和歌六人党とは? |
後朱雀天皇の長久年間(1040〜43)から、後冷泉天皇の永承年間(1046〜52)前後に活躍した歌人集団。歌道に精進すべく、権門の主催する歌合に出詠し、また庇護者らの邸での歌合に出席、自邸でも歌合を開催。晩年には家集を編纂するなど、精力的に歌作に励んだ。 |
和歌六人党のメンバー |
藤原範永・平棟仲・藤原経衡・源頼実・源頼家・源兼長(範永の代わりに橘義清を加える説もある。また橘為仲も後に加わった可能性がある)ら、和歌を得意とする中級貴族の受領・実務官僚6人(ないしは8人) |
和歌六人党の結成 |
長暦2(1038)年、長久2(1041)年の『源大納言師房家歌合』には、六人党の顔ぶれがほぼそろっており、このような歌合に同席したことにより、みずから六歌仙になぞらえて六人党を称したものと思われる。
彼らは互いに近しい親族関係にあるか、蔵人所で同僚として知己であったか、関白頼通の家司などの任にあったか、大学寮の同窓であったか、いずれかの共通点を有しており、古くからの友人・血縁同士が和歌を通じて結束したものであろう。 |