9月30日(火)NY出張から帰国した直後に地震に遭った札幌の友人から「大丈夫でした!」の返事が。ひと安心。9月29日(月)家では丹下左膳を読み、今日から通勤のお供には文庫の『キャッチ=22』を。 『キャッチ=22』はもともと原文がまわりくどいのか同じ(ような)フレーズといえば、『丹下左膳』ではこういうものが。 「やいっ、汝アもう死んでるんだぞ。 手前の斬られたのを知らなけりゃ世話アねえや」北斗の拳だっ。 9月27日(土)下の子は午後から模試だが、県の教育委員会賞をもらったというので駆け足で作品展を見に行った。 夏休みは朝9時からの夏期講習と書道教室が重なり、書道を休もうと思っていたところ先生が7時半から教室をあけて指導して下さった。 今回の受賞は先生のおかげだ。 「心外無別法(しんげむべっぽう)」心の外に別法なし、という仏教の有名な言葉だそうだが、さて書いた本人には読めるかどうか。そのまま模試に行くお子と摂津守(と呼ぶのも今月一杯)には先に帰ってもらい、地下鉄でふた駅先にある古書店と中古盤専門店をみてまわる。 ひと駅戻って昼食、もうひと駅歩いて戻る。
幕府は日光東照宮を20年ごとに修復するにあたり、諸侯のひとりを指名して造営費をすべて負担させる。 この「出来心防止策」に指名されませんように、とどこの藩も20年目が近づくと「うちは貧乏」をアピールして予防線を張り始めるが、吉宗は内偵で伊賀の柳生藩が埋蔵金をどっさり隠し持っていることを嗅ぎつけたのだな。 指名の方法は殿様たちの前に水を張った金魚鉢が置かれ、その中に放した金魚が死んだら当たりという「金魚籤」というもので、とにかく籤に当たってしまった(というか実は最初からここの金魚鉢にだけお湯が…)柳生藩の江戸家老が自ら早籠を飛ばし(もはや動転して籠代も値切ろうとする)柳生の里に駆け込むやいなや、 「金魚が…金魚が…」笑った笑った。丹下左膳その人もかなり変なキャラクターだが、とにかく読めばわかってもらえるおもしろさ。 たまたま店頭ワゴンで200円だったから買ってみたのがこんなに当たりだったとは。 9月25日(木)先週からのモラヴィアとトランティニアン繋がりで、DVDをしまいがてら『暗殺の森<完全版>』を長いけど見返す。 猫族を思わせるドミニク・サンダ、当時19歳。9月23日(火)ママスタジヲが現行メンバーでの活動を休止した。 結成時の中心メンバーである小泉大輔はそのままママスタジヲとして、他のメンバーはソロで活動するとのこと。 7月に出たシングル「沈黙の夏」(川口智士・作)は真夏のソーダポップと呼びたい涼しげな曲で、音楽は好きだが歌っている内容は日本語なのになんだかよくわからなかった。 その曖昧な持ち味が好きという人も多いが、わたしの好き嫌いでいえば、「場ちがいなのは間違いない」という言葉遊びを楽しむよりも「あんまりの心寒さに」(らんちう/たま)のような歌いだしで一気に曲の世界に引きずりこまれたい。 これから小泉さんのギターと引出しから一体どんなハンカチがでてくるんだろう。 多分いろいろ隠し持っているに違いないから楽しみにしている。 もちろんそれぞれの方向に出発する3人の活躍も。9月22日(月)梶井基次郎「檸檬」を読んだ。 淡々とした語り口に気を許すと深みにはまりそうで、八百屋の店先の人参葉や水に漬けてある豆をこの人の目を借りて見ることができたらいいだろうなぁ、と内容と全然関係ないことをつとめて考えようとしていた。『離愁』サウンドトラックCDのブックレットにフィリップ・サルドと組んで5本の映画を撮ったピエール・グラニエ・ドフュール監督の言葉が載っている。 サルドに寄せる信頼は厚く「私が口を開けようとする時には彼は既に理解していた」と言うほど。 『離愁』の音楽も、脚本を読んで自由に作曲してもらい、撮影に入る前に完成していたそうだ。 As a result, on the set, I already had a structure at my disposal, with an atmosphere, a rhythm, a tempo, and a presice length. (Pierre Granier-Deferre) 原作での主人公は映画より狡猾、小心。こちらも好きだが、やっぱり映画にはならないよね。 9月20日(土)買物に出たついでにスーパーのすぐ先にある小さなリサイクル書店で本を1冊処分し、1冊買って帰る。 プラマイゼロか?そうでもない。ヴァーミリオン・サンズ「スターズのスタジオ5号」。 IBMのコンピュータが詩作を代行するんだよ、味気ない。 少し『1984年』の「作詩機(versificator)」による流行歌の生産を連想してしまったが、意外な展開であっけらかんとした結末を迎えるから、読後感が爽やか。 いつもながらこの連作は女が強くてコワイ。 もったいなくて今までちびちびと読んできたのに残すところあとひとつとは寂しい。
9月19日(金)突然の異動で摂津守が尾張守を拝命することになり、ひと月ほど気ぜわしい日が続きそうだが、6年の間に向こうもこちらもモノが増えているので何から処分すればいいやら。 本とCDとDVDを手放せば話は早いが、先週段ボールひと箱分処分したところ。 もう処分できるものはなさそう。父蛙。メグレ警視シリーズで知られたジョルジュ・シムノン原作の『離愁(Le Train) 』(1973年・仏)を、20年ぶり、それ以上か、再見した。 原作は既にハヤカワ文庫のカタログから削除され、絶版になって久しいらしい。 いい本なのに本当にもったいない。ハヤカワ文庫NV103 昔見たのはテレビの洋画劇場の吹替え版で、恋愛ものが特に好きなわけではなく俳優目当てだったと思う(ジャン=ルイ・トランティニアンだから)が、この映画のストップモーションは今までに見た映画のラストシーンの中でも最も好きなもののひとつ。 今回再見したのは輸入盤DVDで英語吹替・字幕なし・音声不明瞭・画質もダビングしたビデオ並で最悪だが、俳優の無言の演技をみる上では何の妨げにもならなかった。 ロミー・シュナイダーは最初から最後までひっつめ髪、横顔がとても美しい。 一度聴いたら忘れられないテーマ音楽は(クレジットをみるまで気づかなかった)Philippe Sarde。 9月16日(火)ヴァーミリオン・サンズ「風にさよならをいおう」を読んだ。 歌う鉢植え、着る人の精神状態に感応する活性織物。 バラードの作品をおかしいと思ったことはなかったが、高飛び込み台の上で「持ち主のくるぶしへと脱げ落ちてしまった神経質なビキニ」には笑ってしまった。9月15日(月)「お母さん、サイダーが入ってないじゃないか」のドラマの原作、曽野綾子『虚構の家』(読売新聞社)を読んだ。阪神タイガースが18年ぶりにリーグ優勝した。 小中高と甲子園球場のある市内の学校に通っていたから、特別ファンではないがやはり嬉しい。 「もしも阪神がセ・リーグで、阪急(現在はオリックスか)がパ・リーグで優勝したらこんな騒動に」という設定の傑作、かんべむさしの『決戦!日本シリーズ』はおもしろかったなぁ。 あまり関係ないが、いつも見るたびに思うのが(ビールかけ会場や道頓堀川から中継していた)ニュースステーションのスポンサー、ダイコク電機のCMでパントマイムをしているピエロの最後にみせる表情がとてもいいこと。 実は密かなファンなのだ。 9月14日(日)上の子は模試、下の子は地元の祭に出かけてしまったので昼から買物がてらブックオフへ。
9月12日(金)amazon.comから"Equus"のDVDが届いたが、2時間を越す映画なので時間のあるときに(片手間では見られそうにない)。 これより3日前に発送された"Bent"はまだ届かないがどこかで迷子になってやしないだろうか。 さらに、もっと前に注文していた『離愁』など「2〜3日で発送」の筈がいつのまにか「廃盤になりました」……またマーケットプレイスのお世話になりましょうか、$2.89だし。9月11日(木)
9月9日(火)Olly Knightsによる7日付'Horses mouth'。3月にリリースされたアルバム"Ether Song"のボーナスディスク付リ・パッケージアルバムが 9月8日(月)肩凝りは続いているが頭痛はひいた。 「頭痛いなぁ、もう寝なきゃ明日に差し支える」といういやな夢をみたせいでなんだか眠った気がしない。 夢の中でまで頭が痛いってどうよ。"Unacompanied Sonata"を読む。 訳されたものを読むほうがずっと楽にはちがいないが、クリスチャンに聞こえたのは「狂気の歌」よりやはり'frenzied song'のほうがいい。 多分人にはどうでもいいようなことだけれども。 9月7日(日)ロキソートとミオナール50mg(わかる人はわかる)なので無理せず目を使わずぬるい湯につかる。ああもうっ。 9月6日(土)Orson Scott Card "Unacompanied Sonata and other stories"が届いた。 1981年発行のペーパーバックはさすがに紙が黄ばんでいたものの落書き等もなく、きれいな本だった。 表題作(無伴奏ソナタ)はちょっと言葉で説明できないほど好きな作品なので原文で読んでみたかったのだ。 あとがきより:And "Unacompanied Sonata" began with the thought one day : What if someone forbade me to write? Would I obey? I made a false start then, and failed ; years after I tried again, and this time got through the whole story. Other than punctuation changes and a few revised phrases, this one has stood in its first full draft as it came out of the typewriter. It's the truest thing I've ever written.(Afterword : On Origins)友人に送った本が翌日にはもう届いたそうだ。 自分のため、家族のためなど理由はひとつではないが実は大半は同じ本を手元にも残している。 ブックオフで本を探していると既に持っている本を見つけることがあり、「いつか誰かがおまえを見つけてくれるよ」より「いつか誰かに読んでもらおう」という気持ちのほうが強ければ、そして好きな本ならいったい何をやってるんだと思いつつも買ってしまうのだ。 稀少本を安く手に入れ高く売って儲けようなんてまねはしないよ。 もちろん読後感やどのキャラクターにシンパシーを覚えるかは人によって違うが、『Blue Moon』を好きだという人はほぼ全員「英一」なんだな。 わたし自身の(キャラクターのオールタイムベストは誰と聞かれれば、やはり唯一無比の英一だ)性質はむしろ藍川かもしれない、あ、でも土屋かも(いろんな意味で)。 ところで森脇作品はこのシリーズに限らず、母親の存在感が希薄だ。 父親と息子(本当の親子であれ擬似パターンであれ)にはここまでこだわるかと思うほど踏み込んでいるのに。 (『アンダー』『おんなのこ物語(主人公は女の子じゃないが)』『ゼネツィオの庭』『かきねの妹』『死神』) 9月5日(金)『ラストオーダー』のヴィンス。肉屋「ドッズとその息子」の店主ジャックとエイミー夫婦の養子、空襲で孤児になったところをエイミーに引き取られた赤ん坊だった。 夫婦の実子ジューンは障害児で、50年間施設に預けられたまま。 夫婦にとってジューンは「偶然(できちゃった子)」、自分は「選択」だったが、ヴィンスはふたりが本当に欲しかったのはかわいくて健康な女の子だということを知っている。 休日のドライブに一緒に連れて行く貧しい親友の娘サリーを、決まって自分たち(運転席と助手席)の間に座らせるからだ。 彼が頑なに「ドッズとその息子」を継ごうとしないのは、ジャックに見捨てられたジューンのため。 「ヴィンスのアネキ、頭はタマネギ」そのヴィンスが、ジャックが死んでようやく息子として素直な気持ちで遺灰の瓶(ジャック)をいとおしげに抱きしめ、(ここでジューンが宿ったという)農場の跡地に灰の一部を撒いてやる(同行しているジャックの親友たちにはヴィンスの行動が理解できない)場面がとてもいいんだけど、この映画を見た人がほとんどいないからなぁ。 この作品にはひとりひとりの心の奥に秘めた小さくて深い思いやりや、誰にもいえない悲しみがほんとうに巧みに配置されている。 だから再読・再見を繰り返してしまうのだ。 9月3日(水)暑い日には冷やした梨がおいしい。ヴァーミリオン・サンズシリーズ「希望の海、復讐の帆」「ヴィーナスはほほえむ」とサミュエル・R・ディレーニ『時は準宝石の螺旋のように』の「コロナ」「然り、そしてゴモラ」「流れガラス(Driftglass:砂浜に流れ着いた、磨耗したガラスのかけら)」を読む。 その合間に『ラストオーダー』を読み返し、そのDVDを見直して改めてレイ・ウィンストンのうまさに驚く。
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