年 号 |
西暦 |
事 項 |
応永13年 |
1406 |
大庵須益生れる。 |
30年 |
1423
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為宗仲心生れる。 |
永享10年 1月 |
1438 |
用兼、讃岐国那珂郡に生れる。 |
文安 5年 |
1448 |
用兼、剃髪して那珂郡の密宗(真言宗)仏門に入る。 |
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のち、龍文寺の大庵須益に師事する。 |
寛正 4年 |
1463 |
大庵須益長門大寧寺の住持となる。 |
応仁 元年 6月 9日 |
1467 |
為宗仲心、師である大庵須益より「仏祖正伝菩薩戒作法」を受ける。 |
2年 |
1468 |
大庵須益大寧寺より龍文寺に移った。 |
文明 2年 |
1470 |
大庵須益耕雲軒に隠棲する。 |
3年12月13日 |
1471 |
大庵須益総持寺に輪住する。 |
5年 3月23日 |
1473 |
師の大庵須益が68歳で示寂、用兼は法兄の為宗仲心に師事する。 |
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この年永平寺兵火にかかり焼失する。 |
長享 元年 |
1487 |
厳島神主藤原教親は洞雲寺を創建し、龍文寺の用兼を招いて開山とする。 |
延徳 2年 |
1490 |
用兼の侍者元賀、龍文寺にて瑠璃光寺正法眼蔵を書写する。 |
文明末〜明応初 |
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この頃阿波守護細川成之は丈六寺を修営し、用兼を招いて開山とする。 |
明応 2年 |
1493 |
藤原宗親は寺領を寄進し、洞雲寺を両親の菩提所と定める。 |
8年 |
1499 |
為宗仲心越前の龍泉寺に輪住する。 |
9年 |
1500 |
用兼、師の為宗仲心と永平寺復興に着手する。 |
文亀 3年 |
1503 |
永平寺の各伽藍復興する。 |
永正 元年12月 |
1504 |
為宗仲心は病により龍文寺の法席を用兼に譲ろうとしたが用兼固辞する。 |
12月15日 |
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洞雲寺の開基藤原教親(教文)病気平癒を祈願して寺領を寄進する。 |
12月17日 |
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洞雲寺の開基藤原教親卒去する。 |
2年 1月 3日 |
1505 |
為宗仲心示寂、弟子の用兼と春明師透法席を譲り合い3年間無住になる。 |
5年 5月 |
1508 |
用兼、丈六寺で侍者宗晶の五七忌法会を修する。 |
7年 4月〜8月 |
1510 |
用兼、阿波の桂林寺で洞雲寺正法眼蔵を書写する。 |
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この頃用兼の法嗣章山○○の請いにより洞雲寺頂相図に自賛する。 |
8年 8月28日 |
1511 |
用兼の法孫興雲宗繁の請いにより洞雲寺頂相図に自賛(写)及び、功山寺頂相画に自賛する。 |
9月12日 |
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丈六寺開基細川成之卒去し、用兼導師を勤める。 |
9年 |
1512 |
用兼、細川成之の一周忌を修する。 |
11年 |
1514 |
用兼、細川成之の三周忌を修する。 |
12年11月15日 |
1515 |
用兼、洞雲寺をあとに行方知れず行脚する。 |
天文16年11月 |
1547 |
洞雲寺5世天庵宗春金岡和尚行状記(洞雲筆記)を誌す。 |
延享 2年 4月15日 |
1745 |
丈六寺17世卍元道密丈六禅刹開山金岡禅師記を誌す。 |