断腸亭日常日記 2013年 その1

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行と東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月、12月の京都旅行の滞在日記です。

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 2013年1月1日〜1月31日        

 2月1日(金) 曇 8976

 安藤勝己が30日引退を発表した。「 さらばアンカツ――。地方・中央で通算4464勝、JRA・G1・22勝を挙げた安藤勝己騎手(52=栗東・フリー)が30日、引退を表明した。栗東トレセンで記者会見に臨み「イメージ通り乗れなくなった。やり残したことはない」と心境を明かした。騎手の地方競馬から中央競馬への移籍という道を切り開いたパイオニアが惜しまれつつステッキを置く。

 37年間のジョッキー人生に悔いはなし。安藤はすがすがしい表情でテレビカメラ6台がズラッと並んだ会見に出席。「引退を決めました。あす(31日)をもって免許を返上します」と切り出し、決断に至った理由をストレートに伝えた。

 「体調は問題ないけど年のせいか関節が硬くなって馬とうまくコンタクトを取れなくなった。(レースで)ポジションを取りにいくと以前のように折り合えなかったりした。そうなると馬に負担をかけてしまう。イメージ通り乗れなくなった」

 その言葉通り近年は騎乗数をセーブし、体調面を考慮しながら一戦一戦全力騎乗を心がけてきた。それでも05年に681回だった騎乗数が昨年はわずか153回となり、年間14勝と勝ち鞍が激減。昨年は思うように体重が落ちず減量にも苦しむようになり、騎乗しない週も増加してしまった。結局パドトロワに騎乗した昨年11月24日の京阪杯15着がラストライドになった。

 「全く寂しくないと言ったらウソになるけど、やり残したことはない。JRAに来ることができて、これだけ勝たせてもらって自分の中では満足しています」

 76年に笠松でデビューして通算3299勝をマーク。中央移籍前のオグリキャップの主戦を務め、地方交流元年と言われた95年春には笠松所属のライデンリーダーとのコンビで中央の4歳牝馬特別を制した。だが本番の桜花賞は1番人気4着。「自分に芝の経験があれば、また違っていたかも」と悔しさをかみしめた。その一方で大舞台の華やかさに憧れ、中央への思いが一気に高まった。

 01年のJRA騎手試験は不合格となったが、要項が改定(過去5年でJRAで年間20勝以上2回の騎手は1次免除)された翌年に合格。03年3月に“JRAのアンカツ”として新たな一歩を踏み出した。その月末にいきなりビリーヴで高松宮記念勝ち。04年はキングカメハメハに騎乗してダービー制覇など数多くのタイトルを手にした。

 現在では、地方のトップジョッキーだった岩田、内田らがJRA移籍を果たし普通のように大活躍しているが、当時は移籍に大きな壁があった。それを最初にぶち破って道をつくったのが安藤。野球界で言えば95年に近鉄から米大リーグ・ドジャースに移籍してその後数々の記録を残した野茂英雄氏のような存在だ。

 引退後の活動については全く白紙。「夢のようだった」と振り返る合格発表から約10年。完全燃焼した「生涯一ジョッキー」がターフに別れを告げた。」  ーースポニチよりーー

「30日(水)、滋賀県の栗東トレーニングセンターで安藤勝己騎手(52)の引退会見が行われた。

安藤勝己騎手は76年に笠松競馬でデビュー。03年に地方競馬所属の騎手として初めて中央競馬へ移籍し、これまでJRAでは通算1111勝。G1は04年にキングカメハメハで制した日本ダービーなど22勝。重賞81勝。09年後半からは騎乗数を絞り、昨年11月24日の京阪杯(パドトロワ)を最後に騎乗していなかった。

会見は、安藤勝己騎手の挨拶、代表質問、個別質問という流れ。内容は以下の通り。

安藤勝己騎手:自分ごとですけど、お集まり頂いてありがとうございます。明日をもって免許を返上して、引退することに決めました。引退の理由としては、体的にどうのこうのということはないんですけど、やっぱり1年位前から自分のイメージのような競馬ができなくて、このままぼちぼちでも乗った方がいいのか悩んだ末に、期待して乗せてくださる競馬関係者や、ファンのためにも、ココはやっぱり引退した方がベストじゃないか、ということで引退するに至りました。これからも競馬はすごく好きなので、携わることができれば幸せかなと思います。今まで本当にありがとうございました。

(代表質問)−:まず、ジョッキーご自身が引退を決断された時期、またキッカケとなった出来事、また誰かに相談した、などあればお聞かせください。
安:時期は大体、去年の春先かそれくらいですかね。キッカケになる直接なものはないですけど、徐々に「自分のイメージのような競馬ができてないな」というのは感じてましたし、やっぱり年のせいか、体の硬さも自分で感じるようになったので「上手く馬のコンタクトできてないな」というのをすごく感じるような競馬が多くなったので、そのときから徐々に「もう潮時かな」っていうのは考えてました。誰かに相談したってことはないですけど、家族にだけは相談しました。

−:今日、引退を発表されて、率直な今の心境をお聞かせください。
安:決めてからは案外サッパリしたもんで、全然さびしくないと言ったらウソのような感じですが、JRAにきてちょうど10年になるんですけど、一昨年までは毎年G1を勝たせて頂いて、色んな名馬にも乗せて頂いて、ホントに幸せな騎手生活だったと思っています。

−:安藤さんご自身、思い出のレースとか、思い出の1頭とかあればお願いします。
安:やっぱり思い出に残っているレースというのは、中央に移籍してすぐにG1を勝たせて頂いた、ビリーヴに乗った高松宮記念ですかね。あのレースはすごく印象に深いですね。馬で言えばやっぱりダービー馬のキングカメハメハ。ホントに素晴らしい強い馬で、安心して乗ってられる馬でしたからね。それとあともう1頭は、やっぱり素晴らしいスピードのダイワスカーレットですね。

−:今のところでは白紙というふうに仰ってたんですけど、今後どういった活動をされるのか、どういった形で競馬に携わっていくのか、考えてるプランがあればお願いします。
安:調教師になるわけでもなく、助手になるわけでもないですから。競馬だけは大好きなので、もう毎週競馬見てると思うので、そういう意味でも何か競馬に携わることができれば、競馬に関してプラスになって、応援できることがあればやりたいと思ってますけど。

−:今、後輩ジョッキーに何か伝えたいことがあればお願いします。
安:もう、みんなホントに技術はスゴイ上手いし、まだまだこれから勉強して伸びることもできるだろうし、みんなで切磋琢磨して、競馬を盛り上げるような騎手になってほしいですね。


(個別質問)−:去年の春頃から引退を考え始めたということなんですが、ちょうどお兄さんの安藤光彰さん(現・調教助手)が引退をされたのが去年の春先でした。あの引退というのは何か影響は……。
安:やっぱり少なからずさびしいような気持ちもしていて……。ただ、やっぱり自分でも年も年ですから。そういう意味でも考えてたんですけど。どういうのかな「例え1頭や2頭でもぼちぼちのんびり乗ろうかな」という気持ちも正直あって、葛藤とかもあったんですけど。やはりそれじゃあファンにも、乗せてくれてるオーナーや先生や関係者に申し訳ないなということで。ただ、兄貴に関しては影響ありましたよね、確かに。

−:ご家族には相談されたと仰ってましたけど、引退のことについて「迷っている」という形で打ち明けられたんでしょうか?
安:いえ、相談したときにはもう辞めるって決めていて。「もう辞めるぞ」って。相談ってことになるかどうか分かんないですけどね(笑)。

−:そのときは奥様はどんな言葉を?
安:「できればもうちょっと」ってのは最初に言ってましたけど、あとは「体が健康なうちにっていうのは良いことだから」っていうので納得してもらいました。

−:今朝もトレセンでは引退を惜しむ声が色んなところから上がってたんですが、松田国英調教師が、先ほど馬名を出されましたが「キングカメハメハとダイワスカーレットの子どもに乗ってほしかった」と仰ってました。そういったことについてはいかがでしょうか?
安:そういうことも聞いてたし、色々イイ馬を頼まれることもあったでしょうけど、さっき言ったように、やっぱりそのパフォーマンスをちゃんと出せる自信がなくなったので、こういう結果になったんだと思いますけどね。

−:中央に入ってくる過渡期の中で、ライデンリーダーという馬がいて、桜花賞、オークスと戦ってこられたんですが、今の地方競馬の騎手の中央参戦のシステムを考えると、もうちょっと安藤さんが馬場を知った上で、ライデンリーダーを導けたかもしれないとか、そういったタラレバというのはありますか?安藤さんは先駆者なわけですから、先駆者なりの苦労というのがあったと思うんですが。
安:ライデンリーダーのときは、まだ特指っていうか、普通の交流戦がなかったので。芝っていうのは全然乗る機会がなかったので、やっぱり全然分かんない状態で乗ったんですけど。できれば芝の経験が何回かあった方が色々分かると思うんですけどね。

−:そういうことも全て通して、騎手として、何かやり残したことがもしあれば。
安:まあ、ないですね。正直、自分の中ではホント恵まれて、JRAにまでこれて、G1をこれだけ勝たせて頂いて、自分の中では満足しています。

(個別質問)−:先ほどライデンリーダー号のお話が出ましたのでもう少々お聞きしたいのですが、地方から中央への道を切り開いてくれたいいパートナーだと思うのですが、想いというのは?
安:今も質問であったように、自分の経験がないせいで桜花賞を勝てなかったというのはすごく感じましたし、そういう点では「ホントに悪いことしたな」という気持ちはありますね。

−:この騎手人生を振り返って、どんな騎手人生だったなと思われますか?
安:そうですね。16でデビューしたんですけど、最初はとにかくガムシャラで「勝ちたい」ばっかりで、30近くまではそういう感じだったんですけど。中央に来る頃には反対に落ち着いてというか、ガムシャラさもなくなって……。まあだから、反対に「いい時に中央にきたのかな」という気もしますけどね。地方含め、中央にきてからも、馬とか、周りの人とかにはすごく恵まれてるな、というのは感じましたね。

−:騎手人生を支えてきたものというのは何かあるんですか?
安:やっぱり、自分の中の動物好きっていうのはすごく大きいと思いますけど。


(個別質問)−:「馬と上手くコンタクトが取れなくなった」と仰っていたんですけど、どういったことなんでしょうか?
安:やっぱり関節の硬さと、重心が上手く合っていないなっていうのもあるから、その分、いい位置を取りに行くと、昔のようにスッと抜けるところが抜けなくなって、変に馬に負担をかけてしまうので、思ったより先生方の指示とか、自分のイメージより競馬が後ろからになっちゃうっていうのは何回も感じましたね、最後の方は。

−:そのあたり、やきもきというか、悔しい気持ちが募っていったという感じなんですか?
安:言われたように位置を取りに行くと、以前のようにスッと折り合いをつけられないというか、そういう部分が多いので、どうしてもそういう部分を気にするだけでも競馬にはマイナスですから。ただ自分では分かっていても、正直、体が思うようにならないっていうのはありましたから。

−:さきほどもありましたけど、1年前からですか?
安:いや、急に1年前ってことはないですけど。徐々になんですけど、まあ確実にそう思ったのは1年前くらいかなって感じですね。

−:地方と、中央と、その両方の大変なところを良いところをご存知だと思うんですけど、改めて笠松の良かったところ、中央競馬にきて良かったところを教えてください。
安:笠松の頃はあそこでホントに調教なんかもスゴイ数を乗ったし、レースでも色んな馬に乗ったし、小回りで「少々人の邪魔をしても勝つぞ」くらいのガッツは磨かれたと思うし(笑)。中央にきてからは全然設備が違って、ガッツだけじゃ勝てないというか、やっぱり折り合い面とか、距離もいろいろありますから。「ソフトな部分も」という乗り方も勉強になったし。そういう意味ではJRAにきてからまた違った乗り方を考えたり、勉強したり、まあそれがまた楽しくて。だからこうやって色々考えて、楽しんで競馬に長く乗ってこれたと思うんですけど。

−:地方で言いますと、オグリキャップの主戦でもいらっしゃったんですけど、中央でも乗ってみたかったという気持ちは?今とは全然状況が違いますけど。
安:いえ、もうアノ頃は乗れないというのは確実に頭にあったから。正直、オグリキャップの競馬はいつも見てたけど、普段の中央の競馬は全然興味なくて見てなかったです(笑)。

−:じゃあ、そのときの悔しさというか、どうしようもないところが爆発して中央に、ということじゃなかったんですね。
安:オグリの頃は全然そんな感じじゃなかったですね。ただ、ライデンリーダーの頃にやっと開放になって、G1に乗せてもらって、やっぱり華やかさとか全然違いましたから。「是非、中央のG1を勝ちたい」と思って、それからですね、中央に夢を抱いたのは。それまではもう全く無理な話でしたから。オグリの頃はそんなことは全然思ったことはなかったです。

−:その無理なことを成し遂げられたパイオニアだと思うんですが、中央入りを達成されたときのことを改めて振り返って頂けますか?
安:ホントにこれはもう幸せなことで、藤沢先生から「こういう試験も受けれるんだぞ」って話を頂いて、「じゃあやってみようか」って気になって受けたんですけど。まあ最初の年は案の定、受からなかったですけど(笑)、それでマスコミの方やファンの方が色々後押ししてくださって、新たな試験制度を作って頂いて、それで晴れてJRAに来れたという。それは今でもホントに感謝しているし、ホントに夢のような感じだったし、そのときもう42でしたから「これがラストチャンスだな」と思ってたので。ホントに嬉しかったことを今でも思い出しますね。

−:今後のことを白紙と仰ったんですけど、希望というか、そういったものはおぼろげにありますか?
安:ファンに競馬のよさを伝えられるような仕事ができればいいと思うんですけど。ただ、喋るのもあんまり得意じゃないんで(笑)。これからは色々勉強をしながらでもね「少しでも競馬の魅力が伝えられればな」と思ってますけど。

(個別質問)−:笠松時代の一番思い出に残る馬は、1頭上げるとしたら?
安:フェートノーザンですね。

−:どのレースが?
安:いや、どのレースっていうか、ちょうど地方の交流レースで大きいのができたときで、アノ馬について北海道に行ったり、大井に行ったりっていうので、何ヶ月も一緒について旅をしてたから、接している部分も長かった馬ですから、すごく思い出に残ってますね。

−:イナリワンに勝ったレースもありましたね。
安:はい。そうですね。あれは笠松ですけどね。

−:やっぱり笠松時代が27年くらいで長いので、まあひと言で言うと、笠松時代ってどんな思い出ですか?
安:さっきも言ったように、ガッツもすごく磨かれたし、あそこで色んな馬に乗ったことで技術も磨かれたと思うので。ホントにあそこのおかげで今の自分があると思ってますし、他の関係者からもすごく自分は愛されたと思ってるので、そういう点ではホントに基礎を作ってくれたのは笠松だと思ってますけど。

(個別質問)−:さきほども少しお話が出たかと思うのですが、オグリキャップ号に関して何か思い出があれば。
安:思い出っていうか、デビューして4戦くらいはボク乗ってなかったんですけど、そのときは調教とか見ていて、こんなこと言っていいかどうか分からないですけど(笑)、ホント、チンケな馬で、色もそうなんですけど反対にみすぼらしい感じの馬だったんですけどねえ。日に日に逞しくなっていくっていうか、すごい成長力のある馬だなあっていうのは感じてました。中央に行ってからも一ファンとして応援してたんですけど、もうホントに素晴らしい馬でしたし、ファンの多い馬だったからね。そういう点にはすごい感心しますよね。

−:今後の笠松時代に対する想いなんかがありましたら。
安:笠松だけでもなく、中央競馬もすごく厳しいので、とにかく今は何とか生き残っていっているって状態なんですけどね。うーん……、どうやっていっていいのかわからないですけど、正直このままでも良くないと思うんですけど、キッカケがあれば伸びるのかも分からないし、廃止になってほしくもないし、このままでも良くないと思うし、難しい感じですね。

−:競馬はブラッドスポーツだと思うんですが、人間でもそうなのかなと思うんですが、甥っ子で大井の安藤洋一騎手や、義理の甥になる太宰騎手に対してメッセージがあればお願いします。
安:身内って感じで応援はしてますけど、やっぱりまあ、個々の努力ですから、努力して頑張って上を目指してほしいと思っています。

(個別質問)−:ダイワスカーレットで4つG1を勝たれているんですが、一番印象深いレースはありますでしょうか?
安:やっぱり有馬記念ですね。

−:安藤さんの中では、どういったレースだったんでしょうか?
安:その前の天皇賞が最悪のレースでしたから。もう、そういう意味でホントに汚名返上したいと思ってたんで、とにかく馬の力を信じて行っちゃえって気持ちでいたんで、そういう点では「アノ馬の力は大したもんだな」と、今でも思いますけどね。

−:秋の天皇賞を「最悪なレース」と仰っていましたが、安藤さんにとってはどのようなレースだったんですか?
安:いやもう、馬と自分の呼吸っていうかね、全然折り合いつかずにガンガン行っちゃって、息が入んないんで、4コーナーを回るときは正直「コレは馬群に沈むな」って感覚だったんですけど。あそこから頑張って、ましてやハナ差の勝負するような、そんな感じのレースの流れじゃなかったですからね。ホントすごく強い馬です。

(個別質問)−:安藤さんに続いて、小牧さんとか岩田さんとか、地方出身の騎手の方が中央でも活躍されてるかと思うんですけど、そういった地方出身の騎手に対する想いがあれば教えてください。
安:もう地方出身だからっていうのは正直、全然思わないですね。コッチきたらやっぱりJRAのジョッキーですから。みんなライバルですし。きた人もそう思っていると思うので、やっぱり俺でも誰でも負かしてやろうという気でみんなきてるので。だから特別、地方の騎手にどうのこうのという気持ちはないです。

個別質問)−:ファンの方に送ることがあれば、最後にひと言頂けますでしょうか?
安:コッチにきてからのファンの声援とか、応援はすごく感じてたので、ホントに感謝してます。できればファンの期待に応えられる騎乗ができるならもっと長く乗りたいんですけど、さっき言ったように、そういう自信がなくなったので、ファンのためにも、もう引退した方がいいという気持ちで今日に至っているので、そういう点は分かってほしいと思いますけどね。

(個別質問)−:安藤さん、この後は馬に乗る予定はないですか?
安:ないですね(笑)。はい。

−:乗ってみたいと思うときはありそうですか?
安:いや、今のところちょうど2ヶ月乗ってないですけどあんまり思わないから。まあ、それも案外キッカケにもなってるのかなあと。未練があったら乗りたいと思うんだろうけど、そういうふうに思わないってことは。丸2ヶ月くらい乗ってないですけどね。

−:最初のメッセージの中で「明日で」ということでしたけど、区切りはJRAだと2月末が一般的なんですが。
安:ホントはそれでと思ったんですけど。こうやって分かった以上、乗る気持ちはないですから。もうこれで会見して、明日で免許を返上して、この次に引退式でもやって、という気持ちになりましたけど。

(個別質問)−:もし、引退式で着られるんであれば、どの勝負服を着たいとお考えですか?
安:たぶん着る事はないと思います(笑)。

−:ではスーツ姿の引退式という感じですか?
安:はい、そのつもりです。 」  ーー競馬ラボよりーー

 笑顔での引退会見だったという。アンカツらしいなぁ。

 「◇安藤勝己騎手引退
 大井所属で地方競馬のNo・1ジョッキーとなり、08年にJRAへ移籍した内田博幸(42)は川崎競馬場でのG1騎乗後に安藤勝の引退について口を開いた。
 「あの人がいたから、僕たちもJRAへ行く(移籍)ことができた」と地方出身の先駆者に敬意を表した。さらに「度胸があって大胆で、(見る者を)魅了する乗り方だった。今までたくさんの名シーンを生んできたし、勉強になることも多かった。誰もがいつかは引退する時がくる。本当にご苦労さまでした」と偉大な先輩の労をねぎらった。

 ▼安藤光彰(実兄で元ジョッキー、現在は坪厩舎の調教助手)半年ほど前に(騎手免許を更新しないと)聞いた。さみしいね。年齢的なこともあるし、驚くことはなかったよ。

 ▼岩田康誠(兵庫から移籍)時代の流れかもしれませんが、残念の一言です。本当にお疲れさまでした。僕も安藤さんの背中を見て、その活躍を励みにして地方→中央と頑張ってきた。同じ地方出身騎手として、安藤さんが切り開いてきた道を閉ざさないように頑張っていきたい。

 ▼柴山雄一(同じ笠松競馬出身)残念です。地方から中央へという道筋を開いてくれた大先輩。個人的にもいろいろとお世話になり、本当に感謝している。

 ▼戸崎圭太(大井、JRA騎手試験受験中)深いかかわりがあるわけではないけど、会ってあいさつした時などもオーラのある人だと思っていました。騎乗についてはずっと手本にしていた一人だし、騎手として偉大な人、格好いい人。突然でびっくりしました。さみしくなりますね。

 日本騎手クラブ会長の武豊は「安藤さんこそが天才ジョッキー。感性が凄かった。何でそんな勝ち方ができるの、と驚くレースが多かった」と、自らにたびたび使われる“天才”の二文字を引き合いに出して引退を残念がった。
 「物事に動じない安藤さんの生き方を見ていると、自分が小さいと思えてくる。僕がファンだった」と、最大限の賛辞がこめられていた。

 ▼土川健之JRA理事長 安藤勝己騎手は、03年に地方競馬所属騎手として初めて中央競馬の騎手免許試験に合格し、G1競走を22勝するなど、幾多の名馬とともに勝ち星を積み重ね、多くの感動を演出してくれました。このたびの引退は残念ですが、「先駆者」として、地方競馬との架け橋になってくれたことに感謝いたします。今後も是非その経験を生かして、中央・地方問わず、競馬サークルの発展に尽くしていただきたいと思います。

 一時代を築いた名手・アンカツの引退に、トレセンからも惜しむ声が相次いだ。

 安藤とのコンビでG1・4勝を挙げたダイワメジャーを管理した上原師は「寂しいね」と肩を落とした。
 メジャーの5歳春から主戦を務め12戦6勝。06〜07年にはマイルCS→安田記念→マイルCSとマイルG1・3連覇の偉業も成し遂げた。「メジャーは気難しい馬だったが、レースではそういう面を出さないように、うまく乗ってもらった。ドバイ(07年デューティーフリー3着)にも来てもらったし、いろいろと尽力してもらって感謝している」と振り返った上原師。
 「馬のいいところを引き出してくれる騎手だった。地方出身の先駆者として、JRAに新しい風を吹き込んだ。年齢が年齢だし、いつかは訪れること。大きなケガとかがなく引退できたことは、よかったと思う」と、しみじみ話した。

 ▼橋口師(ツルマルボーイ、ザッツザプレンティなどを管理)バテた馬をもう一回、しった激励して走らせる技術がないと地方では結果を出せない。そのあたりがすごかった。中央でも通用するところを存分に見せつけたし、そういう道をつくったジョッキーだね。

 ▼松田国師(キングカメハメハ、ダイワスカーレットなどを管理)最後の方は騎乗をメーンレースに絞って、それで結果を出していた。さすがプロだね。ダイワスカーレットの子(ダイワレーヌ)に乗ってもらえたら良かったんだけどね。(松田国調教師「最近は数をあまり乗らず、メーンなどに限定して乗っていたけど、それで結果を出していたのはさすが。ダイワスカーレットとのコンビでは本当にいろんな思い出をつくってくれた。その子供(ダイワレーヌ)にオーナーも僕も乗ってほしかったんだけど斤量の関係で乗れなかった。その時は本人も言葉には出さなくても悔しかったと思う」 東スポより)「本当に超一流。調教師と騎手のペアとしては、最も重要な人でした」と最大級の賛辞を贈った。(スポーツ報知より)

 ▼松田博師(ブエナビスタ、アドマイヤドンなどを管理)自分で見切りをつけたことだからな。研究熱心な男。いろいろあったなかでも、やっぱりブエナが印象に残っている。岩田や小牧が追随できたのも、アンカツがいたからじゃないかな。

 ▼松元師(JRA・G1初制覇のビリーヴを管理)まだ若いと思うので、もったいないかな。ビリーヴもいい思い出。重賞でもっと乗ってほしかったし、勝ってもらいたかった。

 ▼福永 達観した人でしたね。ビッグタイトルを数多く獲っていても変に力が入らない。なかなかあの境地に達することはできないと思う。40歳を過ぎてもバリバリ乗って年間100勝もしたし、すごい人でした。

 ▼佐々木竹見元騎手(史上最多の7153勝)地方の騎手が中央へ行く道をつくった人。もう少し乗ってほしいという思いもあるが、素晴らしい活躍をしてきたし、これまで本当によくやったと思う。お疲れさまでした。」 ーースポニチよりーー

 中央での勝ち鞍は、1111勝と「1」並びだった。以前から年で、選んで騎乗するようになったというのは聞いていた。しかし、去年は、本当に騎乗機会が激減状態で、これはそろそろかなと思っていたが、やっぱりの引退発表である。オグリキャップからダイワスカーレットまで、ワクワクさせて貰った。

 アンカツは、幸せな騎手人生だったと、いい、期待している関係者やファンの皆様に(迷惑が)かからないようにと、引退を決めたという。立派な騎手だった。勝率16.9%、連対率30.3%、3着内率41.7%という高いアベレージを残した。馬券でお世話になったファンも多い。結局人間、周りの人に恵まれるかどうかにかかっている。アンカツは、地方競馬から中央競馬への移籍の道筋を作り、結果も残した。彼の腕を見込んで騎乗依頼する調教師や馬主が沢山いたからだ。

 才能や特技だけでは、周りの人には恵まれない。あの笑顔や人柄もアンカツの魅力になっているのだと思う。俺には、笑顔や人柄もない。才能や特技はあるかも知れないが、だから嫌われるのだ。それでも、付き合ってくれる人はいる。そういう人たちを大切にしたいと思っている。誤解されても、しょうがないのだ。おそらく俺は、そういう風にしか生きられないのだから。


 2月3日(日) 晴 28976/2

 柔道女子園田監督が辞任したが、全柔連の対応の拙さが、今回も浮き彫りになった。男子の篠原交代劇の時も、思ったが、自浄能力がここにはないようだ。日本の悪い古い体質が、残っているのだ。外国人選手や監督が多くいるサッカーにはあり得ない事。お家芸という過去の金メダルに、いつまでもしがみついている。警察所属という園田前監督、強姦事件で実刑判決を受けた内柴もまた、そのような体質の中で育った人と言うことになるのか?

 本来、柔道もスポーツの、健全な肉体と精神を育むために行うもの。それを勝負だけに特化すれば、やはり間違いが起こる。こういう事が起きないように改善しても貰いたいものだが…。果たして上手く行くのかと、全柔連の対応を観ていると思ってしまう。残念な事だ。


 2月5日(火) 曇 38979/2

 自分の中にちゃんとした基準を持っている人と、そうでない人の人生のあり方は違うだろう。それは、日々の生活にも当然影響を与え続ける。おそらく、サルバドール・ボウは、そういう基準を持ち合われていない人で、ホセ・トマスはそういう基準を持っている人だ。その違いが、闘牛士とそのアポデラードの関係に終止符を打つ原因になっているいるような気がする。

 この件に付いての新しい情報はない。この時期、セビージャやマドリードという大きな闘牛の祭りが控えている。この契約にサルバドール・ボウでは、心許ないという事も原因しているような気がする。ちゃんとした契約が出来るアポデラードを必要としているのだと思う。今年こそマドリードのラス・ベンタス闘牛場に出場して欲しいと願う。ホセ・トマスをあそこで観たい。だが、どうやらホセ・トマスは、セビージャの春祭りは勿論、マドリードにも出場しないようだ。残念だ。


 2月6日(水) 雪 4321

 今日の天気予報は、雪である。どれだけ降るのかによって、その混乱状況が変わってくる。

 今年からカナル・プルスの闘牛中継の解説者に加わるミゲル・アベジャン。闘牛士を辞めたのだろうか?と、思って調べたら、ちゃんと闘牛をやっている。解説もして、闘牛もしてと、非常に難しい道を歩み始めた様だ。頭の中を整理するという意味では、良いかもしれない。コルバチョ曰く、あいつの頭はコンプリカド(複雑とか混乱している)だ。と、言っている様だから、解説をやることによって、闘牛まで良くなれば一石二鳥なのだが、どうなる事やら…。マヌエル・カバジェーロが抜け、エミリオ・ムニョスが復帰してどういう掛け合いになるのか。カバジェーロの様に興奮しないで解説をして欲しい。


 2月7日(木) 晴 32122

 昨日は雪が積もるかと思ったが、積もらなかった。交通機関の混乱も間引き運転くらいで大きな混乱はなかった。雪が雨に変わった時点で、降雪のピークの午前中だったのでそういうことになった。今日は、横浜に行ってきた。疲れがピークのようで右肩がこって痛い。これから風呂に入って寝ることにする。


 2月8日(金) 曇 8796

 都内の電車は、この時期になると少しすいている。学生が試験やなにやで学校に行かなくて良くなるからだと思う。普段は立っているところで、座れるような時がある。そうするとやっぱり嬉しい。夕方のラッシュは相変わらずでも、朝のラッシュは緩和される。

 セビージャのフェリアの概要が分かった。アップしたが、セバスティアン・カステージャが出場しない様な話しがあったが、2回出場するようだ。スペインの国債の入札は順調だが、経済は非道い状態のようで、労働組合が頻繁にストライキを繰り返している。そんな中で、去年は観光客が増えているという。観光客が落とすお金が、スペイン経済を救っている状況のようだ。


 2月10日(日) 曇 45123/2

 寒椿が散って、落ちているのが目立ち始めたと思ったら、紅梅が咲き始めた。そうもう立春を過ぎたのだ。疲れて、このまま寝てしまいたい気分。やることはあるが、何もしないで寝たい。セビージャのカルテルが発表されて様だが、何もせずに寝ることにする。


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