下タ沢会によせて(覚書)

山鳴りの静むふところ − 下タ沢から通った子供たち −

 ともあれこうして田郡の学校は、三ツ矢沢で新しい歴史をきざむことになったわ けですが、この田郡から三ツ矢沢に移転の話しが出ている頃は、先にもいったよう に、私の家には誰も学校に行っているのがいなかったので、我れ関せずと門外漢の ようにしてしまったような気がするが、とにかく昭和18年に兵隊に行ってから昭和 39年に娘が学校に入るまでの、およそ20年間は、私にとって学校は空白のようなも ので、その間、山かげの方に行くことはあっても、学校に行くことはなかった。娘 が学校に入ってからは、遠足などで何回か行ったが(その頃尾去沢の4年生の春の遠 足コースは三ツ矢沢小学校で、今の十二所花輪線は工事中で一部山道を通ったりし て行った。昭和42年春)、三ツ矢沢小学校が廃校になるときは、下タ沢代表ではな いけれども、明治7年以来およそ100年の歴史を積み上げてきた私達の母校がなくな るというので、招かれざる客ではあったが、こっそりと(心では参列して)廃校式 の様子を見に行ってきた。

 ここで三ツ矢沢小学校を卒業した下タ沢関係の子供達の名前を書いておこうと思 った。もちろん尾小百周年記念誌にも、三ツ矢沢学校史にも載っているのだが、私 達と違って逆方向に通った、それもまた難儀だったろうと思う。

 三ツ矢沢小学校を卒業した下タ沢関係の子供達。
○昭和26年度(27年3月)相馬淳二
○昭和27年度(28年3月)吉田正子・斎藤紀子・沢出順子
○昭和28年度(29年3月)畠山光子・沢出恭子
○昭和29年度(30年3月)畠山安雄・斎藤恵子
○昭和30年度(31年3月)沢出昭子
○昭和31年度(32年3月)沢出健三・畠山嘉子(三ツ矢沢第1回目)
○昭和32年度(33年3月)斎藤彰(三ツ矢沢第2回目)
○昭和33年度(34年3月)相馬正男(三ツ矢沢第3回目)


 途中転校した人はよくわからないので、教えて下さい。
 なお田郡の学校の最後の卒業生となったのは、昭和26年3月(昭和25年度)で、 沢出秀美・吉田喬です。

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※上記の方々のお名前の記載年月は、今(平成18年12月)から四十数年も前です ので、原文のまま掲載させていただきました。悪しからずご了承下さい(GLN企画 普及室)。