下タ沢会によせて(覚書)

元山墓地の移転と無縁塔

 元山の墓地は、昭和14年頃には付近に亀裂が出来て危険になったということで、 墓地移転の計画が立てられ、昭和25年8月14日付で県知事の許可を得て、移転となっ たわけですが、その移転に至るまでの経緯は、当時元山会々長をされていた寺岡健 太郎さんの書かれた「尾去沢の由来と墓地廃止に至る迄の経緯」にくわしく書かれ ている。
 そのとき引取手がなく、無縁となった人達の遺骨は、円通寺境内に供養塔を建て て納め、その霊を弔ったわけですが、その後五十年の歳月を経て、その土台等の損 傷も大きくなり、放置できない状況となったので、昨年(平成12年)皆様の御協賛 をいただいて、建て直したことはご存知の方も多いと思います。

 元山会で建てた当時の碑文は次のとおりです。

   無縁塔碑文
元山墓地ハ慶長年間ヨリ尾去澤町元山居住民代々ノ埋葬ノ處ナリタマタマ大正十四 年四月十九日ノ山火ニヨリ部落全戸烏有ニ皈シ元光庵モ共ニ類燒ノ厄ニ遭ヒ住民ハ 再ビコノ地ニ居ヲ定ムルコト能ハズ他ニ轉ズルノ止ムナキニ至レリ
一宝尾去澤鉱業所ノ採掘業ノ進展ニヨリ墓地ノ亀裂陥没ノ危険年ト共ニ加リ祖先墳 墓ノ地ヲコノマヽニ放置スルニ忍ビズ茲ニ有志相圖リ墓地ノ改葬ヲ発願シ幾多ノ困 難ニ遭遇シタルモ幸ヒニ郷土出身ノ佐藤忠彌氏並ニ尾去澤鉱業所ノ後援ヲ得昭和二 十五年八月十四日秋田縣知事ノ墓地廃止ノ許可ヲ機ニ有縁無縁ノ各精霊ヲ改葬シ塔 一基ヲ建立シソノ菩提ヲ弔フ
  昭和二十五年十二月一日
     施主 元山会長 寺岡健太郎
        委員長  吉澤為治
        委 員  工藤七治
             寺岡伊三郎
             赤坂 久
             高橋仁太郎
           外元山会員一同
 
 平成十二年に新しく建立した供養塔の経緯については、「碑文」として次のよう に記している。
 
   円通寺の碑文
 元山先人の建立された供養塔は五十年の星霜を数うるに至り、崩壊が激しく又、 先人の他界はもとより鉱山の閉山等により元山に縁ある方々の転出、世代交代の流 れに埋没を危惧し、自然石の石碑は先人より引継ぎ供養塔大改修を決意した次第で す。
 竣工法要にあたり皆様より多大な御芳志を賜わり感謝申し上げ、先人の偉業に沿 い塔内骨堂に安置された元山先祖百数余の遺骨の霊を供養したく存じます。
 又、菩提寺円通寺の無縁供養塔も隣接に建立し霊を慰めんことを願い、現住して いる私達の義務として、両塔の大改修並みびに建立の完成を一節とし先人の偉業と 供養を次世代に託し後世へ継承し続けんことを願います。
  平成十二年六月十一日
     元山供養塔大改修
      円通寺無縁供養塔建立実行委員会
        当寺三世  潔定大和尚
        実行委員長  上田孝造
         副委員長  鈴木福造
          事務局  鈴木朝俊
        (以下顧問、委員名略)
 
 碑文については以上のとおりですが、字の配列等に若干の違いがありますがご寛 容下さい。
 なお元山の自然石の供養碑には、正面に「有縁無縁三界萬霊塔」、裏面には前記 施主の方々の名前だけで、碑文はどこにもありません。建立当時どのようにしたも のか、今になってみれば、寺岡さんの書いた本に残っているだけかもしれません。

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