少時間がたっても質は劣化しない、またある程度市場があって、価格も読めるもの)なら、担保価値の把握は可能であり、金融庁などに、貸渋り対策として中小企業宛貸金を増やすにはどうしたらいいか、という質問を受けた機会に、動産担保の登記制度をつくれば、もっと銀行は中小企業に貸せるようになる、提案したりしていました。
らくちん>この頃から、銀行の方から提案されていたのですね。そりゃそうですわなあ。一部政治家のように、とにかく中小企業に貸し出せと銀行にどなりたてる前に、こういった環境整備をすることに力をそそいで欲しいものです。
○ 自動車と電子政府化
また、中古の自動車屋の在庫は、電子政府化推進の一環で、自動車の登録がネット上でできるようになれば、担保に十分取れるとも言っていました。(自動車は動産ですが、登録が対抗要件。今の自動車登録制度では、大量で常時入れ替わる在庫を債権者である銀行名で登録するのは、手間がかかって不可能。)
○ 在庫と売掛金
普通の動産担保登記にしても、米国のUCCファイリングの例をみればわかるように、現在の債権譲渡登記制度のインフラを流用することで十分対応可能と主張していました。(アメリカのUCCファイリングが登記内容を「売掛金」とか「在庫」とだけ書けばそれでいいように、日本の債権・動産登記制度も、記載内容を、単純化すべきですが。)実際、99年には、アメリカに出張して、アメリカの「中小企業」宛貸金は、実際どうやっているかを調べましたが、アメリカの中小企業は、銀行と貸金取引をするなら、「在庫」と「売掛金」は、銀行に担保に入れてUCCファイリングをされるのが当然(なんも恥ずかしいことではない、日本のように、債権譲渡登記がされていることがわかれば、それ自体が信用不安の引きがねになる、などということはない)のこととして行なわれていました。
らくちん>僕も、アメリカにいたときによくみかけました。お客から銀行小切手を受けるポストが、債権者の管理下にあるようなものまであって、これは、日本では、できんなあとと思ったものです。
○ リース
かたや、日本では、同じ動産について、在庫ではなく、機械設備については、「リース」という形で、実質的に動産を担保にする金融が行なわれています。私は一時、銀行子会社のリース会社に出向していたこともあるんですが、リース物件である機械設備は、債権者であるリース会社が「担保に取り」ますが(一般債権者が善意取得しないよう、気休めにリース会社のシールが貼ってありますが)、債務者(レッシー)が倒産した際、あまりリース物件を取りっぱぐれるということはないようです。(一般に在庫より「重い」のも確かですが。)
らくちん>そうですね。日本でのリースは、比較的有効に機能していると思います。以前にも書いたのですが、僕は、日本では、従来の銀行融資よりも、リースを活用する方が、社会にお金が回るのではないか、とさえ思っています。ただ、僕は、業務用ゲーム機のような、二重リースなどがかなりある分野に関わっていた時期もありましたが、その時は、結構、リース会社の方も苦労されていました。一方で、建機などでは、業界でリース物件の検索ができるようになっていると聞いています。このようなことを、社会全体でやればいいのにと言うのが、僕の提案です。
○ 在庫
また、在庫を使った動産担保については、信用力の弱い売掛先に対する売掛金(債権)の担保に在庫を担保取得したことがあるという商社の人にも話しを聞きに行きましたが、物の価値の劣化や、債務者が困った時の二重担保設定は心配しておられましたが、担保物が実力で奪い去られることは、あまり心配されていませんでした。
従って、日本でも、動産を担保に取った時、いざ倒産という時に、ヘンな輩に実力で分捕られることはあまり心配しなくてもよく、常時入れ替わる在庫について(集合物譲渡担保といいますが)権利関係を明確にする制度さえあれば、随分担保として実効性が上がるものと思われます。
らくちん>最近では、倒産情報を聞くとトラックを手配して駆けつけるという話を僕も、あまり聞かなくなりましたね。ただ、分野によっては、まだまだ、ややこしい人が出てくることがあるのでは、ないかと思います。
○ 「らくちんさん」は、銀行員である我々と、問題意識を共有していたわけです。
らくちん>ありがとうございます。この一言がありがたい。胸にしみます。
○ で、最近になって政府も本格的に動くようになってきたようですよ。
2003.01 各種報告書 企業法制研究会(担保制度研究会)報告書〜「不動産担保」から「事業の収益性に着目した資金調達」へ〜
経済産業政策局 産業組織課
http://www.meti.go.jp/report/whitepaper/
らくちん>これ、実は、僕もみていました。あの文を書く前に、一応、最新の法制度を把握するために、読みました。ほぼ全ての論点は、書かれていると思います。後は、どう優先順位をつけて、はやく実行するか。これまでの制度を生かしつつ、一貫したものを打ち出せるかだと思います。
6月7日
戦略おじさん
○ 「「戦略」という言葉の使用頻度が高い人ほど、ビジネスセンスは、低い。」と常々思っている。溜池通信の6月5日で、かんべいさんが政治を談ずる時にやたら「戦略」と言う人がいて嫌になると書かれているが、ビジネスの現場でも同様に思っている。(ココ)口を開けば、戦略、戦略と言う人と出会うと「あ、戦略おじさんだ。」と思って、心の耳を塞いで、黙っている事にしている。「自分は、口がかたいという人ほど、口が軽い。」というのとあわせて、「らくちんの法則」としたいのだが、どうだろう。
○ まず、戦略、戦略と鈴虫のようにいう人は、単に語彙が少ないだけの場合が多い。自分の頭で考えずに、週刊誌の見出しを繋ぎ合わせて話をする人が、戦略という言葉をよく使う。要するに、知能レベルが低いだけなので、罪は、ない。大抵の場合は、「すぐにお金の儲かる法」とでもいい換えた方がいいようだ。「戦略的アプローチによって、なんとか今月の売上目標を達成しよう。」なんて聞くと、吹き出すのをこらえるのに難儀するが、その「戦略おじさん」の真剣さは、汲み取るべきなのだろう。
○ 次に、国の政策などについて、「日本には、戦略がない。」と、いう人も多い。これも単に「陰謀」とでもいい換えた方がいいことが多い。「アメリカの国家戦略により、日本の経済は、停滞の憂き目に会った。」などというのは、その類だろう。そもそも、アメリカに統一した戦略なんて、ありゃしないし、かんべい氏もいっているように、日本にだって、下手な戦略を策定するくらいなら、戦略なんてない方がいい。
○ 最後に、もしまじめに、企業の戦略などについて言うのなら、やや、レトロの感は、否めない。何十年も前に、アメリカ系のコンサルティング会社などが、商品構成の見直しなどについて、成長性、収益率などを元に分類し、見直しをはかる「企業戦略」などを一生懸命売り込んでいたことがある。しかし、そのうち、その企業の内部資源や経緯(経路)に対して、余りに、無関心でありすぎ、そう上手くいかないことがはっきりした。また、冷静に考えれば、こんなことは、「八百屋のおばはん」が、毎日実践していることでもあった。最近では、さすがのコンサルティング会社も、気の利いたところなら、恥ずかしくて「戦略」などという古色蒼然とした言葉を、キーワードとして使ってこない。同じレトロな言葉を使うなら、「欲しがりません勝つまでは」なんてのを使った方が、おかしみがあっていいし、もしかするとより「戦略的」かもしれない。
○ こういった、ある種の人を酔わせて、頻繁に使わせる言葉というのは、時々出現する。ドットコムバブル華やかざりし頃、口を開くと、ビジネスモデル、ビジネスモデルと、いう人が多かったので、僕は、そういう輩を「ビジネスモデル小僧」と呼んでいた。大体は、「儲け方」みたいな意味である。あの頃は、ビジネスも儲け方のポイントも知らない人の話が多かった。
○ さらにさかのぼって、学生だった頃の僕達は、「自己表現する」なんて言葉をやたら使っていたと思う。20年以上前、筑紫哲也がキャスターをしているニュース番組で、音楽活動などに夢中になる若者達を報道していた。報道自体は、その若者達に好意的なものだったが、最後に筑紫哲也が、「自己表現したい、自己表現したいと何度も言っていたが、一体、表現したい自己が本当にあるのか?」とコメントしていたのを未だに覚えている。当時、若者であった(!)僕は、自分に言われているような気がして、ドキッとしたものである。
○ さて、この一文には、「戦略」という言葉が、21回も使われている。らくちんのビジネスセンスも推して知るべしであるなあ。
6月4日
イチローの長い一瞬
○ BS放送で、イチローのバッティングを見ていて、ふと思ったのだが、一回のスイングは、素人には、一瞬でも、彼にとっては、とても長い物語だろう。天才が味わっているその「長い一瞬の物語」の一部なりとも、誰かが上手く聞きだして凡人に分かるように教えてもらいたいものだ。天才の時間と、凡人の時間は、全く異なるものであるに違いない。
○ 仮に、僕がイチローの才能だけを突然神様にもらって、バッティングをすると、きっと球は、恐ろしくゆっくり見えるし、振り始めから終わりまでに、実にいろいろのことを、あれこれできるのに、驚くだろう。一振りがとても長く感じるに違いない。
○ 振り始めの動作にも色々と選択肢があり、そのそれぞれの選択肢に、実は、彼の何年もの経験と理論が詰まっている。そして、バットスイングが進むと、来る球の状態と、動き出してしまった自分のスィングの状態を感じ取り、また幾つかの選択肢から選ぶ。時には、途中でスィングの変更もあるだろう。それぞれのスィングの違いを、特殊な映像や、写真で見てみたい。また、そのスィングの変更をできるようにする為、どんな練習をしたのかも興味深い。
○ 素人にとってインパクトの瞬間などは、出会い頭みたいなものだ。しかし、イチローのテニスのようなバッティングを見ていると、彼は、球がバットに当たってから離れるまでの時間と感触をゆっくり味わっているようにすら見える。もしかすると、その瞬間にも、幾つかの選択肢があって、状況にあわせて、動作を変えているのかもしれない。そのそれぞれの選択肢の違いについて、聞いてみたい。
○ イチローが、バッティングについて話す言葉と言うのは、なかなか素人には、理解しがたい。例えば、わざと空振りをする技術というのも大切だという。振り出してからタイミングがおかしいと分かったときは、下手にバットに当てて凡打になるのを避けるため、わざと球にあたらないようにするという。そりゃごもっともではあるが、一体、どんな技術を身に付ければそんなことができるのか。そんなことができるなら、ちゃんと芯にあてるように調整した方がいいのではないか。と、疑問は尽きない。
○ また、勝負の心理戦に深入りせずに、技術論に焦点を絞って聞いてみたい。イチローは、配給を読むバッティングに対して常に否定的で、どんな球が来ても打てるバッティングを目指しているようである。この延長でいくと、「江夏の21球」のような人間の心理描写によるアプローチで接近しても、本人は、好まないと思う。人間が出てくるとしても、彼の技術の為に必要だった出会いなどに限定した方がいいと思う。
○ これまでにも、テレビ番組があったり、幾つかの本がでたりしているが、どうも、決定版というには、技術的な説明が不足していると思う。意外とスポーツライターではなく、立花隆とか、最相葉月とかが書いてくれれば、野球の楽しさが倍増するのではないだろうか。人付き合いの嫌いなノーベル賞学者利根川進が、色々なインタヴューを断る為、一度だけ徹底的に説明するということで、立花隆のインタヴューと解説本に協力した。これが、出色の出来で、利根川進も大いに満足であった。そんな本が、イチローについて出ることを期待している。
○ ふむ、凡人は、こんな余計なことを考えながらクラブを振るから、空振りをするのだ。
6月2日
自作パソコン
○ 先週、パソコンを作った。台湾に来て2台目の自作パソコンになる。(ココ御参照)今回は、小学校がSARSで一週間休校になった愚息に、よい思い出の一つも残してやろうということで、作らせた。僕は、口では教えたが、実際にパーツを手にもって組み立てたのは、小学生である。
○ 組み立てる度に思うのだが、パソコンの自作は、どんどん簡単になっていく。今回も、必要な部品を買ってきて、ドライバー一本使って組み立てれば、何の支障もなく動き出す。あっけない。4,5年前に僕が最初にパソコンを自作したころは、ジャンパーという、電気基板の上の豆粒のようなスイッチにあたるものを、上手く設定したり、最初に立ち上げる時に、BIOSという下手をすると二度と立ち上がらなくなるものの設定を、おそるおそる変更したりする必要があった。今は、殆どなんの設定もせず、組み立てて、スイッチを入れると、スルスルと立ちあがる。普通に教えてやれば、普通の小学生でも簡単に作れる。公平に見ても、プラモデルより簡単だ。
○ 今までは、自分の技術的な知識のレベルをいう時に、「パソコンを自作します。」という言葉を便利に使っていた。全く知識のない人には、「すごいなあ」と思わせて見栄をはれる。また、よく知っている人には、「それくらいたいしたことない。まあ、それぞれのパーツの役割ぐらいは知っているということだな。」と、過不足なく受け止めてもらえる。丁度いい。何にでもいえることだが、自分のレベルを表すのに、自分よりレベルの高い人には、かいかぶられないように、自分よりレベルの低い人には、ちょっとはったりが利くように、説明するのがよい。
○ ところが、パソコンの自作がこんなに簡単になると、はったりにもならない。どうしてこんなに簡単になってしまったのだろう。今のパソコンというのは、もともと、オープンな標準を最大の特徴として普及した。大きな部品(モジュール)とモジュールの繋ぎ目だけを規格化し、その部品自体の性能は、自由に競いあった。どんどん色んなメーカーが無数のモジュールを生み出したので、いくら標準化されているといっても、組み合わせる相手のモジュールによって、設定を色々と変える必要があった。うまく設定をするには、それなりに、そのモジュールの役割や、規格の種類を知ってなければならなかった。
○ ところが、最近のモジュールは、組み合わせて最初に、互いに「自分は何物か」を相手のモジュールに説明する。そればかりか、「自分を制御する方法」なるものを相手に教える。つまり、「初めまして」と最初に出会ったときに、おじいさんが「ああ」というと「お茶をくれ」という意味だという老夫婦の会話のレベルまで相互に教えてしまう。そこで、人間がなにもせずとも、その最初のモジュール同士のコミュニケーションに合わせて、各部品が自分の設定を自分で変えるのである。
○ とまあ、ここまで書いてきて気付いた。これからは、パソコンを作るのがこんなに簡単だと知っているのが、自分のレベルの表現になるかもしれない。自分を説明するのに、「小学生やおばあさんや、会社の偉いさんにパソコンの作り方を教えるのが趣味なんです。」とでも言おうか。え?一緒にするなって。すいません。おばあさん。
6月1日
アクセスカウンター
○ この「台湾つれづれ」サイトに、6月1日からアクセスカウンターを付けました。このサイトを始めたのが2年前の6月3日だったので、2周年記念事業といったところです。
○ 当初、アクセスカウンターを付けなかったのは、次のような事情でした。まず、僕は、実は、このサイトを始める前に、別のサイトを作っていました。(ココ) サイトのコンセプトとしては、初めての人がパッと一度見て、写真とかを見て「キレイ」と思って、お役立ち情報を入手してくれればいいといったもので、リピーターよりも、一度だけ見に来る人をたくさんよびこもうとしました。つまり、アクセス数を狙ったサイトでした。これは、当初の予想以上の成功をして、個人のサイトとしては、アクセス数が非常に多く、2年前で一日300件程度、多いときは一日3000件以上のアクセスがありました。この2年程まともな、更新もしていませんが、まだ、相当数のアクセスがあるようです。5月31日の夜中現在での累積アクセスは、281857です。
○ 2年前に、この「台湾つれづれ」を作る時は、従来のサイトづくりへの「飽き」もあって、狙いを変え、アクセス数よりもリピーターをよぼうとしました。文章を中心に、更新を頻繁にする。更新を多くするために、写真は、増やさない。また、自分の身内への近況報告、自分自身への記憶の補助にも役立てようとしました。従って、アクセス数を気にするものでもないので、敢えて、アクセスカウンターをつけませんでした。
○ また、カウンターを付けなかった技術的な理由もありました。その兄弟サイトとは、実は、同じURLでファイルだけ変えて、別のサイトであるかのように見せています。つまり、技術上は、一つのサイトなのを、みばえだけ二つのサイトにしている状態です。(よくお叱りをうけるのですが、だから、この「台湾つれづれ」のURLは、かくも長いのです。)
○ 2年前は、同じホームページ内で、ページ毎にアクセスカウンターを付ける事ができませんでした。もう少し正確にいうと、アクセスカウンターというのは、CGIという技術を使うのですが、僕の使っているプロバイダーは、そのCGIの利用制限があり、アクセスカウンターをつけるには、プロバイダー提供のツールを使うしか方法がありませんでした。そのツールが、仕様上、一つのホームページ内では、一つのページのアクセスだけをカウントするものでした。そこで、そんなにアクセスもないであろう新しいサイト(=「台湾つれづれ」)に、従来のサイトでの累積アクセス数を0にリセットして、つけるのも、もったいない気がしたのも確かです。
○ 今回、カウンターをつける気になったのは、熱心な読者の方々から、「一体どれくらいアクセスあるの?」と、時々聞かれることがあるからです。また、全く僕の知らない方から、mailを頂く事があり、感激するのですが、一体、どれくらいの人が見ているのか気になりだしたからです。最近、プロバイダーが、新しいツールを用意して、ページごとのアクセス数をカウントできるようにしたこともあり、試しに使ってみた訳です。でも、余り気にしないようにしようと思っています。場所も最初のページの一番下にちょこっとつけています。
○ ところで、このツール、アクセスした人のプロバイダーやリンクできた時のリンク元などが分かるツールです。(もちろん、emailアドレスなんかは、分かりませんよ。御心配なく。)なんだが、そんなデータをこっそり見ているのは、申し訳ない気もして、この場を借りて、「見てますよ」とだけお伝えします。
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