下タ沢会によせて(覚書)

田郡から三ツ矢沢へ − 学校移転の頃の思い出 −

○川上初男さん(学校を廃するに際して)
 ※上新田、昭和10年3月卒業、廃校時鹿角市議会議員。
 ……略……
 入学したのは、昭和四年です。今とちがって洋服は先生が着るもの、私達は木綿 の着物を着て、一・二年生の頃はネルの前腹掛けを着て、中にサルと言って上下につ いたものを着て、学校へ通った事が思い出されます。同級生は二十名、男十二名、女 八名で多い学級でした。
 学校には、授業の始めと終りを告げる大きな鐘を、こぶの付いた太田(目?)の 木で「ゴンゴンゴン」と打って、時を告げたものです。今では見る事のできない風 物です。
 その学校の先生の中で、一番印象に残っているのが、川口敬助先生と言う人で、 背は五尺足らずですが、元気者で体がこ造りなので「チャンボ」とあだなをつけて 居りました。宿題をやって行かないとか、何回言っても覚えられないと、ほっぺた にびんたがとんだものです。私達より二年生位先の生徒など、全員打たれて学校を 休む者を出した事もあります。でもこの先生踊りが上手で、お盆になると全校生徒 も踊らせられたものです。その中でチャンボ先生は、頭の上の方に手をあげて、上 手に踊った姿は想い出されます。
 ……以下略……

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