源致親

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事跡: 
 長元4(1031)年8月29日、典薬允致親見任(『小右記』)
 長暦2(1038)年2月19日、「中納言太宰帥実成依安楽寺愁状停任。并解中納言職。太政大臣公季朝臣息也。世言閑院帥是也。典薬允致親配流隠岐国。依同愁也。」(『扶桑略記』)
   
 左馬允源為清男(為清父、重之の子とも)。五位典薬允。長暦2(1038)年2月19日、安楽寺の雑物を捜取したことにより、隠岐国に配流となる。おそらくはその途上に範永と交わした贈答歌が『範永集』に残る。『金葉和歌集』のみに1首入集。 

藤原致親の和歌

金葉和歌集』附録  

    大井河にまかりて、もみぢの心をよめる                 
                                   
280 大井河 もみぢをわくる 筏士は さをに錦を かけてこそみれ

    大井川に行って、紅葉の心を詠んだ歌
                                   
280 大井川に浮かんだ紅葉をかき分けて棹を操っている筏士は、
   棹に錦をかけてみているのだなあ。

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