下タ沢会によせて(覚書)

目次

0151 火が消えて金と水になった
0152 ゚(カラミ)加工とタイマー工場
0153 ひき臼のはなし
0153 山かげ会
0153 元山・下タ沢・尾去沢とは
0154 大判50枚とは金何キロか − 千両箱の重さは −
0155 下タ沢のこと・尾去沢のこと・御銅山のこと
0157 元山の学校→田郡の学校→三ツ矢沢の学校
0158 線香1本は1時間
0158 はじめての運動会 − 手づくりの運動場 −
0159 はじめての入学式 − 明治33年4月 −
0160 再び運動場を拡張 − 郡長さんも見にきた運動会 −
0161 エライ人 − 郡長さん・小田島由義とその子供達 − 徳蔵・樹人・鹿角市のチ
   ャイム −
0162 元山から田郡へ学校移転
0164 頭の体操 − 整理 −
0165 三ツ矢沢寮の発足
0166 三ツ矢沢に異変がおきた − 男対女 −
0166 昭和47年という年は? − 何にがあったか −
0168 田郡から三ツ矢沢へ − 学校移転の頃の思い出 − (敬称略・順不同)
   ・工藤勝雄渡部金作川上己代治高田重雄
   ・澤出源五郎工藤六郎岩城慶二内田仙一
   ・内田農作川上初男川上三之助奈良寿志
   ・浅岡治男浅岡久雄佐藤良一内田正男
   ・渡部久
0186 内藤湖南博士のこと − 又新学校(本校)と初代校長の碑、田郡の学校の吊
   り鐘 −
0188 田郡の学校跡の標柱
0188 山鳴りの静むふところ − 下タ沢から通った子供たち −
0189 卒業生名簿余談
0190 ハナ・ハトからサイタ・サイタへ
0191 高等科は消えてゆくのか
0191 もう一つの消えた学校 − 青年学校 −
0192 ススメススメヘイタイススメ
0194 白雲なびく山の上 − 山鳴り静むふところに −
0194 校歌のことなど − 校旗・応援歌 −
0196 元山の校旗と尾去沢の文化財
0197 私達の本籍
0197 下タ沢の墓地
0198 元山墓地の移転と無縁塔
0199 元山のくらし
0200 元山部落の火事
0200 元山部落の団欒
0200 明治三十七年頃の元山

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