毛利元清夫妻墓
毛利元清は元就の四男で桂元澄の跡をうけて桜尾城主になり、また、備中の押えとして猿懸城(岡山県矢掛町)を守り東方における大鎮とした。元清は広島築城の際には二宮就辰と共に普請奉行として才覚を振るっており、桜尾城に約26年間在城して慶長2年(1597)に没した。
元清の墓(写真左側)は花崗岩製の宝篋印塔で基礎の格狭間中央に「笑山」と刻してある。夫人は来島通康娘で基礎格狭間には「松渓妙寿」と刻してある。(写真右側)毛利元清画像 墓所奉納燈籠
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