速谷神社 | |
速谷神社、厳島神社が史料上最初に現れるのは弘仁2年(811)でこの時点では同神格であったが、その後厳島神社が上位に位置して貞観元年(859)には速谷神社、厳島神社ともに同神階となった。古代日本の律令の施行細則である「延喜式」には名神大社として速谷神が挙げられており、安芸国最高の社格であった。 このように古代の速谷神社と厳島神社の神格は並列や上下を繰り返して次第に厳島神社の上位が確立して、長寛2年(1164)には厳島神社は安芸国の一宮と称されるようになった。速谷神社は中世より厳島神社の摂社となり文明11年(1479)には厳島神主藤原教親が願主で梵鐘を寄進し、天文10年(1541)には大内義隆が太刀と神馬を寄進している。また、毛利元就は屋根の上葺料を寄進しており、厳島神主である藤原氏や大内氏・毛利氏など各時代の領主の庇護を得て保護されていた。しかし、福島氏の時代には社領を取り上げられた。 江戸時代に入り慶安元年(1618)、元禄11年(1698)、元禄13年(1700)と社殿が焼失したが、藩主浅野氏によって再建されており、大正13年に国幣中社に列せられて現在の神苑となったが、昭和61年の火災で社殿が焼失して以降現在の社殿が造営された。 古代から交通の守護神として知られており、現在も交通の安全を祈願する人が絶えない。当神社に蔵している狛犬・大願寺尊海文書が広島県の重要文化財に指定されている。なお、当神社境内から縄文草創期(約12000年前)の槍先形石器(長さ14.2p)が採集されており、平良周辺でこのころ人々の暮らしが始まっていたことが伺える。これらの文化財は神宝館で拝見することができる。 |
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大正12年(1923)以前郷社時代の社殿 | |
大正13年(1924)造営国幣中社時代の社殿 | 速谷神社版画 |
所在地 廿日市市上平良308-1(地図) (0829)38-0822 |
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平成元年(1989)年造営の現在社殿 |
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