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2010年(7月〜9月)
我が家のアルバムは「とおるお話」

ふじい家の全員が「とおるとお話」をするのが、我が家のアルバムです。
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2010.09.25、26
第7回「伊豆急全線ウォーク Wonderful Road(80.5km)」へ今年も参戦!
伊豆半島伊東駅→伊豆北川駅までの、33.7Km(65,595歩)を歩きました。

1泊2日で台風一過の晴天の下を、いつもの3人で歩き始めました。


今回の「伊東駅→伊豆北川駅」ウォーキングで、計7個のバッジをGetしました。
  
今季の「伊豆急全線ウォーク」のスタート(9/25:9:30)は、伊東駅から終点の伊豆急下田駅を目指しました。
早朝までの雨も止んで、台風も八丈島沖を通過して天候は晴天へ好転しました。

 
国道135号線の海岸沿いは、海からの涼しい風(やや強め)で快調にスタートしました。
  
台風が通過している最中で風は有りましたが、伊東港内の波はそこそこ穏やかでした。
  
川沿いに南伊東駅を目指します。
古い木造建築の旅館は風情があります。

  
「南伊東駅」に約50分(3.5Km)で到着しました。
早々に、川奈駅を目指して歩き始めました。

 
連続した上り坂で汗をかきましたが、峠から見える稜線は綺麗でした。
  
渋滞が始まっている国道135号を越えて、「川奈口」から下ったところが駅でした。
(峠の地下を、伊豆急行線はトンネルで潜り抜けています)

  
「川奈駅」に到着(5.1Km)しました。
お昼用の「お弁当や飲み物」を買い込んで出発しました。

 
国道135号線の旧道を、この後富戸駅まで歩く事になります。
旧道は崖の中腹の高台を走っていて、道の途中でお弁当を食べました。

   
川奈駅→富戸駅間は7.3Kmあって、今日の最長区間でもあります。
途中、ステンドグラス美術館や川奈ホテルゴルフ場の前を通過しました。

  
旧道と線路が近づくと、ちょうど特急「踊り子」号が通過して行きました。
直ぐ側には、「与那国馬ふれあい牧場」がありました。

 
「富戸駅」に到着しました。
   
富戸駅では、熱海行き普通電車と伊豆急下田行き特急「踊り子」の列車交換がありました。
交換を見届けて、今日のGoalとなる「城ヶ崎海岸駅」(4.5Km)を目指して出発しました。

 
富戸港までの海岸沿いには、台風の余波を受けた高波が次々と打ち寄せていました。
 
高波の波しぶきが霧となって、一帯「塩辛い、海の香り」が立ち込めていました。
 
余りの波の高さ、激しさで、しばらく海を3人で眺めて居ました。
   
富戸港の湾内は静かでした。が、遊覧船は終日欠航でした。
  
城ヶ崎海岸からは、「高級別荘地」の中を通り抜けて駅へ向かいました。
伊東駅→城ヶ崎海岸駅間20.4Kmを5時間45分掛けて、今日のウォーキングをGoal Inしました。

   
今日の宿泊地となる「かんぽの湯 伊豆高原」は、
城ヶ崎海岸駅から歩いて15分の所に有りました。

  
高台の広い敷地に「かんぽの湯 伊豆高原」は有りました。
本館と東館/西館に分かれて居て、全室オーシャンビューの3階建でした。

  
ホテルからは、相模灘、伊豆大島が正面に良く見えました。
初日の露天風呂は「月光の湯」でした。

  
翌朝(9/26)は、風呂場が入れ替え制となっていて「満天の湯」となりました。
  
「満天の湯」は、風呂場の上部にあって、海も見えて見晴らしも良好でした。
日の出早々の6:00に朝日が差す中で入る事ができました。

 
二日目も城ヶ崎海岸駅まで歩いて、
伊豆高原駅に向けて、8:30にスタートしました。

  
城ヶ崎海岸駅から伊豆高原駅までの3.7Kmは、別荘地内を歩きました。
  
伊豆高原駅手前の踏切を渡ると、「伊豆高原駅」に着きます。
伊豆高原駅は、伊豆急行線最大の基地で、鉄道の要所でもあります。

  
伊豆高原駅から伊豆大川駅に向かって(6.8Km)歩き始めました。
再び「国道135号線」に戻って八幡野観音様の前を通過、しばらくして旧道へ入ります。


旧道の下を伊豆急行線はトンネルで通り抜けています。
山間のトンネルとトンネルの間を渡る鉄橋の上で、待つ事10数分。
特急「スーパービュー踊り子」号が走り抜けて行きました。

  
旧道は切り立った断崖の上を通っていて、目の前には相模灘が広がっていました。
(現在の国道135号線は、崖直下の海岸沿いを走っています)

  
「伊豆大川駅」に到着しました。
この駅でも熱海行き普通電車と特急「踊り子」号の列車交換がありました。
今回、1泊2日のウォーキング最後のGoal「伊豆北川駅」(2.8Km)を目指しました。

  
旧道沿いには、彼岸花が多く見られました。
「ボ泣き石」(右端)は、江戸城築城の際に切り出した石で、
大きすぎて運べずそのままとなったと言う因縁のある石だそうです。

  
旧道を歩く事2.3Km、1時間弱で伊豆北川の港が見えてきました。
   
ミカン畑を見ながら、国道/鉄道を潜りぬけて、最後は上り坂(右端)を登ると「伊豆北川駅」です。
  
今回は1泊2日で、伊東駅→伊豆北川駅間の33.7Kmをウォーキングしました。(全線80.5Kmの41%)
(ちなみに、2日間の全歩数65,595歩から「平均歩幅が51cm」と判明!?しました。短ケー!)
到着の記念写真を撮っていると、熱海行き普通電車が通り過ぎて行きました。
この結果、今日の出発駅「城ヶ崎海岸駅」まで戻る電車まで、50分間!も待つ事になりました。

  
しかし、次々と特急電車やリゾート21が通過して行きましたので、
透とお父さんは、”結構楽しく?”ホームで待っていました。

  
やっとやって来た、普通「熱海行き」に乗って城ヶ崎海岸駅まで帰って旅を終了しました。
宿泊した「かんぽの湯 伊豆高原」の駐車場に置かせて頂いていた車で帰京しました。


2010.09.21
「玉川上水」に沿って、井の頭公園までウォーキング
しました。
汗ばむ気温でしたが、最後はやっぱり「いせや」で締めました。

  
玉川上水沿いに、未舗装の遊歩道(一部舗装)が続いています。
休憩場所(=小さな公園)が点在しています。

 
夏から秋に掛けての花が咲いていました。
  
左端が葛(クズ)の花と判明(その他の花の名前が判れば、教えてください
  
玉川上水には多くの橋が掛けられています。
「東橋(左端)」もその一つですが、この橋は自動車も通ります。

  
「若草橋」は人道専用橋で、玉川上水と竹林に囲まれた場所です。
遊歩道に、ベンチも設けられています。

  
井の頭公園に近づくと、道しるべが急に多くなります。
「ジブリの森」「吉祥寺駅」「自然文化園」...がいっぱい!

  
しかし、肝心の「井の頭公園はこっち!」と言う道しるべが無い!のは何故?
井の頭公園の中央は、「ボート乗り場」付近とでも、案内があると親切です。

 
自称常連!?の焼き鳥屋「いせや」で、いつものメニューを注文しました。
左端の写真は、隣に居合わせた人(おじさん)が、撮ってくれました。


追伸です。
2010.09.21(火)は平日でした。
何で、この日に透(通園者)と「玉川上水ウォーキング」が出来たのでしょうか?
9/17(金)〜9/19(日)まで2泊3日の富士山朝霧高原へ「阿佐谷生活園の合宿」に行った為に、
9/21(火)が振り替え休日だったからです。(下の写真は、出発風景です)

  
「いたるセンター阿佐谷生活園」の利用生52名、指導員33名の85名の大集団が、大型バス2台で往復しました。
合宿は順調に推移した様ですが、帰り道で「我がバスへの追突事故発生」や「中央高速の大渋滞」に巻き込まれて、
4時間半遅れの到着(20:30)となりました。でも、全員無事に元気な帰宅でした。ありがとうございました。


2010.09.11
「TOKYOウォーク2010」
(第4回大会日野エリア)に参加しました。
9月に入ったのに猛暑(残暑?)の中、10.5Kmを歩きました。

 
日野市の「市民の森スポーツ公園」がスタート/ゴール地点でした。
スタートした10:10には気温が既に33℃を越えていました。

  
歩き始めるとすぐに「日野宿本陣」が、続いて「新撰組のふるさと歴史館」が登場しました。
  
浅川を「一番橋」で越えて、川沿いに歩きます。
  
土手の上を歩いて、「高幡橋」の下で早めの昼食、直ぐに京王線踏切を越えました。
踏切からは、「京王線、高幡不動電車区」が見えて、残り少ない6000系も留置されていました。

 
「高幡不動尊」の境内で一休み。
立っていても暑いので早々?に次を急ぎました。

  
「満願寺歩道橋」で再び浅川を渡ります。
この橋は歩行者専用の橋でした。

 
浅川を越える「多摩モノレール」や、梨畑?越しに見える「多摩モノレール」は、
アンマッチなようで、田園地帯にはこれも有りかな?の景色でした。

  
浅川と多摩川の合流場所(三角洲)にある石田寺(せきでんじ)には、新撰組「土方歳三」の墓が有ります。
中央高速道と多摩モノレールの交差下を通過すると間もなくゴールです。

  
暑い!熱い!あつい!中でのウォーキングでした。(体感気温35℃以上です)
10:10スタート、13:40ゴール。3時間半の”ちっとも健康に良くない?”ウォーキングでしたが、
あと1回(通算5回)の大会参加で「金メダル」を3人共にゲットできます。頑張ります!!
次回(最終回)の第5回大会は、11月20日に”神宮外苑エリア”が予定されています。

2010.08.27〜30
東北の駅百選」を訪ねて、福島/宮城/岩手を3泊4日で巡りました。

今回19駅を訪問して合計47駅、残りは岩手/秋田/青森がほとんど!
「のんびり、ワクワク」で、ゆっくり楽しみます。

  
8/27(金):東京を早朝6:00に出発して、
東北自動車道と一般道を約300Km、宮城県角田市へ10:23に到着しました。

  
(29)阿武隈急行線「角田(カクダ)駅」
この駅の近くに「(独)宇宙航空研究開発機構(JAXA)」があります。
駅舎が変に?未来的な駅でした。

  
「阿武隈急行線の顔」8100系の列車交換が行われました。
  
(30)JR東北本線「船岡(フナオカ)駅」
11:15、伊達騒動の中心的存在であった、
原田甲斐の「居城・船岡城を模して建設された駅」に着きました。

  
719系(左:仙台行き普通電車)、E721系(右:福島行き快速電車)が発着していました。
「石川啄木17歳帰郷の歌碑」も駅構内にありました。

 
(31)JR常磐線「亘理(ワタリ)駅」
12:00、北上して海沿いにある駅に着くと、お城を併設した様な駅で、
ちょうど、「スーパーひたち(上野→仙台)」が通過して行きました。

  
お城のような建物は、図書館と郷土資料館でした。
  
(32)JR仙山線「愛子(アヤシ)駅」
14:00、「愛子さま」ブームで賑わいをみせた駅で、
秋保温泉にも車で約10分の玄関駅です。

  
仙台からの折り返し電車も運行されており、仙台近郊の住宅地となっていました。
この後、秋保温泉ではなく一駅先(山形寄り)の作並駅へ向かいました。

  
この「作並駅」は「東北の駅百選」には選ばれて居ませんが、訪問しました。(14:18)
理由は「交流電化発祥の地」として、鉄道マニア!電気関係者!には大変有名な駅だからです。

  
広い駅構内は旧作並機関区で、試作「交流電気機関車や交流電車」の車庫となっていました。
一般的には、駅から更に山奥に入った「作並温泉」が有名です。

  
近くには「ニッカウィスキー宮城峡」があるなど観光資源もあります。
(中)奥に見えるのが旧作並機関区、(右)上り勾配が更に厳しくなって山形県へ入ります。

 
秋保温泉「秋保グランドホテル」が最初の宿泊地です。
大きなホテルで、秋保温泉街では最大級です。

   
早速、広い岩風呂風の温泉に直行!(東北地方も暑い!)
夕食は大広間でのバイキングでした。

  
夕食を終了した後、ホテルの裏側にある「磊々峡(らいらいきょう)」を散策しましたが、
すぐに暗くなってしまいました。

  
8/28(土):「磊々峡(らいらいきょう)」は、秋保盆地を流れる名取川が浸食して峡谷となっています。
「秋保グランドホテル」は渓谷のほぼ中央に位置していて、ホテルのすぐ横が渓谷です。


出発する前に、昨晩暗くてよく見えなかった渓谷沿いの散策路を歩きました。
 
(33)JR東北本線、仙山線、仙石線「仙台(センダイ)駅」
言わずと知れた「北の玄関口、杜の都」仙台駅は、朝(8:57)から賑やかでした。
  
仙台駅表示板の下の窓に、「新幹線の連結部分」が見えました。(判りますか?)
JR仙台駅から町中を歩いて次の「広瀬通」駅まで移動しました。

 
 
(34)仙台市地下鉄南北線「広瀬通(ヒロセドオリ)駅」
「星空が輝く、幻想的なコンコースのある地下鉄駅」として選ばれたようですが、
確認できません!でした。(9:57)

 
仙台市地下鉄の車両とご対面。
仙台市内では未だ地下鉄工事が続いていました。

  
(35)JR仙石線「本塩釜(ホンシオガマ)駅」
10:32「入り船・出船に賑わう、県下屈指の港町の中心駅」として選定された様です。
しかし、その活気は見受けられませんでした。
(偶然、駅で会社時代の同僚と遭遇!、港まで散策した結果も同じ感想でした)

  
何より、205系オンパレードが壮観!!
首都圏の205系にトイレなどを増設した3100番台で、ドア窓が小さい山手線の面影がある車両も!
東北地方で唯一残る「直流電車」で、貴重なんです。

 
(36)JR仙石線「松島海岸(マツシマカイガン)駅」
11:25日本三景のひとつ「松島」を見物する上で、最も便利な駅です。
 
駅は高架ホームで、目の前に松島湾が見えますが、
駅前ロータリーには駐車場がありませんでした。
ところが、地元の整理員のご配慮でど真ん中に「臨時駐車?」させて頂きました。感謝!!

 
(37)仙台市地下鉄南北線「旭ヶ丘(アサヒガオカ)駅」
12:15、ホーム西側が河岸段丘崖となっている為、台原森林公園が臨めます。
「杜の都にふさわしい、緑に包まれた地下鉄駅」として選定された様です。

 
2階部分がコンコース、1階部分がホームで、
屋上?に当たる、地上部分は道路とバスターミナルになっていました。

  
(38)仙台市地下鉄南北線「泉中央(イズミチュウオウ)駅」
12:55に到着。地下鉄南北線の終点(北端)で、
駅ビルの中にバスターミナルも取り込まれている駅舎です。

 
仙台駅前の様な、車道と歩道専用道が分離している駅構造を持つ
「洒落た駅舎」駅として、選ばれています。

 
(39)旧くりはら田園鉄道「若柳(ワカヤナギ)駅」
14:42、2007年に廃線となった旧くりはら田園鉄道の
本社と車両基地が有った駅へ到着。
若柳駅舎を含め、宮城県栗原市によって鉄道公園として復活していました。

  
特記すべき事は、保存されているディーゼルカーを使って、
期間限定で、土曜に500m程度を運転していました。
素晴らしい取り組みに感激!!


この路線の終着駅(始発駅はJR石越駅)「細倉マインパーク前」駅は、
岩手・宮城内陸部地震の震源地付近で、駅舎は保存されているようです。
いつかは訪れてみたいと思います。


15:30 岩手県の女房の実家へ到着。早速、透の要望で、
岩手/宮城県境付近の東北本線の踏切へ出掛けて、列車を待ちました。

 
水田の稲穂には、透とお父さんの「影」が夕日に映えて居ました。
 
21:30〜22:30
夜になっても、家に入ろうとしない透を連れて、最寄りの東北本線「清水原駅」へ。
やって来たのは、上野発札幌行、寝台特急「カシオペア」で、
4つ目のヘッドライトから「EF510-500番台」牽引と判りました。

  
清水原駅には、夜行の「貨物列車」や「一関行き最終の各駅停車」が次々とやってきました。
透には「明日の朝、早く起きる為に、もう寝よう」と言って駅を後にしました。

 
8/29(日):朝5:00起床、5:30には東北本線「鍛冶屋踏切(宮城県)」に居ました。
やってくるのは、日本最大の交流直流両用電気機関車「EH500」、オンパレードでした。

  
踏切を離れて実家に戻ったのは7:30、
それでも透は線路の見える庭(駐車場)で待っていました。
(8/28 15:30に到着してから、8/29 8:00に出発するまで、
寝ている時を除いて、列車を見て居た事になります)

  
おじいちゃん、おばあちゃん(母方)のお墓参りをしました。(8:30)
 
(40)JR東北本線「白石(シロイシ)駅」
10:03 東北自動車道を福島県まで南下しました。
  
白石駅は、仙台からの各駅停車の終点でもあり、
福島からの各駅停車の終点にもなっています。
つまり、仙台/福島間の接続駅で、「東北本線の要所!」と言う事が判りました。


白石駅から、東北新幹線「白石蔵王駅」や工場団地を経由して
阿武隈急行線の「あぶくま駅」へ向かいました。

 
(41)阿武隈急行線「あぶくま(アブクマ)駅」
10:48に山越えをして到着しました。駅は無人駅でした。が、
側には駅舎を兼ねた産業伝承館・阿武隈ライン舟下りの船着場がありました。

  
崖と阿武隈川に挟まれた狭い敷地には、伝承館の小さな公園や広場があって、
阿武隈川を眺められる景勝の地でもありました。

 
(42)阿武隈急行線「やながわ希望の森公園前(ヤナガワキボウノモリコウエンマエ)駅」
12:00 駅名が日本で5番目に長い駅名でもある。
  
水色のハイカラな駅舎の中には、有人の改札口と味処「八幡」があって、
昼食に注文した「ざる蕎麦」は冷たくって麺にも腰もあって汁も美味しく満足しました。
更に「そば湯」も頂いて「駅ナカ」の真髄!?とは言い過ぎかもしれませんが、
「店主のおかあさん、ごちそうさま!」でした。

 
(43)阿武隈急行線「保原(ホバラ)駅」
13:08 旧伊達郡役所を再現した駅舎が「保原駅」で、
高架線上のホームから階段を下りた地上に建てられている。

  
伊達市保原町の市街地からは少し離れていますが、
その保原町の市街地には、保原バスセンターがあります。
駅の南側は工業団地となっています。

  
高架ホームの南側の眼下には、工業団地が臨めます。
その工場にはお父さんは色々と思い出深い感慨があります。
今は、閉鎖されていて、人の姿がまったく見えない事に月日の重みを感じました。

 
(44)JR東北本線「伊達(ダテ)駅」
木造建築の駅舎で、駅舎の直ぐ横上を東北新幹線の高架線が通っています。
仙台−福島間の快速「シティーラビット」も停車します。(13:50)

  
701系各駅停車が行きかう中、EH500の貨物列車にも出会いました。
「伊達駅と保原駅(現保原バスターミナル)」の間には、
昔、福島交通の坂東線と言う路面電車が1971年まで走っていたそうです。

 
14:45 今日の宿泊地、飯塚温泉「飯坂ホテル聚楽」に到着しました。
夕食のバイキングは、料理の種類も豊富でしたが、
何よりも料理する人との直接対面式で、出来たての料理を美味しく頂けました。

  
(45)福島交通飯坂線「飯坂温泉(イイザカオンセン)駅」
夕食後、歩いて10分程度の所にある駅まで散歩しました。
駅舎は工事中で全体がメッシュのカバーで覆われていました。

  
飯坂温泉駅の駅員さんに「東北の駅百選」を訪ねて来たと話をすると、
「工事中で看板を仕舞ってあるので」と言って、
「東北の駅百選選定駅」の看板を出してきてくれました。(透が手持ち)

  
歴史的にも有名な飯塚温泉でしたが、日曜日の夜と言う事もあって、
温泉街はちょっと元気が無さそうに見えました。
その中で、「飯坂ホテル聚楽」だけが集客力もあって賑わっていました。

  
8/30(月):最終日の朝になりました。
男女入れ替え制で、昨日は入れなかったスパ風の風呂に入りました。

 
(46)JR東北本線、奥羽本線「福島(フクシマ)駅」
ホテルを8:35に出発して、9:02に福島駅に着きました。

左:奥羽本線専用(広軌)の各駅停車米沢行き(719系5000番台)
左中:東北本線の快速「シティラビット」仙台行き(719系)
右中:東北本線の各駅停車白石行き(701系1000番台)
右:阿武隈急行線の槻木行き(8100系)と、その奥に福島交通飯坂線の飯坂行き(7000系)

  
(47)JR水郡線「矢祭山(ヤマツリヤマ)駅」
福島駅から高速道路と一般道をひた走って、
福島県の茨城県境と近い無人駅に着きました。(11:34)
この駅が、今回の「最後の訪問駅」となります。

  
水戸光圀も訪れた『東北の耶馬渓』への玄関口として選ばれた駅です。
春は桜が満開となるようで、駅舎の横を流れる久慈川の清流は、
鮎釣りの名所でした。

 
帰り道、「袋田の滝」に立ち寄りました。(12:15)
華厳の滝、那智の滝と共に日本三大名瀑一つで、
日本の滝百選にも選定されています。

  
有料(300円)のトンネルを通り抜けると、「こりゃすごい!」との感想です。
 
エレベータで高い展望台から見る事も出来て、3泊4日の締めとなりました。
(雑談ですが、カーナビの案内通りに走ったので、滝に最も近いところまで車で到達できました)

2010.08.21、22
NPONCS(NPO日本コミュニケーション支援センター)主催の恒例のイベント
2010年度「第4回親睦会」が開催され、参加しました。

 
8/21:猛暑の中でしたが、神田川/井の頭公園散歩を「決行!!」しました。
今日は、お母さんと一緒の3人連れで!

トピックス:
京王井の頭線から「ベージュ色」が消滅しました。最後まで残っていた
1000系第6編成も、「ベージュ」から
「オレンジベージュ」に塗り替わってしまった為です。
(我が家の評判はイマイチです。(上品な!)ハーフトーンカラーが減って、(ケバイ!)原色系の色が増えてきたからです)
  
久我山商店街主催の「納涼盆踊り大会」の会場は、
いつも透が休憩する公園でした。

  
井の頭公園は空いていましたが、
3人で入った「いせや」はいつもの賑わいでした。

 
8/22:NPONCS「NPO日本コミュニケーション支援センター」
「2010年度第4回親睦会」が、杉並区の高井戸市民センターの料理室で開催されました。

  
障害者とその家族や、NPO会員でもある偉い先生達が慣れない手つきで、
「シュウマイ」「餃子」を一所懸命に作る事、約2時間余りです。

  
窓の下には「井の頭線高井戸駅」を発車する電車が見えます。
 
NPOの重鎮と、会場となった「高井戸市民センター」前のベンチで休む「我が家の重鎮?」です。
室内は空調が利いていましたが、外のベンチは35℃?だったかも。


2010.08.13〜16
透の通園している「いたるセンター阿佐谷生活園」も、
短い夏休み(8/13〜/16)に入りました。以下は「透の夏休み日記」です。

  
8/13(金):お盆に入ったので「鎌倉までお墓参り」へ行きました。
お墓には、透のおじいちゃん(父方)が眠っています。

  
到着すると、お墓は夏草で覆われて居て(左側)、「いざ!」掃除と大汗をかきながら、きれいに(右側)しました。
霊園内アナウンスが、お墓参りの人に「熱中症に注意!」と連呼していました。

  
この日、高速道路はガラガラ!?首都高速も渋滞なしで、鎌倉からお台場まで一気に移動しました。
お台場は、色々なイベントが盛んで多くの人で賑わっていました。

 
8/14(土):蒸し暑い30℃越えの気温でしたが、神田川/井の頭公園散歩を強行しました。
この暑さの中、さるすべり(百日紅)の花が満開です。

  
井の頭公園は、暑さとお盆帰省の為か、人影も”まばら”でした。
お盆なのに「いせや」さんも開店していて、”焼き鳥と煮込み”を食べて帰りました。
井の頭線「吉祥寺駅」は大工事中。「ホーム片側のみの運用」で「到着即発車」でした。


〜2010.08.12
阿佐ヶ谷七夕、善福寺川緑地公園、角川庭園などの
「杉並区内名所巡り」を継続中です。猛暑の中、熱中症が最大の強敵です。

  
@阿佐ヶ谷商店街、恒例の七夕祭り
ア−ケード一杯に七夕の吹き流しが続いています。

 
いたる相談室(いたるセンター)の出し物(左側)も、入り口すぐ側に有りました。
  
「アンパンマン」の人形などが、宙に舞っていました。
  
A「阿佐ヶ谷は杉並区のほぼ中央」に位置しています。
そんな理由もあって、「杉並区役所」もあります。

 
B通園の帰宅途中に、団塊の世代が育った後の「廃墟!?」を見ました。
「阿佐ヶ谷団地」は、阿佐ヶ谷駅の南側にあって善福寺川沿いに建っています。
そして、そのほとんどが「只今、建て替え中」です。

   
住民の居なくなった古い住宅はひっそりとしています。
新たに建設予定の6階建ての建物への「反対運動」の看板も有りました。

  
Cらに、善福寺川沿いのすぐ隣には「荻窪団地」が有ります。
こちらも同様に立て替え中で、廃墟のようなアパート!が建っていました。

  
D荻窪駅の南側に、「石井桃子」さんの自宅が有り、子ども図書館(かつら文庫)となっていました。
杉並区役所の壁には「名誉区民」の証が飾ってありました。(遠藤実さんも名誉区民です)
『ノンちゃん雲に乗る』の執筆で有名で、101歳(2008/4)で逝去されたそうです。

  
E「善福寺川緑地公園」は、蝉の声で一杯です。
30℃以上の気温の中、「空気が、みどり色に染まる」「みどり色の匂いがする」感じです。

 
緑地公園には、川に沿った小道や広場があって園児達がサッカーの練習をしていました。
  
F「角川庭園」が荻窪駅の南側に有ります。
角川文庫の創設者「角川源義」氏の自宅を杉並区が寄贈を受けて公開されています。

  
敷地はそんなには広くなく、通常の個人住宅といったところです。
徒歩数分の所にある「大田原公園」よりはかなり(相当!)小さい規模でした。

  
建てられた当時は「近隣に民家もなく、段丘上に下った先に善福寺川が流れている様な風景」が
容易に想像できました。今は狭い路地を入った人家の中にひっそりと公開されています。

  
G最後に!通園途中の荻窪付近の民家の玄関先に
「イチョウの苗を差し上げる」との看板が置かれていました。
親公孫樹(イチョウ)の樹齢は80年以上で、今年生れの一年生イチョウだそうです。
(我が家の庭に一苗頂いて大事に育てて行きます:「透20歳のイチョウ」にします)

2010.08.07
お盆渋滞が始まった関越自動車道を高崎/水上まで直行!
2010年「第二回関東の鉄道お宝発見」25ヶ所訪問全て!を達成しました。

  
お盆の大渋滞渋滞場が予想されるので、5:30に自宅を出発、関越自動車道を藤岡ICまで走りました。
渋滞の先頭を走り抜けたようで、多少の渋滞はありましたが9:20頃に現地到着。
場所は上信電鉄「南高崎−根小屋」間の田んぼの中です。
上信電鉄の電車は、どの列車(2両編成)も、ド派手なカラーリングがされています。


お宝A銀河鉄道999号(上信電鉄)
高崎市の横を流れている鳥川(利根川の支流)を上信電鉄は10パーミルの
大ループで越えて、田んぼの中の築堤を走って来ます。
全身に「銀河鉄道999」のフィルムを張ったイベントカーが「お宝」電車です。

 
鉄橋を渡って2駅目が終点高崎駅(0番線ホーム)です。
先に到着した「999」が待っていました。

 
ホームに入線した電車の横でパチリ。あの「メーテル!」も居ました!
  
上信電鉄のホームの横がJR高崎線ホームです。
そこへ、快速「SLみなかみ」を牽引するD51と連結する12系客車が入って来ました。

  
先頭の蒸気機関車周辺は大勢の人で大賑わい!
透は一歩下がって、カメラの後ろで高崎駅を出入りする電車を見ていました。

 
出発直前、乗客が客車に乗りこんだので、ホームに人が少なくなったチャンスを生かして
D51498の前まで行って記念写真! この後、水上駅まで先回りします。

  
水上駅には、SL到着の1時間前に到着(関越道で先回りしました)
駅構内には、臨時列車(485系やまなみ)や新潟色の115系が居ました。
SLが着く前に、駅前のお店で「ラーメン・チャーハン」の早昼飯にしました。

 
昼食後、水上駅へ入場券を買って入場。
SLが到着する前の駅は、閑散として殆んど誰も居ませんでした。
そこへ上越の清水トンネルを越えてきた
EH200(連接車体の直流専用では日本最大の電気機関車)がやってきました。

  
高崎駅で見送った快速「SLみなかみ」が終着駅「水上」へ到着しました。
駅長さんなど地元の方々が、乗客を歓迎する準備をしていました。



到着したD51498は、早々に客車と切り離して駅構内新潟寄りの転車台(ターンテーブル)へ移動。
D51はテンダー(炭水車)付きの大型蒸気機関車なので、ターンテーブルも立派です!


お宝@水上駅 転車台(JR東日本)
D51498号機は、2010.05.29「SLやまなし」でも使われた「重装備のD51」です。
水上駅の転車台を訪問した事によって、
2010年の「第二回関東の鉄道お宝発見」の25ヶ所全てを訪問しました。
これから、フォトコンテストへ応募する写真選定を行って、
10月2、3日の第一土日に横浜駅東口地下で行われる「達成認定イベント」へ参加します。






    
 
ターンテーブルの上を1.5回転?(観客の為?位置決めの為?)して、方向を転換した後、
給水の為に別の引き込み線へ入線して、集まった多くの見物人の前で雄姿を休めて居ました。

  
水上駅で入手したパンフレットで、源泉かけ流し「仙岩温泉 鈴森の湯」へ立ち寄りました。
駅から車で10分、山の中腹の渓流沿いに有りました。

  
1年前に日帰り温泉を始めた様で、建物も浴槽も清潔で、明るい温泉でした。
内湯の左側の小浴槽は源泉温度35℃をそのまま使った「ぬるま湯」でリラックス度は最高!でした。

  
階段で下りた所にある露天風呂の眼下に渓流の滝が見える絶景ロケーションです。
通常の浴槽は41℃で加熱だけしていて、「濾過、加水なし」が自慢でした。

 
渓流では、イワナ釣りやバーベキューも出来る施設となっていました。
露天風呂の眼下は渓流ですが、見上げると関越道の橋脚が上空?に見えました。


2010.08.01
新生活1ヶ月を達成!
結構忙しく?結構楽しく?ほぼ順調かな?、と感じています。
朝の寝覚め!が良く、朝の散歩!が楽しく、飲酒量が激減!しました。

朝の通園への帰りに、
 
@杉並区立中央図書館の裏手にある、「読書の森公園」にガンジー像を見つけました。
 
A赤坂日枝神社を末社に持つ、「荻窪八幡神社」が荻窪駅のすぐ北側にありました。

 
B天慶4年(941)に創建された須賀神社は都立杉並高校の正面玄関前に有りました。
 
C成宗弁財天社は、成宗村の開村と同時に水神様として信仰され、水路は天保用水のなごりとか。
 
Dとにかく評判の悪い「日本年金機構本部」の総本山。環八と井の頭通りの交差点付近にありました。
  
E荻窪には教会が多く、左から「荻窪教会/杉並中部教会/荻窪栄光教会」が住宅街にありました。
 
F善福寺川緑地公園は大きく蛇行していて、公園(=氾濫原!)のすぐ側まで住宅密集地でした。
 
G「大光山 中道寺」は、環八/川南付近にあって、日蓮宗の寺院としては区内最大とか。
 
H「あおばインターナショナルスクール」は五日市街道沿いにありました。
昔は宇多田ヒカルも在学生で、駐車場の奥のマンションにお母さん(藤圭子)と住んでいました。

 
I時々は飲み会で都心へ。六本木、恵比寿の焼き鳥屋さんへも行きました。
7月中、透との通園同行(計14回)、検診同行(計3回)、土日のイベント同行(計4回)でした。
(追伸:体重は残念ながら未だ?減りません。未だ1ヶ月ですから....)


2010.07.31
「関東の駅お宝発見」の神奈川県3ヵ所(箱根、大雄山、山北)を訪問。
山北の日帰り温泉にも立ち寄って、合計で23ヵ所。残り2ヵ所となりました。
  
ちょっと渋滞していた東名高速と小田原厚木道路を使って、「箱根登山鉄道 大平台駅」へ行きました。
お宝(25)100形・モハ2形車両(箱根登山鉄道)
狙いは、モハ2形(両運転台タイプの100形)、それも、金太郎塗装の108号機です。
1000形(中央)、2000形(右端の左側)とモハ1型(片運転台タイプの100形:右端の右側)がやって来ました)

 
モハ1形(2両編成)に連結されたモハ2型(1両)109号機がやって来ました。
箱根湯本→強羅行きです。(スイッチバック駅の大平台駅には、到着は先頭、出発は最後部です)

 
スイッチバック駅の終点?で108号機がやってくるのを約30分待ちました。
(108号機の運行ダイヤは前日箱根登山鉄道鉄道部の方に電話で教えて貰いました)

   
108号機は、箱根登山鉄道の創立120周年を記念して、昭和30年代の塗装を復刻したもので、
腹がけの様な「金太郎塗装(と呼ばれている)」に、この1両だけがなっています。
(同じモハ2形の109号機と比べてみてください)


今日の運用は、モハ2形の重連(108号機+110号機)の2両編成でした。
強羅→箱根湯本行きで、急坂を駆け下りて行きました。

 
伊豆箱根鉄道大雄山線の名が示す「大雄山最乗寺」を訪問しました。
お宝(23)大雄山最乗寺(伊豆箱根鉄道)
駅前から、約3Km参道を登りつめた所に「最乗寺」は有りました。
  
参道のかなり奥まで車で行けるので、境内の階段も少し登れば本堂、御真殿まで行けます。
(階段を駆け上がる!「透」の雄姿!?で、一気に駆け上がりました)


  
  
広い境内を散策して、「天狗せんべい」を買って、次の山北へ向かいました。
大雄山最乗寺は「福井の永平寺、鶴見の総持寺」に次ぐ曹洞宗の由緒あるお寺でした。

 
JR御殿場線の山北駅にある「日本最大の貨物用蒸気機関車D52」を見に行きました。
お宝(24)山北鉄道公園のD52(JR東海)
「D52」はボイラーをC62(日本最大の旅客用蒸気機関車)から引き継ぎ、
動輪を3つから4つ(C→D)に変更して貨物用(粘着力を向上)にしたもので、
御殿場線では丹那トンネルが出来るまでの間(当時は東海道本線の一部)で、
上り下りする旅客貨物共に牽引した、花形SLでした。

  

でかいボイラー、足周りと比較して上半身が大きいボデーは「さながら筋肉マン?」
保存状態も良く、立派に保存されていました。
(山北駅は、御殿場線でもSLの拠点で、公園広場などは昔からの鉄道用地跡を感じさせました)

 
JR東海で最大の車両数を誇る313系が御殿場線の主役です。
山北駅を発着する313系3000番台の雄姿です。

 
山北駅の長大ホームは、昔の姿を思い浮かべます。
右側に停車している列車は、国府津駅から乗り入れてきたJR東日本の231系です。
往年はSL牽引の10両を越える超大編成の特急「つばめ」も走っていました。

  
昔ながらの山北駅駅舎(北側)。南口は国府津寄りホームの先の構内踏切を渡った所の無人小屋が
改札口だが、南側へ行くには連絡橋を越えて行くのが普通。そこに「山北町の施設」が建っています。

 
山北町健康福祉センター「さくらの湯」へ立ち寄りました。
「我が家の温泉の旅」も153回目(今年12回目)となりました。

 
健康福祉センターの3階には温泉プール施設と一緒に立ち寄り温泉が有ります。
大人400円/2H(障害者200円)で割安ですが、炭酸カルシュームシステムを使った人工温泉!です。

(内湯/露天風呂の画像は「さくらの湯」のHPから引用しました)

2010.07.24
朝起きると、急遽、房総半島「小湊鉄道」へ行く事になりました。
透が出掛けたいと「鉄道の本を持ってきた」ので、
長男のアイデアに両親が便乗!?「良し行こう!」と決めて実現しました。

 
9:00自宅を出発、11:10JR内房線「木更津駅」到着。
車庫に見えるディーゼルカーはJR久留里線を走っています。

  
今や内房線の主役は「211系」と「209系2000番台」です。
「209系2000番台」は、京浜東北線車両のセミクロス改造車両です。

  
小湊鉄道「飯給(いたぶ)駅」は、もちろん無人駅です。
駅前の田んぼには「かかし」が!

 
待つ事、10数分で、「上総中野発五井行き」ディーゼルカーがやってきました。
主役はキハ200系ディーゼルカーで14両が稼働しています。

  
2両編成で、ソコソコの乗客が乗っていました。
  
続いて「月崎(つきざき)駅」へ移動。
木更津駅で買い込んできた駅弁(4種類)を4人で食べました。

  
この駅はちょっと有名?な駅でした。
2004年のTBSテレビ「世界の中心で、愛をさけぶ」のロケ地となった駅でした。

 
ディゼルカーが汽笛と共に、やってきました。
この駅から次の「上総大久保」までの間のトンネルを越えた所までが登り勾配で、
房総半島のサミット越え区間です。

 
駅を出るとすぐに10パーミル(10/1000)の登り勾配となります。
 
「上総大久保駅と養老渓谷駅の間」で、「上りの五井行き」をキャッチしました。
房総半島の特徴、竹林も小湊鉄道のイメージです。(「春の桜、なのはな」だけではありません)

 
養老温泉の一番奥にある、立ち寄り温泉「ごりやくの湯」へ行きました。
  
母屋から渡り廊下を通って風呂場へ行きます。
源泉かけ流し、木造りの建物、内湯/岩風呂と清潔感ある湯船には大変満足できました。

 
透は「内湯」が気に入りました。
理由は、露天風呂の気温も日差しも「とっても暑かった」からです。

  
「露天風呂の真夏は暑い!」と言う事が良く判りました。
 
立ち寄り温泉の帰り道で、遠方から養老の滝(=栗又の滝)を見ました。
「ああ、これが養老の滝!」 でも、元々は「栗又の滝」だったみたいだねと知りました。

 
続いて、「上総大久保駅」へ立ち寄りました。この駅は「トトロの駅」という別名もある駅で、
近くにある小学校の生徒の為に、トトロの絵が壁に描かれている駅です。
春には桜が満開となる名所でもあります。

 
更に「里見駅」の手前で、S字カーブの奥からやってくる列車を待ちました。
「なのはな」が一面に咲く時期もあるそうです。

 
木更津へ出て、回転寿司で早めの夕食、
「海ほたる」で人気No1の「いわしバーガー」を家に居る次男の為に買って戻りました。
(多少の渋滞は有りましたが、木更津から2時間で帰れました)


2010.07.17
「TOKYOウォーク2010」第3回大会(調布エリア)へ参加!
東京地方の梅雨明け宣言もあって、暑い11Kmウォーク!でした。


朝10:00 「武蔵野の森公園」のスタート地点へやって来ました。
高温、多湿で、ギラギラと暑くなりそうな天候で、熱中症対策が必須でした。

 
調布飛行場の端(横)にある「武蔵野の森公園」をスタート。
すぐに、「都立野川公園」入り口に「近藤勇の生家跡」がありました。

  
「野川」に沿って、南下します。
川沿いの遊歩道には水車!もありました。

 
大勢のウォーキング仲間?と一緒に透も颯爽と歩きました。
「野川」には「白サギ!?」が何羽か見受けられました。

  
「野川」から、「神代(jindai)植物公園」(漢字が何故か「深大(jindai)」ではありません)へ
  
「神代植物公園」から「深大寺」の門前町へ
  
「深大寺」の正面は、「深大寺そば」で有名になったお店が賑わっていました。
深大寺から中央高速道を潜って甲州街道へ、電気通信大学前を歩きました

 
大渋滞中の中央高速調布IC入口を横目に、
「味の素スタジアム」前を通過します。

  
「スタジアム」前には、東京オリンピックのマラソンでの折り返し地点の記念碑(左端)があります。
少年サッカー場横のベンチで、「梅干おにぎり」のお昼ごはん!休憩。 すぐ横が、調布飛行場です。

 
「調布飛行場」の滑走路に沿って歩くと、ゴールの「武蔵野の森公園」へ戻ってきます。

とっても暑い中でしたが、13:30 三人そろって、
Goal!!完歩(完全歩行)しました。
(東京都心は32.1℃だったそうです)

  
「武蔵野の森公園」最寄りの駅は西武多摩川線(昔は是政線です)多磨駅(「多摩」ではありません)です。
偶然、キャンペーン電車(「春」ラッピングカー)がやってきました。

  
西武多摩川線、JR中央線、京王井の頭線を乗り継いで帰宅しました。
東京地方も梅雨明け宣言が今日ありました。来週から暑くなりそうです。


2010.07.05〜16
徐々に、段々と、順調に移行処理?中です。
荻窪、阿佐ヶ谷周辺の杉並区内で、新たな発見が有りました。

  
通園は雨が降る日も歩いています。
阿佐ヶ谷駅前では選挙カーが鉢合わせ!
(〜7/10までの話ですが)
 
@杉並の「生け垣の道づくり」に指定された民家を見つけました。(杉並区荻窪1丁目)
善福寺川沿いの南側の高台にありました。

 
A「大田原公園」は9時開園で、帰り道なら入場できます。無料です。(杉並区荻窪3丁目)
広い園内は、りっぱな日本庭園で、荻窪の高級?住宅街の一角にありました。

  
音楽評論家大田黒元雄の自邸の30%を公園にして欲しいという遺志に基づいて、遺族から杉並区に寄贈された土地に、
周囲の敷地を合わせて公園として整備したそうです。可能な限り旧自邸の庭園の原形を残して、回遊式日本庭園として整備されており、
正門から延びるイチョウ並木をはじめとして随所に巨木が残るほか、従前からあった池が再現されていました。
園内には、休憩室及び茶室やレンガ造り洋館のアトリエを改装した記念館が設けられている。(Wikipediaより引用)

 
B
透の通園している「いたるセンタ」の直ぐ近くにあります。(杉並区天沼1丁目)
「民間信仰石塔」で、江戸時代に旧天沼村の村民が建てた庚申塚だそうです。

  
C
与謝野晶子、鉄幹 ゆかりの地」は、南荻窪中央公園になっています。(杉並区南荻窪4丁目)
与謝野夫妻が、永住の居として自ら設計し、その晩年を過ごした家の後です。

  
鉄幹(本名:寛)は昭和10年に62歳で死去、その後昌子は11人の子女を育てながら、
昭和17年にこの地で64年の生涯を終えたそうです。

 
D高井戸市民センターには、温水プールや図書館、集会所、会議室等があります。(杉並区高井戸東)
早速、「温水プール減額(60歳以上)利用者証」や「杉並区図書館利用カード」の登録をしました。
温水プールは減額(半額)の為、130円/1Hで使えます。10年振り?に泳ぎました。
この建物は、高い煙突!が示す通り「杉並区唯一!の清掃工場」に併設されたものです。

 
E通園の後、ちょっと杉並を飛び出して、新宿の「年金センター」で話を聞きました。
その後、時間もあるので歩いて、旧淀橋浄水場へ水を供給していた和泉給水所まで歩きました。

  
  
都庁の見える新宿西口公園を散策→初台/幡ヶ谷/笹塚付近の六号通り/十号坂を通過
環状7号線を越えると→和泉名店街・
沖縄タウンが出現→和泉給水所へ到着(杉並区和泉)
 
明大前の行きつけのラーメン屋(盛華らーめん)さんで「醤油ラーメン大盛り」を食べて、
井の頭線で帰宅しました。
(この日の歩行距離:12.78Km、19,675歩でした)

2010.07.03、04
家族と奥湯西川温泉「日本の秘湯を守る会」の旅館へ行きました。
途中、真岡鉄道や野岩鉄道を訪ねて、お宝発見も20ヶ所になりました。

 
お父さんが退任して最初の休日に、一泊二日の温泉の旅を計画しました。
まずは、真岡鉄道「真岡駅」から、透と初の「乗り鉄」をしました。

  
真岡鉄道のSLはこの期間、定期点検の為「SL運行が無い」のです。
しかし、ホームへ行ってみると「C1266」が停まって居ました。

  
C1266の周りには、大勢の人が集まっていました。
一般人が造った「ヘッドマーク」を付けて記念撮影をしていました。

  
この日(7/3)、JR上越線では「D51498」が高崎−水上間を走っていました。(撮影:長男)
10:05 下館発の普通ディーゼルカーが真岡駅へやって来ました。→早速乗車します!

  
  
  
透は、運転席横の先頭に立ちっぱなしで、終点の茂木駅まで行きました。
幾度も訪問した線路際を走る列車から眺めました。(10:42着)

 
茂木駅前で記念写真!
早々に、車内へ戻って、直ぐに折り返し列車へ乗車しました(10:50発)

  
  
見た事のある景色を別の角度から見るのも楽しいものです。
帰りも、透は立ちっぱなしで先頭車から前を見て居ました。

  
帰りの下車駅は「益子駅」です。(11:16着)
ディーゼルカーから下車してくる所を、お母さんが写真に収めてくれました。

 
益子駅から地酒「燦爛(らんまん)」の蔵元「外池酒造」へ移動。
純米大吟醸「燦爛」を購入して、真岡駅前の宇都宮餃子の店「みんみん」で昼食にしました。

  
真岡ICから「北関東自動車道→東北自動車道→日光宇都宮道路」と乗り継いで、
今市ICから鬼怒川温泉手前の「東武ワールドスクウェア」へ移動しました。

 
入場すると、
未来予想の東京スカイツリー、今は亡きワールドトレードセンター...が見えてきました。

  
  
復元中の昔の東京駅を出入りする「中央線(201系)、東北新幹線(200系-1000番台)」や、
世界中の名所旧跡が一杯展示されていましたが、「透は足速や!?」に通り過ぎてしまいました。

 
  
  
「アジア・日本ゾーン」は、本物を見た事はあるのですが、
上空からは見た事がないので、同行した家族の方が喜んでいました。

  
  

「現代日本ゾーン」「アメリカゾーン」が大勢の人のフィギアもリアルで、
「本当に良くできて居るなぁ〜!」と感心しました。

 
蒸し暑い気候ではありましたが、雨にも遭わず見物を終了して、
今日の宿泊地「湯西川温泉」へ向かいました。


奥湯西川温泉「上屋敷 平の高房」
日本の秘湯を守る会会員の宿と言う事もあって、湯西川温泉の最も奥にあります。

 
この宿には、2010.03.28に会社の仲間とお父さんは来た事があります。
その時大変気に入ったので、今回家族を連れてやってきました。

 
この温泉は、自家源泉で掛け流しの湯で、噴出温度も56℃、pH8.3と立派なものです。
早速、内風呂の「内湯と露天風呂」へ入りました。


夕食は18:00から。二十歳になった透も食前酒で乾杯!?(この表情!です)
  
食事は炉端を囲んで、「冷やした竹酒」などを美味しく頂きました。
適量で、味付けも良く満足しました。


食事の後、すっかり暗くなった玄関をでて、
駐車場前にある大露天風呂へ向かいました。

 
20:00 この露天風呂は岩風呂になっていて、「ゆっくり、のびのび」と入れました。
 
広い露天風呂に二人だけでした。夕食が終った後なので、空いていました。
この他に、露天風呂付きの部屋や、貸切露天風呂もあります。

 
7/4:朝霧に包まれた湯西川温泉で朝を迎えました。
 
夜の間に降った雨も上がっていたので、朝風呂に入る事にしました。
  
夜の露天風呂と趣きを異にした、露天風呂を楽しみました。
 
朝食も、昨日と同じ炉端で頂きました。
透が落ち着いて食事が出来るように?(周囲の方に気を使わせないように!)、
離れたコーナーを旅館の方に用意して頂きました。ありがとうございました。

 
お宝Bかがり火に照らされる駅地下ホーム(野岩鉄道)
会津鬼怒川線「湯西川温泉駅」には、足湯もありますが、
実際の湯西川温泉まではバスかタクシーで16Kmほど山奥へ入る必要があります。

  
トンネル内にある野岩(ヤガン)鉄道「湯西川温泉駅」へ。
東武鉄道車両を使った「会津田島発浅草行き」の区間快速電車がやってきました。
駅のトンネル壁には、ゆらゆらと揺れる「かがり火」風の照明灯がきれいです。


今年の5月から、新しく登場した会津鉄道のディーゼルカーがやってきました。
この列車は土日休日に「鬼怒川温泉駅→JR喜多方駅」までを直通する
快速「AIZUマウントエクスプレス」の置き換え列車です。

  
左端は2010.03.28に撮影した「往年の名鉄特急北アルプスで使用されていたキハ8500形」です。
老朽化の為に新造した会津鉄道の「AIZUマウントエクスプレス号」に置き換えられたものです。
これからも頑張ってください。

 
帰途につく途中、「龍王峡」へ立ち寄りました。
鬼怒川に沿ったハイキングコースがあって、約3Km、1時間半歩きました。

  
透はこんな道はヘッチャラです。
  
天然記念物「モリアオガエルの群生地」です。
湿地帯に生えている木の枝に「白くぶら下がっている袋」が沢山見られました。

  
遊歩道を歩いて、「むささび橋」で折り返しました。
  
むささび橋付近の鬼怒川の両岸は深く切り立っていて、川幅も狭く急流となっていました。
  
透は元気にハイキングコースを歩ききりました。
(本当のところは、ゴール(=スタート)地点で「カキ氷」を食べる事が楽しみでした)

2010.07.01、02
毎朝の会社への出勤が、「透との通園」になりました。
初日から、お母さんとお父さんの3人連れで”試運転”を開始しました。

 
7:50 自宅(久我山)から作業所(阿佐谷生活園)まで透と毎日通園します。
片道4Km、6,500歩(往復歩くので8Km、13,000歩)が朝の運動です。

  
  
井の頭通りを渡る→珍しい砂利道を歩く→環状8号線を渡る
→善福寺川を渡る→青梅街道を渡る→中央線
(荻窪−阿佐ヶ谷間)を潜る
 
8:50 いたるセンター(阿佐谷生活園)へ到着。
阿久津園長が入口で、いつも透たちを待っていてくれます。
(右側:7/2)
 
透は園から早く帰宅する日(16:00)は、井の頭線の富士見ヶ丘駅まで出掛けて、
1時間半ほどラッシュの為に出場する始発電車を見るのも日課でした。

 
7/2:阿佐ヶ谷からの帰りは、コースを変えて善福寺川緑地公園を経由して帰りました。
夕方には「会社の同期会」があって、二日ぶり?に会社界隈まで出掛けました。


2010.06.21〜30
Last 10日間、38年間の「常勤」から「非常勤」へ、
業務引き継ぎをして、慰労会!?をして頂きました。

  
花束を沢山いただきました。
  
頂いた花束は、自宅に飾りました。東京タワーは「サムライBLUE」でした。
38年間、自宅に花束を買って帰った事が無かったので、その分を帳消しにした?感じです!

 
会社の多くの仲間にお祝い!?(慰労会!)をして貰いました。
(画像は、6/21〜6/25の間にお祝いをして頂いたものです)
 
右端の画像:
6/26には、仲間たちが大勢の方に声を掛けてくれて、約200人の方が集まってくれました。
画像は、記念品として頂いたHDTVビデオの画像から引用しました。

  
色紙も、一杯頂きました。本当にありがとうございました。
 
6/27:三男(透)を久し振りに連れてお台場へ行きました。
アクアシティにあるラーメン国技館は、リニューアルされてオープンな屋台形式になっていました。

 
テラスからお台場を望むと、正面に東京タワーが、
右端のマンションの間に、東京スカイ・ツリーが見えました。


6/30(水):ラスト常勤!(07:09)
 
ラスト常勤出社!(07:11) そして、ラスト愛妻弁当!(12:15)


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2010年我が家のアルバムは「とおるとお話」(10月〜12月)」はこちらへ
2010年我が家のアルバムは「とおるとお話」(4月〜6月)」はこちらへ
2010年我が家のアルバムは「とおるとお話」(1月〜3月)」はこちらへ


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