源経長

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事跡: 
 寛弘2(1005)年、出生
 寛仁4(1020)年11月29日、雅楽助
 治安2(1022)年4月3日、蔵人
 治安3(1023)年3月29日、式部少丞
 万寿元(1024)年1月7日、従五位下(皇太后宮御給)
            9月18日、左馬助
 万寿2(1025)年1月30日、任少納言
 万寿4(1027)年1月5日、従五位上(少納言労)
 長元2(1029)年1月5日、任蔵人
 長元3(1030)年1月26日、兼紀伊権守
            11月5日、左少弁
 長元5(1032)年7月20日、兼防鴨河使
 長元6(1033)年1月7日、正五位下
            4月2日、斎院長官
 長元8(1035)年1月30日、兼和泉守(蔵人巡)
            10月16日、右中弁
 長元9(1036)年1月7日、従四位下
            2月27日、従四位上(去年中宮行啓斎院賞追申之)
            4月18日、停長官(斎院退出日)
 長暦2(1038)年6月25日、 権左中弁(辞和泉守)
           12月21日、正四位下(行幸春日社行事賞)
 長暦3(1039)年12月16日、左中弁
 長久2(1041)年1月23日、兼左京大夫・伊予権守
            3月27日、改周防権守
 長久3(1042)年1月29日、蔵人頭
            10月27日、宮内卿
 長久4(1043)年9月19日、参議
 寛徳元(1044)年1月30日、美作権守
            12月14日、従三位(為弁官之時造宮行事)
 寛徳2(1045)年10月23日、兼右大弁、左京大夫辞す
 永承元(1046)年9月3日、次第司長官
 永承2(1047)年4月23日、正三位(石清水賀茂行幸行事賞)
            11月13日、兼勘解由長官
 永承4(1049)年2月5日、近江権守
 永承5(1050)年6月5日、『祐子内親王家歌合』に出詠   
            9月17日、左大弁
            10月13日、従二位(上東門院、院司賞)
 永承7(1052)年2月26日、播磨権守
 天喜4(1056)年2月3日、兼備後権守
 康平元(1058)年4月25日、任権中納言、備後権守・右大弁を辞す
 康平2(1059)年2月8日、勅授帯剣(御竈神供奉)
 康平4(1061)年9月19日、勅授帯剣
 康平6(1063)年11月9日、正二位(旧年石清水行幸行事賞)
 治暦元(1065)年12月8日、皇后宮権大夫
 治暦2(1066)年12月8日、皇后宮大夫
 治暦4(1068)年4月17日、中宮大夫
           9月3日、大嘗会装束司長官
 延久元(1069)年7月3日、皇太后宮大夫
            8月22日、権大納言
 延久3(1071)年4月9日、病により職を辞す
            6月6日、没

 権中納言源道方の四男。母は源国盛女。同母弟に経信がいる。郢曲・篳篥の上手であった。桂に山荘を営み、六人党を始めとする歌人らと交流した。  


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