台湾日記  2003年12月〜
 
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12月31日
2003年のらくちん
○ 2003年の僕をちょっと振り返ってみました。

○ なんといっても、台湾でSARS患者が発生したことが、公私にわたって、一番大きな事件でした。また、一部復活の兆しがあるものの、一旦は、収まって本当によかったと思います。

○ この「台湾つれづれ」サイトでは、去年にも増して、多くの人からご意見を頂いて楽しかったです。弁護士、銀行家、技術者、社長、恋を語る女性と様々な方のコメントを伺うことで、自分の人生を豊かにした充実感のようなものを感じます。ここで自分の過去2年半の愚見を公開した上で、お付き合いいただくと、自分の馬鹿さ加減を了解いただいているという妙な安心感があり、お顔を拝見していない方にも、深い親近感を感じることができます。ありがとうございました。

○ また、アクセスカウンターをつけてみたところ、一日80-100アクセスくらいもあり、想像以上に多いので、驚きました。その驚きも手伝ってか、更新は、若干増えたと思います。更新の回数は、去年が月に8回程度だったけれども、今年は、月平均10回程度でした。出張で台湾を出たり、来客があったりで、1週間から10日くらい更新なしにポーンと空くときがあり、それをなんとかしろという、暖かい励ましも頂いています。さて、どうしたものか、来年の課題です。

○ 仕事では、新しく、光学関係やネットワークゲームのビジネスを始めたのが印象的でした。今まで検討はしていたものの、僕にとっては本格的にビジネスとして立ち上げた経験のない分野だっただけに、なかなか興味深くもあり、また興奮もしました。また、ビジネスの仕組み自体も少し工夫をしたので、創造力というか、好奇心も満足しました。新規ビジネスの立ち上げというのは、非常に厳しくつらいものですが、ビジネスマンにとって、「麻薬的」な強い快感をともなったものです。まだ、立ち上げ途中ですが、そういった面では、充実していたと思います。

○ とまあ、自慢話めいたことが続いてしまいましたが、個人生活では、さえない気分が残っています。自分のいたらなさで多くの人を傷つけてしまい、現実に心の交流が途絶えてしまうこともありました。僕には、自分の今の社会的な現状を維持することすら、できないなのではないか、それだけのバランスのとれた社会的適応力がないのではないか、と、痛感させられた件が複数ありました。ひとりよがりの自分のアイデアに酔い、人の心をどうしようもなく傷つける言葉を吐きつけ、ごく普通の人が当然出来る気配りに欠けるという、従来からの欠点が、歳をとると共に改善されるどころか、よりひどくなっていくのを自覚させられた一年でもありました。一言でいうと、自分という人間がどうしようもなくうすっぺらなのです。もう少し人間の厚みのようなものをもたないと、とても、あと長くは生き延びていけないのではないかとさえ思うものの、ことは、そう簡単ではないのも明白で、やや途方にくれているところです。

○ ゴルフについては、恥ずかしいですが実力を公開しちゃいましょう。一年で大体30回くらいし、100をきったのは3回だけ。年間平均109、直近10回平均105、直近5回平均102、今年最後のゴルフは、97でした。なんとなく、気のせいか、微妙に、わずかに、進歩している気がしないでもないので、よしとしましょう。こんな下手くそでよければ、台湾に来られたときにいつでもやりましょう。

○ 最後に、最近のこのサイトの内容から、幾人かの読者から、恋をしているのかとの質問がきております。こたえは、もちろん、ひ・み・つ...


12月30日
恋の話8: 別れの理由 
別れの理由は、たいてい、付き合い始めた最初に気づいていたことなのだ。


12月28日
シンセンの治安悪化
○ 「中国を行く」(ココ)で書き忘れたことを、ひとつ。上海から台湾に帰る直行便がないので、香港経由帰ったのですが、その機会に、知人の香港在住の日本人ビジネスマンN氏と久しぶりに会ってきました。

○ N氏によると、香港に隣接する、中国のシンセンの治安が悪化しているとのことです。彼の会社の同僚二人がシンセンに出張したときのことです。普通のオフィスビルの中で、一人が手洗いに行ったとき、手洗いの外で待っていたもう一人が暴漢に襲われ、財布、パスポート全て身ぐるみはがされて盗られたそうです。N氏は、「ごく普通のオフィスビルの中ですよ」と、驚きさめやらぬ顔で話してくれました。

○ 帰ってきて知人にその話をすると、シンセンの治安が悪いのは、関係者では常識のようです。日本人の知人が、台湾企業のシンセン工場を訪問するとき、先方の台湾企業家から、「治安が悪いから、用意した車から一歩も外に出ないようにしてください。公安が近寄ってきても答えないでください。公安もぐるになっているケースもあります。」と言われたとのことです。公安もぐるで街中でお金を巻き上げるなんて、10年以上前の中国の田舎のようですね。

○ 僕は、10年ほど前に、シンセンによく出張していました。その当時は、新生児を抱えた小学生ぐらいの歳の物乞いが旅行者を取り囲むような状況で、お世辞にも上品な街とは言えませんでしたが、それでも、街歩きぐらいはできました。その後、えらく治安もよくなり、街もきれいになったと聞いていましたが、再び、以前も増して状況が悪化しているようですね。公安も含めてとなると、中国政府も、ある程度見て見ぬふりなのでしょうか。

○ 香港のビジネスマンというのは、毎日のようにシンセンに通っています。そういう人々が、シンセンのひどい状況を見ると、「香港も明日は...」と、思わないではいられないのではないでしょうか。


12月25日
恋の話7:別れの言葉2
12月10日の「別れの言葉」(ココ)についての、ある意見。

どうして、男は、女に言い返さなかったのだろう。
「貴女には、美貌か、優しさか、教養があるのですか。」

しかし、女に即座にこう言い返すことができる男は、
金か、時間か、地位のどれかをもっていることだろう。


12月24日
SARS再び
○ 台湾でSARS患者が再び出た。SARSの研究をしていた医療関係者であって、今のところ、大きな広がりは、無いようである。とはいえ、丁度、僕が日本に出張していたときにSARS患者が発生し、その後、僕は、上海、香港を回ったので、入国審査を受けるたびになんとなくドキドキしたものである。

○ 上海では、入国のときに例の赤外線かなにかの体温をモニターする装置のチェックを受けた。また、出国時には、上海の空港で熱がない証明書に判子をもらって、それを出国手続きとして提出した。また、香港、台湾の入国時にも、調査票を書かされた。SARS患者と接したことがあるかとか、今、発熱・嘔吐があるかとかを記入する。なかでも、この10日間で行った国と都市を書く欄があり、そこに、上海、東京と並んで、台北と記入するのは、少しためらったりした。

○ 台湾に戻ってみると、半年前のように、ビルの入り口で体温検査が始まっていた。今日も、僕の勤める会社のあるビルに入るたびごとに、入り口で額にかざすタイプの体温計で、検査させられた。広がりそうな気配がいくら少ないといっても、やっぱり、やなものである。


12月22日
中国を行く
○ 昨日(ココ)に続き中国を出張してきて思ったことを断片的に書いてみます。

○ 上海は、相変わらず賑やかでした。金曜日の夜は、レストランから出た後、タクシーが捕まりません。暗い道のあちこちでタクシーを探している人の影を見ました。まるで、バブル華やかざりし頃の銀座の夜中の風景でした。

○ 南京近郊の街に行きました。零下を記録する程で、とにかく寒かったです。その街は、4ヶ月ぶりぐらいで行ったのですが、随分と変わっていました。かなりの郊外まで、開発が急速に進んでいるようです。

○ 台湾系メーカーの大陸工場を二つほど見てきました。台湾メーカーというのは、もともと、部品、組み立て、検査などの工程毎に、別の会社が行い、製品を仕上げていく同業間での工程別分業を得意としています。しかし、台湾メーカーの大陸の工場では、ほとんどの部品を内製化しようとしているので、興味深く思いました。収益率を高めるためという目的もあるでしょうが、おそらく、中国では、分業をするほどの産業集積と企業ネットワークが台湾ほどにはないので、品質と納期の管理の両面から、出来るだけ自社で部品を内製する方向で努力しているのだと思います。そうして、台湾メーカーは、台湾ですら作ったことのないものを中国で作るということに挑戦し始めています。また、こうした垂直型に統合した製造というのも、ほとんどの台湾メーカーが未経験です。どのようにこなすか、みものですね。

○ これは、未確認で、確信のもてない感覚にすぎませんが、台湾企業の中国進出フィーバーも、熱狂からは醒めてきたのではないかと思います。実務レベルでは、中国進出は、どんどん進んでいるのですが、「大陸で一旗あげるべえ」といった、たぎる情熱のようなものは、台湾の人から感じなくなりました。それよりも、いざ始めてみると、大陸の人は結構台湾人に冷たいし、台湾本社と中国工場側とのコミュニケーションもどうもうまくいかないし、そのわりにどの台湾メーカーも中国で作るものだから製品の値段が下がっていて利益が思ったほどでないし、大変だなあといったところでしょう。でも、やらないと競合台湾メーカーに負けてしまうし、ここまで大陸に突っ込んだ以上、大陸工場を収益源化しないと台湾本社の株が下がるので、引くに引けず必死でやらざるを得ません。ある意味では、それだけ、地に足のついた進出になってきたともいえるでしょう。


12月21日
お元気ですか。フセインさん
○ 日本、中国への出張から昨夜戻ってきました。思い起こすと、台湾を離れたのは、フセインの見つかる前でした。随分昔のことにように思えます。お元気でしょうか。フセインさん。

○ 東京、上海、南京近郊、香港と回って来て、途中思ったり、気づいたことを2回に分けて、断片的に書きます。

○ 東京に居るときに、フセインが見つかりました。最初に、見つかった状況があまりにオウムの麻原と同じなので、笑ってしまいました。性格が似ているのかもしれませんね。

○ 次に思ったのは、小泉さんは、「相変わらずついているなあ」でした。フセインの捕まる前に自衛隊の派遣を表明して、一応、「臆病」と言う批判へ少しだけ反論の余地ができましたし、一方で、自衛隊が到着する前に、少しでも治安がよくなればそれに越したことはありません。僕の信頼する官僚や学者ほど小泉さんへの評価は低いようですが、こういう「ついているリーダー」というのは、大事なんじゃないかとも思います。支えるまわりは、大変でしょうが..

○ イラクの件での日本政府の意思決定がどのようにされているのかよく知りませんが、現場の人間としては、次のように思います。とにかく、福田官房長官も川口外相も意思決定に関わる人が、まめに現地か、クェートに足しげく通ってほしいと思います。逆に、足しげく現場にいけない人は、あまり細部の意思決定に影響を及ぼさないほうがいいでしょう。また、現地で治安維持をしているオランダの部隊と、日本側が上から下まで色んなレベルで頻繁に接触したほうがいいと思います。結局、日本の内部、及び、オランダ部隊とのコミュニケーションが円滑かどうかで、自衛隊員の死亡者の数が変わってくると思います。これが、太平洋戦争を、貴重な「失敗の本質」の教訓として、活かす方法でしょう。

○ 明日は、大陸の様子です。


12月13日
粘鼠板
○先日書きましたように(ココ)、ねずみが家の中を徘徊しだしまして、住み心地が悪うなってきましたもので、地元の雑貨屋にかけこみ、たいそう大きく宣伝している「粘鼠板」なるものをこうてまいりました。これが、まあ、ゴキブリほいほいのねずみ版のようなもので、片面がねばねばの板でございます。

○ こんなもんで、あの聡明でなるねずみどんが捕れるんかいなと思うたり、それでも、ほんまにとれたらとれたで、きしょく悪いでなあと思うたり。ゴキブリほいほいは、そういえば屋根があったさかいに捕まったゴキブリを見んでもすんだけれども、この粘鼠板は、板だけで屋根もないから、捕まってまだ死んでへんねずみどんの顔を直にみながら処理せなあかんなあ、ゴキブリほいほいちゅうのも、いかにも日本人の考えた製品で心遣いが行きとどいとったなあと、妙なところに感心も致しました。

○ そうはいうても、祖国日本文化の心遣いを懐かしんでばかりもおられません。ことは、急でして、今夜にもまた、敵は、わいの大事な電話線をかじりよるかもしれません。よっぽど餌の代わりに電話線おいたろかと思いましたが、まあ、一日目は、勘弁してやろうと、オーソドックスにそれようの黒い塊の餌をおいて寝ました。翌日、おそるおそる、へっぴり腰で粘鼠板を覗いてみると、何の変化もありません。そりゃ、そうよなあ、ゴキブリとねずみを一緒にするのは、おとんとおかんを一緒にするようなもんや、アメリカと日本を一緒にするようなもんや。そう簡単には、いきませんはなあ。

○ 次の日に、このアパートを紹介してくれた近所の日系の不動産屋に相談したんですわ。この「粘鼠板」によるアプローチは、間違った戦略ではない、自信を持って進められたし。惜しむらくは、餌が悪い。ふわふわとしたパン粉をぱらぱらと今の黒い餌の上にまぶすと効果的だ。なお、ねずみは、非常に賢く人間の言葉も解するので、決してこのわなのことを口に出して話さないことくれぐれも注意されるべし。とのことでした。

○ さて、台湾のねずみがわいの関西弁が分かるんやろうかとも、ちと、思いましたけれども、そんなこと言うとる場合やおまへんがな。とにかく、白いパン粉、まぶしましたがな。まぶした。まぶした。ほんのり、おいしそうに...ねずみやのうても、ついちょっと手えだしとうなるくらいに...

○ 翌日。もう自分でも漫画やなと思いながら、それでも、へっぴり腰で覗いたんですわ、粘鼠板。おった!驚きましたで、たこ焼き3つ分くらいのこんまいねずみが、どてっと板に横向きにねっころがってましたわ。でかした、粘鼠板。でかした、パン粉。やぱり不動産屋は、偉い。ねず公の方は、ほとんど身動きもしてません。やっぱり逃げられへんもんなんですなあ。

○ さあ、どないしょ。なんて、思いながらどたばたしとったら、捕まったねず公の方も、人の気配に気づいたのか、必死で動き始めたんですわ。死力振りしぼっとったんでしょうなあ、これは、今にも、逃げ出しそうでした。それで、もう一枚の板を上からぎゅうと押さえつけました。まあ、これで逃げられへんやろ。どんなもんじゃい。と思うて腕組して、見ておりますと、この上からかぶせた板がヒク、ヒク、ヒヒクク、と動きよるんですわ。もちろん下のねずみが動くからなんやけれども、上の四角い板が少しずつ揺れるんです。気色悪いでっせえ。ほんま。生のねずみも気色悪いけれども、この板の動きも負けんぐらい気色悪い。ヒク、ヒク、ヒヒクク、やからなあ。

○ 結局、時間もないんで、最後の処理は、近所の例の不動産屋に頼んで、会社に行ったんですわ。タクシーに乗って、ひとごこちしました。自分で自分を振り返ってみると、思うた程には、恐れへんもんやなあと思いました。電話線の恨みもあったからやけれども、まあ、あんまり同情する気もおこらんかったかなあと思うたりしました。ところが、やっぱり、あの最後のあがいてるねずみの姿とヒクヒク動く四角い板の映像が、どうも脳裏から離れません。その映像が頭の中で繰り返されているとき、ふと、自分がねずみの身で、肩から足まであのねばねばにまとわりつかれたようなイメージがひろがりました。そのとき、なんや、「嘔吐」したくなる感じがちょっとだけしましたわ。ちょっとだけですけどなあ。


12月12日
38.5度
今日は、38.5度の熱を出して会社を休みました。風邪とは、思いますが、他に症状はありません。うむ、心の病やもしれませんな。日曜日から日本、中国に出張の予定だったけれども、行けないかもしれません。SARSの時節柄、微熱があっても空港を通過できませんので。


12月10日
恋の話6:別れの言葉
(離婚経験のある知人の建築家から聞いたことば)
別れた女から言われました。
「男には、金か、時間か、地位のどれかひとつくらいあるものよ。
あなたには、ひとつもない。」
僕は、思う。たいていの男には、どのひとつもないものだ。


12月9日
好物は電話線
○ 昨日(月曜日)の朝、いつも使っているパソコンからインターネットに接続しようとするとつながりません。前日までつながっていたのに不思議に思いました。結局、電話線がねずみか何かに食いちぎられていました。これでは、つながりませんね。パソコンの裏あたりには、他にもたくさんケーブルがあるのに、電話線だけをかじっているのが不思議でした。

○ その日の夜遅く、酔っ払って家に帰ってみると、その食いちぎられた電話線が、またもう一箇所食いちぎられています。ねずみは、電話線がたいそう好きなようです。今度食いちぎった場所の近くには、同時に柱か壁をかじったのか、木のくずが派手に散乱していました。その木くずをみていると、少し恐ろしくなってきました。とりあえず、机の下にもぐり、予備の電話線を使ってつなぎ替え、mailだけは、チェックしました。

○ 今日の朝、パソコンをインターネットにつなげてみると、つながりません。おそるおそる線をたどって確認してみると、昨日替えたばかりの電話線が、またも、食いちぎられています。背筋にうっすら寒気が走りました。

○ これから毎日、僕は、酔っ払ってお家に帰ってくると、夜中に机の下にもぐり、電話線を張り替えなければならないのでしょうか。


12月6日
総統選挙
○ 来年3月20日に台湾の総統選挙が行われる。(以前、10月25日6月21日に書いたものもご参照ください。)中国、米国、日本を含め今後の国際政治に大きな影響を及ぼす重要な選挙と思うのだが、そのわりに、日本ではあまり報道されていないように思う。

○ 野党側が、連戦国民党主席を総統候補、宋楚瑜親民党主席を副総統候補として選挙を戦うことで、妥協が成立した後、与党民進党は、劣勢が伝えられていたが、9月に「台湾正名」デモで15万人集め、10月には「国民投票による新憲法制定要求」でも20万人集め、かなり挽回している。

○ 聯合報の4月の調査では、野党側の連宋ペア(連戦総統と宋楚瑜副総統の組み合わせ)が与党の扁蓮ペア(陳水扁総統と呂秀蓮副総統の組み合わせ)に17%もの差をつけてリードしていた。しかし、同じ聯合報が11月11日に出した調査結果では、連宋ペアの支持が42%、扁蓮ペアの支持が38%となり、差が4%まで縮小した。

○ テレビBSの11月13日の調査では、連宋ペアの支持が44%、扁蓮ペアの支持が34%となり、差が10%ありまだまだ大きな差がある。しかし、同じテレビBSの4月の調査では、差が21%もあったのだから、やはり、扁蓮ペアが猛追しているのは間違いないのだろう。周囲の台湾人に聞くと、「全く分からない。選挙終わるまで、全く分からない。」と、いう返事が一様に返ってくる。

○ 民進党の副総統候補については、今は、呂秀蓮現副総統が最有力である。他に大衆に人気のある蘇貞昌台北県長、ダークホースとして客家票を狙った葉菊蘭客家委員会長などが副総統候補として、名前があげられている。

○ 面白い事件としては、台湾南部の与党民進党が強い地域で、「非常報道」という名の、連宋ペアを批判し揶揄するVCDビデオがばら撒かれて話題になっている。僕は、見たことがないが、ニュース仕立てやドラマ仕立てで、連宋ペアが勝つと台湾は、こうなるといった式のもので、あまり上品なものではないらしい。いかにも台湾らしくてユーモラスですらある。

○ 最後に、テレビBSの世論調査結果をつけておく。
「明日総統選挙ならどちらを選びますか」という質問への答えである。
単位:%

選挙
11ヶ月前
総統就任
3年
選挙
9ヶ月前
選挙
8ヶ月前
選挙
半年前
選挙
5ヶ月前
選挙
4ヶ月前
4月14日 5月15日 6月3日 7月15日 9月16日 10月14日 11月13日
扁蓮ペア 32 31 32 34 31 32 34
連宋ペア 53 52 53 49 54 47 44
未決定 16 17 15 18 15 21 22
支持率の差 21 21 21 15 23 15 10



12月4日
恋の話5:女子と恋愛
(ある女性読者からのemail)
女子にとっての「恋愛」って現実に直結してるから


12月3日
新原浩朗「日本の優良企業研究」
○ 日本の優良企業をしみじみと研究した本で、現場の感覚をよくくみとっており、読んでいてここちよい。この本で挙げられている優良企業の6つの条件というのは、それほど特異なものではなく、おそらく、現場で働くビジネスパーソンのうち、平均点程度にできる人なら当たり前に知っていることだろう。しかし、えてして言葉にして説明されることのない現場の常識を、現場のことを知らない人々に、しっかりと書いて納得させることは大切なことである。

○ なかでも、僕が常々思っているがなかなか多数意見にならないことを、この本の言葉で挙げてみたい。
−「優良企業は、バイオ、ITなどの先端業界にある」との通念は正しくない。
−カンパニー制の成功は容易ではない。
−会社の主流を歩み順調に出世してきた人よりは、周辺部署や子会社の「傍流」で苦労した人物のほうが本社の中枢に入り、改革を成功させている場合が多い。
−「ピラミッド型」の評価を「複線型」の評価に変えなければならない。特定の分野で会社の利益に貢献している社員の方が、経営者より厚い処遇を受けるようになるべきである。
−「監視のガバナンス」より、社員の倫理観や使命感にもとづいた「自発性のガバナンス」の方が有効である。

○ ひとつ賛成しかねる、というか、誤解されるのではないかという点もあった。リーダーは、製品の色を自ら決める程、現場感覚に満ちていなければならないとするところである。現場で最も迷惑な管理職は、ウェルチの本を真に受けてしまったのか、現場感覚も実力もないのに、「リーダーシップ」を振りかざして仕事の細部にこだわる御仁である。著者は、そんな人はリーダーにしてはならないとの意味で書いているとは思う。しかし、この本をその迷惑管理職御仁が読むと、また、曲解をして、尚一層細部まで「指導」し始めてしまい、大災害がおこるような気がしてならない。リーダーを選ぶ基準としては、細部を決定できるほど現場感覚に満ちていることを挙げるべきだろう。しかし、一旦リーダーになった人へのアドバイスとしては、自分の限界を知り、分からないことは、部下であれ外部の人であれ分かっている人の言葉を聴く姿勢が大切である。実際の現場は、そんなに優秀なリーダーに恵まれないのが通常なのであるから、そういったアドバイスにもう少しウェイトをおいた方が、実践的に見える。

○ 最後に付け加えれば、この本で最大の驚きは、経済産業省(旧通産省)の役人でこんなに現場感覚のある人が表にでてきたことである。かつては、「できそこないの電通マン」のような、MITI役人をよく見かけたものである。現場の感覚からはずれてしまった浅薄な理解で、広告代理店の人よりセンスの無いプレゼンを、自信満々でする人をみてうんざりしたことは、多い。ちなみに、僕は、経済産業省(旧通産省)に多くの知人が勤めているが、大多数は、現場の感覚に満ち、自己を常に批判的にみて、真摯に公益を考えている優秀な人々である。一時期、そういう人よりも、少数の「役人ばなれ」した、ただのええかっこしい役人を周りがちやほやしたことがあったように思う。世も落ち着き、ある意味で、通産省が華々しく脚光を浴びる成果をあげなくなってから久しくなったせいか、こういう地味だが真面目な研究をしている人が表にでてくるようになったのは、実に喜ばしいことである。


12月2日
恋の話4:もてる男ともてない男
ハンサムでもなく、おしゃれでもないのに、実は、女にもてる男がいる。
たいていは、男友達からも好かれている男だ。
こういう「実は、もてる男」を、女にもてない男だと誤解している男がいる。
たいていは、女にもてない男だ。


12月1日
マネージャーの孤独
○ 横浜マリノスが劇的な優勝を果たした。ほんの5分ほどの間に、優勝に最も近いチームが、磐田―>鹿島―>横浜と移動した結果の優勝である。その感動の優勝の瞬間は、何度もNHKで放映されていた。

○ その映像をみると岡田監督が、優勝の瞬間、「やったー」とグランドに飛び出している。その後であるが、僕の見方が悪いのか、グラウンドの真ん中で、選手が誰も監督のところに行かない。仕方なく、岡田監督は、グラウンド脇から監督と一緒に飛び出したコーチと抱き合っていたようにみえた。それなら、グラウンド脇に居たままで、できたのに..

○ 岡田監督は、Jリーグの中でも、選手との関係がいい方の監督だと思う。人間的魅力もあり、僕も大好きである。それにも関わらず、感動のまさにその瞬間、どの選手も感動を分かち合おうと近寄らなかった。その後、少し冷静になってから、選手みんなで監督を胴上げしたとのことであるが、それは、理性のさせたことで、無意識に抱きつくのとは、随分違った心の表現だと思う。

○ 僕は、この件に、マネージャーの孤独を感じる。マリノスの選手は、退場者がでて10人で人一倍走り回り、ひたむきに戦った。必死で守ったディフェンスの選手は、ともにゴールを死守したディフェンスの選手と抱きついた。死に物狂いで、点をとろうとした攻撃陣は、決勝点をまさにもぎとった久保選手に抱きついた。監督のことなど思いつくのは、頭が冷静になってからだろう。みんな岡田監督は、好きだ。でも、この瞬間に、本当に抱きつきたいのは、共にフィールドを駆け回り、戦った同士なのだ。

○ 選手に信頼されている岡田監督にしてこうである。世の管理職諸氏は、マネージャーというのは、よくよく孤独なものだと、心に刻んでおくべきだろう。


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