下タ沢会によせて(覚書)

田郡から三ツ矢沢へ − 学校移転の頃の思い出 −

○内田農作さん(私の思い出)
 ※下新田、昭和10年3月卒業。
 私が小学校へ入ったのは、昭和四年頃と思う。その当時から五・六年生の担当教員 は、忘れもしない田郡部落の旧家出身の川口敬助先生だった。
 この先生は、当時の教育から見ても恐ろしい存在の先生だと思っている。子ども 達を「せっかん」する事については、当時でも例のない先生だった。山蔭の人で川 口先生の教育を受けた人は何百人とあろうが、川口先生に「たたかれじ」に卒業し た人はまずないと言うても、過言ではないと思っている。
 敬助先生と言うよりも、「ケケ」の方が、今でもピンと来ると思います。
 ……以下略……

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