こゝまで書いてきて、こりゃなんだと思った。男4対女20だ。これでは嫁不足どこ
ろか、嫁あまりではないか。その頃の子供達も40前後、どうなったろうかはさてお
いて、三ツ矢沢学校史を開き直してみた。一応昭和31年に独立校になっているので、
それを基点として昭和42年まで12年間の卒業生を合計すると(途中1、2回逆転する
年もあったが)男91人、女65人と断然男が多い(女の1.4倍)、これが43年から逆転
する(男2、女5、44年以降は先に書いている。)。 昭和43年度の卒業生にのなると、昭和30年生れ(早生れは別として)ということ になる。昭和30年代に入ると田郡も下タ沢も程んど人がいなくなるから、これはお ゝよそ三ツ矢沢の現象といっていゝと思う。昭和30年を境いとして、三ツ矢沢の人 達の間に何にがおこったか、それは三ツ矢沢の人達にまかせるとして、今はどうな っているだろう。比較する子供の数はいないのかもしれないが……。 |