下タ沢会によせて(覚書)

元山の学校→田郡の学校→三ツ矢沢の学校

元山の学校は、明治7年11月5日の開校という。学校沿革史には、次のように記さ れている(三ツ矢沢学校史より)。

 「当校ノ創立セラレタルハ明治七年十一月五日ニシテ、校舎ハ本村民高橋金太郎 住宅ヲ借リ之ニ充テ校名ヲ元山学校ト称シ、通学区域ハ元山、田郡、三ツ矢沢ノ三 部ナリシモ、当時父兄ノ向学心乏シキヲ以テ生徒数モ僅少且設備モ不完全ニシテ寺 子屋風ノ教育ヲ施セリ。当時ノ教員タリシハ本郡花輪町住民長谷川萬太郎タリ。学 制ノ旨趣ハ民費ヲ以テ維持スルコトナリシガ当村ハ他ト異ナリ村事多クハ鉱業主ニ 委ネ来リシヲ以テ、村費モ多クハ鉱業ニ仰グモノヽ如シ。当時の鉱業主ハ岡田平馬 ナリ」

 尾去沢の方(一応わかりやすく本稿としておこう)で笹小屋に又新(ゆうしん) 学校と称して開校した、今の学校は同年12月20日で、元山の方が一月半程早いこと になる。

 田郡に元山学校田郡分校が開設されたのは、三ツ矢沢学校史によると、田郡から 元山までの通学路が悪く、更には田郡部落の学齢児童が増加したためとして、明治 10年1月24日に開設されているという。一方元山の学校は、民家を借りての開設であ ったのでせまくもあり、また老朽化していたため、危険であったので、明治12年5月 村当局に新築を要望したが容れられなかったため、有志相はかり、費用は元山部落 民各戸に割り当て、元山164番地へ新築した。これは明治39年9月まで使用したとい う。

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