8月31日(水)下の子が愛読している勾玉シリーズの作者、荻原規子さんの大好きな一冊というタニス・リーの『闇の公子』をたまたま持っていた。 登場人物にインドかアラビア風の名前がついた妖魔の千夜一夜物語で、萩尾望都の表紙も許容範囲かな(山岸涼子でもよかったかもしれない)。8月30日(火)『猫たちの聖夜』中盤から俄然おもしろくなり一気に読み終える。 まさに「猫の、猫による、猫のための」物語だった。 原題に大きなヒントが隠されていたのだ。さて、先日録画に失敗した村上龍原作の『69 Sixty nine』を録画予約しないと。 これでは密林のギフト券で買った大好きな『わんぱく戦争』DVDを観る時間がない! 週末のお楽しみ。 大昔この原作を読んで、子供たちのごちそうの「オイルサーディン」に憧れたものだった。 8月27日(土)髪を切りに行き、迎えに来てもらう間お子が時間つぶしをしていたリサイクル書店(ブック○フとは別の系列)で。
8月26日(金)わたしの本棚はもともと食器棚だったもので中途半端な奥行きがあるため、文庫本は前中後の3列、ハードカバーも前後の2列に分かれて並び、とても見づらい。 時々前後を入れ替えないと、買い込んだまま読んでいない本がいつまでたっても日の目を見ないのだ。 そういう本を発掘しがてら処分できるものはしてしまおうと一度出したら半日仕事になってしまい、「たしかどこかにあった筈」のデカローグのノヴェライズなどを発見した。 読み終えかつ手放せない本を奥に押し込め未読本を最前列に並べたものの、今読んでいるのは今月入手した1冊、全部読みきるまでそうとう先は長い。8月25日(木)他の出版社が今「陽気なギャングが世界を回す」って本を大々的に売り出してるよ(伊坂の三作目)。 映画化決定済みだし文庫本化するのが楽しみ。読むかどうかは別として、日頃連絡もよこさない息子と意外な接点ができた。 奴は先日実家で合流した時も梅田の紀伊国屋で文庫数冊を仕入れてきていた。 本は古本でなくまっさらの状態で読みたいそうだ。 親は、絶版となった作品を古書店やリサイクル書店、amazonマーケットプレイスで探しまわり、ページの端が折れていても色褪せていても「読めれば御の字」で、それでも復刊されたら出版社へのお礼として購入するように心がけてはいる。 紀伊国屋のあの混みようも全然変わらないが、JR大阪駅の、こじゃれた(ヤな言葉だからわざと使う)総菜屋みたいな書店よりずっと好きだ。 8月24日(水)アキフ・ピリンチ『猫たちの聖夜』をのろのろと読んでいる。今週は(いつもか)電車の中で眠くて眠くて、目で字面を追いながら機械的にページをめくっているのに実は全然読んでいないことに気づいてまた戻る、ということの繰り返し。 8月23日(火)
8月22日(月)とり・みき『SF大将』(早川書房)前の所有者が喫煙者だったらしくタバコ臭い(げほげほげほ)。 浜に打ちあげられている巨大なバ○ボンの○パ、ストーリーは確かに原作通りの『溺れた巨人』(バラード)。 4ページに凝縮された古今の名作SF39編で、とり・みき作品ではおなじみのキャラたちが大活躍している。 トリを飾るのはもちろん、老人が究極の「魂のSF(SF大将)」の到来を待ち続ける『ソングマスター』(カード)。 8月20日(土)〜8月21日(日)ちょっと里帰り。 夏休み中だが帰ってこない息子と合流する。 東野圭吾の作品を片端から読んでいた。 おすすめは伊坂幸太郎だそうだ(名前も知らなかったよ……)。8月18日(木)ひさしぶりにひさうちみちお。
8月16日(火)今民放のBSEがらみのドキュメンタリー「ガイアの夜明け」のナレーションで「屠殺場」と言った。 最近は「屠場」と言い換えることでなんとなくお茶を濁していたようだが、言葉どおりの意味で使われるならOKということか。8月14日(日)ブックオフにて。 ええ、ちゃんと読みますとも。
8月13日(土)『心理探偵フィッツ』エピソード4「孤独な男」を観る。リバプール・サポーター96人が圧死した「ヒルズボロの悲劇」から徐々に社会への憎しみを増幅させ、パキスタン人店主にツケを断られたのにスイッチが入り、凶行を重ねる男にロバート・カーライル。 イギリスに限らずどの国にも共通する人種・階級に対する偏見と老人介護問題が透けて見える。 病気の父親を介護する間、試合に行けず(唯一父と話せる共通の話題がサッカー)話題がひとつもなかった、と言うカーライルの表情のやるせなさ、その演技がすばらしい。 そこらの人間より教養はあるのに認められないのは階級のせい、労働党に頼み込んでも取りあってもらえないのは(移民や同性愛者でないため)金にならないから、と解釈した彼は暴走する。 新興ファシストの集会に乗り込んだビルボロー警部が、鉤十字やヒトラーと一緒に壁に飾られたサッカーチームの集合写真を指し、「(外国人選手を名指しで)彼らは例外か?中途半端なファシストめ」とスキンヘッドたちに毒づいたりして、重いテーマを扱うドラマに適度な隙間をあけている。 残念ながら疎いのでどこのチームかわからない。 ドラマの舞台はマンチェスター周辺とのことで、カーライル扮する男は「地元でない」リバプールのサポーターだから、マンチェスターU? このエピソードがファン投票でシリーズ中一位に選出されたという話もよくわかる。 8月12日(金)落雷のあとしばらく受信状態が悪く、DVDを観て過ごす。 英グラナダTV製作のシリーズ『心理探偵フィッツ (Cracker)』がおもしろくてエピソード1,2,3を一気に観てしまった。 エピソード2の吃音の青年は『エドワードII』のガヴェストンじゃないかな。 エピソード4にはロバート・カーライルがゲスト出演、5はSGが音楽に関わっているので筋以外にもみどころ・ききどころがあり明日もフィッツ漬けになりそうだ。8月7日(日)
8月6日(土)NHK BSドキュメンタリー「子どもたちはペンをとった テレジン強制収容所」再放送を見る。チェコのプラハ郊外にナチスドイツによって造られた施設がある。テレジン強制収容所。アウシュビッツなどのデス・キャンプに向け、ユダヤ人を送り出す“通過収容所”としての役割を担っていた。 近年、この収容所で発行されていた雑誌の存在が明らかになった。「VEDEM」と名付けられたこの雑誌は、収容されていたユダヤ人の子どもたちがナチスの目を盗んで密かに書きつづったものだった。雑誌の文面からは、いつ死を宣告されるかもしれない極限状況の中で、自由に憧れ、未来への希望を捨てず、与えられた生を精一杯生きた子どもたちの姿が、鮮やかに浮かび上がる。雑誌Vedemの朗読からのとりとめのない覚え書き: ペトル・ギンツ。 中央遺体安置所。いたるところどこも静かで沈黙だけ。 あたり一面、苦しい死の恐怖があります。 見るのがとても怖かった。なぜなら身体の輪郭ははっきりしているのに動かないかたちだけの人間だったからです。 希望を捨てないことがとても大事なのです。 心の中には、いつもささやかな希望がありました。 ドレスデン兵舎。発行日金曜の夜朗読会。記事を書いた子が朗読。 ブラインドを下ろした部屋の中で。 1号室の朗読会が楽しみ。 眼の不自由な芸術家が訪ねてくれました。25年も前に失明した人がハリガネで作った自分の作品のいくつかを持ってきてくれました。 52号表紙。星に向かって飛んでいくロケットのシンボルマーク。 大人も来るようになり、他の建物で暮らす少女の間でも有名になりました。 L410。 輸送で去ったひと、またこれから去るひとへお礼をいいたい。 今まで助けてくれてありがとう。 どうして泣くんだ、一日を生きのびたじゃないか。神様へ万歳だ。 8月5日(金)
「狼は天使の匂い」のレーザーディスクは「こんな作品を手放すなんて」とありがたくわたしが引き取る(実は「離愁」も見つけたがDVD化されたので…)。 8月3日(水)
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