藤原通宗

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事跡: 
 長久元(1040)年ごろ、出生
 天喜元(1053)年、右衛門佐
 延久4(1072)年3月19日、能登守見任(『気多宮歌合』)
            3月、但馬守見任(『大日本史国郡司表』)
 承暦元(1077)年10月3日、周防守補任
 承暦2(1078)年1月7日、岳父経衡と歌を贈答
            4月28日、内裏歌合に歌仙たるにより昇殿を聴さる(『袋草紙』)
 承暦4(1081)年10月9日、周防守見任(『水左記』) 
 永保元(1081)年正月、若狭守補任(『続左丞抄永保元年六月二七日通宗解文』)
 永保3(1083)年3月20日、篤子内親王家侍所歌合において、判者を務める
 応徳元(1084)年4月12日、没。

 太宰大弐藤原経平の子。母は少納言家業女(実母は高階成順女)。家経の娘婿。弟に『後拾遺和歌集』撰者となった通俊、子に『後拾遺和歌集』清書をしたと言われる隆源、歌人の二条太皇太后宮大弐がいる。正四位下。『後拾遺和歌集』初出。『新古今和歌集』までに6首入集。 『経衡集』にも歌をとどめる。


『袋草紙』
古今の証本。陽明門院御本、これ延喜の御本の相伝なり
。後に顕綱朝臣申し賜はる。その後転々として、故公信朝臣の許において焼失すと云々。この本序なし。小野皇太后宮御本。宮において焼失すと云々。件の本の流をもってするは、通宗朝臣自筆本これなり。その由表紙に書かる。
『袋草紙』
承暦の歌合の時、俊頼、基俊・国基・輔弘・周防内侍・伯母等、これを入れず。また通宗は歌仙たるによりこの度昇殿を聴されたるも、これを入れず。後番に纔かに一首これを入ると云々。

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