下タ沢会によせて(覚書)

田郡から三ツ矢沢へ − 学校移転の頃の思い出 −

○浅岡久雄さん(思い出)
 ※下新田、昭和18年入学。
 私の小学校時代は、田郡分教場で、男の先生一人と女の先生三人ほどだったと思 います。昭和十八年入学し、川上ヒデ先生が受持ってくれました。三年生の時柳沢 徳治先生で大変きびしい先生でした。
 その頃、太平洋戦争が激化して来ており、坑内に防空頭きんをかぶって入った事 は何回もありました。
 学校生活の六年間は、ほとんど川上ヒデ先生の教えを受けたと思っています。
 ……以下略……

 当時防空頭きんは、必需品となっていたと思うが、学校にいて空襲だ、となった ときは田郡の坑口目ざして走ったのだろう。10分はかゝらなくても5〜6分はかゝっ たと思うが、泣きだす1年生はいなかったろうか。

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