洞雲寺の扁額

 『洞仙園』 現在鐘楼門に掲げてあるもので、廿日市町金石文録によると筆者は頼春水という。しかし、明治24年4月22日付の芸備日々新聞の記事によると筆者は頼山陽とあり、額の落款を見ると山陽の号である襄の字が認められるので、筆者は頼山陽とみるのが妥当であろう。

 『方丈』 本堂入口上部に掲げてあるが、元は客殿に掲げてあったものである。客殿は書院、茶堂、方丈ともいわれていたが、どこの位置にあったのかは不明である。筆者は異朝(外国)の張郎之書といわれている。

 『笑山』 本堂と庫裏との間にある渡り廊下の式台上に掲げてある。これはもと毛利家の位牌堂(位牌殿)の位牌の上に掲げてあったもので、笑山は毛利元清の法号である。毛利家の位牌堂がどの位置にあったのか不明である。

 『真常殿』 開山堂入口上に掲げてある。筆者は宇治の興聖寺22世の奥龍玄楼(1720〜1813)である。

 『金岡水』 金岡水囲い内部の上部に掲げてある。筆者は当寺22世の圓巌瑞明である。また、入口上には明和2年(1765)に大興山濟法禅寺蔵明が記した「金岡水記」が掲げてある。
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