小脳の梗塞の治療で9/1に「佼成病院(方南町)」へ入院した後、
10/7から「杉並リハビリテーション病院(西荻窪)」へ転院して、
順調にリハビリ治療を本人も年内の帰宅を楽しみに続けておりました。
10/29(日)早朝、午前5時頃トイレに行ったあと嘔吐し、リハビリ病院から
9月に小脳梗塞の治療を受けた「佼成病院」へ救急車で移送されました。
MRI検査を受けましたが小脳の梗塞に悪化は無かったものの、血圧の低下が
著しく1時間弱の心臓マッサージを受けても心臓が復帰しませんでした。
私と三男透が見守る中、午前11時に息を引き取りました。
長男、次男も午後1時に駆けつけ午後4時に自宅へ連れて帰りました。
糖尿病、高血圧の持病もあり心筋梗塞と診断されましたが、転院後約1ヶ月間
リハビリに励んで、帰宅を楽しみしていただけに本当に残念です。
故人に対して生前の皆様からのご厚情に感謝すると共に、残された息子達にも
ご厚情を頂きたくお願い致します。
とりわけ、故人も心残りであろう三男(透)については、私をはじめ家族の
協力を得て見守って参りますのでよろしくお願い申し上げます。
喪主:夫 息子:長男、次男、三男(透)
2017.10.29(日)
透のお母さん、お父さんの女房が、心筋梗塞で永眠しました。
9/1から約2か月間、小脳の梗塞治療を受けて、リハビリ治療も順調で、
年内の退院・帰宅を楽しみにしていた矢先でした。無念です!
今年、”人生の味方”が二人も世を去りました。
11/2(木):自宅から斎場へお別れ 10:00~10:30
11/4(土):お通夜 18:00~20:00
11/5(日):告別式 10:00~12:00
斎場:杉並区、堀之内斎場
2017.09.01(金)~10.22(日)
怒濤の1ヶ月半が過ぎました。
お母さんが突然入院しました。家族全員が大変な1ヶ月半を過ごしました。
病名は「小脳の一部閉塞」で、言葉の不自由さと平衡感覚の不良が症状です。
9/1(金)に佼成病院へ入院して1ヶ月強、10/7(土)に杉並リハビリテーション病院
へ転院して早くも2週間が経過しました。
9/1(金)~10/7(土):8月最終週、体調を崩して3日間寝込んでいましたので、
地元の掛かり付けの病院で耳鼻科病院を紹介されて、更に3ヶ所目のMRI検査のできる
「佼成病院」(方南町)で検査をしたところ、即入院(当日15:00)となりました。
「小脳の一部梗塞」がMRI検査で発見され、その後2回のMRI検査とカテーテルによる
検査も受けて、今後は「薬治療を続けながら、リハビリを行う」事と成りました。
自宅から車で20分、環七通り沿いに2年前に移築した病院で、
立正佼成会の敷地内にある看護師さんも親切な大きな病院でした。
入院当時は安静状態でしたが、治療を受けながらリハビリを
少しずつ始めました。両手足指も、記憶や意識も普通通りです。
平衡感覚の影響で、一人での歩行が困難で「移動は車いす」の利用が基本です。
入院中の土日には、吉祥寺「いせや」や、お台場「ラーメン国技館」などへ
散歩をして、晴れた日には片道歩いて4Kmの通園もしていました。
お母さんが入院してから、お父さんは人生史上初めての朝夕食事の準備をしました。
透くんと二人の生活が始まりました。土日には兄弟も居いて、次男が食事を作ってくれました。
(これらの画像は、毎日お母さんの携帯へ送っていた「我が家の食事風景写真」です)
10/7(土)~:「佼成病院」を1ヶ月強で退院して、そのまま長男運転の車で
「杉並リハビリテーション病院」(西荻窪)の、リハビリ病院へ再入院しました。
一日3,4回の言語指導と歩行指導を1時間/回を続けています。
(「神社の秋の例祭」のあった日(10/7)の午前中に、転院をしました)
転院したリハビリ病院は、「リハビリ専門の病院」で100名を越える患者さんと
一緒に毎日、3,4時間のリハビリを受ける事になりました。
リハビリは、言語訓練と歩行訓練を、
少しずつ、無理をしないでリハビリを受ける事になりました。
透くんの定期歯科検診や、お見舞いの帰りに吉祥寺の「いせや」への立ち寄りで
1ヶ月を越えた入院にも、透くんなりに成長してくれた様です。
転院した日(10/7)の午後は夕方まで、地元久我山稲荷神社の秋の例大祭で、
「東ノ原神酒所」の設営から打ち上げまで5時間半、透は付き合いました。エライ!
1ヶ月を過ぎて、毎朝、毎夕の食事も軌道に乗ってきましたが、
メニューが画一化してきた感じが反省材料です。
急に寒くなったり、地元神社や自治会、防災会のイベント(神社の神酒所設営、防災訓練、
神代植物公園散歩、資源回収)、衆議院選挙が次々と有りましたが、雨の為、
お神輿を受入れる神酒所(10/7)以外は準備万端でしたが中止となってしまいました。
リハビリは最低1ヶ月半、2~3ケ月の入院が普通(最大でも法律上で5ヶ月)
との事で、順調に行って年内帰宅が出来ればと、家族全員の協力を得て
帰宅後も含めて長期戦を覚悟して、日々を過ごして居ます。
介護保険手続きや介護度認定審査を受けながら、
長男には部屋の移動を頼んだり、手摺や段差の修繕計画などの準備を始めました。
しばらく、公私共にご迷惑をお掛けしますが、温かく見守っていてください。
2017.10.07(土)
恒例の地元「久我山稲荷神社」の秋の例大祭が行われました。
保育園建設で狭くなった「東原公園」ですが、やって来るお神輿を
迎える「東ノ原神酒所」を設営して待ちました。
午後1時から「東ノ原神酒所」の設営を始めて、神輿と神社総代をお迎えしました。
お手伝いの皆さんで「神酒所」の準備をしました。
神輿が人見街道から東原公園(東ノ原神酒所)へ16:40頃やってきました。
公園が狭くなったので、「お神輿」様は公園前の路上に置かれました。
担ぎ手や、お囃子、金棒衆のみなさんは、
東ノ原神酒所内でひと時のもてなしを受けました。
東ノ原神酒所長(実行委員会長)の音頭で手締めをしました。
神輿は17:10頃、稲荷神社へ向けて出発して行きました。
神輿が帰って行ったあと、「東ノ原神酒所」を取り仕切ってくれた皆さんへ、
心ばかりの慰労をした後片付けを始めて18:30頃に無事に終了しました。
2017.09.18(月)
透くんの通園と、お母さんのお見舞いの毎日を過ごして居ます。
そんな中、累積歩数が2,800万歩を越えました。
退任(2010/06/末)以来の累積歩数は、28,01,128歩です。
単純平均歩数は、1万歩/日を下回りました。
100万歩:2010/09/30、200万歩:2011/01/09、300万歩:2011/04/01、
400万歩:2011/06/03、500万歩:2011/09/11、600万歩:2011/11/15、
700万歩:2012/02/11、800万歩:2012/05/15、900万歩:2012/09/05、
1,000万歩:2012/11/28、1,050万歩:2013/01/10、1,100万歩:2013/02/21、
1,150万歩:2013/04/11、1,200万歩:2013/05/22、1,250万歩:2013/07/09、
1,300万歩:2013/09/10、1,350万歩:2013/10/25、1,400万歩:2013/12/12、
1,450万歩:2014/01/25、1,500万歩:2014/03/10、1,550万歩:2014/04/19、
1,600万歩:2014/06/02、1,650万歩:2014/07/19、1,700万歩:2014/09/18、
1,750万歩:2014/11/02、1,800万歩:2014/12/15、1,850万歩:2015/02/09、
1,900万歩:2015/03/24、1,950万歩:2015/05/09、2,000万歩:2015/06/23、
2,050万歩:2015/08/13、2,100万歩:2015/10/08、2,150万歩:2015/11/26、
2,200万歩:2016/01/10、2,250万歩:2016/02/23、2,300万歩:2016/04/15、
2,350万歩:2016/05/28、2,400万歩:2016/07/12、2,450万歩:2016/09/21、
2,500万歩:2016/11/11、2,550万歩:2016/12/28、2,600万歩:2017/02/16、
2,650万歩:2017/04/06、2,700万歩:2017/05/28、2,750万歩:2017/07/19
2,800万歩:2017/09/18
「のんびり、ワクワク」我が家の生活サイクルの基盤となる
「ふじい家のウォーキング」を続ける為の3ヶ条
①「目的を決めて」歩きました。
「透くんと一緒に家族と歩く」を、目的にしました。
②「無理をしない」で歩きました。
雨が降ったり、猛暑の時は、キッチリ止めるか、自動車を使いました。
③「万歩計を付けて」歩きました。
歩いた記録が残る分だけ、楽しみも残りました。
2017.09.02(土)~03(日)
今年始めた「SLおっかけ旅」も、いよいよ「最終ステージ」です。
東武鉄道のSL「大樹」をおっかけて鬼怒川へ行ってきました。
北海道育ちの「C11207」と初対面です。
東京を10:30に出発して、12:30には東武鉄道下今市駅へ到着しました。
東武鉄道鬼怒川線(倉ケ崎付近)の踏切でSLが来るのを待ちました。
その前に、東武の「新型特急リバティ」が通過して行きました
下今市駅13:00発のSL「大樹3号」がやってきました。
C11207と初めての対面でした。通過後早速SLを追い駆けました。
SLを追い抜いたので、下の原付近で再びSLをキャッチしました。
通過後、SL列車の終点「鬼怒川温泉駅」へ向かいました。
「鬼怒川温泉駅」の駅前に新設された「ターンテーブル(転車台)」では、
大勢の観客が見守る中で、SLが方向転換をしました。
折り返しのSL「大樹4号」は、「鬼怒川高徳中岩公園」入口付近で待ちました。
急カーブの為、電車もSLも時速25Km/H以下で通過しました。
1日目最後の撮影現場として、最初の「倉ケ崎新田付近」へ戻りました。
登り勾配を煙とドラフト音を響かせて、下今市駅を目指して、通過して行きました。
見送った後、今日の宿泊先「鬼怒川ロイヤルホテル」へ向かいました。
大きな内風呂と岩風呂に入った後、鬼怒川の吊橋まで散歩しました。
お兄ちゃんは3往復目のSL「大樹5,6号」の撮影に出掛けました。
鬼怒川を渡るSL「大樹5号」(撮影長男)
夕闇迫る中、下今市駅を目指すSL「大樹6号」(撮影長男)
19:30~21:00の遅い夕食時間帯に、戻ったお兄ちゃんと3人で食べました。
昨日は早く寝てしまったので、9/3(日)は5:30に起きて、朝風呂にも入りました。
晴天となった朝、8:30にホテルを出発して、
最初の撮影地へ向かいました。
下今市駅寄りの下の原付近の登り勾配区間で待ちました。
リバティや普通電車、スペーシアが通過した後、SLがやってきました。
透と一緒にいたカメラマンも、SL列車の乗客に手を振っていました。
直ぐに追いかけて、鬼怒川温泉駅手前の国道橋梁の下でキャッチしました。
その後、鬼怒川温泉駅へ行って、駅構内へ入場しました。
ホームにはSL「大樹」が停車していました。
鬼怒川温泉駅では、SL列車の他、野岩鉄道の車両や
東武特急スペーシア、JR特急253系(元N’ex)が出入りしました。
C11207が方向転換の為に、ターンテーブルのある引き込み線
への入れ替え作業は、発車直前まで行なわれました。
いよいよ折り返しのSL「大樹2号」が、11:08に鬼怒川温泉駅を出発しました。
国道の橋梁上で見守る透くんの下を通過して行くSL「大樹」を見た後、
今日最後の撮影地となる名所「倉ケ崎新田付近」で待ちました。
透くんの前を通り過ぎるSL「大樹」を見送って、帰途に付きました。
このSL「大樹」の訪問によって、①JR東日本「D51498」に始まって、
②真岡鉄道「C1266」、③秩父鉄道「C58363」、④東武鉄道「C11207」のSLを
すべて巡って、旧新橋停車場・鉄道歴史展示室の訪問も完了しました。
その他に「番外編:新橋駅SL広場C11292」と「特別編:トーマス、ジェームス、C11160」も
「SLおっかけ旅」として訪問しました。
今年の夏休み「SLおっかけ旅」も5つのスタンプが揃って、
無事に全て完了しました。良かったぁ~です。
追伸:実は鬼怒川へ向かう前日(9/1)、お母さんが急に入院しました。
翌日からの鬼怒川旅行はお母さんも同行予定でしたが、
「透くんへSLを見せてあげる」を第一の目的に、
お兄ちゃんの協力を得て決行しました。
9/2(土)午前と9/3(日)午後の行き帰りにお見舞いをしました。
現在(9/7)も治療、リハビリ中です。
家族全員が協力して、この緊急事態を乗り越えていきます。
前月(~2017.8)へ続く
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