台湾日記  2003年1月〜
  
(台湾日記 バックナンバー 2001年6月〜2002年12月) 


1月29日
台湾企業の中国進出
● 台湾のエレクトロニクス産業が中国に大挙進出している。この件は、話せば長い話になるような気がして、これまで書いていなかった。そうはいってられないので、少しずつ、脈絡がないのも気にせず書き足していこうと思う。

● まずは手許にある数字から。
○ 台湾の02年の対中投資額は、前年比38.6%増の38.6億ドル(ざっと5千億円)。これは、台湾の対外投資総額の53.3%。台湾政府は、リスク分散をするため、「南向政策」として中国以外のアジアへの投資を奨励しているが、なかなかすすまない。
○ 中国の02年の情報機器生産額(ハードウェア)352億ドルのうち、64%が中国に進出した台湾系メーカーによるもの。因みに日本は、315億ドル。ざっといって、日本の生産額の7割に相当する額を、台湾系企業が中国で生産している。恐るべし台湾パワー。
○ 台湾のノートパソコンの中国生産比率は、01年に5.2%だった。それが、02年は40%になった。
○ 台湾のIT産業の生産総額は、00年230億ドルから02年172億ドルとなり減少傾向にある。もうピークを越したのかもしれない。
○ 台湾の失業率は、一昨年の4.57%から、昨年は、5.17%に悪化した。生産拠点の中国移転が原因の一つと言われている。

● 次に、ビジネスの現場での感覚。
○ 元気のいい台湾の会社は、殆どが、中国に大規模な土地の手当てを終えている。その分野での現在の世界需要を一社でまかなえるほどの遠大な生産計画を見せられると、驚きを通り越してややあきれることもある。

○ 台湾で上場している企業で、台湾の従業員数3百人、中国の従業員数3千人というような例も多い。台湾の工場をほぼ閉鎖して中国工場のみで生産している企業と、台湾の工場の生産量を80%くらいにして、中国工場を生産量の拡大に使っている企業と、両方ある。

○ 投資規制の影響もあり、台湾系企業の中国工場の法的な親会社(出資元)は、ケイマン島籍のペーパーカンパニーであることも多い。これには、部品を供給している日本企業が、頭を抱えている。日本の部材メーカーの担当者は、お客様の台湾企業の中国進出についていって、中国工場にも供給しようとするが、ケイマン島籍の会社では、社内の説明が大変である。

○ 「中国への事業投資の成功率は、日本企業が10分の1、台湾の企業が10分の5」という説明を聞いたことがある。統計をとった数字とは思えないが、感覚的には、納得できる。「台湾の企業でも中国事業で成功するのは、それほど難しい」ともいえるが、一方で、「それでも日本企業と比らべると、圧倒的に成功率が高い」ともいえる。一言でいうと、プロ野球と草野球ですね。

● 最後に、個人的な感想。
○ 「みんな中国に行ってしまって、もう台湾は、空っぽだろう」という日本人が多い。また、台湾の中でも、空洞化を真剣に心配している。僕自身も、やっぱりちょっと、早過ぎ、大規模過ぎ、中国に集中し過ぎだと思う。しかし、過剰反応するのもどうかと思うので、次のような点を、「但し書き」として付けたくなる。

○ IT系の企業は、中国進出が始まる前から、タイやフィリピンの外国人労働者を大量に雇っていた。生産ラインの労働者のほぼ全てが、フィリピン人というような半導体工場まであった。そういう企業が中国に進出したからといって、雇用情勢に大きく影響がでないと思う。そもそも、失業率がたかだか5.17%で、「空っぽ」というのは言いすぎだと思う。また、失業率が前年比0.6%増えたからと言って、「国内産業が崩壊した」とまではいえない。

○ 海外移転とか空洞化とかと言って大騒ぎしているが、台湾全体としては、海外移転の経験は豊富にあり、別に今に始まったことではない。繊維、食品、軽工業などのIT系以外の産業は、中国、ミャンマー、ベトナムなどに何年も前から進出して成功している。違う産業には、海外移転の経験者がたくさんいる。

● 結局のところ、確かに、心配は心配であるが、少なくとも、日本人に説教を受ける程ではない、といったところだろう。釈迦に説法は、みっともないからよしましょうね。

また、台湾を離れますので、一週間程、更新できません。

1月26日
なめたらあかん
○ 僕は、日頃、日本からのお客さんには、「台湾と中国では、マナーも経済レベルも全く違う。ビジネスをする上においては、全く別の社会と考えてくださいね。」と言っている。

○ 例えば、先日も「台湾の人口23百万人の内、購買力のある経済的に有意な人口は何十%ぐらいでしょう」という質問を受けて少し驚いた。これは、よく中国ビジネスをするときにされる「中国の10億人の5%が購買力のある人口としても、大きな市場だ」という議論をうけてされた質問だと思う。しかし、台湾では、スターバックスの値段は、日本と同じくらいだけれども、街中いたるところにあって、台湾の人で満員だ。台湾くらい経済力があれば、普通に23百万人の市場と考えるのが順当と思われる。要するに、ビジネスをする上では、中国と台湾とは、全く別の社会と考えた方がいい。個人的には、イギリスとアメリカぐらい違うと思ったりしている。台湾でビジネスをしていると、グレーターチャイナなどといって中国と台湾を一緒くたにする議論には、ピンとこない。

○ 僕は、そんなえらそうなことを言っておきながら、台湾系企業の中国工場を見るために、広東省の東莞に出張した時に、大失敗をしてしまった。東莞には、台湾系企業が集中して進出しており、町には、台湾語が溢れ、台湾人向けの学校もあり、いわば、台湾地区のようになっている。そこで、僕も、今回の出張は、最初から、台湾の田舎に行くような気分で出張を手配していた。これが、甘かった。

○ 僕自身の手配のつめが不十分だったところもあるが、バスの行き先がちがったり、指定している停留所にバスが止まらなかったりで、大変であった。時間が無くなって、朝と昼の食事を抜くはめになり、同行していただいたお客さんに平謝り。最後には、東莞から香港行きのバスが旧正月の渋滞に巻き込まれて遅れ、香港から台湾行きの飛行機に乗り遅れる始末。旧正月渋滞は、気にはしていたが、台湾では、まだ始まっていないので、きっと大丈夫だとタカをくくっていたのが、大失敗だった。

○ 台湾に戻って来て、東莞によく出張する方々に、今回の失敗の顛末を話すと、「東莞も中国。中国をなめたらあかん。」と、みんなに言われた。全く、僕も、人に説教などするレベルではありませんな。


1月25日
2003年のアナ馬
○ 前回、前々回と、2003年に業界を引っ張りそうな商品として、デジタルカメラ(DSC)、DVD、PDP、無線LANを挙げてみた。今日は、なかなか難しいが、もしかするとそこそこでるかもしれないものについて書いてみたい。

○ インターネット電話(IPフォン、VOIP)
ブロードバンドが普及しWEB以外の使い道で最も有望なのが、インターネットフォンである。アナ馬というより本命級だ。これまでは、発信はできたが受信が簡単にできなかった。しかし、「050」番号の割り当てが始まるとその不便も解消する。日本は、SIPというプロトコール(通信手順)が、大勢になりそうだが、このSIPが、厳密性に欠けるため、各社各様で微妙に仕様が異なっている。いかにも日本らしい風景だが、この微妙な仕様の違いを乗り越えて相互接続をどれだけ容易にするかも見所である。しかし、まあ、この商品、ここ数年騒がれる割にブレークしなかった。おかげで、何社ヴェンチャー企業がつぶれたことか。

○ ビデオ配信(インターネットテレビ)
ブロードバンドを通じてテレビを見ようという構想である。今のテレビのように、多くの人が同時に同じ映像を見ているブロードキャストタイプ(−>ちょっと大雑把な言い方です)と、一人のユーザーが好きなコンテンツを好きなときからみるビデオオンデマンド(VOD)とがある。Yahooが始めようとしているが、同時に何万人もの人に動画を送るというのは、技術的な問題が多い。今年中に口うるさい日本の消費者が納得するレベルまで改善し、大きく普及できるとは思えない。しかし、IPフォンにしろ、ビデオ配信にしろ、Yahooが昨年強引に始めたので、各社取り組みはじめた。恐るべし、ソフトバンク。

○ VDSL
ADSLと似て非なるもの。VDSLは、100m程しか届かないが、安価にADSLの数倍のスピードを実現する。これは、使われ方が面白くて、光ファイバー網の最後の数十mを、従来の電話線を使ってユーザーの部屋までつなごうとするもの。ユーザーの家の壁に穴をあける工事をしないで、ファイバー並のスピードを維持できるので便利だ。FTTH(Fiber To The Home)などと偉そうにいっても、結局、壁に穴をあける工事に対する消費者の抵抗感が消えず、なかなか普及しないでいる。VDSLは、工事無しに従来の電話線と共用して使えるので、既に、マンション、ホテル、病院などで使われ始めている。NTTが、ADSLに対抗して、光ファイバー中心に攻めようとしているが、もしかするとVDSLが気の利いた助太刀になるかもしれない。

○ 他には、毎年空騒ぎに終わる、ネットゲーム、PDAなどが、今年、大幅に安くなり使いやすくなるので、気になる。ユーザーとしての僕個人は、安くて軽い無線LAN付PDAと、シンプルな機能で軽くて電池切れをしない携帯電話を持ち歩きたいと思う。emailは、携帯電話よりは、ホットスポットでPDAを使ってやってみたい。さてさて、鬼さん、腹をかかえて笑っていらっしゃいますかな。

1月21日
無線LAN
● 2003年最大の話題
○ 無線LAN製品は、2003年IT産業の最大の話題だと思う。昨年、普及が始まったが、本格普及という点では、今年だ。逆にいうと、これくらいしか新規の大きな話題がないともいえる。2003年は、無線LANの年となるだろう。

○ 今、日本では、企業でも家庭でも、パソコンを新規で買うときは、従来のブラウン管のモニターを買うことは珍しく、ほぼ全て液晶のモニターを買っている。これと同様のことが、無線LANの世界でも起こるだろう。今年末には、殆どのノートPCが無線LAN機能を持っており、家庭やオフィスで新しくLANを導入する時は、みんな有線ではなく無線でLANを張るということになっていると思う。

● 台湾勢の独壇場
○ 無線LANの製品は、台湾メーカーの独壇場である。世界市場では、アクセスポイントなどの外付けの無線LAN製品も、ノートパソコンに内蔵されている無線LANモジュールも、ほとんど全て台湾メーカーが供給している。一言でいうと、無線LAN製品は、日本メーカーがつくるにしては、単価が安すぎ、中国メーカーが作るには、技術的に難しい。丁度、台湾メーカーの間尺にあっている。もう少し詳しくいうと、心臓部のICは、殆どがアメリカ系企業。そのICを使って、基板(ボード)や、無線LAN製品の形にするのが台湾メーカー。日本メーカーは、自社ブランドのノートパソコンにそのボードを組み込んで売っている。ボードの組み立てといっても、無線製品は、馬鹿にできない。台湾勢は、自社で設計し、日本のトップメーカーの技術者でさえ羨ましがるような高価な検査機を駆使して製品化していく。

● ノンPCでの用途
○ この無線LAN技術を応用して様々な製品が考えられている。「ユビキタス社会」などと言われているのも無線LAN技術無しでは語れない。冷蔵庫の中身を外出先から見る例などが、話題となった。実際に商品化され始めたのは、家庭内サーバーから映像を無線で配信し、モニターやプロジェクターで楽しむものなどがある。また、無線LAN機能つきPDAをもち、屋外のホットスポットでインターネットや会社のネットワークにつなぐという使い方も実用的だろう。この他、POS端末、監視カメラなどが、無線LANを使うと実用性が増しそうである。一部商品化されたものも出てきている。

○ しかし、このような無線LANの技術のPC以外での応用となると、どう使うのかというのがまだまだ模索途上のところがある。この点では、昨年のADSLに似ている。そこで、昨年のADSLの例から考えると、結局は、ネット家電などの色々な提案はあっても、今年一杯、単に「便利なパソコンネットワーク」として使われるのだと思う。

○ 但し、来年以降のために、各社様々な模索をする年として、今年は重要である。ノンPCデジタル家電は、日本メーカーが圧倒的に強い。無線LAN用のモジュールは、安価に台湾メーカーから買えばよいが、それを利用した製品の単価は高く、消費者に受け入れられれば、売れる数量は、PCの周辺機器の比ではない。アイデア豊かな日本の家電メーカーのことである。また、世界中の人があっと声をあげるような製品を創り出してくれることを期待したい。


1月20日
2003年のエレクトロニクス商品
○ エレクトロニクス商品で今年売れるものはなんだろう。僕は、新3種の神器と言われる、1)デジタルカメラ(DSC)、2)DVDプレイヤー/レコーダー3)PDPテレビがやはり軸だと思う。これに、今年、急激に普及率が高まるのは、無線LAN製品だと思う。結局、昨年程は、話題の新商品が出てこないと思う。なんといっても昨年は、異常だったのだ。

○ 前回、2002年のエレクトロニクス製品を振りかえったときに思ったことだが、年初めに、予想もしなかったような大型のエレクトロニクス製品がその一年で売れるということは、珍しい。逆に、話題になったけれども売れなかったというものは、多い。この反省を踏まえて、今年の行末をみれば、やはり、上に挙げたDSC、DVD、PDPの3製品が、中心になると思う。

○ これらの製品は次のような点で共通している。
1)技術的に日本のメーカーが強い。
2)市場としても日本市場が、最先端の仕様を要求する最も進んだ市場である。
3)これらの商品は、昨年立ち上がったとも言え、日本市場では、今年が収穫の年。世界市場では、今年が立ち上げの年である。

○ 上記の特徴は、DVDには、あてはまらないきらいはある。DVDは、一年程進んでおり、昨年が収穫の年であり、且つ、参入してきた台湾や中国メーカーとどう協調と競争をするかが問われる年であった。従って、PDP、DSCもいよいよ、世界市場にどんどんでていくことになるが、そうなると、DVDのように、台湾、中国のメーカーが乗り出してくるので、熾烈な競争になっていくだろう。

○ デジタルカメラ(DSC)については、何度も言っているが、らくちんは、「2003年、3百万画素3倍ズーム機が300ドル」を主張していた。このとき、デジタルカメラは、世界市場でも、光学カメラの出荷台数を越えると思う。DSCについては、世に認められてからの成長が他のエレクトロニクス商品に比べゆっくりしている。これは、日本のカメラメーカーが、光学系の技術と特許を握って外に出さず、台湾メーカーがなかなか手を出せなかったからでもある。

○ 因みに消費者向けエレクトロニクス製品では、世界の中でも日本の市場が最先端のものを求めることは周知の事実で、米国、台湾などの企業は、常識として知っている。(一方で、企業向け通信機器などは、米国の市場の方が最先端のものを積極的に使おうとすることが多い。)従って、消費財でいえば日本市場でブームになったものが、1,2年遅れて世界で流行るのである。この点では、日本経済も内需依存型に転換していると言えなくも無い。

○ では、今年登場の新ヒーローは、何かというと無線LAN製品だろう。昨年、普及が始まったが、本格普及という点では、今年だ。無線LANについては、次回に書いてみたい。


1月19日
2002年のエレクトロニクス業界
○ 2002年を振り返ってエレクトロニクス製品の業界は、どうだっただろうか。今年初めの新聞によると、家電量販店では、今、PDPテレビ、DVDレコーダー、デジタルカメラを新3種の神器と呼んでいるらしい。結局、2002年は、この3種の神器に「ADSLサービスの普及」を加えたものが業界の動きの中心だった。

○ らくちんは、昨年の初めに、流行りそうなものを挙げている。(台湾日記02年1月13日「楽観論」)今日は、それを振り返ってみたい。昨年1月13日に僕が流行りそうなものとして挙げているのは、1)薄型テレビ、2)DVDレコーダー/プレイヤー、3)デジタルカメラ4)ブロードバンド5)PDA、携帯電話 6)BS110度。僕にしては、なかなか良く当たっていると思う。

○ PDA、携帯電話に就いては、昨年の今頃、各メディアがすごいぞすごいぞと言っていた。僕は、一応挙げているものの、「らくちんは、なんとなく気が乗らない商品だ。」と言っており、この辺の感覚が現実にあっていたように思えるのは、自分でもちょっと満足だ。デジカメ付携帯電話が○で、FOMAの動画送信がXというのをはっきり書くほど自信がなかったところは、残念な点ではある。

○ 一方、僕のイメージから大きく外れたのは、BS110度。それと、DVD-Rがもう少し普及するかと思っていたのに、代わりにハードディスクドライブに記録するのが流行ったのは、なかなか予想できなった。

○ ブロードバンドに就いては、「ブロードバンドが普及するのは間違いない。しかし、何に使われるかは、考えどころだ。」と書いており、概ねあたっているように見える。しかし、内心、一つくらい使い道が見つかるのではないかと思い、何に使われるかと随分考えた。(台湾日記02年1月12日「ブロードバンドの利用法」)結果としては、従来通りの「WEBを見る」という用途に終わったので、自分では、ちゃんと当てたような気がしない。僕自身、これは、よく省みるべき点だと思う。要するに、ADSLの普及は、インターネット接続の性能(=スピード)と価格を改善したから売れた訳で、何か新しい使い方を提案し普及させた訳ではない。新しい使い方を提案し普及させるというのは、本当に大変なことなのだと思う。

○ 全体的に再確認したのは、一年以前に予想もしなかった大型のエレクトロニクス商品が流行するというのは、余りないということである。経済にインパクトのある画期的な商品であるほど、巨額の投資と準備の時間が必要なので、かなり前から話題にならざるを得ない。むしろ予想が難しいのは、次にようなものだ。例は、2002年初め時点での例を挙げている。
− 話題になっている商品で、売れそうもないものを見分けること。
  例)タブレットPC、FOMA
− いつか必ず流行ると思われるが、この一年は、大ヒットしないと見抜くこと。
  例)テレビ電話、インターネット電話、ネットゲーム
− 毎年のように話題になるが、この一年では、はやらないと見抜くこと。
  例)ペン入力、PDA、ビデオオンデマンド

○ よく、評論家の方で、「ほら、私が以前にいっていたように円高になった」という人がいる。こういう予想は、面白くない。そりゃ、いつかは、円高になる。同じように「円安になる」といってもいずれ「当たる」だろう。中国への生産シフトにしても、「いつ、どれくらい、起こるか」が問題なのであって、「いずれ、起こる」とか「どんどん進む」というのは、余り意味の無い情報だと思う。学者ならば、大きなトレンドをつかむという意味で、無意味だとは思わないが、実際のビジネスには、余り役立たない情報だ。本当に必要なのは、「いつ、何が、どれくらいおこるか」なのだ。


1月12日
日本の経済成長
○ 日本に3日間程出張してきた。最近、日本に出張で行くと思うのだけれども、本当に国難と言えるほどの経済危機なのだろうか。飲み屋に行けば、そこそこ人が入っているし、街行く人もそこそこものを着て、しゃんと歩いている。電車に乗れば、みんなブランド物を身につけて、携帯でemailしている。本当に10年も経済危機をやっているなら、もっと、みすぼらしくて、ワイルドな感じがしてもよさそうなものである。

○ 今が不景気だというのを前提にして、じゃ、何%のGDP成長率がいいかというと、論壇や政治家の議論では、大体3%ぐらいだという。では、最近の0%程度の実績に比べ、理想とする3%成長との3%の違いが、我々普通の市民が暮らしいていて、本当に実感できるのだろうか。

○ 随分いい加減な論法だが、例えば、自分の給料が3%増えたとしよう。確かにありがたいが、増えた3%の給料で、何を買うだろう?「おう日本が変わった。復活した。」と実感するだろうか?そう実感できるほどすばらしいものを買えるだろうか?

○ サラリーマンにとっては、給料のアップよりもむしろ、失業率が減り担当の仕事がもう少し順調に行くことによっての方が、実感する幸福感は、増すかもしれない。しかし、仮に3%成長が実現できたとして、その時、果たしてリストラ話が今より目に見えて減っているのだろうか?結局、絶えざるリストラをし続けることによってのみ、景気回復が実現したということにならないだろうか?それならば、僕たちの暮らしは、今とそんなに変わらないことになる。

○ 僕は、以前、体感経済成長率というのは、そんなに精度の高いものではなく、数%の違いは、実感でききないと書いた。だからといって馬鹿にしたものでもなく、体感成長率は、幸せ感に近いものといえ、とても大切な政策目標だと思う。すくなくとも、体感成長率よりも統計上の成長率の方を重視するのは、手段と目的を取り違えた誤りだと思う。(台湾日記02年5月14日「体感成長率」

○ こんなことを思いながら、日本から帰って、いつも読んでいるかんべいさんのサイト(ココ)をみると。日本の成長率の修正のことが書かれていた。

=「溜池通信」からの引用=
昨年暮れ(12月26日)にGDP統計が改定されて、平成13年度(2001年度)の数値が確定した。再推計に当たっては前年にさかのぼるので、平成12年度も改定されている。あらためて確認してみると、愕然とするくらい数値が変わっている。

1999年度 1.9% 1.0%
2000年度 1.7% 3.2%
2001年度 -1.8% -1.4%

=引用終わり=

○  ほうら、実感できていないでしょう。2000年度に、実際は、3%成長していたなんて、驚いちゃいますよねえ。つまり、3%の成長率の違いなんて、実際にはなかなかはっきり分からない。更に、その3%の成長率を実現できたとしても、それほど、幸せな世界でもないということだと思う。

○ このように数%程度の成長率の違いに一喜一憂するのは、マーケット関係者でない人々にとっては、必要ないことだ。しかし、成長率は、大きなトレンドとしては、把握しておくべきである。日本の成長率は、1960年代から景気の波をならせば、美しい直線を描いて次第に下がっている。その右下がりの直線が0軸に交差するのが2000年くらいであった。つまり、0%成長から数%成長へ転換するのは、この長いトレンドを変更することであり、非常に難しい。戦後日本がやってきたことを根本的に変えないと、ほぼ無理だろうと推測がつく。

○ 結局次のようなことが言えると思うがどうだろう。
−数%の成長率の違いに一喜一憂しても無意味だ。
−たまたま、3%程度の成長率を短期間実現しても、それほど幸せを感じられない。
−3%近辺の成長率を長期間続ける可能性は、低い。
−3%近辺の成長率を長期間続けるためには、戦後日本がやってきたことを全面的に変更するくらいのことが必要である。
−おそらく、それだけでは十分ではなく、近代以降の西欧や日本がやってきたことを根本的に変更しないと実現できない。
−従って、将来3%成長を持続しないと払えないような多大のコストを払って、成長を実現しようとするギャンブル的政策は、よくない。

○ こうしてみると、新聞やメディアも含め、なにがんでも成長していなければならないという、成長を求める脅迫観念が支配しているのに気付く。0%成長といっても、なにも悪くなったわけでなく、去年と同じだというだけであって、嘆き悲しむのが自然とは思えない。この成長への脅迫観念こそ変えなければならない筆頭かもしれない。しかし、これこそが西欧の近代以降を支配した観念であって、そう簡単に変わるものでもないのも事実だろう。

○ 僕も一サラリーマンとして、自分の給料の0成長に就いて、まあ、悪くなった訳ではないからいいや、と思うようにしようと思う。とにかく、そう、かりかりせずにゆっくりやりましょうや。それが、ポストモダニズムなんやから。

1月5日
バリ島でお正月
あけましておめでとうございます

○ 今年は、バリ島で年を越した。テロの影響で、観光客が未だに激減したままであり、バリ島の人々は、大変そうであった。その分、そこへ行った僕達は、正月のリゾート地とは思えぬ程すいたところでゆったりとできた。では、早速、バリ島で、見聞きしたことなど、脈絡なく、つれづれ綴ってみたい。

○ バリ人の運転手さんに、爆弾テロの後、客が減って大変でしょうと話すと、一時は、90%減まで落ち込み、今もなかなか回復していないとのこと。ガイドさんが、仕事が無くて大変だと言った後、「私、ヒンズー教徒。でも、断食2ヶ月しました。」とにっこり笑って言ってくれた。このブラックともペーソスともいえる言葉で、バリ人は、頭がいいと以前聞いたことを思い出した。(因みに、ヒンズー教徒は、一年に一日だけ断食をするという)

○ バリ人は、バリ語とインドネシア標準語の2言語を話すそうだ。お隣のジャワ島のジャワ人は、ジャワ語を話す。ジャワ人とバリ人は、バリ語ともジャワ語とも異なるインドネシア標準語で会話する。多言語社会なのは、台湾と似ている。と、いうか、世界では、多言語環境の方が普通で、日本が変わっているといえるもしれない。アメリカの大統領だって、スペイン語を話す時代だ。

○ ジャワ人の話になると、運転手さん曰く、「ジャワ人、悪い人多い。バリ人の80%いい人。ジャワ人の80%よくない人。バリ島で悪いことするのは、ジャワから来た人。」ううむ。台湾は、台湾で大変だが、インドネシアは、インドネシアで大変そうだ。

○ 12月31日にメガワティ大統領がバリ島にやってきた。現大統領は、バリで人気があり、全インドネシアの中でもバリ州の支持率が最高らしい。スカルノ初代大統領を好きな人が多く、その娘のメガワティも支持している。何故、バリ人がスカルノを好きなのかというと、「最初の奥さんがバリ出身の人だから。」という。しかし、それなら、どうして別の夫人の娘であるメガワティ氏を好きなのか、日本人には、ピンとこない。「今の大統領は、日本人の親戚いるから、日本好きだよ。」と言われて、不思議に思ったが、デビ夫人のことであった。ううむ。やはり、このへんの感覚は、一夫一妻制になれた身には、どうもよく分からない。

● 
バリ島には、いたるところに、神があり、美があり、意味がある。
林では、様々な種類の草木が茂り、
その上を色々な昆虫が住み、
ヤモリなどの多くの小動物が蠢(うごめ)いている。
バリ島では、多様で、且つ、独立したものが、
折り重なるようにして、隙間なく空間に敷き詰められている。
意味の絨毯のように。

○ 工芸品の村があるというので、製造直売をする店が10件ほど並んでいるのかと思っていた。ところが、例えば、石像を作る村にいくと、たくさんの工房が陳列したおびただしい量の石像が、街道沿いに数キロに渡って続いている。壮観だ。木工芸なら、木工芸、織物なら織物で、同様に数キロに渡って街道脇が埋め尽くされる。なにもない空間を恐れているかのように。

○ バリの人は、いたるところで神様におそなえものをする。どこの商店も、店先の地面の上に、小さな花に飾られた簡単なお供えを並べている。よい神様には、幸せが来るように、悪い神様には、悪いことがおこらないようにと祈り、どちらにも、おそなえを出すそうだ。悪い神様にも、おそなえをだすと聞いて、アジアだなあと思う。ちょっと、欧米人には、分かるまい。

○ ところで、旅先でたまたま話した欧米人は、二組ともオランダ人だった。オランダは、かつて、日本軍が来るまで植民地としてバリを統治していた宗主国である。にこやかに話をしたけれども、日本人旅行者とバリで話をするのは、複雑な心境だったかもしれない。一方で、このジャングルを見ていると、かつてここまで来て、野営し泥にまみれて戦った日本の兵士達がどんな心境だったかと思う。「えらいとこに来ちまった」と思った人も多かったのではないだろうか。

○ 最後の日に、中国系インドネシア人と話すことができた。彼女は、中国語教師である父母から教えられ、ちゃんと北京語が話せるが、北京語でも、どういう訳か、中国(大陸)の人より、台湾の人の方が通じやすいと言っていた。台湾の北京語の方が古いからかもしれない。また、彼女は違うが、インドネシアの中国人は、福建系が多いとのこと。台湾人が台湾語で話すと、大体分かる人が多いのではないかとのことであった。世界で、福建語系の言葉を話す人は、実は、多い。中国の福建州、台湾、中国系マレーシア人を合計すると、ヨーロッパのちょっとした言葉の会話人口と同じくらいになってしまう。

○ 考えてみれば、中国人は、統治こそしたことはないが、オランダ人、日本人以上にインドネシアに定着したといえることになる。いずれにしても、ホモ=サピエンスというのは、実に長い距離を移動して住み着く動物では、ある。

○ さてさて時間である。明日からは、仕事だ。僕の方は、独立していなくて、平板な意味が隙間だらけで連続する世界に帰らねばならない。よい年になりますように。


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