11月30日(日)安くて新鮮な(値札に「エキサイト鮮魚」と印刷されているのが笑える)魚を買出しにまた街へ出た。タワーレコードがダブルポイント期間中で、たまった3千円分のポイントも使ってまとめ買いをした上にマグカップ引換券を2枚ももらったので、魚屋に着くまでにもう大荷物。 PARCOのロゴだけでよかったのに、2個ともしりあがり寿のイラスト入りだよ。会社で使おうか。 ロッキングオンの1月号も出ていたので読んできた。 Elliott Smithの追悼記事と生前最後のインタヴュー*が掲載されていたが、誌面の都合か事実関係の裏づけが取れないからか(彼の思い過ごしなら名誉毀損になりかねない)、何者かが彼の家(パソコンか)から新曲を盗み出したらしいということを、犯人をかなり特定した表現で話しているところはさすがに翻訳されていなかった。 * http://www.undertheradarmag.com/es.html アルバムを完成させた瞬間から「もう手直しできない」といたたまれなくなるような人にとって「この新作は売りたい(利益は被虐待児のための救済基金に充てるつもりだったそうだ)」と口に出してからの自分自身へかかる重圧は、十分きつかったろう。 「順調だったのになぜ」という近しい人たちの談話を読むにつけ、「だからかもしれない」という気持ちになる。 11月28日(金)今週も通勤の電車では目を休めながら眠ってしまうという毎日。 昼休みが普通の会社より遅い(13:30から)ので店内も空いているスタバでクリスマスブレンドを飲みつつ『ノーストリリア』を少しずつ読む。ノーストリリアとは「オールド・ノース・オーストラリア」を縮めた呼び名だがここは地球<マンホーム>ではなく、オーストラリアの牧畜をそのまま植民者が持ち込んだ遠い星なのだ。 1万五千年たった今も彼らは連邦の「女王陛下の臣民」であり「非英国的」は<非常によくないこと>を意味する太古の言葉なんだと。 家族には自由に子供を生ませる。 子供が16歳になったら、連邦がテストする。 もし、標準に達しない子供がいたら、しあわせな、しあわせな死へ送り出す。主人公はその、この星では「不適格者」とみなされた少年。 11月24日(月)南極から観測された皆既日食の中継、ドラマ「窓を開けたら(再)」、「地球・ふしぎ大自然スペシャル(再)」、「何が人間らしさを生み出すのか〜脳の秘境〜前頭葉のなぞ」で午前中終わり。午後も棟方志功「無限の版画家知られざる姿」を見た。 食卓を囲む家族、遊ぶ子どもたち、寄りそうミミズク、そして中央で両手を広げている河童の姿。 板画ハ神ヤ佛ヲ遊バセルホド大融通ノモノデス。 驚イテモ、オドロキ限レナイ、歓コンデモ、ヨロコビ限レナイ、哭シンデモ、カナシミ限レナイ。 ソレガ板画デス。 ソウイフ無限際ノモノニ、亦、遊バセテ貰ッテヰル、ワタクシハ倖セモノデス。 11月23日(日)ストレンジ・デイズをようやく買ってきたが、とりあえずAndy PartridgeとPeter Blegvadへの電話インタヴューだけ読んであとはお預け。 相変わらずよく喋る人だー。11月22日(土)宮部みゆき原作のNHK芸術祭参加ドラマ「R.P.G.」を見た。たまたま家族が原作を読み(ドラマ化された同じシリーズの別作品では風吹ジュンの役どころを桃井かおりが演じたという話)本も家にあったそうだが、わたしが興味を示さずどうやらブックオフ行きになったらしい。 映画の掲示板を通じて知り合った仲間で形成していた擬似家族の「お父さん」が刺殺体で発見され、「お父さん」のPCに残されていた「家族」たちからのメールを紹介する場面では、顔の見えないネットで誰でも簡単に理想的な役割を演じられることを、空虚な馴れ合いばかりの文面がよく伝えていたと思う。 現実に顔をつき合わせている間柄では疲れていれば不機嫌が顔にも声にも(出さない人もいるがわたしは違う)出るし、いい事ばかりも言っていられないんだけどなぁ。 いずれにしてもわたしは現実のわたし自身と、わたしに与えられた役割で手一杯だ。 配役は伊東四朗と、意外にも後藤真希がとてもよかった。 最後まで見た後で改めてタイトルの意味深さに気がつく、といってもゲームの性格としてはシミュレーションのほうが近いと思うが。 11月21日(金)
11月19日(水)'Open A Can (Of Human Beans)'の歌い出し(どういえばいいのか)は'This Is The End'にちょっと似ているのだ。11月18日(火)
11月17日(月)コードウェイナー・スミス『鼠と竜のゲーム』読み終える。 「ママ・ヒットンのかわゆいキットンたち(Mother Hitton's Littul Kittons)」にやられた。 眠れる最強・最小・最狂の兵器たち(かわゆいキットン)に守られた星、しかしこんな発想が一体どこから出てくるんだろう。 いよいよ次はその星を舞台にした長編『<人類補完機構>ノーストリリア』だ。ああ楽しみ。11月14日(金)仕事はお休み。午前中はこんなからっとした天気の日にしかできないことをいろいろやって、せっかく持っている定期券で街中へ出かける。 芸文センター裏手のビル2階の、すりガラス越しの日差しが白い店内に注ぐレコードショップでのんびりとしてから、いつものデパ地下の魚屋で鰯のすり身、メカジキ、イナダ、甘塩鮭を買って帰ったら3時。 布団を取り込むのにちょうどいい時間だった。レコードショップでこんなCDをみつけた。 Tape OpというのはLarry Craneが中心となって発行しているいわゆる「宅録情報誌」で、1996年スタート当時は原稿コピーを製本しただけのものだったらしい。 Tape Opで取材したアーティストの作品を1枚のコンピにまとめたのがこのCD。 名前を知っているアーティストが3つ(Elliott Smith, Grandaddy, The Apples in stereo)しかなかったが、開封しないと収録曲がわからないので買って帰ったのだ。 Elliott Smithの'Waltz #1'は1998年のアルバム"XO"のためのデモで、編集長Larry Craneがレコーディングにあたったそうだ(以下使用した機材の説明がなんだか書いてあるがわからん)。Smithがすべてのヴォーカルと楽器を担当したとのこと。
ちょっと楽しいのが封入の申し込み用紙のチェック項目。4番目に笑った。 YES! Please send me a Free subscription to Tape Op 11月12日(水)このごろElliott Smithの歌をよく聴いているが、『グッド・ウィル・ハンティング』のサントラも実はもともとDanny Elfman目当てだったくらいで、ニューシングルの"Pretty (Ugly Before)"を聴き2枚組の予定という新作情報も楽しみにしていた矢先の訃報には、不謹慎は承知だが最初は「またどうして」と背景を知りたい好奇心のほうが強かった、と正直に書いておこう。 今は、使い古された表現だが「彼の魂が安らかに眠らんことを」としかいいようがない。それと全然関係なく覗いたLou Barlow自身のサイトのトップページにひっそりと追加された'ES'の手書き文字からのリンク先が、まるごと彼のくねった文字によるElliott Smith追悼ページだった。 鬼の目、ではないがLou Barlowも泣かせたという彼の歌声* 、ライヴアルバムがないのが不思議なくらいだ。 * サウンドチェックで歌った'13' 短篇映画のように映像が浮かぶ'Last Call'など、歌い出しからあんな悲痛な声で(この曲のライヴヴァージョンはオフィシャルで聴けるが、それ以外のサイトの権利関係については追究しないほうがよさそう)。 11月11日(火)
11月9日(日)選挙に行った。 ひたすら体力温存につとめる。 パッケージ写真の怖さが今まで見た中で1、2を争うDVDが届いた。 目のあるデスマスクがこれほど怖いものだとは……ぱとはmkwACTを覚えた!かしこさが1あがった!(バカ〜) 11月8日(土)前回風邪をひいたのはいつだったか、といくら考えても思い出せないほどいつも首から下は丈夫だが、夕方から右の奥歯が浮き始め、鼻水と倦怠感。久しぶりに風邪をひいたかな。アーティスト自身が「個人で楽しむ目的に限り」使用を許可しているライヴ音源をダウンロードする間うたた寝していて、深夜起きたらつけっ放しだったNHKでやっていた(再放送かもしれない)「いま裸にしたい男たち・野村萬斎」をPCのお守りをしながら最後まで見てしまった。 BGMが"The Wall"からの選曲だったのは彼自身が指定したのか局の選択か。 稽古の空き時間にHMVで(これらの音楽を聴いた世代だという)レニー・クラヴィッツとスティングのCDを試聴して購入していたが、わたしにはほとんど縁のない新着レコメンドのコーナーも萬斎さんはちゃんとチェックしていた。 彼の演出による『羅生門』の最後は暗転後、セットが取り払われた舞台と外の現実世界を繋ぐ搬入出用の出口を開け放してみせるところで終わった。 11月5日(水)(正確には今表示しているこのページではなく)このurlに含まれるある言葉が、先日母親を殺し父親と弟に重傷を負わせた大学生の交際相手であり殺人予備で逮捕された女子高生のサイトの検索語にひっかかってしまった。 readmeアイコンにはカウンタ機能がついていて、ふだんはせいぜい1日に10〜25のところ、突然856という数字をはじき出したのだ。 原因がわかるまで気持ち悪かったよまったく。無伴奏ソナタだっていい迷惑だ。11月4日(火)積読の山からようやくコードウェイナー・スミスの人類補完機構シリーズを読み始めたものの、最初の「スキャナーに生きがいはない」で大変なものに手をつけてしまったような気がした。 『鼠と竜のゲーム』(ハヤカワ文庫SF471)序文で彼の生い立ち(父親は孫文の法律顧問で辛亥革命の出資者の一人とのこと)と経歴が紹介されているが、やっぱりスキャナーは宦官のイメージだなぁ。11月1日(土)
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