2011年(10月〜12月)
我が家のアルバムは「とおるとお話」
ふじい家の全員が「とおるとお話」をするのが、我が家のアルバムです。
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〜2011.12.31(土)
2011年”ことしの年末”も、「のんびり、ワクワク」を実践・実証します。
ギリギリまで、通園同行、ウォーキング、忘年会にワクワク!?です。
1月1日元旦には、ホームページ上に「年賀状」を、準備中です。
2011.12.30(金)
お台場「潮風公園駐車場」に車を留めて、歩き始めました。
休館中の「船の科学館」には、あの元南極観測船「宗谷」が居ました。
元青函連絡船「羊蹄丸」の先に、
踊る大捜査線で有名!?になった「東京湾岸署」が有りました。
今日の目的地、立ち寄り温泉「大江戸温泉物語」は、驚きの混雑でした。
今年最後の「我が家の温泉の旅」となりました。
温泉に入る前に、透は「いちごフラッペ(=かき氷)」を食べました。
(外は、北風が吹いて寒かったのですが・・)
温泉は撮影禁止で、HPから引用しました。(人も一杯居て撮影できませんでした)
左端の温泉だけが源泉?らしく、他はカルキの香り?(臭い!)がしました。
昼食は、透の指差し!で「塩ラーメン」を食べました。
その後、館内を見て廻って、足湯にも入りました。
更にもう一回、お風呂に入って、最後の締めは「いちごかき氷(2度目?)」でした。
「大江戸温泉物語」は2回目でしたが、4時間弱の「ゆっくり・のびのび」でした。
2011.12.29(木)
休みに入った透と、神田川・玉川上水経由で「井の頭公園」まで散歩しました。
三鷹台駅付近の神田川では「スレ違い走り」、いせやさんでは「モツ煮込」で今年を納めました。
2011.12.21(水)〜28(水)
12/21(水):忘年会シーズン突入!いつもの新宿地下街B1Fの居酒屋さんで。
12/22(木):忘年会(芝浦)からの帰りは、渋谷24:00過ぎの臨時増発電車も満員です。
12/26(月):初めて東急池上線に乗って、同期の会社を訪問しました。
12/26(月):池上線の雪が谷電車区は、「東急の電車展示会場?」状態でした。
電光表示が「2011」の東京タワーを久しぶりに見ました。(某ビル25Fより)
12/26(月):北品川(旧東海道)の居酒屋さんから品川駅まで寒〜いウォーキング
渋谷駅ハチ公前交差点は未だ賑やかでした。
12/27(火):透の通園同行の帰り道に、門松が立っている大田黒公園へ
12/27(火):建設中の「阿佐谷生活園」のビル建て直しも、年を越します。(来年春竣工予定)
その夜は、同期会幹事団が集まって、新橋の居酒屋さんと、カウンターバーで忘年会。
12/28(水):今日で「生活園」も年末年始休暇へ突入。透は今年も頑張りました!
2011.12.18(日)
今日は当地区が当番で、「自治会の資源回収のお手伝い」に午前中出掛けました。
ご近所の知り合いや、近隣の人達と汗を流しました。
2011.12.17(土)
磐越西線で、今年最後の「SL X'masトレイン」が走りました。
会津若松駅到着(13:44)、出発(15:26)(NTT福島:会津若松駅インターネットライブカメラで見ました)
透のお兄ちゃん二人(長男/次男)が日帰り!(3:00〜23:00)で撮影に行きました。
往路:会津若松行き「SL X’masトレイン」を3ヶ所でキャッチ!(二人と4WDは頑張ったよね)
復路:新潟県「日出谷駅」で花火と汽笛が!(厳寒の中、長男/次男撮影。二人とも立派!)
2011.12.13(火)
寒い日でも透は元気に通園!しています。
ユニクロの軽いダウン、手袋、耳あてと、冬支度は着々です。
この日のお父さんの帰り道は、「すぎ丸くん」のバスで、
「JR中央線阿佐ヶ谷駅→井の頭線浜田山駅」へ移動して、神田川沿いに帰りました。
途中で越える「井の頭線高井戸駅」下の環状8号線は師走の渋滞でした。
2011.12.12(月)
居た!居た!、これが本当に最後の1両となる「3778号車(渋谷方先頭車)」
12/16(金)早朝に搬出される為に、富士見ヶ丘駅車庫で待って(留置!)いました。
夕方の神田川沿い、紅葉が一層夕日に映えてきました。
井の頭公園
井の頭公園
玉川上水沿いの遊歩道は、今やジョギング・ウォーキングコースでした。
その横にある、未だ入館した事の無い「ジブリの森」が見えました。
あの「天空の城ラピタ」のロボットが・・・!居ます。
2011.12.10(土)
”京王線に沿って歩こう”と2回目のウォーキングへ出掛けました。
今日は「桜上水駅」から「調布駅」まで、10.6kmを歩きました。
今回も甲州街道に沿って、西へ向かって歩きました。
10/29(土)の「新宿-桜上水」間の続きで、
今日は「桜上水駅」から出発しました。
桜上水車庫も手狭になって、最大8両編成しか留置されていませんでした。
すぐ先に「上北沢駅」が見えてきました。
「上北沢駅」は、道路と同じ高さに有りました。
(路面電車時代の名残りが、プンプンします)
駅を出ると急勾配ですぐに高架線となって、「八幡山駅」へ着きました。
高架線で「環状八号線」を越えると、「芦花公園駅」へ着きます。
「環八」迂回路となっている踏切を越えました。
(いつも使っている、迂回道路です)
今は地平ホームとなっている芦花公園駅も立体交差工事中です。
「千歳烏山駅」へ着きました。
駅前は賑やかな商店街で、透はお菓子を買い込みました。
線路沿いに歩いていくと、「正面に真っ白な富士山」が現れました。
下っていくと、「仙川」を越えました。
ここで買ってきたお菓子を食べながら、
切通しにある「仙川駅」に着きました。
「仙川駅」の駅前は、狭い路地の商店街と、
きれいに整備された商店街の両方がありました。
切通しを走る京王線の横に、まさに旧甲州街道の様な旧道がまっすぐと延びていて、
横へ入るとすぐに駅へ着きました。
「つつじヶ丘駅」へ到着しました。
この駅では、特急や急行の通過待ちをします。
「つつじケ丘駅」には、複々線用敷地を使った折り返し線が異様な形で残っていました。
路地を抜けると、「柴崎駅」へ到着しました。大変、質素な小さな駅でした。
「芝崎駅」前の路地を抜けて、
大きな?川を越えました。野川です。
再開発している真っ最中の「国領駅」へ着きました。
線路は急カーブで曲がっていて、その途中に「布田駅」が有ります。
急カーブは、さらに続いていて、次々と列車が通り過ぎます。
現在、大工事中(地下ホーム化です)の「調布駅」へ近づきました。
調布駅前のケーキ屋さんで、ケーキを買いました。
今日は「桜上水から調布まで」の10.6Kmとしました。新宿から累計18.5Kmとなりました。
買ってきたケーキ!?それが「お父さんの誕生日祝い」のケーキです。
その夜に、家族が近所のファミレスで「誕生日会」をしてくれました。
2011.12.09(金)
今年最後の撮って出し!
京王・井の頭線3000系、いよいよ最後の搬出開始!です。
東京を後に、改造を加えて、松山へと旅立ちます。
東京は、朝から”みぞれの降る”今冬最低気温3℃でした。
昨夜(実際は終電車が終了した後)、富士見ケ丘車庫からモーターカーで永福町駅構内へ
牽引回送されてきたのは、第28編成のうち「3728+3028」の2両でした。
永福町駅構内は、元々井の頭線の電車の車庫でしたが、今はバスの車庫で、
車両搬出の為のクレーン車や大型トレーラー2台が待ち構えていました。
1編成5両は3回(12/9,12/13,12/15)に分けて搬出されます。トレーラーに積載された車両は、
今日の深夜に甲州街道を走って車両の改造工事をする橋本(京王重機)まで送られます。
改造終了後、船で愛媛県松山の「伊予鉄道」に送られて、再び勇姿を見せてくれる予定です。
行き先表示幕の「急行 吉祥寺」は贈る言葉!でしょうか。
約50年間(正確には49年間)、井の頭線の主役だった3000系が全廃します。
奇しくも、今日12/9は、私(透のお父さん)の62歳の誕生日でもありました。
とっても寒いみぞれが降る中、透の通園同行(今日は雨で車)の後、
女房が永福町駅まで付き合って(お父さん同行?)くれました。
チョット感傷的に1枚でも写真をと、駅構内、駅周辺を歩き回りました。
この車両は、海を渡って愛媛県松山市の「伊予鉄道」で活躍する予定です。
新たな生活を始めるのも、我が身と同じで愛着を感じます。
しぶとく、私も「のんびり、ワクワク」とやって行きたいと思います。
2011.12.04(日)
今年もあと1ヶ月!荻窪の「大田黒公園の紅葉」は見事です。
日暮れを待って、”紅葉ライトアップ”が始まりました。
荻窪駅から徒歩10分、住宅街の中に木々に囲まれた旧大田黒邸跡を整備した
杉並区立「大田黒公園」が有ります。
大田黒公園での定点撮影ポイントです。
16:52ライトアップ点灯、そして!今日が最終日です。
薄暮で蒼さが残る晴天の冬空の下、紅葉ライトアップが始まりました。
ここ数日の寒さで都内とは思えない圧巻!でした。
回遊式日本庭園側から、休憩室と茶室を望みます。
こんなに「もみじの木」が有ったのか?と思うほど、
ライトアップされるとその鮮やかさ引き立ちます。
紅葉とは、「落葉広葉樹は落葉の前に赤く色づく事」で、その主な木として、
「カエデ科の木の一部がもみじ」とも呼ばれます。ウルシ科、ツツジ科も紅葉する木の仲間です。
夕闇迫る大田黒公園を後にして、
通いなれた「通園ルート」を自宅まで歩いて戻りました。
翌日(12/5):今日も快晴の「大田黒公園」
「大田黒公園」の入口は、イチョウ並木です。
公園へ入ると、景色は一変します。
師走の朝日に輝く「紅葉」!です。
「大田黒公園」の定点撮影ポイント
12月初の強い寒波で、イチョウの葉も黄金色(黄葉)に!
大田黒公園の「紅葉ライトアップ」が終了しても、
公園の紅葉鑑賞はしばらく続きそうです。
2011.11.26(土)、27(日)
伊豆へ行ってきました。3回目の「伊豆急全線ウォーク」は、
長丁場の3区間約31kmを、一泊二日掛けて3人で歩きました。
(伊東行きルート:伊豆急下田→蓮台寺→稲梓→河津→今井浜海岸→伊豆稲取→片瀬白田→
伊豆熱川→伊豆北川→伊豆大川→伊豆高原→城ヶ崎海岸→富戸→川奈→南伊東→伊東/Goal!)
(下田行きルート:伊東→南伊豆→川奈→富戸→城ヶ崎海岸→伊豆高原→伊豆大川→伊豆北川→
伊豆熱川→伊豆白田→伊豆稲取→今井浜海岸→河津→稲梓→蓮台寺→伊豆急下田/Goal!)
【赤:今回歩いた道、青:未だ歩いていない道、茶:既に歩いた道】
11/26(土):自動車を置いた今井浜海岸駅から、電車で伊豆稲取駅へ移動して、
いざ、片瀬白田駅へ向けて海岸沿いに出発しました。
海岸沿いの道から、「急坂」が急に始まりました。
海が遥か下に見えるようになりました。
海抜0mから急坂を登って、「伊豆急ウォーキングの最高地点(海抜290m)」へ到着しました。
ここで昼食を取って、「新白田トンネル」を潜ります。
トンネルを潜ると、後は下り坂が続きます。
相模灘はきれいに見えました。
ミカン畑の中をドンドン下って、駅に向かいました。
「片瀬白田駅」へ到着しました。
7.8kmの山越えを、2時間30分掛けて越えました。
「片瀬白田駅」は、元旦に初日の出がきれいに見える名所です。
電車で、今朝出発した「伊豆稲取駅」へ戻りました。
再び「伊豆稲取駅」を、今度は「今井浜海岸駅」へ向けて出発しました。
駅前を出発すると、また、急坂が始まりました。
急坂を一気に登ると、アップダウンが続く、舗装された広い道が続きます。
道の両側には、柿やみかん、ススキ、アロエの花が目を楽しませてくれました。
ほとんど自動車の走ってこない広い道路を歩きました。
途中から下り坂となって、景色を見ながら気持ちよく!元気に歩けました。
天気も晴れてきて、海が光って見えました。
今井浜海岸の海沿いの道を駅へ向かいました。
今日の出発駅、そして今日の終着駅、「今井浜海岸駅」へ着きました。
9.8km、2時間35分のウォーキングでした。
駅から、自動車を止めてある海沿いの駐車場まで歩きました。
夕日に相模湾がきれいに見えました。(正面は伊豆大島です)
車で移動すること1時間弱
「弓ヶ浜海岸」は、弓形に湾曲した白砂・青松の海岸が2kmも続く「日本の渚百選」の一つです。
夕闇迫る、今晩の宿泊地「弓ヶ浜海岸(弓ヶ浜クラブ)」へ到着しました。
早速、源泉かけ流しの温泉に入って疲れを取りました。
宿泊者が少なくて、お風呂は「透とおとうさん」の”二人占め!?状態”でした。
夕食は、特別料理「伊勢海老の活造り」で乾杯しました。
透が、伊勢海老をほとんど一人で食べました。(満足!?)
11/27(日):朝から晴天でした。宿泊した「弓ヶ浜クラブ」は、
我が家の伊豆へ行った時の定番の(特に杉並区民には優しい)ホテルです。
今日は「稲梓駅」から「河津駅」まで、「伊豆全線ウォーク」の最長区間(13.6Km)を歩きます。
駅に着くと、伊豆急開通50周年記念のカラーリングをした「リゾート21」がやってきました。
「伊豆急」の伝統色ハワイアンブルー(初代100系塗装)を再現した、
「リゾート21(3次車)」をリニューアルした「リゾート ドルフィン号」です。
「リゾート ドルフィン号」を見送って、「稲梓駅」を出発しました。
出発直後、稲梓駅の象徴でもある鉄橋の上を、
JR特急「スーパービュー踊り子号」が通過しました。
国道414号線に沿って、歩きました。
下田達磨大師は、こんな所に在りました。
国道は川に沿って、段々と山の中へ入っていきました。
途中から、国道と別れて「下田街道」の旧道跡へ入りました。
更に、旧下田街道とも別れて、川沿いに山越えに挑みました。
川沿いに山あいに分け行っていくと、川幅もドンドン狭くなってきました。
(左端)赤トンボもいました。
透は元気にどんどん歩いていきました。
最後の坂道もかけ上がりました。
再び、国道414号線に出て、トンネルを潜ると、あとは全て下り坂でした。
峠の分かれ道で、「伊豆急下田駅」で買ってきたお弁当を食べました。
後は、ひたすら急坂を下ります。(駈け降りる透くん!速い!)
河津の外れにある、「峰温泉大噴湯」を見て一休みしました。
さらに、途中「河津桜原木」(個人宅の庭先)を見物しました。
とうとう、「河津駅」へ到着しました。
13.6km、3時間40分の長距離山越えウォーキングでした。
ホームに上がると、東京行きの「スーパービュー踊り子号」が入線してきました。
我が家は、伊豆急下田行きの各駅停車を待って「稲梓駅」へ戻りました。
朝、出発した「稲梓駅」へ帰ってきました。
ほぼ5時間振りの帰還でした。
一泊二日で長丁場の3区間、「伊豆稲取→片瀬白田(7.8km)」「伊豆稲取→今井浜海岸(9.8km)」
「稲梓→河津(13.6km)」、計31.2kmを3人でウォーキング(約61,000歩)しました。よく頑張りました!
3回のウォーキング(9/18、10/15)で歩いた総距離も90.5km(56.2%)に達しました。
(帰路は天城峠を越えて東名高速経由で、45km渋滞にも合って6時間掛けて帰りました)
2011.11.20(日)
「ありがとう3000系フェスタ」を見ながら、
神田川/井の頭公園散歩をしました。
今日(11/20)が、3000系一連の引退イベント「最後の日」となりました。
車両の展示(もう走ることはありません)は、神田川遊歩道から眺めました。
イベント会場の売店で、「3000系写真集」(左)と、
「3000系ストラップ(7色)」(右)を購入しました。
いつもは静かな車庫と遊歩道が、賑わっていました。
今はすべて1000系が走る、神田川沿いに三鷹台付近を散歩!
井の頭公園へ近づきました。
紅葉が始まっている井の頭公園から、いつもの「いせや」さんへ。
透は、前日土曜日は、雨のうえ、お父さんも不在で、
一日自宅でジット我慢していたので、今日はリフレッシュしたと思います。
2011.11.19(土)
「中大理工電気」同窓会/同期会が開かれました。
遠くは長崎、和歌山、三重、静岡、宮城から
雨の中でしたが、還暦を過ぎた同級生が30名も集まりました。
今年の「中大電気同窓会」は、
「東京都文京区」の母校”後楽園キャンパス”で開かれました。(12:00)
(左)あの?事件のあった1号館、(中央)取り壊しが始まった2号館、
(右)1,2号館の間にある14階建ての3号館、この他も「いっぱい!」ビルが建っていました。
3号館10階で懇親会(13:00)。眼下には「東京ドーム、小石川後楽園」が見えます。
同窓会には「47卒同期」が6名参加。
年長者が元気な「同窓会」、我々以降の参加者が少ないことが頭痛の種とか。
最後は、恒例の「校歌斉唱」「惜別の歌」を肩を組んで歌いました。(15:00)
いよいよ、本日のメインイベント! 「中大電気47遊会」の同期会が、
17:00から東京駅八重洲の「素材屋 八重洲店」で、開かれました。
参加者30名で、「47遊会」同期会史上最高の参加人数となりました。
127名に案内をして、80名(63.0%)から返事が有って、内30名(37.5%)が参加しました。
勢揃いの「同期会記念写真」です、が、あれ?27名しか写っていませんネ。
人それぞれ、人生色々、ではありますが、同じ教室で机を並べた学友たちは、
久しぶりでもちょっと時間が経てば和気あいあい、大騒ぎでした。
三本締めで、再会を誓い合って閉会(20:00)となりました。
次回は、半年後?1年後?2年後?、場所は居酒屋?温泉? さあ、どうしましょう??です。
2011.11.18(金)
「阿佐谷生活園」で透がズゥ〜トお世話になってきた「お姉さん」の、
送別会へ「透のおやじ」として出席しました。
透が「阿佐谷生活園」にお世話になってから、3年間以上ズゥ〜トお世話になりました。
透の事!覚えていてください! そして、新しい環境でも頑張って下さい!
日々、生活園で障害者の面倒を見てくれている「若いスタッフの面々」の熱気が伝わってきました。
頑張れ!「若いスタッフさん」、 当然、頑張れ!「透くん」
2011.11.15(火)
ウォーキング総歩数「600万歩」を達成しました。
2010.06末以来、歩き続けた総歩数が6,002,090歩、
換算距離で3,650km(参考:稚内-那覇直線距離2,500km)となりました。
600万歩の達成地は「透くんの徒歩通園同行」途中の善福寺緑地公園の遊歩道!です。
杉並区内を多分?1,000km以上を歩いたと思います。
「秋の善福寺川緑地公園遊歩道」
善福寺川の「センター広場」付近も一面紅葉です。
1本の桜の木だけ、「桜の花」が咲いていました。(午後の帰園は夕暮れです)
「秋の花」もいっぱい・・・(朝顔はこの時期??)
道すがらに眺める垣根の花々が、足を止めます。
善福寺川流域の高台にある豪邸は!?
(「杉並区保護樹木」と「荻窪の生垣」)
「ふじい家のウォーキング」を続ける為の3ヶ条
@「目的を決めて」歩きました。
「透くんと一緒に家族と歩く」を、目的にしました。
A「無理をしない」で歩きました。
雨が降ったり、猛暑の時は、キッチリ止めるか、自動車を使いました。
B「万歩計を付けて」歩きました。
歩いた記録が残る分だけ、楽しみも残りました。
2011.11.13(日)
今日が「京王・井の頭線3000系のラストランの日」です。
車内放送で「本日を持ちまして、この電車は引退します。
長い間ご乗車ありがとうございました」のアナウンスが流れました。
気持ちが高ぶりました。
富士見ヶ丘駅へ11:00過ぎに着いた時に、
なんと!3000系を使用した「急行渋谷行き」が通過していきました。
早速追い掛けることにして、下北沢駅先の井の頭線沿線で最高の高さを誇る土手の上を走る、
折り返し「各停吉祥寺行き」をキャッチしました。
下北沢駅から歩いて、池上駅前を通り抜けて「駒場東大前駅」手前の、
「駒場野公園(元駒場農学校)」前で、戻ってくる「急行渋谷行き」を待ちました。
力走する「3000系急行渋谷行き」をキャッチしました。
元駒場農学校は、ドイツ人ケルネル氏が農芸化学の教師として着任し、土壌や肥料の研究を行って大きな成果を
あげました。園内にある水田はこの実験を行った場所で、農学発祥の地「ケルネル田んぼ」と呼ばれています。
(目黒区駒場野公園HPより) そこから撮影した3000系の走る姿が門前に掲示されていました。(右側写真)
東京大学駒場キャンパスでは学園祭(駒場祭)が開かれていました。
(何と、すれ違う99%の人が「韓国語!」をしゃべっていました。どういう事!?)
渋谷駅から戻ってくる「各停吉祥寺行き」を、
神泉寄りの「駒場東大前駅」付近でキャッチしました。
渋谷駅へ移動!吉祥寺からの「急行渋谷行き」の到着を渋谷駅でキャッチしました。
(左端は、今日で最後の使用となる、緑の3扉車用「乗車位置表示」)
早々に3000系の前を走る1000系急行で、永福町駅へ先回りして、
3000系「各停吉祥寺行き」の急行退避をキャッチしました。
永福町駅では、急行退避の待ち合わせの間、多くのオタク!(仲間?)と一緒になりました。
3000系に高井戸駅まで、最後の乗車をしました。
「ありがとう3000系」一色に装飾された中吊り広告の車内でした。
(この車掌さんが、「今日で引退、ご乗車ありがとう」の車内放送をしてくれました)
高井戸駅で「各停吉祥寺行き」を見送って、
戻ってきた「急行渋谷行き」が、”力走する3000系”を眺める”最期の姿”となりました。
5つの駅に設置された「記念スタンプ」も揃いました。
右側は、「さよなら運転」をした3000系第28編成の車内だけ限定の中吊り広告です。
2011.11.12(土)
”中央線に沿って歩こう”第2弾です。「吉祥寺駅」から「西国分寺駅」まで、
12.4km(中央沿線累計25.6km)をウォーキングしました。
今日は、中央線の直線区間の「真ん中部分(12.4km)」を歩きました。
「吉祥寺駅南口」側のバス通りを出発。
井の頭通りと中央線の高架線下を通過しました。
線路に沿って井の頭恩赦公園裏を、三鷹駅へ向いました。
玉川上水を越えて「三鷹駅」へ到着。
広大な旧三鷹電車区(三鷹車両センター)横を歩きました。
三島由紀夫が駅構内の跨線橋から降りる写真が掲示されていました。
最近完成したばかりの高架線が現れました。
高架線下には、新たに南北に通り抜ける「都道」が建設中でした。
昔の「玉川上水境浄水場」への引込線跡を歩いて、
「武蔵境駅」へ到着しました。
武蔵境駅は、JR中央線と西武多摩川線の接続駅です。
西武線も駅部分を高架化工事をした為、大工事となっていました。
「東小金井駅」へ到着。
高架化された為に、南北の出口が地上で繋がっていました。
武蔵小金井駅へ向かう途中の「小さな街のラーメン屋さん」で昼食。
高架化工事は、既に「複々線化」に向けた工事となっていました。
武蔵小金井駅は、「高架線化完成と併せて、車庫との入出庫線/通過線の整備、
そして複々線化への工事へ、その真っ最中」でした。
旧「武蔵小金井電車区」はチョット?、元気がなさそうに見えました。
「国分寺駅」へ向かう途中で、高架線工事は終了して、
既存線路の複々線化工事が中心となっていました。
「国分寺駅」へ到着。そして更に、「西国分寺駅」へ向けて歩きました。
突然、JR東日本の最新ハイグレードイベント車両「E655(和:なごみ)」が通過しました。
JR中央線/西武国分寺線に沿って、「野川」の源流を越えました。
「野川」は、日立中央研究所の敷地内に源が有ります。
途中「姿見の池」を通り抜けました。
恋ヶ窪周辺には、泉や湿地帯、沼が多いことが判りました。
「姿見の池」を通り抜けて、坂道を登ると「西国分寺駅」に着きました。
中央線と武蔵野線が直角に交差しています。(EF210愛称:桃太郎が通過していきました)
「西国分寺駅」へ到着。吉祥寺駅から12.4km、通算新宿駅から25.6kmを歩きました。
武蔵野線は、元々貨物線でしたから、2つ目の貨物列車(EF65)も通過していきました。
透は、貨物列車が通過した時、”両手で両膝を叩いて”大喜びでした。
2011.11.06(日)
今度は”中央線に沿って歩こう”と出掛けました。
「JR新宿駅」から「吉祥寺駅」まで、13.2kmをウォーキングしました。
中央線は、東京の西部をまっすぐ西へ向かって走っています。
朝(11:00頃)、富士見ヶ丘駅で、「3000系 さよなら運転」とご対面しました。
やってきた上りの渋谷行きに乗って、明大前乗り換えで、新宿駅まで移動しましました。
「新宿駅」から中央線に沿って歩き始めました。
出発直後「青梅街道」を横断して、線路に沿って歩きました。
山手線と別れて、中央快速線/中央総武緩行線に沿って歩きます。
すぐに「大久保駅」に到着しました。
最近、新大久保駅(山手線)が有名ですが、こちらが歴史もある御本家?です。
以前歩いた「神田川」を越えると、直ぐに「東中野駅」へ到着します。
東中野駅前の、山手通り(環5)を越えると、
「春は桜の名所」となる土手の上を歩きました。
中野駅までは細い路地、アップダウンが続きました。
中野電車区裏手には、中野区公共施設「なかのZero」が有りました。
中野電車区を横に見て、「中野駅」へ到着しました。
広い駅構内の横を、高円寺駅に向けて歩き始めました。
ソロソロ、小雨が降り出してきました・・・
中央線は「高架線」となって、線路の軒下を歩くことが出来ました。
環状7号線を越えると、高円寺駅前へ到着しました。
「高円寺駅」へ到着しました。
駅北側の「純情商店街」を横目に見て、線路下の「商店街」を歩きました。
そのまま、阿佐ヶ谷の高架下商店街「ゴールド街」を通り抜けました。
時代の流れか、「ゴールド街」は近々リニューアルされるそうです。
中杉通りに出て、「阿佐ヶ谷駅」へ到着しました。
阿佐ヶ谷駅から再び高架線下を歩いて、荻窪駅へ向かいました。
「天沼橋」で中央線を越えて荻窪商店街へ入ります。
荻窪商店街は青梅街道と中央線の線路の間に残っています。
「荻窪駅」へ到着しました。
駅横の立寄り湯や白山神社の前を通って「西荻窪駅」へ向かいます。
環状8号線を越えて、お寺の境内と線路の間を通り抜けて、
以前歩いたことのある「善福寺川」を渡りました。
この区間も、高架線下に商店街が有って、お店の前を通り抜けました。
「西荻窪駅」へ到着しました。
ここまでの「新宿〜西荻窪」間でほぼ10kmとなりました。
ここで終了?は、チョット中途半端な感じもしましたので、
吉祥寺駅まで歩くことにしました。
吉祥寺駅が近づくに連れて、賑やかになってきました。
吉祥寺駅に到着しました。これで今日のウォーキングは終了としました。(13.2km)
ここからは、井の頭線に乗って帰宅の途につきましたが・・・
朝、ご対面した、「3000系 さよなら運転」の電車と、
再びご対面(16:10)することが出来ました。
(お互いよく頑張っています!よねぇ〜:独り言です)
2011.11.03(祝)
撮って出し!とはこのこと!!
京王・井の頭線3000系のラストランが始まりました。
快走!京王・井の頭線3000系 急行「渋谷」行き(富士見ケ丘-高井戸間)
今回のページは、「3000系第28編成」ばかりが登場します。
富士見ケ丘-高井戸間(25パーミル区間) 浜田山-高井戸間(最長駅区間)
透も3000系を!高井戸の清掃工場の煙突も!高井戸駅方向へ移動します。
沿線には、「撮りテツ」がいっぱい!
実際は、レインボーカラーの今の主役「1000系」が頻繁に走っています!
富士見ケ丘ー久我山間(富士見ケ丘車庫)
久我山-富士見ケ丘間 三鷹台-井の頭公園間
井の頭公園駅付近
透と、神田川から賑わいの井の頭公園へ
3000系「各停 吉祥寺行き」が、富士見ケ丘駅へ進入!
3000系(3778号車:渋谷方)へ乗車しました!
最後に残った「マスコンとブレーキ」操作の運転台
車内は「乗りテツ」、ホームには「撮りテツ」が!
吉祥寺駅で、折り返し出発準備中の、3000系使用の急行「渋谷」行き!
今日(11/3)から、日曜日(11/6、11/13)の3日間ヘッドマークをつけて「3000系さよなら運転」をします。
最後に残った1編成(第28編成)が「ありがとう3000系フェスタ」を飾ります。
3000系の車内には、3000系が今なお活躍している、
全国の私鉄の風景写真が展示されています。
上毛電鉄(群馬)、岳南鉄道(静岡)、北陸鉄道(石川)、松本電鉄(長野)、伊予電鉄(愛媛)
今も元気に第二の人生?を過ごしています。(Forever 3000)
(ちなみに、この第28編成も「伊予鉄道」で第二の人生を過ごすことになります)
「ありがとう3000系」 お世話になりました。
2011.10.29(土)、30(日)
10/29:”京王線に沿って歩こう”と出掛けました。
「京王新宿駅」から「桜上水駅」まで、7.9kmをウォーキングしました。
10/30:日曜日は”井の頭線に沿って、4.2kmのお買い物散歩”でした。
京王線は、甲州街道に沿って東京西部を西に向かって走っています。
10/29(土):「何となく久しぶり!」新宿駅!へやって来ました。
「京王線新宿駅」直結のルミネの地下街をスタートしました。
甲州街道(国道20号線)から、地上を走っていた頃の「京王線の線路跡」を歩きます。
緩やかな曲線の遊歩道には、玉川上水モニュメントや、文化服装学院が残っていました。
西新宿から参宮橋口、山手通り(環6)の交差点を通り抜けて、
遊歩道(線路跡)は、続いています。
「初台駅」の場所は甲州街道の下へ移動していましたが、
旧商店街は残っていました。
遊歩道は、旧玉川上水跡に沿って甲州街道(旧線路跡)から離れていきます。
「幡ケ谷駅」は、甲州街道沿いの地下駅になっています。
私たちは、遊歩道から、線路沿いにコースを変えました。
「幡ケ谷ー笹塚間」に旧線(現在の京王線本線上り)のトンネル入口が有ります。
右側が「地下から甲州街道の下を走ってきた京王新線と京王本線下りのトンネル出口」です。
「笹塚駅」は、賑やかな駅ビルとなっていました。
「環状7号線」に到着、越えました。大原稲荷神社が「幡ケ谷駅のすぐ横」に有りました。
玉川上水は、「幡ケ谷駅のホームの下」を潜って環7/京王線/甲州街道を横断します。
「幡ケ谷駅」は狭い路地裏にありました。甲州街道沿いに「明大前駅」へ向かいました。
らーめん「盛華」で昼食!このお店は、我が家のキーステーション!なんです。
(あの2011/3/11の夜も、会社から徒歩帰宅中の長男/次男がこのお店で落ち合ってラーメンを頂きました)
「明大前駅」、井の頭線と京王線の連絡駅です。
幡ケ谷・明大前付近から、京王線は道路と線路が同じ高さ!(=路面電車)となります。
「目の前を、目の高さを、10両編成(200m)の電車が走る!」圧倒的な臨場感です。
(線路沿いの道路の幅は最小部分が1.3mとか。車両通行困難!です)
「下高井戸駅」へ接近しました。
京王線に、三軒茶屋からの「東急世田谷線」が近づいてきます。
「下高井戸駅」駅前には、そこそこ有名な「駅前市場」が有りました。
さらに線路沿いに「桜上水駅」まで歩きました。
今日のウォーキングはここまで!としました。(新宿→桜上水間、歩いた距離7.9km)
10/30(日):透から今日は「ここへ行きたい!」と、「マクドナルド」「井の頭線」「ジュース」
の絵カードを3つも示されました。(高井戸ー浜田山駅間の公園でポテトフライを食べる透くん)
神田川沿いに、環状8号線を越えて、「高井戸ー富士見ケ丘間」で一休みです。
この後、西友で「ジュースとお菓子」を買って帰りました。(4.2kmの2駅散歩でした)
この区間は、井の頭線の撮影ポイントの一つです。
11/3(祝)から始まる、「3000系のさよなら運転」撮影の下調べ?となりました。
2011.10.23(日)
前日の22日(土)は朝から雨で、家で自宅待機?状態でした。
今日は朝から蒸し暑いものの、なんとか晴れたので
井の頭公園まで散歩に出掛けました。
富士見ケ丘駅の車庫に静かに留置されている「3000系第28編成」(中央)が居ました。
そして、今年12月末で引退が決まり、「ありがとう 3000系」のキャンペーンが始まりました。
電車の中釣り広告も始まりました。(「ありがとう3000系フェスタ」は「京王電鉄HP」より)
11/3(祝)、6(日)、13(日)には、ヘッドマーク付きの3000系が走ります。
11/3(祝)〜12/4(日)まで、井の頭線5駅に記念スタンプが設置されます。
11/20(日)には富士見ケ丘車両基地でイベントが行われます。
透くんと、いつも通り神田川に沿って歩き始めました。
レインボーカラーを引き継いだ「1000系」が、次々と通過していきました。
井の頭公園に近づき神田川源流付近には、カモの親子もいっぱい居ました。
公園のブランコが、今日は空いていました。
ひょうたん橋を渡って、井の頭公園(本園?)へ。
本園内のブランコにも乗れました。透は十分ご機嫌になりました。
公園の中心にある、井の頭公園の象徴「七井橋」にも行ってみました。
紅葉は、まだまだでした。
12:00開店前に着いたので、ちょっと並んで入店!
いつもの「焼鳥や煮込」を食べて、吉祥寺サンロードも散歩して、
店員さんと顔馴染み!の「吉祥寺駅の小さな構内売店」でお土産を買って帰りました。
追伸:その日の夜22:40(深夜?)到着の北海道(SL撮影!)から帰京する
長男を迎えに、「羽田空港」まで透(三男!)と出掛けました。
悪天候の二日目、「函館本線 200kmポスト付近」で撮影された「SLニセコ」!(撮影:長男)
(この写真が撮れて満足できた二日間だったようです)
2011.10.15(土)〜16(日)
行ってきました!「雨ニモマケズ風ニモマケズ・・・・」
「伊豆急全線ウォーク」で15日(土):城ヶ崎海岸駅→片瀬白田間(18.5km)、
16日(日):片瀬白田駅→伊豆高原駅間(16.3km)を頑張りました。
(伊東行きルート:伊豆急下田→蓮台寺→稲梓→河津→今井浜海岸→伊豆稲取→片瀬白田→
伊豆熱川→伊豆北川→伊豆大川→伊豆高原→城ヶ崎海岸→富戸→川奈→南伊東→伊東/Goal!)
(下田行きルート:伊東→南伊豆→川奈→富戸→城ヶ崎海岸→伊豆高原→伊豆大川→伊豆北川→
伊豆熱川→伊豆白田→伊豆稲取→今井浜海岸→河津→稲梓→蓮台寺→伊豆急下田/Goal!)
【赤:今回歩いた道、青:未だ歩いていない道、茶:既に歩いた道】
10/15(土):今年2回目の「伊豆急全線ウォーク」参戦!です。
「城ヶ崎海岸駅」を出るときには、かなり強い雨が降っていました。
完全武装!?(カッパ、レインコート、長靴+傘)で出発しました。
「伊豆高原」の別荘地街には、
手打ち蕎麦屋、フランス料理屋、美術館、博物館が並んでいました。
「伊豆高原駅」に着く頃には、雨が降ったり止んだりするようになりました。
続いて、「伊豆高原駅」から「伊豆大川駅」に向けて、
国道135号線から旧道へと歩き始めました。
ほぼ、雨も止んできました。
旧道の山道を歩いていくと・・・・
海(相模灘)が一望できる崖の上に出ました。
(ほぼ真下に国道135号線が走っています)
山路を下っていくと、「伊豆大川駅」が下に見えました。
到着した「伊豆大川駅」は、
(珍しく)大勢の「霊友会」の参拝客で賑わっていました。
この駅では、上下の列車交換が頻繁に行われていました。
「伊豆大川駅」の駅舎で、「伊豆高原駅」で買ってきた、
駅弁「金目鯛の押し寿司」を食べて昼食にしました。
再び旧道に戻って、「伊豆北川駅」を目指して歩き始めました。
雨も上がって、傘もたたんで、杖?にして歩きました。
崖の上を通る旧道から、伊豆北川の港が見えてきました。
旧道から、国道(新道)と伊豆急線の下を潜って、海側へ出ました。
長い坂道を登ると「伊豆北川駅」へ到着します。
伊豆北川駅から伊豆熱川駅へ向うと、
直ぐに急坂となって、今度は「国道と鉄道線」の上を越えて旧道に戻ります。
透は、急坂を頑張って登りました。
旧道に出て、熱川へ向けて歩きました。
途中、高台の公園でひと休みして、駅へ向いました。
公園から駅に続く遊歩道は、「伊豆熱川駅のホーム」の下を通り抜けています。
「伊豆熱川駅」から、今日最後の駅「片瀬白田駅」へ向けて歩き始めました。
片瀬白田へ向かうルートは海沿いの平坦な道でしたが、
海沿いのため、波打ち際のすぐ横を歩きました。
午前中の悪天候の影響もあって、高い波が打ち寄せていました。
「片瀬白田駅」に到着しました。今日のGoal!です。
やってきた「普通電車」に乗って、伊豆高原駅まで戻りました。
今回の宿泊地は、「かんぽの宿 伊豆高原」にしました。
昨年(2010.09.25)にも利用して、良い印象を持っていました。
温泉は「内湯と露天風呂」が有って、朝夕で男女入替制で、
露天風呂は2階にある「丸型のお風呂」が快適でした。
風呂場も大きく、設備も整っていました。
(浴室が地下1階にあるため、浴槽から景色が見えない点が残念です)
10/16(日):天候は回復しました。
最上階(3階)にあるレストランからは、城ヶ崎海岸方向が見渡せました。
ホテルから伊豆高原駅へ移動して、電車で今日の出発地「片瀬白田駅」へ向いました。
今日は、昨日歩いたコースを逆方向に戻って、再び「伊豆高原駅」まで帰ってくる計画です。
「片瀬白田駅」を9:00に出発しました。
線路沿いに途中までは、昨日と同じに海沿いを歩きましたが・・・・
「伊東ルート」は、熱川に向けて、急な坂道を登るコースでした。
いきなりの、厳しい上り坂に苦労しました。
細い、急坂を、休み休み、登り切りました。
山を越えると、熱川の温泉街が見えてきました。
「伊豆熱川駅」の周辺は、いたるところに、温泉の湯気が立ち昇っていました。
「伊豆熱川ー伊豆北川」間のルートは、昨日と同じで、逆ルートです。
昨日下ってきた、遊歩道を今度は登ります。
昨日見えなかった「伊豆大島」が見えました。
旧道から「伊豆北川駅」へ降りる急坂を下りました。
「伊豆北川駅」へ到着してすぐに、「伊豆大川駅」を目指しました。
天気が良くなった為に、海(相模灘)が真っ青に見えました。
ウォーキングルートは、伊豆急行線のトンネルの上を超えるので、
海を見ながら、天候が回復した爽やかな風の中を歩きました。
透はお母さんを気遣いながら!?寄り添って歩いていました。
「伊豆大川駅」へ到着しました。
昨日の様な大勢の参拝客は居ないため静かな駅でした。
今日最大の難所(距離が長い!)「伊豆大川→伊豆高原」駅間に挑みました。
今日のGoal!は「伊豆高原駅」なので、ラストスパート?でもあります。
晴れ渡った空の下、一歩一歩、トコトコと歩きました。
旧道は、沢に沿って大きく蛇行しているため、
対岸の道を歩く「透とお母さん」の姿を遠方より眺めることも出来ました。
途中から昨日の下田ルートとは違って、急坂を下って国道135号線へ降りました。
降りる道の下には「三島神社」が建っていて、昔からある参道の様でした。
「赤沢日帰り温泉」「赤沢別荘地」の前を通る、国道の歩道を歩きました。
伊豆高原駅手前の、伊豆急行線の大ループを、
特急「スーパービュー踊り子号」が走り抜けて行きました。
いよいよ、二日間掛けたウォーキング(34.8km)を達成します。
Goal!お疲れ様でした!(透、よく頑張ったネ!えらい!)
ちなみに、アラカン夫婦は結構疲れました。
ひと休みしていると、「251系スーパービュー踊り子号」と「185系踊り子号」がやってきました。
車庫には、「100系のハワイアンブルー」に塗装変更した「リゾート21(3次車)」が留置されていました。
(新塗装のリゾート21は、伊豆急行線開通50周年記念運転で「リゾートドルフィン号」として10/22にデビューする予定です)
この日のウォーキングで、2010/7からの累積歩数が「551万歩(換算3,350km)」になりました。
今回は二日間で、「9区間、34.8km、63,930歩」を歩きました。
「踊り子号の列車交換」を見送って、「リゾートドルフィン号」を眺めて、帰路に着きました。
帰りの道は、ほとんど渋滞がなく、順調に3時間で帰宅できました。
2011.10.08(土)
静岡県「大井川鐵道」の”SLフェスタ2011”を日帰りで見に行きました。
SL重連と、千頭駅構内では、C56・C11・C10の揃い踏みを見ました。
朝6:00自宅を出発、9:00前に「大井川鉄道(大井川鐵道)新金谷駅」に到着しました。
車庫で出発準備中の様子を見たあと、撮影地である「川根温泉笹間渡」駅付近へ移動しました。
「川根温泉笹間渡」駅の手前には有名な撮影の名所!「大井川を渡る鉄橋」があります。
既に大勢の人で、人垣が出来ていました。
SLがやってくるまで、透とお母さんは土手に腰掛けて待ちました。
C11190とC5644の重連「かわね路11号」が10:30頃にやってきました。(左側:長男撮影)
透も、飛び上がって喜んでいました。(右側:お母さん撮影)
その後、大井川鉄道(本線)の終点「千頭」駅へ移動しました。
駅構内では、到着した機関車の入れ替えが行われていました。
2台のSLが「客車の入れ替え」「機関車の方向展開」の為に
SLが駅構内を何回も移動しました。
千頭駅のホームを透と歩き回りました。
プロの鉄道カメラマン「中井精也(なかいせいや)さん」と会いました。
(「帽子とリュックサック、長靴」という鉄ちゃんの決めスタイルの人で、「1日1鉄」がキャッチコピーです)
千頭駅構内には、本線の電気機関車や井川線のディーゼル機関車がいました。
「SLフェスタ2011」の開催日(4日間の二日目)と言うこともあって、
大変大勢の人で賑わっていました。
3台目となる、C108牽引の「かわね路1号」が13:06に千頭駅に到着しました。
早速「ターンテーブル」で方向を反転して、待っていた2台のSLの隣に並びました。
「C5644・C11190・C108」 3機が勢ぞろいしました。
千頭駅構内には、西武鉄道から転入してきた新しい「E31」形電気機関車も
並んで展示されていました。(SLの補助機関車用として配置されました)
駅構内は、もの凄く!大勢の人たちで混雑していました。
上りの「かわね路14号」を撮影するために、再び「笹間渡駅付近」へ移動しました。
すると、先程会った「中井カメラマン」が電車で同じ撮影現場へやってきました。
そろそろ夕闇?が迫る(14:40)なか、重連のSL「かわね路14号」がやってきました。
その後、すぐ横にある立ち寄り温泉「川根温泉ふれあいの泉」へ行きました。
風呂に入りながら、15:30頃に通過するC108牽引の「かわね路2号」を眺めました。
この温泉は、「日本で唯一」露天風呂からSLが見えることで特に有名です。
大変賑わっていて、湯船の写真は撮影できませんでしたので、HPから引用しました。
この温泉は、本物の「源泉かけ流し」で、循環や加熱もしていない、自然の温泉です。
この後、3連休初日の東名高速を戻りましたが、全く渋滞なしで19:00過ぎには帰宅できました。
2011.10.04(火)、05(水)
友人の御尊父に御不幸があって、伊那・飯田まで行ってきました。
JR飯田線沿線には温泉や名所・名物が沢山ありました。
「中央高速」を走って、途中「諏訪湖SA」で休憩しました。
名所?「諏訪湖ハイウェイ温泉」(立ち寄り温泉)がありました。
宿泊先の町営信州まつかわ温泉「清流苑」は立派な温泉施設でした。
「中央アルプス」より流れ出る片桐松川付近の源泉を豊富に使った温泉と、
正面に「南アルプス」を望む高台からの眺望は素晴らしいものでした。
「各種の内湯」と「桶風呂もある露天風呂」など、全てが「源泉かけ流し」でした。
(加熱はしているようでしたが、源泉を2つ持って湯量もたっぷりでした)
翌朝には、露天風呂から「南アルプス」が見えました。
時間も有ったので、
飯田の町の手前にある名所「元善光寺」さんへお詣りに行きました。
「元善光寺」は、御本尊様を長野の「善光寺」へ遷座したと言う歴史があって、
「長野の善光寺」と「飯田の元善光寺」の両方にお詣りしなければ、
「片詣り」と昔から言い伝えられていました。
戻る途中、JR飯田線の「元善光寺駅」と「市田駅」を訪ねました。
「市田駅」では、上りと下り列車の交換と巡り会いました。
しかも電車は新旧の「313系と119系」の出会いでした。
昼食は、ガイドブックから「元善光寺駅と市田駅」間の畑の中にある、
手打ちそば「めんこいやかた 一献」にしました。
新そばを使った「やかたそば」を食べました。お薦めです。
今にも降り出しそう(降り出しましたが)な雲の中、告別式会場へ向かいましたが、
南アルプスの山々が静かに見守っているかのようでした。(個人の感想です)
友人のご尊父は、今日訪問した「市田」の郵便局に長年勤続されていたそうです。
何かのお導きかな?とも感じました。(これも、個人の感想です)
ご冥福をお祈りいたします。
2011.10.01(土)、02(日)
第三回「関東の鉄道お宝発見フォトラリー」の
完全達成の記念品を貰いに横浜駅まで行きました。
ついでに、桜木町駅まで”往復ウォーキング”もしました。
10/1(土):横浜駅までE233系「湘南新宿ライン」に乗って移動しました。
最高速度105Km/Hで走る、平塚行き快速「湘南新宿ライン」は、渋谷-横浜間25分でした。
いつもの、横浜駅東口SOGOデパート前のB1F広場で、
「第三回関東の鉄道お宝発見」フォトラリー参加の記念品を受け取りました。
「認定カウンター」に並んで、「写真帳」を確認してもらいます。
交換所前で「23ヶ所全て達成した記念写真」を。
写真帳3冊(3人分)を提示して、
「達成証明記念スタンプ」(3人分)を押してもらいました。
記念品は、「お弁当箱(2段式)・携帯カトラリー(お箸とスプーン等)・お弁当バック」を3人分、
同時開催のイベント参加で、「テッピーグッズ」(布袋、ビニールシート、色鉛筆、メモ帳、
小タオル、小型ルッビクキューブ)も貰いました。
フォトコンテストの優秀賞、入賞写真が掲示されていました。
我が家も写真を応募しましたが、残念ながら入選しませんでした。
会場から出て「横浜駅」前から、線路沿いに歩くと、旧東急東横線の線路跡や、
京浜急行線、JR京浜東北線の線路が複雑に川を越えていました。
旧「東横線高島町駅」から「桜木町駅」までの間に、
JR根岸線から直通する「横浜臨港線」(貨物線)の線路が有りました。
旧「東横線の終点桜木町駅」ではイベントが開かれていて、
駅前からランドマークタワー方面へ歩きました。
ランドマークタワー内のお店で昼食を取りました。
ランドマークタワーの裏側は海です。
今度は海沿いを横浜駅に向かって歩きました。
海沿いの「臨港パーク」から、日産自動車本社ビルの中を通って、
再び「横浜駅東口のSOGOデパート」へ戻りました。
帰りは、東急東横線の5000系「特急渋谷行き」に乗って、
「横浜-渋谷間」を26分(JR快速より1分遅い)で戻りました。(右端:渋谷駅前交差点)
10/2(日):涼しく成ったので足馴し?と、「井の頭公園散歩」へ出掛けました。
(あの、唯一残った「3000系第28編成」が車体を休めていました)
追加速報:翌日の朝(10/3(月) 7:45)本番運用で1往復した時の姿もキャッチしました。
車庫裏の「神田川」から、東八道路の工事が進む「玉川上水」沿いに歩きました。
秋のお祭りも賑やかで、細い道を辿りながら井の頭公園付近へ抜けました。
再び「神田川の源流付近」に戻って、井の頭公園へ入りました。
定番の焼き鳥屋「いせや 井の頭公園店」で一休み。
今日からお父さんは「熱燗2合徳利」にしました。
「我が家のアルバムは「とおるとお話」(最新)」はこちらへ
「2011年我が家のアルバムは「とおるとお話」(7月〜9月)」はこちらへ
「2011年我が家のアルバムは「とおるとお話」(4月〜6月)」はこちらへ
「2011年我が家のアルバムは「とおるとお話」(1月〜3月)」はこちらへ