Diary(2/1-25)

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2月25日(火)

きのうみたドキュメンタリーを制作したグラナダTVが、未放映分のフィルムを返還するようマイケル側に提訴されていたそうだ。 視聴者が「やっぱり」と思うよう編集されていたとすれば気の毒な話だが、レポーターが説明するまでもなくじゅうぶん普通の人のレンジとずれた感覚の持ち主だと思うけどなぁ。 でも彼が少年とベッドを共有していたということについては特に抵抗なかったわたし自身ずれているのか、かわいそうなくらい心は寂しい人なんだとしか思わなかったが(もちろんなんら下心がなければの話)。

2月24日(月)

日テレ系で2時間の特番『マイケル・ジャクソンの真実』をみた。
車に群がったファンが餌のようにかざす赤ちゃんの写真のポスターや雑誌の切り抜きに大喜びするマイケルの「赤ちゃん」への執着ぶりは異様で、誕生にも立ち会い、(上の子の時は医師の許可が下りず断念したそうだが)胎盤がついたままのわが子をすぐさま家に連れ帰り洗ってやったと嬉しそうに話すのを聞いて、息子が思わず「妻は?」ともらしたほど。
むずかる3番目の赤ん坊(プリンス・マイケル二世)に「子どもが泣くのを見たくないんだ」と激しく貧乏ゆすりをしながらミルクを飲ませている44歳のピーター・パンは、レッスン中にミスをすると父親からベルトで打たれ、容貌(特に鼻)を父親の家系ではないと否定され、楽しげな子どもたちの声を背中で聞きながら泣いてスタジオへ向かっていたという子ども時代をいまだに引きずっているようだった。

2月23日(日)

眩暈がしそうなほど自作自演がバレバレなスレッドを久しぶりにみた。 しかもXTCのだからなんかヤだ、誰か教えてあげればいいのに。武士の情けで見てみぬふりをしているんだろうか。

毎度同じものの話になってしまうが"Ether Song"、1〜6までは前作を踏襲、7〜13(Ether Song - 日本盤では曲名が記載されているが本来hidden track)は一転して自由な展開をみせ、アルバム後半をもう何度繰り返し聴いているか。 'Panic Attack'でのひやりとしたファルセットに鉄骨を落としたかのような轟音と(まさかの)タンバリンが最強の組み合わせだった。 シングルになりそうにない'Panic Attack'と、Turin Brakesの曲では7分半と最も長く、声そのものが楽器の役割を果たしている'Ether Song'がいちばんのお気に入り。
歌詞にはもともとそう興味がない上に対訳の言葉遣いが甘ったるいのと「……」の多用を見てまあいいか、とそれきり読んでいない。

2月22日(土)

朝発送通知を受け取った『木枯し紋次郎DVD-BOX 2』が夜届いた。 ああ来月のカード引き落とし額が怖い。
今週届いた"Ether Song"はコピーコントロールCDで、パソコンによるCD-RやMP3ファイルなどへのコピーはできませんとオビに書かれている。 CDはウォークマンに入れたまま持ち歩き、家ではHDD(もはやジュークボックス化した)で聴いているが、できない筈だっけ(今更)。 深く考えないようにしよう……

2月21日(金)

T-Rex 'Cosmic Dancer'など聴き返してみる。 な、なるほど〜!似てる。 で、ついでに『リトル・ダンサー』を見直したくなったりして。

2月20日(木)

One Part Lullaby / The Folk Implosion / CD (Interscope Records0694903362)
  1. My Ritual
  2. One Part Lullaby
  3. Free To Go
  4. Serge
  5. E.Z.L.A.
  6. Mechanical Man
  7. Kingdom Of Lies
  8. Gravity Decides
  9. Chained To The Moon
  10. Merry-Go-Down
  11. Someone You Love
  12. No Need To Worry
  13. Back To The Sunshine
曲(作者)ごとにヴォーカリストがめまぐるしく交替するSebadohより、声の好きなLou Barlowのサイド(今はこちらがメインかもしれない)プロジェクト The Folk Implosionのほうが落ち着いて聴ける。
あまり腹筋の強くなさそうな隙だらけのヴォーカルがメロディによく合う。 特別な機材(妙なものはたくさん使っているようだが)なしでも声そのものに色気があるから得だなぁ。

Lou Barlowが実際どういう性格をしているかはもちろん知らないが、家で何をして過ごしていますか、という問いに「靴の手入れ」という返事が返ってきそうな、端正な顔立ちをした眼鏡の青年だった。

2月19日(水)

Ether Song / Turin Brakes / CD / 東芝EMI(VJCD-68469) 
  1. Blue Hour
  2. Average Man
  3. Long Distance
  4. Self Help
  5. Falling Down
  6. Stone Thrown
  7. Clear Blue Air
  8. Pain Killer (Summer Rain)
  9. Full of Stars
  10. Panic Attack
  11. Little Brother
  12. Rain City
  13. Ether Song
    bonus track
  1. Lost & Found
  2. Soul Less
アコースティックライヴでは新曲のいくつかを披露していたのでトゥーリン・ブレイクスの先行シングル'Long Distance'を含め既に7曲は知っていたが、 アルバムヴァージョンでこういう音作りをしていたとは想像もつかなかった。
アルバムのために30曲ほどを用意し、選曲はプロデューサーのTony Hofferに任せたということで、「自分達で選んでいたらまったく違う曲を選んでいただろう。僕らは『人が僕らをどう見ているか』という視点で選んでしまっただろうから」とはOlly Knightsの弁。

ジャケットのアートワークが撮影された場所はイギリス南部海岸沿い一帯に存在するという「音の鏡」、レーダーが登場する前、科学者たちがその下に交線用マイクとヘッドフォンを用意して座り込み、飛行機や潜水艦の無線を聞いていた……という話で、弧を描いた壁の内側で耳を澄ませているふたりの姿が写っている。ラストの'Ether Song'がアートワークの雰囲気をそのまま伝えている。撮影はWilliam Bankhead。

'Stone Thrown'は"Mind Over Money"シングル収録のホームレコーディングヴァージョン'Stone'でも歌詞とともに大好きな曲で、アルバムに収録されたのが嬉しい。
前作'Starship'に続きこのアルバムでも1曲だけGale Paridjanianがリードヴォーカル(彼自身が歌う映像をみたことがないため声質で判断するしかないが、声はOllyより低くて幾分弱い)をとる穏やかな'Full Of Stars'が昼下がりに再放送される60年、70年代フランス恋愛映画のBGMのような美しさ(こんな例え方で人に伝わるだろうか)、といっても別にキレイだから好きなわけではなく、繊細なアレンジは外からプロデューサーを迎えたことにより実現したんだろうなぁと思ったのだ。
続く'Panic Attack'で何かの前触れを予感させバンドサウンド'Little Brother'でみせる「怒り」と「悲しみ」。 アルバムのラストにしてタイトル曲の'Ether Song'がまた…(きりがない)。

2月18日(火)

"PFM Live In Japan"より、PH参加のオープニング曲をHDDに録音して繰り返し流している。
on and on the water flows
on and on it goes "Sea Of Memory"

やはり餅は餅屋、流れるようなピアノ(水だ!)を聴くとバンド形式でこの人の限界はさらに広がるのだなぁと思う。 2枚組なのでPFM本体のライヴは時間のとれる週末までまだお預け。

2月17日(月)

Peter Gabriel"More Than This"のリミックス盤シングルを試聴、Elbowの声質はPGに似ている。
PFMの"Live In Japan"発送通知。 HMVはペリカン便だったかな、試験中で帰宅の早い下の子に受け取ってもらおう。
CDレコーダが届いた。 HDD(設定の"MASTER""SLAVE"、すごい呼び方だ)の取り付けをして今日はおしまい。 つないでいないうちはただの箱。

2月16日(日)

通り過ぎる葬列
通り過ぎる万象
それを空神は悲しむのか

常ならぬこと
空神様も御同様にてありますれば

空神は無力なのだ
うつろう万象を前に
なにもできぬ、ただ空をただようのみ
地上をながめつつ何もすることができぬ悲しみを
おまえたち人間は知るまい


鳥図明児『虹神殿』からの引用。 天使の話ではないが、なんとなく出してきて1巻から1日がかりで読み返す。 『ベルリン 天使の詩』の4年前にかかれた作品。

空神は何もできないと嘆くが
人である私はたとえ高みには至れずとも何かすることができるのだ

2月14日(金)

『くもの巣の小道』読み終える。 相性がよかったのかもしれない。 ピンが虫たちのいとなみに愛情のまなざしを向ける日が来るかどうかはわからないが、少なくとももう手足をむしったりいじめたりはしないだろう、と予感させる最後の「蛍」の場面(’クジーノ’の受け答え)もいい。

萩原葉子『花笑み・天上の花』(新潮文庫) 勘弁して下さいと思いつつ読んでしまう。 知的障害をもつ妹と長年生き別れていた実の母との同居というかたちだけ借りた「ほとんどフィクション」と言われても、特に母と妹が徒党を組んで自分を罵るせりふの真に迫った容赦のなさといったら凄い。 けなげな孝行息子にあの朔美氏の顔をついあてはめてしまう。

2月13日(木)

「ねえ、マッチをそのなかに入れてごらんよ」と、ピンが言う。「くもが出て来るかもしれないよ」
「なぜ?可哀想じゃないか、くもが」と、クジーノが言う。「もうどれだけひどい目に合わされたか見てごらんよ」
「ねえ、クジーノ、また巣をつくると思う?」
「そうっとしておいてやったら、またつくるだろうと思うよ」と、クジーノは言う。(『くもの巣の小道』p212)


2月12日(水)

イタロ・カルヴィーノ『くもの巣の小道』(福武書店)をきのうから読み始めている。 虫の手足をむしって石の上に並べたりして遊ぶ少年が主人公で、 というと「なんて話だ」と呆れられるかもしれないが、大人の世界からも子どもの世界からも拒絶され、親も最初からないに等しく、寂しい気持ちになるとここにやってきて、入口に器用に扉までこしらえて巣を構えている(少年はこの姿に大人たちを見る)くもをいじめて喜ぶこの子を誰が責められようか。
ちっぽけな虫けらだということは、きっと不愉快なことに違いない−つまり、青臭くって、そして滴みたいな糞をたらして、その上いつも、 彼みたいな赤と黒のそばかすだらけの大きな顔と、ばったをばらばらにすることのできる指をもった人間があらわれるのを怖がっていなければならないのだから。(p31)

登場人物が必ずしもいい人でなくてもいいわけで、だから今家族が読んでいる『ブラックジャックによろしく』の主人公がどれほど思慮の浅い熱血バカでも、家が金持ちでもないのに私立(だと思ったが奨学金の返済額が月100万とか)の医学部に進んだなんて滅茶苦茶な設定でも所詮「お話」だから目くじらをたてる必要もない。 「こういう選択肢もある」ということを自分で考えてみるきっかけとしては、愚か者(ごめんよ主人公)の行動から描いていて正解だと思う。

2月10日(月)

WOWOWで「吉田美奈子 Special Showcase」11月25日(SHIBUYA-AX)に行ったシークレットライブから1時間半の放送。 新作の"Stable"から7曲が演奏され低く沁みるような'Acknowledge' も前半のクライマックス『星の夜』も、ラストの(彼女の音楽によせる気持ちをこめたものだそう)『音楽の言葉』も、とにかくすべてよかった。 途中3曲続けて歌われる『Beauty』『午後の恋人』『Gifted』以外は"Stable"からの選曲でそれぞれの背景がちょっとだけ語られ、客席で初めて聴く人(確かペアチケットなので片割れは新作を未聴、というケースも多いだろうという配慮かもしれない)もすんなりと曲に入っていける。
客席に挨拶(そろえた中指と薬指を、狐の顔のように親指に何度も当てる仕草)するコミカルな表情も見られ、たっぷりした深い声には、身体の半分ほどもあるあの髪型に夕陽のような照明が当たるととても似合うのも発見。 天井からのカメラがとらえたキーボード(奏者のルックスがまたよい)とその上で流れる手の動きがとてもきれい。 客席からは見られない角度からの映像も多く、来月完全収録で出るDVDは楽しみだ。

照明は美奈子さんにはオレンジ、バックにはブルー。 でもこの照明に村上’ポンタ’秀一の上着のピンクだけが浮かび(彼のファンなら嬉しいところだけど)周囲と溶け合わないのが気になった。

2月9日(日)

Dinosaur Jr. "Without A Sound" の1曲目'Feel The Pain'の出だしだけ初期New OrderにIan Curtisが参加(Joy Divisionではないんだなぁ)したような音作りで、ちょっとびっくり。

CDレコーダ1台分くらいは美容院代を節約でき、1年ぶりに髪を切りに行く(本来みてくれはどうでもいい方なので前髪だけ自分で切ってごまかしていたが、後ろが手つかずで)。 あと半月もすれば、進学の決まった中学生から順番に使わずにためていたお年玉を握りしめてやってくるそうだ。 もともと直毛の子でもモーニング娘。のような頭にぴったり貼りついたストレートパーマをかけたがるんだそうで、あの髪型は確実に顔がでかく見えるぞ、と経験者は語……

2月8日(土)

日産CUBEのCM(ヒッチハイクする日本人青年)に使われている音楽が『ミニミニ大作戦』にとても似ている。 サントラにこういうアレンジで収録されていたっけ?
CDレコーダを見比べたくてAVフロアをまわるが、その手の専門店でないせいか単体での展示がなくがっかり。 (後付)HDに最大120時間の録音可能という機種にシングルやLPの曲を入れてしまえば気軽に再生できるので狙っているところ。 はす向かいにブックオフがありこのへんに出かけると半日居座ってしまう。 坂田靖子の作品集が文庫で次々に復刊されていたのを知る。 D班レポートの巻末に映画好きらしい話がいくつか載っていて、『鷲は舞い降りた』のケインの上司は『誇り高き戦場』(原作がシリトーなのにまだ読めていない)のアントン・デュフリングであってほしかったとか、『探偵スルース』はよかった!とか。
  • イタロ・カルヴィーノ『くもの巣の小道』(福武書店)
  • 坂田靖子『D班レポート』(白泉社文庫)
  • 坂田靖子・波津彬子・橋本多佳子『フレドリック・ブラウンは二度死ぬ』(講談社漫画文庫)

2月6日(木)

きのうの続き。 PayPalの注文履歴によると、同じ商品に対して二重に代金を支払った形跡がなくこちらが注文したとおり。 返金の必要がないことをJARMUSICに連絡。 Joachimさんからの返信の結び。
p.s. that´s a nice comparison that mr. newell´s music is keeping you warm...i myself listen to his music since ages and never get fed up hearing it!!!

2月5日(水)

JARMUSICから「注文がだぶって来ているようだがほんとに2枚送っていいのか、送料もだぶっているから損だよ」とメール。 あわわわ。 慌てて返信し、1枚分返金してもらうか、または来月出るMartin Newellの"Going to England"への振り替えが可能かどうか聞く。 とにかく英語で相手に何かを伝えることが全然ダメで、この簡単な英作文だけで疲れてしまった。 ドイツは今日雪だそうだ。 わざわざ確認してくれたJoachimさんにはあの面妖な英文で通じただろうか(すみませんすみません)。

2月3日(月)

じ、じつはずっと『バスケットケース三部作』を一気に見ようと思いつつ目が疲れてなかなか。 まさかその後2作もつくられていたとは知らなかった。

2月2日(日)

セシル・ビートン『ファッションの鏡』(文化出版局)
『ファッションの鏡(the glass of fashion)』は「流行の鑑」、ハムレット第三幕第一場のオフィーリアの台詞らしい。

セシル・ビートンで検索すると彼の作品がたくさん引っかかり、カポーティ、コクトー、ホックニー、ウォーホール、ヌレエフなどを撮ったポートレイトの雰囲気と被写体の共通項でなんとなく察しはついたが、 本文にしばしば登場する人名がオスカー・ワイルド、プルースト、モーム、オーデン、コール・ポーター、ディアギレフ。 実にわかりやすい(何が)人だがこの本が刊行されたのは1954年。 ちょっとまだ自分の嗜好を公にできる時代ではなかったようだ。

全然期待していなかった内容は大当たりだった。
上流階級のレディから高級娼婦まで、凝りに凝ったドレスで注目を浴びた女性達の衣ずれの音や粉白粉の匂いが読者に届きそうな手放しの賞賛がスノッブそのもの。 そうかと思えば晩年没落して彼の家族の世話になっていたという「ジェシーおばさん」については、昔帽子の箱に張られていた網目の型(ピンで帽子を留めつけて固定する)を彼女がスープやソースを漉すのに使うのをみてハロー校から連れてきた友人達の手前きまり悪く思ったらしいが、 「後年になって、私はその態度が私自身の大袈裟で紳士ぶった礼儀正しさより、はるかに上品で自然で気取りのないものだったと悟った(『ファッションの鏡』p33)」と彼女を懐かしんでいる。

当時の裕福な女性たち(のさらにファッションリーダー)が頭のてっぺんから足の先までどのようにこだわりをもっていたか、という衣装哲学を垣間見るのも楽しい。 ビートンは写真家としても衣装デザイナー(『マイ・フェア・レディ』)としても活躍した人で、自身による優美な挿絵もページを飾っているが、(男性では実践は難しいものの)ビーズやレース、ドレスにつける造花など身に着けたいと思ったことはなかったんだろうか。 いや、絶対内心では自分でも着てみたかったに違いなくて、こんな熱い文章が書けるんだろうな。

2月1日(土)

ローワン・アトキンソン扮する「Mr.ビーン」がガールフレンドと映画館に行くというスケッチで、ビーンがおやつに持ち込んだポップコーンの袋を指して"It's mine!"と言う。 わざわざ言わせるほどのことかなぁと不思議に思うほどビーンの喋る場面は珍しいが、つい先日古書店(正確に言えば外のワゴン)で100円だった八木恭平『英国紳士の昼と夜 不信の社会構造』(読売新聞社)に、イギリスの幼児は"mine""more""no"の順に言葉を覚える (著者の子どもの英語をみてもらっていた女性の赤ちゃんが最初に発した言葉も、奥さんの報告によれば"mine"だったそうだ)、 まったく可愛げのない赤ん坊だ、と書かれていた。
ビーンは成人だが発想やリアクションは子どもと同じ、という設定なので"It's mine!"も幼児性を強調するためにわざわざシナリオに書かれたものなのかもしれない。
「マンマ(ちょうだい)」と他力本願の日本の赤ん坊と、「僕のだ」と主張するイギリスの赤ん坊、無力さにおいては同じだとはいえ、スタート地点からかなりの開きがあるような…。 ところでこれ、昭和48年に出た古い本なので今ではイギリスの赤ん坊の発語事情も変化しているかも。

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