■戦い済んで日が暮れて


痩せる思いの個展の一週間がようやく終わった。
時期的に展覧会が多い今、私の個展と重なって身動きが取れず失礼をしたお詫びの手紙を何通も書いた。
誰が決めたのか「芸術の秋」なのである。
手紙と言えば・・・ひとつ会期中のエピソードを思い出した。
会場に一人の男性が来られた。お話を伺うと・・・

実はこの方の奥様がこの夏突然に亡くなられた。それとも知らず私は案内状を例年の様に郵送してしまった。
折り返し喪中の葉書が届いて驚いた。10年程前に私の作品を気に入られて買って頂いたのがその奥様だった。
知らぬ事とは言え案内をお届けしたことを手紙に書いてお詫びした。個展間際の慌ただしい時だったがせめて
一言でもと、ペンを執ったのだ。ご主人が言われていた。「戴いたお手紙は妻の仏前に供えました。生きて居れば
きっと今年も伺っていると思いますので代わりに・・・」と。そして「あの作品は今も大事に飾っています」と言って戴いた。
なんと絵描き冥利に尽きる言葉かと私は胸が熱くなる思いがしてお聞きした。
作品は確かに描いてしまえば手元を離れる。しかしそれを取り巻くドラマは作品がある限り続く。
どんな思いをその一枚の絵に感じるか、それは人それぞれである。だが作家はどこまでも責任を果たさなければ
ならないと思う。あの人の作品だから持っていて良かったと言って頂く為にも後へはさがれない。
最後に・・・「これからも妻の代わりに毎年来させてもらいます」と話される目には涙が浮かんでいた。
私如きには何の力も無いが、せめて人間らしく人として誠実に生きたいと願う所為であった。

このHPを以前から黙ってご覧になっていた居た方が、今回初めて遠いところから来観された。
コンドルさんですか?と声を掛けられ驚いたことも度々あってNETの世界が身近に感じたのも今回の印象である。
告知で知りつつも、今か今かとDMの届くのを待っていましたと言われる方も多かった。
太一君は元気ですか?と恥ずかしい思いをすることもあった。
管理人の私コンドルは大勢の方に戴いた真心からの激励を糧に更なる高みを目指して飛び続けたい。
それが唯一私に出来るたった一つの道なのである。
2002/11/30(管理人室〜転載)


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