断腸亭日常日記 2012年 その21 11月京都旅行

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行と東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月京都旅行の滞在日記です。

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 11月1日(木) 曇、夜になり小雨 23731 京都のホテルにて

 昼過ぎ京都へやって来た。新幹線の時間を間違って1本遅い電車に乗って指定席ではなく、自由席で来た。京都駅で、昼食と取って、真如院へ行き信長が作庭した枯山水の庭を観た。変わった庭だった。ウロコ状の平たい石を引き詰めた外に白石と苔が別れて配置されている。それから、タクシーで大徳寺へ向かった。黄梅院へ。信長が父の菩提を弔う為に建てた塔頭。庭はまあまあだったが茶室は風情がなかった。

 次の興臨院は、前田家の菩提寺。総見院は、秀吉が信長のために作った塔頭。国宝の信長像がある。そして墓も。火事や明治の廃仏毀釈で古い建物があまり残っていない。ここで16時くらいになり他は観れない状態になったので大仙院へ向かった。横の芳春院が観れたので入口まで行ってみる。中は見れないので、大仙院へ行く。門の前にある木肌が赤い松が目立った。中にある枯山水の庭は、気に入った。石が近くにあるので余計そう思ったのかも知れないが、凄い石を使っている。

 その後、高桐院へ行ったがやはり閉まっていた。バスに乗り北大路バスターミナルへ。そこで河原町を通る205番に乗ってホテルにチェックイン。風呂に入り仮眠。それから、六角堂でISOさんと待ち合わせをして飲んだ。

 ISOさんとの話は、面白かった。12月の旅行計画も話し合った。良いアイディアが出たのでそれを採用する事にした。最後は四条の京阪の駅まで歩きながら俳句の話などをした。

 「余暇は人間の表現への欲求をもっともよく充たすことの出来る状態であり、庭の創造はこの余暇によってもたらされる表現の最高のものである。ここに人類がその地上への出現以来、世界じゅうに木や花に飾られた空間を造りつづけて来たことの謎を解く鍵があるのではなかろうか。
 さらに言うならば、ある種の文明においては、偉大なる庭園芸術は、抽象的ではなく、自然それ自体の要素を用いて至福の概念を表わさんとする望みに結びついているのである。」  ーー『庭園の世界史 地上の楽園の三千年』ジャック・ブノア=メシャン著よりーー


 11月2日(金) 曇時々雨 15715 京都から東京へ向かう新幹線の中にて

 今日は、ホテルで朝食を取って今日から公開する廣誠院へ行った。庭が良かった。池に柱の土台があったり家からの庭の眺めも、庭に出てからの眺めも良かった。初めにこう言うのを観ると、次が不安になるが、バスに乗って新島旧邸に向かったが、10時からだったので諦めて、京都御所へ行った。広い敷地内の砂利道を歩いていたら、雨が降ってきたので傘をさした。御所には沢山の人がいた。中も凄い人だった。建物も良いが、やはり庭園が良かった。山県有朋が、明治天皇に、無鄰菴作ったときに、御所を除けば次に良い庭園は、無鄰菴だというと、明治天皇は、御所の松をプレゼントしたと言う。

 外人も多く来ていた。やはり、庭が印象に残った。それから冷泉家へ行った。家の前はバス停なっているが、観光バスが横付けして大勢の人が降りてきて、並んだ。家の中の説明も、その団体客がバス1台分いるわけで狭いところに身動き取れない感じになって、とても不快な気分だった。ただ、流石に冷泉家だけあって凄い物があるんだなぁと思ったり、家もまた貴族的な伝統を持っていることが判った。庭は小さくとても語る物ではないと思うが、気を引く可憐な花が咲いていたのが良かった。

 それから、平安ホテルの小川治兵衛の作庭した庭を観た。思ったよりは広くはなかった。池には大きな錦鯉が泳いでいた。そして、庭園が見えるレストランで落ち着いて昼食を取った。それから有栖川旧邸を観た。ここは冷泉家と違って写真が撮れる処。この場所は、御所内に本宅があるので別邸になっていたという。それから、大徳寺塔頭群へ向かう。聚光院は、三好家の菩提寺になっているが、千利休と関わりが深く、利休作と言い伝わっている庭がある。そして、墓もある。真珠庵は、一休を祭っている処で、村田珠光作と伝わる七五三庭園がある。茶室も素晴らしいし写真を撮りたかったが禁止されている。

 残念な思いを胸に、高桐院へ向かった。同じルートを歩いていた若いカップルが入口付近のあの有名な風景に感嘆していた。もう写真バチバチモードに突入。撮りまくった。庭の奥には、細川家の墓が並び、一角には、独立して、細川ガラシャの墓があった。紅葉が少しだけあった。12月も来ようと思っているが、その時はどうなっているかちょっと心配になった。下鴨へ行ってジブリを観に行こうかと思っていたが、高桐院が、素晴らしかったので、ここで、今回の京都観光を終了にすることにした。

 バスで、北大路バスターミナルへ行き、地下鉄に乗り換えて、京都駅に戻り、新幹線の切符を約2時間早い電車に換えておみやげを買い、喫茶店でケーキとコーヒーを飲んで、タバコを吸って時間をつぶし、帰路に着いた。


 11月5日(月) 曇 42904/3

 今部屋にいて宅配便を待っている。『GLEE』シリーズ3が届くのだ。京都から帰ってきた翌日は、東京競馬場へ行った。やっぱり疲れているのか14時頃、昼食後に眠くなった。それから、レースを乗り切った。日曜日は、予想していたレースが買えなくて、それが大穴的中の結果だったので、ショックが大きかった。それからメロメロ。

 『GLEE』が届いた。見始めた。またメンバーチェンジで、募集から始まる。スーはスーだし、レイチェルはレイチェルで、シュー先生はシュー先生だが、クイーンは激変。どうなるこれからで、始めにインパクトを与えるのは、ライアン・マーフィーのやり方なのだろう。

 京都の話しもあるが、ISOさんが言っていた言葉が忘れられない。人は、やりたいことをやるのでは、子どもだろう。出来ることをやるから上手くできるのだ、と。ゴールキーパーは、フォワードもバックスも出来ない。フォワードはバックスは出来ないし、バックスはフォワードは出来ない。みんな出来ることをやるから上手くできるのだ。


 11月7日(水) 晴/曇 19074/2

 昨日は寝坊して携帯すら持って行くのを忘れた非道い状態。ダルビッシュが、WBCに不参加を表明し、アメリカ大統領選は、メディアがオバマ大統領の再選を報じているという。どちらも賢明な選択だと思う。

 『GLEE』シリーズ3は、面白い。ネットなどでは、色々な事が書かれているが、ひょっとすると1番見やすいかも知れないと思う。選曲も僕の好みとは違うが、それはそれで楽しめている。何より、聴きやすいのが、良いのだと思う。これだけ評判になって、レコード会社とかアーティストからの要望や圧力があると思うが、まとまって番組になると、親しみが沸く。それは、それぞれのタレントの役割が明確になって来たからだと思う。


 11月8日(木) 晴/曇 11305

 馬場で古本市があったので覗いたら、欲しい本があったので買ってきた。『志ん生廓ばなし』『志ん生滑稽ばなし』古今亭志ん生著。『古典落語』(続)(続々)(大尾)『俳句季題便覧』三省堂ホトトギス。

 夕方、MEGUさん夫婦と待ち合わせて夕食を取る。12月の京都旅行の話しや、この前行ってきた京都の話しなどをする。旦那さんとは、競馬の話しで盛り上がる。勿論、闘牛の話しもする。ホセ・トマスは、人の為に闘牛やっていない。自分の為に闘牛をやっている。そうじゃないと、あんな闘牛は出来ない。サッカー選手だとチームの為とかに出来るけど、ホセ・トマスの闘牛は、本当に命懸け。あそこまで行けない。


 11月9日(金) 晴 8868

 最近、金土と競馬前の日が待ち遠しい。予想する為の準備をするの作業に充実感を感じる。『GLEE』シリーズ3で、今はまっている曲が『ABC』ジャクソン5、『Control コントロール』ジャネット・ジャクソン、『Man In The Mirror マン・イン・ザ・ミラー』マイケル・ジャクソン、の3曲。その後の『We Are Young 』ファン、も勿論良い。それにしてもマイケル・ジャクソンがこんなに良いとは思わなかった。泣けてくる。出勤前に聴くのはこの3曲。特に、『Man In The Mirror 』がベストだ。

♪一生に一度の 変化を起こそう
正しい方向に行けば 本物の喜びが待っている

お気に入りのコートの 襟を立てても 心に風が吹く 
腹をすかせた 路上の子供たち 見ないフリをする僕は 何物なんだ

うつろな夏 割れた瓶 そして男の魂が1つ
風が吹くまま漂っている 行くあてもなく 今こそ目を覚ませ 

鏡の中の男から始めよう 生き方を変えるんだ 単純明快なメッセージだろ
世界をよくするたには 自分を見つめて 変えること!

鏡の中の自分から始めよう 生き方を変えるんだ 実に単純なメッセージだろ
よい世界にするには まず自分を変えること
手遅れになる前に 心の目を閉ざさないで!

鏡の中の自分から始めよう 生き方を変えるんだ 何より単純なメッセージ
よい世界を望むなら 目の前の自分を変えろ
立ち上がれ 行動だ 自分自身を変えろ
立ち上がれ 愛のために 分かってるはずだ
変えよう 世界を♪  ーー『Man In The Mirror マン・イン・ザ・ミラー』マイケル・ジャクソン『GLEE』シリーズ3の訳よりーー


 11月10日(土) 晴 27130

 今日は東京競馬場へ行ってきた。明日のGTエリザベス女王杯は、3歳馬ヴィルシーナが圧倒的な1番人気になっている。はたして勝てるのだろうか?確かに、3冠レースで、ジェンティルドンナの全て2着という実績がある。だからこその1番人気。だが、違和感を感じるのだ。馬主の大魔神佐々木には悪のだが、そう簡単に勝てるだろうかと、思うのだ。

 立ちはだかる古馬牝馬。トライアルの色彩が強い府中牝馬組や条件戦を勝ってきた馬たちが、そう簡単に勝たせてくれないような気がするのだ。マイネイサベル、スマートシルエット、レインボーダリアまでが圏内だと思う。プラス、ホエールキャプチャ。条件組からは、アカンサス、ピクシープリンセス、マイネオーチャード、ラシンティランテなどがいる。しかし軸は、勝たないまでも、ヴィルシーナ、と、ホエールキャプチャ。フミノイマージンは切る。この2頭から、3連複で行きたい。

 一方東京のメイン、武蔵野Sは、3歳馬を熟考しないと行けないレース。内からナムラビクター、イジゲン、ガンジスの3頭。どれが1番強いのか?1600mを考えるとイジゲンが条件に合っている気がする。ガンジスは距離が長いかも知れないし、ナムラビクターは、距離が短い気がする。トリップも距離が長い口。迎え撃つ古馬は、実績や距離適正からシルクフォーチューンが有力だと思う。

 今年の3歳は強い。問題は、どう買うかである。ナムラビクターから行けば、イジゲンもガンジスもシルクフォーチューンも買えるが、イジゲンから行くとガンジスが買いづらい。ガンジスからも同じだ。となると、馬連なら、ナムラから流すのが良いと言うことになるが、3連複ならナムラとイジゲンか、イジゲンとシルクを軸にするかと言うことになる。さて、悩むところ。小沢昭一風にまとめると、それは、明日の心なのだ〜!


 11月11日(日) 曇のち雨 9431

 スポーツの良いところは、結果が直ぐに明確に判るというところだ。この結果に、自分の考えが合っているのか、間違っているのかが判る。合っていれば、そのままで良いが、間違っていれば、それを修正すれば良いのである。スポーツを観るということは、そういうことなのだ。

 最近の冷え込みで、紅葉が早まっているような気がする。あー京都の紅葉が散っていたら残念だ。約1ヶ月先だが、そんなことを思ってしまう。人は、生きる希望を持っているからこそ、前を向いて進んでいける。


 11月12日(月) 雨のち曇 19975

 昨日は夕方から雨が降り今日の昼前まで降り続いた。エリザベス女王杯は、予想通りの結果になった。ヴィルシーナは、僅差で2着になり、優勝は、柴田善臣騎乗のレインボーダリアだった。3着が、デ・ムーロ騎乗のピクシープリンセス。京都競馬場へ行ったISOさんは取っただろうか?

 僕の方は、予想はほぼ完璧に近かったが、馬券は外した。武蔵野Sにしても予想は合っていたが、同じだった。どうしてこうなるのか?大いに反省しなければならない結果だ。こういうレースを取れないようじゃ、競馬やってはいけない。どんなに理屈をこねても、馬券を取った奴の勝ちである。予想上手の馬券下手の典型である。嫌になってしまう。

 今日は予約を入れていた歯医者に行った。去年の7月から行っていなかった1年4ヶ月ぶり。先生は相変わらす元気で、歯科衛生士の女性陣も元気だった。問題の左上奥歯は、4月の京都旅行の頃から様子がおかしかった。それを、ブラッシングなどでだましだましやって来たが、やっぱりおかしいので来てみたら、歯が割れていると言う。抜かなければならいという。問題は、その後で、インプラントを入れるのが1番良いという。費用は、50万強。

 そんな金どこから出てくるんだ?ちょっと、無理だ。費用が安い入れ歯も出来る。勿論、何も入れないでそのままというのも有りだが、そうすると下の奥歯が上に上がってくるのだという。そんな話しをした後、歯茎のチェックを実施。ブラッシングが悪いことを指摘され、ブラッシングの再トレーニング。それから、歯石除去。歯科衛生士の僕担当の女性が、「今日やりましたから、リセットです。新しい気持ちで、また始めて下さい」と言った。リセット。良い言葉だ。

 会計の時に、ここに置いている雑誌は、食べ物の物が多いですが、歯を治して美味しい物を食べなさいと、言うことですか?と言ったら、旅行雑誌か食べ物の雑誌が多いです。と、言う。先生がニコニコしながら出てきて、動物は、エサを取るために歩くんです。だから、食べ物と旅行です。万人が差し障りのない話しです。もう一つは生殖です。でも、ここではそういうのは置きません。と、笑って言っていた。

 それから、雑誌で最高のレシピの特集している話しになり、生姜焼きとか色々載っていたが、ページをめくっていたら、どら焼きとシュークリームのどっちが良いという記事があって、その話しをした。そこで、阿闍梨餅(あじゃりもち)って知っているか訊いたら、奥に引っ込んだ先生が「えっ阿闍梨餅」と言って出てきた。先日学会で京都に行ったんだけど。その前に、新幹線の京都駅のエレベーターの下に、阿闍梨餅っていうのがあって美味しいから買ってみたらって5日前に訊いて、買おうかと思っていたが、飛行機で行ったので買えなかったという。

 それでどら焼きより、少し小さめの大きさで、色も同じような色しているけど、モチモチした食感であんこが入っていて美味しく、旅館に泊まったときに、貰って、なんだこれと思って食べたら美味しかった事を話したら、先生は、いやー失敗したなぁと言って笑っていた。

 ここに載せずに、闘牛ニュースに載せた方が良いのだろうけど、9月16日ニームで行われたホセ・トマスのウニコ・エスパーダについて、集まった観客は、5大陸から28カ国の人が闘牛を観に来た。フランス人の次に多かったのは、スペイン人。中米では、メキシコ、ベネズエラと続き、第4位は、イタリア、第5位は、スイス。

 5大陸のリスト。ヨーロッパは、フランス、ドイツ、アンドラ、イギリス、オーストリア、ベルギー、スイス、デンマーク、スペイン、ジブラルタル、オランダ、ハンガリー、イタリア、ロシア、ルクセンブルグ、モナコ、ノルウェー、ポルトガル。
アメリカは、カナダ、コロンビア、エクアドル、アメリカ、メキシコ、ペルー、ベネズエラ。
アジアは、日本。
アフリカは、コートジボワール。
オセアニアは、オーストラリア。
となっている。これだけ多くの国の人が、ニームを訪れてホセ・トマスの闘牛を観たという事実が、調査によって明らかになった訳である。


 11月13日(火) 

 本屋の目立つところに、手帳が陳列されている。そういう時期になったのだ。予定や、起こった出来事を簡単に書ける手帳や、家計簿まで付いている女性用の手帳など色々ある。今年は、少し大きめの手帳が女性層に受けているという。家計簿だけじゃなく、家族の予定が一目で分かる様に使える手帳とか、考案するのも女性だという。そういう商品を出して売れるのだから、世の中は大きく変わってきていることが判る。

 天才ピアニスト言われた、カナダ人グレン・グールドが、旅先の列車の中で神父に出会い、話しをしたときに、神父が、あなた言ったことは、この本に全て書かれています。と、渡されたのが、夏目漱石の『草枕』である。彼は、本を読んで感動して、姉に電話して、その感動を伝え、本を読んで聞かせたという。彼は生涯に渡り、『草枕』を100回以上読み、翻訳された本を5・6冊持っていたという。

「山路やまみちを登りながら、こう考えた。
 智ちに働けば角かどが立つ。情じょうに棹さおさせば流される。意地を通とおせば窮屈きゅうくつだ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高こうじると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟さとった時、詩が生れて、画えが出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りょうどなりにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容くつろげて、束つかの間まの命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降くだる。あらゆる芸術の士は人の世を長閑のどかにし、人の心を豊かにするが故ゆえに尊たっとい。
 住みにくき世から、住みにくき煩わずらいを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画えである。あるは音楽と彫刻である。こまかに云いえば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧わく。着想を紙に落さぬとも鏘きゅうそうの音おんは胸裏きょうりに起おこる。丹青たんせいは画架がかに向って塗抹とまつせんでも五彩ごさいの絢爛けんらんは自おのずから心眼しんがんに映る。ただおのが住む世を、かく観かんじ得て、霊台方寸れいだいほうすんのカメラに澆季溷濁ぎょうきこんだくの俗界を清くうららかに収め得うれば足たる。この故に無声むせいの詩人には一句なく、無色むしょくの画家には尺せっけんなきも、かく人世じんせいを観じ得るの点において、かく煩悩ぼんのうを解脱げだつするの点において、かく清浄界しょうじょうかいに出入しゅつにゅうし得るの点において、またこの不同不二ふどうふじの乾坤けんこんを建立こんりゅうし得るの点において、我利私慾がりしよくの覊絆きはんを掃蕩そうとうするの点において、――千金せんきんの子よりも、万乗ばんじょうの君よりも、あらゆる俗界の寵児ちょうじよりも幸福である。
 世に住むこと二十年にして、住むに甲斐かいある世と知った。二十五年にして明暗は表裏ひょうりのごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日こんにちはこう思うている。――喜びの深きとき憂うれいいよいよ深く、楽たのしみの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片かたづけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖ふえれば寝ねる間まも心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支ささえている。背中せなかには重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽あき足たらぬ。存分食えばあとが不愉快だ。……
 余よの考かんがえがここまで漂流して来た時に、余の右足うそくは突然坐すわりのわるい角石かくいしの端はしを踏み損そくなった。平衡へいこうを保つために、すわやと前に飛び出した左足さそくが、仕損しそんじの埋うめ合あわせをすると共に、余の腰は具合よく方ほう三尺ほどな岩の上に卸おりた。肩にかけた絵の具箱が腋わきの下から躍おどり出しただけで、幸いと何なんの事もなかった。
 立ち上がる時に向うを見ると、路みちから左の方にバケツを伏せたような峰が聳そびえている。杉か檜ひのきか分からないが根元ねもとから頂いただきまでことごとく蒼黒あおぐろい中に、山桜が薄赤くだんだらに棚引たなびいて、続つぎ目めが確しかと見えぬくらい靄もやが濃い。少し手前に禿山はげやまが一つ、群ぐんをぬきんでて眉まゆに逼せまる。禿はげた側面は巨人の斧おので削けずり去ったか、鋭どき平面をやけに谷の底に埋うずめている。天辺てっぺんに一本見えるのは赤松だろう。枝の間の空さえ判然はっきりしている。行く手は二丁ほどで切れているが、高い所から赤い毛布けっとが動いて来るのを見ると、登ればあすこへ出るのだろう。路はすこぶる難義なんぎだ。
 土をならすだけならさほど手間てまも入いるまいが、土の中には大きな石がある。土は平たいらにしても石は平らにならぬ。石は切り砕いても、岩は始末がつかぬ。掘崩ほりくずした土の上に悠然ゆうぜんと峙そばだって、吾らのために道を譲る景色けしきはない。向うで聞かぬ上は乗り越すか、廻らなければならん。巌いわのない所でさえ歩あるきよくはない。左右が高くって、中心が窪くぼんで、まるで一間幅はばを三角に穿くって、その頂点が真中まんなかを貫つらぬいていると評してもよい。路を行くと云わんより川底を渉わたると云う方が適当だ。固もとより急ぐ旅でないから、ぶらぶらと七曲ななまがりへかかる。
 たちまち足の下で雲雀ひばりの声がし出した。谷を見下みおろしたが、どこで鳴いてるか影も形も見えぬ。ただ声だけが明らかに聞える。せっせと忙せわしく、絶間たえまなく鳴いている。方幾里ほういくりの空気が一面に蚤のみに刺されていたたまれないような気がする。あの鳥の鳴く音ねには瞬時の余裕もない。のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句あげくは、流れて雲に入いって、漂ただようているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空の裡うちに残るのかも知れない。
 巌角いわかどを鋭どく廻って、按摩あんまなら真逆様まっさかさまに落つるところを、際きわどく右へ切れて、横に見下みおろすと、菜なの花が一面に見える。雲雀はあすこへ落ちるのかと思った。いいや、あの黄金こがねの原から飛び上がってくるのかと思った。次には落ちる雲雀と、上あがる雲雀ひばりが十文字にすれ違うのかと思った。最後に、落ちる時も、上る時も、また十文字に擦すれ違うときにも元気よく鳴きつづけるだろうと思った。
 春は眠くなる。猫は鼠を捕とる事を忘れ、人間は借金のある事を忘れる。時には自分の魂たましいの居所いどころさえ忘れて正体なくなる。ただ菜の花を遠く望んだときに眼が醒さめる。雲雀の声を聞いたときに魂のありかが判然はんぜんする。雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声にあらわれたもののうちで、あれほど元気のあるものはない。ああ愉快だ。こう思って、こう愉快になるのが詩である。
 たちまちシェレーの雲雀の詩を思い出して、口のうちで覚えたところだけ暗誦あんしょうして見たが、覚えているところは二三句しかなかった。その二三句のなかにこんなのがある。

  We look before and after
    And pine for what is not:
  Our sincerest laughter
    With some pain is fraught;
Our sweetest songs are those that tell of saddest thought.

「前をみては、後しりえを見ては、物欲ものほしと、あこがるるかなわれ。腹からの、笑といえど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、極きわみの歌に、悲しさの、極みの想おもい、籠こもるとぞ知れ」
 なるほどいくら詩人が幸福でも、あの雲雀のように思い切って、一心不乱に、前後を忘却して、わが喜びを歌う訳わけには行くまい。西洋の詩は無論の事、支那の詩にも、よく万斛ばんこくの愁うれいなどと云う字がある。詩人だから万斛で素人しろうとなら一合ごうで済むかも知れぬ。して見ると詩人は常の人よりも苦労性で、凡骨ぼんこつの倍以上に神経が鋭敏なのかも知れん。超俗の喜びもあろうが、無量の悲かなしみも多かろう。そんならば詩人になるのも考え物だ。
 しばらくは路が平たいらで、右は雑木山ぞうきやま、左は菜の花の見つづけである。足の下に時々蒲公英たんぽぽを踏みつける。鋸のこぎりのような葉が遠慮なく四方へのして真中に黄色な珠たまを擁護している。菜の花に気をとられて、踏みつけたあとで、気の毒な事をしたと、振り向いて見ると、黄色な珠は依然として鋸のなかに鎮座ちんざしている。呑気のんきなものだ。また考えをつづける。
 詩人に憂うれいはつきものかも知れないが、あの雲雀ひばりを聞く心持になれば微塵みじんの苦くもない。菜の花を見ても、ただうれしくて胸が躍おどるばかりだ。蒲公英もその通り、桜も――桜はいつか見えなくなった。こう山の中へ来て自然の景物けいぶつに接すれば、見るものも聞くものも面白い。面白いだけで別段の苦しみも起らぬ。起るとすれば足が草臥くたびれて、旨うまいものが食べられぬくらいの事だろう。
 しかし苦しみのないのはなぜだろう。ただこの景色を一幅ぷくの画えとして観み、一巻かんの詩として読むからである。画がであり詩である以上は地面じめんを貰って、開拓する気にもならねば、鉄道をかけて一儲ひともうけする了見りょうけんも起らぬ。ただこの景色が――腹の足たしにもならぬ、月給の補いにもならぬこの景色が景色としてのみ、余が心を楽ませつつあるから苦労も心配も伴ともなわぬのだろう。自然の力はここにおいて尊たっとい。吾人の性情を瞬刻に陶冶とうやして醇乎じゅんことして醇なる詩境に入らしむるのは自然である。
 恋はうつくしかろ、孝もうつくしかろ、忠君愛国も結構だろう。しかし自身がその局きょくに当れば利害の旋風つむじに捲まき込まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目は眩くらんでしまう。したがってどこに詩があるか自身には解げしかねる。
 これがわかるためには、わかるだけの余裕のある第三者の地位に立たねばならぬ。三者の地位に立てばこそ芝居は観みて面白い。小説も見て面白い。芝居を見て面白い人も、小説を読んで面白い人も、自己の利害は棚たなへ上げている。見たり読んだりする間だけは詩人である。
 それすら、普通の芝居や小説では人情を免まぬかれぬ。苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。見るものもいつかその中に同化して苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。取柄とりえは利慾が交まじらぬと云う点に存そんするかも知れぬが、交らぬだけにその他の情緒じょうしょは常よりは余計に活動するだろう。それが嫌いやだ。
 苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。余も三十年の間それを仕通しとおして、飽々あきあきした。飽あき飽きした上に芝居や小説で同じ刺激を繰り返しては大変だ。余が欲する詩はそんな世間的の人情を鼓舞こぶするようなものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵界じんかいを離れた心持ちになれる詩である。いくら傑作でも人情を離れた芝居はない、理非を絶した小説は少かろう。どこまでも世間を出る事が出来ぬのが彼らの特色である。ことに西洋の詩になると、人事が根本になるからいわゆる詩歌しいかの純粋なるものもこの境きょうを解脱げだつする事を知らぬ。どこまでも同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、浮世うきよの勧工場かんこうばにあるものだけで用を弁べんじている。いくら詩的になっても地面の上を馳かけてあるいて、銭ぜにの勘定を忘れるひまがない。シェレーが雲雀ひばりを聞いて嘆息したのも無理はない。
 うれしい事に東洋の詩歌しいかはそこを解脱げだつしたのがある。採菊きくをとる東籬下とうりのもと、悠然ゆうぜんとして見南山なんざんをみる。ただそれぎりの裏うちに暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。垣の向うに隣りの娘が覗のぞいてる訳でもなければ、南山なんざんに親友が奉職している次第でもない。超然と出世間的しゅっせけんてきに利害損得の汗を流し去った心持ちになれる。独ひとり坐幽篁裏ゆうこうのうちにざし、弾琴きんをだんじて復長嘯またちょうしょうす、深林しんりん人不知ひとしらず、明月来めいげつきたりて相照あいてらす。ただ二十字のうちに優ゆうに別乾坤べつけんこんを建立こんりゅうしている。この乾坤の功徳くどくは「不如帰ほととぎす」や「金色夜叉こんじきやしゃ」の功徳ではない。汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼義で疲れ果てた後のちに、すべてを忘却してぐっすり寝込むような功徳である。
 二十世紀に睡眠が必要ならば、二十世紀にこの出世間的の詩味は大切である。惜しい事に今の詩を作る人も、詩を読む人もみんな、西洋人にかぶれているから、わざわざ呑気のんきな扁舟へんしゅうを泛うかべてこの桃源とうげんに溯さかのぼるものはないようだ。余は固もとより詩人を職業にしておらんから、王維おういや淵明えんめいの境界きょうがいを今の世に布教ふきょうして広げようと云う心掛も何もない。ただ自分にはこう云う感興が演芸会よりも舞踏会よりも薬になるように思われる。ファウストよりも、ハムレットよりもありがたく考えられる。こうやって、ただ一人ひとり絵の具箱と三脚几さんきゃくきを担かついで春の山路やまじをのそのそあるくのも全くこれがためである。淵明、王維の詩境を直接に自然から吸収して、すこしの間までも非人情ひにんじょうの天地に逍遥しょうようしたいからの願ねがい。一つの酔興すいきょうだ。
 もちろん人間の一分子いちぶんしだから、いくら好きでも、非人情はそう長く続く訳わけには行かぬ。淵明だって年ねんが年中ねんじゅう南山なんざんを見詰めていたのでもあるまいし、王維も好んで竹藪たけやぶの中に蚊帳かやを釣らずに寝た男でもなかろう。やはり余った菊は花屋へ売りこかして、生はえた筍たけのこは八百屋やおやへ払い下げたものと思う。こう云う余もその通り。いくら雲雀と菜の花が気に入ったって、山のなかへ野宿するほど非人情が募つのってはおらん。こんな所でも人間に逢あう。じんじん端折ばしょりの頬冠ほおかむりや、赤い腰巻こしまきの姉あねさんや、時には人間より顔の長い馬にまで逢う。百万本の檜ひのきに取り囲まれて、海面を抜く何百尺かの空気を呑のんだり吐いたりしても、人の臭においはなかなか取れない。それどころか、山を越えて落ちつく先の、今宵こよいの宿は那古井なこいの温泉場おんせんばだ。
 ただ、物は見様みようでどうでもなる。レオナルド・ダ・ヴィンチが弟子に告げた言ことばに、あの鐘かねの音おとを聞け、鐘は一つだが、音はどうとも聞かれるとある。一人の男、一人の女も見様次第みようしだいでいかようとも見立てがつく。どうせ非人情をしに出掛けた旅だから、そのつもりで人間を見たら、浮世小路うきよこうじの何軒目に狭苦しく暮した時とは違うだろう。よし全く人情を離れる事が出来んでも、せめて御能拝見おのうはいけんの時くらいは淡い心持ちにはなれそうなものだ。能にも人情はある。七騎落しちきおちでも、墨田川すみだがわでも泣かぬとは保証が出来ん。しかしあれは情じょう三分芸ぶげい七分で見せるわざだ。我らが能から享うけるありがた味は下界の人情をよくそのままに写す手際てぎわから出てくるのではない。そのままの上へ芸術という着物を何枚も着せて、世の中にあるまじき悠長ゆうちょうな振舞ふるまいをするからである。
 しばらくこの旅中りょちゅうに起る出来事と、旅中に出逢であう人間を能の仕組しくみと能役者の所作しょさに見立てたらどうだろう。まるで人情を棄すてる訳には行くまいが、根が詩的に出来た旅だから、非人情のやりついでに、なるべく節倹してそこまでは漕こぎつけたいものだ。南山なんざんや幽篁ゆうこうとは性たちの違ったものに相違ないし、また雲雀ひばりや菜の花といっしょにする事も出来まいが、なるべくこれに近づけて、近づけ得る限りは同じ観察点から人間を視みてみたい。芭蕉ばしょうと云う男は枕元まくらもとへ馬が尿いばりするのをさえ雅がな事と見立てて発句ほっくにした。余もこれから逢う人物を――百姓も、町人も、村役場の書記も、爺じいさんも婆ばあさんも――ことごとく大自然の点景として描き出されたものと仮定して取こなして見よう。もっとも画中の人物と違って、彼らはおのがじし勝手な真似まねをするだろう。しかし普通の小説家のようにその勝手な真似の根本を探さぐって、心理作用に立ち入ったり、人事葛藤じんじかっとうの詮議立せんぎだてをしては俗になる。動いても構わない。画中の人間が動くと見れば差さし支つかえない。画中の人物はどう動いても平面以外に出られるものではない。平面以外に飛び出して、立方的に働くと思えばこそ、こっちと衝突したり、利害の交渉が起ったりして面倒になる。面倒になればなるほど美的に見ている訳わけに行かなくなる。これから逢う人間には超然と遠き上から見物する気で、人情の電気がむやみに双方で起らないようにする。そうすれば相手がいくら働いても、こちらの懐ふところには容易に飛び込めない訳だから、つまりは画えの前へ立って、画中の人物が画面の中うちをあちらこちらと騒ぎ廻るのを見るのと同じ訳になる。間あいだ三尺も隔へだてていれば落ちついて見られる。あぶな気げなしに見られる。言ことばを換かえて云えば、利害に気を奪われないから、全力を挙あげて彼らの動作を芸術の方面から観察する事が出来る。余念もなく美か美でないかと鑒識かんしきする事が出来る。
 ここまで決心をした時、空があやしくなって来た。煮え切れない雲が、頭の上へ靠垂もたれ懸かかっていたと思ったが、いつのまにか、崩くずれ出だして、四方しほうはただ雲の海かと怪しまれる中から、しとしとと春の雨が降り出した。菜の花は疾とくに通り過して、今は山と山の間を行くのだが、雨の糸が濃こまやかでほとんど霧を欺あざむくくらいだから、隔へだたりはどれほどかわからぬ。時々風が来て、高い雲を吹き払うとき、薄黒い山の背せが右手に見える事がある。何でも谷一つ隔てて向うが脈の走っている所らしい。左はすぐ山の裾すそと見える。深く罩こめる雨の奥から松らしいものが、ちょくちょく顔を出す。出すかと思うと、隠れる。雨が動くのか、木が動くのか、夢が動くのか、何となく不思議な心持ちだ。
 路は存外ぞんがい広くなって、かつ平たいらだから、あるくに骨は折れんが、雨具の用意がないので急ぐ。帽子から雨垂あまだれがぽたりぽたりと落つる頃、五六間先きから、鈴の音がして、黒い中から、馬子まごがふうとあらわれた。」 ーー『草枕』夏目漱石よりーー

 外国人では、グレン・グールドが有名な漱石ファン。そして、山田風太郎も必ず漱石を何度も読み返して本を書き続けた。


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