事跡:
長徳4(998)年、出生
寛弘2(1005)年ごろ、母が頼光と再婚?
寛弘3(1006)年、頼光・母と共に但馬下向?
寛仁3(1019)年、このころ、定頼と恋愛をするか
寛仁4(1020)年、夫大江公資の相模赴任に同行(『能因集』による)
治安元(1021)年、頼光没(74)
治安3(1023)年、相模にて百首歌作歌
万寿元(1024)年、相模より帰京
万寿3(1026)年ごろ、脩子内親王に出仕
長元8(1035)年、『賀陽院水閣歌合』に出詠
長暦2(1038)年、『一品宮歌合』・『源大納言師房家歌合』に出詠
長久2(1041)年、『弘徽殿女御生子歌合』・『一品宮脩子内親王歌合』に出詠
永承3(1048)年、『倫子百和香歌合』・『禖子内親王歌合』に出詠
永承4(1049)年、脩子内親王没。『内裏歌合』に出詠
永承5(1050)年、『前麗景殿女御歌合』に読人として参加、出詠
永承6(1051)年、『内裏歌合』に出詠
天喜4(1056)年、『皇后宮寛子春秋歌合』に出詠
この後、史料なし
母の慶滋保章女が源頼光と再婚したため、頼光の養女となる。相模守となった大江公資と結婚して相模へ同行。相模と呼ばれたが、帰京後離婚。のちに一品宮脩子内親王のもとへ出仕した。数々の歌合に出詠し歌壇で活躍、和歌六人党の指導者としても大きな役割を果たした。
家集:
現存諸本は四類に大別される。
1.流布本 浅野家本相模集(彰考館本『相模集』・
島原松平文庫本『女房相模集』・
龍谷大学本『女房相模集』・類従本など) 597首
2.異本A 書陵部蔵本(501・45)相模集 30首
3.異本B 書陵部蔵本(501・33)思女集 28首
4.異本C 針切相模集 36首