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2012年(7月〜9月)
我が家のアルバムは「とおるお話」

ふじい家の全員が「とおるとお話」をするのが、我が家のアルバムです。
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2012.09.15(土)
「TOKYOウォーク2012(吉祥寺・三鷹エリア)」へ参加してきました。
残暑というより猛暑が続いている感じの炎天下を10km歩きました。


出発地点は「井の頭恩賜公園西園」で、京王井の頭線「井の頭公園駅」から
会場まで公園を歩いて向かいました。会場には大勢の人と、TV局
(テレビ東京)も来ていました。

今回は大会始まって以来過去最高の4,117人が参加していたそうです。

ウォーキングコースは、殆どが今までに歩いたり、車で走ったリした道路でした。(作成Mapion)

午前10時、10kmのウォーキング(Bコース)を開始しました。
炎天下では有りましたが、気候の変化も有って雲も出てきて少しは助かりました。


玉川上水沿いに三鷹駅へ向けて歩きました。
直ぐに、「山本有三記念館(右)」が有りました。


JR中央線の「三鷹駅」に着きました。
三鷹駅のホームの真下を玉川上水は潜っています。


我々も駅を地下道で潜ると、玉川上水が復元されていました。

武蔵境駅の南側でコースは南下して、「連雀通り」へ出ました。
途中、お祭りの準備をしていた神社(神明社)で、休憩・昼食にしました。


昼食後、八幡大神社へお参りをして、その隣の”太宰治のお墓”がある
「禅林寺(右端)」の前を右折して、更に南下しました。


三鷹通り、人見街道と歩いて、最後の吉祥寺通りを今度は北上すると、
透の大好きな「トトロ」がいる、三鷹の森「ジブリ美術館」が有りました。


ジブリ美術館を過ぎると、そのすぐ裏手が「ゴール」でした。

ゴール証明(完歩証)を受け取って、恒例のカキ氷を食べました。
帰り道は、勝手知ったる?住宅街を「井の頭公園駅」まで歩きました。
今日の総ウォーキング歩数は24,460歩で、累積912万歩となりました。


2012.09.05(水)
退任以来の総ウォーキング歩数が、900万歩を達成しました。
猛暑のため透くんの通園同行に車を使うことが多かった為、
850万歩達成からずいぶんと時間が掛かりました。


(左)2010.07透との最初の通園同行から、(右)2012.09透との夏休み同行まで
「透とアラカン夫婦3人」で歩きました。

退任した2010.6末以来の累積歩数(今日は、3,577歩!だけ)は、
100万歩:2010/09/30、200万歩:2011/01/09、300万歩:2011/04/01、400万歩:2011/06/03
500万歩:2011/09/11、600万歩:2011/11/15、700万歩:
2012/02/11
、800万歩:2012/05/15

「ふじい家のウォーキング」を続ける為の3ヶ条
@「目的を決めて」歩きました。

「透くんと一緒に家族と歩く」を、目的にしました。
A「無理をしない」で歩きました。
雨が降ったり、猛暑の時は、キッチリ止めるか、自動車を使いました。
B「万歩計を付けて」歩きました。
歩いた記録が残る分だけ、楽しみも残りました。


2012.08.31(金)〜09.01(土)
透くんと遅い夏休みを、房総半島で過ごしました。
JR内房線「江見駅〜太海駅間」の絶景スポット!「山生(やもめ)橋梁」は、
「関東の鉄道お宝発見」最後の訪問ヶ所(23ヶ所目)でした。
翌日は、房総半島の洲崎灯台と最南端の「野島崎灯台」を訪ねて
一泊二日の夏休みを終えました。

8/31(金):自宅から房総半島の山を越えて、JR内房線「江見駅」へ到着しました。

「江見駅」と「太海駅」の間にある、内房線の名所を訪ねる前に、
「道の駅 鴨川オーシャンパーク」で昼食を取りました。


内房線の名所(絶景ビューポイント)の「山生(やもめ)橋梁」は、
太平洋と国道128号線を見下ろす崖の中腹を通る旧道から眺めることが出来ました。


「山生(やもめ)橋梁」は、大正13年使用開始で、
「日本で最初の鉄筋コンクリート桁鉄橋」として建設された由緒ある橋です。


お宝@:山生橋梁:千葉県
(JR内房線江見〜太海間)

2012年「関東の鉄道お宝発見」最後の訪問ヶ所(23ヶ所)となりました。(完遂!です)

残暑厳しい中、紺碧の太平洋を背景に、JR内房線「山生橋梁」を、
今や主役となった「209系2000番台(京浜東北線車両の改造編成)」が疾走しました。


崖の上の撮影場所から見える太平洋は、光の具合によって、大きく色が変わりました。
内房線なのに太平洋が正面にある訳は、内房線と外房線の接続駅が「安房鴨川駅」で、
太平洋側まで内房線が伸びていて、房総半島を約3/4周している為です。


撮影を終えて約50分で、今日の宿泊地、休暇村「館山」へ「とうちゃこ!(到着!)」
さっそく、温泉へ入りました。


露天風呂、内風呂から東京湾が正面に広がっていました。

露天風呂から海を見ながら、のんびりしました。

正面に平塚・三浦半島、右手に房総半島・鋸山が望めました。

夕食前、夕闇が迫るホテルの海側にある浜辺を散策しました。
ホテルの前が浜辺(海水浴場)でした。


砂浜に面したホテルの窓が、これから夕食を取るレストランです。

海辺には南国風?にヤシの木などが雰囲気を出していました。

(写真右側)透にカメラを持たせて、透がシャッターを押した画像(貴重!)です。

夕食は、バイキング形式でしたが、お刺身いっぱいで、中々豪華なものでした。
一人に一尾の「伊勢海老の活造り」も付きました。


9/1(日):海上には雲が浮かんでいましたが、晴天の朝を迎えました。


朝の房総半島先端から見る東京湾は、穏やかでした。
(昨晩8/31、22:00頃にフィリピン付近で発生した地震M7.6の影響で「津波注意報(50cm)」
が発令されましたが、翌1:00に解除されて安心しました)


朝食をゆっくり取って「休暇村」を後にしました。(温泉には、夕方、夜、朝と3回入りました)

出発後、まず「洲崎灯台」へ向かいました。

灯台の下は、狭い道に民家が建っていて、チョットした石段を登ると
直ぐに灯台が有りました。



雲で富士山は見えませんでしたが、東京湾の入口には
多くの船が東京都心を目指していました。


続いて、房総半島最南端の「野島崎灯台」を訪ねました。
ここで雑学:何回かの隆起を繰り返して、「野島」が陸続きとなって
「野島崎」と成った歴史があります。


房総半島の最南端の景色です。

野島崎の先端に「房総半島最南端の地」の石碑が有りました。

「野島崎灯台」の上から、岩場に居る二人を撮影しました。

透とお母さんは、野島崎の周遊路を一回りしました。

野島崎灯台へ登りました。上まで登れる「珍しい灯台」のひとつです。

野島崎には、灯台の他に「厳島神社」と「白浜海洋美術館」が有りました。
「野島崎灯台」を後にして、一路帰京することにしました。


途中「海ほたる」に立ち寄りました。

「海ほたる」から、東京都心のビル群やスカイツリーが見えました。

雲の流れが盛ん?でしたが、雨が強く振り出す前に帰宅できました。

2012.08.19(日)
NPONCS(NPO日本コミュニケーション支援センター)の
恒例の親睦会が「高井戸地域区民センター」で開かれました。

会場となった「高井戸地域区民センター」まで、炎天下でしたが歩きました。
併設されている高井戸清掃工場のエントツが目印でした。


親睦会の会場となる部屋は、3階の「料理室」で、窓の下には、
京王・井の頭線(高井戸駅付近)が走っていました。


お好み焼きや、餃子、春巻などをみんなで作りました。

みんなで料理を作って、部屋の中央にテーブルを作って、
色々な話をしながら、みんなで食べました。


参加人数はチョット少な目でしたが、会場は和気合い合いでした。
NPONCS(NPO日本コミュニケーション支援センター)の活動の歴史は、前身の
SCSS研究会(コミュニケーション支援システム研究会)以来、10数年も続いています。

2012.08.15(水)
終戦記念日の今日から通園再開、蒸し暑い日が続きますが、
日陰を探しながら「通園同行」を続けています。

赤い線が、往復の通園ルート(日によって変わります)です。
【角川庭園】:日本文学研究者で角川書店の創立者である角川源義氏の自邸を整備し、2009年(平成21年)
に開園したもので、敷地内には近代数寄屋造りの邸宅が残されている。
(Wikipedirより抜粋引用)

毎朝7:55〜9:00の間、片道4km、約1時間掛けて日陰を探して園まで歩きます。
お父さんは帰り道、公園の木陰で休んだりしながら1時間半掛けて帰ります。

「大田黒公園」の木陰で一休み。赤トンボ・ミンミンゼミ・アブラゼミが居ました。

大田黒公園から徒歩3,4分の所に「荻外荘(てきがいそう:左端/中央)」が有ります。(非公開です)
【荻外荘】:
南斜面の高台にあって、善福寺川河谷を一望に収め、はるかに富士の霊峰を眺める景勝地に建っていた家で、総理大臣
経験者、近衛文麿が住んでいた。太平洋戦争敗戦後A級戦犯として巣鴨拘置所に出頭を命じられた最終期限日の未明に自殺した
昭和史の舞台。日本の総理大臣経験者で最も若い没年齢(54)で、死因が自殺である人物は近衞が唯一でもある。「荻外荘」の名前
が新聞の紙面に出る日も多く、後の吉田茂「目黒の公邸」「大磯邸」、鳩山一郎「音羽御殿」、佐藤榮作「淡島邸」、田中角榮
「目白御殿」などと似た第二の首相官邸の機能(密室談合!?)を持った先例が「荻外荘」でもある。(Wikipedirより抜粋引用)
右端は、与謝野鉄幹・晶子夫妻の住居跡に最近出来た「与謝野公園」です。
(荻外荘から徒歩4,5分)

2012.08.10(金)〜14(火)
とおるくんの通園先が「夏休みの休園!」へ入りました。
猛暑と雷雨の天候でしたが、東京近郊をウロウロしました。
8/14(火):

お母さん、??回目の誕生日おめでとう!


透の選んだ、不二家のチョコレートケーキでお祝いをしました。
明日から、また通園同行が始まります。頑張ろうね!

8/13(月):

お盆を前にして、おじいちゃんのお墓参りに鎌倉まで出掛けました。


今年もおばあちゃん(91)は、元気にお墓参りが出来ました。
お供えのお猪口と徳利は、昔、次男が高校の修学旅行で買ってきたお土産です。


三人の息子の代表として「とおる」が同行して、アラカン夫婦は30℃以上の気温の中、
汗をかきながら草むしりや小枝も伐採をして、お墓をきれいに掃除しました。


おばあちゃんは、お墓から道路までの石段も一人で登りきりました。

鎌倉霊園にある親戚のお墓にもお参りをして、午前中に霊園を後にしました。

8/12(日):

お台場へ出掛けて”合衆国”、”ガンダム”を見ました。


お盆のお台場は、大勢の家族・若者たちで賑わっていました。

お台場の中心から、りんかい線「東京テレポート駅」へ向かいました。

りんかい線からJR京葉線の「新木場駅」ホームへ移動しました。

京葉線の主役たちが次々とやって来ました。
(E233系5000番台、209系500番台、205系京葉線仕様、E257系500番台)

東京寄りのホームから、京葉線仕様のE233系5000番台を見て帰りました。

8/11(土):

レインボーブリッジ越しに見る「東京湾花火大会」の花火です。
兄(長男)を車で港区芝浦側まで、とおると送りました。
(撮影:長男)

8/10(金):

とおるくん、夏休み最初の日は、恒例の「神田川/井の頭公園散歩」へ出掛けしました。


いつもの、「神田川と井の頭線」が寄り添う、とおるが一番喜ぶ区間です。

焼鳥屋の名店「いせや公園店」さんの跡地は、建て直しの工事が始まっていました。

更に、井の頭線吉祥寺駅(公園口)は、駅ビルの大工事中でした。

吉祥寺駅から各駅停車「渋谷行き」に乗って帰りました。

8/9(木):

お盆を前にして、とおるくんを送って行ったあと、お父さんがいつも一休みする所が
「庚申塔」等が並ぶ公園?で、お花(造花)を生けて来ました。


旧天沼村(荻窪駅/阿佐ヶ谷駅間の北側)の「庚申塔×2・地蔵塔・百番観音供養塔×2」
が集められた場所で、区画整理の過程で出来た空き地に祭られています。


我が家からリュックサックに入れて持っていった”お花”は、
お母さん手造りの「造花」3個で、既にあった「造花」3個と並べて飾りました。


2012.08.05(日)
大正12年(1923)銚子電鉄開業当時の
木造駅舎「外川(トガワ)駅」を訪ねました。その後、犬吠埼灯台を
眼下に望む立ち寄り温泉へ行って、日帰りで帰ってきました。


8/5(日):am6:30地元「久我山東自治会」主催の「ラジオ体操」に参加!しました。

30年以上続いている地元小学校の校庭を借りた「ラジオ体操」です。
一日200人以上(最高280人)が、集まりました。


お父さんは、皆勤賞の景品の袋詰めなどをお手伝いしました。
(校長先生・自治会長の挨拶も有って、最終日も盛大な内に終了しました)


am7:40に自宅を出発して、銚子電鉄の「仲ノ町駅」へ、am10:20に到着!しました。
仲ノ町駅は銚子電鉄の車庫もあって、見たかった車両が留置されていました。


居ました!元京王線の2000系です。伊予鉄道→銚子電鉄と巡って頑張っています。
左:銚子駅側・2枚窓の湘南タイプ(京王2000系オリジナルグリーンの顔)
右:外川駅側・貫通扉タイプ(切妻部分を京王5000系の顔へ改造)


仲ノ町の車庫には、復活!「地下鉄銀座線」に向けて、
1001形車両が塗装変更中(左)でした。
イオン(aeon)塗装の2000系2002形(中央)と、
1000系1002形丸ノ内線(右)が入線してきました。


銚子電鉄に「丸ノ内線・京王線・銀座線」の強者が勢揃いです。
(翌週の2012/8/11には、車両展示会が予定されています)


仲ノ町駅の隣「観音駅」へ移動して、名物の「たい焼き」を買って、
やって来た1002形(丸ノ内線色)電車に乗り込みました。


とおるくんは、運転室のすぐ後ろの席に陣取って前を見ていました。

笠上黒生駅で、aeonカラーの2002形電車と列車交換をしました。
2002形も当時の京王線2000系の新京王カラーを再現していました。


かなり老朽化したレールの上を、上下左右にガタゴトと揺れる中、
最高速度40km/H以下で銚子電鉄は走って、犬吠駅(右)が見えてきました。


そして、いよいよ今日の目的地である、終着駅「外川駅」へ到着しました。

お宝(22):外川駅駅舎:千葉県
(銚子電鉄外川駅)
とうちゃこ!(注:到着!)です。残り1駅となりました。

外川駅構内には、既に休車となった801形が留置されていました。

車止め側から見た「外川駅」です。
駅訪問を終えて、折角やって来たので犬吠埼周辺を巡りました。


外川駅を真直ぐに下った先から見える「犬吠埼灯台」です。

そこが、「外川港」でした。

犬吠埼をぐるっと廻って、反対側から見た「犬吠埼灯台」です。

真夏の太陽が眩しい太平洋は、台風の影響で波が結構高く、
海沿いに、水産卸売センター「ウォッセ21」へ向かいました。


お魚市場で、近海マグロの大きなブロックを購入!(今晩の夕食になりました)
昼食は、シーフードレストラン「うぉっせ」で人気No.1「海鮮丼」を!!


水産卸売センター「ウォッせ21」の横には、
「銚子ポートタワー」が建っていました。(登りませんでしたが)


立ち寄り温泉「太陽の里 日帰りスパ:一望の湯」へ行きました。
場所は、銚子電鉄の「犬吠-外川」間の線路際にあって、
犬吠埼灯台からも直ぐ近くでした。


内湯(左)や露天風呂も多くの種類があって、チョット豪華でした。
檜風呂(右)の外にも、岩風呂・ジャグジー風呂などが有りました。

帰り道にも、銚子電鉄を追い掛けて「君ヶ浜駅」付近で撮影しました。

2000系(2002)の向こうに、犬吠埼灯台を望みます。

1000系(1002)の向こうに、犬吠埼灯台を望みます。
この景色を最後に、帰宅しました。


追伸:8/6(月) 「阿佐谷七夕まつり」が始まりました。

とおるくんの通園同行の後に、阿佐ヶ谷駅前の「阿佐谷パールセンター」を訪ねました。

2012.07.29(日)
気温36℃!猛暑の中でしたが、「筑波山ケーブルカー」と
「真岡鉄道のSL」を追い掛けて茨城県と栃木県を一周してきました。


とおると金曜朝の通園途中に、「週末に何処か行きたい所があるか?」と話をしました。
その日の夜、とおるが「SLが写った本」を持ってきて、何回も指で差しました。
今回のお出掛け!は、何としても、週末に「SLを見せてあげること」でした。

そこで、まず、常磐自動車道を走って、筑波山中腹の駐車場へ8:30に到着しました。


筑波山神社へ、まずお参りをしました。
訪問の目的は、「筑波山ケーブルカーを見に行く事?」でした。


更に石段を登ると、筑波山ケーブルカーの「宮脇駅」です。

宮脇駅付近には、「あじさいの花」が未だ咲いていました。

お宝(23):ケーブルカー車両:茨城県
(筑波観光鉄道筑波山ケーブルカー線)

「関東の駅お宝発見」の訪問累計も21ヶ所、残り2ヶ所となりました。

ケーブルカーは、「わかば号(緑)」「もみじ号(赤)」の2両が
20分間隔で往復していました。


筑波山神社とケーブルカーの間の登山道をハイキングしました。

筑波山からは、関東平野が一望できました。
(晴れた日には、スカイツリーも見えるとか・・)


筑波山神社まで戻りました。

神社正面の階段を降りて、駐車場へ戻りました。
次の目的地の真岡付近まで約35kmを移動(茨城県→栃木県)しました。


今日最初のSL見物は、真岡駅手前の水田の中に到着して10数分後(11:00頃)に、
C11325(SL)が牽引する「SLもおか号」がやって来ました。


次は、真岡駅で8分間停車(11:04着、11:12発)している間に先回りして、
次の停車駅「西田井駅」でSLの到着を待ちました。


11:20頃、「SLもおか号」が入線してきました。
まもなく、上りの「普通」ディーゼルカーが到着しました。


「西田井駅」で、時刻通りの列車交換を行って、
11:25「SLもおか号」、定刻発車です。


汽笛一声!ドラフト音を響かせて発車しました。
透は、到着から出発までを、見ることができました。


どんどん迫ってくる、「C11325」の勇姿です!

透は最後まで手を挙げて、列車を見送りました。
朝6:30に自宅を出発して、茨城・栃木を廻って15:00には自宅へ戻りました。


2012.07.23(月)、24(火)
「高円寺・阿佐ヶ谷・西荻窪」駅開業90周年キャンペーンの、
3駅を「透くんの通園同行の帰り道」に巡りました。


中央線は、1889年(明治22年)4月甲武鉄道として、新宿-立川間(22km)が開通。
開業時に中野駅が、1891年(明治24年)に荻窪駅が、1899年(明治32年)に吉祥寺駅が開業。
1922年(大正11年)7月に「高円寺・阿佐ヶ谷・西荻窪駅」が開業して、90周年を迎えました。


3駅の改札口の外に専用の発券機が設置されていて、Suicaをタッチすると
ルーレットが廻って、当たれば地元の割引券が貰えます。(7/9〜8/12)


高円寺:真夏(今年は8/25(土)/26(日))には恒例の阿波踊りが開かれます。

阿佐ヶ谷:8月初(8/3(金)〜/7(火))、七夕まつりが盛大に行われます。

西荻窪:地味な駅ではありますが、急成長中の商店街です。

高円寺駅の新宿寄り中央緩行線ホームから見る
中央快速線列車の「絶好の撮影ポイント」です。(E233系、E351系)


歴史!:過去の甲武鉄道時代から、E351系、E233系、209系500番台まで(左端はポスターを撮影)

高円寺駅周辺、純情商店街周辺には、今も路地裏飲み屋街が残っていました。

2012.07.21(土)
千葉都市モノレール「新型車両アーバンフライヤー」が
平成24年(2012)7月に運行を開始した直後を訪問しました。


お宝(21):新型車両アーバンフライヤー:千葉県
(千葉都市モノレール1・2号線)
平成24年(2012)の4月から試験運転を続けてきた、千葉都市モノレールの
「アーバンフライヤー」が、7月から正式運用を開始しました。
「関東の駅お宝発見」の訪問累計も20ヶ所、残り3ヶ所となりました。


先頭部を斜めにカットしたウェッジラインと鮮やかなブルーのボディが特徴で、
「千葉市のイメージ?を高める」効果も狙ったデザインと言われています。


栄橋の上空を大きく越える高架橋(セントラルアーチ)は、
千葉都市モノレールの象徴的な場所です。


場所を移動して、とおるが待つ事20分、アーバンフライヤーがやってきました。

千葉みなと駅と県庁前駅を結ぶ1号線(写真)の他、
7/21(今日)から2号線(千城台駅行き)でも運用を開始しました。


今までの主役(今も主役)、アルミ合金製の1000形も元気(健在!)でした。
ちなみに、アーバンフライヤーは0形だそうです。


千葉駅(JRと併設)へ真っ直ぐ続く大通りの栄橋付近で、
1時間ほどアーバンフライヤーを待って、眺めました。


千葉から東京へ戻る途中の立ち寄り温泉(通算194回目)として、
JR武蔵野線船橋法典駅近くの、楽天地天然温泉「法典の湯」へ行きました。


内湯の「白湯」は天然鉱石を液化させた白濁の湯でした。
温泉施設のすぐ横を、JR武蔵野線が走っていました。


湯船の数も豊富で、温泉は地下1,500mから汲み上げた
化石海水だそうで塩辛い味でした。
【上記施設の画像は、「法典の湯」HPより引用しました】

2012.07.15(日)、16(祝)
我が家の三連休は、復活!臨時特急「そよかぜ」号、
あじさい満開!&わたらせ渓谷鉄道「トロッコ」列車2本、
勇壮な汽笛に感激!真岡鉄道「SLもおか」号の鑑賞!?でした。


高速道路を駆使して、二日間で北関東を約530km掛け巡りました。

7/15(日):@復活!臨時特急「そよかぜ」号
朝8:00に信越本線横川駅手前に到着しました。
正面には独特の山並みを見せる妙義山が見えました。


「中山道の旧道」となる線路際の道に、カメラの砲列が並びました。

今の信越本線の主役である107系普通電車を見ながら、約1時間待ちました。

定刻9:20頃に往年の初代「157系特急電車」に似せた「185系特急電車」の塗装変更車両が、
往年の特製ヘッドマークを掲示して臨時特急「そよかぜ」号としてやってきました。
今日は上野発・横川行でしたが、往年は東京発・中軽井沢行の特別ダイヤでした。

 
左端が往年(44年前:1968.07撮影)の157系季節特急「そよかぜ」号の姿です。
157系の車両は、御召列車、特急「ひびき、あまぎ等」に使用されました。
(現在、157系はクロ157-1貴賓車以外、全車廃車されました)

Aあじさい満開!&わたらせ渓谷鉄道「トロッコ」列車
横川駅付近から高速道路を使って、わたらせ渓谷鐵道「沢入(ソウリ)駅」まで移動しました。
「沢入駅」は、”あじさい祭り”で賑わっていました。


到着してまもなく、上りと下りの普通列車が「汐入駅」で列車交換しました。

満開のあじさいと、奇岩が続く渡良瀬川が駅周辺の絶景でした。

駅のホームもあじさいが満開でした。

あじさいを見て、地元の方々がやっている屋台で”やきそば”や”かき氷”を食べながら、
下りの「トロッコわたらせ渓谷」号がやってくるのを待ちました。


草木ダム建設に伴って建設された長大トンネル「草木トンネル」を通り抜けて、
DL牽引(元国鉄製のDE10)のトロッコ列車が入線してきました。


お宝R:トロッコわたらせ渓谷号:群馬県
(わたらせ渓谷鐵道大間々駅〜足尾駅間)

あじさいが満開な沢入駅のホームへ、下り「トロッコわたらせ渓谷」号が到着しました。
「関東の駅お宝発見」の訪問も、累計が19ヶ所で残り4ヶ所となりました。


ホームに到着して、まもなく上り「トロッコわっしー」号がやってきました。

汽笛一声と共に、下り「トロッコわたらせ渓谷」号が出発しました。
中間の客車2両(中央)が、窓ガラスのないトロッコ車両です。
上り「トロッコわっしー」号は、2両編成の新製ディーゼルカーで今年の4月から運転を開始しました。
足尾寄りの1両が窓ガラスのないトロッコ仕様!なのが特徴です。


あじさいの咲く「沢入駅」を、上り「トロッコわっしー」号が出発していきました。

あじさい祭りの沢入駅から、「富弘美術館」へ向かいました。
透の希望で「美術館」の中にも入館しました。


「富弘美術館」裏の庭園から、ラベンダー・草木湖が奇麗に見えました。
対岸には、今日宿泊する国民宿舎「サンレイク草木」(左端)が見えました。


車でダムをグルッと廻って対岸!の展望台へ行きました。

草木ダムの橋上も、渡りました。

草木湖は「ダム湖百選」に選ばれているそうです。

今日最後の訪問駅は、「神戸」と書いて「ごうど」と読む、
わたらせ渓谷鐵道「神戸(ゴウド)駅」でした。


到着して早々、普通列車の列車交換を見物しました。
(右端の傘をさした女性は、カメラ持参の”鉄女”でした)


普通列車が走り去ったあと、
下り「トロッコわっしー」号がやって(早くも桐生駅から戻って)きました。


そして、上り「トロッコわたらせ渓谷」号も、足尾駅から戻ってきました。

上り「わたらせ渓谷」号と、下り「わっしー」号の今日2度目の
「トロッコ」列車同士の列車交換は、「神戸(ゴウド)駅」と言う訳でした。


「トロッコわっしー」号が先に出発していきました。

ディーゼル機関車(DE10)の横で記念写真?を撮りました。

透は手を振りながら、機関士さんや乗客のみなさんに挨拶をしていました。
もちろん、機関士さん、乗客のみなさんからも手を振ってもらいました。


B宿泊先の温泉宿は、国民宿舎「サンレイク草木」です。

さっそく、源泉掛け流しの湯量豊富な「内湯と露天風呂(竜乃湯)」へ入りました。

夕食は牛ステーキなどを見晴らしの良いレストランで食べました。
夕食後、暗くなった宿周辺を散策しました。


汗を流すために、今日二度目の温泉へ入りました。

昼間とは違った雰囲気の露天風呂を楽しみました。

7/16(祝):C翌朝、「草木湖遊歩道」を散策しました。

宿から遊歩道「地蔵の径」を歩いて湖畔へ向かいました。

途中の沢には、「やすらぎ地蔵」が立っていました。

「ほたるの里」からあじさい越しに草木湖が見えました。
(ホタルは朝なので見えませんでしたが・・・)


「やすらぎ広場」から、草木湖を眺めました。

朝の散策の汗を「朝風呂」で流しました。
昨日とは違う露天風呂(亀乃湯)でした。


朝風呂は人も少なくのんびりと入れました。

D栃木県真岡鉄道の「SLもおか」号追跡!
群馬県の草木湖から国道122号線、高速道路を乗り継いで、
下館駅付近の撮影地へ到着しました。


汽笛、ドラフト音を響かせて「SLもおか」がやってきました。

とうとう”ご対面〜!”できたSLに、透は大喜びでした。

SLを真岡駅での数分停車の間に追い越して、
北真岡駅先(茂木寄り)の田んぼのあぜ道で再びキャッチしました。
「透、またも感激!」(ヤッタァー!)
三連休の帰京渋滞が起きる前に出発して、2時間で自宅へ戻りました。


2012.07.06(金)、08(日)
「大田黒公園」には”梅雨の季節の花”が咲いていました。
そして、「いせや(井の頭公園店)」が建て直しの為の1年間の
閉店日も、6月末が1週間延びて今週末の7/8(日)となりました。


7/6(金):新緑の?というか、梅雨の荻窪「大田黒公園」を通園の帰り道に
立ち寄りました。園内は”喫煙中のおじいさん一人”でした。


静かな園内には、新潟から寄贈された錦鯉と、野鳥?が居ました。

別庭園(裏庭)には「ガクアジサイ」が満開でした。

見事なガクアジサイも、植え替えをして、今年見事に咲いたそうです。
(園内を清掃していた職員の方から話を聞きました)

前庭(本庭園)の芝の上に、ヒョロっと咲くのは「ねじばな(野草)」です。
七夕を明日に控えて、木葉の裏(短冊!)に願い事が書かれていました。


玄関付近には「センリョウ(千両)」の花が満開でした。

午後の昼過ぎに、建て直し直前の「いせや(公園店)」へ行きました。
”平日の午後”なので、学生を中心にそこそこの賑わいでした。


ボロっちい(申し訳ない!)「公園店」も、あと3日で見納めです。
(当初6月末閉店の報道もありましたが、実際は7/8(日)が最終日になりました)

7/8(日):土曜日は雨でしたが、晴れ間の戻った日曜日(7/8)に、
透と恒例の神田川・井の頭公園散歩へ出掛けました。
(今日は、神田川の旧河川跡の遊歩道も歩きました)


井の頭公園の外園でひと休みして、「夕やけ橋」を渡って
井の頭線のガードを潜りました。


今日が最終日の焼き鳥屋いせや(公園店)の前の階段は、
開店を待つお客さん達で長蛇の列でした。
(通過時刻は11:45、開店は12:00でした)

お店の真ん前で、堂々!?と15年以上の常連客として記念写真を撮りました。
(アマチュア、プロ、TV局のカメラマンが色々いる中で・・・)


最終日に収めた、50年間営業していた「いせや公園店」前の風景です。
1年後に、お店も、俺たちも、また戻ってこれる事を楽しみにしています。


2012.07.02(月)、03(火)
入社して40年目を過ぎた今年も「会社の同期」が集まりました。
昭和47年(19
72年)入社なので、毎年1回72日が集合日です。
そして、この日、退任から丸2年間で累積850万歩を達成しました。

7/2(月):1年振りに、同期入社の27名が集まりました。未だ現役も、既に無職が居ます。
偶然ですが、帰宅した時点で、退任からのウォーキング歩数が「850万歩」を超えていました。


毎年20〜30名が集まる同期会となりました。(左から、2009年・2010年、2011年の集合写真)
幹事さんたち、ありがとうございました。



話題の中心は、もはや「健康について」が”ほとんど”となりました。
昔は、もっと、元気溢れる?情報交換をしていた筈なのですが・・・


7/3(火):透くんの通園同行の後、吉祥寺の焼き鳥屋「いせや(公園口店)」を訪ねました。
6月末建て直しの為の閉店が、7/8(日)まで延びたようです。
(10:00頃なので、開店前です)

井の頭公園から神田川へ流れ出る水門や、神田川を越える井の頭線のガード下、
”あじさい”がまだ咲いている三鷹台駅付近を、今日は「17,800歩」歩いて帰りました。

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