2011年(4月〜6月)
我が家のアルバムは「とおるとお話」
ふじい家の全員が「とおるとお話」をするのが、我が家のアルバムです。
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2011.06.29(水)
39年間の「会社人」生活も、今日をもって終了!退職しました。
これからは、三男とアラカン夫婦の3人で、協力してくれる長男次男と共に
新しい生活サイクルを廻していきます。
見慣れた「東京タワー」も、何故か!?立派に見えます。
会社生活の大半を過ごした「東京都港区芝/三田、国道1号線、赤羽橋付近」を後にしました。
三男の通園同行を【基本サイクル】に、土日祝祭日は【お出かけモード?】を実践していきます。
「スローライフ」「時間の流れを楽しむ」は、思っていても中々できなかった願望!?でしたが、
無理をせずに、思い立ったら行動できる「環境」を実践してみます。
芝公園側から見る景色も、芝公園の景色も39年間で随分変わりました。
(6/28:「ザ・プリンスパークタワー東京」では、東京電力の株主総会が)
2011.06.25(土)、26(日)
土曜日は玉川上水・井の頭公園散歩、
日曜日は「関東の鉄道お宝発見」と、祖父の45回忌で過ごしました。
祖父の命日は6/28(火)でしたが、日曜日へ二日繰り上げました。
6/25(土):井の頭線沿線には、”あじさい”が咲き始めました。
玉川上水経由で井の頭公園まで歩いて、一休みしました。
(途中、会社の先輩が育てている家庭農園で「ナス、トマト、キュウリ」をいっぱい貰いました)
朝も早かったので、「いせや」さんも開店前で、”焼き鳥”はなし!
0101横の”公園通り”にも人通りがありませんでした。
6/26(日):東京都練馬区の「大泉学園駅」を訪問しました。
お宝J:西武鉄道 池袋線大泉学園駅
銀河鉄道999「車掌さん」モニュメント(通算7/23)
地元在住の松本零士さんの協力を得て、「銀河鉄道999の車掌さん」が
大泉学園駅の名誉駅長です。駅の発車メロディも、「銀河鉄道999」でした。
大泉学園駅から普通電車でひと駅、石神井公園駅で急行に乗り換えて池袋駅へ直行しました。
池袋駅からチョコっと歩いて、「都電雑司ヶ谷駅」まで移動しました。
(エピソード:2008年に開通した東京メトロ副都心線に「雑司ヶ谷駅が開業」しましたが乗り換え接続駅が
ひと駅先の「鬼子母神前駅」の為、都電荒川線の駅名を「都電雑司が谷駅」へ変更した経過があります)
「鬼子母神前駅」前に着くと、待っていた都電荒川線「8800形車両」がやってきました。
お宝K:東京都交通局 都電荒川線
都電荒川線8800形車両(通算8/23)
駅前から「鬼子母神」を目指して、参道を歩きました。
名前は昔から聞いていたのですが、訪問したのは”初めて”です。
広い境内は、露天も出て賑わっていました。
「8800形」バイオレット色が、「鬼子母神前駅」を出発すると。
目白通りを急勾配、急S字カーブで「千登世橋」の下をくぐり抜けます。
「千登世橋」は、明治通り(都道環状5号線)もくぐり抜けていて、
「8800形」ローズレッドも来ました。すれ違ったのは、「8500形」車両です。
都電荒川線の主力車両は、「7000形」です。
直ぐに「学習院下駅」、「面影橋駅」と続きます。
この付近は、都電荒川線の撮影の名所!?でもあります。
神田川を越える「高戸橋」は、新目白通りへの交差点で都電が信号待ちします。
(左)正面に見えるビルは、池袋の「サンシャイン60」です。
(右)都電荒川線の始発駅(終着駅?)「早稲田駅」です。
早稲田駅で記念写真を撮っていると、「8800形」オレンジ色がやってきました。
今日お会いした!「8800形」3色揃い踏みです。
(4色目のイエローにはご対面できませんでした)
「4色揃い踏み」の画像は、東京都交通局(20101209)HPから引用しました。
都電「早稲田駅」と東京メトロ東西線「早稲田駅」とは、大変離れています。
早稲田大学の敷地内を歩いて、途中で昼食(ラーメン)を食べて帰りました。
その日の夜、祖父の「45回忌(享年53歳)」の食事会を開きました。
亡くなった当時(昭和42年/1967年)、祖母は45歳、お父さん(私)は17歳でした。
家族全員6名が集結!
テーブルに乗り切れない御馳走を頂いて、全員の健康を祈りました。
全員参加で長男次男も同席しましたが、
記念写真は個人情報保護?の為に”ぼかし”を入れました。
2011.06.18(土)、19(日)
アプト式の歴史を残す元碓氷峠越え旧線の「めがね橋」など、
「関東の駅お宝発見」選定ヶ所を群馬県内3ヶ所巡って、
万座温泉の標高1,800m「雲上の露天風呂」にも浸かりました。
息子から貰った、ホテル一泊のペア宿泊券(父の日プレゼント?)を使って、
群馬県内3ヶ所の「関東の鉄道お宝発見」を一泊二日で巡りました。
最初の目的地は「碓氷峠鉄道文化むら」ですが、すぐ隣りの「横川駅」訪問が最初となりました。
透の強い!希望です。
今は、高崎からの「行き止まり線(盲腸線)」で、ずいぶん寂れていました。
この駅は「関東の駅百選」選定駅で、我が家の記念すべき100駅目となった駅でした。
朝霧?か霧雨?の「碓氷峠”鉄道文化むら”」は、開園早々の事もあって、
「園内?」では悠々と行動が出来ました。(「峠の湯」入湯と合わせた割引きっぷを買いました)
お宝@-1:JR東日本 信越線横川駅付近「碓氷峠鉄道文化むら」施設内
「鉄道文化むら」と「めがね橋」(通算4/23)
中心部の「野外展示スペース」には、霧の中に機関車群がズラリ。
更に、今も動態保存中の「EF63」は、体験運転中でした。
透と3人で、機関車の間を歩き回りました。
(左端)EF631の前にいる人?は吉永小百合さんです。後日、JR東日本のコマーシャルから引用しました)
勢ぞろいした機関車、電車、気動車が一杯です。
(上段:EF631,EF6324,EF60501,EF8063、下段:EF621、EF701001,EF3020,EF58172)
お座敷列車の中にも乗ってみました。
園内を一周して、出口付近に展示されている189系特急「あさま」の前に出ました。
クハ189-509の運転席に乗車しました。
6年前にも同じ車両に乗車した事を透は覚えていたでしょうか?
6年前とほぼ同じところを巡ることになりました。
「峠の湯」へ移動して、「めがね橋」まで約2Kmを往復しました。
以前より整備されたように感じる「アプトの道」を歩きました。(1号トンネル)
1号トンネル〜5号トンネルまで、連続上り勾配(66.7パーミル)が続きました。
2号トンネルの手前に、小さいですが、レンガ造りの碓氷第2橋梁があります。
途中、碓氷湖を見下ろしながら登りました。
3号トンネル〜5号トンネルまでは、トンネルが連続しています。
碓氷湖を見下ろす3号トンネル入口から、4号トンネル、5号トンネルが見えます。
4号トンネル、5号トンネルのカーブを過ぎると、
碓氷第3橋梁(めがね橋)へ到着します。
レンガ造りの「4連アーチ式鉄道橋」が、「碓氷第3橋梁(俗称めがね橋)」です。
未だ、午前中も10時頃なので、私達だけでした。
お宝@-2:JR東日本 信越線横川駅付近「碓氷峠鉄道文化むら」施設内
「鉄道文化むら」と「めがね橋」(通算4/23)
橋の上から雄大な景色を眺めました。
さらに山奥に、同じく今は使用していない「新線」の橋が二つ(上り下り)見えます。
橋の上に居る「透とお母さん」を撮影すべく、
単身お父さんは崖を降りて、下からアーチ橋を見上げました。
アーチ橋は、実に芸術的な姿で、下を流れる碓氷川の上を越えていました。
アーチ橋の下には、国道18号線の旧道が走っていて、
「第33カーブ」の所に当たります。
帰りは、(当然ですが)連続下り勾配で、「峠の湯」を目指して戻りました。
「碓氷峠の森公園交流館 峠の湯」に着きました。
ここにも、6年前に来ています。
建物も綺麗に整備されていて、気持ちの良い天然温泉でした。
温泉は、内湯の他に2種類の露天風呂がありますが、
屋根付き和風露天風呂へ入りました。
「峠に湯」に併設されているレストランのバイキング(1,050円/大人)で昼食を取りました。
お腹いっぱいとなった後、鬼押出し/万座ハイウェーを通って、
今晩の宿泊地「万座プリンスホテル」へ向かいました。
息子から貰った宿泊券は、ペア宿泊券なので補助ベットを入れて貰って宿泊しました。
冬場には、ホテルの周辺全てがゲレンデ!と言うような山間にありました。
温泉は、標高1,800mの高地にあって、白濁している天然温泉で、
「雲上露天風呂」とも呼ばれる「こまくさの湯」が絶品!でした。
正面に湯けむりが舞い上がるガレ場を見ながら、
山肌に立ち込める雲海を臨みながら入る「白濁の露天風呂」は、最高でした。
「こまくさの湯」は、3つの岩風呂から成っていて、
左から「男女混浴、男専用、男専用」で、この外に「女専用」が設けられていました。
夕食は「和食」にしました。夕食後ホテルの外に出ようとしましたが、
気温が下がっていて、透は散歩には行きたがりませんでした。(中止にしました)
6/19(日):天気は晴れ!でした。
万座温泉から、今日の目的地「大間々、上神梅、西桐生」へと向かいました。
国道466号線、草津-白根ルート経由で、渋川伊香保IC→伊勢崎ICと移動しました。
「わたらせ渓谷鉄道」の主要駅「大間々駅」へ到着。「上神梅駅」の記念切符を購入しました。
この駅で、約30分後に「トロッコ列車」が来ることをGet。「上神梅駅」へ先回りしました。
「上神梅駅」は、切妻造りの屋根を持つ木造の駅舎で、登録有形文化財に指定されています。
お宝A:わたらせ渓谷鉄道 わたらせ渓谷線上神梅駅
「上神梅駅」駅舎(通算5/23)
駅全体が木造で、約100年前の様子を今に伝えて居るようです。
「桐生発、間藤行き」普通ディーゼルカーが、まずやってきました。
ディーゼルカーの乗客が手を振ってくれたのに対して、「透も手を振り返して」いました。
続いて、「トロッコ列車」がやってきました。
DE10牽引で、3両編成の客車列車です。
木製の駅舎、改札口は、一種の芸術品でした。
続いて、上毛電気鉄道の「西桐生駅」へ向かいました。
この「西桐生駅」も登録有形文化財に指定されている、昭和初期の洋風建築の駅舎です。
お宝B:上毛電気鉄道 上毛線西桐生駅
「西桐生駅」駅舎(通算6/23)
駅舎の屋根や窓枠などは開業当時の状態が保存されています。
改札口で、記念の硬券切符を買い求めました。
走っている電車は、元京王井の頭線の3000系で、
保存状態も大変良く整備されていました。(感謝!)
「上毛電気鉄道」は、色々な工夫をして頑張っているようです。
一方で、オリジナル井の頭線3000系は、当時の姿をそのまま残していました。
「JOMOロゴ」の下に、うっすらと「KEIOロゴ」が残っていました。
2011.06.12(日)
「関東の鉄道お宝発見」の2つ(葛西駅併設の「地下鉄博物館」と
羽田空港国際線ターミナル駅の「銀の翼」)を巡りました。
午後(14:00)になってから、自宅を出発。
東京メトロ東西線「葛西駅」に併設されている「地下鉄博物館」へ向かいました。
お宝M:東京地下鉄 東西線葛西駅高架下「地下鉄博物館」内展示
銀座線1001号車両・丸ノ内線301号車両(通算2/23)
赤いボデーは「丸ノ内線300系」
車内も淡いピンクと、当時の言葉で「ハイカラ!」です。
黄色いボデーは「銀座線1001形」
窓枠も、車内も「木製のレトロなたたずまい!」です。
往年の名車!に、お父さんは「乗ったことがある」だけに感激でした。
ジオラマも、、運転シュミレーターもあって、賑わっていました。
16:00頃に、葛西から京浜急行「羽田空港国際線ターミナル駅」へ移動しました。
お宝N:京浜急行電鉄 京急空港線羽田空港国際線ターミナル駅
羽田空港国際線ターミナル駅3階出発ロビー時計台「銀の翼」(通算3/23)
「銀の翼」?は何処にあるの?探しました。
もっと、目立つところに!?との印象です。(待ち合わせ場所なら!)
階下のフロアからも、「銀の翼」の頭が見えます。
時計もついて、機能的には十分なのですが。(勿体ないですよね!)
国際線の展望デッキへ出ました。
国際線なのですが、海外の飛行機は「DELTA航空」の機体1機だけでした。
展望デッキのフロアに「R BURGER」のお店があります。
このお店には、一生懸命に仕事をする透のお友達(後ろ向き”右側中央”でハンバーガーを作っている)
が働いていました。(透が来たことに気がついてた!と、お父さんからメールを貰いました)
国際線ターミナル(ビッグバード)のフロアは広々としていました。
「京浜急行空港線」の国際線ターミナル駅のホーム
「東京モノレール」の国際線ターミナル駅のホーム
展望デッキから降りていくと、国際線ならでは??の
江戸の街並みを再現したお店がズラリでした。
続いて訪れたのは、国内線の第二ターミナルの展望デッキです。
移動は京浜急行に乗ってひと駅移動しました。(ANAのジャンボジェットは健在です)
やっぱり、国内線は賑やかでした。
夕闇がどんどん迫ってきました。
展望デッキの雰囲気が大きく変わろうとしていました。
床には、無数の青や緑のランプが散りばめられていて「光り始め」ました。
青い「天の川?」をイメージした「第二ターミナル展望デッキ」でした。
この展望デッキで夕食も食べて、21:00頃まで眺めていました。
何故?実は、21:30に旭川から到着する長男の載った飛行機を待っていたのです。
すっかり暗くなった羽田空港を後にしたのは22:00過ぎで、
駐車場料金は上限の1,500円(5時間半駐車)でした。
右は、ラベンダー畑の富良野を走る「JR北海道のC11207」です。(撮影:長男)
2011.06.04(土)
秩父路のSL「パレオエクスプレス」が、赤いナンバープレート
で走りました。第三回「関東の鉄道お宝発見」フォトラリー・フォトコンテストの
最初の訪問駅「和銅黒谷駅」で「和同開珎」モニュメントをゲット!しました。
第三回「関東の鉄道お宝発見」の23ヶ所ある訪問先の最初に、秩父鉄道「和銅黒谷駅」を選びました。
理由!は運転を頼む長男が「秩父鉄道のSLを撮りたい」と言い出したのがキッカケでした。
駅長さんから、参加者分の「フォトラー帳」(4冊)を貰いました。
お宝I:秩父鉄道 秩父本線和銅黒谷駅和銅黒谷駅(通算1/23)
「和同開珎」モニュメント
元々は「黒谷駅」だった駅が、2008.4.1に和銅奉献1300年を記念して「和銅黒谷駅」と改称されました。
我が家は、SLを追いながら「旧黒谷駅」時代(2008.03.15)にも訪れていました。
日本最古の流通貨幣「和同開珎」のモニュメントは、駅名の改称と共に造られたものですが、
向かいの山肌にも「和銅」の文字が見えます。
秩父鉄道には、象徴的とも言える「石炭貨物列車」がよく通ります。
透の大好きな「機関車が引っ張る貨物列車」で、ずっと見入っていました。
ホームで待つこと約30分、「旧国鉄京浜東北線色の旧国鉄101系」がやってきました。
旧101系が、そのままの姿で現役で活躍している「貴重な勇姿」です。
最後部に乗車!
運転席から見える景色、社内のレイアウトは”本当に昔のまま!”でした。
更に、「運転席のレイアウト!」は昭和30年代の先進的な配置!?が、そのままでした。
モーターの音も、懐かしい「中空軸平行カルダン駆動方式」の軽快な音が健在でした。
「上長瀞駅」の手前で、荒川を越えます。
いつも河原から眺めていた景色を橋の上から眺めました。
長瀞駅に着くと「下りの貨物と列車交換」しました。
電車を降りても、透は貨物列車が通り過ぎるまでホームで待っていました。
長瀞駅で、SL「バイオエキスプレス」の自由席乗車券をGet!
「長瀞〜三峰口」間の乗車が決まりました。
尚、長瀞駅には、2004.08.03に「関東の駅百選」選定駅として初訪問しています。
長瀞の駅のホームに入って、列車を待つことにしました。
旧西武鉄道の電車を改造した急行電車や、
元都営地下鉄三田線車両を使った普通電車がやってきました。
11:37前に、C58363号機が牽引するSL「バイオエキスプレス」が長瀞駅へやってきました。
「赤いナンバープレート」を付けた、C58363号機でした。
列車は、本当にゆっくりと走りました。
先ほど渡った「荒川」をSL列車に乗って再び越えました。
今日の出発点となった「和銅黒谷駅」を、SL「バイオエキスプレス」列車は貨物線を通過します。
貨物線上の客車から、ホーム上の「和同開珎モニュメント」と車内の「透」をキャッチしました。
「秩父駅」では10分程度停車して、後から走ってきた普通電車に追い抜かれ!ました。
参考:西武秩父線「西武秩父駅」とは、「御花畑駅」で乗り換える必要があります。
先日桜の咲く時期に訪問した「浦山口駅」を通過。
荒川に沿ってSL列車は、ゆっくりと、ゴトンゴトンと、登っていきました。
沿線の名所?にはカメラマンもいました。
(当日6/4は、上越線でC6120号機の復活運転日初日だったので、少な目だったそうです)
「三峰口駅」へ到着しました。
乗車していた最後部の客車から、先頭の蒸気機関車まで移動しました。
「赤いナンバープレート」のC58363号機は、
帰路に向けて客者から切り離されて、石炭・給水を開始!しました。
→
今年2011.04.17にもお邪魔した三峰口駅前の「福島屋」さんで昼食を取って、
道の駅「大滝温泉」へ移動しました。
三峰口駅も「関東の駅百選」選定駅で、2005.05.07に初訪問しています。
道の駅に併設されている「大滝温泉 遊湯館」は、天然温泉の源泉かけ流しの立寄り湯です。
国道140号線沿いに荒川との間に建っていました。
アルカリ性の強い「ツルツル(ヌルヌル)とした泉質」で、大変気持ちが良く、
昨晩のアルコールが「スッキリと抜けた?」感じでしょうか??
簡単に行ける、お薦めの立ち寄り温泉「大滝温泉 遊湯館」でした。
2011.06.03(金)
「中大電気47遊会」の懇親会が新橋でありました。
退任以降の累積ウォーキング歩数も、400万歩を越えました。
(4,015,026歩、換算2,457Km)
還暦過ぎの同期会メンバ23名が集まりました。中には40年振りに顔合わせをした同期生や、
長崎・和歌山・静岡から駆けつけた同期生もいて、2時間半大いに盛り上がりました。
参加者全員へ配られた、「47遊会」特製の”40年前の顔写真付き記念品?”は大好評でした。
社員数100人の社長さんや、ギリギリまで仕事をして駆けつけてくれた同期メンバと打ち解けました。
全員で記念者写真を撮って打ち上げました。
終了後には、幹事団他のメンバで二次会も開いて余韻を楽しみました。
2011.05.21(土)、22(日)
「SL会津只見10周年号」が走りました。透は1月以来久しぶりの
一泊二日の旅で、お気に入りの「沼沢湖山荘」にも泊まりました。
5:30に出発して東北/磐越自動車道経由で、9:30過ぎに「会津・柳津」に到着。
10:42発の「SL会津只見10周年号」の到着を待ちました。
柳津の名所「日本三大虚空の一つである円蔵寺」をお参りました。
「あかべこ伝説」発祥の地は”柳津”ともアッピールをしていました。
毎年、春(5月)と秋(10月)に走っていた「SL会津只見号」ですが、今年はSLの定期点検の為に、
春の「SL会津只見10周年号」のみの1回の運転となりました。
「柳津駅」では、今や遅しと「一日駅長(通常は無人駅)」が準備をしていました。
今回だけの特製「10周年号」ヘッドマークを取り付けた、C11325がやってきました。
柳津駅では、石炭や水の積み込みで、13分間停車します。
その間、乗客達はホームへ降りて、柳津町の歓迎イベントに参加していました。
透も駅のホームに入って、乗客と一緒にSLや客車を見て廻りました。
10:42、C11「会津只見10周年号」は、只見へ向けて発車していきました。
ここで「我が家」は戻ってくる「SL会津只見10周年号」を待つ間に、
「D51ばんえつ物語号」を撮影する為に、磐越西線の山都駅へ向いました。
磐越西線「山都駅」に到着するとまもなく、
上りの「会津若松行き普通列車」がやってきました。
すぐに、下りの「新潟行きの快速あがの」がやってきて、山都駅で列車交換が行われました。
(普通列車の後ろ2両は新型気動車キハE120でした)
山都駅から会津若松寄りの鉄橋へ移動して、「D51ばんえつ物語号」を待ちました。
到着時刻が近づくに連れて、カメラマンや、観客の数はドンドン増えました。
12:49に山都駅を発車した「D51ばんえつ物語号」がやってきました。
「C57180号機」が定期検査入場中の為、「D51498号機」が牽引した「SLばんえつ物語号」です。
戻りの「会津只見号」が返ってくるまでの時間を使って、喜多方駅へ向かいました。
もちろん、”平打ち熟成多加水麺”の「喜多方ラーメン」が狙いです。
駅で入手した老麺会のパンフレットを見て、「宝夢蘭(ほーむらん)」の喜多方ラーメンにしました。
その後、再び只見線「柳津駅」付近の「円蔵寺」裏へ戻って、上り急勾配でSLを待ちました。
15:30、上りの「SL会津只見10周年号」が戻ってきました。
線路際で待っていた透は、
列車に向かって、”自分から手を振りました”。
すると、列車の乗客からも”手を振ってくれました”。
今晩の宿泊先「沼沢湖山荘」へ16:00過ぎに到着しました。
昨年10月末に続いて2度目の訪問となりました。
元「沼尻小学校校舎」を改築して「山荘にした」宿です。
玄関、一階の廊下、木製の階段、二階の廊下です。
我が家は前回と同じ部屋(2の8)にしてくれました。
元理科室の広い部屋で、トイレ、風呂、ベット、更に囲炉裏付きです。
今回は、宿泊者も4組あって、大風呂に入れました。(前回は我が家だけで中風呂でした)
「沸かし湯」で温泉ではありませんが、とても清潔で気持ち良いお風呂でした。
夕食は、奥会津の特徴を活かした「豪華な、適量の夕食」を頂きました。
長男も合流して、4人で夕食を取って、21:00過ぎには全員就寝となりました。
(5/21の特選!)長男が一日別行動で、追いかけて、
撮影した「SL会津只見10周年号」作品の一部です。
5/22(日):朝食前の6:30に山荘を出て、会津川口駅付近の橋の上で、
7:05会津川口駅始発の会津若松行きのディーゼルカーを待ちました。
定刻、出発した普通列車は、只見川沿いに会津若松駅へ向かっていきました。
宿に戻る為に、只見川沿いに車を走らせていくと、
先ほど見送った普通列車のキハ40系ディゼルカーに追いつきました。
只見川沿いにある「石造りの橋」(左)は、早戸駅の手前に有ります。
早戸駅付近の橋で只見川を渡って、更に急坂を登った山の上に沼沢湖(右)があります。
カルデラ湖の沼沢湖には、椎名誠記念館が湖畔に建っていました。
朝食は質素ですが、「日本の朝食」そのもの!で美味しく食べました。
宿の支配人(渡部さん)にお願いしていた「姫ます寿司」2食分のうち、
一つを長男の昼食用に渡しました。渡部さん、ありがとうございました。
食堂の隣の部屋は喫茶コーナーで、9:00過ぎに雨が降り始めた宿を後にしました。
最初に向かった先は、立ち寄り温泉「深沢温泉 むら湯」です。
只見駅から国道289号線を15分ほど走った小高い山の上にありました。
温泉は、鉄分と塩分が多い「評判の赤茶色」のお湯で、なめて見ると「塩っ辛い鉄?」の味でした。
中々、キク〜ゥと言った温泉で、長湯はフラフラします。(ナトリウム塩化物硫酸塩温泉です)
高台であるため、景色も良く、大変気持ちよくお湯に浸かりました。
(会社の友人の紹介通りの温泉で、「また行きたい!」と思いました)
木造の立ち寄り温泉「深沢温泉 むら湯」のすぐ横には、宿泊/入浴/食事等ができる、
「湯ら里」施設が有って、遅咲きの山桜が満開でした。
(「湯ら里」にも温泉施設が有りますが、「むら湯」の方がお薦めとは友人からの助言です。確かに!)
温泉に入った後、只見駅へ戻って、12:34到着のSLを待ちました。
只見駅は、なんと!「1面2線式」の島ホーム1本の超ローカルな駅でした。
12:34、定刻通りに「SL会津只見10周年号」がやってきました。
ホームいっぱいに「SLと3両の旧型客車」が停車しました。(駅前方は雪山!)
大勢の乗客が狭いホームへ降りてきて、蒸気機関車の周りに集まりました。
機関車は、早々に切り離されて、転車台(ターンテーブル)へ向かいました。
ターンテーブル!は、手押しの手動式!!で、
”駅で募集した女性”も加わって手で押して廻していました。
半回転して、方向を逆転しました。
周囲には大勢の観客が集まっていました。
ターンテーブルから少し移動して、石炭や水の補給作業に入りました。
今回の「SL追い掛けの旅」は、これを最後に帰途につくことにしました。
駅前には、未だ「雪だるま」が!
テントの下では地元の名産品が販売されていました。
帰り道は、「六十里峠越え」の小出経由で、関越自動車道を選択しました。
田子倉湖から見える山々には、まだまだ多くの雪が残っていました。
気温は11℃
六十里峠を越える国道252号線は、スノーシェッドの連続でした。
道路から見える山肌、谷底には、残雪が多く残っていました。
未だ、冬は終わっていませんでした。(この日、東京は29℃だったとか)
六十里トンネルを抜けると、新潟県へ入りました。
最初の駅が「大白川駅」で、「小出行きと、会津若松行き」の列車交換が見られました。
最初に到着した「小出行き普通列車」が待つ所へ、「会津若松行き普通列車」が到着しました。
山間の無人駅に、只見線の顔「キハ40」が勢ぞろいしました。
後から到着した「会津若松行き普通列車」が先に出発して行きました。
(!)無人駅「大白川駅」なのに、名物「蕎麦」の売店が併設されていました。
上り列車より遅れること10分後に出発する、下り「小出行き普通列車」を先廻りして、キャッチ!
ここで今回の「奥会津、SL、温泉、一泊二日の旅」を、フィナーレとしました。良かった!
(5/22の特選!)長男が翌日も別行動で、追いかけて、
撮影した「SL会津只見10周年号」作品の一部です。
2011.05.18(水)
初めて「阿佐谷生活園(高円寺グループ)」の
活動見学会に参加して、透の働きぶり?を見学しました。
今は、仮住まいの杉並区高円寺南にある、三階建てのビルで働いています。
今日のお仕事は、ビニール袋へ紙クッションを詰める作業でした。
集中力を持続する!のは誰でも大変ですが、指導員さんと頑張ってやっていました。
15:30帰園、透はこの後、約1時間強(5km)歩いて帰宅します。
2011.05.15(日)
久しぶりの「井の頭公園散歩」は、
初夏が始まる、新緑の神田川/玉川上水沿いでした。
富士見ヶ丘駅付近の神田川(月見橋)から電車区に沿って歩いて、
久我山付近で南下、玉川上水(岩崎橋)から川に沿って歩いて、
三鷹台付近で北上、井の頭公園駅付近で再び神田川に戻って、
井の頭公園内を歩いて、公園出口の「いせや」に立ち寄って、
丸井横の公園通りを吉祥寺駅まで歩くコースでした。(5.1km)
(この画面をクリックすると、Mapionキョリ測βへリンクします)
「京王井の頭線富士見ヶ丘車庫」裏の神田川沿いから、久我山付近の玉川上水へ出ました。
広大な空き地は「岩崎通信機の敷地」を東八道路拡張工事の為に整地した所です。
今日は玉川上水の左側遊歩道(狭い!)を歩きました。
いつもの井の頭線「井の頭公園〜三鷹台」間へ戻って、神田川沿いに進みました。
やっぱり、神田川も、井の頭公園も、賑わっていました。
いつもの焼き鳥屋「いせや」さんには長蛇の列が出来ていました。
透は、大人しく並んで待って、入店できました。
帰り道は、いつもどおり井の頭線「吉祥寺駅」から電車で戻りました。
透は、「いせや」さんだけでなく、「駅の売店」でも、顔馴染みでした。
2011.05.14(土)
「機関車、電車がいっぱい!」
とおるの希望が強かった田端駅から尾久駅、上中里駅まで広がる、
「田端運転所(旧田端機関区)」「尾久車両センター(旧尾久客車区)」
の周囲を見て廻りました。
4/29(祝)の「山手線外回り一周ウォーキング」で、駒込〜田端間を歩いた時に、
透が大変喜んだ「田端運転所(旧田端機関区)」を、再び訪問しました。
(田端運転所横まで、長男に自動車で送って貰いました。地図はMapionキョリ測βで作成しました。)
東北本線の客貨車を牽引する電気機関車がいっぱいです。
在籍車両としては、EH500、EF510-500、EF81、EF65-1000、
貸出車両だそうですが、EF64、DE10/11(お召機EF58-61も在籍している様です。)
地震の影響で「北斗星」「カシオペア」などの寝台特急が運休となっていて、
カマ(機関車)が沢山停留していました。
(北斗星用の「EF510-500番台」、あけぼの用の「EF65-1000番台」)
「尾久車両センター(旧尾久客車区)」の奥には、
現役を終えた機関車がカラダを休めていました。
(北斗星塗装の「EF81」、カシオペア塗装の「EF81」)
「田端運転所」と隣接している「東京新幹線車両センター(旧田端操車場)」は、
「東北・上越・長野新幹線」の車両基地となっていました。
「田端運転所」を後にして、上中里駅(京浜東北線)方面へ歩きだして、
「尾久車両センター」に沿って進みました。
「尾久車両センター」の赤羽寄り跨線橋に登って、車両基地を上から眺めました。
広大な「尾久車両センター」の遠方に、「東京スカイツリー」が見えました。
線路に沿って上野方面へ歩いて「尾久駅」へ向かいました。
「尾久駅」では、ホームに上がって車両基地を眺めました。
透は、気に入っていつまでも眺めていました。
「尾久車両センター」には、運休中の「カシオペア車両(E26系)」、
何故か「フレッシュひたち車両(E653系)」が。
更に、「廃車待ちの常磐線各駅停車用203系」
「改造待ち?の京浜東北線用209系」が停留中でした。
透をなんとか?説得して?「尾久駅」を後にしました。
(車両基地の奥の方に1両だけ「横浜博で製造した”夢空間”」がいました)
「尾久駅のホームから見た車両」の横を歩いて、
透の好きな「東北回送線の踏切」へ向かいました。
踏切へ向かう途中、「寒天、トコロテン」の卸店が販売している、
限定商品「あんみつ」(定価400円→休日特割350円→3個で1,000円)を3つ買いました。
「とっても美味しいあんみつ」でした。(大当たり!)
結局、30分待ちましたが、踏切には回送電車は来ませんでした。
透の希望もあって、「尾久駅」へ戻って、高崎線(211系)に乗車しました。
次の、「赤羽駅」で埼京線へ乗り換えました。
赤羽駅には、湘南新宿ライン経由の特急「日光号(485系)」や、
高崎線経由の特急「草津・水上号(185系)」の姿がありました。
埼京線(205系)は、「十条駅」「板橋駅」と停車しました。
(この線区は「山手線(赤羽線)」「赤羽線」と変遷して、今は埼京線の一部です)
池袋駅から山手貨物線へ、新宿の高層ビルが見えてきました。
新宿駅から「中央・総武各駅停車線(E231系)」に乗り換えて、
「西荻窪駅」のラーメン屋さんで遅い昼飯を食べて、歩いて帰宅しました。
2011.05.05(祝)
「C6120」、ついに復活!
水上駅手前の利根川沿いで、3時間半待ってキャッチしました。
立ち寄り温泉にも入って、そこそこ渋滞の関越道を帰宅しました。
朝、6:30に渋滞を避けて?早く出ましたが、超!?順調に関越自動車道を走りました。
「水上駅」の手前の撮影場所には8:30に到着! SLが来るまで待ちました!
上越線の電車が、「水上へ行って!」は、「水上から戻って!」きました。
透はいつまでも帰ろうとせずに、ズット立ったまま待っていました。
撮影するカメラマンが、少しずつ増えてきました。
透の待つ場所(複線の中間部分)の付近は、
橋の上にも、トンネルの上にも、たくさんのカメラマンが集まりました。
谷川岳にも雪が残る中、遅咲きの桜(八重桜)や、
線路の下には、急流下りができる「利根川」が流れていました。
待つこと、3時間半(12:00通過)! 「C6120」が汽笛とドラフト音を響かせてやってきました。
今日(5/5)が初めての一般公開イベント日で、SL列車はDL連結、乗客なしの「回送列車扱い」でした。
(左:撮影長男)
SLが通過したあとも、透は未だ未練が残って?、なかなか帰ろうとしませんでした。
(「水上駅でSLが待っているから」となだめて、連れてきました)
通過していった「C6120」が待つ、「水上駅のターンテーブル」へ移動しました。
「C6120」の勇姿を間近に見ました。
透もターンテーブル上をグルグル廻るSLを見ました。
(大サービスで、2回転半!も回転しました)
復活したばかりの「C6120」です。
蒸気機関車の周りは大勢の人で溢れていました。
水上温泉街挙げての歓迎という所です。
透と「水上駅ホーム」へ行きました。
SLを後押ししてきたDL(DD51)と旧型客車(4両)が留まっていました。
再び、ターンテーブル(転車台)へ戻りました。
(東日本大震災義援金にも寄付しました)
左から、JR来場者配布の「うちわ」、水上商店街土産の「川のり」「SL湯の花まんじゅう」「SL物語弁当」
「C61」だから”動輪が3つ”です。
特別にヘッドマーク(はやぶさ?)も取り付けられました。
大勢の観客が集まる車庫を後に、昼食を取りに出掛けました。
行った「お食事処 民具茶屋」は、店主がコレクター(鉄ちゃん?)の変な?店でした。
(とろろざる蕎麦は美味しかったようですが、ラーメンは薦められません)
利根川沿いに下った鉄橋で戻りの「C6120」を待ちました。
「C6120」をキャッチしましたが、下り坂の蛇行運転!で煙が・・・ありませんでした。
残念!
「渋川駅」に停車中で、出発間際(1,2分前)の「C6120」へ追いつきました。
「高崎駅」へ向けて最後のダッシュをする「C6120」
透は大喜びでした。
昨年11月にも訪れたことのある、立ち寄り温泉「スカイテルメ渋川」へ立ち寄りました。
(大勢の来客で、湯船の撮影ができませんでしたので、上記画像はHP上から引用しました)
大人500円(障害者と付添は300円)と、大変割安な渋川市の公営立寄温泉です。
このあと、渋滞覚悟で関越道に高崎ICから乗りましたが、そこそこの渋滞で帰宅できました。
透も大満足だったようで、帰宅後、直ぐに寝てしまいました。
2011.05.03(祝)、05.04(祝)、05.07(土)
勢いで!?、「山手線の内回り沿い」へも、挑戦しました。
「5/3:品川から、西日暮里までを」「5/4:西日暮里から、渋谷までを」
「5/7:渋谷から、品川までを」ウォーキングして完歩しました。
(内回りウォーキング距離は39.3Km、もちろん線路は34.5km、駅数は29駅で外回りと同じです)
(4/29,4/30,5/1:山手線外回りルート/41.6km) (5/3,5/4,5/7:山手線内回りルート/39.3km)
渋谷→田端→田町→渋谷 品川→西日暮里→渋谷→品川
5/3(祝):
(1)品川駅(8:37):「山手線内回り一周の旅」のスタート地点は、「品川駅」にしました。
初日の夕食を「アメ横で買ったマグロの刺身にしよう」とスタート駅を決めました。
歩き始めた「国道15号線(第一京浜)」には、「泉岳寺」や「大木戸跡」が残っていました。
一方で、ビルも立ち並んでいました。
「札の辻」交差点の歩道橋から東京タワーを眺めて、
(2)田町駅(9:22)を通過しました。
「西郷隆盛、勝海舟会見の地」の日比谷通りとの交差点から、
国道15号線から離れて、線路沿いに歩きました。
お寺、船泊を過ぎると、(3)浜松町駅(9:58)です。
汐留エリア!開発の余波?か、新しいビル群が立ち並ぶ一方で、ビルの周囲には、
「公開空地」と呼ばれる自由スペースが整備されていて、地図に無い道が出来ていました。
新しいビル群を抜けると、昔ながらの「飲み屋街」が見えてきました。
(4)新橋駅(10:25)です。
新橋駅前の名所「SL広場」で記念写真!?と撮って、先を急ぎました。
「第一ホテル周辺は物々しい警備体制!」「帝国ホテル前には大勢の女性達!」でした。
日比谷公園を路地向こうに眺めて、晴海通りを越えて、次の有楽町駅に近づきました。
(5)有楽町駅(10:45)到着!
駅前の「ビルほとりのティールーム〜♪」の「そごうデパート」も今は無く「ビックカメラ」でした。
続いて、イベント中の「東京フォーラム(東京都庁跡)」会場を抜けると、東京駅です。
東京観光の代表「はとバス」もずらり、中央郵便局跡も工事中で、
東京駅一帯が「大改造中」でした。
東京駅の姿は「工事用フェンス」に描かれたイラストだけ!でした。
(6)東京駅(11:02)到着!
クイズ:日本一高い所は?答え「東京駅」です。列車が全て上りです。
日本橋へ繋がる川と高速道路を潜って線路沿いに右へ曲がると、
「東海道東北縦貫」用の橋脚が工事中でした。
高架線下の商店街?はちょっと寂れて居ましたが、
(7)神田駅(11:30)へ着きました。
神田駅を過ぎると、「中央線と山手/京浜東北線」は分岐して行きます。
中央線と別れ、神田川を越えて、秋葉原電気街へ近づきました。
(8)秋葉原駅(11:50)は、相変わらずの賑わいでした。(左:昭和通り口、右:電気街口)
「ガンダムカフェ」には長蛇の列が。しかし、そこを過ぎればしばしの静寂?が。
(9)御徒町(12:10)の神田寄りと上野寄りとでは「人出が大違い」でした。
「アメ横」は、大勢の人出で混雑していました。
今日の目的!「マグロの刺身」をGetです。
ひとさくの表示価格5,800円?が、1,000円だって。(どうみても、いい加減!)
(10)上野駅(12:30)も賑わっていました。
コンコースでは、「東日本応援産直中」キャンペーンをやっていました。
お昼でお腹が空いていたので、上野駅を屋上でまたぐ「パンダ橋」のお店で食事。
13:30「上野駅公園口」へ出ましたが、上野公園への人出で大いに賑わっていました。
上野公園を横目で見て、上野寛永寺輪王殿側へ進みました。
線路越しに「東京スカイツリー」が見えると、鴬谷駅へ着きました。
(11)鴬谷駅(13:50)は、「上野のお山の寛永寺の崖の下!」に有りました。
日暮里駅へ向かう道は、寛永寺(根本中堂など)の中を歩きました。
寛永寺のお墓の中には、「徳川慶喜の墓」などもありました。
お寺が点在して、とても東京のど真ん中とは思えない雰囲気でした。
(12)日暮里駅(14:27)は、お寺の横の細い道を抜けた、崖の下にありました。
日暮里〜西日暮里周辺も、寛永寺と係わりのありそうなお寺が続きます。
お寺を巡る「人力車」もいました。
周辺は、寛永寺「谷中霊園」と呼ばれていました。
何処までが「谷中霊園?」「お寺?」というぐらい点在していました。
雨も強くなって来ました。
(13)西日暮里(14:48)を、今日のGoalにしました。
5/4(祝):
翌日は晴天となりました。早速、西日暮里駅を出発(9:10)しました。
線路沿いに、高台へ登って行きます。
眼下には、新幹線とその向こうに「東京スカイツリー」が見えました。
崖の下に「田端駅(南口改札口)」が現れました。
が、行き止まりなので、メイン?の(14)田端駅(9:31)へ廻りました。
更に、駒込駅を目指して歩き始めましたが、直後にトラブル?が発生しました。
透は「4/29に外回りの旅で田端機関区(左端)を訪問」した事を良く覚えていて、
「EF510やEF81の機関車の所へ行きたい!」と強く要求(左中央、右中央、右端)しました。
「透、山手貨物線には貨物列車が走って来るから、線路に沿って歩いて行こう」と説明、
透は不機嫌ながら、我慢して従ってくれました。(実は、最後まで貨物列車は来ませんでした)
(15)駒込駅(10:15)へ到着しました。
ツツジの咲く駒込駅を、東武鉄道の秘蔵っ子「スペーシア」が通過して行きました。
ツツジの駒込駅から線路沿いに土手の上を歩くと、
まもなく、(16)巣鴨駅(10:30)へ着きました。
先ほど新宿へ向かった、特急「スペーシア日光」が早くも?戻ってきました。
何故なら、橋の上で(やって来ない)貨物列車を約40分間待っていたからです。
住宅街を抜けると、都電荒川線が走っている「大塚駅」で出ました。
(17)大塚駅(11:29)に、巣鴨駅から1時間掛けて到着しました。
更に、大塚駅から池袋駅へ向かう途中でも約25分間待ちましたが、
通過電車(湘南新宿ライン、成田エクスプレス)は通りましたが、貨物列車は来ませんでした。
路地裏を歩いて、陸橋を渡って、池袋駅へ近づきました。
(18)池袋駅(12:33)は、ゴールデンウィークでもあり、賑わっていました。
西武デパートの前を(外回りは東武デパート)通りました。
昼食は回転寿司にしました。13:00に出発して西武池袋線と山手線の間を進みました。
線路脇の土手の上を歩くと目白駅が見えてきました。
(19)目白駅(13:23)の駅前に「学習院」の門がありました。
学習院の塀に沿って下って行くと、神田川に出会いました。
神田川の上で、「西武新宿線」と「山手線」が交差して居ました。
鉄腕アトムの発車ベルが鳴る、(20)高田馬場駅(14:00)です。
駅前を過ぎると、元戸山ハイツ跡の再開発地域を線路沿いに歩きました。
道は工事中で未開通で自動車は通り抜けられませんでしたが、
歩いて新大久保駅へ着きました。
(21)新大久保駅(14:20)に着きました。
駅周辺は、コリアンブームで大賑わいでした。
新宿駅へ線路沿いに向かいました。
まず、「西武新宿駅」「新宿プリンスホテル」の前を通過しました。
「靖国通り」「新宿アルタ前」を通過して、(22)新宿駅(14:45)に到着しました。
チョット疲れを感じましたが、次の代々木駅を目指す事にして、
新宿駅南口、新南口(サザンテラス)側へ出ました。
新宿高島屋横の公園で一休みです。
すぐ隣には「docomoビル」が建っていました。
(23)代々木駅(15:15)の内回り側の改札口は、・・・・質素です!
中央線のガードを潜って、北参道から線路沿いに渋谷方面へ向かいました。
原宿駅「宮廷ホーム」横を抜けると、竹下通りが見えてきました。
「アメ横」以来の混雑振りでした。しかし、客層はみんな若いです。
(24)原宿駅(15:40)到着。
駅前を抜けて、表参道へ向かいました。
「表参道」も賑わっていました。
線路沿いに有る「宮下公園」を歩きました。
公園には「スポーツ施設」などが整備されていて、直ぐ横を電車が走っています。
(25)渋谷駅(16:20)の前にある元東急文化会館跡では、ビルが建設中でした。
8時間余りにおよぶウォーキングとなった為、今日は疲れました。
5/7(土):
今日は「山手線外回り、内回りウォーキング」すべての最終日(9:10)となりました。
渋谷駅のすぐ下を流れている「渋谷川(後に古川)」沿いに歩きました。
並木橋付近を通過する成田エキスプレス、東横線を見ながら、
恵比寿駅を目指しました。
(26)恵比寿駅(9:40)到着、駅ビルから恵比寿ガーデンプレイスへ、
スカイロードを歩いて向かいました。
通路を抜けると、雨が強くなって来たので傘をさして目黒駅へ向かいました。
途中に有る、山手貨物線唯一の踏切で、電車の通過を見ました。
(山手線旅客線は、田端-駒込間の一ヶ所のみです)
(27)目黒駅(10:20)へ到着しました。
線路沿いに坂道を下って行きます。
下り終わると、(28)五反田駅(10:40)へ到着しました。
五反田駅から大崎までのルートは新しいビルが立ち並んだ所には、
「公開空地」として公園や遊歩道が整備されていました。
(29)大崎駅(11:00)の道路沿いの階段は昔ながらの古いものでした。
この駅で、内回りでも全駅訪問達成です。駅前には、山手通りが通っています。
駅前のオフィスビルや大崎川(目黒川)を越えて、最後の山越えをします。
「御殿山通り」と言う細い静かな道を登ると、
御殿山のマンション、ホテルの立ち並ぶ高台の公園へ出ました。
御殿山ガーデンの中庭(公園/遊歩道/ジョギングコース)を歩きました。
国道15号線(第一京浜)へ戻って、八ツ山橋交差点へ出ました。
(透の大好きな「八ツ山橋陸橋」で、透の強い希望も有って、陸橋の上で休憩しました)
八ツ山橋には、旧東海道を歩く多くのツアー客が次々とやってきました。
ほぼ完歩の達成感を味わった、八ツ山陸橋での景色です。
「山手線内回り完歩!」です。雨もやみました!!
透は、とっても我慢強く、最後まで頑張りました。褒めてあげたいです!
「山手線外回り/内回り完遂!!」 80.9Km(16.9万歩)を達成しました。
内回り39.3Km(8.4万歩)、外回り41.6Km(8.5万歩)
5/3:15.7Km(3.1万歩)、4/29:16.9Km(3.2万歩)
5/4:15.8Km(3.3万歩)、4/30:13.0Km(2.8万歩)
5/7:7.8Km(2.0万歩)、5/1:11.7Km(2.5万歩)
2011.04.29(祝)、04.30(土)、05.01(日)
今年のゴールデンウィークは、「山手線を外回り沿い」に、
「4/29:渋谷から、田端までを」「4/30:田端から、田町までを」
「5/1:田町から、渋谷までを」ウォーキングして完歩しました。
(外回りウォーキング距離は41.6Km、線路としては34.5km、駅数は29駅です)
去年は5/2、5/5に、「京王井の頭線全線ウォーク」をしました。
このページは、「我が家の記録」として、ウォーキングした時に見た街の景色を、
3日間約300画像として記録しました。(長文?長画面?ページでスイマセン)
4/29:渋谷駅ハチ公前から外回り沿いに歩き始めて、16.9kmを歩きました。
4/30:今日は田端駅から上野/東京を経由して田町まで、合計29.9Kmを歩きました。
5/1:最終日は、風が強い日でしたが、雨が降る前に「山手線一周41.6kmを完了」しました。
4/29(祝):朝8:00自宅出発。西友でお菓子を仕入れて、富士見ヶ丘駅から出掛けました。
「山手線外回り一周の旅」のスタートは、「渋谷のハチ公前」からにしました。
(1)渋谷駅(8:45):渋谷ハチ公前交差点、公園通りから代々木公園方面へ歩きました。
左手に、岸記念館、NHK、代々木室内競技場が見えました。
(2)原宿駅(9:08):明治神宮の正門前が駅です。
明治神宮内を歩いて通り抜けました。
神宮内には、「初詣専用の臨時改札口」や、「池」がありました。
「北参道(裏参道)」から出て、代々木駅へ向かいました。
(3)代々木駅(9:32):新しい大江戸線改札口もありました。
小田急線の踏切を越えました。
サザンテラスを歩いて、(4)新宿駅南口(9:55)へ、更に西口へ抜けました。
「思い出横丁」を抜けて、中央線沿いに新大久保駅へ向かいました。
中央線を潜ると、コリアン店舗が並ぶ路地となりました。
(5)新大久保駅:本当にチッチャな木造の駅を過ぎて、線路沿いの西戸山公園で一休みしました。
休憩中に、東武特急「スペーシア(特急「日光1号」)」も通過していきました。
(6)高田馬場駅(10:53):鉄腕アトムのメロディーの発車ベルが鳴る駅でした。
先日歩いた「神田川」を渡ります。
西武新宿線の踏切を越えて、山手線沿いに目白駅を目指します。
(7)目白駅(11:17):学習院が有ることで有名ですが、線路沿いに細い道が続きます。
(8)池袋駅(11:40)、メトロポリタン口に到着。西武池袋線/東武東上線に挟まれた駅です。
池袋駅南口を過ぎると、東武東上線の線路沿いに歩きます。
正面に見える高い煙突は、豊島区の清掃工場です。
池袋駅の先にある、「山手線、埼京線、山手貨物線(山手急行線)」の重要な立体交差です。
豊島区の清掃工場の中を通り抜けて、線路沿いに狭い道を進みました。
(9)大塚駅(12:25):都電荒川線と交差する駅でした。
巣鴨駅へ向かう線路際の食堂で、昼食(ラーメン)を食べました。美味かった!
(10)巣鴨駅(13:05):白山通り(国道17号線)が駅前を通っていました。
次の駅、駒込までは線路沿いにまっすぐで、直ぐに着きました。
(11)駒込駅(13:28):この駅は「ツツジの花」で有名です。
駒込ー田端間には、山手線の貴重な!「唯一の踏切(第二中里踏切)」があります。
田端駅の直前に、山手線(環状線)と山手貨物線(急行線)の立体交差があります。
その先には、広大な「東北新幹線車両基地」と「田端機関区」が見えます。
「外回り一周」の道は、「車両基地と機関区」を越える道がなく、
京浜東北線の「上中里駅」手前まで遠回り(14:16)をしました。
田端機関区には、地震のために運休となっている「北斗星」「トワイライトエクスプレス」
を牽引するEF510-500番台の機関車などが留置していました。
透は、大喜びでジット!見ていました。
更に透は昔来たことのある、尾久運転所への回送線踏切にも自分で向かいました。
(12)田端駅(15:05):大廻りをしましたが、十分楽しんで今日のGoal駅へ到着しました。
本日のウォーキング距離は16.9kmでした。
4/30(土):
今日は富士見ヶ丘駅から、JR「田端駅」へ新宿経由で直行しました。
「山手線外回り一周の旅」2日目は、田端駅(9:28)を上野駅、東京駅方面へ歩き始めました。
田端駅からは、「東北本線」と「山手/京浜東北線」の間のJR敷地内を歩きました。
(13)西日暮里駅(9:45):この駅は地下鉄「千代田線開通」に合わせて新設された山手線最新駅でした。
常磐線(地上線)、京成電鉄(高架線)が東北本線へ近づく複雑な配置でした。
最近「舎人ライナー」が開通した、(14)日暮里駅(10:03)は、新旧の駅舎がアンバランス?でした。
日暮里ー鶯谷間は「根岸」の地名通り、名所旧跡が多くありました。
(15)鶯谷駅(10:20):駅周辺は、なんと、ラブホテルだらけ!の道が続きました。
細い道を抜けると、そこは上野駅構内でした。
留置している特急電車群を見ながら、上野駅へ近づきました。
(16)上野駅(11:05):駅前の高架橋の上から、象徴的なデザインの「上野駅」を見ました。
上野ー御徒町間のガード下の商店街は賑わっていました。
(17)御徒町駅(11:15):上野駅からキョロキョロしていると、すぐに着きました。
御徒町駅を過ぎると、急に静かになりました。
一方で、静かに高架線上では工事が進行していました。(説明は後述)
「ヨドバシカメラ」が進出した、(18)秋葉原駅(11:35)の中央口はもの凄くキレイ?でした。
「神田ふれあい橋」!で神田川を渡って、高架線下を歩きました。
上野〜東京駅間では、「東北東海道縦貫線」の工事が着々と進められていました。
(東海度本線と東北/高崎本線が相互に直通運転できる様にする旧国鉄時代からの究極の計画です)
(19)神田駅(11:50):神田駅前にはお店が沢山並んでいましたが、
休日の午前中ということでひっそりとしていました。
線路沿いに「新常盤橋」を越えると、そこはもう「東京駅の傍」でした。
(20)東京駅(12:10):日本橋口に着いて、そのまま駅構内の地下街を歩きました。
さすがに、東京駅の人出は多く、雑踏の八重洲口地下街を通り抜けて有楽町駅へ向かいました。
(21)有楽町駅(12:30〜13:03):銀座の玄関口?だけあって、この駅も混んでいました。
透の希望通り、駅前の「回転寿司」へ飛び込んで昼食にしました。
新橋までは、有楽町のガードしたの飲み屋街(裏銀座!?の愛称もあります)
を歩いて、(22)新橋駅(13:25)へ着きました。
新橋駅前は、「ゆりかもめ開通」「汐留ビル群建設」によって大きく変わっていました。
汐留のビル群を貫く、建設中の環状2号線を見物?しました。
モノレール(ゆりかもめ)の高架下を、浜松町駅を目指しました。
旧浜離宮恩赦庭園の隣にある、(23)浜松町駅(14:00)へ到着しました。
駅構内を通り抜けて、今度は「東京モノレール」沿いに田町駅を目指しました。
駅構内から「東京ガス、東芝」へつながる連絡通路を歩きました。
浜松町ー田町駅間には、昔からの建物や料亭が残っています。
この区間、モノレールは新幹線・東海道本線・山手/京浜東北線と並行して走っています。
田町駅に近づきました。(モノレールは海沿いへ去りました!?)
二日目のGoal、(24)田町駅(14:30)へ到着しました。何故か、懐かしい駅でもあります。
今日のウォーキング距離は13.0km、通算29.9kmでした。
5/1(日):
「山手線外回り一周の旅」最終日は、風が強い日でしたが、雨が降る前にと、
一駅最長区間「田町〜品川」+大崎間を山場に想定して、早めに出発(7:53)しました。
田町駅の海側、芝浦サイドは「運河を整備して、マンションやオフィスビルが林立」していました。
その運河沿いに「新幹線の車両基地への引込線」が通っていました。
運河を越えると、在来線の田町電車区沿いに新幹線・東海道本線が走っていました。
(25)品川駅(8:32):新幹線駅の設置によって、薄暗かった!「港南口」が立派になりました。
元新幹線東京車両基地跡の「インターシティ」を通り抜けて、八ツ山橋陸橋へ向かいました。
立派な、国道15号線(第一京浜)へ抜けるトンネルが完成していました。
八ツ山橋陸橋上は、透もお気に入りの「京浜急行のオンパレード」でした。
陸橋下には東海道本線/横須賀線/京浜東北線/山手線、道路の下には東海道新幹線は走っていました。
国道15号線沿いに歩くと、小さな京浜急行「北品川駅」がありました。
山手貨物線と横須賀線(品鶴線)の分岐付近を歩きました。
線路の下は、環状6号線(山手通り)が通っていて、東海道本線を潜っています。
東海道本線と新幹線/横須賀線/山手線の間にある、歩道橋で目黒川(大崎川)を渡りました。
歩道橋の正面は「第一三共製薬の工場玄関」でした。
目黒川沿いに細い道を歩いて、品鶴線に沿って行くと、
まもなく山手電車区(大井工場隣接)が見えてきました。
今度は、品鶴線を潜って、跨線橋で「りんかい線、山手電車区への引込線」を越えました。
大崎駅付近のビル群が見えてきました。
(26)大崎駅(9:48):昔は工場(SONY/明電舎)だった所に、大きなビルが建っていました。
大崎ー五反田間の線路脇の公園で一休みしました。
東急「池上線」を見ながら、目黒川を越えて、(27)五反田駅(10:18)に到着しました。
国道1号線を越えて、線路沿いに歩きました。
五反田ー目黒間は線路がすぐそばを走っています。
(28)目黒駅(10:40)に着きました。強いが風が吹いていました。
駅前を通り過ぎて、線路を見下ろす跨線橋上から「貨物列車の通過」などを見ました。
目黒ー恵比寿間で、山手線(旅客線)と山手貨物線(埼京線)が左右入れ替わります。
特に目立つ、「日の丸自動車学校」の建物は、山手立体交差地点のすぐ横です。
「恵比寿ガーデンプレース」の横を通過しました。
恵比寿ガーデンプレースへ渡る橋が、歌謡曲に出てくる「アメリカ橋」です。
(29)恵比寿駅(11:17):まだ工事が続く「恵比寿駅」へ到着しました。
この時点で、「全山手線駅到達」達成です。
最後の一区間ウォーキングに向けて線路沿いに進みました。
「恵比寿ー渋谷間」に唯一ある跨線橋の上で、通過する電車、機関車を眺めました。
並木橋陸橋を通過すると、渋谷駅はすぐです。
国道246号線(青山通り・玉川通り・厚木街道)を越えて、
出発した「渋谷駅」西口へ到着しました。
モヤイ像の前を通って、
二日前にスタートした「ハチ公前」に到着(11:55)しました。完歩!です。
「ハチ公」前は賑わっていました。
ちょうどお昼だったので、「渋谷駅前のラーメン」で締めました。
今日のウォーキング距離は11.7km、通算41.6km(一周)でした。
2011.04.23(土)
山梨県塩山/勝沼の【桃源郷”甲斐の国のお花見会”】
昔の職場仲間を、「昔の職場仲間達と我が家族」で訪ねました。
自宅を6:30に出発!、中央自動車道を勝沼ICまで雨の中を走りました。
「勝沼ぶどう郷駅」ホームに上がると、まず「特急スーパーあずさ4号」新宿行き(E351系)が通過!
ちなみに、「勝沼ぶどう郷」駅は、関東の駅百選の選定駅(訪問2005/06/25)です。
すぐに続いて、「特急スーパーあずさ1号」松本行き(E351系)が通過しました。
E351系は、JR東日本が誇る第一号「振り子電車」でもあります。
「勝沼ぶどう郷駅」は、急勾配(約25/1000)で、しかもカーブしている途中にあって、
桃の花が咲く、ぶどう園の棚田の中腹にあります。
乗降者数の少ないホームですが、山側にはぶどう畑が、
裾野側には勝沼の盆地が広がる、風光明媚な駅です。
特急「あずさ」(E257系)、各駅停車(115系1000番台)が通過するホームの下には、
複線化工事で廃止となった「旧勝沼駅」のホーム(スイッチバック駅)が残っていました。
「旧勝沼駅」ホームの桜は、すでに葉桜となっていました。
駅名標の隣駅は「甲斐大和」ではなく「初鹿野(ハジカノ)」になっていて、「初鹿野←勝沼→塩山」だった。
注)中央本線開通時からの駅名は「初鹿野」で、1993年に現在の「甲斐大和」駅へ改称されました。
旧線路を活かした遊歩道には、昔の中央本線の名機「EF64」18号機が保存されていました。
複線化に伴って廃止となった「大日影トンネル」まで散歩をしました。
3本見えるトンネルの内、右端が廃止された「大日影トンネル」で歩いて通り抜けることができます。
右側が上り線の「新大日影トンネル」、中央が下り線の「新大日影第二トンネル」です。
連接型の大型直流専用の「EH200電気機関車」が牽引する石油専用貨物列車がやってきました。
EH200の愛称は「ブルーサンダー」、透は迫力ある貨物列車が大好きです。
続いて、「特急スーパーあずさ5号」(E351系)が駆け降りて行きました。
この列車を見た後、おとうさんの元職場仲間達と落ち合う為に「塩山駅」へ向かいました。
塩山駅(塩山の町)は大きな街でした。
待つ間、特急「かいじ106号」や普通列車「小淵沢行き」が到着しました。
職場の仲間たちが乗車した「特急あずさ7号」が10:00に到着してました。
予定では「特急はまかいじ」で到着する計画でしたが、地震/計画停電で運休となっていて、計画が狂いました。
その関係もあって、「特急はまかいじ」が停車する「勝沼ぶどう郷駅」へ、この「特急あずさ」が臨時停車したそうです。
元職場仲間が定年退職後始めた「農園」を、みんなで見学しました。
土地を耕して、野菜を植えて1年間強、頑張っていました。
畑はぶどう畑に囲まれた一角で、自宅に近い所にありました。
自宅でひと休みした後、用意してくれた「お出かけ案」に沿って「釈迦堂遺跡博物館」へ。
桃の花を中心に園内は花で満開でした。まさに「桃源郷」です。
小雨の中でしたが、満開の花の中、園内を巡りました。
続いて、「ぶどうの丘」を訪問。ワインボトルがいっぱい並んでいて、
試飲もできましたが、これは諦めました。
昼食は、地元の名店「奥籐第十分店」の名物「鳥もつ煮」を食べました。
B-1グランプリの「甲府鳥もつ煮」元祖となるお店だそうです。(中央:鳥もつ煮単品、右端:鳥もつ煮丼)
食後、2台の車で桃の花が咲く国道411号線沿いに大菩薩方面までドライブした後、
ワイングラス館や、ぶどうパンの「いしがま」のお店に立ち寄りました。
「宮光園」を訪問しました。
建物が復元されていましたが、有料?なので門の前で帰ってきちゃいました。
「宮光園」一帯は「ワイン資料館」で、「メルシャンワインルーツ、醸造所」が保存されていました。
資料館の敷地内には、昭和天皇がこられた場所や博物館もあって、歴史を感じさせました。
最後に、「マンズワイン勝沼ワイナリー」を訪問しましたが、ここも試飲を諦めました。(当然です!)
このあと、仲間の自宅に戻って、奥様からごちそうも頂いて、帰宅しました。
一日中案内をして頂くなど、大変お世話になりました。本当にありがとうございました。
2011.04.17(日)
「桜満開の秩父路」には、SLが走り、温泉は濃厚なpH10.0でした。
1ヶ月半振りに、遠出をしました。
国道299号線「正丸峠」を越えて、桜咲く長瀞「上長瀞駅」へ直行しました。
今回は、”秩父通いは数十回”と言う長男の運転で、ラクラクでした。
蒸気機関車到着の1時間半前でした。(長男は、撮影ポイントへさっそく移動しました)
桜の中を走る、秩父鉄道の顔「旧国鉄101系」、秩父鉄道乗り入れの「西武鉄道秩父線用4000系」です。
撮影の名所となる線路沿いには、大勢のカメラマンがズラリ!!
(この中の何処か?に、長男がいます)
時間もあるので、我が家族(透とアラカン夫婦)は荒川の河原まで散歩をしました。
「石投げ」をする透の後ろの鉄橋を、電車列車やセメント貨物列車が通過していきました。
荒川沿いは、桜の花が満開でした。
「上長瀞駅」へ向かう道も桜のトンネルで、11:30過ぎに通過するSLを待ちました。
その間に来た電車もユニークでした。
秩父鉄道新旧オリジナル塗装の旧JR101系(左端、中央左)、
最新塗装の東急東横線/田園都市線から転入した旧8090系、旧8500系(中央右、右端)
桜のトンネルの中を「SLバイオエクスプレス」C58363号機がやってきました。(左:撮影長男)
透が客車の乗客から手を振られたのに反応して、「手を振って応えました!!(右)」
これは、スゴイです!初めてのことが起こりました!
渋滞する秩父市街を避けて山沿いを迂回、「浦山口駅」へ先回りしてSLが来るのを待ちました。
桜の花吹雪が舞い散る中、SLがやってきました。
「満開の桜の中を走る蒸気機関車!」と言うところです。(左:撮影長男)
駅舎への通路も桜のトンネルでした。
SLとの二度のご対面!に満足して、秩父の秘湯?へ直行しました。
旅館は、荒川の支流「谷津川」沿いの行き止まりにありました。
立ち寄り温泉は旅館「谷津川館」で、源泉かけ流しの立派な旅館でした。
大人1,000円とチョット高めではありますが、まさに和風旅館の温泉でした。
ツルツルとした、「たまご水」と呼ばれる肌触りの良い滑らかなお湯でした。
pH10.0でスベスベとした、気持ちの良い源泉かけ流しの温泉です。
当日は日曜日の午後と言う事もあって、お客さんは1組だけで貸切状態でした。
(もったいない!)
旅館の庭や玄関脇には、春の花の桜屋ツツジなどが咲き乱れていて、見事!でした。
ユックリと、一泊する旅館と言う感じがしました。
湯上りの後、秩父鉄道の終着駅「三峰口駅」へ昼食を取るために移動しました。
駅構内は、秩父鉄道の古い機関車などの(野ざらし?)博物館にもなっていました。
そ、そこには!発車間際の14:03発折り返し「SLバイオエクスプレス」が待っていました。
今日、三度目のご対面となりました。
長〜い発車の汽笛の後、ドラフト音を響かせて出発していきました。(右:撮影長男)
SLの背景は、満開の桜並木でした。
駅前のそば屋さん(福島屋)で、ヤットの昼食を取りました。
注文は、この店に来たら!名物「みそぶた定食」と言うことで4人で4つを頼みました。(満腹!)
「堪能!満腹!の秩父路」を後にして、いつも帰り道に立ち寄る西武秩父線「芦ケ久保駅」へ。
この駅の下には、道の駅「あしがくぼ」があります。
桜も満開で、絶景の芦ケ久保駅を後に帰宅しました。
2011.04.16(土)
今日は天候不順?と言う事で、
遠出を避けて久しぶりにお台場海浜公園へ行きました。
気温は25℃近くまで上がって暑いぐらいでした。
久しぶりにお台場へ、首都高速を30分でやってきました。
3/11の地震で、海沿いの遊歩道近くは液状化現象の傷跡や地割れがありました。
全体が埋立地のお台場ですが、その他には被害の跡は見当たりませんでした。
潮風公園バーベキュエリアから海沿いに、海浜公園(中心地)へ歩きました。
ところが!「なんと、人数の少ないこと!!」
ほとんど、占有状態!でした。(今がチャンス!です)
急に暖かくなったので八重桜やタンポポも、咲き始めました。
桜越しに見る、フジテレビ本社、レインボーブリッジ。
いつもは混んでいる「お台場プロムナード、アクアシティ、ファーストフードフロア」もガラガラ。
お台場海浜公園で、マクドナルドの「持ち帰りでランチ」
もと来た海沿いの道を戻って、帰りは一般道(1H)で帰りました。
2011.04.10(日)
神田川と支流(善福寺川/妙正寺川)の全河川ウォークを完歩しました。
6回に渡って歩いた総歩数は127,631歩、総距離は76.5kmでした。
ゴールは、千代田区と台東区の区境・隅田川への河口「柳橋」でした。
《このページは、「神田川ウォークの総集編」にします》
@A
@2/19(土)神田川(7.8km):久我山〜中野富士見町(16,415歩、9.8km)
A3/5(土)神田川(8.9km):中野富士見町〜江戸川橋(22,728歩、13.6km)
BC
B3/19(土)善福寺川(8.2km):荻窪〜中野富士見町(21,220歩、12.7km)
C3/20(日)神田川(3.1km):井の頭公園〜久我山、善福寺川(4.2km):善福寺公園〜荻窪(21,958歩、13.2km)
D
D4/2(土)妙正寺川(10.7km):妙正寺公園〜下落合(23,532歩、14.1km)
E
E4/10(日)神田川(6.3km):江戸川橋〜柳橋(21,778歩、13.1km)
神田川ウォーキングは、70,933歩/42.5km(神田川沿いは、26.1km)
善福寺川ウォーキングは、33,166歩/19.9km(善福寺川沿いは、12.4km)
妙正寺川ウォーキングは、23,532歩/14.1km(妙正寺川沿いは、10.7km)
神田川と支流(善福寺川/妙正寺川)全河川ウォーキングは、127,631歩/76.5km(全河川沿いは、49.2km)
自宅からJR「荻窪駅」まで歩いて、東西線直通電車(JR/E231系-800番台)に乗って、
東京メトロ「神楽坂駅」まで移動して、地蔵坂、渡邉坂を下ると「江戸川橋」へ着きます。
神田川沿いに桜が満開な「江戸川橋」へ到着しました。
「江戸川橋」は、3/5(土)に「中野富士見町」から歩いてきて以来、2度目になります。
神田川に沿って、桜が所々に咲く飯田橋方面へ進みました。
この先で「外堀」と合流する為か、その手前に洪水を防ぐ「水道橋分水嶺」取水口がありました。
JR「飯田橋駅」前で神田川は90度カーブして、駅前交差点の下で「外堀」と合流していました。
小石川後楽園、東京ドーム野球場、東京ドームホテルを見ながら、JR「水道橋駅」を過ぎました。
「水道橋駅〜御茶の水駅」間では、神田川越しに
「中央快速線、中央緩行線(=総武線)」を見ながら、一休みをしました。
桜が咲く神田川沿いに走る「中央線快速」(JR/E233系)です。
JR「御茶ノ水駅」付近では、
いわゆる「中央線(快速JR/E233系)と総武線(各停JR/E231系)」の併走が見られます。
聖橋の下は、JR「中央線・総武線」と東京メトロ「丸ノ内線」の「御茶の水駅」です。
「湯島聖堂」を左手に見て、アキバ、AKBの愛称を持つJR「秋葉原駅」へ到着しました。
昌平橋、旧交通博物館跡、肉の万世本店、万世橋を巡って、
大変身した「秋葉原駅中央口」にはびっくりしました。
昭和通り「岩本町」交差点を越えて、神田川に沿って昔からの問屋街を歩きました。
細い路地裏でしたが「昔は御成り通り」と呼ばれた歴史道でした。
JR「浅草橋駅」を過ぎて、いよいよゴールの柳橋付近の船泊に着きました。
柳橋が見える神田川沿いには「屋形船の船泊」が続きます。
「柳橋」は緑色に塗られた鉄製の橋でした。
ゴール!「柳橋」:柳橋から見る神田川上流方面の船泊です。
ゴール!「柳橋」:柳橋から見る隅田川との合流地点です。
神田川河口のそばには両国橋があって、東京スカイツリーが見えました。
隅田川に沿って、下流に向かって南下しました。
「両国橋」から、下流の「浜町公園」へ向かいました。
隅田川には「屋形船」や、遠くには「新大橋」が見えました。
今日のウォーキングのゴール地点となる、「浜町公園」に着きました。
公園の桜は満開で、持ってきたお菓子を食べてゴールを祝い!?ました。
気候も暖かくなって、地元の方々で賑わっていました。
正面のビルは「明治座」です。
浜町公園、隅田川、その向こうに「東京スカイツリー」が頭を見せていまいました。
浜町公園の地下が都営地下鉄新宿線の「浜町駅」で、その電車(都営/10系)に乗って帰宅しました。
6回に渡って歩いた総歩数は127,631歩、総距離は76.5kmで、
神田川と支流(善福寺川/妙正寺川)の全河川ウォークを完歩しました。
2011.04.07(木)
東京の桜、満開宣言発令中!
通園の帰り道、満開となった善福寺川緑園公園を歩きました。
さくら さくら いざ舞い上がれ♪
さくら舞い散る中に忘れた記憶と 君の声が戻ってくる♪
4/7:杉並区成田東の「善福寺川緑園公園」の満開の桜
4/7:杉並区高井戸東の「神田川高井戸駅付近」の満開の桜
4/1(左・開花)、4/7(右・満開):杉並区久我山の「自宅」の樹齢61年の桜
4/1:都心港区芝の「芝公園」のお花見夜桜
4/2:杉並区清水の「妙正寺公園(左)、妙正寺川(右)」の枝垂れ桜
4/5:杉並区阿佐谷南の通園途中にある「阿佐谷にしはら公園」の白い桜
4/8:杉並区久我山の「神田川沿い」の桜
4/8:三鷹市井の頭の「玉川上水沿い」の桜
4/8:三鷹市井の頭の「井の頭公園」の桜
4/8:三鷹市井の頭の京王井の頭線「井の頭公園駅」付近の桜
2011.04.02(土)
神田川の支流「妙正寺川」を源流(妙正寺公園)から、
神田川との合流地点(西武新宿線下落合駅付近)まで完歩しました。
杉並区から中野区、新宿区と10.7kmを約4時間掛けて「妙正寺川」を歩きました。
妙正寺公園までは、自宅から次男に自動車で送ってもらいました。
環状8号線の「荻窪〜井草間の中程、東側」に小さな池と公園があって、近くに「妙正寺」があります。
「妙正寺公園」が「妙正寺川」の源泉ですが、今は枯れてしまって人工池だそうです。
「妙正寺池」からトンネルで道路を潜って、「妙正寺川」は流れ出します。
「枝垂れ桜」の咲く両岸を過ぎると、水量の少ない?川が続いて、「早稲田通り」を潜ります。
源流から1.3km、杉並区から”なんの区切もないところで”中野区へ入ります。
団地が見えてくると、西武新宿線「鷺ノ宮駅」のすぐ横を通り過ぎます。
(「鷺ノ宮駅」の名前は「白鷺地区と若宮地区」の合作と判りました)
立て直し中の「鷺宮団地」を横に見て、環状7号線(野方付近)をくぐり抜けました。
今は大事な?東京電力「野方変電所」横を通って、「平和の森公園」で一休みしました。
公園を出ると直ぐに「沼袋駅」付近で、初めて「西武新宿線」の線路を越えます。
この後、新宿線に沿って、付かず離れず!3回も越えることになります。
ここで妙正寺川の支流「江古田川」と合流!ほとんど水が流れていませんでした。
まもなく、たくさんの銅像が立ち並ぶ「哲学堂公園」の横を通過しました。
この先「中野区上高田(右岸)、新宿区中井(左岸)区間」で、「妙正寺川」がほぼ区境です。
相変わらず、曲がりくねった川筋ですが、新宿の高層ビル群が見えてきました。
西武新宿線「新井薬師前駅〜中井駅」間で線路を潜ります。(2回目)
中野区上高田付近の北側を通過すると、急に住宅密集地になりました。
「妙正寺川」は、新宿区中井へ入りました。
西武新宿線と都営大江戸線の乗り換え駅「中井駅」に着きました。
妙正寺川の上空?には環状6号線山手通り、地下には首都高速「山手トンネル」が通っています。
ここで、3回目の西武新宿線越えをしました。(道は行き止まりで迂回しました)
いよいよゴールの西武新宿線「下落合駅」付近に着きました。
神田川の迂回ルートとの合流地点が見えます。
この場所には「3/5(土)の神田川ウォーキング」でやってきたことがあります。
妙正寺川は、ここが神田川との合流地点で「終点」となります。
1ヶ月前にはつぼみも小さかった神田川流域の桜も三分咲きとなっていました。
西武新宿線「下落合駅〜西武新宿駅、京王新宿駅」を経由して15:30頃に帰宅できました。
杉並区妙正寺公園(10:10)から中野区下落合駅(14:05)まで、10.7km(河川は9.7km)を歩いて到着しました。
3時間55分(含む昼食)ウォークです。次回は、神田川が隅田川へ流れ込む「柳橋」まで歩く予定(約6Km)で、
都合6回目の「神田川全河川流域ウォーキング(含む支流)」は”完結”する予定です。
2011.04.01(金)
新年度がスタート!我が家の桜も開花宣言!
お花見もスタート!ウォーキング歩数も300万歩を越えました。
透も新年度となって、自宅を7:45出発する朝の「通常通園(始業は9:00)」となりました。
帰園も終業が15:30となる5時間作業となりました。(帰宅は16:40頃です)
お父さんは今日、行き帰りの往復を同行して歩いたので、2往復約20kmのウォーキングとなりました。
杉並・荻窪にある「大田黒公園」は、冬の佇まいのままでした。
桜の木も少なく、静かな佇まいです。
我が家の桜(ソメイヨシノ)に、(自ら!?)開花宣言を出しました。
樹齢61年、春の息吹きが今年もやってきました。
その日の夜、東京・芝公園のほぼ中央にある桜は「満開の花」を付けていました。
この木の下で、会社の仲間たち総勢10(+1)名が集まって「お花見」をしました。
公園の照明はなく「懐中電灯」を付けながら、車座になって話題は尽きませんでした。
東京タワーも消灯(赤い点灯だけ:左写真の中央上部)、
公園は、さすがに我がグループだけ(貸切!)でした(右写真は赤羽橋方向)。
桜の下での「お花見の宴」は、2時間半!
風邪を引かないように、ビールより日本酒(常温?)で温まり?ました。
最後は桜の下で記念撮影!、しかも二次会も開いてしまい、終了は翌日になりました。
(お蔭様で、私も終電車に乗り遅れて、息子に迎えに来て貰いました。みんなは??)
(個人情報保護の観点で、画像を編集しています)
今日、4/1は透の通園同行(2回)と夜の外出(花見)もあって、一日の歩数が38,400歩となりました。
退任した昨年の7月以来(9ヶ月間)の累計歩数が「300万歩(3,006,694歩)」を越えました。
また、歩数計の計算では累計の距離が「1,830km」を歩いたことになりました。
我ながらすごいですネ!!、まだ頑張っていきますヨ!!
「我が家のアルバムは「とおるとお話」(最新)」はこちらへ
「2011年我が家のアルバムは「とおるとお話」(10月〜12月)」はこちらへ
「2011年我が家のアルバムは「とおるとお話」(7月〜9月)」はこちらへ
「2011年我が家のアルバムは「とおるとお話」(1月〜3月)」はこちらへ