事跡:
正暦4(993)年春、花山院熊野参詣に供奉して詠歌
生没年未詳だが、交流のあった輔親が954年生まれ、懐寿が970年生まれ、赤染衛門が957年ごろの生まれであり、また父道済の生没年や活躍した年代から推定すると、980年ごろの生まれか。叡山法師。
その生涯は不明な点が多く、残された勅撰集の歌や逸話から推定するほかない。『範永集』には度々その名が見えることから、範永と親しく交流していたことが知られる。そのほか、赤染衛門・歌僧良暹・懐寿などとの交流があった。後拾遺集のみに3首入集。
『袋草紙』
南院は輔親卿の家なり。月を見んが為に、寝殿の南庇を差さずと云々。懐円が「池水は天の川にやかよふらん」とよむは、この所において詠むなり。月の明き夜、歩行にて行き向へるに、夜更けて人も寝ぬらんと思ふに、寝殿の南面に輔親一人月を見て居て、時に相互に興に乗じてこの歌を詠み、暁光に帰ると云々。
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