下タ沢会によせて(覚書)

田郡から三ツ矢沢へ − 学校移転の頃の思い出 −

○奈良寿志さん(昔をしのび)
 ※上新田、昭和24年3月卒業。
 ……略……
 以前の元山の古校舎は、大正十四年春、下タ沢沈殿の所より出火した大山火事の 時、自宅(私宅か)とともに焼失したそうです。その後、復興はめざましく、元山 の自宅は、中沢、瓜畑等に移転し、田郡では、自宅四十五戸、社宅五十と商店五戸、 豆腐屋一戸、会社病院一戸、又下タ沢十二戸、上新田自宅十五戸、会社々宅三十戸、 商店一戸、風呂屋一戸で最盛の時であったと思います(書き出しのところを省略し たのでおかしくなりましたが、「古い話になりますが、大正十年だそうです云々」 とありますので、その頃の状況だと思います。)。
 昭和七・八年頃より社宅が中沢、城山方面に移転し又、各自宅も年毎に引越し、終 戦後には、全く寂しい小さな部落となってしまいました。
 そして昭和二十六年には、学校も田郡より現在の三ツ矢沢へ移転しました。歴史 の流れは、激変しつつ、盛衰の激しいものだと痛感しています。

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