台湾日記 2003年10月〜
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10月30日
クエール幹事長
安部幹事長の位置付けは、クエール元副大統領と似ている。時の権力者が、政権の清新さと若さをアピールするために抜擢した事。保守タカ派と思われていること。民主党が選挙戦術で頼りにしているアメリカのマーケティングの会社も、クエール叩きの方法ならお手の物ではないだろうか。もしあなたが、自民党支持者なら、逆に、用心した方がいいですかもしれないですね。
10月27日
台湾の財閥
○ 最近、「新規のビジネスについて話したいので、台湾の有力財閥のトップとアポイントを取って下さい。」と依頼され、なかなか困惑する事が多い。特に他の東アジアの国でのビジネス経験が豊富な人がこういうことを依頼してくることが多いように思う。
○ 台湾にも財閥のようなものはあり、そこそこの財閥的家族で、公にはなっていないが、1兆円くらいの流動性の資産を持っているなどということを聞いたことがある。しかし、だからといって、タイ、フィリピン、インドネシアなどの財閥の強い国に比べると、財閥の社会的影響力も弱く、また、財閥の家族が具体的な個々の案件でビジネスの意思決定に関わってくる場合は、少ないと思う。この点では、ずっと日本に近くて組織的で、オーナーである財閥の家族にビジネスの話をして、決着をつけるというのは、なかなか珍しい。
○ ここでは、東アジアの上場会社の支配の構造に就いて、「アジア経済の真実」(吉冨勝)の本から数字を抜き出してみる。1996年末の数字なので、やや古いので注意。
会社数 | 所有の比率(%) | 家族企業の株価総額に 占めるシェア(%) |
||||||
不特定多数 の個人 |
オーナー 家族 |
国(*1) | 金融 機関 |
分散所有 の会社 |
トップ 5 |
トップ 1 |
||
タイ | 167 | 6.6 | 61.6 | 8.0(24.1) | 8.6 | 15.3 | 32.2 | 9.4 |
マレーシア | 238 | 10.3 | 67.2 | 13.4(34.8) | 2.3 | 6.7 | 17.3 | 7.4 |
インドネシア | 178 | 5.1 | 71.5 | 8.2(15.2) | 2.0 | 13.2 | 40.7 | 16.6 |
韓国 | 345 | 43.2 | 48.4 | 1.6(19.9) | 0.7 | 6.1 | 29.7 | 11.4 |
フィリピン | 120 | 19.2 | 44.6 | 2.1(3.2) | 7.5 | 26.7 | 42.8 | 17.1 |
台湾 | 141 | 26.2 | 48.2 | 2.8(3.3) | 5.3 | 17.4 | 14.5 | 4.0 |
シンガポール | 221 | 5.4 | 55.4 | 23.5(40.1) | 4.1 | 11.5 | 19.5 | 6.4 |
香港 | 330 | 7.0 | 66.7 | 1.4(4.8) | 5.2 | 19.8 | 26.2 | 6.5 |
日本 | 1,240 | 79.8 | 9.7 | 0.8(7.3) | 6.5 | 3.2 | 1.8 | 0.5 |
(*1) カッコ内の数値は、株式の市場価値でウェイト付けした場合、この値が大きいと、国有企業の株式の市場価値が相対的に大きいことを示す。
○ この数字をみても分かるように、台湾では、少数の財閥の家族による支配という形態は、ほかの東アジアの国に比べて、最も少ない。とはいっても、日本ほど所有形態が分散している訳でもない。オーナー家族の所有の比率は、韓国、シンガポールと同じくらいで、最も低いグループである。その韓国、シンガポールも、国有の比率が高く、台湾とは、大きく違っている。まった、トップ5、トップ1の家族企業が持つ比率は、他の東アジアの国と比べて、際立って低い。台湾は、他の東アジアの国に比べて、明らかに別格だが、日本との差もまだまだあるといったところだと思う。
○ 僕の経験でいうと、台湾の大企業に新しいビジネスの話をするのは、日本のようにやはり担当の部署から順々に話をするのが普通だ。せいぜい、その財閥グループのうち関係のありそうな一つの会社の雇われ社長に話し、どこの担当部署に相談すればいいか聞く程度のことになる。そういう場合でも、プレゼンをして、興味をひいて、といった作業は、担当者相手にすることになりがちだ。
○ とはいっても、日本と違うのは、よくよくビジネスを進めていくと、結局、一人のキーパーソンが見つかることがままあることである。その人が、社長秘書だったり、R&Dの担当だったり、購買の課長だったりと、部署やポジションも会社と商品によってバラバラだが、「結局、この人がこの商品については、決めている。」という一人の人によく行き当たる。逆に、このキーパーソンを見つけるのが台湾のビジネスでは、大変な作業となる。
○ こういう点は、組織で動いて来る日本とは異なっている。先日、台湾の客と日本の客の間にたって厳しい価格交渉をしたとき、台湾側の担当、まさにキーパーソンが、なかなかまとまらずいらいらしてきて、「一体、日本のこの会社の誰がキーパーソンなのか、はっきりしてくれ。それを同定できないのは、間にたっているあんたが悪いのではないか。」と僕を責め始めて困ってしまった。もちろん、日本の会社にもキーパーソンといえる人はいるのだけれども、台湾でのキーパーソンのように、「その人さえ説得すれば、ほぼOK」というようなものではない。日本の会社の場合、内部で縦横斜めの合意を取り付けなければ、確約は、できないものである。言っても分からないだろうから、その客には、長くは反論しなかったけれども、僕は、台湾人の同僚に、「日本の会社は、総責任、総無責任体制だから、そんなキーパーソンなんて特定できないよな。」と愚痴っていた。言われた台湾人の同僚もなんとも僕の言葉に納得しかねる風であった。
○ こういうのが、ビジネス文化の違いで、時に決定的な意味を持つことがある。あな、おそろしや。
10月26日
治安。年金。借金。
● 選挙で「治安。年金。借金。」をアピールしてくれる立候補者がでて来て欲しい。街頭演説で「私、○Xは、治安。年金。借金。の問題を解決します。」。「治安。年金。借金。の○Xでございます。」と言うのである。選挙でアピールしやすいキャッチフレーズだと思うがどうだろう。
○ 今回の選挙では、マニュフェストが話題になっている。しかし、マニュフェストなどというのは、新聞やテレビのマスメディアの上で議論を戦わせるのには、便利だが、地元で対立候補と1票を取り合うのには、不便そうである。余程の酔狂でなければ、あの「マニュフェスト」の長い文章を読んで理解した上で、候補者の支持を決める選挙民はいないだろう。
○ 選挙民にとっては、せいぜい政策を明確な文書にして公表しているという事実があればいいのであって、マニュフェストの内容の巧拙で票が左右するようにも思えない。ひどいたとえでいえば、ブランドのカバンのようなもので、ハイカラなので一つくらい持っていた方が見栄えがいいが、本人も周囲もカバンの中身まで気にしていない。結局は、マニュフェストを使う人も使わない人も、それとは別に、何をアピールするのかを、簡潔、且つ、明確にした方がいいと思う。
○ そこで、「治安。年金。借金。」というアピールをすることのメリットを挙げてみる。
● 第一に、「治安。年金。借金。」というのは、分かりやすい。人々が身近に、しかも、深刻に感じている問題を端的に表現している。「構造改革」、「財政のプライマリーバランスの達成」などという言葉は、我々の暮らしからは、縁遠い話である。それよりも、変な拉致事件に巻き込まれたくないし(=治安)、歳をとってホームレスになるのは、いやだし(=年金)、今のマンションのローン(=借金)を何とかして欲しい。
○ かといって、「2つの安心」などというアピールは、小学生でも知っている言葉を使って分かりやすいようでいて、実は、内容が心に響かない。「信号は、守りましょう。親兄弟は大切に。」という説教を聴いているようなもので、あたりまえすぎて、「この人とは波長が合う」とまでは、思わないものである。市井の人も、自分が関心のあることには、別に小学生のレベルまでにしなくても、多少難しい言葉で理解できるものである。
● 第二に、「治安。年金。借金。」というのは、結局は、日本の今の問題を正確についている。日本の経済は、国の財政赤字、企業のバランスシート調整、家計のローンという、各部門の借金が問題で、実態面に加えて心理面でも経済に悪影響をだしている。さらに年金制度の信頼感のなさから老後の不安が消費を抑えてしまう。これからの日本は、低成長と高齢化少子化に対応する必要があり、その為には、歳をとっても働けるようにする事が王道だろう。そうした問題と解決の道が、最も端的に現実的な問題として今現れているのが年金問題なのである。
○ 更に、治安について言えば、今の人々の気持ちは、「がらすきの立派な道路を作る前に、変な殺人や強盗をなくしてくれ。」というものだろう。これは、実は、福祉国家と警察国家という、古くからある国家観の考え方の違いにもつながっている。入り口の敷居は低いが、深く思想的な背景もある議論である。
○ このように、「治安。年金。借金。」というのは、日本の問題の全てとまではいわずとも、いいところをついている。日本の抱えている根本的な問題が、個々の市民のレベルに起こしている悪影響や心配を挙げている訳で、身近でありながら根は深く、決して浅薄な人気取りのためだけのスローガンではない。
● 第三に、「治安。年金。借金。」というのは、口に出して、語呂がいい。よく言われるのであるが、「ん」を上手く使ったスローガンは、語呂がいい。「アンポ。はんたい。」がよい例である。「ちあん。ねんきん。しゃっきん。」は、「ん」が4つもあって、大サービスである。例えば、読者の選挙区の立候補者の一人が、「治安。年金。借金の○X」と今から選挙期間中、連呼したことを想像してほしい。投票所にいって立候補者の名前を見た時に、「ああ、治安。年金。借金の○Xさん」と思い出すような気がしないだろうか。
● 昨年9月に「高速道路料金の値下げ」をこのホームページで主張して以来(ココ、9月6日)、何度かこの案をとりあげ、今年5月には、民主党がこの政策を掲げると人気をとりやすいと思うとまで書いている。(ココ)それが、今は、民主党のマニュフェストにまでなっているのを見ると愉快である。(別に民主党の人が僕のホームページを直接見た訳でもないだろうが...)コンピューターソフトの世界の「フリーウェア」の作者の気分で、世で使われるのを見て、自分の狙いがポイントをついているのを確認するのが僕は楽しい。おまけに、実際に自分が使う道路が安くなれば、これに越した事はない。
○ 「治安。年金。借金。」というアピール法にしても、どの政党の人が使おうともかまわない。自分の考えたこのスローガンを使ってくれれば、また、喜ばしからずやである。感覚的には、保守系無所属の立候補者で、民主党候補とも自民党現職抵抗勢力とも戦わなければならない人などにいいような気がするがどうだろう。ポスターも擦り終わって、ちと、遅すぎましたかね。
○ 一方で、これは、立候補者に対する選挙戦術の提案であるとともに、「こういうことに目を向けてくれよ。」という一市民の側からのインターネットを通じた主張でもある。こういう柄にもない偉そうな趣旨は、なかなか照れくさくて、言い出しにくくて、最後に書いてしまったが...
10月25日
総統選挙世論調査
○ 台湾の総統選挙6ヶ月前、5ヶ月前の世論調査結果を書いておきたい。TVBSの調査である。以前に紹介したので(6月21日、ココ)それも、あわせて見ていただきたい。
○ 陳水扁現総統側が、少しだけ持ち直したようである。今年6月の時点で満足とまあまあ満足の合計が27%まで下がったが、10月始めには、30%にまで少しだけ増加した。今後、選挙下手の連戦氏が、いくつかミスをするだろう。そのとき、副総統候補として下手についている宋楚瑜がどれだけ我慢できるかも見ものである。
○ 以前のものも合わせて数字を載せておきます。
就任後 1ヶ月 |
就任後 3ヶ月 |
就任後 半年 |
就任後 1年 |
就任後 2年 |
就任後 3年 |
選挙前 10ヶ月 |
選挙前 6ヶ月 |
選挙前 5ヶ月 |
|
調査日時 | 00年6月 19日 |
00年8月 14日 |
00年11月 16日 |
01年5月 17日 |
02年5月 13日 |
03年5月 15日 |
6月 3日 |
9月 1日 |
10月 1日 |
たいへん満足 | 26 | 14 | 13 | 11 | 14 | 5 | 4 | 5 | 7 |
まあまあ満足 | 51 | 45 | 31 | 30 | 37 | 28 | 23 | 26 | 23 |
あまり満足でない | 6 | 19 | 28 | 27 | 26 | 34 | 37 | 35 | 33 |
たいへん不満 | 2 | 9 | 20 | 19 | 12 | 16 | 22 | 22 | 22 |
無意見 | 16 | 13 | 8 | 13 | 12 | 16 | 14 | 12 | 16 |
10月23日
接待
○ 最近は、来客も多く大忙しである。先月のコンピューターショウのComputexがあったときなどは、月曜日から金曜まで毎日接待で、しかも、夜だけでなく、ほぼ終日、お客さんと同行していたので、昼間に机に座っている時間が、一週間で一時間ほどしかなかった。まるで商社マンみたいと驚いてしまった。とはいえ、それでも仕事が回るところをみると、要するに、自分があんまり普段の仕事に必要ないともいえる。
○ 僕は、商社と言われている会社に勤めているにもかかわらず、どうも接待は、するのもされるのも苦手である。もともと、ゴルフもダメで、カラオケも歌えない。お酒も強くないし、ご商売の女性が横に座ると何も話せない。そんなに気配りのできるほうでもない。
○ こんなふうに芸のない人間であるにもかかわらず、さらに困った事に、「エライ人」をみると馬鹿にしたり、おちょくってみたくなる子供の時からの悪い癖が治らない。とくに「イバッタ人」なんかをみると、自分の人生を投げ打ってでも、一瞬でもいいから不快な思いをさせてやろうと思ってしまう。このあたり、よく先生に逆らっていた僕の学生時代を知っている人は、よく理解できるところだと思う。これでは、「エライ人」や「イバッタ人」を気持ちよくさせるのがもともとの趣旨である「接待」などは、上手く出来ようもない。
○ 幸いなことに、入社以来接待とは、縁の少ない暮らしをしていた。接待の少ない電子産業を担当していたことが多かったこともあり、本当に純粋に仕事の接待といえるような接待は、滅多になかったと思う。(一方、いわずもがなではあるが、プライベートで知り合いと飲みに行くのは、大好きである。)
○ 台湾に勤務となって、随分、接待の機会も増えた。しかし、海外に来られるとエライ人も、少し心細さも手伝うのか、僕のような下っ端の若造にも、気さくに接してくださる事が多い。そんなこんなで、気のきかない僕が、なんとか今日までやってこられたのは、ありがたいことだと思っている。
10月20日
マイクロソフトと日本的経営 (10月15日、16日、18日分も見てね)
○ マイクロソフト(MS)にいたときに思ったのは、日本的経営のいいところをうまくアメリカ風に変えて導入しているということだった。ビル=ゲイツなどのマイクロソフトの経営者には、日本の経営手法をとりいれたという意識は、あまりなかったかもしれない。しかし、当時、日本の強さが際立ち、日本異質論さえでたあとだったので、マイクロソフトという、90年代前半当時、伸び盛りのアメリカの活きのいい企業が、日本的経営に似たところがあるのを見つけるのは、興味深かった。
○ まず、第一に、面白く思ったのは、マイクロソフトが大々的に活用した従業員に自社のストックオプションを渡す制度が、日本の社員持ち株制度に似てみえたことである。日本的経営を分析した時に、日本の会社の従業員が「我が社」というように、会社に対して高い忠誠心を示す理由の一つとして、社員持ち株制度が取り上げられていた。MSが大規模に導入していた従業員に渡すストックオプション制というのは、日本の社員持ち株制度を、アメリカ風に、公平で透明にして、洗練させたもののように見えた。
○ MSの普通の社員がもらっている現金での給料は、それほど高くはなく、普通に暮らせる程度だった。そして、車を買ったり、夏休みに家族で長期間旅行したりするときに、ストックオプションで手にしたMSの株を売ったお金を使っていた。
○ 社員がつくづく言っていたけれども、MSは、ストックオプションをえさに社員を働かせるのが実に上手い。いろんなケースがあるようだが、一般的には、ストックオプションをもらってから3年くらい会社にいないと株を売って現金化できない。MSの仕事はきついので、しばしば辞めたくなるのだが、そのオプションが行使できる日までは、頑張ろうと、耐える事になる。そして、そのオプションが行使できる頃が近づくと、会社から、また、ストックオプションを渡すから会社に残って仕事を続けないかと言われる。実際、ストックオプションによって、一億円以上の資産を持っている平社員がたくさんいる会社なので、なかなか説得力がある。
○ 日本的経営では、えてして情緒的な面を強調して、従業員の会社への忠誠心が語られる。MSで導入されているのは、同じ自社株による従業員の動機付けなのだが、もっと合理的というか、クールに、社員のやる気を刺激しようとしているのは、面白く思った。
○ 第二に、日本的経営では、終身雇用と年功序列制により従業員が会社のより全体の利益をより長期的にみることができると強調されるが、MSでは、そこまでいかないまでも、会社に長くいる人には、それなりにいいことがあるような制度になっていた。つまり、基本となる能力主義を補完するものとして、社歴の長さが待遇にプラスに働く面はあった。そもそも、当時でも8年前からの社員といえば、ストックオプションのお陰で、相当MSの株をもっており、ポジションが低くとも、それだけで、億万長者クラスの大変な資産家であるのは間違いなかった。つまり、出世はしなくて給料はそれほどよくなくとも、長い間会社にいる人は、最近中途採用で入ってきた切れ者のマネージャーに比べて、資産は、たくさんもっていた。また、窓のあるいい部屋は、ポジションが高い人というより、社歴の長い社員が占領していることが多かった。これを見つけたとき時は、ちょっと、微笑ましくも思ったものである。
○ 第三に、これは異論が出るのも覚悟で私見をいえば、日本の経営と似ている点として、現場の職人を大切にする点をあげておきたい。MSでは、すばらしいプログラムを書く人(コーダー)が非常に尊敬されていた。組織図上は、プログラムを書く人は、一番下に書かれるものであり、上司の指示に従わねばならない。しかし、最もコンパクトで早いプログラムを書くプログラマー(コーダー)は、非常に尊敬されており、物質的にも、時には、上司の課長や、その上の部長クラスよりいい給料をもらっていた。
○ 日本のソフトウェアの会社では、プログラムを実際に組むのは、入社したての若い人であり、経験をつんで、プロジェクト全体を管理する仕事になっていくのが普通である。しかし、中には、実際にプログラムを組むのが非常に上手いけれども、人間の管理なんて、苦手でやりたくもないという人もかなりいる。日本では、そういう人にまで、無理やり管理の仕事をさせ、上手くいかないと、「SEにはなれない人材だ」などと非難めいたことを言ったりする。MSでは、周りに見る目があるという点もあるのだろうが、口下手で、人付き合いの下手そうな人でも、いいコーダーは、精神的にも、金銭面でも尊重されていた。
○ 当時、日本的経営の特徴として言われていたのは、ジェネラリスト志向の人事制度であった。その論でいうと、マイクロソフトのこのコーダーを大事にする文化は、日本的経営の対極にあるように思える。しかし、僕は、ジェネラリスト志向の人事制度を日本的経営の特徴とすることにも、それが会社の発展に寄与すると言う意見にも、余り賛成しない。
○ もともと日本の会社の特徴は、現場を大切にする事ではなかったか。現場の職人は、時には管理職より大事にされていたはずだ。現場を大切にするからこそ、学歴がなくとも現場で功績のあった人が会社の幹部まで勤めたりすることも多かった。しかし、日本の会社が大きくなって、そうした大番頭の履歴を、後からただなぞるように、現場の戦力とも考えていないのに、色んな部署を少しずつ腰掛程度に経験させたりすることが大切であるかのような人事制度を作ってしまった。そして、結局、現場の顧客や製品との接点で身の削るような厳しい経験を長期間してきていない人ばかりを幹部にしてしまった。それが、今、日本の会社の経営幹部のメリハリのきかなさであり、日本企業の停滞の原因では、ないかと思っている。
○ 上記のように、マイクロソフトの会社の経営に、日本企業と共通するものを挙げてみた。しかし、これは、93年頃のMSを見た印象である。その後、当時からの知り合いでMSに関係する会社の人に聞くと、MSも随分官僚的になってしまい、僕のいた頃とは別の会社みたいだとも言われた。僕の上のコメントをもって、今のMSの姿とは、思わないで頂きたい。
○ もう一度、全体を見渡してMSの経営、特に人事制度面で面白いと思ったことを一言で挙げてみると、評価の基準が明確でありながらも、複数であることだった。日米をとわず他の会社では、一般的には、人事の評価というのは、なんらかの社内の基準にもとづいた一つの物差しにもとづいている。そこで評価の高いものから順に、地位と給料が、与えられ、従って、資産もその順でもっている。つまり、社長さんを頂点とする組織のピラミッドの上から順に、権限、給料、資産、職場環境について、単線的に、いいものが与えられていく。これが普通だと思う。
○ しかし、(当時の)MSの場合は、複数の基準によって、複数の報酬体系があり、それらが交錯している。従って、ライン上は一番下のコーダーでも、優秀な人なら部長よりも高い給料をもらっていたりして、単線的な評価ではない。また、能力はそれ程高くないが、社歴の長い人が、出世もしていず給料も高くないが、上司よりも資産をたんまり持っていたりする。端的に言えば、慣れない人が組織図と名刺にあるポジションを見ただけでは、その人の給料や資産が何桁なのかもわからないし、社内での存在感もさっぱりわからないような状態だった。
○ つまり、評価の軸としては、基本となるのは、やはり、第一に、能力の優劣だが、第二に、ラインの上下がまた、やや独立した別の軸になっている。そして、最後に、社歴の長短も結局は、本人の待遇にとって大きな意味を持つ。そうした複数の軸での評価の上で、与えられる報酬も複数の形をとっていた。つまり、現金で払われるキャッシュフローと、ストックオプションにより形成される資産、それに窓際の部屋を占領できるなどという環境が、それぞれ別の順序で与えられる。
○ 僕は、社員をやる気にさせるには、こういう複数の評価基準に基づき、複数の体系で報酬を渡すのは実に効果的だと思った。総合的な評価とはいえ、最終的には、一つの物差しだけで人間を評価してその順で、すべての処遇が決まるのは、どうしても、評価の低かった人のやる気をそいでしまう。それよりは、複数の評価軸とそれにそった複数の報酬体系があった方が、心理的にも楽である。
○ 「100人中あなたの点数は、67番目です。それは、66番目の人の次ということであり、68番目の人より、偉くて給料がいいということです。」と言われるのはつらい。それよりも、「あなた、見た目はよくないけれども、面白い人ね。」といわれる余地があるほうがいい。そう思うのは、負け組の負け犬根性だろうか。
10月18日
マイクロソフトにいた頃 3 (10月15日分、10月16日分の続き)
○ そんな風に、記事の翻訳と不定期のコメント屋みたいなことをしながら、のんびりと過ごしていると、見かねた同僚が、上司に、「あいつにまとまった仕事をさせたらどうか」と言い出した。そこで、日本語版WinPADの開発の狙い、というか、コンセプトのようなプレゼンテーションをした。日本の場合、アメリカにはない電子手帳や小型のワープロ専用機など潜在的に競合する商品があるので、それにどう競合していくかというようなことをアクセントにして話をした。結局、まとまった仕事をさせてもらうことになった。
○ 話は、それるが、当時の僕の直属の上司というのは、実は、「シリコンバレー・アドベンチャー」と言う本に写真いりででている。90年頃、ゴー社というペン入力のヴェンチャー企業にMSが提携しようとして人まで送りこんだけれども、結局、提携できなった。そのときにMSからゴーに送り来まれたのが僕の上司であり、受け入れたゴーの社長が、ゴー社の倒産後に書いた本が、「シリコンバレー・アドベンチャー」である。そして、その本のなかで、僕の上司は、MSから送り込まれたスパイとして写真入りで紹介されている。
○ 話を戻そう。僕のしたのは、正確に言うと、「日本語版WinPadのユーザーインターフェイスの最初の仕様書」を作るというものだった。帰国した後、時々、「MSのPDAを作った」なんて紹介してくれる人がいたけれども、それは、セールストークにしても言いすぎだ。日本語化のもとになる英語版のWinPadがあるので、僕の書いていたのは、日本語入力のところと、住所録など日本の習慣に合わせる必要があるもの−実は、無数にあるのだが−についてだけだった。それも、プログラムを書いていたわけではなく、画面上のここを押すと何が出てくるとか、住所録のレイアウトとか、そういうこと(=ユーザーインターフェイスの仕様書)を書いていた。(それに、WinPAdは、その後開発まではされたけれども、最後には、発売されなった。後にMSからでたWindowsCEは、WinPAD部隊の生き残りがやっぱりもう一度と言って、スクラッチからOSを書いて作ったもので、開発メンバーに幾らかの重複はあるけれども、技術的には、別物である。)
○ これまでの新聞記事の翻訳と整理とは、全く違って、今度の仕様書書きの仕事は、上司も真剣だったし、なかなか厳しいところがあった。昼間にゲームをしたりバスケットボールをしたりはするけれども、マイクロソフトの連中は、実に仕事には、熱心だった。僕は、何か間違っていると思ったが、フレックスタイムだからといって、朝の6時頃から会社に来て仕事をしていたし、開発日程が立て込んでくると、睡眠数時間でチーム全体が頑張ったりする。僕が何日もかけて作った一つの画面の案が、くそみそに言われてほぼ全面没になったりした。容赦がないのも、ある程度、認めてもらっているからと思い直して、僕も頑張るしかなかった。
○ そこで身にしみて覚えたのは、消費者が直接手にする消費財の商品の難しさだった。以前僕が扱っていた半導体などは、結局、売り先は会社である。数字化できる基本的な性能がでていればよいと言う面は、確かにあったし、また、性能が少し悪い程度なら、安くすれば売れるということもあった。ところが、消費者相手だと、「ちょっと遅いと感じる」とか、「ちょっと、使い方が分かりにくい」と、思われると、もうアウトになる。多分に感覚的なものだし、ボタンの位置だとかという、細かい事だが、その細かい点で、商品の勝ち負けが100:0で出てしまう。
○ その後の僕の経験を加えて考えてみても、こういう消費財のビジネスの厳しさを肌で分かっている人と分かっていない人がいる。そして、この違いが分かっていない人、特に産業材のビジネスで成功体験を持っていて自信を持っている人が、消費財のビジネスで大勝負すると失敗する事が多い。また、非常に頭脳明晰な人でも、消費財ビジネスをするセンスのない人というのもかなりいて、こういう人が意思決定に関わる消費財ビジネスは、失敗する。
○ 話を僕のマイクロソフト時代に戻そう。上司にぼろくそに言われたり、同僚に「ダメ」と一言で没にされたりしながら、なんとか僕の書いた仕様書も出来上がっていった。それなりに認めてもくれたと思う。ペン入力パソコンをやっている別の部隊でも、仕事に関わるようにいわれて、興味深く手伝っていたりした。僕がMSを去る日が近づくと、「後任を見つけるのを手伝ってくれ」といわれた。そして、何人かの後任候補の人と会って話をして、コメントを報告したりした。結局、就職の面接官みたいなことまでしていたことになる。面接した人のなかには、なんと、他の部署に勤めるMSの正社員もいた。僕のような外部の短期間の研修生に、正社員の就職面接まで、させるのだから、これには、MSの柔軟さに驚いたものだ。
○ そうこうして、僕がMSを去る最後の日に、ようやく僕の書いた仕様書に上司がOKをだしてくれた。僕の見ている前で、商談を進めていた日本のメーカーに対して、「これがMSの日本語版WinPADの仕様書の最初の版です。」と言って、僕の書いた資料を添付してemailをだした。僕にとっては、ちょっと感激ものだった。
○ 上司の部屋から出てきた後、同僚達が送別会を兼ねて集まってケーキを食べることになった。そこで、同僚の一人が僕に初めて教えてくれたことがある。「おまえが、ここに来た時、あの上司は、「スパイかもしれないから口をきくな」とemailをまわしてんだぜ。」 どうりで、よそよそしかったものである。
(一旦、このマイクロソフトにいた頃という連載は、ここで終わります)
10月16日
マイクロソフトにいた頃 2 (10月15日分の続き)
○ 僕をマイクロソフト(MS)に研修生として送り出した日本の会社から言われたのは、「とにかく、マイクロソフト(MS)に貢献しろ。」ということだった。とはいえ、赴任してみると、最新のソフトの開発部隊で、周りは技術者ばかりである。こちらは、Windowsのことも分かっていないし、英語もまるきりダメときている。同僚達も、愛想はいいものの、親しげに話すということもなかった。どこかよそよそしいものすら感じたけれども、まあ、それは、これまでの僕の同僚が営業マンだったのと比べての話で、技術者なら、こんなものだろうと思える程度のものだった。
○ 最初は、日本の新聞・雑誌を読んで、関係する記事を訳して同僚に報告する事から始まった。退屈といえば退屈だったが、受け入れた現場の管理職にしてみれば、なんだか訳の分からない奴がトップダウンで送り込まれた訳で、どんな仕事をさせたものか、対処に困っていたのだと思う。
○ そこで、余り迷惑にならない範囲で、日本の市場を攻めるときの、自分の視点とか、アイデアみたいなものを時々同僚にemailで出すようにした。それなりに緊張して書いて出したりしたのだけれども、これが、深い井戸に石ころをおとしたように、全く、何の反応も返ってこない。僕の日本の会社では、まだテレックスを使っていたけれども、とにかく受け取り確認の為にも、"THANK
YOU"とか、"NOTED"だけでも返事をしなさいと教育されていたので、"NOTED"くらい返事しろよとちょっといらだったりした。
○ それも、上司の部屋に行って、打ち合わせると、返事をしない相手に怒る気もなくなった。MSでは、当時ですら、課長レベルの人が、一日に数百通のemailを受け取っていた。打ち合わせをしている間中、新しいemailが来た事を知らせるチャイムが鳴り続けていた。これでは、"NOTED"なんて悠長な返事をしていられない。コメントをする必要がなければ、返事も打たないのだ。
○ そんな、古井戸に石ころを落とすような作業を続けていると、時々は、誰かの興味にあい返事が来るようになった。そんなある日、僕のアイデアが非常に面白がられたことがある。今となっては、どんなことを書いたのかも覚えていないが、いきなり、僕の意見に対するコメントや反応が、知らない人も含めてたくさん電子メイルで送られてきた。電子メイルの転送履歴をみると組織図上は、とても遠い組織まで転送されており、その行き着いた先の人が、僕にコメントを寄せてくれている。
○ MSでは、すごいスピードで横の連絡がされていると思い知らされた。また、発言者がどんなポジションかなどお構い無しに、いい意見はいい意見として、どんどん社内を回るのにも驚いた。なかには、僕の意見に関係しているので、開発中のサンプル製品を送ってきて、評価して欲しいという人までいた。僕もいろいろ試用してみて、コメントを送ったりしたけれども、最後まで、その送り主と会う事もなかった。
○ その後のMSでの経験を踏まえて思ったのは、当時数千人いた社員のうち、主要メンバーの百人ほどは、会社全体が見えており、恐らく、会社の何処で何が行われているのか、最新の状況を掴んでいるようにみえた。だから、面白い意見を見つけると、発言者の身元やポジションなどお構い無しに、関係する部署にどんどん回せるのだ。
○ このように、ある程度「認められる」意見が増えてきたのは、嬉しいものだ。しかし、それ後でも、ポイントをはずすと、また、一通の返事も返ってこない。なんとも、厳しいというか、さっぱりしたものだった。
(次回に続く)
10月15日
マイクロソフトにいた頃 1
○ 僕は、1993年に半年ほどシアトルのマイクロソフト本社(以下MS)にいたことがある。会社の研修の一環として、上の人同士で話をつけて、ぽーんと放り込んでもらった。そろそろ、その話をしても時効だろうと思うので、思い出を書いておこうと思う。
○ 僕が配属されたのは、どういう訳か、営業やマーケティングではなくて、製品開発の部門だった。当時は、アップルがニュートンというPDAの開発計画を大々的に打ち出している頃で、MSも対抗上PDA製品の開発計画を発表し、必死で開発にかかっていた。僕は、当時WinPADといわれた、ある意味で注目を受けていた、そのPDA製品の開発部隊にいた。
○ 赴任すると、小さいながらも個室を与えてくれ、ジュースはどれでも飲み放題、服装は自由、勤務時間も全く自由、ということで、嬉しかった。空き部屋には、サッカーゲームがあって、昼の2時とか3時頃に、同僚がキャッキャと遊んでいたし。屋外では、社員がバスケットボールをしている姿を見ることができた。
○ ジュース飲み放題というのは、MSが、BASICを開発していた設立当初からのよき「伝統」で、給湯室の巨大な冷蔵庫にありとあらゆるジュースが無造作に置いてあった。僕の(MSでの)上司は、「どれでもいくらでも持っていっていいよ。」と紹介してくれた。「でも、結局、水しか飲まなくなるよ。」とにっこり微笑んだが、最初は、その意味がよく分からなかった。とにかく、嬉しくなった僕は、色んなジュースを机の上に並べて、順番に飲んだりしたものである。部屋にやってきた同僚もまた、それを見て、したり顔で、「そのうち、水しかのまなくなるよ。」と言った。たしかに、2週間もすると、ジュースに飽きてきて、結局、ミネラルウォーターしか飲まなくなった。コーラは、やはりコインを出して飲んだほうがおいしい。
○ 服装が自由なのも、ネクタイ嫌いの僕には、良かった。みんな、ジーンズにTシャツでやってくる。たまにネクタイなんかしていくと、各棟にある受付けで止められ、社員証の提示をしないと入れてくれない。しかし、ジーンズにTシャツだと、何も提示せずにそのまま入れたりして面白かった。まあ、ジーンズにTシャツが制服のようなものだった。
○ たまに、ボタンダウンのシャツ、ノーネクタイ、チノパンでMSにいくと、上司が「おい、今日は、日本の会社にいくのか。ドレスアップしているな。」なんていわれたものだ。たまに、僕の日本の会社のシアトル支店に行く用事があると、仕方がないので、そんな格好をして夕方になってMSをでてから、車の中でネクタイをしめて、シアトル市内に行ったりしていた。それを、よく見ていたのだと思う。
○ 周囲は、いわゆるパソコン「おたく」みたいなのが多かった。日本にくらべて、アメリカの「おたく」は、やたら明るいのが違っていた。MSに限らず、アメリカは、明るい「おたく」が多い国だと思う。最初に仲良くなった同僚のカナダ人(20歳代後半)に、「ところで、プログラムを組むのは何年やっているの?」ときくと、「15年くらい」と平然と答えるので驚いた事がある。30歳過ぎの頃の僕は、その彼に、"What
is Windows?"と聞いていたのだから、相手も驚いていたに違いない。
(次回に続く)
10月14日
茶髪
リーマンでしのぐのも、しんどいことである。ムカツクんで、髪を茶に染めた。ふむ。高校生の気持ちも分からんでもない。でも、少しだけね。でもでも、好奇心は、十分満足できました。吾輩は、幸せである。
10月13日
かばん持ちの国
○ 今日は、全ての女性を敵に回す覚悟で、おじさん、かまします。日本の女性は、「お金持ち」ではないかもしれないが、「かばん持ち」なのは、間違いない。
○ 日本に出張して思ったのだけれども、日本の女の子は、ブランドカバン保有率が異常に高いと思う。本当にみんな高価なバッグを持っている。電車に乗ってあたりを見渡すと、どうみても10代の子がLVの模様の入ったものを持っていたり、大学生と思われる人が、プラダの黒いナイロン袋(!)を持っていたりする。おやじのこづかい一ヶ月分を優に超える高いカバンを、働いたこともない子が持っているのをみると、なんとも複雑な気分になる。
○ OLにしても、「もしかするとあなたの月給分ぐらいするんじゃないの」と思うような高いバッグを持っている。やれやれ、日本は、「かばん持ち」の国ですな。じいは、悲しゅうござりますぞ。
○ 以前、アミューズメントビジネスをしていたとき、つくづく思ったのだけれども、若い女性に物を売るのは難しい。現場を知らない人がたてる企画書は、「若い女性をターゲットにして..」と言う言葉が踊っているが、実際の消費者としての若い女性は、事前に慎重に調べるし、お金にはしぶく、しかも移り気で、最も難しい顧客層である。その意味で、「賢い消費者」という印象が強い。それが、ことカバンになると、こんなに高いものがこんなに売れてしまう。分からない。
○ とはいえ、あんまり非難していると、彼女達に言われるかもしれない。「おやじ達の方にしても、政治のことを色々議論しても、結局は、アメリカのカバン持ちしてるじゃないの」
○ これでは、敵にはなりませんな。じいは、降参でござりまする。
10月11日
幸福度調査
○ 先日(9月28日、ココ)、飲み屋談義の聞きかじりで、各国の幸福感調査の話をした。日本に出張したついでに、どうやらそのネタである「日本人の価値観・世界ランキング」(高橋徹、中公新書)を見つけたので、買ってきた。その中の幸福感調査について、以前僕が書いたものが正確ではなかったので、修正したい。
○ 「非常に幸せ」と「やや幸せ」と感じている人の比率の高いのは、1位アイスランド、2位アイルランド、3位カナダ。続いて、アメリカ:12位。台湾:20位。フィリピン:25位。日本:29位。中国:46位。尚、最下位の74位から、70位までを下位からあげると、モルドバ、ウクライナ、ブルガリア、ロシアと旧ソ連、東欧の国が続く。(台湾とモルドバは、1995年の調査、その他は、2000年の調査に基づく。)
○ 以前書いたようにフィリピンが上位にいて、日本が最下位あたりにいるというのは、間違いであった。しかし、フィリピンが日本より高いのは事実で、上位に、インドネシア(9位)、タンザニア(14位)、メキシコ(16位)などがはいっており、必ずしも経済的に豊かな国だけが、幸福だとはいいきれないというのは、いえると思う。
○ 他にも色々な質問の調査結果が出ていたが、一番面白く思ったのは、「上司の指示に従うのは、当然?」と言う質問だった。「従うべき」と答えた比率が一番高いのは、アメリカで、最下位(71位)が台湾、というのが、興味深い。尚、日本は、51位。
○ 僕の経験でも、アメリカでは、普通の日本人が思っているよりも、ボスに従順である。日本では、人事部がルールの運用を含めて人事についてかなりの権限をもっているが、アメリカでは、直属の上司が昇給、昇進に対してかなりの権限をもっているからかと思う。また、アメリカで働く日本人の友人によると、企業や地位によって程度は違うだろうが、「ボスのボスは、ボスじゃない。」という傾向は、日本より強いようである。
○ 台湾の人が、「上司に従うべき」と思う比率が最下位というのは、僕には、意外だった。僕の経験では、結構、上司のいうことに従うと思う。特に社長の権威は高くて、多少乱暴でも、社長の意見には、みんな従うようである。ただ、みんな独立して社長になる希望が強く、たとえ社員3人の会社でも独立したがるところがある。「上司のいうことなんて聞かなくていい環境」を台湾の人が強く望んでいるのは、確かな気がする。
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