洞雲寺
  洞雲寺は厳島神主家で桜尾城主の藤原教親が長享元年(1487)に創建し、周防龍文寺(山口県 徳山市)の高僧金岡用兼を開山として招いた。金岡用兼は名僧誉れ高い人で、師の為宗仲心とともに本山である永平寺の復興に尽力した。
  
中世における当寺の繁栄は厳島神主家、大内氏、陶氏、毛利氏と替わっていった厳島神領の支配者の尊崇と保護を受け、また、金岡用兼に連なる歴代住持の政治的手腕も見逃すことはできない。
  関ケ原の合戦後毛利氏の後盾を失い福島正則の入国で寺領を没収されるが、次の領主浅野氏由緒ある寺院として寺領を与え堂宇の再建も行っており古刹の面目を保っていた。

  洞雲寺については
「廿日市の文化」洞雲寺特集号があります。


        開山 金岡用兼禅師伝 PDF
  



大正初頃の洞雲寺
所在地 廿日市市佐方1071-1
洞雲寺版画        洞雲寺の景観が !
 中世文書
金岡用兼頂相
正法眼蔵
三十三観音像
友田興藤墓
陶晴賢墓
桂元澄夫妻墓
毛利元清夫妻墓
扁額


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