陶晴賢墓
大内氏の重臣であった陶晴賢は主君の義隆を討ち、芸防引き分け後毛利元就との厳島合戦で敗死し、桜尾城で首実験の後洞雲寺に葬られた。この宝篋印塔は戦国時代から江戸初期にかけて山口地方から広島地方にみられる地方色の濃い形式である。 陶晴賢墓碑についての一考察-PDF 伝陶晴賢敗死ヶ所 |中世文書|金岡用兼頂相|正法眼蔵|三十三観音像|友田興藤墓|桂元澄夫妻墓|毛利元清夫妻墓|洞雲寺トップ|