ROY草子(2001.8〜10)


 更新情報&日記もどきのコーナーです。

 基本的には更新情報をお伝えします。が、自分の思ったことをただ書き連ねている場合もあります…。

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初霜月(はつしもづき)

01/10/28 (日)

更新情報
 「子どもとわたし」(風早・5年生)に追加があります。

少女海賊ユーリ
 高橋桐矢さんのHPで紹介されていたので読んでみました。続きがどうなるのかとても気になる終わり方で、次の巻の発売が楽しみです。未来から来た少女(といっても、それは外見上のことで、実年齢は200歳を超えるのです!)のかっこいい振る舞いとその奥底に抱えている悲しみや苦しみにドキドキさせられました。読んでいる途中で何となく「クロノクロス」というゲームを思い浮かべました。時を扱っている話だったからでしょうか。この本を学級文庫に置いたところ、あっという間に借りて行かれてしまい、現在手元にありません。作者のみおちづるさんはもう1冊本を出していらっしゃったので、早速借りてきました。『少女海賊ユーリ』はフォア文庫から出ています。

金八先生に思うこと
 この間第5シリーズの再放送を見ていた子が多かったせいか、今回放送している第6シリーズを見ている子がクラスに多くいます。(9時からの放送なので、見られない子もたくさんいるのですが…。)
 第1話はちょっと小学生には見せたくないシーンがあり、子どもたちもどう話していいのかわからなかったのか「先生、見た?」「うん、見たよ。」「ふうん、見たんだ。」という会話で終わってしまいましたが、2話以降は少しずつ内容について話すようになってきました。
 この間の3話では、「ねえ、先生、昨日の金八先生は泣けたよねえ。」と言ってくる子がいました。「どこで泣けたの?」「幸作が自分の病気のことを知ったところ。あと、信太が雨の中走り出て金八先生の所に行ったけど、先生に会えなかったところ。」「なるほどねえ。」「もう、家じゃあお母さんも高校生のお姉ちゃんも泣いていたんだよ。ねえ、先生は泣かなかったの?」「うん。」「何でー!?」確かに泣けてくるシーンではありました。信太の抱えている痛みや苦しみはよくわかります。誰にも話すことができず、泣きたくても笑ってごまかしてしまう信太を見ていると痛々しいです。病気と闘う幸作とその家族の姿も感動的でした。でも、泣けるかと言ったらそれは違うのです。たぶん、わたしが金八先生のストーリーを外側から見ているからなのでしょう。誰に感情移入していいのかわからないのです。恩田陸の『光の帝国』という本にある引き出しの話のおじいさんの思いに触れたときの方が泣けました。
 そういえば、さっきの会話をした子はさらにこんなことも言っていました。「金八先生が授業で言っていることってそのまま勉強になるんだよなあ。おれにも漢字が違っているってわかったしな。へんを変えても同じ読み方になっているのがわかっておもしろかったよ。」「ちょいまち。そのへんを変えても同じ読み方っていうのは、わたしも授業中に教えたけど?」「あ?そうだっけ?」この子、本当の授業よりも金八先生の授業の方が頭の中に残っているんだから!

言葉の持つ力
 絶対にいらないと思うものは、テレパシー能力です。人の心の中がみんなわかってしまうなんて、絶対に嫌です。人は常にプラスの感情を持っているわけではありません。マイナスの感情を見せられるのはただでさえ気分の良いものではないのに、人が心の中に隠しているそういう感情までわかってしまうのは気持ちが悪いと思うのです。
 それに、お互いにテレパシーで通じ合ってしまうのなら、ウソをつくことができず全て本当のことになるから、信じるという行為自体存在しなくなってしまいます。心の内が見えないからこそ、人はお互いの言葉や行動を信じようとするのではないでしょうか。「信」が「人」と「言」という文字から成り立っているのは、人が互いに言葉を交わすから信じることができるという意味があるからだというような気がします。
 言葉が足りなくて誤解を生み、信頼関係を損ねることがあります。子どもたちのけんかも、もっとお互いの言い分をじっくり話せばけんかにならずにすんだということが多くあります。もちろん、おとなでも同じです。ネット上ではさらに言葉が大切になってくると思います。相手の気持ちや人柄はその文字や言葉から推し量るしかありません。
 もっともっと言葉に気を遣わなくてはと思います。


01/10/25 (木)

更新情報
 「子どもとわたし」(風早・5年生)に追加があります。
 このところ掲示板にいろいろ書き込んでいたので、いくつかこちらのページに移しました。

川物語 続きの続き
 総合での調べ学習もだいぶ進んできました。わたしが担当しているのは川の上流と下流の様子やゴミの状況について調べている子どもたちです。上流と下流組は、グループによってだいぶ差が出ています。デジカメで画像を撮り、拡大した写真を使うグループもあれば、文章で説明しているグループもあります。地図には載っていない上流のその先について市役所に問い合わせたグループ、護岸工事や土手の形に興味を持って川の博物館に問い合わせたグループ、排水管に気づき、「この川って排水のためにあるんなら川とは言えないんじゃないか?嘘の川じゃないか。」と言い出したグループ。それぞれが思い思いの活動をするため、みているこちらは大変忙しくなります。一方ではパソコン室で画像の印刷やHPで検索したいと言いだし、もう一方では職員室で拡大コピーをしたい、電話で問い合わせたいと言い出すのですから。さらに、「両面テープを貸してください。」などと言う人もいて、もうパニックです。でも、発表会に向けて徐々に準備は進んでいます。

ウエディングドレスと横浜中華街
 日曜日に横浜まで行って妹のウエディングドレスをもらってきました。お昼はそのまま横浜中華街でとりました。バイキングで1人2500円。「誰が一番2500円分に近く食べたか、ゴチバトルだ。」などと言いながら食べ始めたのですが…どうやら母が一番食べていたようです。
 さて、家に帰ってからはウエディングドレスの試着会。妹はドイツにいるので、わたしで試してみることにしました。妹より10cmも背が低いのですが、体型はそんなに変わらないだろうという安易な考え方です。また、「こういうときにでも着ておかないと、この先着るチャンスなんてないかもしれないからね。」という考えも働いていましたが…(笑)。それにしても、ウエディングドレスって着るのが大変です。自分一人では絶対に着られません。でも、ちょっとしたお姫様気分になれて楽しいですよ。
 髪も母がドイツで結わなければならないので、またもわたしがモデルになりました。普段髪型なんてちっとも気にせず適当にしていたのですが、ちゃんとアップにするとそれなりにすっきり。朝、時間があり、体育がなければ職場にもその髪型にしていくんだけどな…。でも、お子さまと格闘しているうちにぐちゃぐちゃにされるのがオチだとわかっているのでしません。
 そういえば、先日姐さんに「髪の毛のびたねえ。そうか、もうすぐ七五三だからのばしているんだ!」などとからかわれたのですが、「七五三じゃなくて結婚式だもん!」と言えるぞ!!

10/17(水)2度目の追浜
 校外学習で追浜の日産自動車の工場へ行って来ました。海ほたるを通り、川崎へ。海ほたるに着くまで2時間!16号がやたらと混んでいたことと、宮野木ジャンクションの陥没工事に出くわしたことが原因です。でも、到着時間は予定どおりでした。うーん、すごい。バスの運転手さんは追い越し車線をびゅんびゅんとばしてくれました。
 天気が悪かったので、バスや海ほたるからの眺めはあまり良くありませんでした。ちょっと残念。でも、このあとの学習で扱う京葉工業地域や京浜工業地帯は一応ちらっと見えていたんだけど…。彼らはあまりよく見ていませんでした。なぜなら、車内レクに夢中だったから。
 今回は実行委員の子たちが全てのレクを考えてくれました。普段あまりノリの良くない学年だと言われているのですが、この日は違いました。人数が少ないため、1,2組一緒に1台のバスで行きます。実行委員は各クラス2名ずつです。彼女たちは毎日昼休みに集まっていっぱいレクを用意してくれました。その甲斐あって、レクは大盛り上がりでした。伝言ゲームをやれば、まともに後ろまで正しい言葉がまわらず、「もう1回!!」とアンコールが出る始末。頭の上に歌集を載せて3分間落とさないでいるなんていうものまで真剣にやっていました。こんなに夢中になってレクをしている姿を見たのは初めてです。おかげで、誰一人として具合が悪くなることなく帰ってくることができました。
 自動車工場は昨年に引き続き2度目。解説をしてくれたお姉さんは、去年と同じ人でした。こういうこともあるんですね。自動車を作る過程は迫力があって本当に面白いです。何度見ても飽きません。しかも、今年は外国への輸出用の船も停泊していて見ることができました。ラッキー。
 横浜にある環境エネルギー館もとてもよかったです。スタッフがとても熱心に対応してくれたのです。1時間しかいられなかったのがもったいなかったくらいです。

10/16(火)川物語 続き
 総合で外回り。地図上に載っている川の水源地に行ってきました。が、子どもたちの反応は、この間下見をしてわたしたちの反応と一緒。
「水源地じゃないじゃん!まだこの先にも川は続いているよ。」
なぜこのような現象が起こるのか、調べてみようと思ってくれるといいなあ。

10/8(月)地域のお祭り
 宗吾霊堂というとお待夜(おたいや)です。成田の祇園祭も賑わいますが、わたしにはお待夜の方が馴染みがあります。ただ、どちらの祭も中学校の先生泣かせです。
 わたしが子どもの頃に住んでいたのは酒々井(しすい)町というところで、成田市と佐倉市の間に位置しています。当時は大きなスーパーもなく、買い物というと成田や佐倉まで足を伸ばさなければなりませんでした。
 お待夜は毎年9月2日ごろに行われていて、夏休み明けの大きな祭として地元の子どもたちが楽しみにしています。宗吾霊堂は一応成田市に入るのですが、酒々井の子にとっては自転車で十分に行ける距離なので地元という認識でいます。お待夜の日は、生徒がトラブルに巻き込まれないように先生たちがパトロールをしていました。祇園の方が規模は圧倒的に大きいのですが、お金のない中学生たちは電車に乗ってそこまで行こうとは考えないのでした。だって、佐倉の歴博までだって歩いたり自転車でいこうと考えるのだから…。電車賃がもったいないのだ!
 そういえば、高校も自転車で行くほうが早く学校まで着けました。電車に乗り遅れても、自転車で直接行けば大丈夫!遅刻しないのです。ただし、帰りは真っ暗になるので部活には参加できませんが…。
 自分が教師になり、中学校で教えていたときにパトロールする側になりました。成田の祇園祭です。成田の隣にある富里町で教えていたのですが、ここの子たちは酒々井の子よりもさらにどこまででも自転車で出かけていきます。銚子まで行ってしまうなんていうこともありました。当然、祇園にも出かけていきます。みんなとても楽しそうでした。
 祭といえば、もうじき佐倉の大きなお祭りがあります。来週末かな。京成佐倉〜JR佐倉周辺の道路がみんなまともに使えなくなるので要注意です。京成佐倉駅前商店街周辺の道路はみんな歩行者天国になります。大きな山車が出て、町内会ごとに勝負をするので迫力満点です。

10/8(月)家族の会話
その1 首相と大統領
私「首相と大統領ってどう違うの?」
兄「心がけがいいのが首相で心がけが悪いのが大統領だよ。」
私「?」
兄「殊勝な心がけって言うだろ。」
私「……。」
(兄は中学高校の社会科教諭免許を持っています。ちなみに即答してくれました。)

その2 たかがマンガ、されどマンガ
母「ねえ、今度の結婚式にパールのネックレスを貸して。」
私「いいけど、何で?」
母「花嫁が身につけるといいものとして、人の物を借りるっていうのがあるんだって。」
私「あれ?その話どこかで聞いたなあ。」
母「そう?日本の習慣じゃないけど。」
私「んーと何だっけなあ…。何かのマンガで見たような…。」
母「マンガ?そんなのあったっけ?」
私「あっ、そうだ。『悪魔の花嫁』だよ。花婿がブーケかなんかを作ってもらったお店でベルトを借りたんだよ。」
母「それ、何巻目にあったっけ?全部読んだんだけどなあ。」
私「自分で探して…。」
兄「でもさあ、あいつはスキー代をずっとお前から借りたままなんだから、何も新しく借りる必要はないんじゃないのか?」
母・私「それもそうだ!」

10/8(月)川の始まりと終わり
 土日を使って総合学習に関連する現地調査をしてきました。
 地域に流れている神崎川について調べるのですが、教師もいったいどこからどこまでを神崎川というのか、どのあたりを流れているのかもよく知らなかったので、まずは実際に見てみようということになったのです。
 まずは地図で確認。地図上では、始まりは市内の別の小学校の学区にある神社付近になっていました。なぜ神社が始点になっているのか不思議だったのですが、とりあえず行ってみることにしました。始点は簡単に見つかりました。でも、湧き水があるわけではなく、別の排水溝から水が流れ込んでいたのです。これって始点といえるのだろうか…?さらに、その排水溝が延びていると思われる方向へ行ってみると、あちこちに「汚水」と書かれたマンホールがありました。ということは、これって汚水が流されているの?「何だか夢も希望もないねえ。」と一緒に見ていた同僚と思わずため息が。昔から始点がこうなっていたわけではないとは思うのですが。
 次は終点の調査です。地図で確認したら、印旛沼から出ている水路が元になっている新川と合流していることがわかりました。いつも通勤路として使っている道路のすぐそばだったので、寄り道してみました。予想以上に川幅が広くなっていました。いつも見ている神崎川とは大違いです。合流点には看板が立っており、それぞれの川の名が記されていました。さらに、管轄の役所も違うことがわかりました。神崎川は一級河川で印旛土木事務所の管轄、新川は千葉土木事務所の管轄なのです。釣りをしている人がいたので、どんな魚が釣れるのか聞いてみると、ヘラ、ニダイ、フナ、コイ、あとはバスという答えが返ってきました。神崎川にはフナが、新川にはヘラが多いようです。学校のそばの神崎川には魚なんてほとんどいないのに…いったいどのあたりから魚がいるようになっているのでしょうか。新たな疑問が出てきました。
 その後…今年度版の地図を見たら、水源地が替わっているではありませんか!一体どういうことよというわけで、再び見に行ったのです。しかし!「ねえ、どこが水源地よ?この川、まだ向こうにつながっているじゃん…。」本当にいったいどういうことよ!

10/5(金)コンピュータマウス事件
 数日前のこと。
 友人のぐらちゃんが働いている分校でこのできごとは起こった。

 5年生が自分たちで育てた稲が実り、無事にお米を収穫できた。そのお米は教室で保管されていたのだが、ある日、お米の周りに黒い物体がいくつも落ちているのが発見された。
「こ、これはっ!奴が現れたに違いない!!」
 ぐらちゃんはすぐに悟った。そう、あの名前を呼ぶのもおぞましい「奴」がやってきたのだ。
 ぐらちゃんは師匠を呼びに行った。彼はあらゆる意味でぐらちゃんの師匠だった。いかにして分校の空気と一体となり過ごしていけばよいか、彼は熟知していた。
 しばらくして、彼はぐらちゃんに声をかけた。
「居場所が分かったよ。ほら、あの後ろにいるよ。」
「な、なんでわかるんですか?」
「だって、米粒がそちらに落ちているじゃあないか。」
よくみると、壁際にあるパソコンのそばにいくつか米粒が散らばっていた。
「あっ、じゃあまさか…。」
「うん、きっとお米を自分の家に運んでいたんだろうねえ。」
そういうと、彼は怖じける気配もなくスッとパソコンに近づいていった。
「し、師匠!!どうするんですか?」
「もちろん確かめるんだよ。どうやらこの後ろにいるのは間違いなさそうだからねえ。」
師匠はパソコンに触れると、そっと斜めにその位置をずらした。
「……!!」
「奴」が出てくるのではないかと身構えていたぐらちゃんだったが、予想に反してそこには米粒以外何もなかった。
「あれ?おかしいなあ。ここにいるとおもったんだけどなあ。あっ!」
「師匠、どうかしたんですか?」
「奴」がいなかったことにホッとしたのもつかのま、ぐらちゃんはまたドギマギしはじめた。
「ん、いや、ほらこの穴見てよ。」
「穴?」
彼の指さす方をそっと見ると、パソコンの裏面に不思議な空間が空いている。
「これがどうしたんですか?」
「ほら、中に米粒がいっぱいあるんだよ。」
ぐらちゃんの顔から血の気が引いた。
「ま、まさか…。」
「うん、そのまさか。きっとここをねぐらにしていたんだろうねえ。」
そう言うと、頭を抱えてしゃがみこんだぐらちゃんをその場に残し、師匠はどこかへ行ってしまった。一体どうすればいいのだろう。困り果てていると、のんびりとした足取りで師匠が戻ってきた。手には掃除機を持っている。
「師匠!どうする気ですか?」
「決まってるだろ、掃除だよ掃除。パソコンの中がこれじゃあ汚すぎるからねえ。」
「…!!」
ぐらちゃんは自分の耳を疑った。「奴」のねぐらとなったパソコンを掃除するだと?ということは、まだこれからも使う気でいるのか?ああ、それにしてもこの数日「奴」とともに同じ部屋で過ごしていたなんて!
 そうこうしているうちに、彼は掃除機を組み立て、電源に手を伸ばした。
「ブォーーーン」
旧式の掃除機はとんでもなく大きくうるさい声を出した。と、同時に、
「ぴゅーっ!!」
と小さな物体がパソコンの穴から飛び出してきた。
「……!!」
ぐらちゃんは完全に固まってしまった。そう、ついに「奴」の姿を見てしまったのである。
 「奴」の名はねずみ。体はまだ小さいが、おとなを固まらせてしまう強力なパワーの持ち主だった。ねずみは掃除機のけたたましい音に驚き、校庭へと飛び出していった。
 その後、分校の全児童を巻き込んでねずみ小僧捕獲大作戦が展開され、一時は見事に取り押さえたのだが、さすがはねずみ小僧、一瞬の隙をついて逃亡していったそうだ。
 ねずみのすみかとなったパソコンは依然として子どもたちによって使用されているらしい。
 師匠はこのできごとを「コンピュータマウス事件」と名付け、分校の歴史の1ページとして刻もうと目論んでいるとのことだ。


竹酔月(ちくすいづき)

01/09/30 (日)

更新情報
 「子どもとわたし」(風早・5年生)に追加があります。
 このところ掲示板にいろいろ書き込んでいたので、いくつかこちらのページに移しました。

明日から
 10月です。出勤簿のページが裏側になり、「折り返し点だな。」と感じるのです。行事の忙しさはこれからが本番。授業も進めないといけないしな…。

感想を書こう
 ただいまクラスで実施している企画物です。作者本人に感想の手紙を出すという物です。全員が書けるかどうかはあやしいのですが…。すでに1人で何人もの作者に書いている子もいて、差が大きいです。

残業
 昨日は近くの川まででかけていました。2クラス合同の総合の授業です。身近な環境を考えるのがテーマで、川の水質検査をしたのです。調査方法は、川にどんな生き物がいるかで水質を判定するというものです。指標生物があり、それを見つけるのが目的なのですが、中にはざりがにやどじょう探しに夢中になる子もいました…(笑)。調査結果はまだまとめていませんが、ざっと一覧表を見ただけで「この川は大変汚い」と判定できてしまいました。
 午後わたしのした仕事は、デジカメで撮っておいた写真をパソコンで取り込み、HPにすること。今までは全部自分の私物で行っていた仕事ですが、今回は初めて全て学校の備品を使いました。学校のデジカメはちょっと使いにくく、何枚かうまく撮れていないものがありました。でも、取り込むのは非常に簡単。あっという間に40枚くらい取り込めました。
 今回の作業でとても不便だと感じたことがあります。デジカメは3階のパソコン室でしか取り込めません。HP作りは1階の職員室のパソコンでしかできません。LANで繋げてあるので、1階ですぐに取り込んだ画像を取り出したり、できあがったHPを3階で呼び出すことはできるのですが…それでも2往復くらいしなければならなかったので面倒でした。職員室で全部できれば楽なのですが、容量不足なのでできませんでした。とほほ。

9/25(火)ガラスの少年
 金八先生は第1シリーズから全部観ていたのですが、前回の第5シリーズは途中からしか観ていなくて後悔していました。今、再放送をしてくれているので、毎回ビデオにとって観ています。第5シリーズは健次郎君ひとりに焦点が絞られているのがちょっと気になるところですが、だいぶ重いテーマを扱っているから仕方がないのかなとも思います。
健次郎ってとても気の毒な子です。家庭では誰も健次郎を守ってはくれない。引きこもってしまった兄の暴力におびえ、本来保護してくれるべき父は見て見ぬ振りをし、母は健次郎に頼り切っている。どんなにしっかりしているように見えたって、子どもは子ども。頼るものがない状態は非常に辛いものです。母の関心は優秀な自慢の息子だった兄にいつでも向かっていて、それは引きこもっている今でも同じ。結局健次郎は母から放っておかれているのですが、健次郎はそれでも母を大切にし、求めている。自分がすがりつきたい相手にすがられてしまっては、一体誰に頼ればよいのか。
 その荒れが学校で出ているのですが、それは決して許されるようなことではありません。人の弱みを握って脅したり、暴力を振るったり、人の心を踏みにじるようなことを平気でしているのだから。健次郎にとって友人は頼れる相手にはなっていなかったということなのでしょう。現実に、友人と上手く接することができず、頼りにできる人を見つけられずにいる子が非常に増えています。自分のクラスの子を見ていてもそれは強く感じます。健次郎のような子を生み出さないようにしたいものです。

9/24(月)『サラシナ』
 昨日読了しました。スラスラと読めたということは、たぶん読みやすかったのだろうなと思うのですが…。うーん、難解だったというのが正直な感想です。でも、自己再生の物語という点で、非常におもしろい作品だと思いました。『更級日記』にある竹芝伝説をモチーフにした荻原規子の『薄紅天女』を先に読んでしまっているので、どうしてもそのイメージがまとわりついてしまいました。
 前半はやはり荻原規子の作品で『これは王国のかぎ』とよく似た印象を受けました。竹芝伝説の物語の世界に行くサキとアラビアンナイトの世界に入りこんだひろみ。主人公の女の子の語り口調で物語が進んでいく点も似ていました。『サラシナ』のほうが『薄紅天女』よりも竹芝伝説や史実に忠実という感じがして、そこは好感が持てました。『薄紅天女』の薬子の設定はちょっと無理があると思っていますし、物語の流れ上、阿高が苑上を連れ出す必然性は感じられませんでした。
 でも、『サラシナ』では不破麻呂が竹姫を連れ出す(正確には竹姫が連れだしてほしいとお願いする)のに違和感がまったくありませんでした。ラストの展開で、サキが竹姫の中に入りこんでいたのだとすると、サキが21世紀に帰っても、竹姫は奈良時代に残るのではないのかな…なんて思ったりもしました。もちろん、その竹姫は不破麻呂のことを覚えていないかもしれないけれど。ただ、あくまでもこれはサキの物語なので、竹姫が残ろうと残るまいとあまり関係はないのでしょうね。
 この物語は、サキにとって2つのことがらがポイントになっているのだと思います。1つは自分が楽しいと感じることができるようになること。もう1つは罪悪感を背負ってしまった自分を癒し、受け入れることができるようになること。
 何をやっても楽しくない、くさりにつながれたような感じをずっと持って生活してきたサキが、内親王という実際に窮屈な立場にいる竹姫として奈良時代で過ごすうちに駆け落ちという大胆な行動に出ることができるようになるところはとても生き生きとしていてよかったと思います。でも、それはサキとしての自覚がない状態で行っていることなのがちょっとひっかかります。天女として奈良時代に来たときの方が、サキとして不破麻呂への恋心を持っていてよかったように思います。
 難解だったのが安積親王のこと。彼はサキの罪を引き受けてくれる存在として登場します。サキは現実の世界で誤ってひさごのつるを切り落としてしまいますが、そのことを受け入れられず、夢の世界でひさごを育て続けていました。サキが竹姫の中に入りこんだのは、本人にはそんな意識はなかったのだろうけれども、ひさごのつるを切り落としてしまった罪悪感を引き受けてくれる安積親王に出会うため。そして、そんな安積親王に好かれる自分になることで、自分自身を認めて受け入れようとしていたのでしょう。
 この物語が難解になってしまったのは、サキが2つのことがらを乗り越えようとしたからではないでしょうか。自分の好きなことをするだけであれば、サキは竹姫になる必要はなく、天女として不破麻呂と過ごせばよかったのです。けれど、罪悪感を乗り越えるためには安積親王と出会わなければならなかった。その罪悪感を、サキは自分でもあまり認識していないので、天女(=サキの意識がある状態)として安積親王と出会うのは難しく、そのため竹姫(=サキの意識がない状態)とならざるを得なかったのかもしれません。
 結局、竹姫はサキとしての意識を取り戻します。それは、サキが2つの乗り越えるべきことがらを無事に乗り越えた証拠であり、同時に不破麻呂と別れて現代へと戻らなければならないということでもあります。
 現代に戻ったサキがどんなふうに生きていくのか、それはまた別の物語なのでしょう。
 ところで…最近多くの児童書で佐竹美保さんの挿し絵を見かけるのですが、こう頻繁に同じ方のイラストばかりだとちょっと…。やはり、児童書において挿し絵の効果は大きいと思います。違う作者のイメージした世界のはずなのに、描き手が同じだとどうしても世界観が近くなってしまうように感じます。佐竹さんのイラストは好きなのですが、あまりにもあちこちで見かけすぎるので…。

9/23(日)運動会終了
 運動会は昨日無事に終了。体操服の上に上着を着たままの運動会って初めて経験しました。毎年暑さ対策をしていたのに、今年は寒さ対策。わたしは用具係だったので体を動かしていてそんなに寒くありませんでしたが、それでもトレーナーとウィンブレを併用して凌ぎました。午後からは日差しも出てだいぶ過ごしやすくなりました。
 昨年までの勤務先ではクラスの中で紅白半々に分かれていたのですが、今年はクラス全員が同じ色になるので勝つか負けるかのどちらか一方。クラスの雰囲気作りにはとてもよかったです。
 「おれ、去年まで4連敗なんだよなー。」と言っている子もいましたが、今年勝てたので連敗記録はストップ。みんな大喜びでした。逆に、隣のクラスには5連敗の記録を更新している子がいるのですが…。実は、同僚に新採から21年間一度も勝利したことのないという人がいるのです。うちの学年の子たちは3年生の時にこの先生に教わっており、ジンクスをよく知っていました。今年もこの先生と同じ色になってしまったので「勝てないかも…。」という思いがあったようです。でも、22年目にして初勝利。よかったです。
 水曜日からは平常日課。1時間目は運動会の作文です。今年はうれしい思いをした子が多いので楽しく書けるかな。
 >楽しく書けていました。よっぽど嬉しかったんだね。

9/15(土)怒濤の1週間
 この1週間は台風に始まり、狂牛病やテロ事件などさまざまなことがありました。地域の教員仲間のMLでも、この3つの話題と運動会のダンスでもちきりとなっています。
 台風については、ちょうど5年生は天気の学習があるのでタイムリーになりました。また、自分の家の瓦が吹き飛んだ子がいたり、学校のあちこちで雨漏りがしたりとその被害の大きさにもみんなでいろいろと考えました。
 テロについては、ちょうど夏休みに戦争のことを調べ、さらに2学期はじめの国語の授業で「山のあなた」を扱い、自分にとっての「幸い」について「戦争のない世の中で生活できること」という意見が出ていたところで起きました。自分からは遠く離れたところにあったと思っていた戦争が、俄に自分たちのそばにやってきたと子どもたちもわずかながら感じているようです。ツインタワーのあの映像には自分がとても衝撃を受け、何度も繰り返し放送されるテレビを見ていてとてもいやになりました。子どもにも見せたくないと思っています。あれは決して映画ではなく現実に起きたことなのだと思うとゾッとします。そして、子どもたちがどう受け止めるのか…。
 狂牛病は…正直参りました。今週一番気になった話題はこれだと言っても過言ではありません。子どもの生活にも関わりの深いことだったから。同じ県内で、牛乳を給食に出さない措置をとった市が出てしまいました。結論から言うと、うちの市では学校給食では牛乳を今後も出すということになりました。牛肉はもともと使っていないということで、家庭に文書が配られました。
 狂牛病もテロも、取材のあり方についてもう少し考えてほしいと感じました。狂牛病では風評のこともあるし、取材している様子を見たり聞いたりしている子どもたちもいます。テロについては、日本に残されている家族への取材のせいで、いつも通りに帰宅できない子が出てしまいました。家の周りに取材陣が大勢集まり大騒ぎになっているので、落ち着いてから母親が学校に直接迎えに行ったそうです。情報が入らず、不安な思いをしている家族に対しなぜ取材するのか、わたしには理解できません。どんな思いでいるかなんて、想像すればわかることです。報道する人たちには人の気持ちを推し量ることができないのでしょうか。
 >狂牛病は本当に直撃なんです。狂牛病騒ぎで忙しくなってしまった保護者もいて大変なんです。酪農農家ではないのですが。

9/11(火)「台風クラブ」
 今回の台風で思い浮かんだのがこの映画のタイトル。
 今日は1日いろいろなことがありました。まずは、市内で1校だけ臨時休校にならなかったこと。中学校も休校になっていたため、小学校に「何で中学が休みなのに小学校は休みにならないんだ!」という苦情が朝からガンガン来ました。それでも、うちのクラスの出席率は学校で一番よく、休んだのは一人だけ。結局登校させたにもかかわらず、1校時終了後に下校となりました。しかも、家の人に迎えに来てもらって。朝、家の人に送ってもらって登校したのに、2時間と経たないうちにまた迎えに来させることになったのです。そのために、担任は連絡網をまわし、連絡のまわらない家と迎えに来られない家を把握しなければなりませんでした。そんなこんなで、1校時はまともにできない状態。
 さらに、体育館で保護者に引き渡しとなったのですが、この学校では引き渡し訓練をしたことがないので、親も教師もどのようにしたらよいのかよくわからない始末。年度当初に安全担当から配られた引き渡し用のクラス表示と名簿を活用しなかった教師もたくさんいました。
引き渡せなかった家の子は、担任が家まで送りに行きました。
 その後、ホッとする間もなく火災報知器が鳴ってしまいました。原因は体育館の雨漏りのようです。漏電の疑い有りということのようでした。結局、セコムにもひっかかり、大騒ぎです。体育館の雨漏りはひどい状態で、バケツの代わりにプールでも持ってきて置きたい気分でした。
 ようやく収まったと思ったら、今度は床上浸水です。一番ひどかったのがわたしのクラス。3階にあるのに床上浸水とはどういうことだと思ったら、窓ガラスのゴムパッキンがない部分が多く、その隙間から中に水が入ってきていたのでした。ついでに、ベランダの排水溝が詰まっていて小川状態に。それもドアの隙間から入ってきていたのです。雑巾を山ほど並べて土嚢代わりにし、さらに雨の中ベランダに出て排水溝のつまりを直しました。今回はずぶ濡れになった職員が続出です。
 大雨の中ベランダに出ていて「あっ、これ台風クラブみたい。」となぜか思ったのでした。
 それにしても、この対応のまずさは何とかならないものだろうか…。


01/09/15 (土)

たたかうこと
 いつもと変わらなく始まった1日。戦争は遠い世界でのできごとだと思っていた。当たり前に思っていた日常が一瞬のうちに崩れ去っていく現実。
 テロの成功を喜ぶパレスチナの子どもたち。テロによって家族を失ったり安否を確認できずに悲嘆にくれているアメリカの子どもたち。それぞれの国の立場によって、子どもたちは同じただ一つのできごとを違う感情で受け止める。そして、それは教育においても同じ。テロ行為を誉め讃えるパレスチナ、テロ行為を激しく非難し憤るアメリカ。
 報復は当然のことだと声高に叫ぶ人たちがいる。お互いに歩み寄ることはどうしてもできないことなのか。もちろん、テロ行為は許されるものではない。犠牲になった人々は、本来起こるはずのないできごとに巻き込まれた。
 「なぜ、自分はこんな目に遭わなければならないのか。」
 けれど、それに対して武力で対抗し、報復することで何が解決するというのだろう。また新たな憎しみしか生まれないのではないか。テロ行為は許されないが、戦争ならば許されるというのか。
 ヒロシマやナガサキは、アメリカにとって真珠湾攻撃に対する当然の報復だという人がいる。日本のしたことは、確かに許されることではない。けれど、その報復であるというにはあまりにも大きすぎる犠牲だ。戦争という非常事態の中、それでも人々はいつもとかわらなく1日を始めた。でも、たった1発の原爆によって、何万人という人々が死んでいった。夢や希望を持っていた子どもたちはわけのわからないうちに戦争に巻き込まれ、大勢犠牲になった。それも、当然の報復の結果だというのか。
 このままお互いに報復行動に出れば、世界中の国々が戦争に巻き込まれていくだろう。テロ行為を行うに際し、自らの命を投げ出す人々が相手なのだから、この戦いはそう簡単には終わらない。このテロ行為を知ったとき、戦時中の日本によく似ていると思った。特攻隊のようなビルへの突撃。テロ成功を喜び、自分たちの戦いは聖戦であると信じているパレスチナの人々。アメリカの人々は、自分たちがなぜこのようなテロの標的にされたのか考えているのだろうか。自分たちにとっての正義が必ずしも他国の正義にはならないということを知っているのだろうか。
 戦争は人間自らが引き起こすもの。引き金となるのは心である。日本は第二次世界大戦で加害者にも被害者にもなった。そして、今なお、加害者として憎まれている立場にあり、また、被害者として苦しむ人々がいる。50年以上経っても、被害者が憎しみや恨みを忘れ去ることはできないことを、日本人はよくわかっているはずである。同じ過ちを繰り返さないことを、誓ってきたはずである。教育でも、戦時中と同じ過ちを繰り返したくはない。子どもたちの心が麻痺しないように、自分で判断できる力を持てるように、周りの風潮に流されないように。


燕去月(つばめさりづき)

01/08/26 (日)

変化朝顔2
 今日は3つ咲きました。でも、きれいに咲いたのはこれだけ。朝顔の葉っぱもちょっと変わっているのですが、わかるかな?それにしても、このピンぼけは何とかならないのだろうかと自分でも思います。(どーしてうまく写せないんでしょ?)

今週の予定
 夏休み終盤だというのに何を考えているのだと思われそうな予定が立てられています。

・月曜日
 1日出張。幕張に行きます。千葉地方出張所の方々も一緒の研修なので、どうしても幕張にある県総合教育センターで行われるんだよね…。わたしは印旛地方出張所の所属です。この出張だけは何があってもさぼれない!しかも、他の人に替わって行ってもらうこともできない!自宅から幕張まで、高速使えば20〜25分くらい。勤務先までは最短時間コースでも45分。(最短距離ではないんですよ。ここがポイント。最短距離で行った日には、1時間以上かかるんだから。天下の16号を使うことになるので。…って、関東在住で16号周辺にお住いの方にしかわからないかもしれませんね。)

・火曜日
 午前中は介護保険関係の用事があります。午後は歴博に行きます。この間見られなかった企画展示「異界万華鏡」を見るのです。お連れは9月から仕事に復帰する元同僚。先週の木曜日に彼女の家を訪ね、遊んできたばかりです。正確には、彼女の子どもと遊んできました。たっくんは3歳になったばかりでプラレールがお気に入り。母親のFさんはプラレールが苦手。組み立てられないのだそうです。2人姉妹だったので、プラレールは見たことがなかったのだとか。たっくんも自分一人では組み立てられないので、わたしが手伝いました。(わたしは兄がいるので、プラレールでよく遊びました。)たっくんのプラレールは、パーツが少ないのであまりいろいろと繋げられないのが困りもの。今度行くときまでにもうちょっと増やしておいてね、Fさん。結局、この間はたっくんとななちゃんと遊んでばかりいて、会話がとぎれとぎれになってしまったので、火曜日に再度話しましょうということで…。それにしても、たっくんの「ねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえ!おねーしゃーん、おかーしゃーん、あーしょびーましょー!!」攻撃には参りました。あれを繰り返しやられたら、集中して話なんてできませんって(^^;)1分たりとも眠らなかったたっくんでした。

・水曜日
 職体(正式名称は教職員体育大会…か?)があります。ソフトバレーだそうだ。この間ちょっと飛び跳ねただけでアキレス腱が痛くなったから、おとなしくしておこう。午後からは映画を見に行きます。「千と千尋…」かなあ?何を見に行くのかまだ決まっていません。お連れは前の職場の姐さん方。先週の金曜に本当は大井に行く企画があったのですが、諸事情により参加できず悔しい思いをしたので、映画は絶対行くぞー!

・木曜日
 唯一のんびりしてもよさそうな日。

・金曜日
 翌日から2学期なので、一応学校へ行こうかなと。さすがに、新学期準備をしないとね。

・土曜日
 2学期開始。のっけから避難訓練。きっと防災頭巾を持ってこない子が続出するんだろうなあ…(^^;)

ちなみに、映画を一緒に見に行くことになっているぐら姐さんは、今週は毎日出勤だと言っていました。あれー、何でこんなに違うの?同じ市内の学校なんだけどな。


01/08/25 (土)

変化朝顔!
 我が家で咲いた変化朝顔です。普通の朝顔のさらに内側にも花が咲いているという感じの物です。ちょっとぼんやりした画像ですみません。明日も咲く予定なので、もう少しましな写真を撮ってきます(笑)。

 

高校時代にちょっとタイムスリップ 2
 運動能力に恵まれたわたしたちでしたが、本職のバスケが強かったかというと、それは違うのです(笑)。経験者と初心者がほぼ半数ずつ同居している部活です。しかも、うちの学年は他の学年からメンバーを借りないとチームが組めない!1年生大会は辛かったですよー。5ファウルしたら交代する人がいないのだから。
 さらに、バスケ部はどうやらジャージの色によって雰囲気が違うようで、青ジャージはバスケに全てをかける練習熱心な人の集まり、赤ジャージはバスケより他の活動に夢中になる人の集まり、緑ジャージはその中間でなんとなーく部活をしている人の集まりとなっていました。赤ジャージの先輩が卒業し、赤ジャージの後輩が入学してきても、不思議なことに雰囲気は同じようになるのです。謎だ!わたしたちはどの色かというと、間に挟まれた緑ジャージ。のほほ〜んとなんとなく部活をしていました。青ジャージの1年上の先輩たちがあまりに練習熱心なので、ついていくのが大変でした。先輩から見れば、困った後輩たちだったでしょうけれど…。
 代替わりをし、Cさんが部長になりました。これは、先輩のご指名によるものです。バスケ部には、部活内の呼び名と部長&副部長の選出は1年上の先輩が行うという伝統があったのです。Cさんは、とてつもなく影響力のある人です。良い意味でも、悪い意味でも。どちらかというと、バスケよりも他のことの方に熱心な人だったので、部活中はそんなに勢いがないのですが、部活以外で何かをするときには必ず中心になっていました。非常にさばさばとしていて、男子からも女子からも人気がありました。Cさんが部長だったから、未だに当時のOBやOGが学年を超えて集まれるのだと思います。そういえば、CさんとYさんは他校で試合があるときには自転車で会場に来ることが非常に多く、大概試合前にアップが済んでいました。とんでもなくパワフルな人たちです。
 バスケ部で思い出すのは、練習中のことよりも遊んだときのことの方が多いかもしれません。
 誕生日には、必ず誕生会を開きました。次の誕生日の人が幹事役をするのです。6人いるので、年に6回のお楽しみ企画。
 2年生の時は幹事の家を会場にしました。それぞれ出身中学も最寄りの駅も違うので、とてもわくわくしました。悲惨なのは、マネージャーのFさんとわたしの家に来るときでした。最寄り駅から自宅までがえらく離れているのです。Fさんの家は、どうがんばってもバスで行かないといけないのですが、バスの停留所からは近いのでまだ許せます。でも、わたしの家は駅から徒歩25分。バスはなし。みんな「何でこんなに遠いのー。」と泣きが入りました。この誕生会は、みんなで料理を持ち寄るのも楽しみの一つでした。ケーキ、お総菜、主食、デザート等、みんなで分担するのです。とても豪華になるのですが、後で辛くなるのもこの誕生会の特徴です。持ってきた食べ物はみんな平らげなければならないのです。なにせ、ノルマなるものが課せられていたのですから。バスケ部で「ノルマ」というと、未だに食べ物に課せられたノルマのことを指します。次回からはもっと分量を考えようと決意するのに、毎回懲りずに失敗していました。どうしてこうなんでしょう。やはり若さか?さすがに最近はこういうことはありません。みんなどの程度食べられるか学習したのでしょう。誕生日プレゼントは、みんなから一定金額を集めてその予算内で買える物にしていました。当時プレゼントしてもらった定規やシャーペンを、わたしは未だに使っています。
 この誕生会は高校を卒業してからもずっと続きました。それぞれ都合があわなくないことが多くなってからは、手紙を誕生日に合わせて全員に出すことになりました。社会人になってからは、みんなで積み立てをしました。「最初に結婚した人にプレゼントしよう。」という話だったのですが、みんなで旅行に行くことになりました。伊勢、明日香の旅です。高級旅館に泊まってゴージャスな旅行をしようという企画でした。当時、仕事がらみで旅行会社に知り合いがいたので、かなり値切ってもらいました。あんなに高級な旅館に泊まったのは、後にも先にもこの時だけです。修学旅行で明日香方面に行っていた人がいたので、旅行中はあまり迷子にはならなかったと思います。でも、この日は体調が最悪で、あまりよく覚えていないのです。みんなに迷惑をかけまくったのはよーく覚えているのですが。
 そういえば、このメンバーで待ち合わせをすると、遅刻する人が必ずでました。その時間が半端じゃない!1時間くらい遅れるなんて毎度のことです。光画部時間(『究極超人あ〜る』において、定時の前後2時間ずつ幅をとること)ならぬバスケ部時間が存在していたかのようです。このルーズさは、社会人になってだいぶ改善されました。が、Cさんの結婚式に遅刻した人もいるので、やはり相変わらずなのかもしれません…。ドイツから一時帰国をしているYさんとの食事会には、めずらしくみんな定刻通りに現れました。この時は再会したことよりも時間ぴったりに集まれたことに感動しました(笑)。
 高校から徒歩5分のところにあるHさんの家は、バスケ部のたまり場になりました。平日の夜でも、みんなでHさんの家に集まって、映画を観たりおしゃべりをしたり、大騒ぎをしました。その結果、朝起きられず、わたし以外の全員が学校をさぼり、放課後の部活だけ参加したなんていうこともありました。わたしがさぼらなかったのは、同じクラスにバスケ部のメンバーがいたので、2人とも休むとやばいかなと思ったからです。後輩には見事にみんながさぼっていたことがばれていましたが…。
 卒業式の日も、Hさんの家に集まって大騒ぎをしていました。結局みんなでお泊まり。翌日は大学の合格発表があるというのに。朝一番の電車で家に戻り、もう一眠りしてから発表を見に行きました。わたしがなかなか報告に行かなかったので、高校の先生は落ちたのかと思ったそうです。
 学校でできる最後の部活の日も、Hさんの家に泊まり込みました。夜9時まで残ってシュート練をしているうちに、それまでの部活のことを思い返して切なくなり、帰る機会を逃したのです。Hさんのところに泊まったことで、ちょっと救われたことをよく覚えています。あの頃のわたしは、バスケができなくなることがとても辛かったのです。引退してからも、しょっちゅうシュート練をしに顔を出してしまいました。1on1に付き合ってくれる男子の後輩もいて、ありがたかったなあ。(わたしの学年は男子部員が0人、1つ下の学年が6人でした。1つ下の男子たちは、1年生のときは6人だけで部活をしなくてはならず、女子と一緒に練習せざるを得ないという状況になっていました。未だにこの人たちとは仲よくしています。)センター試験後、2次試験まで暇だったのと、体育実技の試験があったことからまた部活に参加しました。3年生は自由登校になっていたので、部活に参加している3年生はかなり異色だったようです。さらに、わたしは1年生男子の体育の授業にも参加してしまいました。体育科の先生が、2次試験用の練習をさせてくれたのです。体育科の先生方にはとてもお世話になりました。
 お世話になったといえば、もう一人。センター試験後、体力がないのに部活に参加したのがまずかったのか、3学年末試験の最終日に大熱を出し、3科目ほど受けられなくなってしまいました。2科目は翌日に追試を受けました。残り1科目は日本史で、担任の先生が受け持っていました。この先生は、追試なしにしてくれたのです。2学期末までの評価と、日頃の授業態度で十分だと言い、年間評価で75点(わたしの高校では、5段階評価で75点以上を5とします。)を出してくれました。信用点ですね。
 パソコン関連の仕事をしている人、看護婦をしている人、ドイツで幼稚園の先生をしている人、母親をしている人、フリーターで旅行しまくっている人、小学校の教師をしているわたしと、今はそれぞれの生活をしているバスケ部のメンバー。何年もの間会わずにいても、会った瞬間にまた毎日会っていたかのような感じになれる人たち。知り合ってから自分の人生のちょうど半分の年数が経ったけれども、きっといつまでも付き合っていけると思っています。


01/08/24 (金)

更新情報
 「児童文学作品」に追加があります。もう、いっぱいあるので…実際に見てください。それでもまだ、UPしきれていないというところが恐ろしい。それに、あのページの重さといったら、どうしましょう。でも、直リンクを張っているサイトがあるので、簡単に変更できないし…とほほ。
 もう一つ、「マンガ」にも追加しました。那州雪絵さんとゆうきまさみさんです。ゆうきさんは前からありますが、ちょっとだけ追加しました。

お気に入りマンガの傾向と対策
 お気に入りのマンガはいろいろあるが、時期によってどうやら読みたいと思う物が変わるらしい。現在読みたいと思うのは、学園物。といっても、寮生活をしているものや、学校生活を描いているもの。夢中になって部活をしていたり、行事に参加していたり、友だちと生活していたり…どうもそういう作品が好きなようだ。
 部活や行事は自分が高校生だった頃を懐かしんでいるのだろう。未だに高校時代の部活仲間とは交流があるけれど、あの場所でみんなで部活をしていた時間は取り戻せない。異様なノリの文化祭や、球技祭も、もう参加することはできない。たとえ母校の文化祭に行ってみても、今のわたしはお客様でしかないのである。寮生活は、憧れの世界。高校の時のあの仲間たちと一緒にずっと過ごせたら…そう思う気持ちがわたしにはある。
 でも、どちらも取り戻すことはできない。楽しかったあの日々は思い出の中にしか存在しない。だから、マンガを読むことでもう一度懐かしい日々を思い返しているのだろう。(寮生活はもしかしたら経験できるかもしれない。教職員住宅に入居すれば、あそこはほとんど寮のようなノリだから。いつもの遊び仲間の拠点ともなっているし…。)
 よく読む寮生活物(?)は、わかつきめぐみ『グレイテストな私達』、那州雪絵『ここはグリーン・ウッド』。高橋留美子『めぞん一刻』も一種の寮生活だと思う。NHKの朝ドラ『ちゅらさん』の一風館が『めぞん一刻』の一刻館に似ているのは気のせいだろうか。部活ものはゆうきまさみ『究極超人あ〜る』、わかつきめぐみ『月は東に日は西に』。どちらも、はみ出し者の集まっている部活という感じがするが、そのパワフルさが好きだ。自分たちの部活もある意味パワフルだったと思うが…。

高校時代にちょっとタイムスリップ
 ということで、高校時代の部活の思い出を語ってみます。
 わたしが通った高校は、藩校から数えて創立200年を越す県下で一番古い学校です。OBで一番有名なのは長嶋茂雄さん。でも、わたしは巨人を応援しません。もう一人のOBがいる阪神を応援しています。
 わたしが通っていた頃は、学区で最も大学進学率のよい学校でした。男子対女子の比率が2対1。各クラス、男子は30人で女子は15人くらい。各部とも女子の部員を集めるのが大変でした。しかも、文化系に人が集まるのに対し、運動系は…卒業アルバムを見ると、とても寂しい状況です(笑)。わがバスケ部も例に漏れず、人が集まりません。3年生は8人くらいいたように思いますが、2年生は6人、わたしたち1年生は6人プラスマネージャー2人。しかも、6人中2人は2年生の夏までに退部してしまいました。やめずに続けた4人はなぜか全員同じクラス。そのうち、もし同じクラスじゃなかったら、たぶんバスケ部に入っていなかったと思われる人が2人。今考えると、この4人が同じクラスだったのはとてつもない幸運だったのか、不運だったのか…。どちらにせよ、運命だったのかもしれません。YさんとCさんとわたしは中学時代から面識があります。大会で対戦していたからです。この3人がみんな同じクラスになり、テニス部に入ろうとしていたYさんをバスケ部に押し込み、同じくテニス部に行こうとしていたHさんを取り押さえ、バスケ部に入部させたのでした。
 結局、どちらかというとお勉強熱心で運動はちょっと…というタイプの多いこの学校で、運動能力の高いメンバーが同じクラスに集まり、さらに同じ部活になってしまったのです。え、勉強はどうだったのかって?はっはっは、それは…(笑)。聞いちゃダメです。サーティーズ常連が多数とだけお答えしておきます。
 その運動能力がいかんなく発揮されてしまったのは、鍋山祭体育の部。(体育祭、文化祭という呼び名はないのです。)クラス対抗リレーのメンバーは各クラス女子4人男子4人なのですが、女子はバスケ部だけでメンバーを組めてしまいました。(わたしは短距離より長距離の方が得意なので、大して速くないのですが…。)結果は、女子だけならぶっちぎりの1位。最終的には学年オープンの決勝にも残ったんだったかな?
 次は秋の球技祭。春はドッジボールとバレーボールが学年オープンで行われるのですが、秋はバレーボールだけが学年オープンになり、1年はハンドボール、3年がソフトボールになるのです。2年がないのは、修学旅行に行っていないから。バレーボールは受験勉強で弱くなっている3年に1年が勝つチャンスとなります。各クラス、ハンドボールとバレーボールに選手登録をしますが、この時に問題が起こりました。参加選手の制限が体育委員会から出されたのです。
「バレーボールはバレー部員を2人までしか入れてはいけない。ハンドボールはバスケ部員を2人までしか入れてはいけない。」
さて、どこが問題点でしょう?
答え:ハンドボールの制限対象となるのがうちのクラスだけ。専門職ではない球技なのに制限されていること。
バスケ部員はうちのクラスに4人、他のクラスに1人いるだけです。もう1人はすでに退部していました。これって、完全にうちのクラス対策に作ったルールじゃないか!1クラスしか対象にならないルールはおかしいとして文句を付け、結局ソフト部も道連れにしてやりました。肩が強いということで、ソフト部も制限対象にしたのです。さらに、バスケとハンドって歩いてよい歩数が違うから、バスケをやっている人の方が不利なのに、そんな制限を付けてきたのにも腹が立ちました。今考えるととんでもないルールです。でも、結局優勝しましたが。制限を付けたことで、わたしたちに絶対負けるもんかと思わせてしまったのが他のクラスの敗因です。
 そんなわたしたちでしたが、翌年は当然のごとく全員違うクラスになりました。3年になってからまた同じクラスになったCさんとは、1年のハンドと3年春の全学年オープンバレーボールで一緒に優勝しました。5回中2回も優勝できるなんて、滅多にないことです。これも、Cさんのとんでもない運動能力のおかげです。(次回に続く)


01/08/16 (木)

4人の祖母
 わたしが生まれたとき、すでに祖父はいなかった。父方の祖父は、戦後まもなく亡くなっていた。母方の祖父も同様である。だから、わたしには「おじいちゃん」がどんな存在なのか、よくわからない。けれど、「おばあちゃん」は4人いる。血縁上の祖母は、たった1人だが。
 母方の祖母は5人の子どもを抱えていたが、全員を一度に育てることはできなかったのだろう。母は親戚に預けられた。預けられた先は、母の従兄の家である。この従兄は頭が良く運動もでき、加えて絵心もあり、母にとってあこがれのお兄さんだったようだ。母に子どもの頃の話を聞くと、必ず登場するのだから。そして、未だにとても仲がよい。母には兄が1人、弟が2人いるのだが、従兄ほど仲良しではないのだ。
 この従兄の母は、わたしの母にとって叔母にあたるが、育ての親でもある。だから、母はわたしたちを連れてよく訪ねていった。わたしたちはこの人を「ババちゃん」と呼んでいた。命名したのは、どうやらわたしの従姉らしい。本来は大叔母にあたるのだが、「大おばさん」とは言いにくかったので、自然と「ババちゃん」になったのだろう。
 ババちゃんにはいろいろな遊びを教わった。大きな声では言えないが、花札を教わったのもババちゃんからだ。また、戦争のこともババちゃんが教えてくれた。そして、幼い頃の母の話も、ババちゃんから聞かされた。
 このババちゃんの存在は、幼い頃のわたしにはなかなか理解できなかった。母を育てた人だからおばあちゃんだと思っていたのに、母はババちゃんのことを「叔母さん」と呼ぶ。そして、おばあちゃんは他にもう一人いるというのだ。
 母方の祖母は橋本に住んでいたので、「橋本のおばあちゃん」と呼んでいた。年に一度、正月に会っていた。わたしの手は橋本のおばあちゃんにそっくりだという。橋本のおばあちゃんからは、母の幼い頃の話はほとんど聞いたことがない。けれど、毎年訪ねていくと、とても暖かいまなざしでわたしたち親子を見ていてくれた。そして、母も祖母のことをとても大切に思っていたことは、田舎を訪れたときの母の様子や、今ピアノの上に飾られている祖母の写真からひしひしと伝わってくる。母が2人の母親をどんな風に思っていたのか、直接聞いたことはないけれど、どちらもかけがえのない存在であったのだと確信できる。
 父方の祖母のことは、「浦安のおばあちゃん」と呼んでいた。もちろん、浦安に住んでいたからである。でも、この祖母は血縁上はわたしの大叔母である。父の両親は戦後まもなく相次いで亡くなり、5人兄妹はそれぞれ違う家に引き取られていった。父は、祖父の妹である浦安のおばあちゃんに引き取られたのだ。浦安のおばあちゃんが本当のおばあちゃんではないということにわたしがはっきりと気がついたのは、小学校2,3年の頃である。そう、教わったのではなく、自分で気がついたのだ。きっかけとなったのは、さらに古い記憶だった。幼稚園のころ、父方の曾祖母がふともらした言葉を、わたしが覚えていたのだ。父の両親は父が子どもの頃に亡くなっていると曾祖母は話していたのである。この時聞いたことをなぜずっと覚えていたのかはよくわからない。しかし、父の田舎に遊びに行った小学校低学年の夏休みに、この記憶が正しかったことが証明された。父の田舎には、父の従兄が住んでおり、その母も同居していた。上田のおばあちゃんである。上田のおばあちゃんはかなり高齢になっていて、あまり話すことができなかった。おばあちゃんの話を聞き取れるのは、その家の孫である高校生のゆかりさんだけだった。でも、たどたどしい口調で話すおばあちゃんの言葉は、なぜかわたしにも聞き取れた。おばあちゃんは父の幼い頃の話をしてくれた。父が浦安のおばあちゃんに引き取られる以前に上田に一時期住んでいたことを知ったのも、上田のおばあちゃんの話からだった。「本当にあの子はいい子だったよ。両親に死なれて、でも、何でもがんばったんだよ。」と何度も繰り返すおばあちゃん。その後、しばらくして上田のおばあちゃんは亡くなった。この話をもし聞いていなかったら、わたしは思春期にもっと父に対して反発をしていただろう。でも、父の苦労や経験してきたことを知ってしまっていたから、父がわたしたちに言うことの奥底にある意味が自然とわかってしまい、あまり反発しなかったのだ。
 子どもの記憶というのは意外と侮れない。4,5歳の頃の記憶をもとに、10歳にもならない子どもが父と祖母の血縁関係に疑問を持つとは、両親も思わなかったという。実は、両親がはっきりと祖父母について説明してくれたのは、わたしが中学生になってからである。もっと小さい頃から知っていたと告げると、両親は半ばあきれていたようだった。
 浦安のおばあちゃんは、毎年わたしたちの家にやってきて、一緒に成田山に初詣に行っていた。浦安のおばあちゃんが教えてくれた父の幼い頃の話はとてもおもしろい。父も「おれが悪いことをすると、おふくろには洗面器でひっぱたかれたんだよ。」と楽しそうに話す。父にとって、自分の母は浦安のおばあちゃんなのだ。たとえ、血縁上は母親ではなくても。血のつながりだけが家族ではない。今ここに父がいるのは、浦安のおばあちゃん抜きには考えられない。
 母は、浦安のおばあちゃんと同居するときに「おばあちゃんはお父さんの本当のお母さんじゃないけど、ずっとお父さんのことを育ててくれた人だから引き取って一緒に住んでいい?」とわたしたちに尋ねた。そんなこと、今更確認するまでもない。父にとって浦安のおばあちゃんが母親であるように、わたしにとってもおばあちゃんなのだ。血のつながりなんて関係なく、おばあちゃんはおばあちゃんなのだ。それは、ババちゃんを思う母の気持ちと一緒だと思う。わたしには4人の祖母がいたけれど、血縁上祖母と呼べる人は1人だけ。でも、どのおばあちゃんもみんなわたしにとっておばあちゃんである。
 そして、今、わたしたちは浦安のおばあちゃんと同居し始めた。


01/08/15 (水)

更新情報
 TOPの画像を替えました。歴博の「伝統の朝顔」の写真と、うちの朝顔の写真です。うちの朝顔はもともと一昨年歴博でもらったものなので、ちょっとかわった花が咲きました。3周年記念企画はこれでいいかな…。

大台突入…
 今日は誕生日。とうとう大台になりました。今日から祖母との同居が始まったので、朝からみんな(カイザー&ベスは除きます)忙しそうでした。この年になると、自分はもちろん家族も誕生日といってもあまり気にとめなくなります。しかし、なぜか今年は親が誕生日ケーキを買ってました。まさか、ケーキを買ってくるとは思わなかったので、ビックリ&恥ずかしい…。でも、わたしの好きなチョコレートケーキだったのです。そこまでだったら素直に「ありがとう。」と言うところなのですが…このケーキにはメッセージが書かれていました。
「大台入りおめでと!」
……何でこういうメッセージを書いてもらってくるの!?


01/08/10 (金)

更新情報
 「カイザーとベス」のコーナーにちょっとだけ追加しました(^^;)。さて、どれが加わったでしょうか?
 このページの更新は約2年ぶりです。自分でもビックリ。
 え?後の更新ですか?はっはっは。まだでーす。あと5日で3周年&誕生日なんですけどね。どうしようかな。この日は祖母との同居開始日でもあるので、忙しいからなあ。


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