■干支の色紙を描く

私の主宰する水彩画の教室では、毎年年末の今ごろにると色紙に来る年の「干支」を描く。
古い生徒さんは8枚揃ったとか・・私はまだ3枚目とか言いながら賑やかに一年を締めくくることが恒例。
鼠だか?さつまいも?だか解からないような「もの」を描いていた人が、数年経てば立派な馬を描くように
上達している。指導する私の一年間の成果を、目の当たりにする緊張の瞬間でもある。
「とても玄関などには飾れません!」と嘆いていた同じ生徒さんが、「これなら飾れますか?」と
嬉しそうに聞かれたとき、私は何よりも嬉しく安堵するのだ。
絵を何の為に描くのか(習うのか)私はいつも最初に入会する人に言う。
プロの絵描きならともかく、楽しみで描くのであれば、絵を描いている事が日常生活の上に何等かの形
で生きている事が大事。
習う事だけの為の絵なら、楽しくもないし持続も出来ない。日々些細な事に感動し、自らその気持ちを大切に
しながら絵を描くことに現してみる。そのことが生活の中に潤いを生じさせる・・・と
説くのである。
先の色紙の干支も、そんな考えからの一日で今年も無事に終了。

「こんな私に一年間ついて来てくれてありがとう」と.この場を借りて生徒さん達
にこそっと書いておきたいと思う。
(この記事は管理人日誌からの転載)


■[基本に徹するということ]

どんな世界にも「基本」がある。それをおろそかにしたものには何の技も、結果も出ないと思う。
折しも冬季五輪が終わったが、あのスポーツの世界でも同じことが言える。
優れた記録を打ち立てた選手達のその影には、たゆまぬ日常の基礎体力作りがあっての事だと疑わない。
地味で面白くない日常の訓練。しかしそれなくしてゴールへは辿りつけないことを選手自らが一番よく
知っているから練習を続けるのだと思う。
こと絵を描く我々に転じて考えれば、個性や斬新性を追い求めるあまり、肝心な「基本的なこと」を
疎かになりがちで、楽をしてなんとか・・・そんな訳にはいかないのである。
まぐれも実力の内とは言うが、まぐれは「気まぐれ」なもので、当てにならない。
形を見つめ、色を読み取り、誠実に筆を運ぶ・・・それは絵画の基本である。
たった一個の柿の実が描けない者が、どうして万華紅葉の錦が描けるだろうか?
一本の水平線に思いを込められない者が、どうして日本海から昇る元朝の旭日が描けるだろうか?
一見簡単な事の様な事柄に、基本の有無が歴然と現れてしまうのではないかと私は思う。
汲んでも尽きない底力。それは基本と言う名の蓄えが有ってのことではないだろうかと、筆者の私自身の
反省も込めてチョット書いてみた次第です。
(2002/2/25記)



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