下タ沢会によせて(覚書)

校歌のことなど − 校旗・応援歌 −

 上に書いた「白雲なびく山の上の」は、元山(田郡)小学校々歌の冒頭の一節で、 大正10年川口校長奉職30年の祝賀会のときに歌われたといい、続いて「基を定めて 十余年」とあるので、明治42年に新しい学校ができているから、それからおしてそ の頃(大正10年)つくられたのではないかと思う。また「山鳴り静むふところ」は、 三ツ矢沢小学校々歌の歌詞の出だしで、知っている人も多いと思う。ただ元山の方 は、できてから10年くらい後に私達は学校に入ったが、式などのときに歌ったろう か?
 尾去沢小学校の校歌は北原白秋、山田耕筰二人の先生の作詞作曲で、昭和九年に 制定されているが、校旗についても、元山はこの大正10年の祝賀会のときに樹立式 を行っている。尾去沢の方は翌11年となっている。  学校に運動会はつきものだが、その応援歌については工藤六郎さん(大正13年入 学、私が1年生に入ったときは6年生)が「元山校のさるもとは和銅の昔に名を得た る」と歌ったという。私には何んの記憶もないが、高等科になってからは、専ら 「五の宮高く」と「裏の畑にカラス鳴く」だった。川上栄太郎先生(大正13年3月卒 業)は100周年の思いでの中で、高等科になってからだろうが恩師石井哲五郎先生の 作詞ときいたといって、「黄金花咲くみちのくの和銅の昔に名を得たる、歴史に古 き尾去沢、名うたわれし尾去沢」と歌ったという。工藤さんは川上先生の後輩で、 川上先生が卒業した年に入学している。それにしても、出だしの文句は少し違うが、 「和銅の昔に名を得たる」は共通している。この二つの応援歌に、何にか関連があ るのだろうか、元、同根という感じがするが。工藤さんがいう、次の文句が知りた いものである。

参照リンク「鹿角の校歌」

[次へ進む]  [バック]  [前画面へ戻る]