天満宮・正覚院
 天満宮・正覚院は廿日市の町並みを見下ろす天神山にある。神仏習合の時代であった江戸期には正覚院が天満宮を祀っていたので天神坊と呼ばれていたが、明治の神仏分離により天満宮と正覚院にそれぞれ独立した。
 厳島神主家で桜尾城主であった藤原氏は守護神として藤原親実の氏神である鎌倉荏柄天満宮をここに勧請した。神主家滅亡後、廿日市住民が信仰していた佐方八幡神社と下平良新宮神社を分祀して、新八幡宮、天満宮、新宮の三社相殿とし廿日市の住民の氏神として祀られた。
 天満宮境内社としては胡神社、豊受神社、稲荷神社、金毘羅神社、淡島神社などが祀られており、当境内には廿日市湊を介して各地との交易が行なわれていたことを示す関係者寄進の玉垣常夜燈などが建立されている。正覚院には不動明王立像・五鈷鈴の広島県重要文化財を蔵しており、境内には役の行者堂や大楠木がある。
 この天神山と峯続きの篠尾山の地は大永4年(1524)に桜尾城の友田興藤を攻めるため、大内方の吉見三河守頼興、杉氏、内藤氏が陣取った攻城(天神山篠尾)であった。
 
 天満宮・正覚院遠望 不動明王立像
   明治後期頃の天満宮・正覚院遠望
所在地 天満宮 廿日市市天神3-2(地図) (0829)31-0501 正覚院 廿日市市天神3-1(地図) (0829)31-1803

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