藤原教親
  教親は毛利氏の一族で長屋村(高田郡吉田町)に居た長屋泰親の弟で、神主親藤の養子となって神主家を相続している。このころ安芸国内に散在していた厳島社領は武田氏、平賀氏、毛利氏、宍戸氏、天野氏、小泉氏など有力国人領主による横領が相次いでおり、幕府に対して社領の安堵と横領の停止を求めているが解決には至らなかった。そこで社領を実効的に支配するために大内氏の影響力下への依存を深めていったのである。
  教親は文明11年(1479)摂社である速田(速谷)神社の梵鐘を寄進し、長享元年(1487)洞雲寺を開創して周防龍文寺(徳山市長穂)の高僧金岡用兼を開山として招いている。教親は永正元年(1504)に没して洞雲寺に葬られたが墓碑は確認されていない。
  写真は神主の地位を宗親に譲っていた教文(教親)が、病気平癒を祈願して洞雲寺末寺の円満寺に寺領を寄進した文書である。(洞雲寺中世文書
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