■偶然に出会った感動


もう何年も前のことですが、私がとある画廊を訪れたときのことです。
知人の個展に伺ったその後、同じ画廊の別室で故人の遺作展を覗いてみました。
会場にはご主人が居られた。展示の作品はその奥さんの描かれたもので、大小の水彩画でした。
癌で闘病中に病院で描かれたもので、作品と折々に添えられた短い文章が展示されていました。
病窓から見える風景であったり、花瓶の花であったり・・・・季節の食べ物であったり。
絶筆となった絵には、家族に宛てたメッセージが。「長い間ありがとう・・・」とはっきり記されてありました。
別に絵描きさんでもなく、好きで描かかれていた水彩画でしたが、自分の命を見つめながら一枚一枚
描かれたその作品には、輝くような力強さと、優しさが溢れていました。
それは、恐らくどんな有名な画家よりも、またどんな売れっ子詩人でも書けない生きた言葉の作品でした。
名も無い一主婦が命の消える瞬間まで、夫を思い家族を思い書き綴った日記のような作品でした。
マスコミに大々的に宣伝もせず、ひっそりとした会場でした。

ご主人に感想などいろいろとをお話しを伺った中で、
癌という不治の病でもこんな風に精一杯闘った者が居る、そのことを広く知ってもらって同じ病気の方達にも
勇気を持ってもらいたかった・・・・と話されていました。
私たちは日頃口癖のように「感動した」とか「感動を与えたい」と言いますが、その実態はなんなのか?
魂の叫び、命あることの歓び。それは小手先だけの思い込みで表現出来るものではなく、崇高な精神の発露
として共鳴し合ったり、何等かのパワーをもって訴えかけられるものではないでしょうか。苦闘の中でも純粋に
生きた人は美しい。まして絵を描く人の作品はである。
悲しみをプラスのバネにされるご主人。なんと素晴らしいご夫婦だったのかと思いました。
メッセージと共にお子さん達にも残された、これら数々の作品は掛け替えのない宝ものになったことに違いない。

帰り際に、亡き妻の供養ですから・・・と私に限定の画集を戴きました。きそれは今も大切に書棚に保管している。
私がもし同じ立場なら、はたして筆を執り続けられるだろうか?そして
残った妻はあんなに堂々と遺作展を開いてくれるだろうか・・・・?などと情けないことを考えながら
衝撃の余韻は暫く続いたのです。
「絵描きである前に一人の人間でありたい」まさにそのことを見せ付けられるような展覧会でした。




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